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『小田実のアジア紀行』

予定すっかり狂いまくり。昨日のうちに最低限の仕事を片づけ、今日はちょっと足を伸ばして外国人労働者関係の講演会に行くつもりだった。その途中で友人の黒豆とっかんイベントに立ち寄り励ますという予定もあった。すべて駄目になった。なぜかというと仕事ができなかったからだ。今朝は一番から飛ばしてやっつけようと思ったのも駄目で駄目駄目でずるずるだ。最低だ。何をしているかというとなぜか食べてばかり。妙に食欲がある。あまりの情けなさに起きてる元気もなく布団に入って本を読む。読みかけだった『小田実のアジア紀行』を読み終える。読み応えたっぷり。偶然でしかないし内容に共通点があるというわけではないが、この間読んだのが東郷和彦さんという、いわば体制をどうするかという視点の本で、こちらは盛んに「チマタの人」という表現が登場する。対照的。もちろんチマタの人の自分にとってじーんとくるのはチマタの人への視線だ。

それにしても。やっぱりそうそう共通点として感じたのは、自分含めて日本人の現代史に対する知識、考えの見事な欠落ぶり。よくある「アジア紀行」では教えてくれない諸々が、一番の核の部分を掘り当てるように紹介されている。もっと生きてて欲しかった。そしてこの本の登場人物の中にも「もっと生きてて欲しかった」という人はいるのだが、その理由説明もなんというかハードボイルド、なんて言っては的外れだろうか。私は小田実の本を、雑誌などの断片的なもの以外にきちんと読んだことがないという、そもそもから肝心な所が欠落している者であり、だから今から読もうと決心しているわけでもない者だが、この本が図書館で偶然見つけたものであるように、また何かのご縁があったら読むことなると思う。自身で撮ったというモノクロ写真も大変良く、一言一言の隅々まで感動した。いい本だった。ありがとうございました。余韻に浸っていると仕事にならないのでちょっと棚上げ。
by kienlen | 2011-01-30 14:14 | 読み物類 | Comments(3)

みんな自分にはね返る

昨夜は、ベトナム戦争後の世界をテーマにした講演会があって、それに行きたかった。とても行きたかった。ところが仕事でお世話になっている会社の新年会と時間が重なってしまった。こういう時にどっちを取るかは、悩ましい問題。当初は、もともと基本的に好きじゃない新年会は行かないつもりだったのだが、何度かお誘いがあったり、何度かご無沙汰したからたまには顔出しておかないとな、という大人的考えが頭を持ち上げて迷い、結局、講演会を少し聴いてから遅刻して新年会に行くことにしてその由を連絡した。直前までそうするつもりでいたのだが、もっと直前になってから新年会1本に絞ることにした。どっちも半端になるからだ。決めたからには、諦めたことに関していろいろ考えてもしょうがない。人生諦めが肝心なのである。ということで人はそれぞれその場その場で思考なり行動を調整しているに違いないと思うが、時々「この人はあらゆるものが手に入ると信じているのかなあ」と思う人に出会う。そっちを取ったらこっちは取れないことが明かな事を同時に実現させたいとしか思えない言い方をする。今朝の電話がそういう電話だった。小一時間も話したんじゃないかな。そもそもなぜ私に電話してくるのかは、分かるような分からないような。

仕事についてだが「自分でやらないんだから100点のものはできない」と言うから「自分でやって100点になるのなら、したいのなら自分でやればいいじゃないですか」としか言えない。でも「70点か80点で良しとしなければ」と言うのだが、良しとしたければすればいいし、不満なら最初から全部自分でやればいいし。なんでこういうことでひっかかるのか意味不明。こういう人にとって最善なのは「自分でやれないことを人にやってもらう時に、100%自分の思う通りにやってもらいたい」ということになるんだろうか。ということは裏返せば「自分に自信がある」ということになる。だって、自分の想定できる範囲内しか考えていないということで、人と行うことで生じる新たな創造性に思いを馳せないということではないだろうか。そもそも人が自分の思うようになるということ自体あり得ない…、でしょ。私は結構気が長いからこういう意味不明な人と話すことに、短気な人ほど抵抗はないが、さすがにあまりに意味不明なので物言いが普段にも増してストレートになる。すると「そういう歯に衣着せない言い方をするんですね」となる。「そうですよ。歯に十二単衣着せて何かいい事あるんですか」「○○さんもそうですね」と、よく仕事を一緒にする人の名を挙げる。「仕事以外の話題はともかくとして仕事に関して何を遠回しにする必要あるんですか。それと○○さんのことは○○さんに直接聞いて下さい。アタシ、知りません」である。「僕も長く仕事してきたけど必ず問題は起こるんですよ。だからそれを予め考えておかないと」である。「アタシ、そんなに問題起きてませんけど」である。このあたりまでくると、そうか、こういう物言いって相手に「まったく何てイヤなヤツだ」という印象を抱かせるのかもしれないと、ハタと思う。極端な相手には極端な言い方になってしまうということで、初めて自分が見えるということだ。朝から気づきを与えてくれた人に感謝しないとね。半端にしておかないことで見える世界は確かにある。
by kienlen | 2011-01-29 11:54 | 仕事関係 | Comments(0)
なんとなく買っちゃった本。庶民とは別世界に育った著者の博学と深い思考と歴史観と愛国心と正義感に敬意を抱いているためで、別の人がこのタイトルで書いたんだったら読もうとは思わないと思う。しかも帯は「平和の代償に日本人は何をなくしたのか?」だ。なんだか、なくしたものを回復するために平和を捨てよう、みたいに取れなくもなく、ちょっと馴染みにくいと思うのは曲解か。ネットで連載していたものをまとめたエッセイ集。面白いのもあれば、そんなにでもないのもあった。育ちが違うってこういうことなんだな、というのが隅から隅にまで行き渡っていて、選挙で選ぶよりも、このようなエリートが表に立って国を率いるのがいいんじゃないか、みたいな、国民主権社会には不適格な駄目国民になり下がった気分になってしまう。

日本が強い国であり続けなくてはいけないという一線は崩れることがなく、そのためにはどうであらねばならないかという提案が具体的にいろいろ示されている。庶民を相手にどうのこうのというものではなく、やはりこれは施政者側の方に向けたものだろうと思う。政治家、官僚のためのテキストかな。庶民レベルで参考になるといえば、ナショナリズムと排他主義の高まりの危険。この当たりの説明はとても分かりやすい。国体、皇室の章も、A級戦犯として獄死した東郷茂徳の孫に育ったという立場だからこその視点で力が入っている。それとこの男社会が日本の衰退の一因、とは言ってないけど、そういう意味の章はあり、外交官だったらそれを指摘して当然だろうなとは思う。もうちょっと書きたいところだけど、眠くなってきたので以上。
by kienlen | 2011-01-28 22:47 | 読み物類 | Comments(0)
1時間だけだが、週に何回か、タイから来た中学生の指導ということで学校に行く。今日も朝方にひとつ。中学1年の夏に来た。学力が低いことが気になっていた。日本語の覚えもいいとはいえないように見える。タイ語の作文の文章もめちゃくちゃで、母語がこれで一体どうするんだと心配な気持ちになっていた。タイの田舎の学校の先生は、読めれば書けなくても問題にしなかったそうだ。それもありなのかな。心配は基本変わらないが、日本語の方はさすがにいくらか分かるようになり、当人も面白がっている。しかし英語が全くできない。タイでは小学校4年から英語をやっていたそうだが、見事に全くできない。今日、単なる例文で「中国語ができますか」と聞いたら「少し」と言う。何かの間違いかと思ったら小学校4年の時に中国語もあったそうだ。知っている単語を聞いたら、1から10までスラスラ答えた。他を聞いたら知らないという。文字は全然できない。1年間で身に付いたのが1から10まで。英語は4年から6年まで時間数も相当やってほとんどゼロ。それどころか「英語は好きではありません」と日本語で言うのは得意になっている。

たまに娘が「小学校の時に英語やったけどあれ意味ない」と言う。ちょうど私も授業参観で英語を見たことがあった。実にくだらない、時間の無駄だと思って見るに耐えなかった。簡単な単語でゲームみたいなこと。娘の言い分は「小学生でABCを覚えろって言われても何が何だか分からない。中学からだとすぐ覚えられるのに」である。よほど印象的だったらしく時々言及する。私はくだらない英語の授業を見て「まだ中学との連動性を考慮できないから何をやっていいのか分からないんだろう」と解釈していたのだが、そういう表面的な問題でもないように感じる。この頃、何かにつけて「時期」というのを感じるようになった。タイ語でよく「まだその時期じゃない」という言い方があって、日本語でも言うけど、もっと頻繁に使うように感じる。息子に「留学するとか、外国へ行くのはどう?」と言った時「まだ時期じゃないと思うよ」と言うのを、今になってしみじみ感じて娘に言うと「考え過ぎ」と言われたが、そうだろうか。自分がそういうことを自分自身振り返ることがなく来たように思う。特に何もしてこないし、成り行きでやっているから、自分で選択しているという意識を持てないままで今日まで来た。よって時期なるものについて深く考えたことがなかったように思う。この間、何かの本で国際人の条件は何でも食べれてどこでも寝れて…みたいに書いてあったが、少し早く英語を始めるよりもそういう基礎を作る方が良くないか、とは感じるな。
by kienlen | 2011-01-26 21:09 | その他雑感 | Comments(0)

愛車の不調

突然の外仕事。他を調整して行くことにする。途中に山越えがあるので久々に温泉にでも寄るかと考えた。でも友人が寄ったり、世話すべき人の食事作り等々で遅くなってしまい温泉は諦めるにしても山越えはするつもりだった。ところが。車を出したものの何か変なのである。つい先頃車検をしたばかりだから安心していたのに奇妙な音がする。寒さのせいかなあ、だったら温まったら改善するかも。しかしおかしい。途中にいつも頼んでいる修理屋があるので寄りたかったが、時間がない。まさか車検直後でおかしなことはあるまい。しかしさすがに山の中で立ち往生のリスクをおかす勇気はなく、国道を走った。辺鄙な所のない場所なので何かあっても大丈夫、と思いたい。

とにかく目的地に到着し仕事した。それですっかり車の事は忘れた。走り出してすぐにもっとおかしくなっている感じを得た。参ったなあ。明日も出かけなければならない。朝に車屋に持って行って代車を借りて行くしかないなと考えながら走っていたが、どうにも不安である。8時近かったが車屋に電話してみたら、持ち込んでくれと言うので寄った。車検の直後じゃあ、車屋だって不安なんだろうか。友人から夫の店にいるという連絡をもらっていたが、行けないと連絡しようか。でも、もう時間も時間なので代車を借りて車は預けることにした。あー、とんだことになってしまった。昼間は少しずつ日差しも強まっているし、なんとなく今日までやってこれたことに感謝の気持ちがあって、なんとなくいい気分の日だったのだが、車の件で台無し。たいしたことなければいいのだが。
by kienlen | 2011-01-24 22:02 | その他雑感 | Comments(0)
図書館で借りた本。寺谷ひろみ著。集英社新書かと思っていたら学研新書だった。ちょっと似ている装丁。イギリスで毒殺されたとか違うとかで随分と話題になっていたが、どういう事件なのか知らないリトヴィネンコ毒殺事件。国際関係のことを知っているわけじゃないし特別に興味があったというわけではないが、なんとなく読んでみて、ため息の連続。毒だらけ、爆破だらけ、発砲だらけ、死だらけ。新書の割にはひどく手間取ってしまった。人名が長くて馴染みにくく覚えにくいのはしょうがないとしても、構成がかなり複雑。事件があって、その背景に遡っていくようではあるが、全部が全部そうなのかは正直、よく分からない。それでも毒殺事件を中心に描かれている分には、核心部分が一応あるので、章の始めに出てくる人間関係図を見ながらなんとかがんばってみた。それに人が減るので(やたらに暗殺されるから)、ある意味整理されてくるが、しかし民間企業を潰して国営化するあたりの手法を説明した後半部分はお手上げだった。

精一杯字面を追ったという程度で内容を把握できるまでには至らない。中心部分が見えず、関係者が多く、人は減らない。それでもやっぱり衝撃的な内容であることくらいは分かった。政治のマフィア化というか、マフィアの政治化というか、国って特定の人々の私物でもあるんだとか、ロシア人の亡命はイスラエルなのか、ユダヤ人だからなのかとか、もろもろ、怖い!そしてこの本は事実関係の羅列が中心でイデオロギーとかいうのはほとんど全く説明されていないのである。それがますます怖いのだ。ある主義主張の元に反対意見をなんとかするというのは、まあ、そんな単純なことじゃないにしろ、それに私は暴力は嫌なので何であれ静かでありたいのだが、とにかくそういう一切を超越して抹殺するかされるかの闘いが描かれていて、ある意味見事。そもそもイデオロギーで何かが動いているとはあまり思ってないので、そこは違和感なかったけど、文章がかなり分かりずらい感じだったのはなぜだろう。急いでいたからかなあ。細かい事はともかくとして、一読してみる価値はあるように思った。インターネットの情報で書いたそうだ。ここまでできるんだ。でももうちょっと初心者にも分かりやすいとありがたいと思った。
by kienlen | 2011-01-23 19:27 | 読み物類 | Comments(0)

土曜日の色と仏さま

昔から紫が好きだった。洋服なんかも紫が欲しくなる。しかし紫を着るのはなあ、みたいなところは若い頃はちょっとあった。タイでは曜日毎の色というのがあり、例えば日曜は赤とか月曜日は黄色とか決まっていて、その曜日の色の服を着て出勤、なんていう人も多分まだいるとは思う。私がバンコクで働いていた時は職場にそういう人がいた。占いで「赤は良くない」と言われたと赤い服をたくさん処分のためにもらったこともある。赤も好きなのでありがたかった。で、日本人は自分の生まれた曜日をあまり知らないように思う。私も知らないままにきた。タイのお寺に行くと、それからビルマにもあったように記憶しているが、よく、曜日毎にそれぞれの仏像があって、自分の生まれた曜日の仏像を拝むようになっている。その度に、曜日を調べないと、と思いつつ忘れて今日まできて、やっと先日調べた。ネットで調べられるから簡単。

なんと、土曜日だった。なんと、なのは、土曜日の色が紫だから。驚いたと同時に嬉しくなった。紫が周辺に多かったのはもしや幸運だったのかも、ということで。ま、色もそれぞれにいいから、赤だって嬉しくなるし緑は緑だし、ピンクだって好きなので、どれでもいいと言えば言えるが、紫というのは格別な感じ。安心して好きになれるというか。これってもしや信心深い…なんて言うと信心深い人に怒られそうだ。
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右端が土曜日の仏さま。後部は蛇で、どうも7体の中で最もごつい感じ。お隣の立像は金曜日、その横でお座りになっているのは木曜日。土曜日の紫で星座は蠍座。くどい、しつこい感じがある。さて、今日は土曜日。語学スクールをやっている友人がビルを買ってスクールを移転という景気がいいんだかどうなのかよく分からない再出発をしたというのでお祝いに行って来る。その後は新年会がある。だんだん付き合いのいい人になってきたような気がする。
by kienlen | 2011-01-22 10:39 | タイの事と料理 | Comments(0)
知っている人が書いた本を何かの拍子にネット上で偶然発見。即、アマゾンで注文した。それがこれ。読むのに少し難儀するかな、他のもっと簡単な本の方が優先になってしまうかなと思ったけど、大変すっきりと読むことができたし、とてもいい本だった。著者はプラユキ・ナラテボー。夫が出家から戻った直後でもあるので余計に感銘を受けた。仏教はいいなあ、という感銘。仏教の本は若い頃から折に触れて少しは読んてきた。昔、母が苦しそうにしているのを感じて「これ読めば」と言って仏教の本をやったことがある。多分まだ20歳そこそこの頃。タイトルは覚えていないがやったことをよく覚えていて、そして今も母は変わっていないことにも感動する。苦しくなければいいのだが、何か苦しそうに見えるのである。オープンさがない。なんでここで自己開示しないのかなという大きな不思議があり、結局それによって何も寄せ付けないのに、寄ってきて欲しそうなメッセージは伝えるのである。それはつまり他をも苦しくさせる。それから逃げたかった。逃げられる人はいいが、当人はそういう当人から逃げてないというのが感動だ。

今思い起こして、当時の自分がなぜ仏教の本を読んでいたのかは、思い出せるような出せないような。ただ単純に楽になるには、という発想だったようにも思う。自分の場合は結構シンプルで、苦しい、でもそれを外に訴えるだけの手持ちのネタがないというか、生育環境が外部に対して訴求力を持つほど過酷だったわけではないし、決定的な不幸に見舞われたわけではないし、そうなると、これって自分の問題だよな、と思うわけだが、でも何か言い訳が欲しい。それを母に転化しては相手も迷惑ってもんだろう。失礼しました。で、この本と何の関係があるかというと、今を観察することの重要性を説いている。納得である。タイで、お寺と僧侶、それと人々の関係が日本のそれと全然違うことにびっくりしたものだが、こういう本を読むと、こういうお坊さんが身近にいてくれたらどんなにいいだろうと思ってしまう。タイ人は、日本にあるタイのお寺によく行く人が結構いる。タイ人のいる所、お坊さんあり。著者ともこちらで知り合った。それから実家に訪ねたことがある。その時は、私の友人が会いたいというから同行したのだが、その友人は亡くなってしまった。あれからもう10年くらいになるのかあ。なんか、速い。
by kienlen | 2011-01-20 09:09 | 読み物類 | Comments(0)
娘が帰るなり「お腹すいた」と言う。ココアが飲みたいというから作ってやる。夕食はイカを煮ようと思っていた。なぜか夫が持ってきたのが冷蔵庫に入っている。あとは味噌汁とほうれんそうのおひたしと、長いもの千切りと、娘の大好きなネギの味噌炒め。イカを取り出してびっくりした。イカだと思っていたのはカエルだった。どうりで、見慣れない包装だと思った。ちょうどイカくらいの大きさに手足を伸ばしているカエルが2匹だ。皮を剥いて処理してあるから体の色は似ているが、さすがに足の形が全然違うのでパックを開ける前に気付いた。ということで予定していた主菜がなくなってしまった。しかし、こういうものをわざわざ買ってくるあたりは、よほど好きなんである。夏は自分で捕まえるので皮がついたままのが置いてあったりする。

つい先日は、夫の店で何か注文しようと思ったら隣にいたタイ人が「ゲーン・ノック食べる?」と言う。聞いたことのない料理名だ。鳥のスープという意味らしいことは分かるが、聞き慣れないので、そのまんまの料理というよりは何かの愛称かと思って、好奇心から「食べる」と言うとスズメの足みたいなか細い足が入っていた。なんだ、スズメか、日本で撃ったものか、と思ったら違って、輸入品を食材店から買ってきて作ったそうだ。北部の料理だそうだ。夫は夫で大の虫好きなので、コオロギやバッタや蚕のサナギやイナゴをたくさん並べていて、カウンターに座った人に勧めている。この間、私の友人の前に持って行って「どうぞ」と言うから「この人は虫嫌いだから勧めないで」と言うとぼけっとしていた。つまり自分が虫好きだし、周辺のタイ人も好きな人が多いので、人は皆虫好きと大きな勘違いをしているようだ。一体、何年日本に住んでいるのだ。今日のカエルについては「イカと間違えた。とっとと持って行ってくれ」と電話しておいた。しかし彼にしたらカエルの料理くらい何でできないんだ、ということになるんだろうが。
by kienlen | 2011-01-19 18:53 | タイ人・外国人 | Comments(0)
松村賢治著。面白かった!そもそもの関心は、大晦日に夫の店で除夜の鐘の様子をテレビで見ている時だった。なんで、新暦の大晦日から正月にかけて年取りの一連の行事があるんだろう…。除夜の鐘以外に、神社や寺の行事が紹介されていた。しばらくベトナム関連の本を読んでいて、正月はテトだと知り、そういえばタイは仏歴で数えているし、華人にとっては旧正月が最大の正月である。日本って不思議。新暦だって明治政府が取り入れたに違いないのにこの徹底した浸透ぶりは何だ。もう太古の昔からこのカレンダーだったような顔しているじゃないか。だいたい旧暦について何も知らない自分、はあ、情けない、とほほほほ。それに旧暦って言い方もなあ。と、そんな風に思っていて、かといって積極的にそれの関係を調べるというほどの力もなく、この間、娘と書店に行ってぶらぶらしていたら偶然この本を見つけた。文庫本だから買いやすい。「はじめに」を読んで、おお、これは本物だ即決だ、と感じて購入した。

何がはじめに書いてあったかというと、著者と旧暦の出会いである。ヨットで世界周航の旅をしていた著者が、潮の満ち引きで生活する人々と接し、旧暦に興味をもったことが書いてあった。それから旧暦って何か、という解説があり、どうして旧暦が使われなくなってしまったかとか、著者が設立した協会発行の旧暦カレンダーについてや、それを利用している人々へのインタビューとか、旧暦の威力とか、旧暦を知ることで古典文学が分かることや、歴史的な事件が旧暦の天候によって左右されていることなど、いろいろが書いてある。こういうことを子どもの時から知っていれば人生違ったのになあ、残念である。本当に残念だ。親はどうして教えてくれなかったんだ、学校教育は何していたんだ、なんて責めてもしょうがなく、知らなかった自分がバカなんである。時間というのは哲学のテーマでもあるわけだが、いや別に哲学をやっているわけじゃないが、時間の不思議は誰だって感じるわけで、暦の不思議と面白さをとりあえず堪能させてもらえる入門本。それにしても日本の脱亜入欧ぶりはすごかったわけだ。おかげで得した部分は大きいとしても、やっぱ方向性として考え直す時期でしょ、特に政治家の皆さん、ってな気持ちに根拠を与えてくれる本でもある。旧暦カレンダー欲しくなった。
by kienlen | 2011-01-18 13:36 | 読み物類 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


by kienlen