夏になると思い出す出来事

暑い。生ゴミから小さな虫が出るし、網戸にハエがくっついて中の様子をうかがう。それでも日本の虫なんておとなしいものだ。バンコクで一番困ったのはアリ。ゴキブリも年中ウヨウヨしているが、襲ってくるわけじゃないから、ああいるな、と思うしかない。蚊は病気を媒介するから危険で子供が刺されないように心配したが、私は当初ひどく刺されたものの滞在が長期化するにしたがって全く感じなくなってしまった。それより嫌だったのはアリだ。カメラの中に入り込む、当時はワープロを使っていたが、ここにも入る。封を切ってない食品類どころか、封を切ってない赤ん坊のオムツカバーとか、とにかくどこにでも入り込む。それもビルの10階だろうが、どこだろうが。それも動きが不活発になる時期というのがないので、年中元気いっぱい。そして、噛まれると痛いし腫れるしかゆい。子供が泣くのでどうしたのかと思うと、お尻にアリが食い込んでいたりする。4歳までバンコクにいた息子はこういう被害にあっている。

その息子がまだ母乳を飲んでいた頃のこと。息子用の敷物を2階のベランダに干した。ふと気づくとベージュの敷物に黒い水玉模様ができている。単純に不思議で覗き込んだら、多分母乳の落ちた部分であろうが、そこにアリがびっちりと付着しているのだった。今、思い出しても寒気がする。当時、思わず悲鳴を上げて叩き落してしまった後も震えていた。あと、白アリに一夜で家具の足を半分食べられたこともある。こんな具合なので業者に頼んで、強力な殺虫剤を使うことになる。環境にも体にも良くないだろうとは思いつつも。そういえばミャンマーで泊まったホテルでは、夕方になると従業員が部屋に殺虫剤を撒きに来たっけ。南国の自然環境はなかなか過酷だった。
# by kienlen | 2006-07-11 00:51 | タイの事と料理 | Comments(0)

ハプニングは受け入れるつもりとはいえ

予定のない日。定期購読している雑誌が届いたので、ゴロゴロしながら読書を決め込む。途中でウトウトもした。新しい仕事が入って喜んだら、夢の中だった。夕方メールをチェックしたら、先方の都合のみによって滞っていた仕事の発注連絡あり。締め切りが明日という一方的通告。こっちこそが夢であって欲しいと思ったが現実だった。明日は朝から深夜まで全く余裕がない。ということは今日やれってこと、しかもすでに夕方…。それに今日はそういう準備体制が心身ともにない。せめて夕食時のビールを我慢して気分転換を図っているが、ちっとも転換しない。それにしても、社員でもない、特別契約の外注先でもない、たいしたギャラを払っているわけでもない、のに、こんな勝手な注文をするのはなぜなのだろう。慣れていなくて段取りが悪いのだろうが、問題は、どういう内部事情にしろ、しわ寄せが全部外部のこちらにくるということだ。

しかし、進言するほど高尚な内容ではないので、黙ってやるのが面倒くさくなくて一番いい。ここが会社で、上司が「明日までにこれやって」とくるのと、ここが自宅事務所で、できることを何でも受注してやりくりしている自営業者に突然「明日までにやって」というのでは、全く事情が違うと思うのだが、どうやらあまり差を感じてないようだ。押せば自然に出来上がる自動販売機みたいなものだと思っているのだろうか。あれだって、機内では努力しているに違いないから、こんな言い方は失礼か。それにしても、お茶でもコーヒーでも切り替えが早い機械のようになれると便利だろうけど、感情からの支配に屈しがちな人間でしかない。計画性のない性格は、不安定でハプニングへの対応も自分だけという自営に向いているとポジティブに感じる時もあるが、それは自分の中での無計画性の場合で、相手の無計画のツケを払わされるのはちょっと苦しい。
# by kienlen | 2006-07-10 21:00 | 仕事関係 | Comments(0)

市民が武装する・しないの歴史と理由

小熊英二『市民と武装』を読んだ。「市民と武装-アメリカ合衆国における『武装権』試論」というのと「普遍という名のナショナリズム-アメリカ合衆国の文化多元主義と国家統合」という2つの論考をおさめた本。前者は、市民が銃を持って自分を守るという思想と実行の背景を考察したもので、それはつまり、日本ではなぜそうならなかったのか、という点とも表裏の関係であって、ここにも言及されている。私には実に実に興味深い内容だった。市民が武装することで、国家の暴力が市民に向かうのを防ぎ(確か憲法もそういう役割だったはずだが、なんかすり替えられつつあるような)、それはつまり、誰が武器を所持して戦う権利を持つかは、誰が市民として認められるかにかかっているわけで、アメリカにおける黒人と白人の関係、日本では武士とその他の関係が論じられる。いずれも戦争のたびごとに変化があり、兵器が近代化するにつれて、国家が武装権を独占することになる。なんて、短くまとめるのは乱暴すぎでしょう。この人のはいくつか読んだが、いずれもひじょうに面白い。それに扱うテーマの幅が広い。

後者のは、アメリカの孤立主義と国際主義という一見矛盾する立場の整合性がどこにあるか、というような話で、これも実に面白かったが、ただ、最近はこのような点に触れるものをよく見るので、どうしたのかな今更、と思っていたら書いたのが1992年ということで、9・11やイラク攻撃ではなくて湾岸戦争がきっかけとなっている。となると、かなりの先見性ではないだろうか。それにしても、アメリカの関係の本を読んで感じるのは、成り立ちといい何といい、何から何まで違うのに、情報で最も多いのがアメリカで「アメリカでは○○」、政治のレベルも「日米なんとか」が、いろいろあるけど、何か共通理解はあるんだろうか。それとも、そんな面倒くさいことはともかく共通利益だけでいっているのか。ここらへんを一般人にも分かりやすく説得していただかないと、いいのかなこれで、という疑問が膨らむばかり。小熊英二は当初はアメリカ研究の予定だったそうだが、日本近代研究に移った。この2つの論文は研究のスタートの頃のもの。文庫化されないとしても、がんばってトライしますので、ますますの発表をお願いします。その前にまだ未読たくさんありだが。
# by kienlen | 2006-07-10 10:55 | 読み物類 | Comments(0)

中学生の居場所を探して

電車で1時間半+徒歩20分の講演会に行くのに、息子を誘うことにした。私の誘いはたいてい断るが、今日はついて来た。部活が終わって暇をもてあましている。小学生の頃からスポーツを始めたので、週末も長期休暇もたいていは練習で終わり、こんな悠長な休みを経験しておらず、ボーっとテレビを見ている。その姿を見ていると、私より先にボケるんじゃないかと心配になる。いや、もうボケている。かといって、街に出ても居場所がなく職務質問である。それくらいで済んでいるうちはいいが、発展の可能性もある。親としては頭が痛い。私は読書という自己完結型閉鎖系趣味が子供の頃からあったので、息子のような開放型は理解しにくいが、さすがに15年も付き合っているので、この頃は慣れてきた。前に散歩して気に入ったM市を歩き、何か食べようと誘ったら成功。

知らない街でどういう店に入るかは、息子との一致を見る数少ないポイントである。
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昼はソバ、夜はこのような昔風のメニュー見本が陳列された食堂にした。つまり、路地裏的鄙びた感じが好み。電光掲示板がチカチカしている店は避けてしまう。今日の講演会場が図書館だったので、たまには本でも読んで待っているように指示したところ、雑誌の棚からサッカー関係を何冊が持ってきて「これなら見れる」と写真だけ見ていた。親が読書好きなら子供もそうなる、というもっともらしい説が流布しているのはなぜだろう。私の人生に試練がないので、こういう子を与えられたのだろうな、と思うようにしている。この食堂で食べた馬肉丼は、私にとっては好ましくない甘めの味付けではあったが、それでも微妙に美味しかった。こういう経験ができるのも良しとしておこう。
# by kienlen | 2006-07-09 23:25 | 家族と子供の話題 | Comments(0)

日本の外国人を考える講演会

手塚和彰さんの講演会に行った。この人の『外国人と法』という本は、一般向けに分かりやすくこの分野の解説をしているもので、私にとっては辞書のようなもの。付箋と下線だらけ。その人が来るというので、はるばるM市まで交通費をかけて行った。演題は「日本の外国人を考える-米国移民と中南米移民」。日本政府は人口過密の解消策として中南米移民を60年代70年代まで送り出してきたが、つい最近のドミニカ移民による訴訟でも話題になったように、ちゃんとした調査もなしに、いわば騙して送り出したことが明らかになっている。その後のバブル期に、このとんでもない国策移民の子孫である日系人を、事実上単純労働の担い手として受け入れる改正入管法の施行が90年。ここらへんの経緯や、日系人の間接雇用の労働事情、それ以前のバングラデッシュ人、パキスタン人、そしてイラン人という出稼ぎ労働者の実態等を交えて話は進んだ。フランスやドイツ、イギリスの外国人問題への言及もあり。

私としては一応かじっている分野なので、知識としては新しいものではないが、部分的には感覚的なものでしかなかった点も確認できたのが良かった。「責任の所在をはっきりさせないのが役人の第一条件」「姉妹都市提携で首長や議員が税金で行き来しているのに、隣に困った外国人がいても助けるか?」「移民、難民について今も国としての決断がない」等々、日ごろ自分が感じている疑問を、専門家が明快に指摘してくれた。最後は、共生社会とはいうけれどそう簡単ではないでしょう、という締めくくり。現場を見ている人は理想論で終わらせないことに好感をもったが、それは同時に今後困難な道が待っていることの確認でもあった。そして、今の社会状況が、大正デモクラシー期に闊達な議論があったのに、その後の暗黒時代へ突入した時と似ているという危機意識の表明。目を凝らして自分なりにできることをしていかなくてはいけない。講演はあまり期待しない方がいいと思っているが、今日のは充実した1時間半だった。
# by kienlen | 2006-07-09 22:18 | タイ人・外国人 | Comments(0)

通報されたり職務質問されたり

朝6時半に目覚ましをかけておいたが、6時前に目覚めてしまい半端なので起きて、予定より早く家を出て本日の現場へ。道路がすいていて約束の時間より1時間以上も早く到着。ここまで早いと時計の見間違いか約束時間の誤解でないとおかしいので、間違えたことにした。とにかく、早起きして長距離運転したので疲れて、帰宅して寝転んで読みかけの本を腹にのせて昼寝をしていたら電話があった。「警察です」と言う。当方の姓を確認するのだが、これが違っていて、何度も何度も間違った姓で「○さんでしょ」と言うので、当人が間違えるわけないだろうと腹がたって「だから違います!」と何度も何度も言うはめになった。本題に入ろうとしないので催促したら「青い自転車があるか」「ああ、それ息子のです」「息子さん、誰かに上げた?」「当人からは聞いてないですが、私の知らないところで誰かにやったかどうか知りません、確認しないと」「○○(夫の名)が息子さん?」「それは夫です」「ああ、ああ、息子さんは○○君ね」…。という具合で人定質問が長々。

やっと分かった用件は、駅付近で男の子に職務質問をしたらウチの息子で、乗っている自転車について聞いたら「友達からもらった」と言うが防犯登録はしてあるようだし、結論から言って問題はないのだそうだ。こういう事もあるだろうと思って、夫が、知人が不要になった自転車をもらって乗り回そうとした時に「盗難だと思われる。拾ってきても占有離脱物横領で捕まるかもよ」と、注意して登録しておいて良かった。中学生男子というのは出かければ職務質問にあうし、夫の風貌からすると、彼なんかもっと回数は多いだろう。一度は「怪しいアジア人が車の中からウチを見ていたという通報があったので調べたらお宅だった」と警察から電話もあった。その時夫は、弟の家の前で娘を待っていたのだ。警察がパトロールしてくれていて安心、通報があるとすぐに対応してくれて安心と思うか、監視社会だな、と思うか。いずれにしろ男の方が怪しまれる可能性が高いので、男の子3人とか4人とかのお宅はこういうことがひっきりなしなんだろうと思うと、ちょっと同情。しかし最初の要領を得ない時間は、多分息子の説明が意味不明だったせいだろう。しかし、自分の姓くらい間違えるな。それ以上は要求しないから、この際。
# by kienlen | 2006-07-08 16:28 | その他雑感 | Comments(0)

言論の自由が守られるべき理由に感動

こうして日記を書いていると、自分の生活には決まったパターンが少ないことに気付く。明るくならないうちに寝て午前のうちに起きるという習慣は遵守しているが、仕事はあったりなかったりで、それも在宅だったり現場だったり。自分で調整できるものものあれば、相手の言うなりの場合もある。全く働かない日が続くと安心して(内心は絶望的に不安)、暇暇と言いふらすが、突然ブッキングがだぶったりもする。一方を諦めて、ああ…残念ということも、たまーにはある。連日インドアあり、連日アウトドアもあり。で、アウトドアが続くと新聞がたまる。朝に読みそびれると、夜に読むのも間抜けな感じで翌朝に持ち越す。こうして順繰りに古新聞を読むことになる。今朝は、昨日の新聞を読んだ。で、ひとつ感動的なコラムがあった。

ダグラス・ラミスが、イランの政治哲学者が当局に逮捕されたことに対して釈放を求めつつ、言論の自由をなぜ守るべきなのか、という点を論じている。いいなあと思ったのは、人権など、よく持ち出されるが、近代の発明と言われると弱い概念を使うのではなくて、「私たちが生きるのに呼吸が欠かせないように…話すことは魂の呼吸であり…人を強制的に沈黙させることは魂を殺すことにほかならない」「言論の自由をつぶすことは社会の呼吸を破壊し、社会という生き物の息の根を止めることに他ならない」と、魂の次元で述べていること。これに説得力を感じる人とそうでない人はいると思うが、理屈より直感に頼りがちな私は前者。この人の本で『経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか』が良かった。○○しないと××になってしまう、と偏狭な道に入ってしまうと、○○でない人は排除される恐ろしい世界になる。そうならないためには、そう思い込まざるを得ないような情報ばかりでなく、他方面の情報も取り込んでいかないとならないと思うが、その意味で、読む価値のある本。古新聞の小さなコラムながら健在ぶりを知って嬉しくなった。
# by kienlen | 2006-07-07 23:13 | 読み物類 | Comments(0)

中学生達はどこへ向かうのか

ちょっと疲労感がある。支援することになったタイ人中学生がいる学校に行ったところ、近日中にタイへ帰ることになったという。在日期間7か月。当方は、日本語教育の専門家である友人からテキストを何冊も借りたりして準備を整えつつあったところ。なんでまた、である。個別事情を明かすわけにはいかないが、深く考えさせられる話が今日もたくさん出た。そして驚いたのは、中学生の人間観察の鋭さである。なかなか重層的に捉えているようだ。多様な人間関係の中で育つと、こうなるのだろうか、と感じ入った。息子と同年齢とは思えない。帰国の決定は、もちろん中学生でしかない当人がしたものではなく、親だが、そのこともいろいろな角度から検討して自分なりに消化しようと試みている様子が健気である。どの道を行くのがいいのか、誰にも分からない。また、道を自分で選べるとは限らない。一緒に給食を食べて別れた。少しばかりタイ社会の事情を知る者として、できる限りのレベルまで学校教育を受けておくように強調した。

帰宅すると息子が、夏期講習のパンフレットを見せて「ここに行きたい」と言う。しばらく前から「夏期講習に行きたい」と言い出した時は、つい「友達と遊ぶためにそんな所に行くのならやめてくれ」と文句口調になったが、さすがに今の自分の状態をいいとは思っていないようで、勉強すると、口ではいう。今の我が家の経済状態で、このような教育経費は痛い。もっとも各種酒類を私が止めれば捻出できる額であるのが微妙なところで、経済面からのみ拒否するのも少々虚偽まじり。でも高校へ行くのに、ここまでするか、という疑問もあり。でも、教育産業への貢献もいいか、とも思ったり。これからタイへ帰る中学生が、学校教育をどこまで継続できるのか、心もとない。当人に継続の希望があっても、中学だけで終了になる可能性も高い。そうなると、その後の人生をかなり予想できてしまうのが辛いところだ。番狂わせのない社会で希望をもつと自分が苦しくなるだけだ。それで刹那的になる。南国の笑顔はそのせいかもしれない。息子があの子でなくて、あの子が息子でなかったのは何の因果なのだろう。
# by kienlen | 2006-07-07 22:10 | タイ人・外国人 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


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