カテゴリ:読み物類( 724 )

『真実無罪』を読み終えた

宮本雅史『真実無罪-特捜検察との攻防』を今朝読み終えた。このところ読書時間が取りにくくて日数がかかってしまった。KSD事件で受託収賄罪に問われた、村上元労相が逮捕される前の様子から、起訴されて裁判になって、それから有罪を不服としての控訴審までの様子を描いたノンフィクション。検事調べと法廷でのやり取りに焦点が絞られていて、緊張感あふれる密室劇みたいな読み応えがあった。この事件は、当時の「ケーエスデー中小企業経営者福祉事業団」の古関元理事長が当時の参議院議員の村上氏に、ものつくり大学構想を進めるために賄賂を贈ったということで、確かマスコミで取り上げられていたのは記憶があるが、事件の内容をよく知っていたわけではなかった。私が興味をもったのは、事実上外国人労働者の受け入れ手段のようになっている「研修生制度」が、KSDの働きかけで中小企業にも門戸を広げたという面があるからで、実はそのへんへの言及も期待して読んだのだが、村上氏の側からの描写がほとんどで、この件は対象外。

帯の一部にある「日本の司法制度の中で、無罪を証明することは可能なのか」が基本的なテーマと思われる。これは検事との会話体のやりとりで描写されているので、緊迫感がある。信用する弁護団という、溺れる者にとってのワラ以外を失った被告人が、終始一貫無罪を主張をする上に、弁護団の徹底的な検証で、検察の供述調書の問題を証人や新たな証拠品と共に指摘したにも関わらず有罪になる。それがなぜか、をいろいろな角度-例えばマスコミの対応、検察内部の事情、関係者個人の資質等々-から、声高にではなく示しているのがいい。著者は、村上被告の無罪を信じるという立場であることを明言して、被告人に寄り添った著述を貫いている。これを読む限り、その通りだと感じてしまうが、反対側の立場のも読んでみたいものだ。4年がかりの取材だったということだが、確かに力作。

佐藤優は『国家の罠』で、政策の転換期に起こる国策逮捕という位置付けで経験を書いているが、彼の場合は当事者であり、検事とのやり取りも自分の事なのだが、この本は関係者への取材と供述調書で再現しているのだから、大変な作業だろう。しかし、いずれにしろフラストレーションは拭えない。それは、ホントは何が起こっているのかが、分からないからだ。このところやけに気になるのが、殺人事件等で逮捕者がでると、いきなり初報から「殺意について調べる」とかいうコメントが入ること。警察はこれに重点を置くから、そういう発表があって、そのまま報道しているわけね、というのがなんだか見え見え。警察にしろ検察にしろ、発表は捕まっている側ではなくて一方的に権力の側からなされるのだということは、情報の受け手の側が常に意識していないとならないと思うことだ。
by kienlen | 2006-08-12 12:42 | 読み物類 | Comments(0)

『日本とドイツ二つの戦後思想』を読んだ

外は暑いようだ。こういう時は、事情が許せば室内で読書に限る。それで、読みかけだった仲正昌樹の『日本とドイツ二つの戦後思想』を読み終えた。仲正昌樹は『「不自由」論』というのを読んでから、なんて面白いのだろうと感動して『お金に「正しさ」はあるか』『なぜ「話」は通じないのか』『「分かりやすさ」の罠』を読んで、次の本がこれ。著者名で買ってしまうというのは、この人と中島義道と佐藤優。ただし専門書は前提となる知識が不足で読めないので新書等の一般向けのものばかり。この本は昨年の発行で、戦後60年の企画ということらしい。戦後責任をめぐってはよくドイツでは…みたいに語られるが、部分的にそうだとしても、では全体的にみてどうなのかとか、その背景となっている思想はどうなのか、という点に興味があったのだが、やはりこの人の本は面白い。

著者があとがきでこう書いている。編集者から提案された時は、ありそうな企画と感じたが「…日独の戦後思想を全体的に比較する手ごろな入門書的なものは、これまであまりなかったことに気が付いた。…ポイントごとに日本と比較して記述しながら、違いが生まれてくる理由について考えるようなスタイルの本は、意外なほどないのだ」。私も戦後の生まれなので、そうか、こういう時代に生きてきて生きているのだ、と考えながら読むのが楽しい。私は記憶力が悪いし、物事への執着心が欠如しているせいか、子供の頃の事をあまり覚えていないのだが、たまに欠片だけ頭の隅に残っている。そのひとつが高校進学の時の担任の「男子校に行くと赤軍派になるから女子高がいい」という言葉。あの浅間山荘事件は教師にとっても衝撃だったのだろうし、親は警戒心を抱いたかも。そんな知的会話を交わしたことがないから知らないけど。

田舎でただボーっとしていた私にとっては、これが何を意味しているのか当時分からなかったが、こうして人生というのはあっちに行ったりこっちに来たりするものなのだ。という例からも感じるが、私は自分の人生を「主体的」に生きているとは感じていないし、一体そんな事があり得るのかというのも分からない。かといって、主体性皆無だと言い切れる自信もない。もちろん私は学者ではないので突き詰められないが、この問題は常について回るものだろう。で、仲正昌樹の本に共通するのは、突き詰めるとどこに行き、それは俯瞰するとどういうことで、というあたりの説明が、ソコソコ!というツボにはまっていて心地よい。書いてくれてありがとう、って感じた本だった。
by kienlen | 2006-08-05 14:36 | 読み物類 | Comments(2)

日本仏教の特異性が分かる本

今枝由郎『ブータン仏教から見た日本仏教』を読んだ。「日本仏教は果たして仏教と言えるのか?」を、長年フランスとブータンで研究生活をしてきた著者が、いわば外部の視点から問うもの。ひじょうに面白かった。やっと探していた本にめぐり合ったという感じ。昔、まだ悩める若者だった頃、やみくもに仏教関係の本をいくつか読んだ。すごく感動して母親に勧めたことをなぜか覚えている。かといってタイ人に「仏教徒か?」と聞かれて自信をもって「ハイ」と答えられない自分だった。多分、典型的な日本人だろう。タイにいると仏教があまりに身近である。お坊さんは一目瞭然の姿でたくさんいるし、勤務先の同僚がしばらくいなくなったと思ったら、眉毛と頭髪のない姿で復職してきたり(短期間の出家)、寺に寄進するからと封筒が回ってきたり(共同寄付)、物乞いにお金を恵むのもタムブン(喜捨)、泥棒に入られたらこれもタムブンってことになったり、朝の托鉢はもちろん、僧侶に相談事をし、結婚式も新築も、何かにつけて僧侶を呼んでタムブンする。とにかく日常生活が目に見えて仏教的である。

すると、日本の仏教って何だ、と感じる。それで日本に戻った時に実家の菩提寺の住職に、この違いは何ですか、と教えを乞うたのだが、彼にはお酒の方が興味あるようだった。タイの仏教については石井米雄とか青木保らによる詳しい一般向けの報告や考察がある。でも比較的見地からで、教えだけではなくて、身近な習慣の違いも解説してくれるものはないかとずっと思っていた。例えばお墓。この本によると、これは日本仏教特有なものだそうだ。タイに墓がないのは、本来の仏教としては当然なのだ。南伝のタイ、スリランカ、ミャンマーなど上座部仏教と、著者の専門であるチベット仏教の違い、それから同じ大乗仏教とはいえ日本仏教の特異性と問題点等、仏教史の視点から幅広く、でもひじょうに分かりやすく解いてある。仏教を国教にしているブータンが「国民総生産」より「国民総幸福」を指標にしていること、など興味深い知見にあふれた本だった。写真はタイの地方都市の朝の托鉢の様子。
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by kienlen | 2006-07-30 15:09 | 読み物類 | Comments(0)

新聞販売店への複雑な怒り

いい本を読んで満足感に浸っている時に電話が鳴った。「A新聞です。そのへん集金に回っているんですけどおー、場所が分からないんです。表札違うのだしてませんかあー」みたいなあー、若い女性の声。ひどくルーズである。この一声からして言語処理をつかさどる脳みそ部分を心地悪く刺激する、ああ、耐え難い。「表札は出してませんけど、○の向かいだし、地図で調べても、それにそもそも前の担当者に聞いたら分かるでしょう」と言うと「前の担当者もよく分からないんです」と言う。じゃあ、今までの担当であった男性はどうやって勧誘に来て、どうやって集金に来たのだろうか。お化けかな、私が見たのは。で、彼女は悪びれる風もなく、まるで友達と待ち合わせでもするように「じゃあ、その近くに行って分からなかったらまた電話します」である。新聞販売店がいろいろ問題あることは聞くけど、こんな対応も珍しい。これは新傾向である。それも悪い方向への。それで「今、とっている新聞、契約が切れたら全部やめます」と言った。

彼女にとっては初出勤の日かもしれない。あるいは派遣か、その他不安定雇用か。研修もなし、引継ぎもいい加減としか思えない。そういう内部事情の犠牲がこの女の子だとしたらかわいそうではあるが、こんな業界ではなく別の道を探って欲しい、なんてお節介な気持ちになったりもする。新聞販売店への本社からのてこ入れは厳しくて、この販売店も経営者が交替した様子である。その結果がこれ。どこもかしこも余裕がなくなっている。人材を育てるよりは即戦力。そうなると、若い人が不利になってしまう。若い人が不利になる世の中に希望はあるのだろうか。ちょっと悲しくなる。新聞を断るより先に、電話の話し方をもっとちゃんとしたほうがいいよ、と教えてあげたほうが良かったのだろうか。自分も余裕がないのかもしれない。早まってごめん。いや、改革すべきは新聞販売のしくみである、と思ったりで、なんだか後味が悪い。
by kienlen | 2006-07-30 13:33 | 読み物類 | Comments(0)

『松本清張と昭和史』を読んだ

保阪正康『松本清張と昭和史』を読んだ。昔、昔、若い頃なので内容を覚えているわけではないが、1人の作家の作品をこんなにたくさん読んだのは松本清張だけだ。なにしろ文庫本でずらっと並んでいるし、つまらないのがないので、本屋に行って迷ったら松本清張の何かを選べば良くて重宝した。『砂の器』は最も好きな映画のひとつ。これは、元日活の助監督だったという友人の推薦作で、バンコクの一部屋だけのアパートで見せてもらったことがある。その友人のタイ人の彼女がベッドの上で所在なげにしていたことも、なんだか作品の陰影を深めているように感じた。しかしこういう状況での映画鑑賞で泣けるのは、もっと所在なげな気分になる。そんなことがあったのと、名前だけは知っているけど全然読んだことがない著者を何か1冊と思っていたところに書店で見つけて買ったもの。面白かった。

清張のを何冊か読んだといっても、ミステリー小説ばかり。この本が取り上げている『昭和史発掘』も『日本の黒い霧』も読んでないのだから、これを読む前にそっちを読んでおくべきなのだろうが、そんな浅薄者にも分かるように解説してくれているのがありがたい。第1章が昭和前期と『昭和史発掘』、第2章が「2・26事件」に収斂された昭和前期、第3章が昭和中期を暴いた『日本の黒い霧』という構成。つまり、2・26事件に至るまでの動きと、敗戦後の占領下の怪事件を取り上げた2作品を、著者の1人称で評論するもので、引用から清張史観の独自性を紹介し、批判者の論を少し紹介し、著者の考えを示し、清張史観に影響を与えていると思われる清張の個人史も描かれる。学問でもなくジャーナリズムでもない、「時代の記録者」としての清張の後継者という位置に自分を置く視点から書いているのだが、その距離感が良かった。新書なのに濃い内容で正義感あふれるいい本だった。
by kienlen | 2006-07-26 22:35 | 読み物類 | Comments(0)

虐待する母のルポルタージュ

保坂渉『虐待-沈黙を破った母親たち-』を読んだ。昨日買ってすぐに読み始めたもの。この手の本は今までにもかなり読んでいる。斎藤学、信田さよ子等、そしてさまざまなルポルタージュ。それに、子供の虐待を考える会の会員にもなったし、関連の講演も何度か聴いたし、無力な子供が被害者になることに憤りを覚えるし涙がでる。しかし、親が加害者という立場だけでみられることにも抵抗はある。それは、自分自身、ちょっとタイミングがずれていたら加害者になっていたかもしれないと、心底思うからだ。日本で出産していたら…、自分と同年代の日本人男性と子育てするハメになっていたら…、高齢出産でなくて若かったら…、あの母親の近くにいたら…、想像するだけでも恐ろしい。障子紙1枚で、たまたま隔てられているだけのこと、という気がする。実際「あなたのような母親だと息子に刺される」と、まじめに言われたこともある。それは覚悟しなければと、いつも思っている。

今回読んだのは、岩波現代文庫版で発行が2005年、オリジナルから6年経ているということなので、元は1999年らしい。ということは、取材はさらに遡った時期ということになる。この辺りから今に至るまでは、この分野への世間の関心が高まり、児童虐待や家庭内暴力関連の法律ができたり、大きな変化があった時期だ。それを踏まえておかないと、古びた印象を帯びることになってしまう。子供を虐待した4人の母親からの聞き取りで構成されている。共通しているのは、彼女達のいずれもが、表面的にはともかく、受容的でない家庭環境の中で育ったということ。端的に言うと、そして本書によると愛情不足。すると、愛情確認が常に必要になるので、夫や子供がその対象になった場合は悲惨なことになる。4人の内の1人は子供を殺害している。ただ、愛情不足の枠だけで書かれたら辟易なのだが、本書は、夫の態度にも触れているし、全体的に冷静で好感をもった。規範意識が強い国で、母親が密室育児をする怖さをつくずく感じる。
by kienlen | 2006-07-22 01:01 | 読み物類 | Comments(0)

ドイツ人によるバンコク日記を読んだ

大西健夫『オイレンブルク伯「バンコク日記」-ドイツ、アジアで覇権を競う-』を読んだ。古本で見つけたもの。発行された1990年、私はバンコク滞在中だった。誰がこういう本を読むのだろうか、と思いながら読み進めた。まずはドイツの研究家とか興味ある人とかのドイツ関係者だろうか。著者はドイツ財政史専攻ということだし、解説も、統一ドイツ国家形成の頃が中心で、私にはちょっとハードだった。私にとっては、ドイツ人が見たバンコクってどうだろうか、それから、近代化の夜明けの頃のバンコクってどんな様子だったんだろう、という2点が主な関心事だった。19世紀半ば、イギリスやフランスなどヨーロッパの列強が植民地を得た中で遅れをとっていたドイツが、植民地化されていない日本(江戸時代)と中国とタイとの間に、修好通商条約を結ぼうとオイレンブルク伯爵一行を送った。で、この方がほぼ毎日家族へ書いた手紙が、この本の元になっている。日記形式なので記述が易しくて読みやすいのはありがたい。

伯爵は日本→中国→タイという順序で回っていずれも条約締結を成功させた。で、タイが最後なので日本や中国の回想シーンもあって、なかなか興味深い。何より感心したのは、島国という地理上の利点がないタイが、隣国すべて植民地になる中で一国だけが独立を保ったことについて、資源がないからだとか緩衝地帯として残したとか、いろいろ言われるが、世界情勢の把握に努めて植民地化を避けることに腐心した外交政策である。この当時は、すなわち王室。「西欧列強を意識してのすばやい対応は日本や中国では見られなかったものであり…」という下りもある。それからタイの自然の豊かさ。果物も野菜も自然に生える、それも1年中。だから必要以上の耕作をせず、よって怠惰であるという指摘。豊かであれば勤勉である必要はないと、タイに住んでいてつくずく感じたものだから、国民性というのがあるとすればこれはルーツのひとつであろうと思う。偶然見つけた本だが、掘り出しものだった。
by kienlen | 2006-07-19 23:02 | 読み物類 | Comments(0)

『無国籍者』を読み終えた

夕食後に気分が改善した。その夕食の席で息子が「ママって、アルコール中毒だと思ったことある?」と聞いてきた。「あるよ」と答えると、「え、自分でそう思うの」と驚いた様子。そりゃあ、思います。「それって、いつも飲みたいって思うの」と聞く。「そういうわけじゃないし、中毒というよりは依存かな」と答えておいた。なんでこんな事に感じ入ったかというと、朝から夕にかけて不機嫌で、夜に元気になるというのは、アルコールのせいかと思わないでもなく、そこを突かれたからである。息子がそこまで見通していたとは思えないが、今日は本当にアロム・マイ・ディー(ご機嫌斜め)だったのだ。

よって、読書は昼間に進まず、読了が遅くなった。中薗英助『無国籍者』。1962年に発表されたものというから、私が文字が読めるようになったかどうかって頃。今日読んだのは、社会思想社の文庫で1995年発行のもの。タイやラオスのシーンもでてきて、ノンフィクションっぽい仕立ての小説。ドキュメンタリー・ノベルというシリーズものの一環らしい。国籍不明で記憶を失っていた人物が入管に収容されて、彼を巡っていろいろな事件が起きて、最後に謎が解けるというミステリー風。面白かった。この人の本は初めて読んだが、目録を見ると、興味深いテーマが並んでいる。通貨戦争、国家転覆のメニュー、細菌部隊などなど。もっと以前に読んでいるはずだったのだろうが、7年以上のタイ滞在時のブランクは大きい。その間、日本の本は高価だったので、友人達と貸し借りで済ませていた。そんな友人の1人が、シンガポールに転居するということでガレージセールをしたのだが、森瑤子の本が多かった。日本にいたら読まないよな、と思いつつ何冊も読んだっけ。
by kienlen | 2006-07-16 22:53 | 読み物類 | Comments(0)

重くるしい雨の1日

気分悪く目覚めた。そのまま夕方になってしまった。ぼーっとして本棚を見ていたらまだ読んでない『無国籍者』という本に気持ちが惹かれたので、読み始めた。中薗英助著。初版の刊行は1982年。この間、書店に行った時に、店頭で行われていた古本市をのぞいたら、面白そうな本を何冊か見つけて買った。その中に、特集によっては時々買っていた『現代のエスプリ』という雑誌の「じゃぱゆきさんの現在-外国人労働者をめぐる問題点」という特集の号があって、即決で購入。というのは発行が1988年で、これは私がタイへ行った年であり、在日韓国・朝鮮人というオールドカマー問題とはまた異なる、新しい外国人(ニューカマー)問題が表面化しつつあった頃のものだから。タイ人の流入のピークはまだちょっと先(1991年)で、フィリピン人が中心的に扱われている。読み物というよりは、資料として持っているべきかな、と思って手元に置いておこうと思ったものだが、興味深い論考が多くてほとんどに目を通してしまった。入管協会発足の経緯とか、文部省指導の英語指導員導入など、歴史的に見渡せて便利だった。編集にはこの分野の第一人者の一人の田中宏が入っている。この本を今まで知らなかったのは迂闊だった。

そんな流れの中にいたから『無国籍者』に興味がいったのだと思う。読み始めたらとっても面白い。国籍不明、中国語を話すが日本語は話さない密入国者を入管が収監したのだが、その取り扱いをどうするかで、入管内部にも外部からも、いろいろな事態が発生する、という話。とはいえ、まだ半分しか読んでないからこれからどういう展開になるのか。ここまで気分が悪くなければ、とっくに終わったはずなのに。重たい雨のせいだろうか。明日は娘の高原学校で、彼女は昨夜てるてる坊主を何体も紙に描いて「晴れ!」「雨に負けるな!」との呪文を書き付けていた。これが結構迫力で怖かった影響かもしれない。しかし、明日の高原学校の登山は無理だろうな。
by kienlen | 2006-07-16 18:05 | 読み物類 | Comments(0)

市民が武装する・しないの歴史と理由

小熊英二『市民と武装』を読んだ。「市民と武装-アメリカ合衆国における『武装権』試論」というのと「普遍という名のナショナリズム-アメリカ合衆国の文化多元主義と国家統合」という2つの論考をおさめた本。前者は、市民が銃を持って自分を守るという思想と実行の背景を考察したもので、それはつまり、日本ではなぜそうならなかったのか、という点とも表裏の関係であって、ここにも言及されている。私には実に実に興味深い内容だった。市民が武装することで、国家の暴力が市民に向かうのを防ぎ(確か憲法もそういう役割だったはずだが、なんかすり替えられつつあるような)、それはつまり、誰が武器を所持して戦う権利を持つかは、誰が市民として認められるかにかかっているわけで、アメリカにおける黒人と白人の関係、日本では武士とその他の関係が論じられる。いずれも戦争のたびごとに変化があり、兵器が近代化するにつれて、国家が武装権を独占することになる。なんて、短くまとめるのは乱暴すぎでしょう。この人のはいくつか読んだが、いずれもひじょうに面白い。それに扱うテーマの幅が広い。

後者のは、アメリカの孤立主義と国際主義という一見矛盾する立場の整合性がどこにあるか、というような話で、これも実に面白かったが、ただ、最近はこのような点に触れるものをよく見るので、どうしたのかな今更、と思っていたら書いたのが1992年ということで、9・11やイラク攻撃ではなくて湾岸戦争がきっかけとなっている。となると、かなりの先見性ではないだろうか。それにしても、アメリカの関係の本を読んで感じるのは、成り立ちといい何といい、何から何まで違うのに、情報で最も多いのがアメリカで「アメリカでは○○」、政治のレベルも「日米なんとか」が、いろいろあるけど、何か共通理解はあるんだろうか。それとも、そんな面倒くさいことはともかく共通利益だけでいっているのか。ここらへんを一般人にも分かりやすく説得していただかないと、いいのかなこれで、という疑問が膨らむばかり。小熊英二は当初はアメリカ研究の予定だったそうだが、日本近代研究に移った。この2つの論文は研究のスタートの頃のもの。文庫化されないとしても、がんばってトライしますので、ますますの発表をお願いします。その前にまだ未読たくさんありだが。
by kienlen | 2006-07-10 10:55 | 読み物類 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


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