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買いたい本がないはずないんだけど

友人がやっているカフェでお昼を食べての帰路、娘が本屋に行きたいというので行くことにした。私もちょうど本切れ状態。買う気満々で書店へ。ただし車だったので駐車料金的に時間を気にしながらということではある。やはり自分にとって日常的に興味があるものといえば本ということになるので、本屋に入ってザザザと見ると、あ、これっというのがあるはずなのだ。書名が出てこなくても、頭の中には欲しい本がいっぱいあるから、見れば思い出すはず。そして、買う気満々な時は買ってしまうのだ。逆に言うと、自分にとって本屋って、目的のものを探しに行くのじゃなくて、見て楽しんで買うんである。だって、目的がはっきりしているんならアマゾンで充分ってことになってしまう、残念ながら。配達料だってかからなくなっているし、迅速だし。

ところが全然ない、欲しいのが。こんなはずないと思ってあせるが本当にない。しょうがなく、新書を2冊、どうかなって思いながら持って、ぶらぶらしていた。娘は漫画が目当てらしくどこかに行った。そろそろでなくちゃと思っているところに娘が来て文庫本を1冊私に渡した。タイ語をめぐるエッセイの本だった。著者は知り会い。この本の存在も知っていた。かといって、あえて買って読むほどのものでもないと思っていたのだが、まあ、いいか、著者はいい人だし、ということで加えて3冊購入となった。もっとあるはずなんだけど、欲しい本が。なんとかして欲しいな。ってのはわがままですが。満足感のない書店内散策だった。あっちの町にはいい本屋ができている。近々仕事で行く予定が入っているので絶対に寄ってみたい。楽しみ。
by kienlen | 2012-02-26 18:30 | その他雑感 | Comments(0)

『身近な雑草の愉快な生きかた』

読む本がなくなってくる。読んでない本はたくさんあるが、いったん挫折したのを再読してもまた挫折する可能性の方が高い。かといって本屋でぶらぶらするほどの余裕がない。仕事がないと本を読むが、本がないから仕事するというのもしっくりこないな。この本はこの間書店で偶然見つけて買ったもの。雑草生態学が専門という稲垣栄洋著。楽しそうな研究分野である。で、本は傑作だった。実に面白かったというか、ストレートに好みの本。なぜかというと、まず雑草好きにはたまらない雑草の生態がいろいろ書いてあって、それ自体がひじょうに興味深いこと。食べられる雑草の本は何冊か持っているけど、それって人間の視点からであり、もっと幅広い雑草の本を読むチャンスが今までなかった。それから一般向けにうんと面白く書いていること。擬人化して雑草の視点になっているのだが、それが嫌味じゃないというか、とても上手というか、めちゃくちゃ面白い。手元に置いておいて時々愛でたいなという感じ。

そういう本にしているということで、帯に買いてあるのも「逆境を生き抜く知恵がここにある」というもの。私が購入を決めるのに時間はかからなかったのはプロローグを見て一発、参りましたって感じだった。要旨は、雑草のように強く生きろなど強さを感じる人の多い雑草だが意外なことに本来は決して強い植物ではなく、むしろ弱い植物と言えるのだが、弱いはずの彼らが力強く生きている秘密のキーワードが逆境である、ということ。素晴らしい参考書。雑草たちの環境というのは踏まれたり蹴られたり抜かれたり刈られたり、さまざまな困難が次々と降りかかる。しかも雑草は逃げ出すことができない。どんなに厳しい環境でもその場所で生涯を終えるしかない。よって、逃げることなく困難な逆境を受け入れる道を選んだ!誰が見ても読みたくならないだろうか。そうでもないか。私はこれで感動の連続で最後まで読んだ。すごく面白かった。
by kienlen | 2012-02-25 17:17 | 読み物類 | Comments(0)

つらつらつらつら

何しているのか分からないうちに時間が過ぎていく。覚えているのは誰と食事したとか、そんなの。今日はちょっと迷うことがあり、午前中は決断するための時間に費やす。いろいろ考えて決断したらすっきりした。昼前にちょっと用事があって出かける。お祝いとしてお花を持参したらビールを1ダースももらってしまった。ううむ、いいんでしょうか。いいのでしょう。午後はユーチューブでクラシックダンスのコンクールとか舞台とかのシーンを見ていたら、あまりの素晴らしさに見まくっていて夕方になってしまった。こういうことが簡単にできるってことのすごさも、旧世代としては感じる。つまり、成果は何もなかった日ということになる。ああ、何もできないでイライラすると風呂に入るくらいしかできないのだが、それが4回だった。風呂で雑誌を読むので頭がリセットされて出てきて、また何もできずにまた風呂に入りということ。で、毎日ランチか夜は外食になっている日々で、今日はランチを家でとった、ということは夜に出たくなり、娘と外食ということにする。

夫が「タイの歌手のコンサートがあるから店が終わった後、遊びに行く」と言う。たまたま顔を合わせる時間があったからそういうことを伝えただけで、だいたい夜に帰らないことってしょっちゅうだし、ご自由に。でも何か言われたら一応反応するのが礼儀と思っている自分としては「完全に夜の業界の生活様式になってますね」と言ったら「そんなことはない」と言いつつ「サヌック・ディー」と言っていた。楽しいなあ、という意味だ。家族が楽しそうであるのは何よりである。遊びまくりな息子にも「楽しい?」と聞けば「楽しい」と言う。何かもう、日本人のメンタリティーっていうよりタイ人じゃん、と時々思うが、悲しいとか苦しいとか大変とか言われると、それを解消するために自分も何かしなくちゃいけないような気持ちになるが、楽しいと言われると、ご自由に楽しんでください、ということでおしまい、つまり楽な道を選んでいるというか、選ばせているというか。いや、そうでもないなあ。今思い出したが、昨日なんて行政の関係の会議に出てグググって気持ちだった。ただ種類の違うことがありすぎて覚えてないので不快感が長続きしない。覚え切れないから何もなかったように感じるだけで、いろいろあるのかしれない。
by kienlen | 2012-02-24 18:02 | その他雑感 | Comments(0)

親でもあり子でもあり

父が昼飯でも食おうということで来た。母の病院に寄る前にと。その時「整理していたら成人式の写真があったから」と写真館で撮ったアルバムを出した。振袖を着た自分がいる。で、私はこのことを全く覚えていない。元々忘れっぽいことは自覚しているけど、こういう記念日を覚えていないというのは何だか不思議な気がする。でも、心当たりがないわけではない。これは母の希望だったからで、自分が振袖着て成人式に出席して記念写真を撮りたいと思ったわけではないからだと思う。念願かなったことならいくら自分でも覚えていると思うのだ。でも、一方で思うことは、振袖もいらない、記念写真もいらない、と自分で決められたかというと、それは分からない。意識しなくていいほどに恵まれていたのかもしれない。そういう言い方をすれば。

ただ私自身はそういう育ち方をしたことに感謝の念を持てず、これは親にしたら不幸というかかわいそうなことだと思うが仕方ないとして、よって、子どもには努めて意識させることを意識してきたと思う。つまりこれは、この道を選んだってことですよ、ということを。で、そう思ってみても、これを自分の親世代ができるわけないのだ。一部例外的な人は別にして、あんな田舎では生まれが人生を決めたわけだ。とにかく食べるだけなわけだ。よって、子育てだって、親がたまたま信じたことを押し付けるという意識もないままにやってきただけだろう。罪はない。罪はないけど、やっぱり不思議ではある。しかし、母の今の姿を見ていると、それ以上のことをできる人ではないし、それだけのことなのだ。すると、親を意識してきた年数のあまりの長さに悲しい気持ち。そういうものなのだ。まあ、諸々が本格化するのはこれからなのだ。
by kienlen | 2012-02-19 18:43 | 家族と子供の話題 | Comments(0)

『福島原発の真実』

前福島県知事の佐藤栄佐久氏の著。読んでみなくちゃと思っていたのがそのままになっていて、この間本屋で偶然見つけたのでその思いを思い出してパラパラしてみたら読みやすそうだったので購入、パラパラの印象のまま読了。知事が汚職で告発されたとか辞任したとか聞けば、条件反射的に、はあ政治家ってそういう人種よね、と思っていた方が安易なんだろうが、そもそもその思い込み自体が危険なのであるということを感じる機会があまりに多く、それがまた怖すぎる。全く暗澹たる気分になる本なのだが、やはり知っておかないとならない内容だと思う。原発事故が人災だというのはよく言われていることで、しかし何が人災なんだ、具体的に言ってみろと問い詰められれば、いろいろ知っていないと答えに窮してもそう不思議じゃないと思うが、これを読めば答えに窮しなくなると思う。福島県が、知事も県職員もどうやって国と戦い、まあ、ここでは国イコールにほとんど官僚ということなのだが、どうやって破れたかが詳細に記されている。そして破れなかったらあるいはあの事故は防げたかもしれない、という意味で人災だってことが分かる。

政治家の本って、あんまり冷静じゃないのが多い印象を持っているが、つまりあまりに宣伝めいていたり、宣伝は否定しないけどそれきりで根拠がよく分からなくてうなずけなかったり、私的な恨みつらみだかが勝っているように思われたり、あるいはいかにも安易に作っているとか、まあ、そんなにたくさん読んでいるわけじゃないにしてもつまらんなと思うことの方が多い。でもこれは良かった。理路整然で理解しやすく平易でストレスない。ただ、ストレスないというのは本に対してであり、内容はもうあまりに酷くて吐き気がする。つまり原子力ムラの有様が。そこに地方をないがしろにした中央及びメディアがくっつき、ドロドロなのをいくら自力で整理して正論を言ってもわけのわからないドロドロに引き込まれ、でも短気を起こさずかなり巧妙に闘ってきたとはいえ、とうとう知事が汚職で逮捕されるという結末。これを読んで汚職事件がでっち上げでないと思う人って、まずいないだろうな。楯突く奴は葬れでやられてきた人は多いのだろう。いろいろな意味で必読本と思う。知らないって罪って、そうだな、つくずく、自分。正義が何かというには、まず判断材料がないと困るが、材料が偽物だったらどうしようもない。根深いけどその気になれば難しいこともないようにも思う。
by kienlen | 2012-02-18 14:19 | 読み物類 | Comments(0)

スキーウエアごときに腹立てるのも何だがやはり

珍しく息子から電話の着信があった。ここのところ料金未払いでストップしていたと聞いていたが払ったんだと思って折り返したら、いきなり「去年買ったスキーウエア家にあるでしょ、それ送って」と言う。送ってって、簡単に言われても面倒だし送料だってかかるし、説明もないし、唐突で何が何だか分からない。「何するのよ」と聞くと、まあ、こういう質問も変だと後になって思ったから先方は先方で私と同じように思っているかもしれないが「スキーに行く」と答える。スキーウエアしてサーフィンってこともないだろう。「どこよ」「群馬」「いつ」「20日」。息子だと単語のみの会話。「遊ぶのいけないって言わないけど、遊びばかりというのも親としては悲しい。しかも話しがいつも唐突で計画性ないし勝手。送料は着払いにするから」と言うと「いくら」「知らないよ。あんな大きいものそれなりにするんじゃないの。しかし着払いって言っても結局出所は親だよね、全く…」と言っていたら、電話がプツンと切れてしまった。

都合が悪くなると切れる。20日に発つなら19日に着かないと駄目だろうし、遠出の予定があってすぐに対処できなし、だいたい着払いっていったら在宅じゃないと駄目なのにいつ在宅かも知らない。話しは済んでないので再度電話すると取らない。メールで「電話にも出ないってことは送らなくていいってことね」と送ろうとしたがメールも届かない。また電話したが拒否。これって親の電話を着信拒否にしているってことか。頭にくるな。この過程を娘に話すと「兄ちゃんのことだから別の方法探すから放っておけばいいよ」「新しいの買うとか友達から借りるとかするんだろうね、ああ、嫌だ」「兄ちゃんは諦めが早いの」「それってママもそうだから分からなくないけど、ああいう人って仕事に就くとしても営業だよね、向いているの、営業で諦めが早かったら仕事にならなくない」等々、と私も言いつつ、しばらくして落ち着くと、こんな些細な事、黙って送れば波風立たないのに、と自分をも嫌になる。しかしそれにしても頼むならそれなりの言い方とか礼儀があるだろ。とにかく放置することにしたら翌日電話があった。「友達が取りに行くから袋に入れて渡して」だった。これだと文句を言うような手間もない。最初からそうすればいいのに、という文句は言わないことにした。
by kienlen | 2012-02-18 07:43 | 家族と子供の話題 | Comments(0)

選択と成り行きって意識の違いだけかなあ

何年ぶりかに会う知人とランチをすることにしてあった昨日、指定されたファミレスに行った。ふたりの子のうちの下の子も結婚したので一段落ということだった。「結婚しない、というかできない人が多い中で順調ですね」と言うと「あのね、私、勉強しろとは言ったことないけど、ずっと結婚しろって言い続けてきたからよ」と言う。「へえ、私、それ言ったことない…」と言うと「言っておきなさい」とアドバイスされた。彼女の場合、弟さんが結婚していなくて、もう充分高齢な親にとってのたったひとつの心残りがその事で今もぼやいているそうだ。それで、自分の子には結婚することをさんざん吹き込んできたそうだ。個人の自由とか言っている場合じゃないわよ、と言われた。私も結婚は否定しない、というか、した方がいいと思う。別れるにしても。ただ、したくてもできない人がいることを思うと、強く言えない感じがある。そういうと「あら、じゃあ、あなたはなぜ結婚したの?」と問われた。彼女自身は、高校から家を離れてひとり暮らしする中で自分で作ったご飯をひとりで食べることの孤独に、ひとりは嫌だと思ったそうだ。

私は「ご飯をひとりで食べるのは平気なんだけど、これで地球が滅びるという日にひとりなのは寂しいなって子どもの時から思っていたから」と答えた。これは本音だが、説得力があるようにも思えない。どうも人と話していてよく感じるのは、自分って、ひとつひとつをちゃんと意思的に選択してないなということである。自分の中でそういう選択をしたということを明確にしたくないのかもしれない。これは逃げだろうかとよく思うが、どうしてもいろいろな事は成り行きといった方がしっくりくる。大きな意味で、これをしたいからとがむしゃらになったことがない。もちろん日常的には、仕事をするにはこれは知らなくちゃ、とか、これをやらないと、という積み重ねはあるに違いないが、大きなものを描いてそこにがんばって向かうというイメージとは逆で、日々がなんとなく重なっている感じの方が強い。それで特に不自由というわけではないが、人と話すのに結構不便なのだ。伝えにくい。物語を作りにくいというか。まあ、別に人を説得するために生きているわけじゃないからいいんだけど、年を取るにつれてそういう垢というか癖が積み重なる一方でことさら感じるようになる。
by kienlen | 2012-02-17 10:16 | その他雑感 | Comments(0)

池井戸潤著『下町ロケット』

ここんとこ読み続けてきた池井戸潤作品、これでひとまず終わりにしようと思った。こちらは娘に図書館から借りてきてもらった。毎度毎度思うことは、息子なら考えられない。図書館行ったことないだろうし、本も読んだこと、ほとんどないだろうし、こういうお願いをすること自体、親として思いつかない。違うタイプで良かったというか、いちいちそういうことが浮かんでくる自分も自分だけど。満足感ありました。面白かった。どれも展開は似ているけど、つまり、登場するのが中小企業と某特定財閥系大企業と銀行で、ハラハラするが最後は一見弱き者、正義が勝つのだという、あんまり見たことないけど水戸黄門スタイルってこういうのを言うんだろうなって気がする。安心だし、後味が悪くなく、希望が沸いてくる。悪い奴はかなり悪く、良い人はとことん良く、というのも、娯楽として楽しむには分かりやすい。それと悪いといっても人間的に救いのない悪さではなく小市民的な悪さというか、社会的自己保身的レベルというか、社会の産物的というか、システムの犠牲者的というか、そういう悪さ。かといってこれがリアルなのかというと、まあどうなんだろうか、まあだから小説にする意味があるんだろう。小説って面白いなと感じさせてくれる。それと、登場人物がそれなりに単純というか、自分なんかには別世界という感じのないのが、ここがリアリティがある点。

東野圭吾とかだと、自分自身が心の闇が深くない単純な人間なので、どうも、あの執念深さみたいなのは疲れるというかピンとくるものがなく、まあこういう大変な人もいるんですね、レベルで、まあだからまあそれが面白いのかもしれないが、ちょっと低年齢層向けってことか。池井戸作品の方が少しくたびれた大人向けな感じ。それに企業とか銀行が舞台というのは基本的に私は好きなんである。社会の仕組みが見えてくる感もあり。この本を読んでいる最中、ごく小さな会社の社長と話していたら、そこは開発と製造もしているからアイデアがいろいろあって聞いていて面白く、環境関連だと「それって補助金出そうなアイデアじゃないですかあ、社長」と言ってしまうのだったが「それが出ねえんだよな。何で〇〇に出て、こっちは出ねえんだ」となる。誰がどの分野に金を出すかって、そういう流れなのだ。「それだけ斬新って証しですよ」というまとめ。いつからまとめるようになったのか、年のせいか。ということで結構お役立ちな内容。実用エンターテイメントって感じだなあ。そうそうファンタジーという分野がもともと苦手な自分としては、これなんだ。今気付いた。
by kienlen | 2012-02-16 09:11 | 読み物類 | Comments(0)

ゆっくりランチタイム

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母の見舞いの際、娘とお昼をどこかで食べようということになった。何が食べたいか尋ねると、彼女の答えはたいてい「たくさん食べたい」である。食べ盛り、羨ましい。質問と答えはかみあってないが。知り会いがやっている大衆食堂の大容量どんぶりとか揚げ物の定食とか、そういうものにするか、自分はちょっとなあ、と思ったり娘と話していたりしたら、その日は一緒だった夫が「うどんは駄目なのか」と聞いた。うどんだと自分で作った方が美味しいから外で食べるのは別のものにしたいと私が言い、そのうちにふと思い付いた。1度行ってみたいと思っていた店が病院の方面にあったはず。

それをふたりに告げて同意を得て行った。私設のギャラリーがあって、そっちに行ったことがあり、同敷地内にあるレストランに興味があった。結果的にとてもいい店だった。笹寿司があるなんて珍しい。大好き。大根の味噌漬けを具にしているということだったが、なかなか美味しく全体的に地場のものを使い工夫されている感じ。料理が出てくるまでに時間がかかったけど、マニュアル的でうんざりするサービスじゃなく心が入っていて気持ちが良かった。蕎麦もとても美味しかった。娘は蕎麦をどうしても大盛りで、ということで大盛りの天ぷら蕎麦。天ぷらも自分で作った方が美味しいと言うと「だったら何でもそうなるでしょ」と怒られた。それから人のをつまみ食いしていた。また行きたくなる店だった。行こう。
by kienlen | 2012-02-15 07:30 | その他雑感 | Comments(0)

大きいって魅力的なのかなあ

昨日また少し遠くに行ったついでに、最近話題になっている大型ショッピングセンターに寄ってみた。その市に行ったというと、ホントに皆が「〇は行った?」と言うくらいな有名な場所、らしい。直売所と温泉派な自分としてはショッピングセンターというのはそう興味がない。しかしつい最近もそこの話しを聞いたし、仕事が思ったよりもずっと早く終わったこともあり寄ってみたわけだった。どっかで見たことあるな、というか、馴染みのある感じの作り。そうそう、タイのショッピングセンターはこんな感じのが多かったように思う。もっとデカイけど。つまり大きな吹き抜け、買物しなくても散歩を楽しめるような空間配置。さすがにタイではあまり椅子はなかったな。あんなの置いておいたら1日中そこで過ごす人がいそうだ。私も疲れてホテルのロビーでぐったりしていたらすぐ声かけられたことがある。ま、どー見ても金持ちには見えないから。

そんなことを考えながら一周。雨や風や雪に関係なく散歩するにはいいんじゃないか。ベビーカーを引っ張っていくならこういう場所が安全だし、ということで、都市生活者としての練習を赤ちゃんからするわけなんだろう。みんなが将来のお客さんなんだろうし、イザという時の避難所としても良さそうだし。周辺には、アメリカで規格品の住宅がどんどん増えた頃の様子をビデオで見た時のような、そんな感じのミニタウンがあった。田舎の町の流行が都市から何年か遅れって聞くけど、そういう感じ。それにしても何年なんてもんじゃなくて、何十年か。かといって当市郊外でもありふれていて珍しい光景でも何でもないのだが、大型ショッピングセンターと一緒に見ると近未来の反対というか、これってやっぱり途上国的光景だなあという感じがする。確かに便利だからなあ、というところか。ショッピングセンター内にあった本屋が結構良くて、結局本屋で時間と金を使う。また行くかというと、1度見ておけばいいやって感じ。大きいことはいいことだって、一昔前の発想かと思ってた。しぶとく生きているんだな。
by kienlen | 2012-02-14 08:20 | その他雑感 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


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