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初めて英語の授業を見学

学校開放日ということで、授業参観に行った。1時間目が総合の時間を使った英語の授業。新任で英語専攻の先生が担当する。いかにも、楽しく英語に親しむ、が学習目標であるかのようなゲームを多用したサービス精神を感じるものだった。1,2,3…という数を教えるのにも、各人が自分の数を記憶して、その数を順番に言いながらぬいぐるみを手渡しして速さを競う。声の大きさも判定基準になっていて、小さいと×の、聞こえると○の札があがる。子供達は楽しそうに歓声を上げながらやっている。私のようなゲーム嫌いは、自分が小学生だったらこれを楽しめるのかな、と考えながらそれを見ていた。大きな声も苦手だから×の判定が下るかも。自分がやるわけじゃないからいいのだが。

英語を習っている子は相当いるから、そういう子にとっては簡単すぎる授業だろうと思う。実際、単語などは先取りで答える子がたくさんいた。娘は英語は全くできないので退屈はしていないようだ。総合という時間を使って週に1回やる授業でどういう効果があるのか、私には分からない。しかし、他の授業を減らして総合を作って、それを使って科目を勉強するとなると、何のための総合なのか不思議なことである。文科省の方針はよく変わるが、私にはどうも、勉強しすぎた人達が、自分の経験を元にして、勉強時間が長すぎるとかいって減らしてきただけのように思えてならない。一体子供は、そんなに勉強していたのだろうか。何をしたところでする子はするし、しない子はしなくて、だったら、学校で最低限の知識を身につけることを目指さないと、格差が開くのは当然だ。それを良しとする方針であれば、それはそれだが、今になって格差が問題というなら、どうして「生きる力」なんてことを持ち出したのだろう。それに生きる力はどこに行ってしまったの、って感じ。遊びの授業を見ていて、数と挨拶の決まり文句を覚えることの意義を考えていた。そんなもの、中学になって自分で覚えようと思えば1回で覚えられる程度のものだろうと考えると無駄なような気もするが、門外漢の自分には分からない。ただ、中学の授業との連動なしに一部で取り入れても、それまでのこと、って気がした。ずっと思っていることだが、この程度の英語をやるんだったら、英語だけよりも、むしろいろいろな言葉の違いを体感する方が楽しいし貴重な機会になるように思った。中国、ブラジル、フィリピン、タイなんかは学校に何人かいるし、そういう人の協力を得たら不可能ではないと思うのだが。
by kienlen | 2006-05-27 18:36 | PTA・学校 | Comments(0)

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