半生を給食で送るということ

支援に通うことになったとたんに帰国することになったタイ人生徒のいる中学校に、1時限だけ寄った。もうすぐ帰国で、今日が最後の登校日。まとまったこともできないので、雑談とする。彼女は中学2年までをタイの地方の村の学校で過ごしてから、日本の地方都市の中学に来て数か月過ごしたわけなので、比較的な見地から聞くことができる。これは意外に貴重。「タイの中学校もこんな感じ?」と聞くと「同じ」と答えてから「故郷の学校の方が木がたくさんあって花もたくさんできれい。それから木の下にはメタルを置くゲームのできる大理石のテーブルがあって、そこで友達と遊べるし、ホットドッグなんかを買ってきて食べることもできる」と言う。皆で同じものを同じ場所で食べる給食制度ではなくて、キャンティーンで好きなものを買って食べる。私も、見たことも食べたこともあるが、ぶっかけご飯屋が校内、あるいは敷地内にあるという感じだった。だから小学校の時から食事代を現金で持参したという。

「先生達は?」と聞いてみたら「外から好きなものを買ってきて食べている」ということ。いろいろ買ってきて分け合って食べるのは楽しそうだ。どこもかしこも食べ物だらけなので、調達に困ることはない。そういえば前回この学校に行った時に、ちょうどランチの時間になって、先生から「給食を食べて行きませんか?」と言われたので喜んで受けた。「給食なんて久しぶりでしょう」と言われる。その通り。すると先生は「僕は高校と大学の時以外、ずっと給食です」と言う。義務教育にずっと給食のある県なので、考えてみれば当然のことなのだが、これってすごいことだ。つまり一生のうちの半分くらいの期間を、ランチの選択権なしに過ごすということではないか。毎日「今日のお昼は何を食べようか」と楽しみだったり、面倒だったりの自分には、このひと言は衝撃的だった。栄養面や平等性という面からの給食制度は価値があると思うが、先生も一緒というのは、考えてみると不思議なことである。衝撃のひと言で、子供が教えてくれるメニュー以外の側面から給食への興味が突然沸いた。
# by kienlen | 2006-07-14 21:07 | PTA・学校 | Comments(0)

動くだけでありがたいと感じるクセ

3日間連続で、往復に数時間かかる場所が仕事場。仕事の時間より動くハコモノに乗っている時間の方が長い。昨日は高速バス、今日は電車を使ったが、明日は車で行く予定。これが会社勤めで毎日だったら参るだろうが、移動はいい気分転換になる。何よりありがたいのは、移動距離と時間が、ちゃんと比例してくれること。バンコクの交通渋滞を思ったら、動くための乗り物が動く機能を発揮できるという事だけでありがたく思う。今は、ごく一部でしかないものの高架鉄道が走り、地下鉄もあるということなので、少なくとも都心では道路以外の選択も可能になったが、私がいた当時、大量輸送システムの最たるものがバスで、バスは一般道路を車と一緒に走るだけなので、事実上、走らないのである。「世界一巨大な駐車場」との異名は、名ばかりでなく実体を表現している。

都心は家賃も地価も高いので、1人暮らしの安アパートはなんとかなっても家族で暮らすとなると、どうしても少し郊外に住むことになる(駐在員家族は別)。郊外と言っても距離は10キロ程度のものだ。夫と私の勤務先がたまたま都心で近かった時は、夫が会社からあてがわれていた車に同乗させてもらった。6時頃には始まるラッシュアワーにかかると、到着が何時になるか分からないので、その前に出る。朝食も摂らず睡眠不足(帰路の渋滞で帰宅も遅い)のままなので、会社の付近で何か食べて(食べ物に困ることはない)会社の机にうっぷして寝る。仕事のアポは何件も取れない。午前に1件、午後1件って感じ。ただただ渋滞だから。さらに雨季などは、完全に交通がマヒする事もある。日本からの客人と会う約束をしても、止まったままのタクシーの中で過ごすのみで、結局行き着けずに会えなかったこともある。打ち合わせなど、タクシーの中でするのが一番集中できるという感じだった。ここにいると幻のように感じるが、当時はそれが日常だった。あれがなければ、今もバンコクにいた可能性はかなり高い。道路上以外の輸送手段がちょっとできたからといって、あの渋滞が解消されたという話は今も聞いてない。それもあって、今もこっちにいる。
# by kienlen | 2006-07-13 23:32 | タイの事と料理 | Comments(0)

夏休み、朝のラジオ体操のご連絡

育成会の回覧板が回ってきた。今回は「夏休みラジオ体操のお知らせ」。6年生の児童宛には、ラジオ体操の当番についてのご注意がある。自分が6年生でなくて良かった、こんな地域に生まれていなくて良かった、こんな地域に生まれていたら地域活動恐怖症にかかって引きこもっていたかも…と安心していられない。娘は来年6年生ではないか。そのための予習を兼ねてこういうものを回すのか。引っ越しを考えたいが、それにしては引っ越したばかりである。こんなネガティブな気持ちになる理由は①大きな声で挨拶しましょう→小さな声ではなぜいけないのか。大声を出すのは嫌いだ、うるさい、朝の平穏を乱す。②体操が終わったら班員に腰を下ろしてもらい、班長か副班長は前にあるスタンプを取りに来て下さい→ここまで細かく指示するな。創造性が育たない。座ろうが座るまいが勝手でしょ。

その他いろいろあるが、書くのも恥ずかしい。それなのに、肝心の目的とか意義とかは書いてない。ないから書けないのか、書くまでもなく周知の事実を私だけが知らないのか。地域の配布物については誰もクオリティコントロールをしていないようだ。国際競争力は大丈夫だろうか。そういえばこういう項目もある。「体操をする(恥ずかしがらずに)」。こういう分野は詳しくないけど、ラジオ体操の歴史をたどっていくと、きっと、健康増進というだけでなく、団体行動への従順性涵養目的もあると思われる。その上、恥ずかしがらずに体操するってのは、行為そのものが恥ずかしいものであっても、恥ずかい系感性をそぐ訓練になるのかもしれない。なるほど、訓練が身についた人が社会の中枢にかなりいそう。あと、ご苦労な事に育成会役員の大人が何人もお世話にいく。指導の大人もいる。私も役員をやったが、神社で大人に見張られて決まりきったポーズを全員でとるシーンを見る勇気がなくて、夫に行ってもらった。そうして綿々と続いている朝のラジオ体操。早く化石になって欲しいものだ。
# by kienlen | 2006-07-13 21:33 | 地域 | Comments(0)

アルバイトのオファーがあった

仕事先から高速バスで着いて歩き始めた時に友人から電話があった。「週3日位働かないか」と言う。うーむ、見透かされている。仕事は不安定でいつ全くなくなるか分からず日々不安、かといってこのまま細々と続く可能性がなくもないし仕事の種類としては好きで失いたくはない、少しばかりは組織の風を吸ってないと社会性が風化しないか、それより何より定期収入が少しでも欲しいのは本心。そして実は、今の自分の状況を検討すると、週に3日くらいは完全に暇で、探す努力をしていないのだからこれ以上仕事が増えることはないだろう。そこに、友人からの、この電話である。声をかけていただけるのはありがたいことだ。さっそく面接の前段階の面接に行くことになって、帰宅前に寄ってきた。

仕事の内容は私にとって新しいものではない。まず、これをどうみるかだ。新しい事に踏み込む時のワクワクはないが、どういう事が起きるか予想しやすいし、そもそも即戦力でなければ私になど話がくるわけがない。次に条件。時給制で安価。ただし、労働時間面では、裁量の余地がある。この点は自分にとって最重要条件で、これがつきまとうために、バイト探しに積極的になれずにいる。そしてそんな都合のいいバイトは普通はない。となると、貴重な機会ということになる。文字化で整理してみるとシンプルなのだが、とはいえ、仕事というのは、そうシンプルに運ぶとは限らない。現状のように外部の者として、完全に限定された部分のみ関わるのは雑事に巻き込まれないが、バイトであっても内部に位置してしまうと、そう都合よくはいくまい。で、それが組織に属するということであり、楽しみにも悩みにもなる。こんな境遇と心情をよまれた上での電話だったようだ。女心が揺れる日。
# by kienlen | 2006-07-12 21:13 | 仕事関係 | Comments(0)

フリーランスの宿命なのか

今日(もう昨日になってしまった)は、9時から5時頃まで仕事の予定だった。確かにそう言われていた。初めての相手なので少々緊張する。自分のような立場=所属組織なし後ろ盾なし、の場合、失敗すると先がない。午前中は順調に終わった。午後、約束の2時に再び行くと「こちらの準備が整わないから3時半にお願いします」と言われる。はあ…、まあこういうことはよくあるのだが、だったら最初から3時半頃にしてくれると、こちらの予定は立てやすいのですが、しょうがない。で、次に3時半に行く。当然のことながら、10分前行動。すると「まだ整わないので、時間つぶしていただけますか」「…」「用意ができたら携帯に電話しますから。でも5時より早いってことはないです」「……」。はい。なんだか無権利状態におかれているように感じる自分。当方、大人なので、何事も予定通りに行くなんてことがないことは分かっている。それにしても、これはないだろう。最初から携帯に連絡ということにしてくれればいいのに。

実は家でやりたいことはあったが、時間を気にしながらでは落ち着いてできない。だから書店に行って時間をつぶす。たくさん本を買う。連絡はない。次に喫茶店でコーヒーを飲む。連絡なし。6時近くになってしまった。もしや携帯の調子が悪いのかと思っていたら、やっと電話があって「来て下さい」。当方の予定を聞く言葉は最後まで皆無だった。例えば「不手際で時間を浪費させて申し訳ないですが、こういう内容ですから…」とか「予定の時間を過ぎましたが、大丈夫ですか?」とか、そんな当たり前の言葉だ。こちらも初心者ではないから、そこで「浪費の責任を取れ」とか「えー、予定通りじゃないと困ります」なんて言わない。一応その覚悟はしてきている。ちなみに報酬は時間計算。待機中は自分にとっては他が手につかないという意味では、半分拘束されているようなものだが、実質の仕事時間は数時間でしかない。でも、そういうことより、私が不思議でならないのは、つまり、一般社会常識といえるレベルのマナーの欠如である。ちなみにお相手は公務員。個別の事例で一般化はしたくない。とはいえ、相手の状況を考慮しなくても許されがちな特別待遇の方々のような気が、経験上しないでもない。
# by kienlen | 2006-07-12 02:18 | 仕事関係 | Comments(0)

夏になると思い出す出来事

暑い。生ゴミから小さな虫が出るし、網戸にハエがくっついて中の様子をうかがう。それでも日本の虫なんておとなしいものだ。バンコクで一番困ったのはアリ。ゴキブリも年中ウヨウヨしているが、襲ってくるわけじゃないから、ああいるな、と思うしかない。蚊は病気を媒介するから危険で子供が刺されないように心配したが、私は当初ひどく刺されたものの滞在が長期化するにしたがって全く感じなくなってしまった。それより嫌だったのはアリだ。カメラの中に入り込む、当時はワープロを使っていたが、ここにも入る。封を切ってない食品類どころか、封を切ってない赤ん坊のオムツカバーとか、とにかくどこにでも入り込む。それもビルの10階だろうが、どこだろうが。それも動きが不活発になる時期というのがないので、年中元気いっぱい。そして、噛まれると痛いし腫れるしかゆい。子供が泣くのでどうしたのかと思うと、お尻にアリが食い込んでいたりする。4歳までバンコクにいた息子はこういう被害にあっている。

その息子がまだ母乳を飲んでいた頃のこと。息子用の敷物を2階のベランダに干した。ふと気づくとベージュの敷物に黒い水玉模様ができている。単純に不思議で覗き込んだら、多分母乳の落ちた部分であろうが、そこにアリがびっちりと付着しているのだった。今、思い出しても寒気がする。当時、思わず悲鳴を上げて叩き落してしまった後も震えていた。あと、白アリに一夜で家具の足を半分食べられたこともある。こんな具合なので業者に頼んで、強力な殺虫剤を使うことになる。環境にも体にも良くないだろうとは思いつつも。そういえばミャンマーで泊まったホテルでは、夕方になると従業員が部屋に殺虫剤を撒きに来たっけ。南国の自然環境はなかなか過酷だった。
# by kienlen | 2006-07-11 00:51 | タイの事と料理 | Comments(0)

ハプニングは受け入れるつもりとはいえ

予定のない日。定期購読している雑誌が届いたので、ゴロゴロしながら読書を決め込む。途中でウトウトもした。新しい仕事が入って喜んだら、夢の中だった。夕方メールをチェックしたら、先方の都合のみによって滞っていた仕事の発注連絡あり。締め切りが明日という一方的通告。こっちこそが夢であって欲しいと思ったが現実だった。明日は朝から深夜まで全く余裕がない。ということは今日やれってこと、しかもすでに夕方…。それに今日はそういう準備体制が心身ともにない。せめて夕食時のビールを我慢して気分転換を図っているが、ちっとも転換しない。それにしても、社員でもない、特別契約の外注先でもない、たいしたギャラを払っているわけでもない、のに、こんな勝手な注文をするのはなぜなのだろう。慣れていなくて段取りが悪いのだろうが、問題は、どういう内部事情にしろ、しわ寄せが全部外部のこちらにくるということだ。

しかし、進言するほど高尚な内容ではないので、黙ってやるのが面倒くさくなくて一番いい。ここが会社で、上司が「明日までにこれやって」とくるのと、ここが自宅事務所で、できることを何でも受注してやりくりしている自営業者に突然「明日までにやって」というのでは、全く事情が違うと思うのだが、どうやらあまり差を感じてないようだ。押せば自然に出来上がる自動販売機みたいなものだと思っているのだろうか。あれだって、機内では努力しているに違いないから、こんな言い方は失礼か。それにしても、お茶でもコーヒーでも切り替えが早い機械のようになれると便利だろうけど、感情からの支配に屈しがちな人間でしかない。計画性のない性格は、不安定でハプニングへの対応も自分だけという自営に向いているとポジティブに感じる時もあるが、それは自分の中での無計画性の場合で、相手の無計画のツケを払わされるのはちょっと苦しい。
# by kienlen | 2006-07-10 21:00 | 仕事関係 | Comments(0)

市民が武装する・しないの歴史と理由

小熊英二『市民と武装』を読んだ。「市民と武装-アメリカ合衆国における『武装権』試論」というのと「普遍という名のナショナリズム-アメリカ合衆国の文化多元主義と国家統合」という2つの論考をおさめた本。前者は、市民が銃を持って自分を守るという思想と実行の背景を考察したもので、それはつまり、日本ではなぜそうならなかったのか、という点とも表裏の関係であって、ここにも言及されている。私には実に実に興味深い内容だった。市民が武装することで、国家の暴力が市民に向かうのを防ぎ(確か憲法もそういう役割だったはずだが、なんかすり替えられつつあるような)、それはつまり、誰が武器を所持して戦う権利を持つかは、誰が市民として認められるかにかかっているわけで、アメリカにおける黒人と白人の関係、日本では武士とその他の関係が論じられる。いずれも戦争のたびごとに変化があり、兵器が近代化するにつれて、国家が武装権を独占することになる。なんて、短くまとめるのは乱暴すぎでしょう。この人のはいくつか読んだが、いずれもひじょうに面白い。それに扱うテーマの幅が広い。

後者のは、アメリカの孤立主義と国際主義という一見矛盾する立場の整合性がどこにあるか、というような話で、これも実に面白かったが、ただ、最近はこのような点に触れるものをよく見るので、どうしたのかな今更、と思っていたら書いたのが1992年ということで、9・11やイラク攻撃ではなくて湾岸戦争がきっかけとなっている。となると、かなりの先見性ではないだろうか。それにしても、アメリカの関係の本を読んで感じるのは、成り立ちといい何といい、何から何まで違うのに、情報で最も多いのがアメリカで「アメリカでは○○」、政治のレベルも「日米なんとか」が、いろいろあるけど、何か共通理解はあるんだろうか。それとも、そんな面倒くさいことはともかく共通利益だけでいっているのか。ここらへんを一般人にも分かりやすく説得していただかないと、いいのかなこれで、という疑問が膨らむばかり。小熊英二は当初はアメリカ研究の予定だったそうだが、日本近代研究に移った。この2つの論文は研究のスタートの頃のもの。文庫化されないとしても、がんばってトライしますので、ますますの発表をお願いします。その前にまだ未読たくさんありだが。
# by kienlen | 2006-07-10 10:55 | 読み物類 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


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