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アルジェの戦い

先週の日曜日と同じスケジュール。ちょっとの仕事の後、小走りに映画館に行くとちょうどいい時間からの上映のこの映画に。先週に次回予定を見て、絶対絶対に見逃すまいと決めていたもの。アルジェリア独立戦争の映画は「涙するまで、生きる」しか知らずこれが2本目。見るのが辛い場面は多いが素晴らしい映画だった。植民地アルジェリア民族解放戦線のゲリラ戦を弾圧するために、フランスから大軍が送り込まれ、テロリストとしてしらみつぶしに捜索され逮捕され拷問され殺されて、最後に残った4人は住処を爆発されて爆死するのだが、それが1957年で、結局その後に独立を求める声は一般市民にさらに深く浸透していき戦車を出されてもデモが止まず、遂に1962年に独立するまでを描いたもの。中心はタイトル通りアルジェでの戦い。カミュ原作のは、山の中の村だったが、こちらは都市。白黒でドキュメンタリーのような作りでものすごい迫力。実戦に参加した人達も多数演じているのだそうだ。ゲリラ戦の戦い方とつぶし方の両方が詳しく描写されている。

タイトルだけ聞いたことがあるのと、テーマにひじょうに興味があった以外は何も知らずに見て、てっきりフランス映画なのでフランスの植民地を正当化する視点があるんだろうか、しかしじゃあ一体どんな、との疑問で見ていて、でもこれはどう見ても弾圧される側に共感するよなと感じ、後でチラシの解説を読んだら、1966年にベネチア国際映画祭でグランプリになった時、フランス代表団が反仏映画として反発、フランソワ・トリュフォーを除いて全員が退場したというエピソードがあるのだそうだ。そういえば劇中には、サルトルが独立支持者として名前が出てきた。今、噴出している色々な問題の根っこが見えるようで、今上映する価値はすごく大きいと思う。観客は5人。それでもひとりやふたりよりは多いので、喜ぶべきなのかどうか。こういう映画を上映してくれるのは大変ありがたい。重ね重ね、素晴らしかった。しかし1960年代の映画ということは、あれはCGじゃないということですよね。魂がこもっているというか、すごかった。

by kienlen | 2017-02-05 21:14 | 映画類 | Comments(0)

片付け4日目

事務所模様替えに着手して4日目。ますます混沌を深めている。ほとんどコントロール不能に陥っている。家具を全部動かすので、腰でも痛めたら大変だなと思いながらやっている。誰かのヘルプを求めればいいかというと、これはあり得ない。次の過程をどうするかを決めるまでに何時間も何日もじっと見ているだけなので、仮に誰かに来てもらったとしても、何を手伝ってもらうかを伝えることができない。お茶でも飲みますか、となって足の踏み場もない所で立って飲んで無駄話して一日が終わるに違いない。そんなことに付き合ってくれる友だちのいないのは幸いか。それで思ったのだが、人に指示するというのはひじょうな能力のいることである、ということだ。仕事のことを考えてみると、自分の場合、ひとりで決めてひとりの裁量で行う部分が大きいので、結果までの舞台裏は見えない。だいたいが混沌であるが、混沌のまま表に出すわけがいかないので何とか整理するけどその過程を見せたとしたらみんなから見捨てられるのではないかと思ったりする。今の事務所の状況がそれ。ここに誰かが来たら恐れをなして後ずさりに違いない。夫は毎日目を背けて出入りしている。

一方で、これは指示に従う類の仕事である、と判断するものも少なくない。で、問題はそういう仕事と自分が判断した時に、的確な指示がこない場合だ。どうなっちゃってんのよ、と指示すべきと自分が判断した人を疑うことになる。自分に任せられているなら自分で決めてやるけど、そうじゃないのにやり様がないでしょう、と。で、何やら半端なままに日にちが過ぎる。自分が指示する立場だったらこんなことないのに、と思うのだが、片付けをしながら思うのは、ここで指示を出せとなっても何も出せない、全体像も展望もないままにやっているからだ、というのがよく分かる。片付けのプロという人は瞬時に全体像が見えてそこに向かうのだろうと思う。片付けに関して自分はプロでないので、そうできないことで今更落ち込んだりはしないし、そもそも混沌を楽しんでいるからこんなことになっているわけだし、時間さえあればどうということはないのだが、でも、しかし、この傾向はすべてに及んでいると思うとちょっと怖い。仕事だって全体像が見えないままとりあえず始めてから考える。全体像が見えないので始めるまでに時間がかかる。見えないのに進む一歩を踏み出すというのは方向性が完全に違ったら見切りをつける勇気がいるということでもある。ああ、怖い、などとつらつら考えているとモノはそこから動かなくなり混沌はますます深まり、歩くスペースがないまま時間だけが過ぎる。ジジジジ…。

by kienlen | 2017-02-04 11:05 | その他雑感 | Comments(0)

現代イランの宗教と社会

旅したわけではないが、表題のタイトルの講演を昨日聴いたので旅に分類してみた。イランに行きたくなったから。ああ、タイに行くのでなければ旅をするのに、と思うと、何だか1年がもったいなく感じたりするのだからまったく勝手なものだ。この講演会は毎月の連続で、いつもたいてい面白く時間の許す限りは行っているのだが、昨日の桜井啓子先生は、たまたま友人の知り合いだそうで、その友人と一緒に聞くことになった。とても基本的な話で、かつ話を絞り込んでくれてあり大変分かりやすかった。イランといえば、世界一のイケメンの国といっていた友だちがいたし、海賊と呼ばれた男では日本との親しさが強調されていた。それから、90年代初め頃からのタイ人の不法滞在が問題になる前にイラン人が問題になっていたはず。というか、日系人にビザ出す前からか。タイから戻った頃もまだその名残りがあり、イラン人を呼んだ勉強会にも行ったことを思い出した。イラン人と結婚した人も幾人か会ったが、皆さんどうしているんだろう。彼らの話でとにかく印象に残っているのは、日本の報道はアメリカ経由に偏っていると力説していたことだった。あと、イラン革命でフランスに亡命した女性のアニメ映画を見てなるほどと思ったことはあるけど、講演を聞いて、そうか基本的なことを全然知らないことを知った。

イランはシーア派が9割で政治体制はイスラム共和制という、そもそもが矛盾した不思議な体制ということだったが、話を聞いているうちにこれって多かれ少なかれどこにも共通するのではないかと感じてしまった。シーア派とは何かというポイントの説明もあり、どうしてイランがイスラム諸国の中で特殊と見られるかについても。隣国イラクについ最近行ってきたとのことで、イラクとイランの違いも。イラク南部はISの影響のないイラン同様に平和だそうで、なるほどと思ったのは、シーア派の聖地がイラク南部の都市にあり、ここがイラン人客で景気が良くモスクもイラン風なのだそうだが、イラクとしてはそれは口が裂けても言いたくない。イランはシーア派がほとんどなのでシーア派の教義で国をまとめることができるが、イラクはシーア派が10%で、それは不可能。イランに10年間匿われていたシーア派の宗教指導者と話したら、政治に関与することで宗教は堕落するのでイランのようにはしない、と言っていたそうで、これはもちろん前例たくさんなわけだけど、その点でもイランは特殊ということになるらしい。サウジとどうして仲が悪いかも、なるほどねえ、な話しだった。たったの90分で安直に理解が深まったと言うのは何だが、少なくとも基本のキに触れられたのは大変ありがたい。


by kienlen | 2017-02-03 08:43 | | Comments(0)

小島信夫の短編3つ『馬、微笑、汽車の中』

すごく面白かった村上春樹の短編小説案内の中で特に強烈な印象だったのが、小島信夫の「馬」だった。このところ貴重な本友達が短編小説に凝っているのもあり、そういえば小島信夫の短編集があったはずと思ってチェックすると、この馬も入っていた。一昨日の上田往復電車内と食事しながらなどで、馬を先頭に3編読んだ。日常の微細を描いているようでいて、全体的にはシュールな面白さ。日常生活を突き詰めるとそうかもね、こうなるかもね、と感じるが、やはり現代の日本との決定的な違いは戦争でしょう。この3編の中で直接それを扱っているのは汽車の中。敗戦直後らしき汽車の中での出来事を延々と書いてある。一分の隙もなく人を詰め込んだ車内の詳述などちょっと異様なレベル。でもなぜか飽きない。なんかもう人間に対して、社会に対して吹っ切れている感がビシビシだな。

馬を紹介してくれた短編案内には感謝。あれを読まなければ読まずに終わったと思う。小島信夫といえばアメリカン・スクールしか浮かべられなかったし、これさえ読んだのは最近のことだ。で、この時は何だかすっきりしない小説と思ったけど、こうして4編読んでみると、どれもすっかりしない。で、小説って、考えてみたら謎解き目的のようにすっきりするはずがないのだった。あと共通しているのは男と女の関係かな。男の存在の不安定さと女のそれの相対的な確かさというか。馬はそれそのものがテーマという感じ。これはまあ夫婦を描いたもので、夫が知らない間に材木が運ばれていて妻の段取りにより立派な馬の家が増築され、素晴らしい馬が家にやってきて、妻が夫よりも馬と親しくなっていく様子を夫の目線から書いている。どれも面白かった。あといくつかあるので読む予定。



by kienlen | 2017-02-02 08:49 | 読み物類 | Comments(2)

灼熱

映画の安い日。クロアチア紛争が重要なテーマであるらしいこの映画を観に行った。観客は自分含めて2人。クロアチア紛争についてはセルビアの花と、あとタイトルを忘れたがドキュメンタリーを見たことがあるくらい。確かこれらはそうだったような気がするが…。で、この映画はひたすら恋愛にテーマを絞ってあり、社会的な事情は遠景で説明はほとんど全くなし。それなのにヒシヒシと迫ってくるものがあり、私は大変良かった。しかし起伏のある大作が好きという人には退屈かもしれないなと思いながら見ていた。構成が複雑で、始まりは1991年の紛争始まり直前。だからユーゴスラビア時代ということになるんだろうか。説明はないのだが、つまりクロアチア人とセルビア人の若いカップルが悲惨な形で引き裂かれる。この紛争の背景には民族、宗教などがあり、それにバックに大国がいたりで複雑なのだと思うが、とにかく説明はなし。

衝撃的な形で一話目が終わり、悲惨なのに明るい音楽が流れて時代は一気に10年後へ。女性の方は一話目の続きらしく、紛争が終わったので破壊された家に戻ったということのようだが、どうなんだろうか。男性は一話目で死亡しているのだけど、同じ役者が別の人物を演じているのが、なるほど、不思議な効果。二話目は紛争によって深く深く皆が傷ついているということがものすごい言葉少なな表現ながらぐっと迫ってくる。ちょっとつついたら果てしなく噴火が続きそうという感じ。三話目が2011年。これはもう一見どこも同じなのね、という若者の生態の中に、一話目からの続きのような、独立のような、ま、そんなこと考えることでもないというようなタッチの展開となる。やはり同じ役者が演じているので、話は違うのに連続性を感じてしまう。最後はうんうん、という感じの終わり方。表現がアジア的というか、中欧のあのあたりは行ってみたいと思っているけど、ますます行ってみたい。地獄を見た人が人間の核心だけ描けばこうなるという感じというか、とっても良かった。

by kienlen | 2017-02-01 22:48 | 映画類 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


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