『ひとりの午後に』

何度か顔を合わせてはいるが話したことがないという程度の関係の人たちと話す機会があった。もう別れ際になってみんな本が好きだということが分かった。本の話をしていたら個人的な話などしなくて済んだのに、最初から言ってほしかったと思ったが、聞かなかった自分のせいでもある。タイと本の距離があまりにあり過ぎたのは帰国してからも影響しているようだ。で、その中のひとりが、上野千鶴子のエッセイでいいのがあるので読んでほしいといい、私は上野千鶴子好きだけど今エッセイを読む気はないですね、と答えたらがっかりした風で、貸すと半ば強引に貸しつけられた。それがこの本。昨日と今日、やらねばならないことがあり、だからやりたいことを我慢し、でもやるべきことがのろのろになり、そういう時って考えなくていいエッセイはうってつけで読んでみた。それにしてもこういう本だったら一日に複数冊読めるから、1年365冊というのも夢ではない、と、夢なんて言葉を使ってみたのはこのエッセイの中にも夢がでてきたから。まったく同感な使い方だった。ほとんどが何の違和感もなさすぎて、新たな発見というのは多くない。まあ井上陽水が天才だ、好きだ、他と違う、というところとか、松任谷由美はどうも・・というあたりとか、うむ、まったくまったく同じ過ぎる。こうして過ぎるを使い過ぎるのはしばらく前の流行り言葉だったっけ。

読み始めは、なんでこんなエッセイを書くんだろうかと感じた。上野千鶴子らしくないじゃん、とよく知りもしないくせに勝手に。でも途中から、ああ、らしいな、と思ってきて、貸してくれた人はどのあたりが好きなのか聞いてみたくなり、そして最後にあとがきを読んで、すべて納得した。そういう経緯でこのようなエッセイ集ができたのか。とっても納得だった。ここのところ、しばらくぶりに、落ち込む感じを味わっている、なんとも言い難い気分。集中力はないし、まあ、そういうときにはちょうどいい本だった。かといって、これを読むと元気になるとか、そういうことはまるでないが。ここんとこタイ語でเป๊ะという言葉を非常によく聞く。ペッペッって感じで。この単語が頼りにしている辞書でみつからず、夫に聞いたらなんとなくわかった。おおぴったりとか、そのまんま、みたいな感じのようだ。この本読んでいてこの言葉が浮かんできた。何とペッなのかは色々。さて、貸してくれた人にこの本の何にそこまで惹かれているのかを聞くのを楽しみにしよう。

by kienlen | 2018-08-29 13:55 | 読み物類 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


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