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躁鬱病のMからの連日の電話

またMから電話があった。このところ連日でそれに日に2回も3回もで、さらに携帯の電池が切れるまで話すことになる。話すといっても話題は何もないから、寝ていると何が見えるの?とか、ご飯食べた?とか。まるで拙い外国語で話しかけるようなもの。それでも返事はおぼろげ。状態は相当悪くなっているように感じられる。Mと知り合ったきっかけは忘れたが、数年前は毎日のように会っていた。その時から医者にかかっていたけど、ここまでひどくなっていなかった。悪そうだなって感じる時もあれば、やけにまっとうな日もあった。それから彼は病気療養という名目で休職して、馴染みがないのに仕事だけで滞在していたこの土地から、知り合いも多い東京に行った。それが3年前で、それからは電話のみの付き合い。「で、Mさんの場合の診断名は何?」と、話題もないから聞いた。もしかしてあの頃から変化しているかもしれないし。「躁鬱病」と言う。「じゃあ、躁状態もあんの?」と聞くと「ないねええ…」と、どんより。こっから先は素人には分からない。医者が言うんだからそうなんだろう…か。

鬱病とか自律神経失調症とかの人はとっても多い。私の知り合いにもわんさかいる。当人がそうか配偶者がそうか、家族の誰かがそうか、を全部カウントしたら、一家にひとりみたいな感じ。街でばったり知人に会ってちょっと立ち話して「実はねえ…」と言い出したら「あ、鬱病?」と聞くとたいていは当たっているのだ。別にこっちの勘が鋭いのじゃなくて、それだけ多いってことだ。啓発パンフなんかから、誰でもかかる可能性があるし、風邪みたいなものだから、治療は早くした方がいい、と訴えいている印象を私はもっている。ということは私も鬱病になるかもしれないということだ。アルコールにかなり依存しているし、自分が健全であるとはちっとも思わないが、鬱病の人と話していると、自分が鬱病になるような気がしないのは不思議である。特に根拠はないんだけど。ただ時々思うのは、苦しい時に医者に行ってその苦しさを描写したら「人間ね、生きていればそりゃいろいろありますよ。しょうがないですよ、やり過ごすしかないんじゃないですか」と帰してくれるだろうか、それとも薬を処方されるんだろうか、と思うときっと後者だろうな。すると薬に頼る可能性は高いな。これは私もそうなる気がする。高等教育機関の専門職だったMさんに「山に来て畑耕すとか、すれば」と言うと一笑にふされる。知の部分だけで何かを分かった気になれること自体が病んでいるよな、と、自分も振り返りながら思う。
by kienlen | 2007-05-15 15:21 | その他雑感 | Comments(0)

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