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日本社会の一隅にて

夫の店に行ったらカウンターに小さな子どもがふたり陣取ってテレビを見ていた。ニュースを見たいのに、アニメかなんか見てる。馴染んでいる感じ。子どもだけでこんな店に来るとは見上げたもんである。聞くと、母親がパチンコに行っているから預かっているという。それでまた思い出した。何かの刺激によって思い出すというのは、やっぱり歳なんだろうな。思い出す事柄がいっぱいになっているわけだ。もう何年も前のことになるが、(きっと)きちんと育って東大を出て高等教育機関で教えている友人が、タイ人のやっているスナックに行ったら小さな子どもが寝ていた、と言って憤慨していたっけ。私は「だってお母さんがスナックやっていたら連れてくるしかないじゃない」と言った。社会階層の上の方に属するような人よりも、そうやってギリギリになんとか生活している側に共感を覚えてしまうのは、自分の境遇を考えてもしょうがない。でも、共感してすませていいのか、それはそれで分からない。

そこでパチンコである。働いているなら許せるがパチンコは駄目というのは成り立つのかどうか。仕事がなくて本気でパチンコで稼いでいる人って結構いるんだなと知ったのも何年か前だった。子どもを抱え、特に特別な能力もないタイ人の女性が働ける職場なんて、まずないか、あっても賃金はひじょうに安い。となると、腕が良ければ何万か稼げるパチンコで生活するのは選択肢としてはアリだろう。リスクが高いことは高いが、稼ぐために本気になって、そして重要なのは、自己コントロールができれば、ヘタなバイトよりもいい、というのは経験者から聞いた。私はパチンコに楽しみを感じないのでやらないし、貧乏性なので働かずに金を得ようという志向性もない。なんてことを友人に言ったら「パチンコも労働」と言われたことがあるが。で、その子達はジュースを飲みながらテレビを見て菓子を食べ、それからチャーハンを食べた。母は来ない。夫が「6時半に来るって言ったのにもう8時半だ」と言う。まだ来ない。9時も過ぎると、7歳のお姉ちゃんがあくびを始めた。4歳の弟は、なめた飴をつかんでドロドロの手を見せる。10時近くになって帰る時点でまだ母帰らず。タイ人に限ったことでないのだろうけど。
by kienlen | 2011-03-31 23:41 | タイ人・外国人 | Comments(0)

そろそろ本気出して暮らし方再考したい

東京にいたらタイの親族やら友人から避難指示のメールがあまりに多いのでバンコクに滞在中の友人。ひとり身は気軽でいいなあ。一応4月の終わりの方には帰国予定で出て行ったので「こんな日本に帰らない方がいいと思うけどそっちの様子はどう」と聞いてみたら「南は大洪水。東北は旱魃。北はミャンマーの地震の余震で揺れていて、バンコク含むタイ全土が寒くて日が当たらなくて暗い。お肌にはいいが、おかしい」という返事が来た。今の季節はタイでは最も暑いはずなのにこの有り様。

私など何の備えもなく買い占めもしてないので、ふと不安になって昨日ホームセンターに行ってみた。全く偶然だが、今月上旬に息子が一時帰省した時「あれ、あれ欲しい」と棚の上の方に目をやり、卓上ガスコンロを欲しがった。いったんは「自分で買って」と拒否したものの、最後になって「じゃ、持ってっていいよ」と言うと、持って行った。彼には幸いだったし、意外に予知能力ありかも、と思ったりもした。思うに、直感力を摩耗しない対応は大切である。そんなわけで、その後同じものを買おうとしたらなくなっていた。そして昨日もなかった。でも面白いことに、付近の七輪売り場にはそれこそたくさんある。ウチにもこれはあるので、必要なら使おうと思ってガスコンロをあせらなかったということはある。タイの田舎で水道も電気もガスもない生活だった夫は、バーベキューで困っている人を助ける火付けの名人だし、私の原風景というのは薪のカマドと井戸水。自分の時代にすごい勢いで暮らしが変わった。あの井戸水が今も使えたら生き延びるのに便利だろうに、埋められているはずだ。
by kienlen | 2011-03-31 13:46 | その他雑感 | Comments(0)

こっそりが堂々とできる怖さ

3日もあけてしまった。こんな意味もないダラダラを書いている場合かよ、という気持ちが居座っていてどうにもならない。そこで思い出したことがある。タイにいた時の日替わり定食のような政治。インフラというのは長期的に行わないとできないということは想像できる。そして政府が主導しないと無理でしょう、というのも想像できる。ちょうど大量輸送の交通手段を考えている時期だった。都市計画の話を聞いた時、バンコクにそういうものがないから今の計画を実行したら、立体交差が積み重なるような具合にものすごい高度(単に物理的に高いという意味)で交通網が走り回ることになる、というような内容であった。本当かどうかちょっと分からない。でも一応正式な話だったと思うが、それはともかくとして、工事はいっこうに進まないのだった。途中まで建設しては頓挫も何回も。バンコクで暮らしていた家の近くにも、頭上でストップしている高速道路だか何だかがあった。

どうしてこういうことになるのかと思ったら、政権交代のたびにいろいろ絡んでプロジェクトがストップするようなのである。全くなあと思ったものだが、あれはあれで素晴らしいことのように感じられる今日この頃だ。ここにきてまで事故を起こした原発を廃炉にするかどうかは「専門家の意見を聞いて」とか言っている首相。そしてここまで原発が、実は違うとしても表面的、結果的にはスムーズに進んできたのはなぜかを考えると、いろいろな絡みが絡みのままいられず、すとんすとんと進むまでに絡みきってしまっていたということなんだろう。タイは汚職でも悪名高いが、こうなってみると、露骨な汚職の方がマシに思えるまでの怖さ。ここまでくると、ああ、自分も病んでいる感。今回の件でタイは首相が原発計画をストップした。次にどうなるかは分からないけど、自分達の手に負えないレベルを低く設定できるということは、結局は賢いんじゃないだろうか。自然に畏敬を覚えずに「想定外」で片付け、科学技術は信仰するというのは、科学を知らない田舎生まれの自分にはもう理屈じゃなくて身体反応として全く理解できないことだ。科学技術関連のプロジェクトには感性豊かで超金持ちで金に目が眩まない芸術家をひとりは入れることを希望する。カナリアみたいな存在として。
by kienlen | 2011-03-30 22:47 | その他雑感 | Comments(0)

消化しきれない事態の中の日常

昨日、ちょっとした仕事を片づけようとしていたが全然駄目である。思い切って中断。こういう時も決断力があると便利というか不便というか。やっぱり勤め先があるってこういう時いいなあとあこがれつつもしょうがなく諦めつつ、用事のあった組織に立ち寄った。部屋に入ると、あったかい空気に包まれる。人がいるっていいよね、こういう時はやっぱり。でも私は部外者であり、ずっといるわけにもいかず、友人と約束してあった食堂へ。菜っ葉を栽培している友人が「放射能基準値以下だったから」と、お裾分けしてくれた。とっても美味しい野沢菜。ちょうど放射能チェックの順番が回ってきたそうで、専業農家のアンテナショップでもある食堂の主も「◎◎さんちの牛乳も大丈夫だった」とほっとしている。しかしいつまでほっとしていられるのか、それについて不安を煽りあってみたところで当事者の救いにはならない。とりあえず今日のことを考えるということだろう。吹けば飛ぶような商売の我が家も同じだが、何とか最低あと3年の猶予はいただきたい。しかしとりあえずは今日。

ひじきご飯と自家製5年味噌の味噌汁、自家製野菜のおかずの定食。美味しかった。ストーブの上で炊けていた黒豆をお土産にいただき、酸味の出た野沢菜漬けもいただいた。今日かつお節と一緒に煮て食べる予定。次の用事までに時間があるから温泉にでも行くかと思って出たところに別の友人から電話。「話したい」ということで、私もちょうどいいし付近の喫茶店へ。彼女もフリーランスでやっているからお互い「こういう時は勤め人だったらって思うよね」で一致した。さらに彼女は夫も子どももないから「家族がいるだけいいじゃない」となる。この事態に揺れきっている友人を前にすると、一緒になって揺れているわけにもいかず、こっちは固くなるしかない。相手が固いとこっちが揺れられるのだが、人間関係ってそういうことだ。予定以上に長いこと話し込む。とにかく仕事のこと、何もかも先が見えない。帰宅すると、高校の説明会に行って来た娘がいる。とりあえず日常があることに感謝。
by kienlen | 2011-03-26 11:31 | その他雑感 | Comments(0)

まだ寒い春休みの1日

高校入学を控えた春休みを過ごしている娘。昨日は友人の家に遊びに行き、今日は行ったり来たり。入学説明会には教科書や必需品の購入でまとまった出費となる。持参する金額を計算しておくように伝えつつ「頼むからちゃんと勉強して兄ちゃんのようなお金かかる道行かないで」と言うと「勉強して友だちに教えてあげないと」と言う。どういう意味かと思ったら、親しい友達2人がいわゆる底辺校で、バス代に1日1000円もかかる。補助がなくなったのか、とにかく蓋をあけたら私立の学費よりも公立高校に通うバス代の方が高いということが判明したらしい。「それ、当事者から教育委員会に言っていった方がいいよ」と私が言うと「そうしたいって言っている」ということである。そして娘はその子達がさらに留年でもしたら大変なことになるから勉強を教えてあげることになったというのである。で、そのために自分も勉強しないとならないということである。まあ、勉強する動機として一応筋は通っている。

今日は明日の仕事の予習で1歩も外に出ずじまい。このところ仕事らしい仕事をしてない。明日は1日入っているけどその後は未定だ。この2年くらい予想外の仕事続きだったが、そろそろ底を尽くということかもしれない。こんな時期だし、停滞はしょうがない。読みたい本は山ほどあるし、服も作りたいし、野菜作りの方法くらいは父に教わりたいもんだし、夫の店の宣伝ツールもいいかげん考えないと。タイ語の勉強もしたいもんだな。英語もいいな、他もやってみたいな。畑とその脇の小屋が欲しいな。草木染めと食品作りと…。たいした夢じゃないのだが、というか、単に人間の原点というだけなのに、ここまでハードルが高くなっているこの社会。変なの。
by kienlen | 2011-03-23 23:34 | その他雑感 | Comments(0)

この日常

先の見えない不安を抱えつつ日常を営むしかない。ひとりでやっている身としては、こんな時、組織に属している人は仲間がいていいなと思い、直接被災した人とそうでない人では不安のレベルを比較しようもなく、その中でもさらに異なるのだが、見通しのなさときたら他の事件や事故が小さく感じてしまうほど。しかし当事者という点では、他の事件や事故が軽いわけはないわけで、何の手当もなく放置されるものもあるし、同情や励ましや寄付の集まるものもある。ああ、いろいろと理不尽な中で、異質なのはやっぱり原発でしょう。結局先行き不安の最も大きな要因といえばこれだ。安全でクリーンなんてキャッチフレーズを信じたことはないが、そしてそういう人はたくさんいるのにここまで至ってしまった。なぜだ。

昨年の今ごろ、息子の引っ越しの関係で雑用が多かった。今年は娘が高校生になる。でも上記不安の方が大きくて、めでたさ半減。高校の説明会の日程連絡が来た。高校にもなって親が行くわけないと思っていたけど、娘が心配している。行くわけないし、行った記憶もないが、一応先輩である息子に電話で聞いてみた。「説明会に親行ったっけ?」「忘れた」と即答。私自身何でもかんでも忘れるので、この反応には驚かない。それにそもそも息子、説明会に行ったのかな。それに比べると何でも覚えているのが娘である。「覚えたくないのに覚えちゃう」のだそうで、友人にもそういう人は結構いる。そして自分ほど忘れる人は周囲を見てもいない。今のこの時も忘却の彼方に送り込むことができるんだろうか。
by kienlen | 2011-03-22 17:36 | その他雑感 | Comments(0)

新たな挑戦

昨日は自分にとっては不慣れなことをした。ギター演奏とタイ料理を楽しむというイベントを行った。そもそも宴会は嫌い、人が集まる所嫌い、友人同士の軽い飲み会の幹事もできないという者がこんな企画をすること自体がおかしいのだが、いろいろな事情があってその気になり、その気がすぐに縮むのが分かっているから、ギタリストに予約を入れた。こうして自分を追い込むことで実行したわけだが、そしたらこういう時期と重なってしまった。小さな店で大人数を集めるわけにもいかず、というか、そこまでしてやりたいわけじゃないからほとんど全員知り合いのみ。それで、どうしてこういう事をしたかということを考えてみた。事の発端はそのギタリストを知ったことに遡る。私は音楽に関しても分野外。好きか嫌いかとか、心地良いか悪いか以外の判断基準がない。音楽を流して仕事できるタチではなく、音楽を邪魔に感じることも多い。つまらんバックグラウンドミュージックとか。かといって音楽が嫌いとは言えない。やっぱり好き。本嫌いはたくさんいるだろうけど音楽嫌いってそんなにいるとは思えない。というわけで、上手だけど嫌いとか、ヘタだけど好き、みたいな判断基準は自分にはないということになる。

で、そのギタリストの演奏会を聞く機会が偶然あり、その中で「邪魔にならない演奏をしてくれと言われたことがある」という話があった。分野外の話というのは知識がないから新鮮なのである。そうだよ、私もそういう音楽なら聞いてもいいかもと思ったり、しかし、だったらなくてもいいのか、いや、ここでのあるなしの違いとは何かとか、まあ、つまり話の端々からいろいろなイメージが膨らんだのだった。それと周辺への気遣いのありようの違和感のなさ。こういうことはめったにない。つまり存在のありように違和感がなかったというと、大袈裟かもしれないが。通常はそこで終わるのだが、この時は場がカジュアルだったこともあって声をかけてみた。時には自分の気持ちを伝えることは大切であると思うようになったこともある。歳のせいもあり。それでなぜイベントかというと、多分それは、この自分の気持ちを誰かと共有したかったのかもしれない。ああ、違うな。共有ではなくて、自分の気持ちに対する確信が欲しかったのだと思う。ちょうど、本を読んでいると「あ、これでいいんだ」と感じることができる、つまり日頃得られない感じを持つことができるのと似ているかもしれない。それを人を通じて行うことが、イベントを通じた表現なのかと思った次第。イベント屋さんって興味なかったけど、なるほどと納得。かといってそれに引っかかってくる人っているという自信はそうなかったけど、いたいた。それが面白かった。
by kienlen | 2011-03-21 14:21 | その他雑感 | Comments(2)

苦役列車

芥川賞の受賞作を読むということはめったにないが珍しくその機会に恵まれた。友人が感銘を受けたようで、ちょうど私も読みたかったしで、貸してもらった。友人の感想を聞く限りでは、ただ、ふうん、という感じだった。面白そうに感じるというのでもないし、かといって全然興味がないというところまででもなし。それで実際に読んでみての感想としては、そうだなあ、小説を読むのって久々だし、慣れてないというか、昔風というか、どっかで見たことある感に襲われた。大仰な言い回しがレトロっぽくて、でも内容は今っぽくて。主人公が19歳という設定なので、その感じは出ているのかもしれない。そういえばウチの息子と同じ歳か。そうか。

感銘を受けた友人は著者と同世代で、私は上の世代。そのせいかどうか、それもあるのかどうか、うううう、あるいは純文学というものへの感性がないのか、私小説がもともと好きではないせいか、私には感じるものがなく、これだったら設定を19歳にしないで30代後半か40歳くらいにして、それで状況をこうしてくれればもっと人間の内面と時代状況への感じ方を描いてもらえるのになと思った。まあ、つまり自分は、そんな風にしか思えない歳になってしまったということなんだろう。ああ、でも私小説だから設定を勝手に変えられないのかな。でも小説だもんな、って、小説のこと、あまり知らないから。続けて、同じ友人から一緒に借りた同じ作家の文庫本を読み始めたが、こっちは結構面白い。
by kienlen | 2011-03-19 23:41 | 読み物類 | Comments(0)

義務教育おしまい

娘の中学の卒業式だった。学校の体育館の建設が遅れていて、会場は市民会館。この市民会館は耐震にも問題があるということで建て替えが事実上決まっているものだ。今の時期に耐震に問題があるとされる場所を、それを決定した市による市立中学の卒業式の会場にするというのだからすごい。はい、それは建築課の管轄ですから教育委員会は知りませんでしたとでも言い訳するつもりなんだろうか。私自身が保護者として学校に問題を提起しなかったのは、いくつかの理由があって、早急に危険とは思えなかったから。つまりどっちかというと、建て替えの理由に疑問を持っている方だから。ともかく式は無事に終わった。体育館での2時間にも及ぶ卒業式はパイプ椅子で疲れるし居眠りもできないし、間近では見たくないと感じるシーンも見えてしまうしで、自分にとってさほど心地よいものではないのだが、市民会館の儀式はひじょうに快適だった。

それなりに厳かな雰囲気が出るし、遠くから見るだけなのでアラは見えないし、遠いので写真は全体以外諦められるから落ち着いて見られるし、椅子が快適なので疲れたら居眠りもできるし、起立って言われて起立しなくても見えないし、よって規律を乱して周囲の迷惑になるということもない。そして実際のところ座ったままの方もいた。それはヒョウ柄のジャケットにお尻が半分見えそうなミニスカートに網タイツという、自分のドレスコードが古びたものに感じる出で立ちの女性だった。子どもと一緒に大人があれこれ指図されるのが違和感だなと思ったりする人にも最高の会場だった。とにかく疲労感が通常の学校の儀式の10分の1。実に快適。その後はクラス毎に会場を分散させて最後の学級会。クラス担任はものすごい人気のある先生で、娘も大泣き。帰宅しても泣いていた。息子の担任でもあったが息子は「あの先生を悪く言う人はいないけど、女子みたいに先生の影響受けないから」と言っていた。私も昔は女子だったが、そんなに影響される先生との出会いはなかった。確かに言っていることはまともであるし親からの信頼感も絶大である。この先生の異動先が友人の子の通う中学。「もしかして●ちゃんの担任になるかも」と娘に言うと「じゃあ、卒業式で泣くことになるよ」と言いながら泣いていた。
by kienlen | 2011-03-17 21:49 | PTA・学校 | Comments(0)

とりあえず保留

朝、外出の支度をしていたら、会う予定の人が体調不良ということでキャンセルになった。と、ちょうどそこに友人から電話があり、これもご縁、ウチに来ることになった。それから新しくできた喫茶店に行ってみることにした。大きなおにぎりを朝食に食べたので空腹感はなかったがお勧めの軽食セットを注文。食べているところに、友人に電話が入った。ランチの誘いだった。私は友人の車に同乗していたので行動を共にせざるを得ない、というほどのこともないのだが、一緒に行くことにした。よって軽食は途中でストップして持ち帰りにし、お昼の店へ。うなぎをごちそうになってしまった。図々しいとはこういうことを言う。するとそこに電話があり、夜の仕事がキャンセルになった。この状況下でありキャンセル続きなのは覚悟しないとならないが辛いといえば辛い。するとそこに夫から電話があり、いつも注文している豚肉工場に肉の受け取りに行ってくれということだった。

ひどい雪と風で景色が良く見えず、迷うはずのない道で迷いそうになった。寂寥感の漂う雪景色。林業振興政策のせいなのか伐採された現場もやけに目につく。そこは大きな肉処理工場だ。前にサフォークを処理場に連れて行くのに同行したことがあるのだが、トラックに乗せられるのを嫌がっていたな。私は菜食主義者ではない。工場の裏側でまだ鮮血という感じに血みどろの大量の肉を現金で購入。スーパーのパック入りとは趣が異なるが、かといってきちんと処理済み。いつもは男性スタッフが車に乗せてくれるのに、今日は小柄な女性だった。それを店に届けてからちょっとした打ち合わせへ。打ち合わせというと双方向的コミュニケーションを想像するが、本日の場合は諸事情によりただ、はいはい、だけ。娘は今日で学校最後。明日は卒業式。友だちがバタバタと出入りしている。彼女は私に似て本好きで「もったいない」と図書館のリサイクル本を、よくこんなに重いのを運んだなって感心するくらいに持ち帰った。置き場所がないけど、本好きってどうしようもないのだ。夫の兄の会社の外国人社員は全員帰国したそうだ。人数を聞くと「数百人」。「東京はガラガラだよ」とまで言う。彼は様子を見つつ備えている状況。そういえば子ども達のパスポートがとっくに期限切れになっているのに気付いた。娘のは今週にも手配しておかないと。息子に電話するとタイに行くのは嫌みたいだった。娘と春休みにタイというのもいいかって突然思った。「え、ママと」とびっくりしつつ「でも、言葉できるんだよね、大丈夫だよね」と嬉しそうだった。自分、何の資格も特技もないと思っていたけど、そうだ、言葉ができるってひとつのサバイバルの技術ではあるか。
by kienlen | 2011-03-16 22:49 | その他雑感 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


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