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北北西に進路をとれ

しばらくぶりで「午前十時の映画祭」へ。この映画は見たことがなくて、なぜか自分の中でいつか必見になっていた。それで娘を誘って見に行った。ちょうど夜の上映もあるということだったので夜の8時20分からというやつ。娘の都合で金曜日の予定だったが、突然娘の都合で今日になった。で、全然知らなかった。ヒッチコックの映画だったんだってことを。なんか戦争ものかと思っていたのはなぜだろう。何かの間違いだったわけだ。娘にも「確か戦争もの」と言い「怖い?」と聞かれ「怖くないよ」と言っていた。全部間違いだった。戦争ものではなくて怖かった。怖いけど面白い娯楽ものだった。誰もが携帯を持っている今ではあり得ない映画だった。のどかなもの。それでも娘は怖い怖いと言っていた。今の映画の方がよほど怖いと思うけど。それにしても主人公の女性が実に魅力的だった。

娘とは映画館で待ち合わせて、その前に友人とやきとりやへ。映画の前後の楽しみを思うと、シネコンが郊外でなくて街中にあるってありがたい。ビールを飲んだら途中でトイレに行きたくなる不安があるので避けたくて日本酒を注文しかけたが、それだと眠くなりそうな不安で、やっぱりビールを1杯飲むことにした。内容的にトイレどころでも眠るどころでもなかった。今日で8月もおしまい。早い、あまりに早い。今年もあと残すところ4か月ではないか。笑いたくなるくらいの早さ。年内には髪を切りたいもんだ。
by kienlen | 2011-08-31 23:30 | 映画類 | Comments(0)

『原発はいらない』

小出裕章さんの著なのでささやかながら購入。隅から隅まで同感。1ページ目から何だかいきなり泣けてしまってしばらく中断してしまった。ここまで一貫して核の科学者として原発に反対してきた人が、福島の事故に責任を感じ謝っている。謝らなくちゃいけない人は他にたくさんいるはずなのに。強くなければ生きていけない、優しくなければ生きている意味がないというのは私の好きな言葉だけど、その通りの人という感じ。『原発のウソ』では、私的なことはあまり書いてなくて緊急的な初心者向けという感じだったが、この本には、なぜ、いかに原発に反対してきたか、そしてそれがどのように潰されてきたかが、静かな謙虚な語り口ながら毅然と書いてある。60年代、70年代、みなが原子力の平和利用に夢を描いていた頃に、そのひとりとして核を学び始め、学生時代に住民の反対運動に加わり、研究をやめる仲間もいる中、彼は内部から危険性を訴え反対するために研究者になった。

尾行されても昇進できなくても、とにかくそれを貫くことに全くブレがなく、反対運動を支えてはほとんどで破れてきた。でも和歌山では建設を中止できたんだということも知った。それにしても今も充分に何乗しても足りないくらいに恐ろしいが、将来にわたる核廃棄物の問題を一体どうしろというんだろう。研究者の不足も恐ろしい。それでも推進するというのは、どういう思考経路で理解していいのか私には分からない。自分には科学的な知識がないから、とか、こういう次元で考えちゃいけないんじゃないかとか、科学的であるということは人間中心でないといけないのかとか、そういうためらいを払拭してくれる本当に優しさに満ちた本だ。学校の副読本で使ったらいいのに。とにかく畑を見ても川を見ても空を見ても放射性物質を思うというのは、それが永遠と続くというのは嫌だ。でもすでにそうなってしまった。タイトルそのまま同感。
by kienlen | 2011-08-30 18:06 | 読み物類 | Comments(0)
きゅうり採りのバイトが本日で終了。先月の上京時に休んだだけで全く休みなしで毎朝毎朝薄暗いうちからきゅうりを取っていた夏だった。顔を洗うために目を閉じると緑の葉っぱときゅうりのなっている様が瞼に浮かぶような状態だったが、このところはもう木が枯れてそういうシーンも浮かばなくなってしまった。もうほとんどないので遅くしようということで今日は5時半からにした。30分ほどで終わり。この夏はきゅうり採りがあったから、何だか働いているような気分になっていたが、まあ気分のみではあるが、終わったらどうしたらいいんだろう。この時間を何かに宛てたいとは思う。散歩とかトレッキングがいいけど、こういうことはひとりよりも仲間が欲しい。ひとりだったら語学学習とか。でもこれますますじっとして不健康だし。そうかテープを聴きながら散歩。一考の余地あり。

この間、友人と話していた。息子を中学から外国へやりたいということだった。このまま日本で教育受けて日本にいるという将来が浮かびにくいらしい。原発のことも大きい。分かる気はする。その友人が日本語教師で外国でも長いこと教えていたので、職業柄もバイリン実験をしたいという。それもよく分かる気はする。子どもが小さい時は自分もよく考えてはイライラしていたこともある。夫が全く無関心だし当の子どもも無関心だし。せっかくチャンスがあるのになあとか考えていた。でも早い時期に諦めた。家族で移り住むような仕事とかそういう環境でない限りは、少なくともどっちかの親が本気で関わってそのために他を犠牲にする覚悟と経済的余裕がないと無理だなと。でもそういう環境があったらやってみたかった気持ちがあるので友人には「やって、やって」と言った。実験的に春休みにシンガポールに行ったそうだ。200人ちょいの短期語学留学の生徒のうちの200人がタイ人だったそうだ。「いいな」などと娘や息子に言うと「やりたければ自分でやれば。がんばって」と言われるだけ。枯れていくきゅうりの木と人生を重ねながら、それでもまだしつこく実をつけているのに感心しながら、とりあえず早起きだけは続けようかな。きゅうり以外の何かが瞼に浮かぶかも。それとも寝ていた方が浮かぶかも。
by kienlen | 2011-08-28 07:01 | その他雑感 | Comments(0)

学校にお菓子がない

夏休み前に、タイから当地の小学校に転校して来た子の日本語指導ということで、休み明けから行くことになっていた。よくも毎年来る子が絶えないものだ。なんだか憂鬱ではあった。小学生である。子どもが苦手な自分である。それに今までの乏しいとはいえ経験から、勉強をやる気になっているタイの子にあまりお目にかかってない。小学生で動機がないと教育者でもない私など結構辛いのである。娘に「ママ、学校に向いてない。行きたくない」と言うと「私も」と言っていた。で、まず始業式で紹介があった。たかが週に1度2時間行くだけなのに全校生徒に紹介される。それからまた「あー、受けるんじゃなかったかも」な日々。でももうあんな風に紹介されちゃったし、行かないわけにもいかない。で、この間が初日だった。

当面取り出しで、ということになっていたので教室に迎えに行く。「別の教室だよ」と言うと、あんまり嬉しそうにしていない。そうだよな、ちょっと同情。初日だからどんな感じか、夏休みの間にどのくらい日本語ができるようになったか様子を見よう程度に思っていた。話してくれる子だといいけど、という心配をよそに、びっくりするくらいに洞察力があって話しの面白い子だった。しかも勉強する気満々で、夏休みの間にボランティアの日本語教室に通ってひらがなもカタカナも習得していた。挨拶程度は分かるし、とっても勘のいい子という感じ。となると、こっちも楽しい。タイの学校ではお菓子を売っているから毎日、育ててくれているおばさんから10バーツもらっていき、5バーツでお菓子を買って残りを貯金していたら1万バーツ以上たまったから親戚で病気の人に上げるんだと言う。こんな私でもタイの子のこうゆう話しを聞いていると、ほろっとする。しかしタイの子どもにとって日本の小中学校でお菓子を買えないのは大きなカルチャーショックなのだ。憂鬱が楽しみに変わった。
by kienlen | 2011-08-27 08:11 | タイ人・外国人 | Comments(0)
海堂尊の本の何冊目か。買い置き本はこれでおしまい。しばらく止める。面白すぎてやめられないので仕事ができない。娘が、シリーズの中で一番好きだというので期待があったのだが、今まで読んだ中では最もお子様向けという感じがする。やはり高校生の好みはこれか。私としてはイノセントゲリラが一番だな。陳腐な男女関係が味付けになっていたり、主人公があまりに出来過ぎだったりと、面白いことは面白いんだけど、ここまでエンターテイメントに突っ走っていただかなくてもいいのにな、みたいな部分があった。これを先に読まなくて良かったかも、と感じた。ということは、つまり自分の好みが娯楽より問題提起、男と女より個人と組織とか、まあ、そういうのにあるのかもしれないと感じさせられた。ああ、でも充分面白かったです。まだ全然飽きてないから多分またじきに次のを読むと思う。

きゅうり採りは今月いっぱいまで。もう収穫量が少なくなったので作業時間は1時間余りとはいえ、相変わらずの3時50分起きで昼寝をしないとなると、もう眠くなる。日に日に夜明けが遅くなっているのを感じる。5時になってやっと普通に作業できる明るさ。今日話した友人は小学生の息子の留学先を模索中だった。いいな。娘に留学しなよ、とけしかける。春休みに父親とタイに行くらしい。その頃の私は多分超暇で店番の代行に専念できることだろう。尻切れトンボ。
by kienlen | 2011-08-26 20:56 | 読み物類 | Comments(0)

きょうだい

娘の登校2日目。息子が帰る日。昼夜逆転生活だったため一睡もしないで朝を迎えた息子にうんざりしながら娘を起こすと、彼女はひじょうに不機嫌。朝食を食べながら「ううう」と吐きそうになる。なんかドラマの一場面のようである。こういう時の対応ってきっと人によって違うんだろうな。私の場合は現実対応なので吐くならトイレへどうぞ、だけ。というのは、登校日以外でこうなることはないから、体調というよりは単に学校へ行くプレッシャーなんだろうと想像しているから。息子をバス停まで送り届けることになっていた。友達をピックアップしてくれということで、いつもなら後部座席に乗るのに助手席へ。助手席だと話しがしやすい。彼にとっては、だから後部なのであるが、いつもは。

妹が吐き気を催しているのは学校が嫌なのかと思うよ、と息子に感想を述べる。そして高校は楽しいとしょっちゅう言っていた息子に「初日から楽しかったの」と尋ねてみた。「楽しかったよ」「へえ」「だって人といるのが好きだから」。なるほど。そういう人って、どういう人とでも楽しいんだろうか。ちょっと私には分からない発想。多分娘にも。「ってことはひとりは耐えられないってこと?」「ううん、そうでもない」「ま、そういうタイプにも見えないよね、いくらでも寝てるもんね」「でも、ひとりで旅行はしたくない」と言う。周囲にひとり旅をする人がいるので、それとの比較をしているようだ。「勉強が大変みたいだよ。1年から模試あるし」と娘のことについて言う。「えっ、ウチの学校もあったよ」「えっ、受けたの?」「…覚えてない」「だって、3年になっても『模試受けてねえじゃねえか』って先生に怒られて懇談が成り立たなかったでしょ」と言うと、へらへら。娘は帰宅後は機嫌が良くなっていた。兄ちゃんが戻ったせいかもしれないな。「平和だねえ」と、どちらからともなく。あんまり似てないきょうだい。
by kienlen | 2011-08-24 22:05 | 家族と子供の話題 | Comments(2)
海堂尊の有名な本をやっと読んだ。映画もあるのは知っていたけど見たことがない。見れば良かった。でも活字の方が面白いかもしれないな。物語の展開というよりは会話の妙が相当部分を占めるから。本に逃げている自分。情けない。目をそらしたいものが身近にあって浸食されそうになると防御は本か。本によってそれ以上考えるのを止めているわけだ。人には現実を直視することから始まるとか言いながら自分はこれ。そういう時のチーム・バチスタはやはり痛快だった。まだまだ飽きない海堂で、飽きずに寝たり読んだりな日々。諸々の根源の息子がまだ家にいて、それにしてもな姿をさらしている。娘が今日から登校。少し夏休み気分から復帰しないといけないレベルまできていると思う。

それで本。今から振り返ると、最初に読んだアリアドネの弾丸が異色だったんだなって感じ。バチスタというのが心臓手術の名前であることは外科医須磨のノンフィクションで知っていたのでイメージはしやすかった。これを読むならあっちを先に読んでおくのはいいと思った。その手術チームは次々と難しい手術を成功させていたのに、ある時から続けて術中死亡を出してしまい、院内で調査が行われ、驚愕の事実が!という展開。どうも自分の読書癖というものを振り返ってみると基本的にはストーリー全体の面白さというよりは、ディティールの面白さに惹かれる傾向があると思う。その点でひとつひとつの会話がいちいち拍手したくなるようなこういうのは最高。昨日はいろいろむかむかした日だった。それを書いたらおしまいという次元の話しなのでやはり本に逃げておく。というわけで連日読書メモ風になっている。
by kienlen | 2011-08-23 04:21 | 読み物類 | Comments(2)
しばらく前に読んだ森博嗣のエッセイが意外に面白かったことはまだ印象に新しく、かといって小説を読もうという気にはならずにいたところ、書店でこれを見つけ、面白そうなタイトルだしぱらぱらしたところ読めそうな感じだったから購入。ざっくりいえば、科学的であることが自分の身を守ることにもなる、ということ。出だしは面白かったけどだんだん、あーと感じるようになってしまった。それは毎度のことだけど、そして単なる個人的好みなので本がいけないわけじゃないけど、ああ、くどいな自分、ちょっと残念な感じはある。そういうことに著者も触れているので当然わざわざそうしているんだろうけど、つまりそうじゃない大衆の問題というか。ここでは文系がそれに入るんだけど、そこまで極端かなあ。こうなると、自分をマイノリティに位置付けているのってヤダな、そうじゃないから好きだったのに、という自分的価値観の線に引っかかってしまう。

で、気になるのは、この本を読んでいても感じたけど、知れば知るほど通じないんだって感覚を抱くようになってしまうんだろうなということで、それって由々しきことではないだろうか。で、つい説教口調になってくどくなって…。それが残念。この人にはそうであって欲しくなかった、みたいな。言っている内容は特に違和感なく、そうでしょう、と納得できるものだった。それでまた海堂尊を何冊か仕入れてきたのでしばらくはそれでもつかな。そこで引けてないで行ってくれ、と思える方が痛快でいいや、と思いつつ、これはこれで危険かもね、と思ったり。雨続き。キュウリはほとんど収穫できなくなっている。今朝も1時間弱の作業でおしまいになった。連続3日も雨だ。陽が当たらないんじゃあキュウリもかわいそう。
by kienlen | 2011-08-21 07:10 | 読み物類 | Comments(0)

『困ってるひと』

大野更紗さんという著者の壮絶なる闘病記。一般人どころか医者でも知らないような難病中の難病の。こんな面白く読ませてくれる闘病記はあまりないんじゃないだろうか。これによって医療制度、障がい者福祉制度、自治体間格差から人間関係から諸々が浮き彫りになるという重層的な内容になっていて、読む価値が高いと思って娘にも勧めているところ。たまたま著者は大学院生でビルマの難民の研究をしているところだったことから、その難民と自分を同一視してみたり実はもっと難度が高そうだとなってみたりと、テーマは「難」にあるようだ。研究費が出てタイ国境にいるビルマ人キャンプにいく直前に体調を崩し、読んでいるだけでも痛くなるくらいにひどいのに、それをおしてタイ行きを決行して倒れてしまうところからの始まり。いかにもネット世代な語り口で面白く綴られている。

実家が福島のど田舎。そこで田舎の優等生として育った現代っ子なので怒られたことがない、ということになっている。痛みにも弱い。これが医師との関係なんかにも影響することになる伏線みたいなもの。あちこちの病院で物理的痛さと一緒に病院や医者からの仕打ちを経験しながら、診断が下るまでの1年間のたらい回しの様子もすごいが、それで遂に自殺しようと覚悟するのだが、それは序の口で、なんとか偶然が重なって東京の難民ばかりを受け入れる病院にたどりついて、読む側としてはほっとする間もなく、その後の凄まじさはさらにエスカレート。こういうのってまさに渾身の1冊というんだろう。こういっては何だけど、才能をここで開花させて社会貢献するための試練なんじゃないかという気がする。印税が、せめていくらか生きるための足しになるといいが…。困っている人から見えてくる世界というのは足下から上に無限大に広がっているわけだ。それがよく分かるし、生きている限り備えとして必要な知恵もたくさんある必読書という感じ。イラストもかわいくてよくマッチしている。ネットで連載していたものみたいだけど過度にすかすかじゃないからいい。それにしても痛い、辛い。
by kienlen | 2011-08-20 18:30 | 読み物類 | Comments(2)
2冊とも海堂尊著。これは両方とも小説じゃなくてノンフィクション。『死因不明社会』の方はブルーバックスで、それなのに小説でお馴染みの人物が登場するという画期的な構成になっている。これを読んでおくと小説の方の理解がしやすくなるように思う。医者で作家という人は渡辺淳一も確かそうだったし少なくないように思うが、こういうタイプはどうなんだろう。繰り返しになってしまうがひじょうに面白い。具体的な主張があってそれを訴えるために小説を書いているみたいだ。主張というのは死亡時医学検索でのAi導入、つまり死因を確かめるために画像診断をせよということ。なぜ必要なのかの説明も、なぜ普及が進まないかの説明も、明瞭な言語で明瞭に解説してあるのでとっても分かりやすい。とにかく読んでいてストレスがない。入り組んでない、ごまかしがない。そして面白い。

実家から戻った娘とひとしきり海堂本の話題。息子が全く本を読まない人種なので、子どもと同じ趣味で話しができるなんて今まで考えたこともなかった。なるほど、こういうことですか。彼女も相当なファンでバチスタシリーズは何度も読んでいるとのこと。イノセントゲリラの祝祭が好みとは渋くていいじゃないか。このノンフィクション2冊は未読ということだから「買ったから勝手に読んで」と言っておいたが、どうかな、難しいだろうか。映像化されたのは娘もあまり興味をもっていなかった。この人のは文章の面白さがあるので映像でキャラクターをシンプルにしてしまうと多分つまらなくなりそう。そういう話しをしていた。でも外科医須磨久善の主人公は水谷豊がやったらしいよ、解説も書いているよ、と言うと「えー、じゃあ見たかった」と言っていた。本を全く読まないのも困ったなあと思っていたが、本を読むことで現実味が薄れる例はここにあるから、それはそれで…どうなんだろうか。この間読んで面白かった森博嗣のを読み始める。うーん、これもかなり面白そう。わくわく。
by kienlen | 2011-08-17 16:28 | 読み物類 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


by kienlen