カテゴリ:読み物類( 752 )

『外国語を学ぶための 言語学の考え方』

「外国語を学ぶための」というところは小さく書いてあるので、これがタイトルに入るのかどうか分からない。本棚にあったのを、黒田龍之助先生だからもう一度読もうと思って読んだ。あるいはまだ読んでなかったのか、これも分からない。日本語教育について少し勉強したおかげで、今までよりは分かるようになり、それでこの本も読めたのかもしれない。大好きな黒田先生だし、それに面白く読んだことは読んだけど、誰を対象にしているのかはちょっとよく分からなかった。言語学について何も知らないと多少難しいような気もするが、かといって新書だし専門的というわけでもなく。だいぶ前に読んだのを今ごろになってメモ。今週はちょっとしたピークだなあ、それなのに夜はクイーンの画像見て歌聞いている。映画の影響は大きい。外国の求人情報を見ながら、この根無し草ぶりについて悲しくなっている。どうしてこうなってしまったのだろうか。そしてこれからどうなってしまうのだろうか。本と関係ない感想だなー。
by kienlen | 2019-01-14 20:44 | 読み物類 | Comments(0)

NHKテキスト『スピノザ エチカ』

友だちから「中動態の世界って國分功一郎だよね、100分で読む名著の切れ味がいい」と連絡があり、中動態の世界が読み始めで中断している状態はしばらく続くのは分かっているので、こっちを先に読んでみることにした。とっても易しい解説で分かったような気分になってしまい、これだったらエチカを読んでみようという気にもなってしまった。それにしても、自由意志がそこまで信じられているのだなということ自体が信じられない。話のかみ合わなさの原点がここにあると思うと納得できる場面は色々思い浮かぶ。表紙の言葉ー「自由に生きるとは何か」「意志という観念は現代の神話である」。ちょっとテレビのことは分からないが、とりあえずテキストは分かりやすくてとっても良かった。
by kienlen | 2019-01-06 23:33 | 読み物類 | Comments(2)

『みんなの死に方』

今年も5日目になった。午前中は友人がちょっとした企画をしてくれて、ちょっとお話。決まり切った人というか、そもそもそれほど人に会っていない日々なので、自分には珍しい人たちと話すことができて、なんだか新鮮な気分になった。その後、知り合い4人でランチをしてから、また決まり切った場所、つまり図書館へ。1冊返却して2冊借りて、それから『みんなの死に方』という本を立ち読みしたら面白かったので借りようかとも思ったが、借りたら読まないような気がして、結局椅子に座って読んだ。名前の知れた人たちの最期を綴ったもので、取材ではなくて文献として残っていたものを資料にして再現したもの。著者の死生観みたいなものも感じられてなかなか面白かった。

公共の場で涙がでたのは吉村昭のところ。断片的には読んでいたが、らしいなと感動。もう死ぬと自分で言って、つながっていた管類を自らはずしたそうだ。がんと分かった時、妻に向かって子どもたちにも知らせるなと言ったそうだ。大原麗子は痛々しいのとカッコいいのと両方。そこまでか、という意外性と。それぞれ文章は短いので大勢紹介してあり、こういう作りの本って飽きやすいが、そういうことがなかった。まあ図書館で急いで読んだせいもあるかもしれないけど。帰りに、チューリップフィーバーという映画を見ようと思ったら昨日で終わっていた、がっかり。他も調べたが見たいのがなくて帰宅した。

by kienlen | 2019-01-05 19:59 | 読み物類 | Comments(0)

『物語を忘れた外国語』

27日に、待ち時間の方がだんぜん多い仕事に行くことになり、本を何冊もカバンに入れて出かけた。現場の至近距離に図書館があり、時間調整で入ったらこの本を読みたくなり、借りてしまった。そして持参した本より先にこれを読み始めたら、いつものようにとっても面白くて読み終え、帰り道に返却できた。黒田龍之助先生の本でつまらないと感じたものは一冊もないなと思った。こんな先生を若い頃に知っていてこんな風に勉強できたら楽しかっただろうに、と思ったりして、この間、友人に言われたことを思い出した。××さんって、よく「〇〇だったら△△だったのに」っていうよねえ、という言葉。そうかもねと思ったのと同時に、それって珍しいことなんだろうかという疑問だったが、それについて論じるという空気でもなかったのでそのまま。そもそも誰に言われたのかも忘れた。人であれ物であれ出会いなので、あそこで出会っていたら、出会わずにいたら、というのはみんな思うことだろうし、そしたらどうだっただろうかというのも思うことだろうけど、思ったからといって意味がないので口にしない、ということになるんだろうか。

本の感想に全然なっていない。しかし、〇〇だったら△△かもは、ある意味の物語なのだろうと思うと、まんざら関係なくもないなということに、書きながら思った。この本はタイトル通りで、例えば外国語にしても試験のための勉強でテキストをやるのは面白くない自分のような者にはうなずけることばかりだった。外国語を、誰かから学んで楽しかったという経験は一度もない。考えてみたら悲しい人生だったような気がする。かといって外国語に限ってないからもっと悲しい人生だったのかもしれない。しかし若い頃にそういう人に出会ったとしても、意味が分からないかもしれないし、だから〇〇なら△△になると思うのは今だからで、そもそも今だったそんな単純に思っているわけではなく単なる幻想の物語なのだ。それにしても、どうして自分が好きだなと感じるのはロシア語の人なんだろうか、まったく偶然なのだが。

by kienlen | 2018-12-30 08:36 | 読み物類 | Comments(2)

『文学の運命』

丸谷才一の本を読んでいる最中に本棚でたまたまこの本を発見。専門家が文学について語るのって面白いなあと感じていたところなので、こっちも読み始めた。小林秀雄と中原中也の名前がいきなりでてきて、とにかく後に有名になる人々と若いというか子どもの頃から親交があった様子が綴られているのは、ふーんという感じで仕事の合間に読むにはいいかなと思っていたのだが、大人になるとだんだん面白くなってきて、最後の「わが文学を語る」は、やめられなくなって今朝ベッドの中で読み終えた。人物や書評も率直で鋭くて面白いけど、自分に対しても自分の文学に対しても同様で感動した。1990年発行の講談社文芸文庫。なぜ手元にあるのか分からない。自分で古本屋で買ったのか、あるいは娘の可能性の方が高そう。だいたいこの時は日本にいなかった。ということは大岡昇平が亡くなって、きっと追悼とか色々あった頃にいなかったということで、どうも基本的なところで読んでないのがあまりに多すぎる感があったけど、それが一因なのか、いや日本にいたからって読んだかどうかは分からないな。しかしバンコクにいてこういう本を読むとは思えない。やはりこうして寒くて静かでひとりが向いている。これは娘が買ったに違いない俘虜記があるので読んでみようと手元に置きつつ、他にもいっぱいあるし、どれを先にするか。
by kienlen | 2018-12-25 09:09 | 読み物類 | Comments(0)

『とっておき美術館』

この間の神保町の古本市で買ったもの。入手の一番大きな理由は池内紀著だから。旅先でふらっと立ち寄った、みたいな感じで書いてあるのだが、さすがに素敵な描写と説明で、もうかたっぱしから行きたくなるのと、読んでるだけで心が満たされてしまうのと両方。重厚な本が読めない状況なのでコマ切れに読めるものを重宝している。1996年発行なのでデータとしては古いと思われるが、そんなの関係なく一緒に旅している気分になれる。国内40、海外5つを収録していて、この間行った須坂の版画美術館が、名前聞いたことある気がしてこの本を見てみたら載っていた。それで聞いたことがあったんだし、行ってみたいと思っていたのだ。長野県内は3つ。全体に小さいのが多い。あとがきに、それは著者の好みだろうと著者自身が書いている。一番行きたいのはチェコの国立プラハ美術館。プラハに行く前にこの本を見ていたら行っただろうか、でもそれは分からない。美術館に行くなら時間をそのつもりでとらないとムリ。ただプラハはもう一度行きたいし、だったらせめて1週間くらいは滞在したいものだ。別に勧めたわけでもないと思うけど、池内ファンの友人がこの本を注文したと連絡をくれた。もう読み切れない本を積んである人たちがさらに買うのが紙の本って感じ。これが洋服だったり化粧品だったりの人もいるんだろうし、ゲームだったり模型だったり時計だったりもあるだろうし、そこにいくと旅とか美術館巡りとかは、形が残らなくていい。
by kienlen | 2018-12-22 10:23 | 読み物類 | Comments(2)

『文学のレッスン』

丸谷才一に湯川豊がインタビューするという形式のこの文庫本を見つけたのは、宮田村に行った時に書店があることを知り、なんとなく立ち寄った時だった。もう積んであるものだけで読み切れないのは分かっているのに読んでみたくなって買ってしまった。読み終えてこの出会いに深く深く感謝。書店で偶然見つけた本が当たりというのは、誰かの紹介をみたとか必要に迫られてとかと違う感動がある。ああ、本当に面白かった、泣けちゃう。それにしても、出てくる本が読みたい本だらけだけど、忘れるからいいやと思っていたら巻末に読書案内が。ううーー。
by kienlen | 2018-12-18 13:16 | 読み物類 | Comments(2)

『日本語という外国語』

韓国行きで持参した本で読めたのはたった一冊、これだけ、ああ、ああ。多分何度か読み始めて読了までいっていなかったような気がするが、もしかしたら二度目かも、という気もする。どっちにしても覚えていないのだからいいのだ。日本語教育の勉強をしている身には、まるでテキストのようで実用的で面白かった。では日本語教育について勉強していない身だったらどうかというと、それでも面白いと感じるのかが、実は分からない。自分がひとつしかないというのは比較ができなくて残念だ。何かを全然知らない段階、少し知った段階、もっと知った段階と、それぞれの段階で同じ本を読んだ場合、理解の程度は違うに違いないが、これを同時に体験することはできない。まあ、本に限らず何でもそうなのだが。ただ不可逆的にみえるこの段階も、いちいちすべて忘れるのだからと思うと、もしかしたらどこかで同時体験的な機会があるのかもしれない。それにしても自分の母語を外国人用に学ぶというのは本当に難しい。外国語を学ぶのだと、だんだんできるようになったという実感があるが、母語の場合は前進という感じではなくて何かをつかんだ気がしてもすぐに広大な海で溺れてしまう感じなのだ。この本も、読んでいる最中は納得して前進した気がしたが、もう溺れている。テキストだと思ってまた開くことにしよう。
by kienlen | 2018-12-14 22:40 | 読み物類 | Comments(2)

『日本語は生きのびるか―米中日の文化史的三角関係』

この間の神保町古本市で買った本。タイトルを見た時に、これだと感じ、1ページ目を開いたら面白そうだったので。すでに読み切れない本があり友人からもたくさん借りていて、読めないかもと思ったが心配無用の面白さだった。さすがにもう時間がないので読みたい本だけを読みたい心境になっている中で読める本というのは本気で読みたいわけだ。まずは出だしが面白い。22世紀の日本列島に住む人たちが何語を話しているかの質問で選択肢は5つ。まず、人類が絶滅していて何語も話していない。次が、大部分が英語か中国語か主流言語とのバイリンガルになっていて日本語は地方語になっている。次が、意志的であるかはともかく多くが非日本人と結婚して二世以下は日本語ができず、一部この状況から落ちこぼれた者がテロリストになる。次が、優秀な翻訳機が開発され通訳も翻訳者も大半が失業する。次が、日本人の大部分は外国語が苦手で日本語人としてあり続けるが、おかげで日本は地球社会での脇役に甘んじることになる。この質問項目を見て買うのを決めた。すごい現実味を帯びている質問。この本は2010年の発行で「諸君」などの論文をまとめたものなので、書かれたのはもっと前なのだが、日本語がどうなるかという懸念の未来にはどんどん近づいているのを感じる。

フランス、イタリア、ドイツに留学経験をもち、翻訳書たくさんでダンテの神曲の翻訳者であり、もちろん英語含む各国語で論文を書き、東大教養学部の教授だった他に世界各国で教鞭をとってきたという経験と、けた違いの教養がこれでもかって出てくる内容だが、一般雑誌に書いていたものが多いせいかとっても読みやすい。ひとつの筋は世界的規模での言語の盛衰の歴史。英語が覇権言語になる前は、イギリス人とフランス人が会えばフランス語で話したし、それ以前はイタリア語だしという風に。では東アジアでどうだったかというと、圧倒的に漢語。この本が面白いのはここで韓国と日本の違いを論じていること。つまりどういう論点であれ広く複眼的なので説得力があることで、知識人はそうであれというのが著者の多分一番重要な主張でもある。で、日本では仮名を発明したので階層別に文学も発展し、仮名のおかげで文学が教条主義的にならず自由で豊穣になったという点は、なるほどなあと思った。これが村上春樹につながっているのでしょうか、などと感じたりした。とにかく日本語というのは常に辺境のマイナーな言語であることに変わりはないがここまで生き延びたのはなぜかという視点もなるほど。今後も生き残るためには、という提案もある。すごくまっとうな提案であると思った。なるほどーの連続でとってもお得な1冊だった。こういうのは本ならではのありがたみ。そもそもサブタイトル、現状そのものではないか。ストレートに政治経済からの視点じゃなくて、そっちもイメージできる内容だったし、皮肉をちりばめてあるのも面白かった。




by kienlen | 2018-11-26 10:02 | 読み物類 | Comments(0)

『薔薇とハナムグリ』

サブタイトルが「シュルレアリスム・風刺短篇集」。若いころ大好きだったモラヴィアのこんな本を、娘の送ってきた本の中に見つけた。東京に何度か通うバスの中で読む本を物色している時で、ああ懐かしいなと思ってペラペラしてみたら面白そうだったし、短いのでバスの中でちょこちょこ読むのにちょうどいいと思ってバッグに入れた。実は短篇集を全部読むということがあまりできない。そういう自分を知っているので、これも15篇の中から面白そうなのだけ読むくらいのつもりだったのだが、それどころじゃなかった。あまりの面白さにどれひとつ飛ばすことができなかった。いつも思うのだが、若いころ好きだったものの内容を覚えているわけではなく、ただ、好きだったということだけを覚えているわけで、今読み返してつまらなかったら、自分が変わったんだなとか選択眼がなかったのかなとか、どうしてこれが好きと思ったのだろうかと、それなりに考えるネタになって面白しいのだろうが、今のところ、読み返した作家や作品については、やっぱり面白い、という感想しかない。それにしても面白かった。娘に感謝しないとならない。彼女は読んでないそうで、次に行く時に持参することになった。だったら送料かけて送るんじゃない、という話であるが、本になると甘くなる自分で、それを知っているのが子どもというものだ。

どれも良かったが、私が一番好きなのは「清麗閣」というの。結婚式会場が舞台で、新婦側の母親の視点が主になっている。いかにも古風なこの名前の結婚式場を選んだのは新郎側。もっとおしゃれな西洋風な名前の今風の会場にしたかったこの母親だが、気持ちの中で妥協する。そのあたりの心理描写も、というほどおおげさなことではないが、納得のさせ方も、細かいことだが、論理的というか自然というか違和感なし。で、奇妙な式の様子が目に見えるようで、最後の恐ろしさといったら。もちろん、恐ろしいといっても切った張ったの展開ではない。何気ないのに凄すぎる。タイトルになっている「薔薇とハナムグリ」もとっても面白いし、一番最初の「部屋に生えた木」も、観光ガイドと作家自身の会話からなる「記念碑」も、どれもこれも傑作。長めの解説があり、おかげで背景を知ることができる。それによると、書かれたのはほとんど1935年から45年の間。つまりイタリアがファシズム体制下にあり自由な表現ができなかった時代とのこと。だからこれは何の象徴だとか考えなくたって物語として単純に面白い。光文社古典新訳文庫。こんな世の中に古典を新たに訳して出してくれるなんて、なんてありがたいのでしょう。充実感あり。買ったきり読んでないモラヴィアのインタビュー本まで本棚から出してしまった。

by kienlen | 2018-11-13 08:00 | 読み物類 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


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