カテゴリ:読み物類( 756 )

『英語の語源』

石井米雄先生が英語の本、と思って書店で手に取ったら面白そうだったので購入したのはもうだいぶ前のこと。てっきりタイを中心に東南アジアの専門と思っていたら元々は言語学が専門で、ラテン語やロマンス語の研究から入ってタイ語を習得してタイ研究、宗教学、宗教社会学、法制史、政治社会学、歴史学などを遍歴したのだそうだ。知らなかった。新刊だし薄いのに安くもないし、もったいないと思いつつも、こういう細切れでどこからどの項目でもいいのはお風呂用にいいので入れてしまった。日本語というのは漢字が中国からで、その後の外来語はカタカナで表記できるので、まあ、中国からのと大和言葉の区別はちゃんとできないとしても、少なくともカタカナは外来語の目安として十分役に立つ。見た目で区別できるというのは学習者にとって楽だろうなと思うのだが、英語はそうはいかない。同じ指標というか記号があるからといって語源が同じわけでもないし、言葉って本当に面白いなという思いをますます強くした。タイ語についても、本を読んでいるとすごく色々な言葉からの影響が大きいことは分かるのだが、ふと、中国語はどうなんだろうと思った。社会やら共産主義やらが日本からの輸入言葉というのは近代になってからで、それ以前というのはどうなんだろう。あるいは影響を与える一方だったのか、いや、そんなはずはないのか。完全に離れていた中国語をまたYouTubeで見始めたところに、ちょうど友人から中国旅行に誘われて行くことにした。これでしばらく旅行サイトを見なくてすむ。
by kienlen | 2019-03-19 17:34 | 読み物類 | Comments(2)

『言語学的にいえば…ことばにまつわる「常識」をくつがえす』

読書量ますます減少中。それでも本屋と図書館には行っている。他に行き場がないともいえる。で、図書館でちょっと手に取ってみたら面白そうだったので借りた。というのはまえがきに、言葉について色々言われている現象の中身というのは言語学者からみると変なのだが放置されている。言語学者は言語学内のことに一所懸命で一般向けには発言していないからこういうことになっているんだ、だってチョムスキーとか高名な言語学者の本を読んでも分からないでしょ、これはいかん、そこに一石を投じたい、みたいな、そのようなことが書いてあって興味を持ったわけだった。英語圏の言語学者がひとりあたり数ページで1テーマついて書いていて、一般向けでやさしい。翻訳本が出たのが2003年なので書かれたのはもっとだいぶ前だろうと思われる。

全体的に何かびっくりするようなことがあるわけではないが、細かいことでへえ、と思うことがあった。その理由は、私は英語という言語について学んだことがないので、そこからくるもので細かいこと。例えば「アングロサクソン民族は、言語を国民のアイデンティティと考えない」というのは知らなかったし、なるほど。だからフランス人が言語の質やステータスについて悩んでいるのをみると笑ってしまう、ということなのだが、これって民族的特徴なんだろうかという点では疑問を感じたけど、ただなんか面白かった。あとは「言語的規範意識は、現在残されている最後の差別」といっている言語学者もいるというのは、なるほど。あと言語の変化に影響を与えているのはメディアでないということは研究から明らかになっているのだそうだ、ふーん。それと、英語の文法の話は面白かった。日本語文法が英語文法を基盤にしていることからムリがあるみたいなのを読んだことがあるけど、英語文法が全然文法体系の違うラテン語文法を基盤にしているので矛盾が生じるという例を具体的に挙げてあって、ふーんというだけのことではあるが、全体的にというより部分部分が面白かった。

by kienlen | 2019-03-15 09:39 | 読み物類 | Comments(0)

『コンビニ外国人』

読んだ本のメモ、全部をしきれなくなってきている。本の量は激減しているのだが、メモるのに費やす時間も激減している。という中で、こちらはメモメモ。この本の存在は結構話題になったような気がしていて知ってはいた。読むべき分野であることは分かっているが、この自分の今の宙ぶらりん状態の中でこっちへの傾斜になっていかず、こうガタンと重石を乗っけたようにはならないままだった。それが孤独感に支配された散歩途中に寄ったショッピングセンター内の本屋で孤独感からこの本を買うことにした。しかしもう孤独感から本しかないというのは終わっている感が、元々そうとはいえ、だからこうなってしまったとはいえ、ああ…。あんまり強調すると嘘っぽいな。で、新書だし読みやすいし、それに思ったより情報量が多くてすぐに読めた。現代を生きる日本国民の知っておくべき情報を提供しているといえると思った。

近くに24時間営業のスーパーがあって酒はそこで手に入るので、現代人としては多分驚異的にコンビニの利用度が低い自分にはその現実が見えていないわけだが、それと長野のように産業のない都市だとコンビニというのはバイト先として多分人材がいるんだと勝手に思っているが、いや現実を知らないが、とりあえず東京はすごいようなので、今度東京に行ったらコンビニめぐりをしようと決めた。目的があると東京へ行く理由になるので行こうかな。コンビニはまあ一種の象徴であってずっと言われている日本の外国人労働者利用の遠回り性というか、バックドア方式というか、それがこのところはずっと留学生が担っているという様子がよく分かった。それにしても社会の変化の速度の速いこと。タイ人といえば不法滞在の代名詞だった頃がつい先日のように感じるけど、今やタイ人は観光客数で上位で、労働者としての存在感は低くなった。そもそもタイ自体が人手不足で外国人労働者だらけであるし、もういっそこうして世界中で外国人だらけになって国家って何となる方向にいくのだろうか、いや、だからこそ国家が強くなるという面が強いのだろうかと思っていたところもあるけど、もそれも超えちゃうことになるのかもしれない。こんなコンパクトにまとめてあってくれていい本だった。非常に読みやすいし。



by kienlen | 2019-02-13 12:29 | 読み物類 | Comments(0)

『名画の言い分』

久々の本ということになる。満足度超高かった。本屋でたまたま見つけたもので、興味をもった理由はごくシンプルで帯の惹句だった。「西洋絵画は見るものではなく読むものだ」。これこれ!!で、開いてみたら、このことを強調した前文があり、即買い、とはいかず一旦は止めた。もう今世では読み切れない本があるし、そもそもこういうのは100%趣味でしかないしと時々とってもけちくさくなるのだ。でもやはり読んでみたくて買ってしまった。筑摩書房率が最近すごく高いな。同時進行中なのも筑摩だし。さて、この本は私にとっては本当に興味のド真ん中という感じだった。西洋絵画を見て思うのは「キリスト教世界だし、神話とか色々基本的な教養がないと分からない」ということ。これは本を読んでも同じなのだが、とりあえず本の場合は他の観点から読むことはできる。まあ、日本の絵画だってそうなのかもしれないが、それでも完全に異世界ではない。この違いは決定的。とまあそんな感じ。それと、どっか、ロンドンだったかパリだったかの美術館で、学校の社会見学らしき子どもたちが引率の先生から解説を聞きながら絵を見ているシーンに出会い、それがすごく印象に残っていた。で、そういうことがこの本には出てくる。つまりちゃんと絵の見方を教わらないと分からないのだということが。

方法としては、グラビアにカラーの絵があって、ヨーロッパの歴史の動きの中でイタリア、フランス、ドイツ、イギリス、オランダなどの美術がどう生まれてどう変化してみたいな話の中に、具体的な絵の解説を入れ込むという形。文庫本なので小さな絵は極めて見にくく、細部まで分からない。よって、絵の解読への興味が強い場合はストレスかもと思う。もともとは多分大判だったのだろうと想像するが、私は逆に文庫だから親しめるという感じがあった。多分、絵そのものよりも絵をめぐるというか、歴史の中の絵というか、そういう観点の興味の方が強いので、細部が分からない方が圧倒されないというか。それでルーペも使わずに見ていた。面白かったのは、隣接している各国における美術とか美に対する取り扱いの違い。あえて取り扱っているのはフランスで、商売で発展したオランダは全然方向性が違い、貴族のイギリスはもうはいはい、はあはあ、って感じだし、どうして日本人が印象派が好きなのかとか、納得の連続だった。次に美術館に行く時はこれ持参しようと思う。それにしても、前に単なる時間調整みたいな感じで入った渋谷のギャラリーでやっていた風景画の歴史がすごく良かったのだが、そのまんまここに出てくる。監修に関与されていたのだろうかと思ったり、こういう世界を知らない者には大変ありがたい内容だった。

by kienlen | 2019-02-06 10:24 | 読み物類 | Comments(0)

『外国語を学ぶための 言語学の考え方』

「外国語を学ぶための」というところは小さく書いてあるので、これがタイトルに入るのかどうか分からない。本棚にあったのを、黒田龍之助先生だからもう一度読もうと思って読んだ。あるいはまだ読んでなかったのか、これも分からない。日本語教育について少し勉強したおかげで、今までよりは分かるようになり、それでこの本も読めたのかもしれない。大好きな黒田先生だし、それに面白く読んだことは読んだけど、誰を対象にしているのかはちょっとよく分からなかった。言語学について何も知らないと多少難しいような気もするが、かといって新書だし専門的というわけでもなく。だいぶ前に読んだのを今ごろになってメモ。今週はちょっとしたピークだなあ、それなのに夜はクイーンの画像見て歌聞いている。映画の影響は大きい。外国の求人情報を見ながら、この根無し草ぶりについて悲しくなっている。どうしてこうなってしまったのだろうか。そしてこれからどうなってしまうのだろうか。本と関係ない感想だなー。
by kienlen | 2019-01-14 20:44 | 読み物類 | Comments(0)

NHKテキスト『スピノザ エチカ』

友だちから「中動態の世界って國分功一郎だよね、100分で読む名著の切れ味がいい」と連絡があり、中動態の世界が読み始めで中断している状態はしばらく続くのは分かっているので、こっちを先に読んでみることにした。とっても易しい解説で分かったような気分になってしまい、これだったらエチカを読んでみようという気にもなってしまった。それにしても、自由意志がそこまで信じられているのだなということ自体が信じられない。話のかみ合わなさの原点がここにあると思うと納得できる場面は色々思い浮かぶ。表紙の言葉ー「自由に生きるとは何か」「意志という観念は現代の神話である」。ちょっとテレビのことは分からないが、とりあえずテキストは分かりやすくてとっても良かった。
by kienlen | 2019-01-06 23:33 | 読み物類 | Comments(2)

『みんなの死に方』

今年も5日目になった。午前中は友人がちょっとした企画をしてくれて、ちょっとお話。決まり切った人というか、そもそもそれほど人に会っていない日々なので、自分には珍しい人たちと話すことができて、なんだか新鮮な気分になった。その後、知り合い4人でランチをしてから、また決まり切った場所、つまり図書館へ。1冊返却して2冊借りて、それから『みんなの死に方』という本を立ち読みしたら面白かったので借りようかとも思ったが、借りたら読まないような気がして、結局椅子に座って読んだ。名前の知れた人たちの最期を綴ったもので、取材ではなくて文献として残っていたものを資料にして再現したもの。著者の死生観みたいなものも感じられてなかなか面白かった。

公共の場で涙がでたのは吉村昭のところ。断片的には読んでいたが、らしいなと感動。もう死ぬと自分で言って、つながっていた管類を自らはずしたそうだ。がんと分かった時、妻に向かって子どもたちにも知らせるなと言ったそうだ。大原麗子は痛々しいのとカッコいいのと両方。そこまでか、という意外性と。それぞれ文章は短いので大勢紹介してあり、こういう作りの本って飽きやすいが、そういうことがなかった。まあ図書館で急いで読んだせいもあるかもしれないけど。帰りに、チューリップフィーバーという映画を見ようと思ったら昨日で終わっていた、がっかり。他も調べたが見たいのがなくて帰宅した。

by kienlen | 2019-01-05 19:59 | 読み物類 | Comments(0)

『物語を忘れた外国語』

27日に、待ち時間の方がだんぜん多い仕事に行くことになり、本を何冊もカバンに入れて出かけた。現場の至近距離に図書館があり、時間調整で入ったらこの本を読みたくなり、借りてしまった。そして持参した本より先にこれを読み始めたら、いつものようにとっても面白くて読み終え、帰り道に返却できた。黒田龍之助先生の本でつまらないと感じたものは一冊もないなと思った。こんな先生を若い頃に知っていてこんな風に勉強できたら楽しかっただろうに、と思ったりして、この間、友人に言われたことを思い出した。××さんって、よく「〇〇だったら△△だったのに」っていうよねえ、という言葉。そうかもねと思ったのと同時に、それって珍しいことなんだろうかという疑問だったが、それについて論じるという空気でもなかったのでそのまま。そもそも誰に言われたのかも忘れた。人であれ物であれ出会いなので、あそこで出会っていたら、出会わずにいたら、というのはみんな思うことだろうし、そしたらどうだっただろうかというのも思うことだろうけど、思ったからといって意味がないので口にしない、ということになるんだろうか。

本の感想に全然なっていない。しかし、〇〇だったら△△かもは、ある意味の物語なのだろうと思うと、まんざら関係なくもないなということに、書きながら思った。この本はタイトル通りで、例えば外国語にしても試験のための勉強でテキストをやるのは面白くない自分のような者にはうなずけることばかりだった。外国語を、誰かから学んで楽しかったという経験は一度もない。考えてみたら悲しい人生だったような気がする。かといって外国語に限ってないからもっと悲しい人生だったのかもしれない。しかし若い頃にそういう人に出会ったとしても、意味が分からないかもしれないし、だから〇〇なら△△になると思うのは今だからで、そもそも今だったそんな単純に思っているわけではなく単なる幻想の物語なのだ。それにしても、どうして自分が好きだなと感じるのはロシア語の人なんだろうか、まったく偶然なのだが。

by kienlen | 2018-12-30 08:36 | 読み物類 | Comments(2)

『文学の運命』

丸谷才一の本を読んでいる最中に本棚でたまたまこの本を発見。専門家が文学について語るのって面白いなあと感じていたところなので、こっちも読み始めた。小林秀雄と中原中也の名前がいきなりでてきて、とにかく後に有名になる人々と若いというか子どもの頃から親交があった様子が綴られているのは、ふーんという感じで仕事の合間に読むにはいいかなと思っていたのだが、大人になるとだんだん面白くなってきて、最後の「わが文学を語る」は、やめられなくなって今朝ベッドの中で読み終えた。人物や書評も率直で鋭くて面白いけど、自分に対しても自分の文学に対しても同様で感動した。1990年発行の講談社文芸文庫。なぜ手元にあるのか分からない。自分で古本屋で買ったのか、あるいは娘の可能性の方が高そう。だいたいこの時は日本にいなかった。ということは大岡昇平が亡くなって、きっと追悼とか色々あった頃にいなかったということで、どうも基本的なところで読んでないのがあまりに多すぎる感があったけど、それが一因なのか、いや日本にいたからって読んだかどうかは分からないな。しかしバンコクにいてこういう本を読むとは思えない。やはりこうして寒くて静かでひとりが向いている。これは娘が買ったに違いない俘虜記があるので読んでみようと手元に置きつつ、他にもいっぱいあるし、どれを先にするか。
by kienlen | 2018-12-25 09:09 | 読み物類 | Comments(0)

『とっておき美術館』

この間の神保町の古本市で買ったもの。入手の一番大きな理由は池内紀著だから。旅先でふらっと立ち寄った、みたいな感じで書いてあるのだが、さすがに素敵な描写と説明で、もうかたっぱしから行きたくなるのと、読んでるだけで心が満たされてしまうのと両方。重厚な本が読めない状況なのでコマ切れに読めるものを重宝している。1996年発行なのでデータとしては古いと思われるが、そんなの関係なく一緒に旅している気分になれる。国内40、海外5つを収録していて、この間行った須坂の版画美術館が、名前聞いたことある気がしてこの本を見てみたら載っていた。それで聞いたことがあったんだし、行ってみたいと思っていたのだ。長野県内は3つ。全体に小さいのが多い。あとがきに、それは著者の好みだろうと著者自身が書いている。一番行きたいのはチェコの国立プラハ美術館。プラハに行く前にこの本を見ていたら行っただろうか、でもそれは分からない。美術館に行くなら時間をそのつもりでとらないとムリ。ただプラハはもう一度行きたいし、だったらせめて1週間くらいは滞在したいものだ。別に勧めたわけでもないと思うけど、池内ファンの友人がこの本を注文したと連絡をくれた。もう読み切れない本を積んである人たちがさらに買うのが紙の本って感じ。これが洋服だったり化粧品だったりの人もいるんだろうし、ゲームだったり模型だったり時計だったりもあるだろうし、そこにいくと旅とか美術館巡りとかは、形が残らなくていい。
by kienlen | 2018-12-22 10:23 | 読み物類 | Comments(2)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


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