アクと泡は同じなのか

7時になっても子供達が起きないので呼んだ。いつも朝は夫が子らを送り出すのだが、昨夜は息子とサッカーを見ていたらしいから寝坊しているのかもしれない。昨夜から煮ていたイチゴにまた火を入れることにする。いつもこの時期は娘が祖父母の家にイチゴ採りに行き、祖父の手作りジャムを持ち帰るのだが、今年はタイミングが合わず、昨日、祖父が摘んだイチゴを持参してくれた。少し生食して、ジャムにした。娘はいつも祖父とやっているので慣れたものだ。キッチンに様子を見に行くと、鍋の前に立って、慎重にアクをすくっている。「よく知っているね」と言ったら「だって、いつもじいちゃんがやっているもん」と言っている。いい香りがして、味見すると清々しい美味しさ。これなら娘がいつも「温かいジャムがすごく美味しいんだよ」と言う訳が分かる。

アクをすくうのを見て、そういえばタイ語でアクは何て言うのかな、と思って、辞書をチェックする前に、そこに居た夫に聞いた。「フォーン」とひと言。これって泡の意味じゃないか?タイ語については拍子抜けすることが多いが、反対に、合理的だとも思う。アクとアワって何が違うのだろう。いや、言葉というのは、これをこう呼ぶ、という決まりなのだから、物質が異なるか同じかで考えるものではないのかな。アクとアワと名前を変える必要はないようにも思うし、かといって「イチゴのアワをすくう」というのもしっくりこないが、外国人がこう言ったとしたら、私にとっては許容範囲内。例えばタイ語だったらお湯=熱い水だから、水+熱い=お湯、の式が成り立ち、覚える単語は2個でいいのに、日本語だと並列に3個覚えないといけない。水+目=涙。もっとも日本語の場合は漢字があるからイメージしやすいらしく、タイ語をすっかり忘れている子供達は知らないタイ語の単語を聞くと「それ、漢字でどう書くの?」と言ったりする。頭が日本語に1本化しているらしい。
# by kienlen | 2006-06-05 08:42 | 言葉 | Comments(0)
友人の建築士と、ちょっとした打ち合わせを兼ねて食事した。ありふれたものではなくて、自分の考え方がよく伝わる経歴書を書いてくれというご注文。長い付き合いなので考え方というのはだいたい分かっているから、ほとんどは雑談。すると彼が、隈研吾がいいと言った。この人は私も面白いなあと思っていた建築家。何年か前に上野千鶴子の建築家達との対談集『家族をいれるハコ』を読んでいたら、隈研吾が群を抜いて面白くて、興味をもって文庫の『10宅論』というのを読んだら、これがまた面白い。面白いばかり繰り返して芸がないが、面白い、というのは自分にとっては最も重要な概念だから、最高の褒め言葉。日本人の住宅を10種類に分類して、そこに住む10種類の人々と共に解説、批評している。「清里ペンション派」とか「カフェバー派」とか、分類用語が古いのはオリジナル版の発行が86年だからで、バブリーな頃が思い出される。

で、自分はどこに分類されるかを考えるのが楽しい。居住者プロフィール表の一番目の項目が「イデオロギー」である。「ロマンチシズム」とか「即物主義」は当たらないような気がする。「反ブルジョア的ディレッタンティズム」は、案外近いかも。本文を参照するといきなり「建築家に自分の家の設計を頼む人」とある。当たっている。が、残念なことに理由は違う。ここでは作風ではなく「ブランドとして」というのがポイントになっているが、私の場合は自分の要望をちゃんと形にして欲しいからで、名前などどうでもいいし作家よりは職人的建築家を選びたい。となるとイデオロギーは「合理的」になるのかな、となるとハビタ派である。となると、居住形態は中古の分譲マンションを購入して改装かあ、違うなあ…、壁の仕上げがビニールクロスはあんまりだ…。というわけで、ぴったりするところはないのだが専門家でなくても読める建築論としては傑作。周囲を見渡すと「住宅展示場派」が多いように感じる。イデオロギーは折衷主義、集団を規定するメディアが婦人雑誌のインテリア記事とおもてなし記事。なるほど、ありそう。この人には21世紀版の10宅論をぜひ著してもらいたい。
# by kienlen | 2006-06-04 19:41 | 読み物類 | Comments(1)
夫の店の店番は予想通り暇だった。「ミヤ(妻) フィリピン」と怪しげなタイ語を使い、「ほら、かわいいでしょ、アムロに似てない?」と携帯に入ったインドネシア女性の写真を、お願いもしていないのに見せてくれる日本人男性がパッタイを食べたのみ。売り上げ高700円。暇なのでテレビを見ていたら、希望する女性がモデルになってダイエット(希望部分を細くする)競争するという番組をやっていた。家では全くテレビを見ないのでこういうのが人気なのかどうか知らないが、珍しいから見ていた。すると、1人のトレーナーは、タイの仙人の動作とムエタイ(タイボクシング)とタイ料理でダイエットメニューを組んでいた。唐辛子を大量摂取する私の好みは、どうやらここでいうダイエット食らしい。番組ではその代表として、ソムタムが紹介された。青パパイヤを削って酸っぱく辛く合えるもの。私の大好物でもある。へー、これが紹介されるとはね、と思って見ていたら、パクチー(コリアンダー)も入れるという。何を入れようが好みだが、私の知る限りパクチーをソムタムに入れるのは聞いたことがない。夫に聞いたら「あり得ない」。この料理は、夫の故郷である東北地方の郷土料理で、彼にとっては最も親しんでいるもののひとつだ。

外国の料理が飛躍的に応用されるのはどこでも起こっているからいいのだが、面白いと思うのは、日本ではパクチーがタイ料理の象徴のようになっていることだ。店にいると「パクチーが好きだからたくさん入れて」と、通常はパクチーの入らない料理を注文して言うお客さんもいるし「パクチーが食べられない」と表明する人もいる。それが暗示するのは「だからタイ料理は食べられない」ということ。パクチーは根っこをヤム(和え物)のソースに使ったりトムヤムに入れたり、もちろん葉もよく使うが、かといって何にでも入れるというわけではない。だから嫌いでも恐れることはないし嫌なら「パクチーは入れないで」と言えばいいのだ。タイ料理の注文方法で日本の人にとって分かりにくいのは、あれは入れるな、これを入れろ、と、とにかく我儘がきく、というよりは自分の好みを伝えることからスタートするということである。これに慣れると、タイ料理でない店のお決まりのメニューが不思議に思える。夫の店ではタイスタイルそのままで「好みを言って下さい」「メニューにないものも作りますよ」としている。慣れている人は当然の反応。でも、そうでない人には、そもそも何を言っているのかも分からない。それで、ここは日本だったっけ、と気付く。
# by kienlen | 2006-06-03 21:48 | タイの事と料理 | Comments(2)
また週末。数日前から娘が「今週の土曜日は仕事?」と毎日しつこく聞いてくる。質問の理由を聞いたら「プールに行きたい」と言う。そろそろ学校のプール開きが近づいている。こういう時は、私は仕事ってことで通してきた。まんざら嘘でもない。かといってそのくらいの時間が取れないというほどのことはない。でも、種類の違うことをすると仕事モードに戻るのに時間のかかるのが嫌なのだ。今回もそうすることにして「ママが店番するからパパと行って」で送り出す。プールよりは店を選んでみる。店は日曜日しか休まないので、どっちかが行かねばならない。タイ料理のことなら何でも聞いて下さい、日本語でもタイ語でも英語でもいいですよ、が方針というか売り物なので簡単にアルバイトを見つけるというわけにもいかない。

娘はゼロ歳で入った保育園の時から先生に頑固だと言われていた。人なつこくないし、気に入らないことはしないし、運動会の種目も小さい頃は拒否していた。こういう子を見て「一体誰に似たんだろう」とはならない我が家であるが、そのうちに社会化されて周囲に同調するようになったから教育の力は大きい。保育園に行くのを嫌がることはしょっちゅうで、着替えさせようと思うと脱ぐところまではやるが、暴れまくってどうしても着る方をしない。しょうがなくて、大泣きする赤ん坊を真っ裸のまま抱いて連れて行って、近所の人が何事かと飛び出してきたことも何度かある。当時の近所は高齢者ばかりで寛容なので、笑われるだけで済んだのは幸いだった。小学校に入ると、愚図る子を裸で連れて行くというわけにもいかないので、行かないと言い出したらどう対処しようかと考えたこともあったが今に至っている。ただ、3年の時にこういう娘らしいエピソードがあった。夏の終わりの頃だが、担任から電話があり「あの、○さん、プールに全然入らないんですが」と言う。「えー、で何しているんですか」と聞くと「はあ、草取りしてますね」。草取りが得意になるのはいいが、泳げないのはマズイ。洪水の時とかボート転覆の時とかにも。それにしてもどういう言い訳をしているのかと思ったら「引越しで水着がなくなったから入れない、と言ってます」。自分だけ泳げないという事態からこうして目をそむけてきたらしい。で、今になって泳げるようになりたくなったらしい。「3年の時にちゃんとやっていれば今頃は泳げたのに」と言うと、すごく嫌な顔をして睨みつける。中学くらいになったら息子より手をやくかも。高齢出産の子だから、体力がもたないぞ。
# by kienlen | 2006-06-03 11:14 | 家族と子供の話題 | Comments(0)

少子化の話と年金制度

夕方「赤川先生がラジオに出ている」という連絡が友人からあった。それでNHKラジオをつけてみると、どうやら少子化特集をしているらしいが、すでに終了間近。赤川先生とは『子どもが減って何が悪いか!』という傑作の著者の赤川学先生。ちょうどS大学にいたので著書に関する講演も聞きに行ったことがあるが、今日のラジオの紹介によると東大の大学院に頭脳流出したようだ。番組では、リスナーからの意見を求めて、赤川さんがコメント、という進行だったらしく、その片鱗は聴くことができた。赤川さんによると、少子化問題=年金問題であり、これは世代間の配分の問題とせず、個人がかけた分を受け取る制度に改めれば何も問題ないでしょ、ということ。アナウンサーが、それも難しいことで…みたいに言いよどんでいたら、難しくない、と断言していた。若い世代が減るのだから、個人単位にしないと制度が崩壊するのは普通に考えれば分かる。掛け金を増額し続けたら払わない人はますます増えるだろう。世代間の支え合いなんてキャッチフレーズはやめて、君達に支えて欲しい年金制度、とした方が実態としては正直ではないだろうか。

ウチは2人で個人事業なので2人とも国民年金であるが、この負担は大きい。以前夫がタイにしばらく帰国することにした時、市役所にその間の免除申請に行った。日本人だと海外転出という手続きをすると免除されることは知っていた。ところが外国人は入管の管轄で、住民票に載らないから海外転出そのものがないということ。なんてこった。無駄とはいえ文句のひとつも言いたくなる。「外国人だったら長期間母国に滞在もあるでしょうに、免除制度がないってどういうことですか。そもそももらえるか分からないのを義務だから払っているのに!」と言うと先方は「年金は国の基幹にかかわるものなのでもらえないなんてことはあり得ない」と言った。そうですか、過去に在日の人達にとってきた措置等に鑑みて、国家の外国人政策が信用できると判断できる材料ばかりではないのですが。
# by kienlen | 2006-06-02 20:48 | タイ人・外国人 | Comments(0)
梅田望夫『ウェブ進化論-本当の変化はこれから始まる』を今朝読み終えた。とても刺激的で面白い本だった。相当売れているようだが、これなら納得。「…ネット参加者の急増とグーグルが牽引する検索技術の進化は、旧来の権威をつきくずし、「知」の世界の秩序を再編成しつつある。そしてネット上にたまった富の再分配による全く新しい経済圏も生まれてきている。…」と、表紙裏の紹介文にある。この「知の世界の秩序の再編成」がどういうものなのか、私のようにネットについて疎い人間にもすんなり分かるように説明している。著者の経歴、それに考え方もオープンにしているが、それを読めば、この力量が半端じゃない知識と経験に裏付けられているから、ってことが分かる。つまりは、ネットの世界に起こっていることは従来との連続性の中で捉えることはできなくて、それはリアルな世界をも変革することになる、ということ。こういう本を読むと、たった700円そこそこで、ここまで上質な世界を旅することができるのだから、感謝。

特に紙幅をさいているのはグーグルの話。グーグルが画期的なのは「あちら側」だから。ネットの「あちら側」と「こちら側」の2つの世界があって、マイクロソフトとかアマゾンとか楽天、ヤフーなどが、それぞれどういう位置にいて、何を目指しているかの配置図を示してくれる。それも、とにかく優しく親切なので、知識がなくても頭の中に自動的にネット世界のマップが浮かぶようになっている。さらにマニアックな話ではなくて、汎用性のあるお話。楽観的で行動的、という2つの要素をあえて意識的に強調するように努めているようだが、内容が素晴らしかったという感想とは別に、ここまで頭のいい人達だったら楽観的になれるんだろうなあ、というのもまた正直な感想だ。いずれにしろ、読む価値はあると思いました。
# by kienlen | 2006-06-02 11:40 | 読み物類 | Comments(2)
出生率がまた低下した、というニュースが、夕食のギョウザを作りながら聞いていたラジオから流れていた。1.3で底を打ち、その後は上昇に転じる予測がはずれて、これでは社会保障制度が崩壊してしまう、と、毎度毎度の同じ報道内容。昨年の原稿と取り違えたのかと思ってしまった。それともコピーして使い回ししているのか。で、産ませるための動機付けになるような対策を取らねば、という展開もいつもと同じ。給料を得て働いているんだから、もっと粉飾して楽しませて欲しいものだが、マジメだ。でも、このマジメさは不マジメを隠匿するためのものに思えてならない。少子化対策に職業上いそしむ人々にとって、この社会は子を産み育てたくなるものと映っているのだろうか。公教育の力を低下させて教育費をかけるようにして、雇用形態を若者に不利にさせて、各種法整備を見れば戦争に取られても不思議じゃなくて、水も空気も土壌も汚染。そっちを改善した方が効果あると思うけど。これから目を逸らすための少子化担当大臣?

それはさておき、制度維持のために人に圧力をかけるより、制度を見直すべきだと思うが、より簡単な方法を取るとすれば人への圧力ということは自分程度の想像力でも分かるが…。そんなに子が欲しいなら、社会保障制度を子に肩代わりさせて、今の、その崩壊しそうなヤツをやめればいい。よくタイの家族関係を見て「日本に失われた美しき家族の相互扶助がある」とか感動する人がいるが、国の社会保障制度がなければ子や家族員や親族に頼るしかないのだから当然だろう。何でやらないのかな、日本は。これをすれば、美しき日本の伝統の家族愛、親孝行も、地域社会も復活し、女は家庭内で介護するようになるし、この手の主張をする人達にとっては理想の社会が再現されると思うけど。でも、そしたら先進国と見なされないから国際社会における発言力は失われるのだろうな。でも、そしたらどこからも攻撃対象でなくなり、平和になって享楽的になって子が増える、ってのはダメなんだろうか。
# by kienlen | 2006-06-01 22:41 | 社会的話題 | Comments(0)
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パソコンの動きが鈍くなっているなあと思っていたら、容量不足とかいうメッセージが出て、強引にやっていたらフリーズして働かなくなってしまった。来週早々に、某大学で1コマ話すことになっていて、パワーポイントにたくさんの写真やら図やらを突っ込んでいたせいだと思う。1回だけで話すとなると、あれもこれもと欲張りたくなって収集がつかなくなる経験はあるので、なるべくシンプルにしようと思うが、これを言うためにはこれを説明しないとならないし、こういう面はあると思うけど、こっちから見ればこうだし、と考え始めるとキリがなくなる。要は何を捨てるかで、慣れていることだとその判断を迅速かつ的確にできるのだろうが、慣れないことをするのはものすごく時間がかかる。このために、昔、タイにいる時に撮ったスナップ写真をたくさんスキャン(デジカメはなかった)したのでこっちにもアップしてみた。これはカンボジアとの国境で、2歳か3歳の息子同伴で遊びに行ったので、多分93か94年頃だと思う。

観光旅行というのは、ほとんどしたことがないし、何かにマニアックになるような性格ではないので、国境に興味があるからといって国境マニアにはなれないが、島国の人間だからか、どっかに行くとすれば国境に行きたくなった。夫の実家のある県はラオスとカンボジアに接していて、駅に下り立つとクメール語が聞こえてくるし、夫の母語はラオス語である。写真の国境までは確かその実家に行った時に足をのばしたのだが、ちょっとのばすのかと思ったら人の気配のない道を延々と走ることになり、実はあの時は内心覚悟をした。左側は針金の防御と「地雷」と英語とタイ語の注意書きの連続。ここで賊に襲われたところで自己責任であるが、息子はまだ生まれて間もないからかわいそう。でも、なんとか無事に国境に到着すると意外に賑わっていた。でも地雷原の中の限定された場所であることは、ちょっと見には美しい林の中のいたるところに地雷を喚起する看板があったので分かった。カンボジアとの国境は政情によって開いたり閉じたりするので、地元の人から情報を得て行った方がいい。夫がタイ人であるという事情がなければ、もしかしてなつかしい思い出になっていたかもしれない。あそこ、今はどうなっているか、は、ここにいても日常感覚的な関心事である。パソコンの容量オーバーのおかげで寄り道をしてしまった。
# by kienlen | 2006-06-01 12:49 | タイの事と料理 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


by kienlen
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