親に反抗するの中身を知りたい

子供達が出かけるまでは目覚めていても起きないようにしている。前日の夕食後、子供だけで何か食べたものが放置されていたり、うるさいテレビがついていたりすると、それだけで気分が悪い。それで、気分を害するものは見ないことに決めた。誰かと一緒に暮らすということは、見たくないものを見て、聞きたくないことを聞く、ということ。だから、これからそういう生活に入る可能性のある人には、お節介ながら「とにかくじゃまにならない人がいいと思うよ」と言っている。人にだけ求めるのは卑怯なので、自分もそういう存在でありたいと思い、朝起きないのも、そのための努力のひとつ。すると、用事があれば子供の方から来る。今朝は娘が「おなかが痛い」と来た。ランドセルをしょって、すっかり準備した上なので、深刻そうに見えない。顔色良好。「おなかくらい痛くなる時もあるよ」と言うと「カビのはえたパン食べた」と言う。これはマズイなあ。すぐに気付いたのでちょっとらしいが、添加物の極力少ないものを買っているのに、2日も冷蔵庫の外にあったから心配はしていたのだ。「大丈夫だよ」と言ったら、そのまま登校して行った。

昨日、某行政機関での用事を済ませたところで、そこで働く知人に声をかけられた。一通りの挨拶の後、「私、子育てで悩んでいるの」と言う。その言い方が、語学教本の定型文のようでおかしかったが、笑う雰囲気ではない。すれ違えば挨拶言葉を交わす程度の人に、そう切り出すということは相当深刻なんだろう。第一、表情がすごく深刻。「そんなに小さかったっけ?」と聞いたら小学3年と6年とのこと。自分の経験では、一番平和かも、と感じた年齢だ。男女構成はウチと同じ。優しい兄と気の強い妹。娘が何かにつけて反抗的なのが困るという。反抗的って何だろうと聞くと、親の言うことを聞かない、ということ。具体的な話をする場ではなかったので、気晴らしにまた飲もうよ、と言って帰った。しかし反抗が気になる。というのは、私はそういう悩みはもったことがない、あくまで今のところ。ただ、こういう基準は人によって違うものだ。念のため娘に「ママって子供に何か頼まないよね」と確認してみた。すると「頼むよー。電気釜のスイッチを保温にして、とか、洗濯物たたんで、とか。この間ちゃんとたたんだよー」と言っている。しかし、言われた通りにたたむのは数回に1回もないだろ。スイッチを入れるのなんか何の手間でもないだろ。水くみもない、汲み取りも畑仕事もなく、家事もろくにない。何を彼女の娘さんは健気に反抗しているのか興味がある。聞いてみたいから近々誘ってみよう。
# by kienlen | 2006-06-29 09:18 | 家族と子供の話題 | Comments(0)

好きな2人が紙上に現われた

いつも行く書店のいつも最初に行くのは、いわゆる論壇誌や裏論壇(?)誌が並んでいるコーナーなのだが、そこで見る限り、思想の傾向を問わず佐藤優一色なのに驚いていたら、今日の新聞の杉田敦(『デモクラシーの論じ方』はすごく面白い)の論壇時評に、「…論壇を『占拠』した感さえある佐藤優だが…」とあった。で、最初に取り上げているのが雑誌『情況』の「国家という妖怪」という佐藤優の対談。佐藤優の一ファンとして、目玉商品のように表紙や背表紙に登場している雑誌群の中から、どれを選ぶかで迷った末に、この『情況』を購入して、昨日対談を読み終えたばかりだった。読み始めてからかなりの日数を要した。なぜか誤植が目立つ細かい字で二段組。活字大型化時代にあって、これはマゾかマジかと判断に迷うくらいだ。

この人の博学についていけるはずはないが、自分にとって理解しやすいところとしては、国家は暴力装置として危険だが、個人にとっても必要である、という明快な表現。ナショナリズム論が盛んだし、グローバリゼーションの中ですでに国家の時代ではない、とか、逆に、だからこそ国家が強くなるとされたり、国家の暴力的側面だけが取り上げられるのも、国家の温情的な側面ばかり取り上げられるのも、なんだか違うよな、と思っている自分にとっては、胸に落ちる線がここかな、って感じだ。後は、官僚が身についているという立場を明言した上で、多面的に語ってくれる点も分かりやすくてありがたい。『自壊する帝国』に手がつけられないでいたが、近いうちに読み始めようと思っている。
# by kienlen | 2006-06-28 23:11 | 読み物類 | Comments(0)

早速シネコンの会員になった

水曜日は新しいシネコンの女性優待日で1000円。それで『グッドナイト&グッドラック』というのを観に行った。ついでに会員になった。会費300円で常時1400円で鑑賞可。毎回10%のポイントが加算されて1000ポイントで1回無料ということなので、多分じきに無料鑑賞にありつけるでしょう。とはいえ、無料が待っていなくても、一律1000円だったらもっと行くのだが。この映画は、1950年代にアメリカで吹き荒れた赤狩りで、報道機関も圧力を恐れて自主規制する中、赤狩りを推進するマッカーシー議員に果敢に立ち向かったジャーナリストを描くもの、との自分なりの解釈があって、このテーマに興味があって行ったもの。昨夜、映画好きの知人と話していて、すでに観に行ったというから、感想を聞いたら「観る前の人に話すのは控える」との反応だったので、なんとなく、期待しない方がいいかなという感触を得ていた。私は観る前の人にも感想を話してしまう方だ。あくまで自分の感想であって、それ以上の何モノでもないから。

それで、この映画。好きか嫌いかと問われたら、迷わず「嫌い」と答えてしまうだろう。こんな問いに意味があるとは全く思わないけど。テーマとしてジャーナリズムの何たるかを考えるのは、ひじょうに興味がある。巨大企業の内部告発者とジャーナリストの葛藤に終始感動が絶えなかった『インサイダー』、最近では『ニュースの天才』も面白かった。なんで今日のがつまらなかったのかと考えると、考える前に、なんだか自己陶酔の匂いを強烈に感じてしまって辟易という感じ。当時の世相を知らないので、あれが正直な描写なのかもしれない。とはいえ、ああ、疲れた。なんで、顔のアップばかりなのか分からないし、心に響くものが何もなかった。抑えが効いているわけでもなく、開放感もないという半端さにイライラし通しだった。行間にあふれ出るほどの深い意味がないのに、広い行間だけは取ってみました、みたいな感じ。映画に関しては素人の感想でしかないので、ネットで検索してみたが、たくさんヒットしてたくさん読むのは面倒。でも、読んだ限りでは評価が高い。うーん、分からない…。そういえばこの間同じ監督の『コンフェッション』をDVDで観た時も、喜劇でもなくシリアスでもなく、人間不在の不全感という不思議な感覚を得たが、今日のも印象は同じだった。印象の方が強くて内容を考える気力なし。芸術作品とするなら、露骨に社会性を帯びたテーマを扱う必要がどこにあるのだろうかとも、思った。自分の凡庸さを感じたってことかも。
# by kienlen | 2006-06-28 22:26 | 映画類 | Comments(2)

弟の同級生と久方ぶりに出くわした

日付は変わったが、自分としては火曜日の続き。火曜日の夜は、夫がやっている店の店番を私が担当する日だ。決めるまでに時間はかかるが、一旦決めたからにはそれを通したいので、自分の仕事の状況によっては休みたい日も必ず火曜日は店に行く。今日(=昨日)は朝から遠出をして夕方戻ったが、帰宅までしている時間はないので、市役所の駐車場に車を止めて、店に直行することにした。ついでに市役所のトイレを使って出てきたところで、見覚えのある男性と出くわした。「お久しぶりです!」と、どちらともなく挨拶。いやはや、10年ぶりくらい。「日本に居るんですか?」と聞かれたので「もう10年もいますよ」と答える。「へえ、○君、何も言ってなかったから、タイかと思いました」。○君とは、私の弟であり、出くわした男性は、彼の同級生。すっかり寂れた中心市街地で小さな書店を営んでいる。以前は、例えばタイ語の辞書とか、高価で書店に置いてないようなものは、どうせ注文するなら知り合いでと思って、たまに注文していたが、今はすっかりアマゾン頼りだ。

老舗の書店も閉店しているくらいだし、「大変でしょ」と聞くと、「そうですが、大きくしようと思わずお得意さんとやっていればなんとか」ということ。今日も市役所への配達の途中。1人息子の彼が、亡くなった父親の後を継ぎ、かなり高齢になった母親と共に営業を続けている。40代も後半に差し掛かっているが、相変わらず独身とのこと。「最近はネット注文が多くて」と言うと「分かりますよ、速いから」と言われた。テナントが軒並み撤退したビルでがんばっている。夫の小さな店も、大量仕入れでコスト削減して広告で席捲するフランテャイズの食べ物屋と同じ手法ではやっていけないが、お得意さんに支えられているのは同じ。それにしても、たまたま図書券が手に入ると「使い道ないからやるぞ」というくらいの、全く読書と無縁の弟が、なぜ書店に行くのか。「お子さんの本を買いに」だそうだ。ほんの小さな支え合いがなくならない限り、なんとかなると信じたい。
# by kienlen | 2006-06-28 01:28 | 地域 | Comments(0)

買うかどうかでずっと迷っているモノ

ずっと迷っていることがある。コーヒーメーカーを買うかどうか。忙しい時でもコーヒーを淹れるのを億劫だと感じたことはないどころか、楽しみだし、我が家でコーヒー好きは私だけだから小さいフィルターで1人分だけ作ればいい。たまに夫に「飲む?」と聞いても断られる。ただし来客は少なくない。たいていはコーヒー好きで、その都度淹れる。たいした手間ではないが、コーヒーメーカーへのあこがれ、みたいなものもある。最近、どうも各種手間を惜しむようになってきた自分を感じている。豆をミルで挽いていたのに、ここんところずっと粉を買っているのもその代表例。で、今日のように6時半に車で出て2時間以上走る日は、考えてしまう。コーヒーメーカーがあれば、タイマーを設定してもいいし、そうでなくても着替えている間にコーヒーができている、なんて素晴らしい!と。で、ポットに移し変えなくたって、そのまま保温できるものもあるではないか。

歳のせいかなんなのか、量より質で、マズイものを食べたくも飲みたくもなくなってきている。もともと缶コーヒーは受け付けないし、コニビニ弁当もダメ。となると、店が開いていない時間帯に走る時は自分で飲み食い物を用意しないとならない。でも、そんなことが必要な日はそう頻繁じゃないから、そのためにコーヒーメーカーを買っても、増やしたくないモノが増えるだけで躊躇していた、のが、仕事があった3月まで。当時はお金の問題ではなかった。その後、実のところ、欲求のレベルは高まっているのだが、高いよな、と感じてしまう。通販生活のカタログを見ながら迷っている。同居人にコーヒー好きがいたらとっくに決断していると思うけど。
# by kienlen | 2006-06-27 06:00 | その他雑感 | Comments(0)

そういえばタイ語で「当番」は?

映画を観た後に夫の店に行った。常連の日本人とタイ人女性カップルがジョニ黒を飲んでいて、母親がタイ人という若い女性がいて、その横では、娘同士が同学年同クラスのタイ人の母親がビールを飲んでいた。ランチタイムなのにカウンターには酒類がたくさん並んでいる。つられて私もビールを飲み、つまみにぴったりの極辛のヤム・パカチェを頼んだ。唐辛子がゴロゴロ入っていて汗と元気がでた。日本人の夫との間に3人の子がいて全員、娘と同じ小学校在学中で、その内の1人はずっと娘と同クラスのKさんとは、昨年のPTA役員が一緒だった。私が学級会長で彼女が副。「仕事は休み?」と聞いたら「こんな天気の時は休み」と言う。いまにも降りそうな空模様。建築現場の仕事をしているのを「恥ずかしい」と言って、周囲から「何が恥ずかしいんだ」と言われていた。

小学3年の息子が少年野球を始めたということで、「月に1回、お茶当番がある」「この間は、練習の後にバーベキュー大会があって、タイ風のタレを作って持っていったら、子供達が喜んで食べた」などと話している。会話の中で「トーバン」だけ日本語を使った。考えてみたら私は「当番」というタイ語を知らないではないか。日本では生活の中でよく使うのに、タイでは気付かぬうちにきた、という単語としては「反省」というのもあるが、当番も、外国人が日本にいたら比較的初期に覚えるべき単語と思われる。学校だけでなく、職場によっては掃除当番があるし。ある意味、平等を象徴する言葉といえるのかもしれない。身分に関係なく順繰りに回るのだから。タイの職場では社員の間の掃除当番は聞かない。掃除は学歴がない人の職で、身分制度はないにしても暗黙のうちの壁があり賃金格差も大きい。Kさんが建築現場の仕事を恥ずかしいと言ったのも、タイでは技能とか技術職というよりは、低学歴者の職だから、という含意があってのことだろう。バンコクでタクシーに乗った時に運転手が建築作業現場を指差して「ちゃんと勉強しないとああなるぞ」とまだ小さかった息子に話しかけていたことが忘れられない。日本もそういう方向に向かっているのが気になる。
# by kienlen | 2006-06-26 18:53 | 言葉 | Comments(0)

オープン記念のニューシネマパラダイス

土曜日に開館したシネコンのオープン記念企画として、今週だけ1日1回だけ『ニューシネマパラダイス』が上映される。明日も明後日も時間が取れないので、今日観に行った。豪華なシネコンを見学したかったのと、500円だからというのと、名前とか評判はちょっとは耳に入っていてもビデオを借りて観ようという気にならなかった作品なので、いいチャンスかと思った。私はマニアックな映画ファンではないし、監督も俳優にも脚本家にも映像技術にもてんで詳しくないので、この映画にはついていけないだろうと思っていた。実際には、そういう類のものではなかった。映画に限らないが、それでも特に映画は背景説明がしにくいから、その国の事情をある程度知らないと理解しにくい。これも、内容が難しいというわけではないが、実はかなり退屈してしまった。

舞台はイタリア。イタリアの家族関係、田舎の村のコミュニティ、教会の役割、南と北の格差などを実感したり、知識があると、理解は深まって楽しめると思う。小さい時から映画を観て、映画に影響されながら大きくなった、という人にはきっと、イタリアの側面を除いても感動モノなんだと思うが、私は残念ながら、どっちでもない。イタリアは知らないし、育った田舎に映画館はなかったし。半ばで長々描かれる恋愛場面には辟易で、全体的に、好きといえる要素はほとんどなかったのだが、泣いたシーンは3箇所くらいはあったと思う。それは、感情にストレートに働きかける種類のもので、こういうのを普遍的な人間愛とでも呼ぶのかな、と思ったりもしたが、どうも、そういう場面というのは泣けつつも「わかっているから、もっと遠まわしにしてくれ」と思ってしまったりする。理性を経由しないというか、なんというか、美学の問題かもしれない。つまり私は人情モノとか、演歌が苦手ってことで、この映画も自分的にはそこへの分類で納まってしまう感じがした。
# by kienlen | 2006-06-26 15:18 | 映画類 | Comments(0)

カノム・チーンのお味はいかに

昨夜は、年に2日あるかどうかのノンアルコールの日だった。そのせいかどうか、今朝の目覚めは快適で、朝食を摂る気分になってキッチンに行ったら、朝方帰宅したらしい夫がソファに寝ていた。寝ぼけ半分で「カノム・チーンがある」と言うので見たらテーブルの上にビニール袋に入った汁物があった。ビニール袋に食べ物を入れて膨らませてゴムで縛ってのお持ち帰りは、バンコクでの日常茶飯事。少なくとも表向きは、母親の手作りが家庭円満の元なんて強調される感じはなかったが、あまりに料理をしなくなったことを嘆いてか「プラスチック・マザー」と言う言葉が流布したことはあった。つまり、ビニール袋(=プラスチック袋)に惣菜を入れてテイクアウトするマザーのこと。出来合いのお惣菜といったって、バンコクではその場で好みに作ってくれる店も多いし、キッチンと料理人が路上に出ていると思えば、そんなに不思議じゃないどころか、職がない人の貴重な自営手段にもなっているので、皆が手作りしたら失業者がもっと増えるだろう。

カノム・チーンを直訳すると「中国のお菓子」という意味で、中国からの渡来品かもしれないが、ソーメンそっくりの米の麺に生のモヤシやハーブ類や高菜漬けみたいなものや菜っ葉等好みでいろいろのせて、汁をかけて混ぜて食べるもの。市場付近の露店にはまずある。麺の形状から、末永くの意味でお祝い事の時にも食べるようで、タイ人のパーティーに行くと出されることが多い。その汁で私が一番好きなのは、「ガチャイ」という、ショウガを柔らかくしたような風味の根っこを大量につぶして、魚をつぶして辛く味付けしたものだ。「ナーム・ヤー」と呼ぶが、直訳すると「薬の水」。確かにそんな味。温めていたら夫が、息子にもやればいい、と言う。「そんなに辛くないから」と。ソーメンがないからソバを茹でてありあわせの野菜を乗せて、ちょうど遊びに来た友人と食べたら、すごく辛かった。こんなものを中学生が食べられると発想するあたりがすごい。好奇心旺盛でタイ料理も好きな息子が「味みる」と言うので、ほんの少しだけかけてやったら、一口で叫び声を挙げてトイレに走って行った。
# by kienlen | 2006-06-25 21:04 | タイの事と料理 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


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