3分待つのにタイマー
2011年 08月 03日
きゅうり採りに休みはないし、家族に誰も勤め人がいないうえに学校が休みとなると曜日なんて関係ない。ついでに時間も外部との約束以外は関係ない。家に閉じこもって食べたい時に食べ、寝たい時に寝、読みたい時に読む。やはり理想は晴耕雨読だなあ。これぞ非文化人の生活と思いながら、毎日読んでいる友人のブログを開いてびっくりした。カップヌードルを作るのにタイマーを使うらしい。一体どうしてそんなことを思いつくんだろう。カップヌードルの時間が多少短かったらまた蓋して待てばいいし、長くて麺が伸びたら、あーあ、と思えばよくて大勢に影響があるとは思えないのが…。そういえばウチにはタイマーはないな。秤も全く使わない。計量スプーンも計量カップも近代調理には必要みたいに思わされているのか一応あるけど使ったことあるんだろうか。私が嬉しいと感じるのは勘が当たった時なので、勘を使わないというのが一番つまらないことだ。
きゅうりのピクルスを作っていた時も容器を決めてあるから漬け汁の量くらいそれで計ればいいのは頭では分かる。でも勘でやって当たると料理そのものよりもってくらいに嬉しい。科学というのは再現性があることだったはずだから、こういうのは非科学的お料理ということになる。言うまでもないが。日常の料理でいちいち計量する人っているとは思えないけど、カップヌードルとタイマーは勉強になった。使う人は使わない人の発想が分からないみたいだということも知った。ということで夏はきゅうりとトマトとピーマンとナスをひたすら食べるのである。今年は父のトマトが不作のようで庭のミニトマトのみなのでトマトの消化には困らない。きゅうりはしょうがとウメ漬けでもんだのと、酸味が強くなってしまった糠漬けとピクルスと味噌炒めをほぼ毎日。きゅうり採りバイトは1か月延長で今月いっぱいか来月初めまで。仕事を片付けたら短い旅に出たいぞ。
きゅうりのピクルスを作っていた時も容器を決めてあるから漬け汁の量くらいそれで計ればいいのは頭では分かる。でも勘でやって当たると料理そのものよりもってくらいに嬉しい。科学というのは再現性があることだったはずだから、こういうのは非科学的お料理ということになる。言うまでもないが。日常の料理でいちいち計量する人っているとは思えないけど、カップヌードルとタイマーは勉強になった。使う人は使わない人の発想が分からないみたいだということも知った。ということで夏はきゅうりとトマトとピーマンとナスをひたすら食べるのである。今年は父のトマトが不作のようで庭のミニトマトのみなのでトマトの消化には困らない。きゅうりはしょうがとウメ漬けでもんだのと、酸味が強くなってしまった糠漬けとピクルスと味噌炒めをほぼ毎日。きゅうり採りバイトは1か月延長で今月いっぱいか来月初めまで。仕事を片付けたら短い旅に出たいぞ。
by kienlen
| 2011-08-03 17:15
| その他雑感
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