新聞休刊日の意見

新聞休刊日。今月から日本の新聞の定期購読をやめてしまったので影響少なし。若い時から常に最低1紙、多い時は個人で3紙とっていたのだから、右肩下がりの新聞購読者の中では優秀な方かもしれないが、遂に脱落。先月まで基本はA新聞で、その他、仕事からみとか、強化月間とかでサービスのいい営業が送り込まれてきた時などに基本にプラスしていた。地産地消にもできる限り努めているし、中央発信のもので覆われるのがいいと思っているわけではないので、実は地方紙を応援したい気持ちはある。でも、興味を惹かれる記事を発見できる頻度がどんどん下がるのだった。販売店の人に「オリジナルな地元の企画ものを面白くしてくれたら取ります」と言ってみても販売と編集は別物だし、取り合ってもらったことがない。私なんかの意見が届くわけがないことは分かっているが、しかし営業トークでいいから「例えばどんな?」とか「それには腐心しているようですが、いかんせん読者の皆さんの好みは多様で」とか「過度に大衆を意識しているとポピュリズムに陥り、新聞本来の啓発役割が果たせませんので、これが悩ましいところです」とか、その場を楽しませる術を披露してくれれば、私はその術を評価して申し込んでもいいのに、楽しませてくれる人に会えないのは、私がたまたま不運なのか新聞販売における特徴なのだろうか。

質より量という手もあるから、新聞記者をしている友人に「テレビ欄をなくして記事にしてくれるといいんだけど」と提案したことがある。テレビを見ないのでテレビ欄は飛ばすし、スポーツ欄も見ない。それに各地のイベントを取材して○○があった→参加した××さんは△△と言っていた、という記事を読まないとなると、たまにリベラルな論客の論にがんばってね、と思う程度。ちなみにテレビ欄の提案は「テレビ欄があるから新聞を取るという人が多い」とのことで考える余地なし。せめて△△に、ニタリとしたくなるようなひねったコメントでも載せてくれれば、それを目当てに取ってもいいが、なぜか、楽しかったり役に立ったり勉強になったり、ナントカの大変さが分かったりする、従順なセンスの持ち主ばかり。ちょっといじわるでユーモアのある人もイベントに参加して取材を受けていただきたいものです。
# by kienlen | 2006-04-10 17:32 | 読み物類 | Comments(0)

家族団欒

夫が経営しているタイレストランの定休日は日曜日だけなので、家族が夕食時に揃うのはこの日だけだ。とはいえ、それでも誰かが欠けることは多い。今日は、私が息子に説教していたら、説教嫌い、声を荒立てること自体が極度に嫌いな夫は夕食に加わらず、いつもの3人の食卓だった。日本では食事時の団欒は重要な家庭教育の一部であることを奨励してきたが、タイでは食べたい時に食べるという習慣が異常でもなく、これは一度クセになるとやめられない。これがいいという確信は全然ないが、かといって食事時に揃って、空腹でもないのに食べるという習慣が特に重要とも思えない。重要な話をするなら食事時より、改まった方がいいだろうし、そもそも毎日顔を合わせているのだから、食事時に話さなくても困らない。家族の中の誰かには話したいが、誰かには話したくない話題などは皆が揃うと話しにくくて、全員が何かしらそういうものを抱えていたらフラストレーションがたまるかも、とも思う。

食事時に揃わないと不便なのは、おかずが冷めたり終わったりという物理的な問題だろう。ただ、これもたいしたことではない。夫が店など始める前は、夕食は時間が許す限り彼が作ることが多かった。理由は簡単で私より美味しいから。かといって私も料理くらいはできるから、帰宅して残り物があれば食べるし、食べ尽くされていたら自分で作ればいいのみ。お互いにこれをすれば待つ、待たされるのイライラもない。待つ、待たされるを楽しみたいなら楽しめばいいし、自由度は高い。子供が小さい時は、少なくとも子供の食事作りは重要だったが、このところ楽になった。自分で食べたいものは中学生ともなるとかなり作れるし、小学生の娘も目玉焼きやパンケーキくらいは大丈夫。中学生の場合、家庭科で教わったことを家で応用するのはありがたい。私達の頃は男女共修ではなかった。料理は生きる上で基本の1つだと私は思っているので、一方の性はそれをしなくていいという育ちが学校教育で肯定されてきたことが不思議でならない。
# by kienlen | 2006-04-09 20:53 | その他雑感 | Comments(0)

バッシング

クリーニングに出そうと思ってまとめてあった冬用ジャケットの1枚を着込んで『バッシング』という映画を観に行った。1週間後に閉館となる映画館の閉館記念上映ということで、知人がチケットを売っていたので応援気分で購入したもの。イラクの人質事件の後のバッシングにヒントを得たものと聞いていたが、それ自体に興味があったわけではない。2チャンネルもテレビも観ないのでバッシングの内容を直接知っているわけではないし、私には、直接自分に危害を加える人以外の人に向かって直接言動をとるということが理解できない。自分にとって不快な状況があったら、必要上受け入れるなり我慢するか(しない結果が今なのだが)、あるいはしないでそこから引くか、というだけであって、攻撃的にはなれないタチである。ただ、攻撃的な人にとっては、こういう態度そのものが卑怯であるとして断罪するのだということを身をもって知らされたことはあるが、それもそれで自由だ。

だから特に期待はしていなかったけど、最後まで飽きなかった。最近劇場で観た邦画は『県庁の星』と『空中庭園』。県庁は面白かったが、空中庭園は何ひとつも楽しめなかった。で、バッシングも結構内向きという点では空中庭園を思い浮かべていたが、不快感はなかった。タイ人と結婚すると言ったときに親から「それだけはやめてくれ」と言われたり「世間並みに」と言われても、見えないものへの想像力が人によってことごとく違うんだなあ、という寂しさ意外に感じられなかったことなどを思い出し、感情移入も可能だった。上映後の監督のトークには同時代性みたいなものも感じた。ビールを飲むシーンがあったり、監督トークも酔いどれ気味で帰路にビールとつまみを調達。飲んだ後に書いている。
# by kienlen | 2006-04-08 21:21 | 映画類 | Comments(2)

風の前奏曲

怠惰な日々だ。子供達がパンを食べて自分で出て行くのをいいことに、遅くまでベッドの中にいる。今までは、過程はどうでも結果という仕事を請け負っていたので、自分の中に、やる時はやるんだし…、という気持ちがあって、朝寝の内心の言い訳にもなっていたのだが、今は外仕事も内仕事もろくにしてないのにこれだ。タイ料理の店をやっている夫が洗濯機を回して、出掛けに「干すのはやってくれ」と言って出て行った。はい。気持ちを切り替えようと思ってバドミントンの練習に行き、夜はタイ映画『風の前奏曲』を観にいった。ナイトショーで1週間だけの上映で今夜が最終日。タイ映画はこの地方都市で上映されないし、ほとんど観たことがないし、予告を観た限りでも自分の好みそうでもなくて期待していなかったが、結構感動してしまった。なぜだろう。

タイが好きで行ったのでも暮らしたのでもなく、偶然の積み重ねだったのだし、まさかタイ人と家族をもつとは考えていなかった。だから特にタイに愛着があるわけではないが、とはいえ30代の大半を過ごしたのだから影響は大きい。それが今日の映画の感動にもそのまま反映しているようだ。お話は複雑ではなくて、木琴のようなタイ伝統楽器、ラナート奏者の子供時代から死までを描いている。このところ劇場で観た映画というと『シリアナ』『ミュンヘン』、少し前の『ロードオブウオー』といい、背景が単純でないものだっただけに、これはなごむ映画だった。近代化政策のために伝統文化を統制する話や戦争もあるが、そういうことよりも、見事な演奏が見物だった。出演者もいかにもタイ人という風貌。隅々までタイ理解のキーワードのひとつともいえる「ナームジャイ(寛容な心)」が感じられて素朴になつかしい。子供達を連れて行きたかったが、部活疲れで断られた。無理しても連れて行けばよかったとまで思ってしまった。明日から飲みすぎず寝すぎず、居住まいを正そうかと思う。
# by kienlen | 2006-04-07 22:53 | タイの事と料理 | Comments(0)

司会の怪

ただでさえ多い学校からの配布物が4月は特に多い。息子は家庭訪問の日程など、重要なものしか渡さないので知らなかったが、娘の方はまじめに運んでくる。今日も6枚。PTA会長名のものがそのうち2枚で、PTA総会のお知らせと、先生の歓送迎会の案内。昨年は学級会長と学年会長という役員になっていたので、さっそく学校へ行く用事が生じていたことになる。それで思い出したことがある。私は知らないことは体験してみたいタチなので、PTA事情について何も知らない頃に、好奇心から総会に出席したことがある。そしたら、司会も発表者も棒読み風で、配布された資料通りに進んだだけでライブのスリルもハプニングも皆無だったので以後行かなくなった。

昨年の役員をやっていた時のこと。「次の会議は4年の会長さんに司会をしていただきます」という連絡がきたので「司会をするなら把握していなければいけないことが相当あるだろうから、綿密な打ち合わせが必要だろう。それにしても自分はPTAについても会議についても無知だが…」とドキッとして尋ねたら「原稿があるから大丈夫」ということ。いや、進行のためのマニュアルがあったとしても内容把握は必要だろう、なんて杞憂は不要であった。「不慣れな司会ではございますが」という前ふりから始まって「5秒あける」とか、とにかく完全棒読み用原稿完備である。司会を職業にしている人が役員になった場合も「不慣れな…」と、学校で白昼堂々とウソをつく仕組みである。もっとも、毎年人が交代するたびに打ち合わせでは手間隙かかって面倒なので合理的な仕組みともいえる。となると、さらに1歩進めてライブはやめて録音にするとか、PTAロボットでも開発する方が少ない人数で済んで、読み間違いも防げていいのではないだろうか。
# by kienlen | 2006-04-06 22:39 | PTA・学校 | Comments(2)

言葉を忘れた1か月

1日中雨模様だった。日曜日から連日、朝出て缶詰めで仕事して夜に帰るという会社員並の生活も今日でおしまい。仕事先付近の食堂でお昼を食べていたら、和服姿の女性がスーツ姿の小さな子を連れて入ってきた。多くの学校で入学式で、そういえばウチの子達もそれぞれ進級して、5年生と中学3年になった。私が入学式に参列したのは中3になった息子の方で、娘の方は失業中だった夫だけ行った。集合写真があるが、娘の顔があまりに黒いので笑える。もともと日本人に混じったら浅黒い方ではあるが、そんな程度ではなくズバ抜けている。というのは、入学式の2か月前まで彼女はタイに居たからだ。最初の会社をクビになった夫は町工場に職を得たが、何度病院に行っても原因不明の痛みに襲われて眠れなくなり、私の提案でしばらくタイへ戻ることにし、同じく私の提案で娘も連れて行ってもらった。保育園児を抱えていては諸々面倒なのと保育料もかかるのと、ゼロ歳で来日した娘をしばらくタイ語の環境におきたいという親心からだ。

タイ古式マッサージで夫の背中の痛みがすっかり消えたこともあって、2人は意外に早く、3か月程で帰って来た。たったこれだけの期間なのに娘は日本語を忘れていた。いいチャンスである。私と夫の間はタイ語だし、いっそ家庭内言語をタイ語に統一したらいいと思ったのだ。しかし他人が関係する物事は思うようには運ばない。娘は父親とはタイ語で会話するが、私や兄には沈黙し、態度もなんとなくよそよそしい。父娘癒着母娘乖離とでもいおうか。それに就学前から詰め込み教育のバンコクのナーサリーに行っていたものだから、机に向かって文字なんか書いている。でも来日した時もいきなり保育園に入れたように、再来日した時もまたすぐに保育園に戻すと、じきに元通りの日本語になり元通りの日常になった。でも、ずっと後になって保育園の先生が「あの時、○ちゃん、1か月間全く話さなかったんですよ」と教えてくれた。家ではフツウだったのでびっくりして、そういえばちょこっと勉強したことがある言葉を思い出して「緘黙児ってヤツですか?」と聞いてみたら「それとは違うんですよね、だからお母さんにも言わなかったんですけど」と言われた。娘自身も説明できず、今も謎の一件になっている。
# by kienlen | 2006-04-05 21:18 | 家族と子供の話題 | Comments(0)

アンケートの回答

運転中のラジオから流れてきたのでメモも取れず正確ではないが、おおざっぱには次のような内容のニュースが聴こえた。県内の製造業200何社からのアンケートの回答によると、景気が上向いていると感じている所が多い(確か割合を伝えていた)ということ。だから見通しが明るいというような分析もくっついていたように思う。こういうニュースを聴いて興味を感じるのは、こういうアンケートに回答を寄せる企業ってどういう企業なんだろう、ということだ。ほんの短いニュースでそこまでは教えてくれない。親会社が海外に工場を移転して、跡取りはいないし自分の代で止めようか迷っている社長は記入するだろうか。調査用紙よりも札束調達問題に奔走する社長はどうだろう。いや、そもそもそのような類の会社は調査対象に入っていないかもしれない。母集団が不明なので想像しにくい。

アンケートに答えるにはかなり高度な思い切りが要求される。私の場合は、職業分類でまず軽い挫折感。どこに相当するのだろう。仕事も収入も毎年変動するし、主なる家計維持者も特定できず変化する。それに例えば「○○は○○であるべき、という考えがありますが、この考えについてあなたはどう思いますか?」というような質問項目があったとすると、問いの内容はともかくとして、「べき」という考え方を支持できないので、それを基準にした回答もしたくない。まじめに考えると答えにくい質問というのはよくある。でも、ふまじめに答えるのは気がひける。だって結果が政策にも反映されたりもするのだから。それで、迷って迷って回答の時期を逸したりする。で、もしや私のように決断力のない人間が回答しないで、思い切りのいい人だけが回答していたとしたら、結果にも影響を及ぼすに違いない。
# by kienlen | 2006-04-05 00:32 | その他雑感 | Comments(2)

10年の変化

日本に来て私はちょうど10年。今日会ったタイ人女性Pは9年。思い出話が重なる。来日時期は、この地での冬季オリンピック開催の準備が追い込みの最中で、関連施設や新幹線や道路などの建設ラッシュだった。バンコクの日系企業を辞めて来日した夫は、たくさんいるタイ人達とすぐに知り合い、仕事の情報を得て建築現場作業員になった。ほとんど全員が不法滞在者という中でビザがあるので正規雇用。でも一時的な建築ブームはすぐに終わり、日本人社員に先駆けて電話1本でクビになっていた。その頃、Pは「人身売買」ルートに乗って来日した。お決まりのお仕事で稼いで短期間で400万円の通称「借金」を通称「返済」。自由の身になってさらに稼ぐのだが、多くのタイ人がそうであるように父親に捨てられた子供を残して来たわけではないので、働かない男と暮らしたりで浪費しつつ、タイ人男性との間に子供ができてしまって、無保険の出産費用等で病院には本物の借金という、1つの典型的なコースをたどる。

バブル期に日本にいなかった私も、当地で遅れてきたバブルを味わっていた。あちこちにタイ人がグループで暮らしているので、いつもどこかで各種パーティー気分。誕生日、入管に出頭した後のサヨウナラ記念、転居、諸々。ビザがないだけでは警察は逮捕しないという共通認識なのか希望的思い込みなのか表面的にはのびのびしていた。仕事もまだあった。その後、取り締まりが目に見えて厳しくなり、仕事も減っていく。それでも帰国の決心はつきにくい。それは分かる。外国といったって5年も10年も継続して居続けたら生活の場になってしまうし、いくら職がないといってもニッチで得られる小遣いでも、タイでの安賃金よりはマシ。異国で出会うタイ人同士、問題もあるが助け合いもある。「帰国」という響きは、一波乱の後で元の鞘に収まるような、ある種の安定感を包含しているように感じるが、彼らが立っていた場所は長期不在という影に埋め尽くされていると想像する方が容易だ。さらにPにはHIV感染という重たいお土産付きなのだった。
# by kienlen | 2006-04-03 22:15 | タイ人・外国人 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


by kienlen
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