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衰えをカバーする工夫あれこれ

今頃になって自分の才能に気付いた。それは記憶力がひじょうに悪いということだ。年齢のせいで、記憶力の衰えを嘆く友人が何人もいる。共通しているのは記憶力が良かったこと。覚えているからスケジュール帳を持っていなかったという人もいる。信じられない。自分がどうかというと、もともと記憶しようという気がない。一応学校で学んでいた頃ってどうしていたんだろうと、自分でも不思議になるくらいだ。確かに教科書を覚えようとした記憶はあるから、当時はそれはやっていたのかもしれないが、いつも一時的に覚えただけで、よって知識がひじょうに乏しい。で、このことをこれまで特に意識することはなかった。昔からの友達から、あんたはこうだった、ああだったと言われて「よく覚えているなあ」と感心したり、自分の言ったことを覚えていなくてヒンシュクをかうことは多々あっても、そのこと自体も忘れるから自分として困ることはそんなにない。相手が困るかどうかは知りようがないから困ってないことにする。

今日も記憶力のいい友人と会った。盛んに嘆いている。資料の場所を忘れてしまう、と言う。出かける時に重要なものを忘れてしまうことも出てきたそうだ。なんとか覚える工夫をしたいと言う。私は「覚える工夫なんかするよりも、覚えないことを前提に対処法を考えた方がいいと思う」と言った。自分はそうだから。しかし、話は全然かみ合わない。どうやら、記憶力の良かった人はそれを前提にした行動原理が習慣になっていて、それを変えることはまた大変になってしまうので、だったら覚える工夫をした方が合理的なようだった。それで書類の分類法を工夫してみたそうだ。そして整理能力がないことが判明したそうだ。私もないが、整理能力がないのに整理するとややこしいことになることもさんざん感じてきたから、今さら整理能力がある人のような整理の仕方をしようとも思わない。ただその友人は整理能力のなさを記憶力でカバーしてきたので、これにも慣れていない。大変そうだった。自分といえば、ますます覚えたくない傾向が強まっている。何かを覚えると、脳のどこかが占領されてしまう気がしてもったいない。なるべく空っぽにしておきたい。そう言うと「覚えたくないのに、覚えちゃうんだから!」と言われる。才能のないことが才能だったとこじつけられるのも年のせいか。
by kienlen | 2011-10-18 15:01 | その他雑感 | Comments(0)

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