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『自由に生きるとはどういうことか-戦後日本社会論』

橋本努著のこの本をやっと読み終えた。このところ趣味の本を読んでいる余裕がなくて中断していたのを復活したもの。これはもう100%タイトルに興味を持ったもので、それ以上の理由はない。強いて言えば、それとちくま新書は比較的読めるからというのもある。本屋で目次に目を通して、ちょっと読めないかもしれないけど難解そうでもないから娯楽にいいか、と思いつつ購入した。最初は面白かったし難解でもなかった。すなわち、終戦直後の自由とはエロスとか堕落とか、自分を肯定できることという面が強くあったが、知識人の間では自由論が闘わされた。それはイギリスのパブリックスクール型の、つまり上からの啓蒙的な自由主義と、民衆の個人主義的生活を基礎にした自由主義、だそうだ。このへんまでは、例に挙がるのが知識人の言葉だったりするから、議論があったのね、という次元での理解という意味で凸凹感はなくて分かりやすいといえば言えた。で、次からはちょっとトーンが変わったように私には思われた。つまらないわけじゃないけど、自分がその時代を生きてきながらその洗礼を受けたと感じられない例が次々と登場するからだ。

『巨人の星』『明日のジョー』を全共闘の運動等と重ねて分析しているが、知らない時代のものではないだけに、それでもろくに読んだり見たりした記憶がないと、なんだか疎外感。次が尾崎豊的自由。ここはかなりの情熱で書いているし、読んでいてつまんなくないけど、尾崎豊をほとんど知らないから、自分なりの考察と比べることはできない。よって受身に徹する。そして思う。ほとんど興味が沸かないのは年齢のせいかな、と。しかし、当時も自分のアンテナには引っかかってこなかったんだからしょうがない。別に体制や管理を好む方だと自分で思っているわけではないが、尾崎豊のような感じ方とは違ったな、若い頃も。もっとも同時代じゃないからか。そんな風に読むべき本じゃあないのかもしれないが、その程度にしか自分には読めない。その後の『エヴァンゲリオン』に至っては、日本にいなかったこともあるが、もう全く分からない。このアニメがさまざまな分析の対象になっていること自体はいくら私でも知っているが、だから何なのかまでは分からないし、分析を見て、じゃあ見てみようかなって思うことはないのだから、多分自分の興味ではないのだ。終章は21世紀の自由論。やっぱ、こういう本は自由論の系譜に関する知識が必要なのだろう。それと時代の波を察知する力。どっちも失格。でも波を察知できないっていうのもある意味自由なんだってことにしておく。
by kienlen | 2008-01-27 21:45 | 読み物類 | Comments(0)

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