南信州

先週のことになるが、ほんの少しの仕事で下條村に行くことになっていた。朝は雨模様でくらーい感じで滅入っていた。雨は好きなはずなのに滅入るものだなと思いながら運転していた。麦草峠を行ってみたいなと思ったけど、さすがに億劫になってよしたら、翌日のニュースで冬の通行止めが解除されたとやっていたので、もし行っていたらえらいことになったわけだ。状況判断が甘すぎる。下道と高速を組み合わせて行ったのだが、気分が暗くて時間の読みもひど過ぎて、とにかくめちゃくちゃで、確か前に行った時は飯田インターの次まで行ったらいい具合に降りられていい具合に着いたんだったという記憶はあったのに、確認もせず飯田で降りてしまい、約束の時間に間に合わないのではないかとハラハラしてしまった。それでまた落ち込み、スマホのナビを使おうとしたのにうまくいかずさらにますます落ち込み、でもコンビニの駐車場で道を聞こうと思って声をかけた相手じゃない人が応じてくれて、この若い人が男か女かほんとに分からなくて、言葉遣いも中間っぽくて、まさにタイにたくさんいそうな感じで懐かしくとても嬉しくなってしまった。すごく親切だったし。ところがその通りに行こうとしたら大規模土木工事中でまっすぐ行けなく迷ってしまい、えらい時間のロスが生じてしまった。ついに先方に事情を話して多少遅れると伝える。なんてことだ。初めての場所じゃないし、という気の緩みだ。深く反省。結局歳をとると初めてのことが少なくなり緊張感が薄れるのである。これが失敗の本質、まあ今回は失敗というほどのことではないが、緊張緊張と自分に言うことにする。せっかく遠くまで行ったのだからと思って花桃のきれいな場所を聞いたら、阿智村に行く道沿いと言われたので行ってみた。それでまた山道に迷い込んでしまったが、これはもう進んでしたことなので問題なし。春の眠そうな空気感は好きだな。いつの間にか空は晴れていた。気が向いたら泊まってもいいなと準備はしていった、といってもパソコン持参くらいであるが、仕事してないのになと思って帰宅した。結局ふらふらと10時間くらい運転していたと思う。
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# by kienlen | 2018-04-23 18:00 | | Comments(0)

『トラや』

南木佳士著。友達が貸してくれて久々にこの人のを読んだ。あまりに積んどく本がたまっているので新しいのを受け付けてる余裕ないと思ったけど、こうして読みやすくていちいち考えなくて読めてジンとくるのもいいなと思った。やはり好きだ、南木佳士。しかし作家として好きな人で会ってみたいと思う人がいないのはなぜだろう。トラというのは主人公ともいえる猫の名前で、一枚写真も入っている。うつ病になった医師の日々を綴っているという形式だけど、サラサラと引っ掛かりなく読めて、でも、ああとため息が出たり涙が出たりの場面は少なくない。大変良かった。こういう感情を本以外で味わえるかというと思い当たらない。今夜は暖かいし、映画を見に行こうかと思って早めの夕食をとったのに出かけるのが面倒になってしまった。それにしても暖かいってそれだけで幸福度の底が上がる気がする。落ち込む時の底が上げ底になっている気になれる。よって今日はそんな感じだ。そして暑過ぎたら思考自体が面倒だし、やはりタイはその点で幸福なのだ。来月ちょこっとだけ上海に行くのが決まった。友人の誘いにのったもの。シベリア鉄道の旅に付き合ってくれそうな人はいない。
# by kienlen | 2018-04-21 19:13 | 読み物類 | Comments(0)

決断

今日は複数の友人に会った日だった。午前の1時間は韓国語教室の初回に行った。そういえば今までも、仕事のない時に色々申し込んでお金を払っては挫折を繰り返してきたが、今回はそうならないようにしたい。それから友人その1に会った。そこで自己決定の話になった。こういう抽象的な概念をどう定義するかはきっと難しい議論があると思うのでちょっとおいておくとしても、自分としては自分で決めていると思うこと自体がどうなの、って気持ちをぬぐえずにいるのだが、かといってじゃあ誰とか何というのも分からない。それで、ご縁ですとか、めぐり合わせですとか、成り行きですとかいう表現しかできない。で、その後、夕食を別の友人と食べて、やはり決断の話になった。それから家に戻って、昨日友人が貸してくれた本の続きを読んでいたら、ああ、こういうくだりがあった。

「ようやく活字に目を通し続ける気力がよみがえってきた時期に読み返した西洋哲学史の本のなかに、本当の決断とは状況判断することではなく、状況そのものを引き受けることなのだ、という先哲の寸言を見つけたとき、出来事に遭遇した際の貴重な忠告をもらったようで、ありがたかった」。ああ、これがぴったりだ。なんというタイミング。メモメモというわけでここにメモっておく。この本、私がその友人に貸してくれと言ったことを忘れていて「今は読めないな」と言っていったんはお返ししたのだが、別の本を借りることにして、でもやっぱりこれも借りておくと言って借りたもの。南木佳士の『トラや』という本だ。この作家がなんで好きなのか分かる気が、自分自身に対して改めてしている。読めないやと言った本を真っ先に読んで感銘を受けている。ありがとうございます。これはやはりご縁というものでしょう。でも借りるという決断をしたのは私、いや、その友人の陰なる熱意か、いやいやそういう諸条件が絡んだ上のことなのだろう。

# by kienlen | 2018-04-20 22:10 | その他雑感 | Comments(0)

『言葉の海へ』

高田宏著のこの本はタイトルだけは聞いたことがあった。もうずっと前に出た本なのに読んでみたくなったのは『日本語に主語はいらない』を読んでいる時に、たびたび引用されていたからだった。確かそこでは、今の日本語文法が明治に英語文法を元に作られたものから始まっていて、特に大きな影響を与えているのが日本初の近代的国語辞書『言海』であるというようなことだったと思う。で、この本は言海を作った大槻文彦の伝記。もう絶版になっているのかと思って古本屋に注文して入手したのだが、新潮文庫で新装版が出ているようで読後にちょっと後悔した。昭和59年発行のより、今の新しい本の文字の方が読みやすいのではないかと勝手に想像するからだ。

内容について想像していたのは、日本語に関する細かな話だった。つまり辞書をつくる過程そのものに焦点があるのかと思っていたら、かなり大きく違い、祖父から続く洋学者の家系に生まれた主人公の父の筋金入りの開国論者ぶり、攘夷派の動きとのせめぎあい、大槻家の仙台藩も加わった奥州と薩長との違いなどなど、明治維新の大きな政治の動きがスリリングに描かれていて、予想外の面白さだった。ただテーマになっているのは、とにかく一刻も早く近代化して欧米の列強から日本という国を守らねばならず、そのためには日本語を国語としてきちんと位置付けねばならないという熱意と執念である。さすがにこれは感動する。有名な人物がかたっぱしから登場して、その人間関係になるほどこういうことかと思ったが覚えていられるわけじゃないから知識としては残ってないけど、明治の熱気と大きな意味での愛国心に感動した心持でニュースなんか見てるともうがっくり愕然。

# by kienlen | 2018-04-15 13:08 | 読み物類 | Comments(2)

ありがたいメール

しばらくブログの更新がないとメールをくれる友人がいる。こんなつぶやきを人に読ませるのもみっともないという気持ちと、しかし書くからには誰かには読んでほしいという気持ちとで書いていて、アクセス数がゼロになったら悲しいだろうと思うとアクセス数を見る勇気もなくなるという情けなさ、情けないことばかり。そんな時にどうしましたかっていうメールをもらうと、それだけで嬉しいのはなぜだろうか。全くのひとりぼっちではないという確認ができたことになるのかというと大げさ過ぎるかもしれないが気分的にはそういうことなのだ、ますますやっかいだ。ああ、やっかい、やっかい。それでその友人は部屋の片づけをしているのかという軽い疑問を投げかけてきた。それは鋭いが、昨日のことだけだ。別の友人が訪ねてくるから部屋を片付けるように命令してきたので、ちょうどいいチャンスと思ったのと、そもそもこのすっかりしない感は片づけをしていないからであって、ずっといたくなる部屋になったらもう引きこもって本読んでいれば消費せずに生きられるんじゃないかという、とっても前向きな気になれるのである。

今回の整理は捨てるものは本以外にないのでそう大変なことではないのは分かっていた。が、本を捨てるということ自体がなかなか大変だ。ネットで引き取ってくれる所があったのでまず箱いっぱいそこに寄付する。捨てるしかないのはいっぱい束ねた。しかしおかしい。本棚にあるはずの本、帰国早々に読みたいと思っていた本がない。もしやと思って娘に連絡すると段ボールにあるとのこと。そうだ、彼女から大量の段ボールが送られてきていたのだ。ああ、すっきりしてこれで読書生活に突入と思いつつ段ボールを開けると元の木阿弥という以上の状況。この間、本を読まない友人と話していたら「昔はさあ、他に何もなかったから人と話すのに何か読んでないとならなかったけど、今は本以外に色々あるから読む必要ないじゃないか」というのだった。そういう問題ですか。そういう問題でいいなら、とっくに読まないけどな。と、本の山を前に愕然。自分がこれで娘にやめろとも言えないし。そして段ボールの中身は捨てられそうなのがないのだ。とにかく私は『中動態の世界』が読みたい。1ページ目を開いたら涙が出る会話だった。

# by kienlen | 2018-04-13 16:15 | その他雑感 | Comments(0)

一か月経過

帰国から一か月。娘が社会人になって一週間。移動が多かった3月も終わった。そして今日は朝から強風。洗濯物を干すのをためらっている。研修中の娘がとりあえず楽しくやっているのは何より。ここでいきなり嫌だってことになったとしたら、こちらの対処が困る。そういう事態が一刻でも先延ばしになることを願っている親である。よく、事実に直面しないで歳を重ねると面倒なことになるよね、と友人と話したりしているが、実のところ目を背けて最後までいけるんならいいじゃないかと、どこかで思っている自分自身がいるのも認めざるを得ない。合言葉は先延ばし。しかし今先延ばしにしていて全く落ち着かないのが部屋の混乱ぶりだ。ひどすぎる。

で、まず本やら書類を処分することにした。整理するということは自分を見直すこととイコールで、どんなモノが必要でどんなモノが不要かって、自分が今度どうしたいかをとりあえず決めないことには捨てるものと保存するものの区別がつけられない。そんな当たり前のことも、年々具体的になっていく。何しろ先が短くなっているのだから、テーマの絞り込みを深めなければならない。そこで本棚をじっと見る。再読しない小説は第一の処分対象。子育て関係も処分。女性関係は全部ってわけにはいかないが大方処分。残るのは予想通りの分野。風呂に積んであった本も処分。捨てるのは捨て、捨てるにもったいないのは初めてインターネットの引き取りを利用してみた。どうせ値段はつかないだろうから無料で引き取ってもらえるだけでありがたい。その話を知り合いにしたら、もっといい所があるよと教えてくれて次はこっちに連絡してみよう。色々なサービスというか商売があるようだ。

# by kienlen | 2018-04-06 10:40 | その他雑感 | Comments(2)

ペンタゴン・ペーパーズ

連日映画。これはネットの広告で知り、見たいなと思っていたもので昨日行った。映画館のカードのポイントがある程度までたまっていたが、いない間に期限切れでゼロに戻ってしまった。あん。メリル・ストリープとトム・ハンクスで、スピルバーグ監督。描き方はワシントンポストの社長だった夫の死を受けてまるで予期せぬ社長を務めることになったメリル・ストリープの心情にかなり重きがあって、ひたすら政治的な内容だろうという予測はいい感じで裏切られた。ま、ひたすら政治的なんて予測する自分の浅はかさを知ったということか。役者のことはあまり知らないけどメリル・ストリープは大好きだ。そして今回も素晴らしいなと感じた。表情を見ているだけでハラハラと涙とが入り混じる。

監督の意図は明白で、民主主義国家にとって何より重要なのは言論の自由ということ。なんというか理想形が描かれていて、実話に基づいているようだが、夢のようなお話に感じてしまうのだった。ひとつは、ジャーナリズムの役割保持のために何をすべきかという点で、協調すべきところはしないとならない。そうじゃないと共倒れ。このあたりのスリリングな見せ方が最高でした。活字メディアってもう何年あるんでしょうかという感じはひしひしとあるけど、あえてそのあたりを強調するかのように活字を拾う場面が執拗なくらいに出てきたのが面白かった。日本語は活字を拾うのが面倒な文字だと思っていたけど、英語だってあんな風にやっているのだから手間としては変わらないのかもしれない、とか。ああ素晴らしいと感動して、映画を見る友人にお勧めしたら見に行くとの返事があった。反応が怖いような楽しみなような。

# by kienlen | 2018-04-05 22:22 | 映画類 | Comments(0)

赤い襷

まだ帰国から間もないころ、友達と会った時に映画の鑑賞券をもらった。富岡製糸場に行った松代の横田英の話ということでひじょうに興味があったので嬉しかった。いつものようにひとりで行くつもりでいたら別の友人からこの映画の誘いがあり、毎日が日曜日状態なのをいいことにさっそく行ったのが昨日。観客は驚くべき多さで、10人以上いた。友人と「こんなの初めて」と顔を見合わせる。予告が何本かあったけど、チャーチルのは絶対見たいと思った。で、この映画、始まりは横田英たち一行が松代から富岡製糸工場に行くシーンから始まる。この工場が作られることになった経緯があり、工場での出来事が涙を誘うところも織り込みながらドラマとドキュメンタリーの中間みたいな感じで進行。で、最新機械による製糸の技術を学んで戻るというところでおしまい。富岡日記も読んだことがないし、それに岡谷も諏訪も上田も南信州も製糸や蚕糸の後が濃厚に残っていたり意識的に残しているのに対し、松代は別の財産があるせいもあるのか製糸の香りが感じられないので横田英が行ったくらいしか知らず、その意味では勉強になった。

フランス人の腕利き検査人を招いて工場を建設したところは知らなかった。シルクといえばタイシルクも有名だが、前に富岡で学んだ女性がタイの製糸業の支援で渡タイして奮闘するという話を読んでから富岡に興味が沸いて世界遺産になったのもあって見に行ったりもしていたが、ここでそれが出てくるわけじゃあないけど、色々つながるのが面白い。こじんまりまとまっていて良かったし、それに予算だってそんなにないんだろうことは分かるが、好みからいえばもっとテンポを速くして盛り込む内容をもうちょっと広げてくれたらなあとは感じた。それと、松代に戻ってからの場面が欲しかった。なんていうと、趣旨からずれていくんだろうけど。ちょうど今読んでいる本が日本語文法を統一して列強に負けない国家としての日本を作ろうという話なので時代的に重なりとっても興味深かった。しかし江戸から明治というのは本当にすごい時代で一歩間違えたらの連続であることを、ほのぼの系ではあるこの映画でも十分感じることができた。あの田舎でお蚕さまのおかげで生き延びたと感じている者には見る価値があった。

# by kienlen | 2018-04-04 10:51 | 映画類 | Comments(2)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


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