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卒業

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4月から就職の娘と、引っ越しの最後の片づけの日、4年間住んだアパートの近くにできていたカフェに行った。友人が車で東京に行くというので同乗させてもらって荷物を運んだ日だった。親の役割のほとんどを終えた気分。寂しいという人もいるがほっとした感の方が強い。まだひたすら前を見る年齢の娘と前も見なくちゃいけないが、いつの間にか後ろの方が長くなっている親。しかしこんな風に一緒にカフェでホットワインを飲む日がくるなんて予想の中にはなかったことだ。プラハを歩いていた時に客引きに誘われるままに乗ったボートで飲んで以来のホットワイン、おいしかった。家の方も少しずつ片づけを始める。増えすぎた本を減らすため、捨てるのは捨て、捨てられないのは箱いっぱい寄付のための手配をした。初めてやってみたが、ネットで申し込めてすごく便利そう。

by kienlen | 2018-03-31 17:25 | その他雑感 | Comments(0)

『日本人の脳に主語はいらない』

「人工知能研究と脳科学の立場から、言語について実験と分析を重ねてきた著者が発見した新事実」。刊行が2008年であり、もう10年経っているこの説がこの分野の中でどういう位置を占めているのかなどは自分にはまるで分からないが、とっても面白かった。というのは、日本語って母音で終わることが前々から不思議だなと思っていて、ここで目をつけているのがまずは母音だからだ。日本語とポリネシア語というのが母音の比重がひじょうに大きいとのこと。で、そういう言語は主語や人称代名詞がいらないのだという仮説を脳科学の立場から検証しているのがこの本で、比較対象になっている言語は英語とかドイツ語とかフランス語とか中国語とか朝鮮語とかスペイン語でタイ語はないが、なんかなるほどなあと思える仮説だったので、この本を読んでからちょっと検索してみたら、タイ語と日本語の自称詞の出現回数を研究した論文があって、読んでみたら、多分この本の説を支持するものと思われた。

日本語のような母音に傾いた言葉を母語にしている人は母音も子音も、虫の鳴き声などもすべて左脳で聴くのだそうで、それに対して英語などを母語としている人は母音や虫の音は右脳で、子音は左脳なのだそうだ。となると右脳から左脳に伝わるのに時間がかかり、それで間がもたないので主語が入るのだという。自他分離というのも主語の有無を左右するものであり、つまり日本語だと自他分離がはっきりしていないので文章の中に自分が含まれており、つまり主体は言葉にしなくても分かる。敬語があるので関係性が分かりやすいというのもあるけど、なるほどふむふむと感じながら読んだ。英語のI,youがそれぞれ私とかあなたに対応しているわけじゃないというのも、説明を読んでいるとふむふむだった。とっても面白かった。で、問題は明治の文法だが、次はそのあたりを描いている本を読む予定。

by kienlen | 2018-03-30 19:26 | 読み物類 | Comments(2)

見れば見るほど感心する駐車場

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いつも感心するこの駐車場にはやり見とれていた、美しい。こんな風に駐車用の線が引いてあるとも思えないのだが。あるいは引いてあるんだろうか。だったらますますすごい技術ではないだろうか。で、しばらく見ていたら車を出す人たちが来た。
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自分の車の前後なり付近なりの車を押して動かす。サイドブレーキをかけておくと動かないので大変なことになる。こういう芸当ができなくなる。
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それでも苦戦しているっぽかった。出られるところまで見ていなかった、時間かかりそうで。障害がありすぎそうで。





by kienlen | 2018-03-29 13:13 | その他雑感 | Comments(0)

卒業旅行

一体何度卒業旅行をしているのだ、という娘であるが、一昨日と昨日とで能登に行ってきた。予定では3泊4日くらいの旅の予定で、その後2泊3日になり、最終的に1泊になってしまったのは、娘の都合と私の都合とが入り混じったため。長旅できるなら西日本の方面に行ってみたかった。しかし1泊だったら私の好きな能登にしようと急遽決めた。前日、帰国以来3度目の東京日帰りで夜遅くに戻り、翌早朝からの長距離運転を思うと睡眠不足が怖いので風呂も入らずに眠ろうと努力して少し寝て、もっと早朝から来ていた父と一緒に出発。娘は夜行バスで合流予定だったくせに前夜の飲み会で遅くなって間に合わなかったと新幹線。なんてことだ。
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宿は千里浜にとってあった。水平線に沈む夕陽には5分間に合わなくてこんな空、残念。しかし砂浜をドライブできるのは予想以上に楽しかった。また行ってもいいなと思った。仲良しそうな男性2人の自撮りが絵になっていた。昼間は富山からのアルプスの雄大な景色が素晴らしかったし、海もきれいで天気はいいし最高のドライブだった。
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毎日出かけてばかり。家にいる時間がなくて娘の引っ越しで生じた荷物の片づけもしてないどころから自分の荷物もそのまんまに近い。ひどい状態だ。何から手をつけていいか分からない。バンコクにいた間の余裕がなつかしい。それでいて生活費が振り込まれる。フツウの生活ってあんな安定したものなのだろうか、フツウって何かはさておき。そしてすっかり元に戻っているこの日常、ああ。そして今日は某団体に入会。これもご縁ということで、思ってもみなかった展開に。きっとそういう時期なのである。



by kienlen | 2018-03-28 20:06 | | Comments(0)

近況メモ

1週間近くもあいてしまった。理由その1、頼まれた内職仕事がひたすら時間を費やす。その2、外出がやたらに多い。その3、声がかかるとお付き合いでフラフラ。短く言うとパソコンに向かえる時間があったらひたすら内職しないとならず、それ以外の時間は外にいる、ということになる。でもそうやっていたおかげで予定より早く内職は片付いた。というか、つまりもうタイに行っていたことなどなかったかのように、すっかり元の形態に戻っているということになる。そして周囲の皆さんはお忙しそうで暇人がいるように見えない。そして、何人かの死を知らずにいたことも知った。もうね、できるときにできることしておくしかないのだが、そうするためにどうするかはなかなかバランス的に難しいところである。それに、どうせ死んでしまうのだから好きにしようが嫌いにしようが同じともいえるし。

今請求書を一通書いて、これはちょうど安めの時期のバンコクまでのチケット代であると眺め入った。同時に、思いがけないパソコン修理代と車のETC取付代に細い棒を振った程度でもある。まあ、残りを明るく生きるにはひたすら前者の発想に徹することが肝心。というわけでチケット代ゲット予定なり。この期間の外出は東京往復、甲府往復、後は近間とはいえ、かなり出まくり。娘も移動が好きなようで常に東京と実家を行き来していてこの間にも一往復して、一緒にそばでも食べに行く予定だったが私の方が突然の予定変更ですれ違った。ま、卒業式で会ったばかりだし、昨日は母の七回忌で一緒に実家に行ったし、明日も東京で会うし、さらにまた別々に戻って月曜日はまた彼女がこっちで短い旅行へ。となると長野と東京にいるのに毎日のようにどっちかで会っているということになる。で、同じ屋根の下にいるはずの夫とはほとんど顔を合わせていない。





by kienlen | 2018-03-24 09:08 | その他雑感 | Comments(0)

『外国語上達法』

娘の卒業式で上京。高齢の父を連れて行ったので駅から会場までタクシー使ったら、そっか、あっという間に1000バーツちかく。バンコクだったら1000円もいかないのにとまだ感じてしまう時期なのだ。で、道中で1冊読めた。読めた、というのは、岩波新書なので時間かかるような気がしていたがシンプルで分かりやすくてごもっともで役に立って短時間で読めて文句なし、という意味で。ただし1986年発行なので、インターネットどころか「テープ」という世界。それで自分などは逆に親しみを覚えた。千野栄一著で、どっかで見たことあるなと思ったら、存在の耐えられない軽さを訳している人だった。よって、チェコ語への言及がかなりあって、いいなあ、と思った。バンコクでチェコ語を教えてくれるところがあったら行こうと思っていたけど、そんなマイナー言語あるわけないと言われてしまって終わったのだった。外国語の学習に必要なのは時間とお金。ごもっとも。それと、語学教師はどうあるべきか、辞書はどういうのがいいかなどなど、夢は語らず実用に徹した本だった。外国語の勉強を始めたくなる。面白かった。
by kienlen | 2018-03-18 22:43 | 読み物類 | Comments(2)

『日本語の特質』

朝書いたのに消えていた。金田一春彦著のこの本をいつ買ったのか覚えていない。初版発行は1991年なので古いと呼んでいいのかも。バンコクにも持って行ってちょこちょこ読んでいてひじょうに面白いので読み直したくて帰国の荷物に入れた。正解だった。とっても面白かった。中国語も英語もタイの公用語って本当なのかな、などえっと思うというか全然知らなかったというかのことがいくつかあったけど、つまり結構タイが出てくるのも面白かった。やはりアジアの言語は日本人にとって直感的に親しめるように感じる。それがどうしてかなというのの心当たりもこの本にはあるし、とにかく易しいエッセイで、でもなるほどなことばかりで、つくずく自分はものを知らないという実感を深めるのにも役立つけど、単純にひじょうに面白い。それにしても、帰国した日と同じ部屋の状況。ひど過ぎるのは自覚。自覚があったら次に行けるかというと、そういうことはない。昨夜は友人と焼き鳥屋でゆっくり飲んで、今夜は演劇を見てきた。遅い夕食を食べていたらタイ人の友人より長電話があった。それに今日夫から突然渡された留守中の郵便物の中に車のリコールのお知らせが入っていてびっくりした。いない間に機械ものはいろいろ大変なことになっていたということだ。パソコンは買い替えという選択もあったが修理。2万円だった。仕事が入りそうなのでパソコン不要というわけにもいくまい。
by kienlen | 2018-03-17 21:55 | 読み物類 | Comments(0)

『日本語に主語はいらない−百年の誤謬を正す』

やることあるのに本を読んでしまった。これ、バンコクに持参する本を迷っている時に多分ギリギリで諦めたものではないかと思う。で、あちらにいる時にこれを読みたいとの思いが募って、戻って真っ先をこれにした。実に実に実に面白かった。出だしはちょっと古めかしいなあと感じたが、なんか日ごろ漠然と感じていたことを説明していただいたようで嬉しい。内容は結構難しいのかもしれないけど、一般に分かりやすく書いてあり、ほんの一部理解しにくいと感じる所があった以外はすんなり読めた。これ横書きなので最初とっつきにくくて後回しになっていたのだろう。けど、英語とフランス語の例文が出て来るので横書きじゃないとムリだな。

タイトルはソフトで、日本語って主語を省略するもんな、と思ったら、そもそもその発想自体が間違いであることが指摘されている。元々日本語に主語などなくて、本居宣長ら国学者は日本語文法を解明していたのに、明治の学校文法採用に際して英文法に合わせて日本語文法をつくるというような一派の勢力が勝って日本語文法がこんな悲惨なことになっているという話しだ。で、この主語の問題がそこだけに留まっていればいいが物事そんなシンプルではない。それで、読み始めた早々に自動詞と他動詞問題が論じられていることでワクワクしてしまって、これは期待を裏切らなかった。日本語って自然にこうなりました的な表現が多いのと、受け身が多いよなというのはなんか感じていたけど、その理由がすっきりくっきり説明されている。

著者はカナダで日本語教師をしている現場の人で、批判されたままになっている先人の研究を復活させたい、それが日本語のためであるという使命感に満ちていて、その勢いが結構笑えて本気で笑いながら読んだ。ただ、分からないのは、この本の出版が2002年で、その後日本語文法に影響を与えているのかどうかということ。ただ、最後になって中道相が出て来て、これは行く直前に買った中道態の世界のことだろうと感じたので、多分流れとしては大きくなっているんじゃないだろうか、ちょっと分からないけど、次はこれにするか、日本人の脳に主語はいらないにするか、あるいは横道それるか。それにしても日本語文法から他の言語をみてみようという主張にはとっても賛成です。昨日韓国人の友だちに疑問を聞いてみたら、文法そっくりと言われる日本語と韓国語だって、そっかこれはないのかってのがあって面白かった。

by kienlen | 2018-03-14 08:37 | 読み物類 | Comments(0)

『原始仏典』

だいぶ前に読んだのをメモっている余裕がなかった。キリスト教なら聖書、イスラムならコーランがあるけど、仏教ってそういうのなくないですか、と友だちでもあるお坊さんに言った時、彼は呆れる態度ではなかった。それは多分、私のように思ってしまうのも、ムリもないと感じる部分もあるからではないだろうか。その友人に「座禅やりたいんだけど」と頼んだら「うちは禅宗じゃないから」と言われ、日本の仏教の複雑さを感じたのだった。タイで瞑想をしないお坊さんっているんだろうか。というような話しをカソリックの友だちにしたら、カソリックには黙想があるのだそうだ。瞑想と黙想の何が違うのか、ちょっと分からない。瞑想キャンプに参加した時、今から振り返ると、何だか気持ちに落ち着きのない時期だった。もう一回参加してみたいと思っている。

それでこの本。読みかけてストップして最初からって感じで多少手間取ったのがなぜなんだ、と感じる読みやすさだった。中村元がテレビやラジオの連続講座で話したのをまとめているので、難しい言い回しがない。それに構成も良くて、今どうなっているかを原始仏典に溯って説明するというスタイルなので、日本の仏教についても、だからこうなのか、と知ることができる。インドの景色も登場するけど、一度でも行ったことがあると、ないよりは風景を浮かべやすい。あの時は、釈尊の跡をたどる旅だったので、ここに出て来る所はたいてい行っているはずだ。構成の柱のもうひとつは、生き方とか人間関係についての仏教の観点からの具体的アドバイス。仏教は宗教ではないとか、哲学であるとか言われるけど、これを読むと、それより何より実践みたいだ。それにしても神も悪魔も出てくるのだから混乱してしまう。とても面白かった。机上に置いておきたい。

by kienlen | 2018-03-12 14:43 | 読み物類 | Comments(2)

成り行き任せ

バンコクにいる間は出勤があったので早起きしていたが、こちらで何をして、そのためにはどういうペースで暮らすのがいいのか見えてくるまでは目覚ましなしでゆっくり起きることにする。それで今朝も8時近くに起きだしてコーヒー飲んで風呂入って、残っていた仕事やって、銀行と市役所へ。市役所は娘の住民票とか転出届けとか。また若い人が東京へ転入である。でも地元に来てって言えない。そもそも自分にとっても退屈なのだから。市役所にいる時に仕事先から電話があって「また退屈な日常に戻ったわけですな」と斜めに切り込まれた。「あまりにそのまんまで返事ができません」と答えた。若ければいいが、歳とってこういうのって一体どうしたらいいんだろう。まあ、どうしなくても自然に答えの方向に向かうのであるから放置、放置。

用事を済ませて戻って、まだ朝方だと思っていたら昼近くになっていた。もう一回コーヒー飲んで朝からやり直そうと思ったところに父が来た。一時は足の痛みで動けなかったということだったが、すっかり治ったそうだ。痛い時に行った整骨医が何も言わずに何もしないというから「年寄りに話しかけると長くなるからイヤなんじゃないの」と言った。これは自分にも跳ね返ることなので自戒を込めてと言いたいが、自戒したからそうならないってものでもない。幸い父はぽかんとしていた。自分で飲もうと思ったコーヒーを「飲まないよね、コーヒー」と言って一応見せたら何でも飲むというのでやった。帰国して真っ先に買ったのが、お気に入りのコーヒー豆やのお気に入りの豆とワインで、やはり美味しい。父が作った干し芋と一緒で昼ご飯かわりとする。ヘルシーな国でこんな食生活って多少気がひける。


by kienlen | 2018-03-12 12:29 | その他雑感 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


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