パチンコ狂いのマリーの畑

f0104169_1513572.jpg久々の友人達とランチ。会場は夫のタイ・レストラン。夫はカウンターでこういう作業をしていた。これはパカナというタイの野菜で「パカナ・ムーグローブ(豚のカリカリ揚げとの炒め物)」というのが一般的料理だ。夫の店でも人気がある。誰でも食べられる特にクセのない料理、と思っていたら、この間「パカナは苦くて嫌い」というタイ人がいたが、多分そういう人の方が少数と思われる。彼は、固い部分をナイフで削って小分けにして新聞紙に包む作業中だった。この辺りのタイ人の多くは、土地のある日本人男性と結婚して、その畑仕事をしている。そしてタイの野菜を作って、食材店やレストランに売りに来るとお小遣いになるというわけだ。随分と遠方から来る人もいるが、そうしてタイ人達は交流もする。売り上げ分だけビール飲んだり、食事したりという人もいるし。

これはどこから仕入れたのかと思って夫に聞くと「マリーの畑から自分で取ってきた」と言う。それって泥棒ではないか。事情を聞くと「マリーはパチンコに凝っていて植えたが収穫を面倒がっているから自分で取ってきた」ということ。あの、マリーもパチンコに走っているとは、知らなかった。私はタイ料理については可能性を信じている。私自身が大好きだし、味が多彩で本当に素晴らしいと思う。その割にちゃんとしたレストランは少ない。いや、始める人はいるのだが、続かないのである。なぜか。パチンコに凝って店そっちのけになり…、後は推して知るべし。夫に「○さん、どうしている」と聞くと「パチンコ」「××さんは?」「パチンコ」。マリーの場合は店をやっているわけではなくて畑だから、欲しい人が取りに行って、いくらか渡せばいいらしい。金額にはあまり興味ない。「自分で取った方が面白いよ」と農家出身の夫の弁。地方都市在住タイ人社会の一面である。
# by kienlen | 2006-07-28 15:36 | タイ人・外国人 | Comments(0)

久々の裁判傍聴記

昨日に続いて晴れて暑い日になるのだと思って起きたらかなり激しい雨。慌てて外のウサギの様子を見にいく。室内で飼っているのだが、大雨続きで小屋掃除ができずひどい状態になっていたので、小屋の乾燥を待つ間、外泊してもらうことにしていた。どうせ雨は降らないから外で、と思ったがそれでも万が一に備えて軒下に泊まらせて良かった。無事に元気でいた。息子に「私が今日いなくていいか、いた方がいいか」と尋ねると「いなくていい」と言うので出かける。ただ、タイ人の裁判傍聴のために車で2時間の場所へ。バイトで2日間オフィスワークをしたら移動欲求が湧いたというのもある。

機会があれば裁判の傍聴はしたいと思っていて予定を調べるところまではするのだが、なかなかスケジュールが合わず、たまにしか行かれない。前回から多分1年くらい経ったと思われる。どの業界もそれなりの掟だとか暗黙の了解事項に満ちているだろうが、司法の世界もよく分からない。今日も、検察官が起訴状を朗読し、被告の簡単な経歴や証拠関係を読み上げ、弁護士がそれらを認め、さて次の展開は、と思ったら、裁判官が審理の日程調整に入ってしまった。風俗営業だとか入管法だとか、罪名がいろいろ並んでいたので、どういう応酬になるのか見たかったのに。確か前回の時も、検事が証拠物品を持参しなかったとかなんとか言い始めて、後日ってことですぐに閉廷になっていた。

裁判傍聴なんて国民の義務でもないし、話題の案件は除いて、普通は報道陣がいればちょっといて、後は家族友人などがちょっといる程度だろう。今日もそうだった。だから、無駄足だったと責めるつもりはないけど、それに司法の世界を知らないので、判断材料がなくて素人考えでしかないが、なんでここで審理しないのだろうか、と単純に思ってしまう。裁判員制度の導入が決まったのも、もしかしてこんな事情があるのかもしれない。迅速になる、というのがひとつの理由と聞くと、人の命に関わることを迅速化に重点を置いていいのかという疑問は持つが、しかし無駄に時間が費やされているとすれば、合理化するのは賛成だ。それにしても何が問題でそれが何に起因するのか、別の解決方法はないのか等、正確な情報を知らないのは、多分私だけではないだろう。というわけで、中身がないので傍聴記は次の機会になる。ちなみに審理は1か月先ということ…。
# by kienlen | 2006-07-27 20:16 | タイ人・外国人 | Comments(0)

政治家の話はなぜつまらないのか

猪口少子化担当大臣のお話を聴いた。というのは、タイ人の裁判傍聴目的で遠方の市まで行ったのに、審理は後日ということで、すぐに閉廷してしまい、わざわざ2時間も運転して来たのにあんまりだ、と思っていたところに友人から「猪口大臣がそっちで演説するよ」という電話が入ったから。時間も場所もおあつらえのようなタイミング。10日後に迫った知事選の候補者の応援に来たとのこと。行ってみることにする。揃いのTシャツを着た人々が駐車場で腕を振っている(満車で困った車がうろうろしていたのに案内するわけでもない)のは、いかにも組織選挙らしい。受付で、電話番号まで記入を求められる。本来的な意味を知っているわけではないし、名称の使い方は自由だろうけど、タウンミーティングといわれると、市民主体のイメージをもってしまうので、なんだか違和感。

会場に入ると演説は始まっていた。内容を簡単に言うと、あれもしてますこれもしてます、休みは正月の1日2日を除いてとってません云々。ああ、これ内容説明にはなっていないが、政府がやることをここで説明してもらっても何も楽しくないし新しい発見皆無→政府の広報ページへ飛ぶ。あれしてるこれしてる→だって、仕事なんだもん当然でしょ、いい給料もらっているんだし。それに自分で投資して事業するわけでもないし、ノーリスクハイリターンの仕事の部類と違うか?あ、すみません無知で。休みなし→ご自由に。私が休みなしで働いても誰も興味もってくれないから発表の場があるっていいじゃん。でも、だから?

まあ、私としては、こんなわけで政治にますます興味がなくなるわけですが、大臣は、政策発表会=別名タウンミーティングが終わって1人の質問にパンフレットを示しながら答えると、会場を後にした。ここで、私の関心は壁際で会場を見張っていた知人。彼は確か警察官である。きっと護衛である。やはり、大臣が去ると同時に去った。大臣1人が移動するということは、大変なことなのだ。税金も使うのだ。もちろん国民のためにそれだけの意義があると思いたいですけど、今日の話に税金使って欲しいとは思わなかった私。
# by kienlen | 2006-07-27 19:33 | その他雑感 | Comments(0)

とっても恋しい、という日本語とタイ語

お気に入りに登録してある項目をおおざっぱに分類すると、時刻表や郵便番号などの、いわばハウツー、それから他人のブログ少々、それから市や県や入管など公的機関の公式ページ、それから本の検索関係、そしてタイ語の関係で、これは誰かが質問して誰かが答える、という形式が複数ある。そのうちのひとつを見ていたら、こういう質問があった。「キトゥン・ジャンは日本語で何ですか?(原文はタイ語)」。これだけの情報に対して、一体何と答えているのだろうかと興味深深で開けてみたら、こうなっていた。「とっても恋しい。すごく想ってます」。ふーーーむ。日本語としては正しいが、これを言うかい?手書きで切手を貼って出すレトロなラブレターならあるかも。「私はあなたがとっても恋しい、すごく想ってます」と。しかし、タイ語のこれはごく普通の日常会話用語。

電話を取ったら久々の友人で「お久しぶり、どうしてるのー」みたいな時に「なつかしいね」「会いたいね」というニュアンスで使ったり、電話じゃなくて、バッタリ会った時にも「キトゥン・ジャン・ルーイ(ルーイは強調的)」と言う。性別年齢関係ない、ということを知らなかった時は、私も教科書的に「恋しい」と理解していたので、ムムムと思ったが、何のことはない、生活用品のように気軽な言葉なのだ。私にとって不思議なのは、この種の回答者。言葉なんて、文脈で意味が変わってくる。それをあたかもひとつの定義があるかのように書き込む。「恋しい」「想ってます」と覚えたタイ人が、タイ語の「キトゥン・ジャン」の場面で「恋しいです」と言ったら、と想像すると、誤解されて結婚なんてことにならないでね、と余計なお節介をしたくなる。そういえば日本語だと気軽に、慕う親しい気持ちを表す言葉が思いつかない。こういう言語環境で育って、それでパーク・ワーン(口・甘い=甘言)に乗って行き過ぎになった日本人も少なくないようだ。それも楽しいだろうが。
# by kienlen | 2006-07-27 01:30 | 言葉 | Comments(0)

『松本清張と昭和史』を読んだ

保阪正康『松本清張と昭和史』を読んだ。昔、昔、若い頃なので内容を覚えているわけではないが、1人の作家の作品をこんなにたくさん読んだのは松本清張だけだ。なにしろ文庫本でずらっと並んでいるし、つまらないのがないので、本屋に行って迷ったら松本清張の何かを選べば良くて重宝した。『砂の器』は最も好きな映画のひとつ。これは、元日活の助監督だったという友人の推薦作で、バンコクの一部屋だけのアパートで見せてもらったことがある。その友人のタイ人の彼女がベッドの上で所在なげにしていたことも、なんだか作品の陰影を深めているように感じた。しかしこういう状況での映画鑑賞で泣けるのは、もっと所在なげな気分になる。そんなことがあったのと、名前だけは知っているけど全然読んだことがない著者を何か1冊と思っていたところに書店で見つけて買ったもの。面白かった。

清張のを何冊か読んだといっても、ミステリー小説ばかり。この本が取り上げている『昭和史発掘』も『日本の黒い霧』も読んでないのだから、これを読む前にそっちを読んでおくべきなのだろうが、そんな浅薄者にも分かるように解説してくれているのがありがたい。第1章が昭和前期と『昭和史発掘』、第2章が「2・26事件」に収斂された昭和前期、第3章が昭和中期を暴いた『日本の黒い霧』という構成。つまり、2・26事件に至るまでの動きと、敗戦後の占領下の怪事件を取り上げた2作品を、著者の1人称で評論するもので、引用から清張史観の独自性を紹介し、批判者の論を少し紹介し、著者の考えを示し、清張史観に影響を与えていると思われる清張の個人史も描かれる。学問でもなくジャーナリズムでもない、「時代の記録者」としての清張の後継者という位置に自分を置く視点から書いているのだが、その距離感が良かった。新書なのに濃い内容で正義感あふれるいい本だった。
# by kienlen | 2006-07-26 22:35 | 読み物類 | Comments(0)

3者面談の日に思い出した入学式

日付が変わったので、今日ということになるが、息子の3者面談がある。中学は、入学式で懲りて以来足が向かない。だから授業参観もPTA関係も一度も行かずに終わりそうだ。ただ3者面談だけは今までも行っているし、今日も行かないわけにもいくまい。とにかく入学式では驚いた。この日に何かのお金を持参せよということだったので、半ば義務なのかと思って参加した。式は厳粛というと聞こえはいいが、大げさで、なんだか、小学校とは違って厳しいのだぞ、ということを誇示したいかのような印象。突然制服になるのもその効果大。学校が生徒に対してどういう方針をとるのも、はいどうぞ、と思うが、親がなぜそれに巻き込まれなければならないのかは分からない。究極の儀式がやっと終わったら、次は教室へ、という指示。

ここで長々、長々と待たされる結果となることは知らなかった。とにかく、なぜ待たされるのか、いつまで待つのか分からない。私が場を仕切る立場であれば、待たせることになる理由と、だいたいのメドは知らせるだろう。そして「○時頃までお待ちいただくことになりそうで恐縮ですが、ご都合つかない方は…」とか「大切なお知らせがありますので、いったんお出かけいただいても結構ですが、○時までに再度お越しいただければ…」みたいな伝達はする。何も言わずに待たせるのは、いくらなんでも相手に失礼ではないか。何分だか忘れたが長い待ちぼうけで頭も呆けた頃に、学校関係者らしき方がやってきてこう言った。「皆さん今日からPTA会員ですから役員を決めていただきます」。いかにも当然な言い方。

先日、中学校の教師をしている知り合いと話していたら「CS(カスタマー・サティスファクション・顧客満足)の研修がある」と言っていて、学校がサービス産業であって欲しいとも教師がサービス業であって欲しいとも思わない私は、そんなバカな、と思ったが、しかし、あのシーンを思い出すと、もしや現状は最低限のマナーの欠如があるのかもしれないと、ゾゾゾとした次第。私は客扱いをして欲しいとは微塵も思わないが、当たり前の接し方をして欲しいとは思う。つまり、最近の言葉では説明責任ってやつ。上記PTA会員も、有無を言わさずではなくて、任意団体であるが○○(固有の事情で何でもいい)であり、○○(同)なので加入いただきたい、と説明いただけるだけでいい。もっともそれ以前の問題は、形式上PTAというのは、学校も親も対等の立場ってことになっているから、学校が主導するわけにもいかないのだろう。でも、対等に物事を進める訓練なんてできていない。先生も大変だし、親も大変だ。だったらもうゼロから見直した方がいいんじゃないかと私は思っている。
# by kienlen | 2006-07-26 00:55 | PTA・学校 | Comments(0)

こんなに元気なカボチャなら

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ずっと気になっているカボチャ。道路にはみ出しているので夕方は車に轢かれて無残になっている。が、翌朝はまた新しい芽が伸びてこんなに元気だ。元気で伸び伸びで感動、なんて言いたいのではなくて、つまり、美味しそう!カボチャの芽がこんなに美味しいということは、タイ人達から教わったのだ。日本でも他の地方は食べるのか知らないが、このへんの日本人に聞いて「ああ、美味しいよね」と同意してくれた人は、今のところ皆無。実家の父もカボチャは作っているし、私も子供の頃から大好きだったが、芽を食べさせられた記憶はない。さつまいもの茎は食べたけど。こういうたくましい植物なのであちこちに雄姿をさらしているが、芽が轢かれているのは見ても、摘まれているのを見たためしがない。これがタイ人にとっては、宝の持ち腐れというか、灯台下暗しというか、とにかく日本人はもったいないことをする、ということになる。

タイ人人口が減ってしまって、多くが日本人の妻で滞在年数も長いので、カボチャの話題を聞かなくなってしまったが、数年前、まだ賑わいの名残りがあった頃、この季節にタイ人が集まると、しょっちゅうカボチャの芽の話題がでた。あちこちにあるから目につくのだ。食べたい、でも勝手に取るわけにもいかない。でも、日本人は放置しているだけで残念だ。八百屋にも売っていない。それで食べてみた。さっとゆでて、ナムプリック(唐辛子にいろいろな材料を混ぜて各家庭オリジナルもあるディップ用ソースみたいなもの)をつけて食べたり、あっさり日本のお浸しでもいける。このままの色だから、彩りとしても最高だし、栄養もありそう。写真でツンツンしている芽の部分。花があると色彩はもっと美しくなる。祖父母宅に入り浸りの娘が帰る時に持ち帰ってもらおう。
# by kienlen | 2006-07-25 07:57 | タイ人・外国人 | Comments(3)

雨の中を自転車出勤の朝

アルバイトの初日だ。9時からというフツーの時間の始まり。サバを焼いて野菜炒めでご飯という、ここに豆腐ときのこの味噌汁があったら、食育的観点から理想的と思われる朝食を用意して自分で食べる。そしたら息子も来たので分けてやる。こんな朝食を作ったのは何年ぶりだろうか。帰国当初は日本食が珍しいので、サンマを焼いたりして朝食を楽しんでいたが、子供が大きくなり皆が揃うとうっとうしい感じになり、夫が夜の仕事になり、私も不規則になり、生活の変化が常にあるので、それに応じて朝食スタイルも変化する。このところパンだけとか、そこにウインナーと卵とか、食育的見地からはなってない朝食(子供用)が続いていた。ちなみに担当は夫。もっとも、娘が辛い四川風ザーサイが好きなので、これが手に入ると私がおにぎりにしたり、お好み焼きも作ったりもするから、まあまあかもしれない。

これでアルコールをやめれば健全じゃないか、と思いながら家を出る。なんだか新鮮。朝からしつこい雨で、徒歩にしようと思っていたが、充実した朝食のおかげで間に合わなくなってしまって、雨の中を自転車で行くことになった。食育的にはいいが、交通事故増加に貢献する不安はあり。そうだ、何かを得れば何かは失うのだ、と、まだ失ったわけではないが、思いながら傘を差して自転車を走らせる。歩道は広めなのに傘、傘、傘の間を自転車で抜けていくのは結構危険。若者じゃないんだし。通勤途上には市役所もあるし、県庁の付近も通る。たくさんの人々の通勤時間帯でもある。公務員だと、多くが転職もしないのだろう。私の知る限り夫婦で公務員もかなりいる。すると、きっと毎日決まった時間に朝食で、決まった時間に出勤なのだろう。それが当たり前の人と、それを新鮮に感じてしまう人。世の中の見方も違って当然だろう。
# by kienlen | 2006-07-24 21:50 | 仕事関係 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


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