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地震のあった町へ仕事で

6月の最後の日。速い。朝、友達から、夜に夫の店に行くという連絡があったので「じゃ、私も行く」と返事して本日の仕事先を添えたらすぐに電話があって「地震があったんだよ」と言われた。知らなかった。でも地震はよくあるし。で、その友達が「こんな日に行かない方がいいよ」と言うのだが、行かないわけにいかない。震度5で電車もストップしているかもしれないという。ちょうど車にするか電車にするか迷っていたところ。高速道路も怪しいというし下道で車と決める。知らなかった、被害がこんなに大きかったとは。「呑気だねえ」と言われたが、知りようがない。情報収集力低い。

帰り道に久々に温泉に寄った。駐車場に車が1台もなかったので誰もいないといいなと思っていたら誰もいなかった。読みかけの本を持ち込んで湯に浸かりながら読書。山の中の温泉もいいが、ここは川辺。露天ではないがガラス越しに川。しかも流れが速いので結構迫力があって好きなロケーションだ。夜はまたタイ料理の店に行ってダラダラ。ご飯で発酵させる自家製漬け物がちょうど食べ頃で実に美味だった。タイ料理最高。娘もタイ料理は大好きだから高校卒業したらタイに行くということも考えられるのだが、暑がりなのが気になる。ウチの中で暑がりは娘だけ。朝から「暑い、眠りにくかった」と何度も言うついでに「パパはどうして眠れるんだろう」と言うから「タイ人がこの程度で眠れなかったらタイに居られないでしょう、暑い、暑いとうるさい!」と言うとブスッとしていた。これじゃあタイに住めないと思う。そういえば暑がりの娘のために夫の実家でエアコンを入れたことを思い出した。迷惑なヤツだな。
by kienlen | 2011-06-30 23:18 | 出来事 | Comments(2)

大鹿村騒動記

昨夜、試写会にて。これは面白かったなあ。高齢化社会の新しい(のか知らないけど)市場開拓みたいな感じ。さんざん人間を見つめてきました、という製作陣がその成果をいかんなく発揮しているみたいな、そんな感じ。楽しかった。泣かせようか笑わせようという意図が感じられないのが良かった。ちょうど映画に行く前に、夫の店でビックイシューを読んでいて、そこに棋士の羽生さんのインタビュー記事があって、名前は知っているけど読むのは初めてで、何気なく読んだだけなのにあまりの感動に、そこにいた娘にその感動を伝えると、娘はこの人が割と好きみたいで色々と解説してくれた。若いものが家にいると便利である。それにしてもビックイシューのインタビュー記事って好きだな。また東京の友人に頼んでバックナンバーから買ってきてもらおう。で、この映画もその将棋論に通じるというか、引いて生きる的なところが自分の中でつながって、結構いい気分で楽しむことができた。もっとも将棋の方は繊細でこの映画の粗い感じは対極だけど。

主演は原田芳雄だそうだ。良かった。岸部一徳も良かったなあ。あの浮き加減の微妙さが何とも言えず。近代化によって排除されてきたマイノリティーが受け入れられる古き良き日本のコミュニティーなんて言うと陳腐になってしまうけど、歌舞伎をテーマにしていることで異次元感が出てる。お祭りってこういう役割なんだ、というのが、お祭りでは物語になりにくいけど、歌舞伎だとなるんだな。いやあ、楽しかった。この間のブラックスワンはアメリカでバレエで、戻る場所のないような追い詰められ方を徹底しているとすれば、こっちはその真逆。若い性的マイノリティーを登場させたのも違和感なく見られた。信州の山は奥深いのである。とっても安心して楽しめるこじんまりした娯楽で現代社会に疲れた人と、疲れてねえし映画なんかめったにみねえが行ってみるかい、みたいなところで楽しめそうなヘルシーな映画。癒やし系というのかな、こういうの。大鹿歌舞伎、見たい。行きたい。
by kienlen | 2011-06-29 09:25 | 映画類 | Comments(0)

台湾人とタイ人とで半日

昨日、友人とランチをすることになっていた。タイ料理でワインをあけるということになっていたが、ちょっとワインは重たいなと思ってビールにした。カウンターではタイ人と台湾人が飲んでいる。他のお客さんがいないのでタイのCDを大音量でかけている。日本人がいなくなるとすぐにボリュームを上げるのがタイ人。日本人がいると下げるのは、大きな音が苦手な私が「うるさい、小さくして」と言い続けてきたのに一因があって、そうじゃないとどういうことになっているのかって感じ。ボリュームは下げてもらった。行き場のないタイ人がビール飲みながら意味不明な事を言っている。私などしばらく一緒にいるだけで「うるさい、ちょっと黙って」と言うくらいなので、店をやっている夫を、こういう時は偉いなあと思う。「ワタシ、逃げ場がありません」と言っている。

台湾人は母国では長いことマッサージ師だったということで少しもんでくれた。気持ちが良かった。ツボについて教えてくれるが身に付かない。台湾人の娘さんが小学校からの帰り道に寄っておやつにチャーハンを食べている。「この子は日本人みたい。生野菜が好き」と、キュウリを食べる娘を紹介している。「台湾人は生野菜食べないって本当なの」と尋ねると、やはりほとんど食べないと言う。トマトもキュウリも炒めるのだが、それを娘は喜ばないと言っている。タイとかベトナムは生野菜をよく食べるけど、面白いものだ。彼女は仏教徒で台湾のお坊さんの話を聞いた。「肉食べない」はびっくりしないが「ネギもニンニクも食べない」と聞いて、これぞ精進料理ではないかと感動。台湾に行ってみたくなった。「えー、なんでネギとニンニクが駄目なの」と酔っ払ったタイ人。「ネギとニンニクはエッ○な気持ちになるから駄目なの」「うっそー」「うそだと思うならやってみて。お腹すいている時にニンニクを5個食べてみて」と何度もタイ人に言う台湾人。なんで5個なのか聞けない日本人。ランチしたらいったん家に戻ろうと思っていたのに、ずっと居続けてしまった。
by kienlen | 2011-06-29 08:24 | タイ人・外国人 | Comments(0)
修理に出していたノートパソコンの修理が終わったという連絡が朝の遅い時間にあった。早急にやらないといけないと思っていた仕事の発注者から「1週間タイに行くから急ぎません」という連絡があってどどどと調子が狂い、まったくなあで読書→惰眠という流れを辿っている最中の電話だった。良かった、そのまま眠りこけずに済んだ。「今から取りにうかがいいます」と宣言してから飲み忘れていたコーヒーを飲み自転車で行く。実はパソコンの修理を修理屋さんに出すのは初めてのことだ。夫の兄が何でもやってくれる人なので、トラブルがあると頼んでいた。しかし問題は遠方であるため宅急便で送る手間がかかること。それとあまり何度もだとさすがに遠慮するし、あとは、どうも直ってくるたびに、何かが微妙に欠落してくる感がある。自分がもう全く無知なので、その欠落感の何たるかは分からないが、なんかこうズレてる感。あくまで感でしかないのが悲しいところである。

このノートも何度もお願いした。で、使えたり使えなかったりの具合がなんか微妙。ノートなので持ち運んだ先で使えないと失望感が大きい。かといってないとどうしても困るということもない。日常用が壊れた場合に備えてはもう1台があるし、出先での入力作業用にはそれ専用機があるし、だいたい私はノートを持ち歩くほどのビジネスパーソンではなく朝から惰眠が多いくらいなんだから。それでもせっかくあるのに故障のままはもったいない。しかし、もう古いからお金かけて修理するのももったいない。いっそ新しくするか、いや、そこまでするほどの動機もないし金も…。悩ましい現状。で、しかし実のところの大きな問題は、どこの業者に頼んでいいのか分からないのだった。まず若いお方というイメージ。「このおばはん、何も分からんだろう」と見られるのは事実だからいいとしても、分からん人に説明不要と思われると困る。ただでさえ世代のギャップの言葉が通じない傾向があるのにプラスして機械もんである。それと、やはりどっちかっていうと「買い換えた方がいいですよ」と言われるだろうという予想がつく。実際に言われている。そしてそれは正しいのだろうが、説明が欲しい。買った方が安いよ、以上の。私なんか、楽な消費者で簡単に騙されると思っているのだが、つまり納得できる説明付きに最も弱い。今回そういう点でとってもいい修理屋さんに巡り会った。これはこの人というのがあるとすごく安心。結構揃ってきたな、パソコンが加わったおかげで。実際にノートを必要とする場面も近々でることが分かったところだし、いい決断だった。
by kienlen | 2011-06-27 22:43 | 仕事関係 | Comments(0)
これは面白かった!こういう本が読みたい、とずっと思っていたものにやっと巡り会えたという感じ。図書館で偶然見つけてタイトルで予感があった。著者は冨田健次さんという大阪外大の先生。こういう内容でタイ語もクメール語もビルマ語もロシア語もドイツ後もアフリカの知らない言葉もいろいろ読みたい!つまり、その言葉を全く知らなくても面白いもの。言葉を入り口にして文化や社会がイメージできるもの。ベトナムに行った時の印象で何といっても強烈だったのは、特に北部における中国の影響で、一応儒教文化圏であるという認識はあったものの、現実に漢字いっぱいの寺や碑や、タイとは全く違って中国的なお寺の様式などを目の前にした時は衝撃だった。ベトナムって東南アジアという思い込みが強くなってしまっていたのが、そもそもの間違い。ちょっと旅行しました、程度の人にも分かりやすい内容で、著者の個人的体験も語っていて、専門家でないと分からないところも易しい説明で、すごく面白かった。

ちょっと残念だったのは、多分この本の趣旨とずれるということで省略したのだと思うけど、ベトナム語という言葉の解説のさわり部分だけでも欲しかったな、という点。具体的にいうと、発音の仕方。アルファベット表記なので表記の基本ルールと発音と声調の基本を示しておいてくれたらな。ま、相当に複雑だとは思うけど。というのは、ベトナム語を話すために学びたいというんじゃなくて、単に理屈を知りたいだけなので、わざわざベトナム語の教本まで欲しくはないのである。毎ページに例文が載っていて、そこに解説が皆無で余白部分が多いのだから、ここにちょこっと解説を入れてくれないもんかな。ま、それはともかく、中国文化とフランス文化という、東と西の文化に深く影響されている象徴としてアオザイのことが紹介されていた。旅行以来何冊かベトナムの本を読んだけど、アオザイの成り立ちは初めて知った。紹介するまでもない常識なんだろうか。タイとはすぐ近くの国ではあるが、中国という大国に接しているかそうでないかでここまで違うのである。ベトナム語に関する解説はさすがに大変に興味深いものばかり。30歳といわず、せめて25歳若かったらベトナム語を勉強したい、と思うかもって内容だった。
by kienlen | 2011-06-25 11:01 | 読み物類 | Comments(0)

華道部

f0104169_2243243.jpg娘は結局華道部に入った。週に1度くらい花を活けて、それを携帯から黙って送信してくる。今も気付いたら届いていた。今回は3回目か4回目。華道部なんてすごく意外だった。自分では考えたことがないものだから。文学部とかバドミントン部とか英語関係とか、思い付くことを言ってみたが親とは趣味が違うのだ。で、華道部と聞いて、そういえば花をいじるのは好きだったなあと思い出した。2年生が熱心じゃなくて、事実上活動が止まっている状態だったのが、1年生の入部が何人かあったことで活気づき、毎週の活動ができるようになったそうだ。外から先生が教えに来てくれるそうだ。私などすぐに「そうやって華道人口確保しないとねえ」とか言ってしまう。いくら無知な私でもこの活け方を見ると流派は想像できる。当たってた。実家から父の使っていた花器と剣山をもらってきて、今回から家で生け直してもらうことになったので、テーブルの上に毎日花があることになった。それはそれでいいものである。つまりいつもいかに殺風景かということなんだが。
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一方の庭の方はドクダミ満開でクラクラしそう。これはいくら駆除しようとしても元気いっぱいに出てくる。私は嫌いな花ではないので娘に「ドクダミも活けて」と頼んだのだが「難しい」と却下されてしまった。人に頼まず自分でやるか。香りが充満しそう。誰も来なくなるかも。今年こそドクダミ茶を作ろうと思っていて、今日ごそっと抜いてベランダに干した。そしたら雨が降ってきた。種を蒔いておいた小松菜は虫がたくさんついて葉っぱはほとんど食べ尽くされた。しかし茎は食べないのである。不思議。で、思ったこと。お菜類は茎だけで充分じゃないかということ。キャベツやレタスに葉がないわけにいかないが、小松菜に葉がなくても困らないのである。茎を味噌汁に入れている毎日。充分美味しい。葉は虫に、茎は人間に。その虫をドクダミの中に放り込んでもドクダミは食べないんだなあ。
by kienlen | 2011-06-24 22:39 | 家族と子供の話題 | Comments(0)
宮台真司×飯田哲也というビッグなふたりの対談本。発行日に読んだから数日前。本屋で見つけてぱらぱらして面白そうだから買った。そして実際面白かったなあ、と思ってなんとなくアマゾンの評価を見てみたら結構すごいことになっている。ふうん、ちょっとびっくり。普通にまっとうな話と思ったけど。スタートは宮台氏が突っ走り気味で飯田さんの話が聞きたいと思っているうちに飯田氏が中心になっていくって感じの臨場感があり、まあ、こういうのは対談本の面白さだろう。飯田さんは雑誌でよく見かけているが、原子力ムラの中にいたということは知らなかった。ムラの論理を分かりつつという方法をとるので高木仁三郎さんについては、尊敬はするが方法論としては評価していない。飯田さんへの宮台さんの素朴な質問で興味深かったところ。それは、ナチュラルサイエンティストを志して原子力の世界に入るのに、どうしてムラに過剰適応してしまうのか、というもの。それ、知りたい。

それに対して飯田さんの見解は、ひとつには世代の違いじゃないかという。上の世代は重厚長大型の価値観+エリート意識→一般大衆を愚弄視。次が飯田さんと同世代とちょっと下で、そこそこ頭が良い+ぶれている→柔軟なので内側でも外側でもコミュニケーション可。そしてその下の世代は「青年将校みたい」で「オレの選んだ道なんだ、ウダウダ言うな」タイプの登場。なるほど、分かりやすい感じ。ということは、飯田さん世代でがんばらないといけないってことじゃないだろうか。宮台さんもちょうど同じ年。彼は自他の理論を縦横無尽に駆使して社会学的に解説を加えていく。これはこれで分かりやすいといえばいえるけど、言葉の使い方が過激なので、ひとりで書きまくるよりも、ソフト路線の飯田さんが相手でちょうどいい感じだった。人間社会の本質を突いているというか、読み応えはあるのと、自然科学の学者では言えないことも社会学的な見地から光を当てることで浮き彫りになることが多々あり、そしてここはスエーデンで研究していた飯田さんなのでもちろんだが、代替案がはっきりあるという希望の書でもある。一体どうしてこうなっているんだ、何かやりようはねえのかよ、という疑問怒りをどうやって現実に応用していくかと考える時の基本書になると思った。
by kienlen | 2011-06-24 16:45 | 読み物類 | Comments(0)

特に脈絡なし

頭も体も使わない内職。これ以上入力作業したくありません状態で昨日は抜かした。今日もちょっと苦しい。読んだ本の感想は後にしよう。2-3日中にやったことの羅列。タイでロングステイ希望のご夫婦と、友人夫婦とで食事。それから友人夫婦の営む店で雑談を久々に。それから教育関係者の会議に出た。こちらも久々。さすがにもう慣れて思考停止状態が苦にならなくなる。慣れってすごいな。終わると、知らない人から声かけられた。若い先生。そもそも知らない人に声かけるのって、職業柄以外では外国にいた人に多いように思う。教師で知らない人に声かけるような人をあまり知らないからびっくり。教育界の流儀は身に付いていないし、自分のような単純な者にとっては警戒しなくちゃいけないんだろうかとも一応単純ながら思っていることもあって身構えたら「アタシも夫が外国人ですし」ということだった。ほう、妙な連帯意識を覚えるものである。国を聞いたら記せないほどマイナーな国だった。思考停止を終えて俄然興味が沸く。立ち話から座っての話に移行して諸々話す。子育てと言葉の事等が中心。小さいうちの言葉に関する悩みは分かるが、当方はもう過ぎてしまっていて、結局モノリンガルを受け入れざるを得なかったわけだ。その理由と、状況の違う人には希望があると思うという話しをした。

夜は落ち込む要素を抱えたまま飲んだら眠りにくくなって、眠るのを諦めて読みかけの本を読了。でも別に眠れなかったわけじゃなくて無事に眠った。仕事みたいな事をちょっと。内職をちょっと。ずっと調子が悪くて何とかしたかったノートパソコンの修理を思い切って決断。ネットで見つけて気になっていた業者に連絡して訪ねるといい感じだったので発注してしまう。人には新しいのを勧められるんだけど、それもね。直ってくるのが楽しみ。高かったのにろくに使ってないんだから。そういえばずっと考えていたコンパクトデジカメも注文しちゃってあるのだ。そんなに安くないもの。今日はタイから来たばかりの小学生の支援態勢について関係者一同で打ち合わせ。それから車でちょっとした仕事先へ。戻りは夕方。内職が間に合わない。しかしビールがどうしても飲みたい自然環境。我慢できるわけないのは歳のせいにしておこう。今日会ったのはタイ人ふたりと韓国人。韓国人からは「日本に留学した韓国人の彼女を追いかけて来たイギリス人がねえ・・・・」という話を聞いた。ベトナムの本を読み始めた。面白そう。朝に読み損ねていた新聞を見たら、原子力ムラの巻き返し本腰入ったって印象。しかしなあ、生き物のひとつな身としては理解できないことだらけ。明日は味噌造りの見学ツアーに参加する。意味のないバラの最後↓
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by kienlen | 2011-06-22 23:01 | 出来事 | Comments(0)

『原発のウソ』

原発事故以来脚光を浴びることになった小出裕章さんの著。3.11以後初めての書き下ろしだそうだ。存在を知っていつも行く書店で購入。陰ながらの応援も兼ねて。大変に分かりやすい癖のない記述で昨夜の一晩読書。内容も基礎的なこと。もっとも、海に流そうが扉を開けようが数値が高かろうが汚染された泥の処理だろうが、すべて「健康に影響ない」「環境に影響ない」というのが基礎だと信じている人がいたとすれば、そういう人にとっては斬新かもしれない。まえがきにまずは感動する。こういう科学者がもっといたら日本の運命は違っていたんだろうなと感じる。原子力に夢を持って研究に足を踏み入れたものの、危険性を知って考えを転換させてから、これ以上の原発が造られないように模索した。その当時、日本列島に原発は3基。それがいつのまにか54基。「申しわけない」「非力を情けない」と書いている。でも「絶望はしていません」とある。なぜなら40年前はほとんどの人が原発推進で異端扱いだったのが、今は小出さんの話を聞く人が増えたから。起きてしまった過去は変えられないが未来は変えられる。まえがきではそれを言っている。

「福島原発はこれからどうなるのか」が1章目のテーマ。すごく分かりやすい解説だ。楽観的になるように誘導せざるをえないんだろうなとしか思えない報道を見て、これを一体どう解釈したらいいんだよう、と思っている者には納得の、そしてもちろん安心からはほど遠い冷静な科学者らしい説明。次が「放射能とはどういうものか」の解説。こちらも極めて分かりやすい。そして次が「放射能から身を守るには」。特に子供を心配している。50歳以上になると影響は劇的に低下。以上のような知識はおさらいであるという人にとっても、4章から7章までは必読だ。本当に悲しくおぞましい日本の原子力推進の様子が描かれている。あちこちで報道されているとは思うけど、まとめて読む価値は大いにあり。日本の原子力技術が高いという神話がひっくり返されるのには、本当に「みんなウソだったんだな」と暴れまくりたくなるくらいだ。そしてこの間に太陽光発電等、日本がリードしていた分野で他国に抜かれたことの巨大な損失。最も重要なのは「原発を止めても困らない」ということ。断言している。どうしようもないんじゃないかと素人考えに思う廃棄物のどうしようもなさも想像を絶する。こんなものを推進してきたのって犯罪だと思うが、この本はそんな告発的な下品な議論は一切なくてあくまで品良く本当の怖さを教えてくれる。とにかく読みやすくやさしく、でも読者を見下さず真摯でごまかしがなく愛のある本。
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by kienlen | 2011-06-20 21:16 | 読み物類 | Comments(2)
こういうタイトルで7人が裁判所前に立っている。自分のイメージの中のアメリカ人像にぴったりの7人。それでこれは陪審員の話だろうなということは予想できる。そして日本の裁判員制度をにらんでの翻訳出版なんだろうなということも。図書館でたまたま見つけて借りた本。私自身はここで扱われている事件について全然知らなかった。2002年のクリスマス・イブにカリフォルニア州で起きた、妊娠中の美人妻が殺害された事件で、ハンサムな夫が逮捕されたというもの。ひじょうに大きな話題となった事件だそうだ。この裁判に際して12人の陪審員が選ばれる過程から、審理の様子、法廷内の様子から死刑判決まで、かなり詳しく書かれている。で、なるほど、カリフォルニアの裁判制度ってこうなのね、というイメージは膨らむようになっている。ただ、それについていちいち説明を加えているわけじゃないので、疑問点は多々でてくることにもなるが。こういう本は日本では絶対に書けないわけである。なぜなら裁判員は知り得た内容を終生口外してはいけないからで、アメリカの陪審員は公判中は厳しく管理されるものの、終わってしまえば誰に話すのも自由。よって、こういうノンフィクションが可能になる。大変に大きな違い。

それにしても、映画でもあるし噂にも聞いているが、裁判って陪審員に向かってアピールするものなのだということを最初から最後まで徹底して教えてくれる内容だった。それについて懐疑的な部分なんて皆無で、なんか、アメリカ的というか、すごいなあって感じ。まあ、歴史が違うから当然なのかもしれないが、司法は専門家という思い込みからスタートしている国とは違うわけだ。そして、それはそれで市民の良識というか、そういう所に落ち着くものらしい、ということも感じさせるようになっている。陪審員ひとりひとりの葛藤は予想できるにしても、内部告発による陪審員の交替が結構頻繁にあるということは知らなかった。いろいろ考えさせられたけど、事件そのものの解明がなされていないというモヤモヤは拭いがたい。だからこそ陪審員の苦しみも長く続くという面はあるんだろうし、実際、解明なんてほど遠いものが多いのかもしれない。この本の目的は事件の解明にあるわけでないのだからいいのだが、それにしてもなあ…。これで死刑か…。人が人を裁くことの意味について考えるには、実際の話だから読みやすい参考書になると感じた。
by kienlen | 2011-06-19 15:29 | 読み物類 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


by kienlen
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