カテゴリ:読み物類( 739 )

『変身』

カフカの変身を読み直した。友人たちと行っている読書会で課題図書を決める担当で自分の番になり、どうしよう、と思ってこれにした理由は、まあ、まずは薄かったからなのと、やはり印象深いプラハがカフカの町だったことと、だからその後カフカの生涯についての本を読んだこともあり、肝心の小説の方をちゃんと読むのもいいだろうと思ったからである。それに、何のかんのいっても経験上、評価の高い小説って、時代に関係なく面白いというのは感じている。本当はこの際、城、まさにあのプラハ城なのだろうから、あれを思い浮かべながら城を読みたいと思ったのだが、薄い方に日和ってしまった。そして結局、大変面白かった。朝起きたらいきなり自分が毒虫になっていたというくだりは有名すぎるが、その後どうなったかは、忘れていた。そもそも本当に最後まで読んだのだろうか。虫になったので会社に行けないし普通のご飯も食べられないし、それに家族がその虫を人に見せたがらず、できればなかったことにしたいという態度で接するので、虫は自室を出ることができない。もっとも出たいという風でもないのだが。ただ家族の様子は気になるので、チラチラ見える時は見たりしている。このあたりは実にかわいらしい。

盛り上がりは、あるようなないような。このあたりもとっても日常的である。読書会は自由に話すだけで特に決まり事はないので、テーマも決めないのだが、みなさん、良識のある方たちであり、お互い尊重する雰囲気があり、よって自然に収束的な方向に行ってはまた広がるというような感じで進んでいく。で、何人かが、どうして自分が虫になったかという点への言及なしであるのがすごい、と感心していた。それに触れていたらこのようなまとめ方ができないし、収拾がつかなくなってしまうだろうという方向にいった。確かに。しかしその話を聞きながら面白いなと思った。どうして虫になったのかということを私は考えたりしなかったし、だからその点の説明なんてことにも考えが及ばなかった。この小説がこんなに面白かったなんて、再読してみてよかった。人間って何って感じがよく出ている。滑稽な劇のようで、そのまま映像が浮かんでくる。脚本を意識しているんじゃないかと思うくらい。今回面白かったのは、5人の参加者が読んだ訳本の訳者が全員別人だったこと。だから訳を比べるだけで十分に面白かった。多和田葉子訳がちょっと独特な感じ。ドイツ語が分かればほんとに面白いだろうに、ああ残念。

by kienlen | 2018-09-10 15:36 | 読み物類 | Comments(2)

『ひとりの午後に』

何度か顔を合わせてはいるが話したことがないという程度の関係の人たちと話す機会があった。もう別れ際になってみんな本が好きだということが分かった。本の話をしていたら個人的な話などしなくて済んだのに、最初から言ってほしかったと思ったが、聞かなかった自分のせいでもある。タイと本の距離があまりにあり過ぎたのは帰国してからも影響しているようだ。で、その中のひとりが、上野千鶴子のエッセイでいいのがあるので読んでほしいといい、私は上野千鶴子好きだけど今エッセイを読む気はないですね、と答えたらがっかりした風で、貸すと半ば強引に貸しつけられた。それがこの本。昨日と今日、やらねばならないことがあり、だからやりたいことを我慢し、でもやるべきことがのろのろになり、そういう時って考えなくていいエッセイはうってつけで読んでみた。それにしてもこういう本だったら一日に複数冊読めるから、1年365冊というのも夢ではない、と、夢なんて言葉を使ってみたのはこのエッセイの中にも夢がでてきたから。まったく同感な使い方だった。ほとんどが何の違和感もなさすぎて、新たな発見というのは多くない。まあ井上陽水が天才だ、好きだ、他と違う、というところとか、松任谷由美はどうも・・というあたりとか、うむ、まったくまったく同じ過ぎる。こうして過ぎるを使い過ぎるのはしばらく前の流行り言葉だったっけ。

読み始めは、なんでこんなエッセイを書くんだろうかと感じた。上野千鶴子らしくないじゃん、とよく知りもしないくせに勝手に。でも途中から、ああ、らしいな、と思ってきて、貸してくれた人はどのあたりが好きなのか聞いてみたくなり、そして最後にあとがきを読んで、すべて納得した。そういう経緯でこのようなエッセイ集ができたのか。とっても納得だった。ここのところ、しばらくぶりに、落ち込む感じを味わっている、なんとも言い難い気分。集中力はないし、まあ、そういうときにはちょうどいい本だった。かといって、これを読むと元気になるとか、そういうことはまるでないが。ここんとこタイ語でเป๊ะという言葉を非常によく聞く。ペッペッって感じで。この単語が頼りにしている辞書でみつからず、夫に聞いたらなんとなくわかった。おおぴったりとか、そのまんま、みたいな感じのようだ。この本読んでいてこの言葉が浮かんできた。何とペッなのかは色々。さて、貸してくれた人にこの本の何にそこまで惹かれているのかを聞くのを楽しみにしよう。

by kienlen | 2018-08-29 13:55 | 読み物類 | Comments(0)

『わたしたちが孤児だったころ』

カズオ・イシグロの本の3冊目をしばらく前に読んだ。読書会の課題図書になったので読むことができたもの。タイトルがどういう意味かと思いながら読んだのだけど、まあ、なるほどなという感じはあった。出だしは舞台が上海。パッケージツアーで何も分からなかったとはいえ、ちょっと空気を吸ったというだけでもこういうときは違うものだ。なんか、そのためにあちこち行っているような気もする。まず全体に、元ハードボイルド好きとしては、そういう人を狙っているんじゃなかろうかという気にさせる内容だった。気取った雰囲気と謎解き感と、などといわなくても、主人公が探偵なのだ。イギリスの探偵って、なるほどこういう背景があって普通にいたのね、と、本当かどうかも知らないくせに感心してしまうリアリティだった。そして今もいるんだろうか。探偵になりたいと思っていた心がすごくくすぐられた。とにかく感想の第一はそれ。

そして友達との読書会は昨日だった。みなさん本好きばかりで月一度の貴重な時間。そして皆さん本好きというだけでなく、あちこち歩いているので、上海も何度も行っている人は地理にも詳しいしで、大変勉強になった。それと他の人の本の読み方。私は何かを覚えるという気がないので、いや、あるけど覚えられないからそういうことにしているのかもしれないが、本のこともすべて忘れる。じゃあ何のために読むかというと、その時その瞬間が大切だからということになる。なんとなく感じていたこと、なんとなくどころかそう思っていたことが活字になっていると、それが思い込みだとしても安心感がある。多分それが一番の理由かもしれない。あと、断片がつながる感じが楽しい。歳をとるということはこういうことなのだが、あっちこっちに散らばっているピースが少しずつつながる感じ。今回もそれはあった。この作家の本は原文で読んでみたい。どんな感じなんだろうかとすごく思う。ちなみに、村上春樹に似ているといったら、賛同者はなかった。

by kienlen | 2018-08-21 17:04 | 読み物類 | Comments(0)

『戦国日本と大航海時代-秀吉・家康・政宗の外交戦略』

中公新書のこの本、大変面白かった。買ったきっかけは帯だった。「日本はなぜ世界最強スペインの植民地にならなかったのか」という惹句。植民地になるならないが単純な要因で決まるわけないのは分かるけど、やはり最も興味あることのひとつではある。かといって別に研究しているわけでもないのでたまたま面白そうな本を見つけると読んでみるという程度。これもその一環なのだが、歴史関係をそんな読んでいるわけじゃないので、この時代の日本のものは多分全然知らないのだ、ああ…。ま、今世ではやりたいことがとても間に合わないのでいいのだが…。ただ、西洋の支配と植民地がちょうどこの大航海時代で、幾分覚えている部分もあるので、それを想いながら読むと、うーむ、なるほどーなのだった。タイトルにもあるように、伊達政宗と家康の関係も面白かったし、とにかくこの時代の将軍がローマ帝国の皇帝と同様の称号で外国から呼ばれていたというのにびっくりしたし、それだけの軍事力と情報収集能力があり、それが江戸の鎖国を可能にしたという考察に、うなずきながら読んだ。

歴史の分野での定説というのを私は知らないが、この本はそれへの挑戦的な面もあるらしいことは、そういう書き方から想像できる。新書というのは、一般向けに専門的な分野を分かりやすく記述してくれるのだからありがたい。引用で仙台史がたびたび登場して、読んでみたくなっていたら、あとがきで、著者はこれを編纂したことで色々な発見があり、この本にもつながったのだということを知った。どうりで。スペインとポルトガルが世界を植民地化するにあたって地球を二つに分け、日本はちょうど重複しそうな地勢にあったこと、それによって両国が参入することになり、そこにオランダとイギリスが加わって、互いの悪口をいい、それが結果的にはいいように作用したともいえる。そしてまあ宣教師の役割を詳述してあるのも興味深く、イエズス会系カソリックの友人に伝えたところ、闘う修道士なのだという返事がきたが、はあ、私は仏教の方がいいなという気持ちを強くしてしまう。駆逐される運命なのか、あるいは意外にしぶといのか、そのあたりのところも感じさせてくれる。いやはや、とってもとっても面白かったし、分かりやすかった。この間読んだ言葉の海へが伊達家との関係の深い本だったので、それともつながって良かった。

by kienlen | 2018-08-08 20:12 | 読み物類 | Comments(2)

『朝、目覚めると、戦争が始まっていました』

夕食を準備しながらテレビをつけてみては、つまらなくてすぐに消す。というある日、たまたま本の紹介があって、これが紹介されていた。で、その後に父から電話があって、この本を買っておいてくれ、読みたいということだった。そういえば終戦の日のことは溢れているのに、開戦の日のことはあまり聞かない、少なくとも自分は。テレビで紹介されたのだから、書店で聞いたらすぐわかるだろうと思ってタイトルをメモらないまま行った。多分、そういうコーナーもあるだろうし。でも、店員さんはなかなか教えてくれなかった。テレビっていっても一日中やってますからね、とか、何とか言って。私は思った。店員にしたら、カウンターに来るのは、こういうわけのわからないことをいうばあさんが多くて全く嫌になるぜ、書店に来るのは年配ばかりでかわいいガールは来ないしな、まったくなあ、ってなもんなんだろうと。そういう自然な感情については全くいいのだが、誰だって何かを常に感じながら生きているわけで感情をコントロールしてほしいとは私は思わない。しかし、である。今時書店で買い物すること自体が貴重ではないだろうかと思うと、自分が店員だったら喜んで探すんだけどな…。たとえ相手が気に食わない感じであっても本を探すという一点だけで妥協しちゃう。

最終的にはその番組で紹介された本のコーナーがあって、やっぱり、だったら最初からここを想定していいんじゃないのかい、と思ったがおとなしく感謝の言葉を述べた。最初からここに当たりをつけてもいいんじゃないですか、とは言わなかった。そこまでくるのに結構時間かかっちゃったし、途中で父に電話までしたのだ。で、この本がつまらなかったら残念の何乗であるが、意外に面白い本だった。中身そのものというよりも編集が。まず活字がページ毎に違う。最近の流行本というのは、ああ、最近でなくても流行を知らないので、私の無知かもしれないが、こういう本って多いのでしょうか。他のタイプの本でこれではうるさいと感じられると思うが、全部が引用でしかも1ページにおさまる以下の簡潔さ、となるとこの編集はいける。変化がでるし、感情が反映されているとも感じられるのだ。説明的なまえがきもあとがきもない潔さもクール。有名人のその日の日記やら語った言葉が続く中に、大本営発表の文が挟まれている。そして最後に太宰治の「十二月八日」という短編。いやあ、太宰っていいなあ。相変わらずのこのもったいぶりかたがたまりません。チラチラ見てから父の所に持っていくと、先に読んでくれということで持ち帰り読んだ。開戦の雰囲気が、理屈じゃなくてすごく伝わってくる、空気が。アイデアの勝利って感じだろうか、といっても売れているのかどうかは全然知りません。

by kienlen | 2018-08-06 10:33 | 読み物類 | Comments(0)

『技法以前-べてるの家のつくりかた』

最近友人有志たちと読書会を始めた。前々からやりたいねという声はあったものの、自分たちでやるというのは立ち上がりのエネルギーがいるので着手できずにいた。一時期すごく楽しみに参加していた読書会があったけど諸事情で挫折し、まあ何より社会人を半分止めているような状況を活かさない手はないので発足させたわけだった。持ち回り式の担当者が課題本と会場や進め方を好きに決めることにして、2度目である次回の課題図書がこれ、という経緯で読むことになった本でメンバーからの借り物でもある。こんなこともないと読むことはなかった存在さえ知らなかった本。べてるの家というのは聞いたことがあるな、程度しか知らない。内容は大変まとも。ケースワーカーとして長い経験をもつ著者の考えと実践、体験をつづったもの。統合失調症という現象との付き合い方という感じだろうか。幻覚や幻聴が症状なので分かりやすい、というか現代社会にあっては明らかな問題行動があるということになるが、その深層は何かというのを、いかにも専門家として深堀するというのでもなく、専門家ではあるが感性のある人間ならこうだよな、というくらいの次元で対応しているのだが、形態としては、自分の症状を自分で研究して発表するという形をとっている。精神科医の対応も含め、この分野で広く常識とされているものとは大きく違うのだろうけど、専門家じゃない者からみると、これがまともでしょう、と感じてしまうようなものだった。本を読んでいる時間が惜しいって感じになっているので実は、この厚い本を読めるだろうかと思ったりもしたが、難しい内容じゃないのでそんなに時間はかからなかった。日常生活にも応用できる技法以前だし、悩んでいる人にとってはヒントがたくさんあると思われる。読書会の一回目は『中村屋のボース』だった。これはざっと再読してやはりいいなと感銘を新たにした。この方向でいくと文学ではなく社会科学系が主流になりそうな気配。
by kienlen | 2018-06-28 13:54 | 読み物類 | Comments(0)

『朝鮮と日本に生きる―済州島から猪飼野へ』

友人が貸してくれた本。済州島の4・3事件なんて、まったく知らなかった。本を読むたびに無知を知るだけだ。この間見た韓国映画「タクシー運転手」が光州事件だったけど、そっくりで、背筋が凍り付くとはこのこと。あの警察幹部の恐ろしい顔が浮かんでくる。そして世界では、このような状況が終わっているわけではない。この本は、書いているのが当事者で、自伝であり韓国のある部分の現代史の歴史書にもなっているのだが、詩人である著者の素晴らしい言葉が、内容の残酷さと相まってえも言えぬ雰囲気を醸している。日本の占領下で立派な皇国少年だった著者は、敗戦による解放を複雑な思いで迎えるわけだが、実際には米国の反共政策による弾圧を見ることになる。10代の少年のまぶしい一途さも痛々しいし、韓国の直面した現実も痛すぎる。とにかくアメリカと政府と右翼とがごっちゃになって凄まじい虐殺を済州島でするわけだが、小説なんてもんじゃない危機一髪を著者は何度も生き延びて日本にたどり着く。こういうのをみると、人間ってそれぞれ使命を与えられて生かされているのだと思ってしまう。故国では南北の分断に反対して闘ってきが、仲間は片っ端から殺されてつぶされる。その時に活躍したのが日本の占領下で育てられた組織。で、その日本に密入国してからがまた波乱の連続、とはいえ、とりあえず命の危険はないのでここからは涙なしでも読むことができた。日本に来てからの問題は朝鮮と韓国の問題に巻き込まれるから。結局朝鮮籍から韓国籍にすることで一時帰国も果たすことになる。すごい濃厚な本だった。




by kienlen | 2018-06-25 21:59 | 読み物類 | Comments(2)

『はじめての中国語』

何年前かは覚えてないが再読ではある。今回のバンコク滞在中、どうしても中国語をやりたくなった。中国人が教えてくれるというのでタイ人と一緒に教わるのを楽しみにしていたのに2回で時間切れとなってしまった。自宅に中国語のテキストやらこういう本はたくさんあったけど、まさかバンコクでそんな風に思うとは予想していないので持参せず、タイ語の中国語テキストを一冊買って独学と思ったけど、タイ語優先で時間なし。それで戻ってから友人と独学しようとCD聞いて始めたりもしたが、やはり先生が欲しい、という当然至極な成り行きで教室に申し込み、通い始めて3回になる。そんな経緯なので何冊かある同じ類の本をペラペラしてみて、これが面白そうで読み直すことにした。そしてとっても面白く、実用的だった。読んでおしまいっていうよりもテキストとして手元に置いておくと役立つ内容。こういう内容でタイ語があるといいのに、ないのだろうか。今のところ見つからない。つまり実用的ではあるけど言葉の背景を説明してくれ、何よりも読み物として面白いもの。

中国語をどうして学びたいかというと、日本語とタイ語の両方をイメージするのが面白いから。それに漢字なので音より文字が先に目に入ってしまうという言葉は日本人にとって他にないのではないだろうか。声調のあるのはタイ語と似ていて同じグループの言葉に属しているらしい。発音は似ているところもあれば違うところもある。そして語順が似ているようで全然違うのが楽しい。どういう発想をすればこういう語順になるのだろうかというのが疑問だけど、この本はそのあたりが分かりやすく書いてある。覚えられればかなりの勉強になるが覚えられないので、今後もたまに開いてみることにしよう。それから外来語を中国語にする場合の方法のいくつかも紹介してあり、その際のエピソードなどもあり面白い。かじりはじめたばかりの者には面白いけど、レベルの高い人には分かり切ったことで退屈なのかもしれないと思いながら、そういう日が来るといいのだが、と思う。

by kienlen | 2018-06-19 13:08 | 読み物類 | Comments(2)

『タイ現代文学覚書―「個人」と「政治」のはざまの作家たち』

この間読んだタイの小説が面白くて、もっと何かないだろうかと県立図書館にタイ語の本を見に行ったがめぼしいものは見つからず入荷間もない棚を見ていたらなんとこんな本を発見。即借り。で、ここにこの間の本も作家も登場していた。それによると、生きるための文学から創造的な文学へのパラダイム転換、文学における思想の社会主義から個人主義あるいは実存主義への変化、形式的にはリアリズム一辺倒から象徴と実験、意識の流れが導入され多様性が生まれることになる変化を象徴する作家がチャートなのだそうだ。先行研究が多いのでと、あまり多くは触れられていなかった。そしてそっか、タイトルは「裁き」。ここに出てきた本で読みたいと思ったのがあったので、もうすぐタイに行く夫に買ってきてくれるよう頼んだら簡単にオーケーだったが、多分時間がなかったとかで約束は反故にされることだろう、今から残念。まあ、さすがにここまで長い付き合いで信用したら自分がバカである。昨年行ったブックフェアに今年も行きたい、そこで見つける楽しみとして残しておこう。それともうひとつ。好きで何度も行ったブックカフェがこの本に出てきた。誰がやっていて出店の経緯がどうなのかというのが説明してあった。意外だった。これを知った上で行くとあのコーヒーとしょっぱいケーキの味も違って感じられるかもしれない。ちょうど興味の時期と一致して面白かった。たまたま図書館に行かなければこういう本の存在を知ることはなかったと思う。ご縁。
by kienlen | 2018-06-08 22:24 | 読み物類 | Comments(0)

『イギリス支配とインド社会』

昨日はほとんどが待ち時間という仕事だったので、本をたくさん持参するのが楽しみだった。待ち時間の報酬があるわけでないので何をするのも自由。まず、図書館で借りたこちらを読んだ。入門書としてとっても便利な山川出版の世界史リブレットのシリーズで、予想通りとっても面白かった。タイトルの通り、イギリスの植民地支配がインド社会にどういう影響を与えているのかという内容。国民国家として独立する以前に植民地支配を受けるということは、国としての形を決めるのに宗主国の治め方が大きく影響するということで、ここではイギリスがインドをどう認識していたのかというところから解き明かしていく。最初は東インド会社なので、そこの社員に現地語習得を奨励したことや、インドの古典語のサンスクリット語がイギリス支配を通じて初めてヨーロッパに紹介されたこと、そして宗教を分けたことも重要、つまりヒンズー教とかイスラム教とか。

外圧によってカテゴリー化されたものを、された側がどう甘受するか、あるいはしない場合もあるだろうけど、というのは状況によっても身分や階層によっても異なるわけだが、そのあたりのダイナミズムを説得力ある筆致で教えてくれる。植民地になっていなかったら宗教対立といわれるものがなかったのかどうかが分かるわけはないけど、それにここでも、ひとつの要因から何かが導かれるわけではないという当たり前のことについても慎重に言及しながらではあるけど、色々とイメージが膨らませられるのは文字による表現の面白さ。分割統治というのがローマ帝国から始まったということをローマの話を読んでしったわけだったが、ここでも注釈にそれがあった。それに前に読んだインドの仏教徒の話と重なる部分があったり、あっちで出てきた名前があったり、小さなことが楽しかったりする。カースト制度についての話も、なるほど、日本人に分かるわけないよな、という複雑さ。夫が今月インド留学の下見に行くということで、それによってどう決めるか知らないが、自分もちょっとは暮らしてみたい感はとてもある。



by kienlen | 2018-06-03 13:27 | 読み物類 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


by kienlen
プロフィールを見る
通知を受け取る