カテゴリ:読み物類( 743 )

『薔薇とハナムグリ』

サブタイトルが「シュルレアリスム・風刺短篇集」。若いころ大好きだったモラヴィアのこんな本を、娘の送ってきた本の中に見つけた。東京に何度か通うバスの中で読む本を物色している時で、ああ懐かしいなと思ってペラペラしてみたら面白そうだったし、短いのでバスの中でちょこちょこ読むのにちょうどいいと思ってバッグに入れた。実は短篇集を全部読むということがあまりできない。そういう自分を知っているので、これも15篇の中から面白そうなのだけ読むくらいのつもりだったのだが、それどころじゃなかった。あまりの面白さにどれひとつ飛ばすことができなかった。いつも思うのだが、若いころ好きだったものの内容を覚えているわけではなく、ただ、好きだったということだけを覚えているわけで、今読み返してつまらなかったら、自分が変わったんだなとか選択眼がなかったのかなとか、どうしてこれが好きと思ったのだろうかと、それなりに考えるネタになって面白しいのだろうが、今のところ、読み返した作家や作品については、やっぱり面白い、という感想しかない。それにしても面白かった。娘に感謝しないとならない。彼女は読んでないそうで、次に行く時に持参することになった。だったら送料かけて送るんじゃない、という話であるが、本になると甘くなる自分で、それを知っているのが子どもというものだ。

どれも良かったが、私が一番好きなのは「清麗閣」というの。結婚式会場が舞台で、新婦側の母親の視点が主になっている。いかにも古風なこの名前の結婚式場を選んだのは新郎側。もっとおしゃれな西洋風な名前の今風の会場にしたかったこの母親だが、気持ちの中で妥協する。そのあたりの心理描写も、というほどおおげさなことではないが、納得のさせ方も、細かいことだが、論理的というか自然というか違和感なし。で、奇妙な式の様子が目に見えるようで、最後の恐ろしさといったら。もちろん、恐ろしいといっても切った張ったの展開ではない。何気ないのに凄すぎる。タイトルになっている「薔薇とハナムグリ」もとっても面白いし、一番最初の「部屋に生えた木」も、観光ガイドと作家自身の会話からなる「記念碑」も、どれもこれも傑作。長めの解説があり、おかげで背景を知ることができる。それによると、書かれたのはほとんど1935年から45年の間。つまりイタリアがファシズム体制下にあり自由な表現ができなかった時代とのこと。だからこれは何の象徴だとか考えなくたって物語として単純に面白い。光文社古典新訳文庫。こんな世の中に古典を新たに訳して出してくれるなんて、なんてありがたいのでしょう。充実感あり。買ったきり読んでないモラヴィアのインタビュー本まで本棚から出してしまった。

by kienlen | 2018-11-13 08:00 | 読み物類 | Comments(0)

久々に本の買いだめ

今日は東京日帰りの日。用事は夜の宴会だけなのだが、娘に今の時期しかないサツマイモの茎の煮つけを届けるのもあり、それから久々に書店でゆっくり本を見たいと思って昼を目指して行った。娘の職場の近所の店でランチして、この間会ったばかりとはいえ、顔を見れるのは嬉しいものだった。職場のある地区は静かなビジネス街でいい感じで安心したというのもある。とりあえず当人が元気であればいい。で、その時娘から古本市に行けばいいと言われ、そうかまだやっているのだということを知り、神保町に行った。もう読み切れないだけの本があるし、今は別のことのために読書量が激減しているので、かつてない少量しか買わない生活が続いていたが、久々にゆっくり本の中にしたらさすがに読みたいものだらけで、でも時間はないので、抑えに抑えて8冊購入。本めぐりはまったく飽きない。すばらしい蓄積に感動する。岩波ホールでインド映画をやっているのを知った時には、すでに時間切れ。もっと早く知っていたら見たはず。すると本を見る時間はあまりなかったはず。今日は本の方にご縁があったわけだ。そして必ず読むぞ。帰りは久々に新幹線にした。明日の仕事の準備のため、今日のうちに到着したかったから。それにしても新幹線は高いと改めて思う。
by kienlen | 2018-11-02 23:37 | 読み物類 | Comments(0)

『村上龍 69 sixty nine』

東京いつものように往復バス。ということでその間の読書はこれにした。娘が引っ越しに際して送りつけてきた大量の本の中にあったもの。なんか、軽くて薄いものをと思ってちょっとペラペラしたら面白そうで持参した。運転以外の旅だと本が読める。1987年に出版したものだそうで、バブルの真最中で、それに全く偶然だが、この数字どっかで聞いたことあると思ったら韓国の映画の出来事と同じ年ではないか。ちょっとびっくりした。意識したわけでもないのに。で、舞台はタイトル通りに1969年。この年、登場人物たちは高校生で、この時代の匂いがぷんぷんしていて、それに村上龍の鋭さがすごく感じられるものだった。実に面白かった。青春小説というには熟しすぎているというか、なんか、すごくいい感じだった。小説かと思っていたら、登場人物は大方実在の人物なのだとあとがきに書いてあった。懸案だった試験が終わったので本を読む時間を多少は増やすことができる見込み。それにしてもできなかった、かといって、まったくどうしようもないという予想よりはできたと思う。ま、40%くらいか…笑える。試験というものはまあ、面白いものだなとは思った。別に将来をかけているわけじゃない点で余裕。今まで受けなさすぎなのでこういうのを趣味にしている人の気持ちも分かる感じがする。
by kienlen | 2018-10-28 23:24 | 読み物類 | Comments(2)

『海の祭礼』

驚異的に本を読まない日々が続いている。このまま続くのか、それともどこかでまた読むようになるのか、まあ、このまま読まないはあり得ないし、積んである本、読みたい本は山になってて、さらに買ったりも借りたりもしているし、いずれにしろ本が重要な存在であることが変わるはずはない。はあ、何という回りくどさ…。つまり久々に読んだ本がある、というだけだ。吉村昭のこれ。北海道出身の友人が、開拓民である祖先のルーツを探す旅に行く時にこれを持参したそうで、吉村昭ならぜひ読みたいと思って借りていた。ちょうど北海道のお供にいいだろうと。かといって今回は運転だからそんなに読めるわけがなく、フェリーだけが読書の時間と思われた。でも、それだけ時間があれば読み終えられるだろうと思ったが間に合わず家に持ち越した。相変わらず面白かった。最後はやはり涙。解説にもあったが印象としては冬の鷹によく似ている。しかし、幕末という時代のスリルをもっと描いていて、相変わらず登場人物の心理や人間性が手に取るようにわかるというだけでなく、激動の時代ならではの物語の面白さがある。

前半の主人公といえそうなのはアメリカインデアンの女性と、征服者英国から行った男性の間に生まれた混血のマクドナルドという男性。この人が日本に流れ着くまでの人生を描くことで、アメリカのある一面がよく分かるし、いつもの、細かいけどクセのない文体によってすんなり人物像が見えてよどみなく読める。で、この人が日本にあこがれるあたりの理由も理にかなっていると思わせ、とにかく色々ひっかかりがない。で、この人がずっと主人公なのかと思っていたら途中から、この人に英語を学んだ森山という通詞が中心になる。この2人の交流場面は感動的だし、オランダ語一辺倒だったのがアメリカの艦隊がやってきたのをきっかけに英語の重要度が高まり、森山が優秀な通訳、さらに外交官にまでなるのを描いている。といっても個人的な話というよりは列強から次々と開国を迫られる状況と内戦に近い状況にまでなる日本の危機という社会の中での個人という面の方が強い。森山の悲しい最後は涙。うーん、ひじょうに面白かった。次も吉村昭かに寝返っちゃうか、読みかけの橋川文三と中島岳志に戻るか、どうしよう。

by kienlen | 2018-10-17 14:33 | 読み物類 | Comments(0)

『変身』

カフカの変身を読み直した。友人たちと行っている読書会で課題図書を決める担当で自分の番になり、どうしよう、と思ってこれにした理由は、まあ、まずは薄かったからなのと、やはり印象深いプラハがカフカの町だったことと、だからその後カフカの生涯についての本を読んだこともあり、肝心の小説の方をちゃんと読むのもいいだろうと思ったからである。それに、何のかんのいっても経験上、評価の高い小説って、時代に関係なく面白いというのは感じている。本当はこの際、城、まさにあのプラハ城なのだろうから、あれを思い浮かべながら城を読みたいと思ったのだが、薄い方に日和ってしまった。そして結局、大変面白かった。朝起きたらいきなり自分が毒虫になっていたというくだりは有名すぎるが、その後どうなったかは、忘れていた。そもそも本当に最後まで読んだのだろうか。虫になったので会社に行けないし普通のご飯も食べられないし、それに家族がその虫を人に見せたがらず、できればなかったことにしたいという態度で接するので、虫は自室を出ることができない。もっとも出たいという風でもないのだが。ただ家族の様子は気になるので、チラチラ見える時は見たりしている。このあたりは実にかわいらしい。

盛り上がりは、あるようなないような。このあたりもとっても日常的である。読書会は自由に話すだけで特に決まり事はないので、テーマも決めないのだが、みなさん、良識のある方たちであり、お互い尊重する雰囲気があり、よって自然に収束的な方向に行ってはまた広がるというような感じで進んでいく。で、何人かが、どうして自分が虫になったかという点への言及なしであるのがすごい、と感心していた。それに触れていたらこのようなまとめ方ができないし、収拾がつかなくなってしまうだろうという方向にいった。確かに。しかしその話を聞きながら面白いなと思った。どうして虫になったのかということを私は考えたりしなかったし、だからその点の説明なんてことにも考えが及ばなかった。この小説がこんなに面白かったなんて、再読してみてよかった。人間って何って感じがよく出ている。滑稽な劇のようで、そのまま映像が浮かんでくる。脚本を意識しているんじゃないかと思うくらい。今回面白かったのは、5人の参加者が読んだ訳本の訳者が全員別人だったこと。だから訳を比べるだけで十分に面白かった。多和田葉子訳がちょっと独特な感じ。ドイツ語が分かればほんとに面白いだろうに、ああ残念。

by kienlen | 2018-09-10 15:36 | 読み物類 | Comments(2)

『ひとりの午後に』

何度か顔を合わせてはいるが話したことがないという程度の関係の人たちと話す機会があった。もう別れ際になってみんな本が好きだということが分かった。本の話をしていたら個人的な話などしなくて済んだのに、最初から言ってほしかったと思ったが、聞かなかった自分のせいでもある。タイと本の距離があまりにあり過ぎたのは帰国してからも影響しているようだ。で、その中のひとりが、上野千鶴子のエッセイでいいのがあるので読んでほしいといい、私は上野千鶴子好きだけど今エッセイを読む気はないですね、と答えたらがっかりした風で、貸すと半ば強引に貸しつけられた。それがこの本。昨日と今日、やらねばならないことがあり、だからやりたいことを我慢し、でもやるべきことがのろのろになり、そういう時って考えなくていいエッセイはうってつけで読んでみた。それにしてもこういう本だったら一日に複数冊読めるから、1年365冊というのも夢ではない、と、夢なんて言葉を使ってみたのはこのエッセイの中にも夢がでてきたから。まったく同感な使い方だった。ほとんどが何の違和感もなさすぎて、新たな発見というのは多くない。まあ井上陽水が天才だ、好きだ、他と違う、というところとか、松任谷由美はどうも・・というあたりとか、うむ、まったくまったく同じ過ぎる。こうして過ぎるを使い過ぎるのはしばらく前の流行り言葉だったっけ。

読み始めは、なんでこんなエッセイを書くんだろうかと感じた。上野千鶴子らしくないじゃん、とよく知りもしないくせに勝手に。でも途中から、ああ、らしいな、と思ってきて、貸してくれた人はどのあたりが好きなのか聞いてみたくなり、そして最後にあとがきを読んで、すべて納得した。そういう経緯でこのようなエッセイ集ができたのか。とっても納得だった。ここのところ、しばらくぶりに、落ち込む感じを味わっている、なんとも言い難い気分。集中力はないし、まあ、そういうときにはちょうどいい本だった。かといって、これを読むと元気になるとか、そういうことはまるでないが。ここんとこタイ語でเป๊ะという言葉を非常によく聞く。ペッペッって感じで。この単語が頼りにしている辞書でみつからず、夫に聞いたらなんとなくわかった。おおぴったりとか、そのまんま、みたいな感じのようだ。この本読んでいてこの言葉が浮かんできた。何とペッなのかは色々。さて、貸してくれた人にこの本の何にそこまで惹かれているのかを聞くのを楽しみにしよう。

by kienlen | 2018-08-29 13:55 | 読み物類 | Comments(0)

『わたしたちが孤児だったころ』

カズオ・イシグロの本の3冊目をしばらく前に読んだ。読書会の課題図書になったので読むことができたもの。タイトルがどういう意味かと思いながら読んだのだけど、まあ、なるほどなという感じはあった。出だしは舞台が上海。パッケージツアーで何も分からなかったとはいえ、ちょっと空気を吸ったというだけでもこういうときは違うものだ。なんか、そのためにあちこち行っているような気もする。まず全体に、元ハードボイルド好きとしては、そういう人を狙っているんじゃなかろうかという気にさせる内容だった。気取った雰囲気と謎解き感と、などといわなくても、主人公が探偵なのだ。イギリスの探偵って、なるほどこういう背景があって普通にいたのね、と、本当かどうかも知らないくせに感心してしまうリアリティだった。そして今もいるんだろうか。探偵になりたいと思っていた心がすごくくすぐられた。とにかく感想の第一はそれ。

そして友達との読書会は昨日だった。みなさん本好きばかりで月一度の貴重な時間。そして皆さん本好きというだけでなく、あちこち歩いているので、上海も何度も行っている人は地理にも詳しいしで、大変勉強になった。それと他の人の本の読み方。私は何かを覚えるという気がないので、いや、あるけど覚えられないからそういうことにしているのかもしれないが、本のこともすべて忘れる。じゃあ何のために読むかというと、その時その瞬間が大切だからということになる。なんとなく感じていたこと、なんとなくどころかそう思っていたことが活字になっていると、それが思い込みだとしても安心感がある。多分それが一番の理由かもしれない。あと、断片がつながる感じが楽しい。歳をとるということはこういうことなのだが、あっちこっちに散らばっているピースが少しずつつながる感じ。今回もそれはあった。この作家の本は原文で読んでみたい。どんな感じなんだろうかとすごく思う。ちなみに、村上春樹に似ているといったら、賛同者はなかった。

by kienlen | 2018-08-21 17:04 | 読み物類 | Comments(0)

『戦国日本と大航海時代-秀吉・家康・政宗の外交戦略』

中公新書のこの本、大変面白かった。買ったきっかけは帯だった。「日本はなぜ世界最強スペインの植民地にならなかったのか」という惹句。植民地になるならないが単純な要因で決まるわけないのは分かるけど、やはり最も興味あることのひとつではある。かといって別に研究しているわけでもないのでたまたま面白そうな本を見つけると読んでみるという程度。これもその一環なのだが、歴史関係をそんな読んでいるわけじゃないので、この時代の日本のものは多分全然知らないのだ、ああ…。ま、今世ではやりたいことがとても間に合わないのでいいのだが…。ただ、西洋の支配と植民地がちょうどこの大航海時代で、幾分覚えている部分もあるので、それを想いながら読むと、うーむ、なるほどーなのだった。タイトルにもあるように、伊達政宗と家康の関係も面白かったし、とにかくこの時代の将軍がローマ帝国の皇帝と同様の称号で外国から呼ばれていたというのにびっくりしたし、それだけの軍事力と情報収集能力があり、それが江戸の鎖国を可能にしたという考察に、うなずきながら読んだ。

歴史の分野での定説というのを私は知らないが、この本はそれへの挑戦的な面もあるらしいことは、そういう書き方から想像できる。新書というのは、一般向けに専門的な分野を分かりやすく記述してくれるのだからありがたい。引用で仙台史がたびたび登場して、読んでみたくなっていたら、あとがきで、著者はこれを編纂したことで色々な発見があり、この本にもつながったのだということを知った。どうりで。スペインとポルトガルが世界を植民地化するにあたって地球を二つに分け、日本はちょうど重複しそうな地勢にあったこと、それによって両国が参入することになり、そこにオランダとイギリスが加わって、互いの悪口をいい、それが結果的にはいいように作用したともいえる。そしてまあ宣教師の役割を詳述してあるのも興味深く、イエズス会系カソリックの友人に伝えたところ、闘う修道士なのだという返事がきたが、はあ、私は仏教の方がいいなという気持ちを強くしてしまう。駆逐される運命なのか、あるいは意外にしぶといのか、そのあたりのところも感じさせてくれる。いやはや、とってもとっても面白かったし、分かりやすかった。この間読んだ言葉の海へが伊達家との関係の深い本だったので、それともつながって良かった。

by kienlen | 2018-08-08 20:12 | 読み物類 | Comments(2)

『朝、目覚めると、戦争が始まっていました』

夕食を準備しながらテレビをつけてみては、つまらなくてすぐに消す。というある日、たまたま本の紹介があって、これが紹介されていた。で、その後に父から電話があって、この本を買っておいてくれ、読みたいということだった。そういえば終戦の日のことは溢れているのに、開戦の日のことはあまり聞かない、少なくとも自分は。テレビで紹介されたのだから、書店で聞いたらすぐわかるだろうと思ってタイトルをメモらないまま行った。多分、そういうコーナーもあるだろうし。でも、店員さんはなかなか教えてくれなかった。テレビっていっても一日中やってますからね、とか、何とか言って。私は思った。店員にしたら、カウンターに来るのは、こういうわけのわからないことをいうばあさんが多くて全く嫌になるぜ、書店に来るのは年配ばかりでかわいいガールは来ないしな、まったくなあ、ってなもんなんだろうと。そういう自然な感情については全くいいのだが、誰だって何かを常に感じながら生きているわけで感情をコントロールしてほしいとは私は思わない。しかし、である。今時書店で買い物すること自体が貴重ではないだろうかと思うと、自分が店員だったら喜んで探すんだけどな…。たとえ相手が気に食わない感じであっても本を探すという一点だけで妥協しちゃう。

最終的にはその番組で紹介された本のコーナーがあって、やっぱり、だったら最初からここを想定していいんじゃないのかい、と思ったがおとなしく感謝の言葉を述べた。最初からここに当たりをつけてもいいんじゃないですか、とは言わなかった。そこまでくるのに結構時間かかっちゃったし、途中で父に電話までしたのだ。で、この本がつまらなかったら残念の何乗であるが、意外に面白い本だった。中身そのものというよりも編集が。まず活字がページ毎に違う。最近の流行本というのは、ああ、最近でなくても流行を知らないので、私の無知かもしれないが、こういう本って多いのでしょうか。他のタイプの本でこれではうるさいと感じられると思うが、全部が引用でしかも1ページにおさまる以下の簡潔さ、となるとこの編集はいける。変化がでるし、感情が反映されているとも感じられるのだ。説明的なまえがきもあとがきもない潔さもクール。有名人のその日の日記やら語った言葉が続く中に、大本営発表の文が挟まれている。そして最後に太宰治の「十二月八日」という短編。いやあ、太宰っていいなあ。相変わらずのこのもったいぶりかたがたまりません。チラチラ見てから父の所に持っていくと、先に読んでくれということで持ち帰り読んだ。開戦の雰囲気が、理屈じゃなくてすごく伝わってくる、空気が。アイデアの勝利って感じだろうか、といっても売れているのかどうかは全然知りません。

by kienlen | 2018-08-06 10:33 | 読み物類 | Comments(0)

『技法以前-べてるの家のつくりかた』

最近友人有志たちと読書会を始めた。前々からやりたいねという声はあったものの、自分たちでやるというのは立ち上がりのエネルギーがいるので着手できずにいた。一時期すごく楽しみに参加していた読書会があったけど諸事情で挫折し、まあ何より社会人を半分止めているような状況を活かさない手はないので発足させたわけだった。持ち回り式の担当者が課題本と会場や進め方を好きに決めることにして、2度目である次回の課題図書がこれ、という経緯で読むことになった本でメンバーからの借り物でもある。こんなこともないと読むことはなかった存在さえ知らなかった本。べてるの家というのは聞いたことがあるな、程度しか知らない。内容は大変まとも。ケースワーカーとして長い経験をもつ著者の考えと実践、体験をつづったもの。統合失調症という現象との付き合い方という感じだろうか。幻覚や幻聴が症状なので分かりやすい、というか現代社会にあっては明らかな問題行動があるということになるが、その深層は何かというのを、いかにも専門家として深堀するというのでもなく、専門家ではあるが感性のある人間ならこうだよな、というくらいの次元で対応しているのだが、形態としては、自分の症状を自分で研究して発表するという形をとっている。精神科医の対応も含め、この分野で広く常識とされているものとは大きく違うのだろうけど、専門家じゃない者からみると、これがまともでしょう、と感じてしまうようなものだった。本を読んでいる時間が惜しいって感じになっているので実は、この厚い本を読めるだろうかと思ったりもしたが、難しい内容じゃないのでそんなに時間はかからなかった。日常生活にも応用できる技法以前だし、悩んでいる人にとってはヒントがたくさんあると思われる。読書会の一回目は『中村屋のボース』だった。これはざっと再読してやはりいいなと感銘を新たにした。この方向でいくと文学ではなく社会科学系が主流になりそうな気配。
by kienlen | 2018-06-28 13:54 | 読み物類 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


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