午後に少しの仕事のため現地へ。時間があるので自転車ではなくて日傘を差して歩こうと思って外に出たら、日傘より雨傘の方に近い天候になっていてそっちを持参する。歩くのは好きだが、ここは歩いて楽しい環境でないのが残念だ。コンビニとフランチャイズの店が多くて独自性を感じない。例えば行政のナントカ計画など、海なし県に海が出てきたり、つまり製作請負元が標準化されたものを使用していることがバレることがあるが、没個性な町の様子を見ていると名前を変えても気付かないんじゃないかと思ったりする。利点といえば、立ち寄りたくなる店がないから物欲が刺激されず、安心してキョロキョロできること。でも、いずれにしろ必要なモノと食べ物は買うのだから地元で消費して地域貢献したいと思っても、惹かれないのである。それで洋服や雑貨は通販を利用することが多くなってしまう。今日も、寄ったのは本屋だけだった。

仕事先に着いたら担当者が「今日はお車で?」と聞くので「いえ、徒歩です」と言ったら「お近くなんですね」。「はあ、1時間位ですね」と言ったら、しばし沈黙して「す、素晴らしいです」と言う。これは褒められているのだろうか。帰路にイギリス人のJさんが子供を自転車に乗せて走っているのを見かけたので呼んだら止まって挨拶。彼にはよく偶然会うのだが、それもそのはず。歩きや自転車の人の絶対数が少ないので会う頻度が高いのだ。いわゆる中心市街地に巨大な建築物が建とうとしているから何かと思ってみたら駐車場だった。市長は文化人的側面を感じさせないビジネスマン。官から民へ、の国の掛け声を忠実に地方行政で率先して実施している人で、話を聞いている限り、そこに迷いが感じられない。このような地方都市では市街地だって土地の値段は知れたもの。郊外型の手法を市街地に持ち込むということなのだろうか。行政文書には「うるおいある町」なんて言葉が散りばめられるが、ここに駐車場とは、ドライこの上ない。この場所まで車で来なくたって、郊外に駐車場を作ってバスを走らせるなり散歩コースにするなりにしたらいいと思うけど、消費者側も歩くことに魅力を感じないなら空論でしかないか。
# by kienlen | 2006-05-07 20:40 | その他雑感 | Comments(3)
友人宅の持ち寄りパーティーに行った。相変わらずバレーの試合に時間を費やしている息子に付き合っていると娘が退屈するので彼女を連れて行く。集まったのは、カナダ人とアメリカ人カップル、オーストラリア人、日本人カップル。オーストラリア人といっても両親がロシアからの移民で、当人も7歳まではモスクワ育ちということなので国籍は知らないが、いずれにしろ、全員英語を教えている人々。オーストラリア人女性は、6月にタイへ行き、それからモンゴルに行き、それからロシアに行き、それからイスラエルに行くのだと言うので「楽しそうですね」と言ったら「恵まれていると思う」と認めていた。バンコク在住時に、マレーシアからの列車でフアランポーン駅に帰り着いた時、いきなり知らない白人女性から声をかけられたことがある。「バンコクで英語を教えたいのですが学校を知りませんか」と。確かオーストラリア人だった。こうして英語を教えて稼ぎながら旅して歩いている人口は相当いるんだな、とその時に感じ入ったものだが、今日もそれを確認することになった。

私がいくら日本語が上手だって、それだけで旅先の各国で日本語教師の職を得られるほどの需要はない。タイ人がタイ語が上手だからといって、日本語以上に需要がない。それどころか、タイというだけでビザ取得自体が極度に難しい。タイ人というだけで書類もパスポートも偽モノだろうと、まずは疑われる。私の夫にもそういう経験があるので分かる。知り合いのパキスタン人はテロリストとつながりがあると疑われるということなので、それよりマシかどうか知らないが、いずれにしろ、外国に出る時にモノを言うのは個人の力よりは、国力、国籍である。私と夫が熟年世界旅行をするとしたらやっかいなことになるだろう。日本人ならノービザで入れる国々でもタイ人はビザが必要で、さらに審査も多分厳しい。どっかの空港で別れ別れになるかもしれない。こういうことは厳しくされる立場にいないと分かりにくいらしく、例えば不法滞在者を特別な存在のように思う人もいるが、単に滞在資格が発給されるかされないかの相違である。日本だって経済力が衰えて外国から門戸を閉ざされる日が来ないとも限らない。英語で放浪しながら優遇される人と母国で食えない人。機会は平等ではない。
# by kienlen | 2006-05-06 20:09 | タイ人・外国人 | Comments(2)
連日何試合もこなしているためソックスが擦り切れたと息子がいうので、付近のスポーツ用品店に買いに行く。店は思いがけず混んでいて、特に目についたのが野球道具一式を入れたカゴを持つ小学生。我が家の息子も御多分にもれず小学校3年だか4年の時に少年野球チームに入った。どの地区も少年不足で奪い合い。息子が友達に誘われたのをきっかけに隣の地区のチームに入ったものだから、居住地区の役員からは「もっと早く声をかけるべきだった」と言われた。中学の途中で野球からバレーに転向してくれて助かった。クラブチームと学校の部活という違いはあるにしろ、でもバレーは野球に比べたら格段に身軽だし、親の負担も小さい。

親子という関係の中での親の役割とは何か、については当然のことながら日々考えざるを得ないのだが、スポーツをする子の親というのは、どうも特殊な役割があるらしい、ということは野球少年の親を経験してみて感じたが、それが何なのかは今も自分の中で明確ではない。小学生の時は子供自身にできることが限られているし、判断能力もそれなりにしかないので保留にして、私が本当に驚いたのは中学になってからの野球チームの母親の様相である。一番の不思議は「お茶当番」というもの。数人が1組になって、お茶等を用意してコップ等用具一式入ったボックスを運んで、監督やコーチやグランドに出て手伝う父親に、練習の合間を見計らってグランドまで運んで飲んでいただくのである。空になったコップはグランドに走って回収。さらに子供達の分まで親が持参してコップ洗いまでやって差し上げる。無報酬で奉仕してくれる監督やコーチへのお礼をグランドへのお茶運びでごまかそうという魂胆は、魂胆としてはアリかもしれないが、飲み物は飲みたい時に欲しい自分には、押し付けのようで気が引けた。論外はお子様への奉仕である。各自が自分の飲み物を持参することに何の不便があるのか。不気味この上ない。凡庸な運動神経に加えて、この親の姿勢が影響してか、息子は途中で野球を止めるハメになった。当人は悩んだようだが、私は、基本道具一式の何倍もの野球用品を購入させられた点を除いては、清々した。
# by kienlen | 2006-05-05 21:50 | 家族と子供の話題 | Comments(1)
勤め人がいないのでカレンダーの文字色はあまり関係ない。夫の店は、盆も正月も無関係にただ日曜日だけ休んでいる。弁当を届ける必要があったので、ついでに息子のバレーの試合を観戦する。大きな大会らしく臨県からも来ていて、校名がいかにも海辺の雰囲気だったりして、それだけで異国情緒みたいなものを感じる。つまり日ごろは狭い世界に生きていることを実感。このところどうも元気がでないのは歳のせいばかりでなく、今の生活に飽きがきているのだと思う。考えてみるとずっと仕事が変わるか家族構成が変わるか引越しで住処が変わるかを繰り返してきたのに、このところ変化が少ない。子供が小さい時には手がかかったので日常そのものが変化の連続という面があったが、それも一段落した。中学3年というと、受験生ですね、と言われるし、確かにそうなのだが自分が受験するわけでもないし、見ているとイライラするので逃げ出したい。夫の店の店番がいれば、私はしばらく旅に出られるのだが、と考えていたら夫が「Sがオーストラリアに店を買ったから行くか」と言う。

Sというのは夫の実の兄だ。バンコクで夫と知り合った頃に「兄がアメリカにいるが全然帰って来ない」というから、それをアメリカに留学していたことのある友人に話したら「密入国して帰るに帰れないんじゃないの。そういう人いっぱいいるよ」と言われ、そうかなと思っていたら、突然バンコクに来たのである。それも日本人の彼女を連れて。日本人とタイ人が留学先の第三国で親しくなる例はたくさん知っている。聞けばAFSの奨学生として高校からアメリカに行き、そのまま就職して長いこと住んでいたという。専門がコンピュータだったのでバンコクの優良企業に就職したのだが、帰国子女にありがちな異文化ギャップで長く続かず「やはりアメリカに戻る」と言い残して去っていった。その前に日本で一休みのつもりが、10数年にもなったという経歴の持ち主。米国企業勤務だったので本国転勤を希望していたが叶わず、結局辞めて当面妻子を日本においてオーストラリアに、つい最近渡った。Sが自分で店をやるわけがないから投資のつもりだろうか、と夫は言うが、そう深い交流があるわけでもなくまだ不明。ただ、私にとっての関心事は、外に出る口実にはなるな、ということだ。それで今、作戦を考えている。
# by kienlen | 2006-05-04 21:47 | タイの事と料理 | Comments(0)
昨日と同じ場所で仕事。昨夜1時近くまで飲んでいたこともあり、車はやめて電車にする。青い空をバックに、尖った上半身だけ真っ白な山々がくっきりと浮かび上がる姿が車窓からも見える。素晴らしい天気。都合で昼休みを長く取ることになったので、友人に電話して一緒にラーメンを食べてから、付近のお城を散策。観光客で賑わっていて、本県が観光県であることを再認識。午後は意外に早く終了となり、運動着を着た中学生のグループで混んだ電車に乗った。息子も今日はバレーの試合だったし、子供達は各地に遠征しているようだ。と思いながら帰宅したら、育成会の回覧が回ってきていた。丁寧に役員の手書きで「区民球技大会参加のお願い」と題したお手紙が入っている。要旨は、すでに希望を募ったがもっと多くの人に参加して欲しいので再度募集、ということ。末尾はこれ。「皆様の御協力と御参加をよろしくお願い致します」。

婉曲表現ではあるが、これは多分人数が足りないのだろう。私は一昨年の役員の時に、この件で嫌な思いをした。担当地区内に回覧して結果を球技大会担当に連絡したところ「人数が足りなくてチームが作れないので電話で再度勧誘してくれ」と言われたのである。球技大会を成立させるために人に参加を強要することに何の意味も見出せないので断った。「くじ引きで担当になっただけなのに、一旦役割を得たら、役割の意義そのものを問うことなく、ただただその役目を果たすことだけに専心するというのは、それ自体はご自由ですが、すべての人に適用していただきたくありません。そもそも一歩間違うとコワーイことになりませんか。例えば地区からの生贄選出担当になったら指名するんですか?」とは、あまりに思いがけない注文へのとまどいの方が勝ってとっさに聞けなかったが、今ならば言えるかも。個人だけを責めるのではなくて、つまりは地域だか地区だかのありようである。人数不足で区民球技大会が成立しないからといって人集めの側面のみに注目するのは、商品が売れないのは消費者が悪いのだから強制的に買え、と迫るようなものではないだろうか。私の常識では大会の見直しを同時に考えたい。参加を募りたいなら、いかに惹き付けるものにするかと。現状の地域なるものが、この点を突くとますます崩壊するのは想像できる。役員のなり手がないのは地域活動に無関心な層が増えたから、という言説が広範に自然流布しているのか、誰かがさせているのか知らないが、地域活動そのものを検討せずして、何もかも相手が悪いっていうのは、どっかの組織の言いがかり論と似ているような気がする。
# by kienlen | 2006-05-03 22:15 | 地域 | Comments(0)
毎日書くのが目標だったのに、今日(もう昨日)はできなかった。朝7時20分に家を出て四捨五入で100キロの場所で仕事。ノートパソコンで書く時間もないまま日付が変わってしまったのは残念。本日(=昨日)の日雇い仕事先には電車、高速バス、自分で運転という手段があり、電車にしたかったが、昨夜からのどしゃ降りの雨が止んでいなくて迷った末に車にした。レインブーツもあるし歩くのは好きで駅まで30分はなんともないが、荷物が多すぎた。高速道路を使うと高いので早めに出て下道を行く。慣れすぎた道は居眠り運転の危険と隣合わせで、防止用のポテトチップスとコーヒーを準備した。

道路沿いの畑の真ん中にポツンと、閉鎖して廃墟のようになった元パチンコ店がある。最近、女子中学生が元パチンコ店の2階で殺害された事件があったので、通り過ぎるたびに気になってしまうのだが、実はこの場所は他人事ではない。私の実家の土地もここに含まれているからだ。私はタイにいて留守だったが、多分バブルの頃に、こんな田舎の町にパチンコ屋を作るという話になったらしい。そこはかつては畑で、長いもやスイカを収穫していた。私にとっては子供の頃の遊び場だった。それをつぶしてパチンコ店にリースしたのだが、結局土地のリース代を回収できないまま廃墟になったのだ。そんな事に慣れていない田舎の人間を騙すのは、お手のものだったのだろう。昔働いていた広告代理店の社長は「仕事を受けて回収できないよりは働かない方がいい」と言って、行政だけを相手にしていたことを思い出す。コンクリートの巨大な塊を撤去するにも莫大な費用がいる。次の借り手があるはずもない。こうして環境は破壊される。親の土地でこんな展開があるとは考えたこともなかったが、ここまで破壊は進んでいるということだ。
# by kienlen | 2006-05-03 01:19 | その他雑感 | Comments(0)
モンゴルの話を市内のS大学できいた。本日だけの講師は内モンゴル自治区出身で遊牧生態学が専門のN先生。とても興味深いものだった。自分が知らない分野だと何もかも新鮮で刺激になるし、疑問をはさむ知識が皆無なので、とても素直にしみこんでくる。モンゴルで遊牧と植生の関係を実験と聞き取りで調査していることから、そのデータを使いながらの説明。人が家畜を追いながら時間的、空間的に移動する遊牧という生産様式は、草原の維持に適したものであるというのが先生の主張。遊牧を続けているモンゴルに対して、内モンゴルは政策的に定住化が進められ、草原が荒廃。これが黄砂の大量発生にも貢献しているということだ。暑いと40度、寒いとマイナス50度、極端に少ない降水量で乾燥気候のため、農耕には不向きというモンゴルの自然条件で育つのと、温暖な気候でいつも水がある日本で育つのとでは生活様式だけではなくて、人間の基盤みたいなところが違って当然だろう。

モンゴルの暮らしを知らないので、思い出すのはタイで暮らしていた頃の驚きだ。家の周囲にガティンという食べられる植物を植えて生垣にした。桃栗3年柿8年ではないが、木が育つのには年月を要するという思い込みがあったので、大切に育てたいと思ったのに、それは余計なおせっかい。勝手に見る見る大きくなる。油断するとすぐに伸びるので、最初はもったいないと思ったが、とにかく常に切っていなければならない。通りかかる人が自由につまんで食べているのも、気になるどころか、もっともっとやってくれ、である。料理に頻繁に使うレモングラスを植えようとしたら隣から「そんなもの植えたら増えて困るからウチのを自由に使ってくれ」と言われた。冬がないので休息する期間もなく、自然に食糧を提供し続けてくれるのだ。豊かさとはこれか、とつくずく思った。とはいえ、自然環境に異変が起こっているのは、今日のモンゴルの話でも聞かれたが、タイでも、私が住んでいた頃にはくっきりしていた雨季と乾季の変調を一時帰国の際によく聞いた。このような変化の影響を直接受けないのが都市の暮らし。それを豊かと呼ぶことに相変わらず馴染めずにいる自分の半端さがやっかいだ。
# by kienlen | 2006-05-01 23:32 | タイの事と料理 | Comments(1)
明日とあさっての、現場で拘束されるタイプの仕事の打診があり受けた。以前だったら、受けられるかどうか、必ず予定帳を確認しながら答えていたのに、このところ真っ白続きだから見ないで受けた後に、書き込みのため開いたら別のが入っていることに気付いた。記憶力の悪さと不注意を自覚しているので、こと仕事に関しては、こういうことはないつもりだったのに、今のように、仕事なし、でもたまにアリ状態は半端で油断してしまう。それに労働環境としては底辺に組み込まれて身動きできなくなる感覚がヒリヒリするこの頃。女子供に貴重な男はタイ人ときたら、社会的強者は1人もいないから、堂々と弱者顔ができるのだが、強弱意識そのものに疎かったのでそれも慣れていない。田舎で持ち家で親が公務員だったため年金があるという境遇にかろうじて支えられているだけで、病気等のありふれたきっかけで即どうなるか、想像するまでもないお隣さん感覚だ。まず、異様に高い国民健康保険は払えなくなる。見もしないのに口座引き落としになっているNHK受信料なんか絶対に払いたくない。外国人政策が信用できないのは歴史から明らかだから、夫が払っている国民(!)年金もどうしたものか。

結局、先約の所に電話して断ることにする。それは、後のものの方が、やりがいもあってギャラもいいから。条件で選んだら全く迷うことはない。それでも今までは、こういう事態の時は、泣く泣く常識的に先約を優先していたのだが、衣服足りて礼節を知ってこその常識である。外注をどう使うかは職種や企業によって異なるが、どうも、安かろう良かろう、が期待されているようで疑問に思うこともある。安いからとそれに見合った品質でいい業界があるのだろうか。時給を50円下げるから、笑顔を1回減らしていいというマニュアルをバーガーショップが作るわけにもいかないだろう。個人の良心に頼った労働スタイルは、その良心があるうちはいいが、正直者が損をすることが明白になった場合に社会はどうなるのか。今日の判断は、ちょっとした抵抗なのだが、弱い立場の者が中途半端に抵抗して自分に利があるということは、まずあり得ないのだ。
# by kienlen | 2006-05-01 19:39 | 仕事関係 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


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