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8月の家族たち

無料の動画サイトからこの映画の案内がきていて、昼間からそういうのを見たことはないのに、何となくタイトルに惹かれてアクセスしてしまった。そしたらいきなり出てきたのがメリルストリープで、それにジュリアロバーツも出てきて、何、何と思っているうちに面白くて昼間っから最後まで見てしまった。すごい面白かった。メリルストリープの巧さにはいつも感心し通しだけど、それをおいても面白かった。で、誰かにお勧めメールを送りたかったが、思いつく相手がいない。これを面白いと感じる人って誰だろう。逆に迷惑がられそう。とにかく何も知らない映画だったので、見終わってからちょっと検索してみたら、舞台でピューリッツアー賞を取っているのだそうだ。いやはや、面白かった。
by kienlen | 2018-08-31 21:17 | 映画類 | Comments(0)

『ひとりの午後に』

何度か顔を合わせてはいるが話したことがないという程度の関係の人たちと話す機会があった。もう別れ際になってみんな本が好きだということが分かった。本の話をしていたら個人的な話などしなくて済んだのに、最初から言ってほしかったと思ったが、聞かなかった自分のせいでもある。タイと本の距離があまりにあり過ぎたのは帰国してからも影響しているようだ。で、その中のひとりが、上野千鶴子のエッセイでいいのがあるので読んでほしいといい、私は上野千鶴子好きだけど今エッセイを読む気はないですね、と答えたらがっかりした風で、貸すと半ば強引に貸しつけられた。それがこの本。昨日と今日、やらねばならないことがあり、だからやりたいことを我慢し、でもやるべきことがのろのろになり、そういう時って考えなくていいエッセイはうってつけで読んでみた。それにしてもこういう本だったら一日に複数冊読めるから、1年365冊というのも夢ではない、と、夢なんて言葉を使ってみたのはこのエッセイの中にも夢がでてきたから。まったく同感な使い方だった。ほとんどが何の違和感もなさすぎて、新たな発見というのは多くない。まあ井上陽水が天才だ、好きだ、他と違う、というところとか、松任谷由美はどうも・・というあたりとか、うむ、まったくまったく同じ過ぎる。こうして過ぎるを使い過ぎるのはしばらく前の流行り言葉だったっけ。

読み始めは、なんでこんなエッセイを書くんだろうかと感じた。上野千鶴子らしくないじゃん、とよく知りもしないくせに勝手に。でも途中から、ああ、らしいな、と思ってきて、貸してくれた人はどのあたりが好きなのか聞いてみたくなり、そして最後にあとがきを読んで、すべて納得した。そういう経緯でこのようなエッセイ集ができたのか。とっても納得だった。ここのところ、しばらくぶりに、落ち込む感じを味わっている、なんとも言い難い気分。集中力はないし、まあ、そういうときにはちょうどいい本だった。かといって、これを読むと元気になるとか、そういうことはまるでないが。ここんとこタイ語でเป๊ะという言葉を非常によく聞く。ペッペッって感じで。この単語が頼りにしている辞書でみつからず、夫に聞いたらなんとなくわかった。おおぴったりとか、そのまんま、みたいな感じのようだ。この本読んでいてこの言葉が浮かんできた。何とペッなのかは色々。さて、貸してくれた人にこの本の何にそこまで惹かれているのかを聞くのを楽しみにしよう。

by kienlen | 2018-08-29 13:55 | 読み物類 | Comments(0)

『わたしたちが孤児だったころ』

カズオ・イシグロの本の3冊目をしばらく前に読んだ。読書会の課題図書になったので読むことができたもの。タイトルがどういう意味かと思いながら読んだのだけど、まあ、なるほどなという感じはあった。出だしは舞台が上海。パッケージツアーで何も分からなかったとはいえ、ちょっと空気を吸ったというだけでもこういうときは違うものだ。なんか、そのためにあちこち行っているような気もする。まず全体に、元ハードボイルド好きとしては、そういう人を狙っているんじゃなかろうかという気にさせる内容だった。気取った雰囲気と謎解き感と、などといわなくても、主人公が探偵なのだ。イギリスの探偵って、なるほどこういう背景があって普通にいたのね、と、本当かどうかも知らないくせに感心してしまうリアリティだった。そして今もいるんだろうか。探偵になりたいと思っていた心がすごくくすぐられた。とにかく感想の第一はそれ。

そして友達との読書会は昨日だった。みなさん本好きばかりで月一度の貴重な時間。そして皆さん本好きというだけでなく、あちこち歩いているので、上海も何度も行っている人は地理にも詳しいしで、大変勉強になった。それと他の人の本の読み方。私は何かを覚えるという気がないので、いや、あるけど覚えられないからそういうことにしているのかもしれないが、本のこともすべて忘れる。じゃあ何のために読むかというと、その時その瞬間が大切だからということになる。なんとなく感じていたこと、なんとなくどころかそう思っていたことが活字になっていると、それが思い込みだとしても安心感がある。多分それが一番の理由かもしれない。あと、断片がつながる感じが楽しい。歳をとるということはこういうことなのだが、あっちこっちに散らばっているピースが少しずつつながる感じ。今回もそれはあった。この作家の本は原文で読んでみたい。どんな感じなんだろうかとすごく思う。ちなみに、村上春樹に似ているといったら、賛同者はなかった。

by kienlen | 2018-08-21 17:04 | 読み物類 | Comments(0)

ゲッペルスと私

昨日は朝方から車で出かけていて歩かなかった。それでどうも気分が悪くて夕方散歩がてら映画を見に行くことにした。予告で知って絶対に見ようと決めていたもの。変化のないドキュメンタリーなのは分かっていたのでそんなに期待していたわけじゃない。でもやはりこの関係のテーマは見たい。で、思ったよりずっとずっと良かった。ゲッペルスの秘書をしていた、インタビュー時103歳の女性の語りがほぼすべてなのだが、語りのすべてがメモしたくなる含蓄に満ちている。そして彼女の語りの中に挟み込まれるのが、アメリカやロシアのプロパガンダフィルムなのだが、アメリカので最高なのがあった。最強の武器は人種差別であり、ナチスがそれによって世界を支配しようとしているという趣旨、秀逸だった。

ヒットラー最後の13日の中で忘れられないのが、ゲッペルスの妻が子どもたちの口に薬を入れて殺す場面。抵抗する子の口に強引に入れてカチンと噛んだらおしまい。彼女はその場面を見ているわけではないが、紳士のゲッペルスが自殺して妻もと聞いて、躾が行き届いて行儀のよかった子どもたちのことを尋ねたら、子どもたちも、という答を知るシーンがある。誰も信じらないと思うけど、私は収容所の実態は知らなかったというのは何度か出てくる。これが本当なのかどうかは微妙な雰囲気だが、きっと本当なのだろうけど、それは多分知ろうとしたら知れたのだろうけど、知りたくないことは知らない方が自分のためだというセンサーがあったからではないかと感じた。だからあの時代を生き延びたのだということは当人が言っていた。白バラのショアきょうだいが処刑されるのも体制側から知るところ、あの映画は本当に辛かった。とにかくいくつかがつながった、歳をとるってこういうことだな。それにしても103歳であれって、すごい。

by kienlen | 2018-08-20 23:09 | 映画類 | Comments(2)

ちまじまお盆のバーベキュー

珍しく息子が帰省した。15日は付き合えるということになっていて、父と食事の予定にしていた。が、父が体調いまいちというので、外食ではなくてバーベキューでもしますか、ということになった。うむ、どっちの方が楽かは前者の方が楽だと思うのだが、家の中で食べるのは私が面倒なのである。火起こしは得意中の得意の夫が行くと言っていたので安心してアテにしていたら、当日になって行かないと言う。さすがに社会人何年も経った息子は以前と違って約束を反故にしたりしなくなってストレスは大きく軽減されたが、社会人何十年も経つ夫は相変わらずである、ということを毎度忘れそうになり、今回もうっかりしていた。うかつうかつ。それにしてもどーして、行かないのに行くというのか、いまだに全く理解できないので、似たようなところのあるように感じてきた息子にその心理を聞いてみると、気遣いではないかという返事だった。これが気遣いになるのかどうか、やはりひじょうに不可解。しかしもう腹をたてるのも面倒なので、息子と一緒に肉やら野菜やら買い込んで父の家へ。
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ひどく暑い日のランチだったので場所に困ったが、母屋と土蔵の間の比較的涼しい所で、こんなちまじました七輪で豚とジンギスカンを焼いて、最後がこの鶏肉。で、この鶏肉が意外に美味しかったのだ。弟の息子、つまり甥っ子も加わったので平均年齢が下がり、多少のにぎわいがあった。何しろ、彼は20歳を過ぎているのに、バーベキューは生まれて初めての体験だといって喜んでいるのである。いったいどういう人生を歩んできたのかと思うが、とにかく食べ盛りは過ぎたとはいえ、20代男2人がいたので肉もご飯も野菜ももりもりという感じだった。私はビールを飲み、帰りの運転は息子が担当。結局火起こしは、子どもの時からやっていた父が中心でやることになり、体調不良なはずなのにどうしてオレがやるんだと嘆いていた。そして本日の早朝、東京に戻る途中でゴルフをするといって息子は戻って行った。
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by kienlen | 2018-08-16 20:13 | その他雑感 | Comments(0)

結局出歩いているような

このところ在宅率が大変高いです、と友人にいったら、それは誤解ではないかといわれ、ちょっと行動を振り返ってみるとなるほど誤解であるような気になる。このところも連日の突然の誘いに従って毎日出かけっぱなし。その都度、ここんとこ家にいて外食もせずに節約生活なんですよね、といいながら飲んだり食べたりしているのだから、誤解もはなはなだしい。で、今日は、ステーキステーキといつも騒いでいる友人から電話があり、ウナギをくれるという、しかも国産。じゃあ、ウチで一緒に食べますかあといったら、食いたくないので届ける、ドイツ料理の店に行こう、ということで、じゃあウナギのお礼にランチごちそうといわないとなあといったら、あんたの方が貧乏だろうということになり、結局割り勘にしてもらった。すいません。
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実物は良かったのに、ちっとも美味しそうに写ってない写真は私が頼んだハンバーグで、その友人はステーキ、感動していた。とってもいい店だったので、予定外にケーキまで食べてしまった。しかしケーキというのは、なんというか、これよりワインにすれば良かったなという気にさせる存在ではある、自分の場合。そうだ、次はワインにしよう。その後、山の方をドライブして戻った。子どもが小さい時によく行った場所。懐かしかった。ついこの間は、何年ぶりかの友人から電話があり、会うことになったので、どうせならと思ってやはり山へ。アップルミュージアムに付き合ってもらったのだが、まあ、予想したのと違わない内容であった。で、これがどこの国のプロダクツか不明だったが日本ではないように感じられた。
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by kienlen | 2018-08-12 20:34 | その他雑感 | Comments(0)

『戦国日本と大航海時代-秀吉・家康・政宗の外交戦略』

中公新書のこの本、大変面白かった。買ったきっかけは帯だった。「日本はなぜ世界最強スペインの植民地にならなかったのか」という惹句。植民地になるならないが単純な要因で決まるわけないのは分かるけど、やはり最も興味あることのひとつではある。かといって別に研究しているわけでもないのでたまたま面白そうな本を見つけると読んでみるという程度。これもその一環なのだが、歴史関係をそんな読んでいるわけじゃないので、この時代の日本のものは多分全然知らないのだ、ああ…。ま、今世ではやりたいことがとても間に合わないのでいいのだが…。ただ、西洋の支配と植民地がちょうどこの大航海時代で、幾分覚えている部分もあるので、それを想いながら読むと、うーむ、なるほどーなのだった。タイトルにもあるように、伊達政宗と家康の関係も面白かったし、とにかくこの時代の将軍がローマ帝国の皇帝と同様の称号で外国から呼ばれていたというのにびっくりしたし、それだけの軍事力と情報収集能力があり、それが江戸の鎖国を可能にしたという考察に、うなずきながら読んだ。

歴史の分野での定説というのを私は知らないが、この本はそれへの挑戦的な面もあるらしいことは、そういう書き方から想像できる。新書というのは、一般向けに専門的な分野を分かりやすく記述してくれるのだからありがたい。引用で仙台史がたびたび登場して、読んでみたくなっていたら、あとがきで、著者はこれを編纂したことで色々な発見があり、この本にもつながったのだということを知った。どうりで。スペインとポルトガルが世界を植民地化するにあたって地球を二つに分け、日本はちょうど重複しそうな地勢にあったこと、それによって両国が参入することになり、そこにオランダとイギリスが加わって、互いの悪口をいい、それが結果的にはいいように作用したともいえる。そしてまあ宣教師の役割を詳述してあるのも興味深く、イエズス会系カソリックの友人に伝えたところ、闘う修道士なのだという返事がきたが、はあ、私は仏教の方がいいなという気持ちを強くしてしまう。駆逐される運命なのか、あるいは意外にしぶといのか、そのあたりのところも感じさせてくれる。いやはや、とってもとっても面白かったし、分かりやすかった。この間読んだ言葉の海へが伊達家との関係の深い本だったので、それともつながって良かった。

by kienlen | 2018-08-08 20:12 | 読み物類 | Comments(2)

回帰的食生活

1か月以上続いていたブルーベリーの収穫が終わった。朝4時過ぎに起きて車で畑に行って、摘み取りの時間はわずか1時間半とか2時間くらいなもの。一昨年初めてやった時はひとりだったのでこれの倍の時間がかかり、日が昇ってどんどん暑くなるので早く終えたいという焦りみたいなのもあったが、今年は摘み手が何人かいて非常に気楽だった。そもそも友達の畑なので楽しみ半分というところ。とはいえ、一日おきに早朝スタートで、元々熟睡できないたちなのがもっと寝不足気味になり昼間眠くなってしまって色々能率が落ちていた。それが終わったのでかなり気が楽になった。今後の予定は流動的な部分があるがいずれにしてもスケジュール帳は真っ白。昨日もそうで落ち着いて家にいたら友人からランチに誘われた。しかも遠くの店で。ちょうど早めのランチを終える直前だったのでどうしようか迷ったものの、付き合うことにした。昔からある中華の店で人気店で行列ができていた。しかし私は当然のことながらとても食べられずもったいなかった。こういう店が人気あるわけなのだ。なるほど。
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外出も人と会うことも減っているので必然的に外食は減っている。食生活が昔に戻っていて、このところおやきを作ったりうどんを作ることが増えた。すごく食べたくなるのが不思議。まさに子どものころの食生活で、当時に回帰している感あり。母はいつもいつもうどんやおやきを作っていたが、確かにやろうと思えばすぐにできるわけで、田舎料理が好みの自分としては、ゆでないでそのまま汁に突っ込むうどんが一番好きだし、おやきも皮に何も入れないのが好きで、それにてんぷらもただ小麦粉だけのが一番。となると自分で作るしかない、ということになる。まあ、こういう文化度の低いものが好きというのは自分は楽であるが、こういう好みを共有できそうな人に心当たりはないので一人で食べるしかない。おやきは、今のところ丸ナスしか作れないと思っていたが、自分用で形など気にすることもないのだから、これから他も作ってみることにしよう。かぼちゃのが食べたい。それと小豆も。

by kienlen | 2018-08-07 16:03 | その他雑感 | Comments(0)

『朝、目覚めると、戦争が始まっていました』

夕食を準備しながらテレビをつけてみては、つまらなくてすぐに消す。というある日、たまたま本の紹介があって、これが紹介されていた。で、その後に父から電話があって、この本を買っておいてくれ、読みたいということだった。そういえば終戦の日のことは溢れているのに、開戦の日のことはあまり聞かない、少なくとも自分は。テレビで紹介されたのだから、書店で聞いたらすぐわかるだろうと思ってタイトルをメモらないまま行った。多分、そういうコーナーもあるだろうし。でも、店員さんはなかなか教えてくれなかった。テレビっていっても一日中やってますからね、とか、何とか言って。私は思った。店員にしたら、カウンターに来るのは、こういうわけのわからないことをいうばあさんが多くて全く嫌になるぜ、書店に来るのは年配ばかりでかわいいガールは来ないしな、まったくなあ、ってなもんなんだろうと。そういう自然な感情については全くいいのだが、誰だって何かを常に感じながら生きているわけで感情をコントロールしてほしいとは私は思わない。しかし、である。今時書店で買い物すること自体が貴重ではないだろうかと思うと、自分が店員だったら喜んで探すんだけどな…。たとえ相手が気に食わない感じであっても本を探すという一点だけで妥協しちゃう。

最終的にはその番組で紹介された本のコーナーがあって、やっぱり、だったら最初からここを想定していいんじゃないのかい、と思ったがおとなしく感謝の言葉を述べた。最初からここに当たりをつけてもいいんじゃないですか、とは言わなかった。そこまでくるのに結構時間かかっちゃったし、途中で父に電話までしたのだ。で、この本がつまらなかったら残念の何乗であるが、意外に面白い本だった。中身そのものというよりも編集が。まず活字がページ毎に違う。最近の流行本というのは、ああ、最近でなくても流行を知らないので、私の無知かもしれないが、こういう本って多いのでしょうか。他のタイプの本でこれではうるさいと感じられると思うが、全部が引用でしかも1ページにおさまる以下の簡潔さ、となるとこの編集はいける。変化がでるし、感情が反映されているとも感じられるのだ。説明的なまえがきもあとがきもない潔さもクール。有名人のその日の日記やら語った言葉が続く中に、大本営発表の文が挟まれている。そして最後に太宰治の「十二月八日」という短編。いやあ、太宰っていいなあ。相変わらずのこのもったいぶりかたがたまりません。チラチラ見てから父の所に持っていくと、先に読んでくれということで持ち帰り読んだ。開戦の雰囲気が、理屈じゃなくてすごく伝わってくる、空気が。アイデアの勝利って感じだろうか、といっても売れているのかどうかは全然知りません。

by kienlen | 2018-08-06 10:33 | 読み物類 | Comments(0)

君の名前で僕を呼んで

しばらく前に見た映画。予告で知り、見てみようと思っていたもの。ただそれほど期待していたわけでもない。男性同士の恋愛というのはどこの国でも流行っているんだろうか。私は全然詳しくないが日本のこの手の漫画はタイではすごく人気のようだったし、タイはもちろんだが中国のドラマでもこれが人気なのだと聞いた。そしてこの映画はイタリア映画。舞台はイタリアの避暑地で時代は1983年だったかな、確か。最初にクレジットが出た気がする。この時代だと何がいいかというと、スマホがなくて電話は家電で、主人公の17歳の少年は、なんと本を手離さないのである。これだけで感動に値する。もっとも父親が大学教授というインテリ家庭であり、少年が読んでいる本も漫画じゃないし哲学書などで、読書の他には編曲したりピアノやらギターを弾いている。景色は美しいし、世俗のにおいの薄いのがいっそう美しさを増している。で、彼らの別荘にアメリカ人の大学院生が、大学教授のお手伝いとしてやってくる。この青年がカッコよくてモテモテ、という設定になっている。というのも変な言い方だが、演技のうまさなのか、カッコいいのに存在感が最初のうちは薄いのに、少年との関係が深まるころから俄然存在感を増す感じが、そんな印象を抱かせる。

思ったよりずっと良くて最近の中では最も感動が深かった気がする。この間の心と体は多分愛の不毛を描いているように感じられたが、こちらは逆でいっぱいの愛がある感じ。このような階層だし自分が感情移入するというところはあまりないはずなのに、どの人物にも共感できるのが不思議だった。少年が鼻血を出すところ、思わず吐く場面、ああ、分かるよ、なのである。こういうのは何なのだろう。細かい部分部分に感動の連続だった。そしてあの両親のすばらしさ。全体に夢のような雰囲気できれいだった。イタリア映画って、というほど知っているわけでもないけど、なんかいい。派手じゃなくて何気なく人間存在のある部分をすごく際立たせる感じというか、そういうのが共通している気がする。彼らがユダヤ人であることの意味がどこまでの意味をもつのかは、背景となる知識不足で分からない。複数の場面で強調されていたので深い意味があるのだと想像はするが。彫像との共鳴も人間賛歌というか、こういう明るさもいいものだが、タイトルといい、結局は自己愛なのだろうか、そう思うと興ざめでもあるが、そんなことはいいやと感じられる魅力があった。うん、よかった。

by kienlen | 2018-08-05 19:48 | 映画類 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


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