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玉村豊男『食卓は学校である』

やけに気になる学校用語。文化祭だの部活だの。そういう言葉を冠したイベントがやけに多いように感じるが、昔からそうだったのかどうかを知らないから分からないものの、学校化社会であるなという感じはあり。で、食卓まで学校なんだ、そういえば日本の学校は給食まで指導だもんな、と思わせるタイトルではあるが、玉村豊男の、この間読んだ本が面白かったのでついつい購入。高速バスと眠れない夜のための簡単読書のための予備本という位置付けだったけど、簡単読書を優先させてしまう我弱し。でも普通に面白かった。気になったのは「ベトナム式サンドイッチ」の項。ベトナムはツアーで恐ろしいことに全食事付きである。団体ツアーってこうなんだ。自由行動なし。1度だけのインドが行きが団体ツアーだった以外は経験ないのだが、あの時は特殊だったと思っていたら今回も特殊みたい。特殊続きを特殊と呼べるのか。スケジュールで空きらしき半日の時間があったから旅行会社に「ここは自由行動ですか」と尋ねたら「今回は視察ですから自由行動はありません」とぴしゃりと言われた。だから、ベトナム式サンドイッチは食べられないかもしれない。

何で気になるかというと、ラオスに昔何度も行った時に一番印象的だったのが、ラオス式のサンドイッチだからだ。フランスの植民地という点で両国は同じ。ラオスのフランスパンも美味しかった。市場に行くとサンドイッチ売りが並んでいて、野菜やソーセージを挟んでくれる。この本のベトナムの項を見ると、中身がもっと多彩で選べるようだ。ラオスも今はそうなっているんだろうか。この間行った時に確かめてくれば良かった。ただ昔のような露天の市場が少なくなっていて、ちょっとがっかりだった。バス乗り場でもサンドイッチ売りを見かけず。衛生面とかいろいろな規制ができれば自由な営業行為はできなくなる。自由な営業ができないと食べられない人も出てくるに違いないと思うが、暮らしてもいないのでそこまで分からない。昨日、バンコクに行っている友人と電話で話した。「ベトナムは経済発展すごいもんね。私達も来年見に行くの」ということだった。夫はタイ人のビジネスマン。そりゃあ当然興味津々でしょう。サンドイッチどころじゃないか。
by kienlen | 2010-11-30 10:52 | 読み物類 | Comments(0)

出家日程が決まる

一段落してみるとあっけないものだ。なんかあせっていたような気がするが今日は昼寝をする余裕があった。もうちょっとでベトナム行き前の仕事はおしまい。旅から戻った後は暇である。家を片付け、時には主婦友集めてホームパーティーだ。でも主婦友って誰だ。ママ友なんてもっといないし。そういえば一時「ら抜き」言葉というのが流行った気がするが、現在は「の抜き」言葉の時代なのだな。主婦の友、ママの友、メールの友。縫い物や編み物もするのだ。そうだ、手芸友を探せばいいのだ。ということを考えていたら、夫から電話があった。「とうとう決心した」と言う。ほう、離婚か家出か、と思ったら出家だった。前々から言っていたから目新しくはないが、つまり日程を決めて飛行機チケットの手配をしたということだ。店を2週間休むという。その間無収入。会社の有給休暇と違うもんな。いいんですか、それで。私が暇で夫も休みってことは…。来年は新年早々からそういうことである。いい年になりますように。

「2週間休むって良くないよ。誰か調理する人いたら私がやるけど、暇だから」と言うと「コーヒー出せばいい」と言われた。はあ、それも有りかなあ。誰かひとり来たとしてストーブの灯油代の方がかかることは明白。ま、結局のところ人の決断をとやかく言うつもりはないのである。立派なお坊さんになって下さい。お経を覚えておけば日本で便利なこともあるかもしれないし。男は食えなくなったら坊さんになればいいのだから羨ましい。女にも何かそういう道があるともっと安心感を得られるのだが。一応「何で正月早々なのよ」とか聞いてみたが、人の決断をどうこういう性格でないことは相手が一番良く知っている。1か月の無収入を耐えればいいのである。お客さんがその間に、店が潰れたと思うリスクを耐えればいいのである。先の事は分からないのである。夫は「サバーイチャイ クワー」と言って電話を切った。「心が軽くなる」。つまり、いつ実行するか考え続けてきた出家という行事を片付けてしまわないと心が重たいまんまだということだろう。ガイドブックによく「男子は1度は仏門に入る」とあるのを「そんなことありませんよ、夫は入ってないし周囲の友達も」と言っていたのを撤回。ガイドブックの通りです、と言うことにしよう、これからは。しかしガイドブック通りに事が運ぶってなんかこう悔しい感じがするのは何でだろうか。
by kienlen | 2010-11-29 17:20 | 家族と子供の話題 | Comments(0)

2日間走った

週末、福島県の白河へ行った。友達がタイ料理を食べる会を設定してくれて、当初は現地で作る予定だったが、当初の予定通りの暇ではなく、タイ料理の訓練をする時間が取れずじまい。結局、地元の野菜をつけて食べるようアジのナムプリックを店で作ってもらい、トムヤムクンもスープに味付けまでしてもらい、エビとレモンを入れてパクチーと細ネギを散らせばいいところまで準備してもらい、ラープだけは自分で作ることにした。といっても、これは、たたいて細かくした肉に火を通したらハーブと調味料で混ぜればいいだけなので、そのハーブと調味料を用意してもらうところまでやってもらう。これで料理の問題はないが、大きな問題は福島までどうやって行くべきか、である。車にはETCもナビも付いていない。地図を買って下道を検討。ひとりなので人間ナビもなし。タイヤ交換をしてないから高い山は避けたい。しかし、山に囲まれた県から出るには、どっかの山は越えるしかない。せっかくだから未知の道を行ってみたい。でも、ひとりだとあんまり危なっかしい所は避けたい。でも、どこが危なっかしいか、未知の場合は分からない。

地図に分岐点の地名とルートを書き込んで一番大事な旅の友とする。行きの山越えはかなりな山だった。1週間後には冬季閉鎖される山。昔と違って今はどこも道自体は整備されているので、間違って崖から落ちるなんてことはなさそう。ただ、週末だから他にも走っていると期待した車がほとんど見当たらず孤独だった。幸いなことに工事現場だらけでそれぞれに人がいて、それだけが救い。何かあって立ち往生しても工事作業の人が通り掛かるかも、という期待を持てた。それでも、日曜に工事が休みの可能性があるから帰りはここは通らないぞ、と思わせるだけの迫力のある山越えだった。慣れていれば先が読めるからいいけど、やはりひとりで知らない山越えはドキドキする。うさぎのココアちゃんでも連れて来れば良かったと真剣に思った。何かが居るだけで心強さは確実に違う。犬だったらもっと心強いに違いない。猫なら遭難しても暖を取ることができるか。今日の帰りは別の道にした。こっちは同じ山越えでも民家もあるし車も多いしで快適。道の駅もあった。快適ではあったが7、8時間の運転。この間も友人に「時は金なりって言うでしょ」と下道でのドライブを批判されたが、下道が好きなので、どうしようもない時以外はこっちにしたい。目に入る情報力が格段に違う。生活や歴史を感じられる。昨夜は友達の家に泊めてもらったがよく眠れずじまい。今夜は休憩で仕事は明日まわし。
by kienlen | 2010-11-28 20:29 | | Comments(2)

息子と娘

用事があって上京したので、息子の部屋に1泊した。久々に会う息子は髪が伸びていた。しかもパーマがかかっているように見える。「その髪、だらしない。切ってよ」と挨拶もそこそこに言う。顔を見れば文句であるから、相手もうんざりだろうなと思いつつ、これでもかってくらいに言い過ぎて素通りになってしまっている。となると、こちらは安心してまた言うのである。相手は「髪切るお金がないんだ」と言う。でも、どう見てもこの間会った時よりも金髪に近づいている。「髪切るお金はなくても染めるお金はあるわけ、そーーーゆーーーことね」である、まったくもう。それにしてもコミュニケーションのスタイルが娘と息子では全く違う。娘との平和な生活に慣れると、たまに会う息子に「キミは何者であるか、どっから来たのか」と聞きたくなってしまう。午後の1時に到着したので一応「昼は食べたの?」と聞いた。まだだったらランチくらいはごちそうしようと思った。すると「食べた」と言う。それが1時半になったら「腹減った」と言う。「だってお昼食べたって言ったでしょ」と言うと「11時に食べた」。そうか、青年男子は2時間半で腹が減るのか。いや、もしかして違う。部屋で私の説教を聞くのが嫌なんだろう。かといって「うるさい」と言ったら送金が途絶える危険もある。ここは空腹ってことで、ってこと、でもなかろうが、近所の店に行った。

このペースで食べていたら食費だけで相当額になるに違いない。最近、息子の通う学校から校舎新築に関する寄付のお知らせが来ていたことを話すと「校舎が新しくなると学食が高くなるんだよ、困るなあ」と言う。だいたい彼がこの学校にした理由のひとつがどうも学食半額にあるらしい。建築中だから、らしい。情報収集力なし、と親から決めつけられているが、こういう情報だけは敏感。世界が違う・・・。それにどうせ、半額なら2食食べる性格なのだ。長居は無用ということで早々に戻る。「兄ちゃん元気だったよ」と妹に伝える。無関心。娘とだと本当に平和。「お風呂沸いてるよ」と言うと「ママの後は熱い」「もうさめているよ」「そう言うけどいつも熱いもん」「ぬるくてもいいって楽だよね」「でも最近は熱いのも入れるようになった」「ぬるくても熱くてもいいって、本当にキミは楽な人だなあ」「そうでしょ」「みんなが○○だったらいいのに。でも、みんながママだったらもっと楽でいいっていつも思ってる」と言うと即「そしたら世の中つまんなくなる」と断言された。つまんなくても平和でいいと思うのだが。若い人は刺激も欲しいところか。3日も空けてしまったブログ。遠出が続くので色々片付け中というところ。
by kienlen | 2010-11-26 01:00 | 家族と子供の話題 | Comments(0)

中島義道『人生に生きる価値はない』

今日は家にいられる日。それが珍しいというほどではないが、目の前の事だけじゃなくて少し余裕があるという点では、なんだか久しぶりの気がする。この本は図書館で見つけてすぐに読んだ本。もう、しばらく前になる。これ以上あり得るかというタイトルは編集者がつけたんだそうだ。あとがきに書いてある。大好きな中島先生の本は久しぶりだった。雑誌の連載をまとめたものなのでやさしく読めて面白かった。前々から大学を辞めると書いていたが、このエッセイを執筆時点で退職が決まっているようで、それが盛んに出てくる。退職後の準備も進めている。哲学塾、近くだったら行ってみたいけど、ここから行くほどの元気があるというか、元気がないというか、どっちにもない自分。若い時だったらどうなんだろうか。そんなことは分からないんだけど。

最近は娘と本の話をすることが多い。昨日もドライブからの帰路「本屋に行きたい」というから寄った。コナンが目当てだった。他の店だと面倒だが本屋だと自分も好きな場所なのでつい寄ってしまう、という母の志向を見抜いているに違いない。息子が全く文字を読まないタイプなので、これで人生大丈夫なのだろうかと思っていたが、娘のように本ばかり読んでいるのも、これで人生大丈夫だろうか、と思うのだから勝手なもんである。つまりどうであれ心配であるし、その心配に大きな価値をおかないことだ。違うタイプがいるということは当方の人生を豊かにしてくれるようにも思うし、だから何なのかということでもあるが、とりあえず、どっちもどっちで、しょうがないのである。自分だってしょうがないし。朝から底の方で独り言。そういえば寝袋を見に行ったりしないとな。電球も切れたままで暗めな家になっている。
by kienlen | 2010-11-22 09:21 | 読み物類 | Comments(0)

衝動で海の近くへ鮨を食べに

今日は細かい仕事を一掃するのだ、という覚悟だった。昨夜の飲み過ぎを悔いる夜を乗り越えた遅めの朝だ。夫はまた朝帰りもせずに行方不明である。子どもの教育によろしくないが、それでもとにかく息子がいないのは、こういう時もなんとなく気が楽である。娘が電話すると出て、私が電話すると出ないのもおかしいというか腹立たしいことではある。娘が「冬の洋服が欲しい」と言う。いつものように、お父さんに連れて行ってもらってくれ、と言いかけて、そうかいないのか。電話では30分で戻ると言ったらしいがアテにならない、と思っていたら案の定戻らない。どうしてこういう嘘をつくのか、つくずく分からない。ひとりでいるんならいいけど、人が関係することなんだから嘘をつくと関係者が迷惑するということは毎度伝えているんだけど、不思議だ。嘘って結局癖になるんだろうか。習慣か。でも何のために。そこが全くもって理解できない。何のためか分かると納得できる単純さは持ち合わせているのだから、相手からすると楽なはずだが。

しょうがないから、というのもあるし、仕事も何とかメドだけはついたし、天気もいいので買い物に連れて行くことにした。安い店で何点か購入。それから文房具店にも行く。「絵が描きたいからスケッチブック欲しい」と言う。かわいいなあ、こういう要求は。なんかこう、女の子って感じだ。小型の青い表紙のを選んだから買ってやる。お腹がすいてきた。「お鮨でも食べたいな」と言うと「食べる、食べる」と娘。「いっそ、上越まで行くか」と言うと「行く、行く」である。魚の地元で食べる方が気分がでるもんね。ちょっと遠いが、これまでもこれからも遠出が続くから運転も気乗りするわけじゃないが、娘と行くのはそれなりに意義があるというもので、そのまんま衝動で海に向かうことにした。道の駅の鮨屋で昼食時でも夕食時でもない半端な時間。空いていると思ったらとんでもない混雑で待ち時間あり。地元の店なら待たないがここまで来たんだから待つ。それから魚を少し買い、夕暮れ迫った道を戻る。山々がピンクに染まり、大きな月が昇る。あまりの美しさに涙が出る。人間なんてちっぽけなのだと山を見ているとつくずく思う。2人で何度もため息をついた。重たそうで手を貸したくなるような月も昇るにつれて普通になるなと思っていたら「あーあ、普通の月になっちゃった」と娘。同じ事を感じるんだな。
by kienlen | 2010-11-21 20:17 | | Comments(0)

飛び飛び近況

疲れを感じる。歳のせいはあると思うが、昨日多分300キロくらい運転して、続いて今日は、たいしたことないとは言っても100キロ以上は走った影響はあると思う。遊びでもないし。その間にやった仕事の疲労感もあり。ベトナムに行くことにしたので、それまでにできることは欲張ってやっておきたい、じゃない、やっておかねばならない。今月は暇を持て余す予定だったため、遊びの予定を入れてしまっていた。自分だけの遊びなら撤回しても誰にも迷惑かけないが、相手があって撤回できない遊びが入っているから、そいつもやらないと。それにしても最近の自分の変化は何だ。若い時は誘われても断ることが平気だった。とにかく自分のやりたい事が優先であるから、無駄な飲み会、宴会はお断り。仕事の付き合いも嫌。そんな無駄な時間を過ごすよりも本を読んだ方がマシ。そんなんだった。ところが今は飲み会に誘われると「ご縁だし」でOK。そんなんでワイン会まで出て、昔なら断っている飲み会にも出て、という具合。挙げ句にベトナムまで。さすがにこれは一応迷ったけどOK。

ベトナムはツアーであるし、1人部屋追加料金がかかるしで、友人を誘った。彼女も迷った挙げ句に承諾。そして別の友人に、成り行きでベトナムツアーに行くことにした「ご縁だから」というメールをしたら「私も同じ」という返事が来た。つまり、ご縁を大事にして、今までなら付き合わない事にも付き合うようになったということ。同世代だ。それでカウントダウンコンサートにも行ったとか。こんな状況だから、いつ食いっぱぐれるか分からないが、かといってただ停滞していても細る一方である。何事も投資だと考えることにするしかない。勤め人じゃないので現役とか引退とかの区別がはっきりしない。仕事がなくなれば引退ってことになり、仕事があれば現役ってことになる、んだろうか。フランスばかりがなんで騒がれる、ということで、昨日の出先の道の駅で購入した国産ワインのヌーボーで今日はおしまい。
by kienlen | 2010-11-18 23:42 | その他雑感 | Comments(2)

初めてワイン会に参加

昨日のことになるが、ワイン会というのに初めて参加した。会費6000円。集金先の人からの勧めだったので、お付き合いと思って決断した、と言ったら大袈裟か。郷土料理と郷土のワインという組み合わせ。ソムリエがセレクトしたワインを注いでくれる。グラスは2つ。私はルールも何も知らないが、飲みきれないうちに次のワインがきたり、なんだかせわしい感じ。がばがば飲みたい時は飲み、ちびちびいきたい時はそのペースでいきたい身にはちょっと。料理は結構重たい。ワインも重め。ワインの重いのは好きだが、それと重たい料理はどうなんだろうか。極めつけはデザートで、その時のワインが甘めだった。デザートに甘いワインはかなり苦手だ。いずれにしろ、結局のところ、こういうものは相手のペースで進むわけですね。あれくれ、これくれ、とリクエストできないわけで、日頃そういうスタイルに慣れていると、結構な違和感で、はあ、社会適応に問題あるかも、なんて、今さらながら思った次第。

そしてその後が大変だった。重たくて眠れない。本を1冊読み終えても眠れない。次の本に取りかかる。これがまた面白いので眠れない。そして夫はまた帰らない。いつものように「行く場所があるなら荷物も半分持ってってくれ」と言うと、なんと本日、彼は大きなビニール袋に服を詰めて出て行こうとした。「何持っていくの」と聞くと「クリーニング」という答えではあったが、本当のところは分からない。いろいろと重たいイベントだった。ただ出会いの場としてはいいのかもしれない。スポーツジムに行くのだって、身体を鍛えるというよりもハイソな出会いの場としての機能が指摘されていることだし。明日は遠出になるので、昨夜の睡眠不足を解消しておかないといけない。寝る。
by kienlen | 2010-11-16 22:16 | 出来事 | Comments(2)

上原善広『異形の日本人』

友達が「2時間で読めるよ」と言って貸してくれた。偶然のご縁で読んだ本。そうでなければ自分がこの本を読むことになる可能性はかなり低い。タイトルで興味持つことはないだろうし「大宅ノンフィクション賞受賞第一作」という文句で興味持つこともないだろうし「タブーにこそ、人間の本質が隠されている」という帯の惹句で手に取ることもないと思う。こう、方向性というか感性というか、相性というか、とにかくいずれの文句にも惹かれないのである。ただし読んでみたら面白かった。それぞれ独立した6人に関するノンフィクション。すでに故人の場合は周辺取材と資料にて。生きている人の場合は取材して。で、その6人を「マイノリティ」というカテゴリーでくくっている。ただ、私はこのマイノリティというのがよく分からない。そもそも何がマジョリティーなのか分からないのだから、マイノリティが分かるわけないし、そういう分け方自体があまり好きでもない。もっとも数の多寡が見えやすい意味でのマイノリティだったら分かりやすいから別。

でもこういうテーマにしたのは著者が路地の人で、それについて書いてきたからという背景があるらしい。となると分かりにくくはない。それにしても私は、被差別部落を路地と呼ぶことをこの本で初めて知ったんだから、物を知らないというものだ。6人の物語はどれもひじょうに面白かった。視点がマスコミ、マジョリティーと異なるということなのか、あるいは物語の人達そのものがマイノリティなのか、まあ両方なのかな。なんてことはどうでもよくて、単純に面白かった。新潮新書だから確かに2時間で読めるのもあると思うけど、これは私は2時間以上はかかった。図書館で借りた本の続きを読みたいために早めに寝ることにする。野菜と果物のいただきものが多く、とても充実した食生活の秋。それにしてもあと2か月足らずで今年も終わりとは・・・。何だか人生について考える、しみじみ。しみじみに浸っているわけにもいかず、今日はちょっと仕事した。
by kienlen | 2010-11-14 20:54 | 読み物類 | Comments(0)

映画:ビルマVJ

娘とまた映画を観に行った。当地の映画祭の中のひとつ。実行委員会には知っている人が何人もいて、回数券を買ってあった。短期間に4本も見る時間的な自信がなかったので、友人と2枚ずつに分け、娘を誘ったら付いて来た。息子では考えられない行動である。夫の店のすぐ近くが上映会場。夕ご飯をタイ料理にして行く。受付から会場内から知り合いがたくさんいた。どうしているかな、会いたいなと思っている人達の顔も見られて良かった。普段の映画館なんて数人いればいい方なのに、珍しく賑やかな会場だった。そこでこの地味なドキュメンタリー。一体どんなんだろうと想像しにくかったが、結構巧みに編集してあってドキドキしながら見た。始まりは1988年の学生による民主化要求デモが国軍に弾圧されるところから。私がビルマに行ったのは、確か1990年か91年だったように思う。空港の職員まで伝統の巻きスカートだったのが印象的だった。タイとは全然違う空気。ひとりだったので、ホテルの前にたむろして誘ってくる誰を運転手兼ガイドで雇っていいかすごく迷った。あの時に案内を頼んだ男性は今も元気なんだろうか。

あれから20年も経っているのに、町の様子、人々の様子は、自分が見た時とそう変わっていないように見えた。娘に向かって「これね、昔の事じゃないんだよ、今だから、今」と伝える。隠し撮りが多い映像の中心は2007年の僧侶から始まった大規模デモで、日本人ジャーナリストの長井さんが至近距離から撃たれて亡くなった場面が繰り返し登場した。かなり鮮明だった。上映後にフォトジャーナリストの山本宗輔さんが解説というか、話をしてくれた。ビルマ国軍と日本軍との関係とか、日本政府のスタンスとか。また映画上映中にスーチーさんが解放されたことは何かの因縁であろう、みたいな話も。命がけの取材を続けたビルマ人記者達が、逃避の末に逮捕された後にどうなったかは報告されていない。最後は無残な死体となって川に捨てられた僧侶の映像が大きく映し出された。
by kienlen | 2010-11-13 22:47 | 映画類 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


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