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4日もあけてしまって何をしていかというと、内職と夜遊び。それはまだ続いているが、今日は内職を休んで隣の市にちょっと仕事。ちょっとといっても少しくらいは時間がかかると思っていたら本当にあっという間におしまいで拍子抜け。つまり仕事にもなっていない。内容も満足感なし。充実感もなし。食事でもと思っても食欲ない。なんで毎日毎日こんなに猛烈に暑いんだ。現地の友人に連絡しようかと思っても話す元気もない。直売所に行こうと思っても家はピーマンだらけでこいつを片付けないとならない。結局道沿いにある温泉に立ち寄ることにした。モノのたまらない事をするのがよろしい。駐車場に車はそんなに多くなかったので空いているかと思ったら結構混んでいた。でも広大な露天風呂のある温泉なのでどうということはなかった。読みかけの文庫本を持ち込み、林の中の露天風呂で読んでいた。その時は気持ちが良かった。

しかしそんなことをしていたせいか、体力の低下か、内職続きの極度な運動不足のせいか、だるい。ランチを食べる元気もなくしばらく昼寝した。このところ睡眠不足なのである。すごく忙しいというよりも夜遊びと内職のせいで、それに夜のアルバイトもあって時間配分のバランスが悪く、就寝が遅いのと暑さのせい。昼寝しているとたいてい誰かからの電話があるから、今日は誰かなと期待して近くに携帯を置いておいたら、ちょうどいい時間に鳴った。仕事半分遊び半分でお付き合いのある社長だった。「ゴルフをやって来た」と言う電話だった。何でそんな報告に電話してくるんだよう、とは言わなかった。ちょうどいい時間帯にありがとうというタイミングだったし、それに頼まれている仕事をまだやってないという弱みがある。何もかもイレギュラーで規則のない日々である。食事時間も不規則だ。残り物で遅いランチを家でとった。それにしても気温が1度上がるごとに能率低下で、午後の時間帯は厳しい。午前中に温泉というのも失敗だったような気がする。こんなに苦痛を感じる夏は初めてだ。
by kienlen | 2010-08-31 14:45 | その他雑感 | Comments(2)

夏の大好物

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今年はナスが不作でもらいものが少ない。それでもこの間、父から少しもらった。新鮮なうちにおやきを食べたくなって作った。1年に1度か2度作る程度だからなかなか上達しないのだが、今回はうまくできた。とにかく私はうんとシンプルなのが好き。友達が売り歩いていたので買い置きしてあった地粉の中力粉を水で溶き、ちょっとねかしてから丸ナスを包んで蒸す。丸ナスには切れ目を入れて油と味噌を混ぜて砂糖をほんのちょっと入れただけのアンを挟むだけ。もともと貧しい地域の自給食なので油が購入品くらい。油はなくてもいいんだろうが、ないと物足りない。砂糖も好みだが、ほんの少々入れるのがいい。慣れると手早くなるので昨夜は夕食に作った。娘もこういう粗食が好きなので2人で満足していた。娘はこれにニンニク醤油をつけないとならない。何でもタレをつけるタイ人の習慣を引き継いでいるようである。生のニンニクをおろしてたくさんつけるから、刺激が強いのでやめてくれと言うのだがやめない。自分も好きなので説得力なし。

ちょうど作っている最中に友達から電話があって、粉粉の手で取って「おやき作ったら出かけられる」と言うと「ちょうだい」と言うから「うまくできたらあげる」と言っておいた。うまくできたのでひとつ持参した。とっても美味しいと言われた。私のような辛党がカフェをやるとなるとスイーツは売り物にできない。となるとおやきである。コーヒーとセットにしても悪くないと思っている。ビールでもいいし、ワインでもいいし、日本酒でもいいが、つまりそういうこだわりのない者がカフェをやるとなると、何でもいいんである。1個100円で…と計算しても、どうやっても儲けってほどにはならない。だって10個くらいしか作れないし、ナスが不作なら作れないし、ナスを作っている親は80歳である。人生は甘くないのだ。でもおいしかったからいいのだ。
by kienlen | 2010-08-26 13:33 | その他雑感 | Comments(0)
タイ人の中学生が泣き出した。どうも見るからに元気ないなとは感じていたのだが、周辺にいる先生が心配しているのでタイ語で聞いてみた時だった。春に来日して夏。多分辛い時期だろうと思う。最初は訳分からずにいる。言葉ができないのも当然。しかし少し慣れて余裕がでてみると、自由に話せるわけじゃなく日本人の子とは別世界で友達もいないし、勉強だって進まない。中学だから小学生ほどの子どもでもない。しかしまあ人前で泣けるというのは素直というか、素直すぎるというか。泣いたからと気にしていてはお話にならないので適当に切り上げて日本語の授業をした。とにかく言葉さえできるようになれば大方の問題は解決するのである、と私は思っている。せめて数学が得意だと自信という点で随分と違うのだが…。

それにしてもいつも思うことがある。外国人が来たら、日本人生徒にもいいチャンスとして生かすような事をすればいいのに。そりゃあ日々の事で精一杯なのは分かるが、手間をかけるのではないコミュニケーションの力を養うチャンスにはなると思う。日本語の覚束ない相手とどうコミュニケートするか。分かりやすい日本語を使ってどう伝えるか。相手の話を理解する方法は、等々は、国際社会の中で求められるスキルと思う。それによって例えば英語に置き換えて、知っている少ない単語を駆使してなんとかサバイバルの会話するなどという方向にも発展できる気がするのだ。言葉に敏感になることって重要じゃないだろうか。どうも見ていると、外国人が来るとお客さま扱いするか、一方的な支援対象か、あるいはもう訳分からないからお手上げとか、そういう残念な対処になっているように感じられてならない。自分が担任だったらそういう風にするのにな。楽しそうじゃないだろうか。
by kienlen | 2010-08-25 20:59 | 言葉 | Comments(2)

ポジシンに挑戦

「今月末までいる」と言っていた息子が今日戻ることになった。早まった理由を聞いたら「これ以上堕落したくない」と言う。全くあまりの堕落ぶりに「墜ちるところまで墜ちろ」と思って徹底的に何も言わないでいた。ご飯を炊くか、炊かないか等の当方に影響のあること以外は。よくここまで自堕落でいられるものだと思う。私にはここまでの勇気はないように思う。いや、そんなこともないかも、いやまさかここまで…。こういう時に自分は棚に上げておかないとどうにもならない。いずれにしろ様子を見て本当に耐えられなくなったら学費を出すのは止めるくらいの覚悟をしている。下層の労働者でしかない我が家を息子の堕落のために崩壊させるわけにはいかない。ただ、親としてそこまでの覚悟を決めるための日々、そんな気がする。修行だ、葛藤である。そしたら先の言葉である。しかも「そういうバランス感覚はあるんだ」と言う。こういう口先の言い方には腹が立つが、ずっと腹を立てているのでだんだん響かなくなってきた。ひたすら、とにかく4年間、4年間、それで吹っ切れる、を、念仏のように唱える。念仏を唱えれば極楽浄土に行けるという思想にわずかに近づいたような気分、息子のおかげだ。

一方でいろいろ考えてしまうことは、じゃあ真面目に何かに取り組んだら安心かというと、他が目に入らなくなるんじゃないかと私などは思う。哲学書なんか読むような子だったらどうか、いいなあ、と思いつつも、それが隣にいたらどうよと、あまり嬉しくもない。自分はどっちかというとこういう方だから親に敬遠されたのだ。なるほど。親になってみると分かるとはこういうことか。ずっとパソコンに向かって何やらやっていたらどうか。それはそれで、直接交流もせよと思うに違いない。つまり私はネガティブ思考ということなのだ。だから、何かにつけて負の側面を見る。そして絶望する。でも希望を持っているかというとたいして持ってない。だから実は絶望はしない。それってもしかしてポジティブかな。結局分からないし、どっちでもいい。誰だって両方あるでしょう。だったらついでにポジティブシンキングになってみると、これはこれでいいのじゃないかと思う。偶像崇拝的ではない。現実的である。これで今ひとつ知性が加わったら結構使えるかも。しかし知性が加わりそうな気配は今のところないのが問題。直感力はなくもないような気がする。いや贔屓目かもしれない。いじわるじゃなくてひねくれていない。いじめはしないタイプ。臆病というとネガティブになるんだったら慎重。呑気でルーズと言って悪ければ慌てない、冷静。結局、当方に言い換え力、変換力をつければいいのである、という単純な問題でもないが…。
by kienlen | 2010-08-24 08:42 | 家族と子供の話題 | Comments(0)

家族で海にドライブ

しばらく前、夫が娘に「海に行きたい」と言ったらしい。娘がそう言っていた。夫は1日だけの休日の日曜日もたいていタイ人仲間と過ごすようになっているし、私は私で週末に仕事を持ち越してはゆっくりできないという期間が続いていたが一段落しているから今日なら大丈夫だし、帰省中の息子も一緒に行かれるといいと思って、まずは、言ったことを実行しないことにかけては信用できないレベルに達している夫に「絶対に行くように」と釘を刺してから、息子に「海辺に鮨を食べに行くが一緒に行くか?」とメールした。彼は帰省中ではあるが、どっかに行って家にあまり戻ってこない。家族で行くなんて気持ち的にはつまらないだろうから、可能性は半々とみていたが即「行く行く」と返事がきた。鮨につられたに決まっている。それで今日行くことにした。娘と夫が後部座席に乗って、格段に体の大きい息子が助手席にいた。となると、運転席に座るしかない。そうなると運転するしかない。私にとっては海の近く=旨い生魚である。でもそういえば夫は刺身が食べられない。どうして海に行きたいんだろうと急に不思議に思って尋ねたら「海が見たい」ということだった。

じゃあ、ということで新潟県の海沿いの道を走る。道の駅でお昼にしようと思うが混んでいる。新潟県というのは、いつも思うが、施設が大型のが多くないだろうか。この間四国に行った時、海辺に小型の道の駅がたくさんあって、それぞれ個性的で、私はそういうのが好きなので片っ端から寄った。どうも大型の施設というのは好きになれない。しかもこういう場所に人を吸収してしまうせいか、入りたいなと思うような店を周辺にあまり見かけない。なんでこうなってんのかな、といつも不思議に思う。大きいと建物もつまらないデザインになる。ただのコンクリートの塊って感じ。景色がいいのにとっても残念だ。結局そういう大型道の駅のレストランで小一時間も待ってから食べることになった。どれも割高。こんなおおげさじゃなくて、気のきいた店というのはきっとこういう国道沿いじゃなくて地元の人の暮らす地域にあるんだろうな。でも、やっぱり海辺にいい店があったらいいのに。ああ、くどいな。でもなんでないのかな。漁港の看板があると思わず降りていってしまう。タイだったらこういう辺りには市場があって食堂があって、なんて妄想してしまって、ここはタイではないのだ、と思って引き返すことになる。息子が助手席だったのでいろいろと話しができて良かった。仕事柄もあるが、家族が集まるという習慣のない我が家にとっては、とても貴重な1日だった。
by kienlen | 2010-08-22 20:43 | | Comments(0)

また中学生の来日

昨夜も夫の店にいた。友人と、いつものタイ人と。店は暇で従業員も経営者も一緒にご飯を食べている状況のところに4人の来客があった。ちょっと知っている男性とそのタイ人の妻と2人の子ども。細くて静かな感じの男の子を紹介して「今日、着いたばかり。成田に迎えに行って富士山見せたりドライブしてきて今着いた」と言う。そして、夫に、私がいつこの店に来るかを聞きに来店したということで、当人の私がいるので「ああ、良かった」と言っていた。つまり、その男の子は日本の中学1年に編入するのである。来日に先立って教育委員会に相談に行くと「その学校なら××さんがいるから××さんに相談して下さい」と私の名を告げられたというのである。「えー、アタシは相談に乗るような立場でもないし、教師でもないし、その学校にいるわけじゃなくてたまに行くだけだし、教育委員会がそんな事言うって変。相談に乗るのは教育委員会と学校の役目でしょう」と言うと先方も「僕もおかしいと思ったんですよね、いきなり名前出すし。僕、たまたま知っている人だからいいけど」と言う。まあ、相談というか、どっちにしても自分の知っている事を話す分には有意義だろうと思ってしばらく話していた。

ちょうどその学校には同じく中学1年で来て今3年で高校受験を控えているタイ人の男の子がいるし、来年か再来年には、小学校で来日してその中学に上がってくるタイ人もいるし、外国人の多い中学なのである。日本語教育専門の先生もいるから安心ですよ、と言った。とはいえ、前途多難な言語環境を思うとため息はつきたくなる。まあ、がんばるしかないですよね、と言う。お父さんがいい人なのは救い、というか何よりだ。お母さんが専業主婦で家にいるというし、家庭環境としては悪くないように思う。どうしても適応が難しかったら故郷に帰ることもできる、妹夫婦が面倒みてくれる、と言う。それはそれでいいんじゃないかと思う。お父さんは「それが甘いって言われると」などと言うが、私のように「こうするからにはこれしかない」という考えが極端に不足している者にとっては、甘い、なんて考えはない。逃げ道は多い方がいいと思う自分はホントに甘い。だってどっちがいいかなんて誰も分からないんである。当人が望んで来たというし、ひらがな、カタカナは勉強してきたという。いいじゃないですか。ま、楽しくやりましょう、というところだ。やり取りを聞いていた友人は、このお父さんがタイ人だと思ったらしい。日本語話すのに助詞抜きという、外国人と接している人にありがちな話し方をしていたから。そっちは直した方が子どものためにもいいかもね。
by kienlen | 2010-08-22 09:07 | タイ人・外国人 | Comments(0)
予定外に朝方まで友人と飲んでしまった。こんなの何年ぶりかなあ。夕方、定例の講演会に行き、今日のはいまひとつであったと感じつつ、ちょっと用事があったので夫の店へ。今までよりも幾分涼しく、いつもよりも幾分人の出も多いように感じた。そうか、金曜日の夜なのだと思ったら、自分の日常にとっては無関係な曜日なのに、なんか一杯やりたい気分になって友人に電話した。一応誘ってみた程度だったのに意外なことに出てくるということだった。店に着くといつものタイ人が飲んでいてビールを勧められる。お腹すいたなあと思っていたら夫が賄いの料理を出してくれた。美味しかったあ。チリペーストで魚と茄子を炒めたもの。これ、できるんだったらメニューに加えればいいのになあと思う。1時間ほど待っても友人が来ない。もう帰りたくなった。黙って帰るわけにもいかないので電話してみたら、駐車場に着いたということで、いったん出た店に戻る。話しながら飲んでいたら店が閉店になった。

友人が付近の店に行きたいということで行くことにする。77歳の女性の経営するスナック。女性の先客2人あり。スナックに行くことって最近はめったにない。友人がママさんとずっと話していた。政治の話とか昔の話とか時代の変化とか。女同士であり、女性の社会進出の話になる。私はひたすら聞いているだけ。ママさんが「ひとりでしゃべってないで」と友人をたしなめる場面もあったが、私は話したい事が何もない。黙っていることで相手に気を遣わせる気も毛頭ないので、本当はこういう時に本でも読んでいたいのだが、そしてそうやっていたことも過去にはあるが、さすがにそれはしなくなった。大人になったような気がする。とりとめもない話というのは、その人の人となりがでるものだなあとつくずくと思った。それでふと、人っていろいろに分類できると思うけど、舞台の中心にいたい、つまり主演タイプと脇役と裏方タイプがあるように思った。私は裏方が好きだ。漠然と感じていたことが妙に鮮明になった。というのはそのふたりは私の思いつき分類によると主演タイプで、自分にはない発想ばかりで話が成り立っていたからだ。面白いもんだと思って聞いていたけど、さすがに昔はああだった、今の若い人にも味あわせてやりたい、なんて物騒な話になったら不快になってきたし、朝方になってしまったので席を立った。社会への恨みって深いんだな。社会性のない若者時代を過ごした自分には根深さが足りない。それどころか何もかも足りない。
by kienlen | 2010-08-21 09:17 | その他雑感 | Comments(2)
アジア経済研究所の情勢分析レポートの中のひとつ。昨年タイに行った時に米の商社を見学させてもらった。商社って言うのかな。まあいいや。ご多分にもれず華僑の牛耳る業界。お坊ちゃま風の爽やかな若い社長とお話しした。業界の中では新規参入に属する会社。最高級の香り米だけ扱うということで、検査態勢がすごかった。検査室では持ち込まれた米の粒を本物の香り米かどうかチェックしている。「嘘言って持ち込む人もいますからね」である。偽装は前提の態勢である。タイでそういう前提なのは米業界に限らないと思うが。なんかの薬品につけると濃い紫になるのが香り米以外で、香り米は薄紫に染まる。化学を専攻している人だと薬品名なんかお手のものと思うが私の力では及ばない。たまたまその社長が友人の夫の友人で、遊びがてらに伺い、アバウトに聞いていた。立派なオフィスの立派な会議室というかプレゼンルームみたいな部屋のクッションの厚いソファに腰かけて威勢のいいタイ米の宣伝ビデオも見た。さすがはダントツ世界一の米輸出国タイの米商社である。
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ふと、品質管理を自社でやっているってことは政府の管理はどうなってんのかなと思って「農水省の役人は検査に来るんですか」と聞いてみた。すると答えは「しょっちゅう来てますよ」である。真の目的は?と聞く勇気なく黙っていた。最後に工場を見学して輸出用にパッキングされた米が出てくる所も見た。袋はアラビア文字だった。中東向けらしい。へえ、と思った。ということがあってこの本を読んで納得。中東市場への米は70年代まではアメリカの後塵を拝していたが、80年代に入って拮抗し、アフリカ市場ではアメリカに勝ったことが書いてある。「よし、タイがんばれ」と、こういう資料的な本に向かって檄を飛ばすのも何であるが、いずれにしろあの時みた光景と結びついたわけだった。アフリカ市場については「米を積んだ大型船をアフリカ沖に停泊させてアフリカの買い手が資金繰りのついたときにすぐコメを渡すという斬新な方法をとった」とある。もうここまで来ると「タイの米、がんばれ。輸出商アメリカに負けるな」の内心の叫びが絶叫になる。つまり新規参入企業によって中東やアフリカ市場が開拓されたのだそうだ。こういう知識があったらあの商社でもっと聞けたのにな。インドとベトナムの章はまだ読んでない。インドは人口が多いからまた事情が違うんだろうと想像する。
by kienlen | 2010-08-19 23:12 | 読み物類 | Comments(0)

ココナツアイスクリーム

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ココナツアイスクリームは日本でも一般的になってきているようだ。ココナツとくればタイは本場。この間の旅ではやけにココナツアイスが目についた。今までもあったには違いないが、アイスクリームにはほとんど関心がないので、今回のようにスイーツを見ることを目的のひとつにして初めて目に入るわけだ。かといって味見するほどの元気がなくて食べてない。これじゃあダメだ。年齢のせいもあるかな。アイスクリーム食べるなら料理を一品余計に食べたい。食べた人の感想を聞いたら「甘い」と言われたのも怯んでしまった理由。

つまり、ココナツの殻を使ってココナツアイスを詰めるのだが、これ、ココナツの殻を使うためにココナツジュースを取り出さねばならない。そこで「飲んで下さい」と頼まれた。ココナツジュースは嫌いじゃないから飲んだ。アイスは大人気で次々と売れていたが、ジュースを飲みたくない人がいたら捨てちゃうんだろうか、なんて考えた。このアイスだとココナツミルクになる部分を食べることができる。殻の内側についている白いのがそれ。ここは私も大好きで、ジュースを飲んだ後は必ずスプーンですくって食べる。ココナツを見ると思い出すことがある。息子が赤ちゃんの時、バナナやパパイヤを食べさせていれば栄養も取れるし楽だしで便利だったのだが、水の代わりにココナツジュースを飲ませようかと思った。煮沸消毒の必要もなさそうだし。それを言うとお手伝いさんも夫もビックリ仰天して「そんなの絶対ダメ」と言われた。脂肪なんである。コレステロールも高いらしい。無知な母の元でここまで育って良かった。
by kienlen | 2010-08-19 17:32 | タイの事と料理 | Comments(0)
子どもらがいて、自分にも余裕のある夕食はあんまりない。今日は貴重な夜だった。餃子を作ることにした。庭でニラとシソを摘んだら1回はいけそうな量があった。美味しくて大好きでいつも取っている生活クラブの豚ひき肉にニラとシソを混ぜる。キャベツもあるから少し入れた。皮を買いに行くのが面倒で作ることにした。強力粉に熱湯を入れてこねればいいからすごく楽。こんなに簡単なら皮を買うのはバカバカしい。それに自分で作ると皮を厚めにサイズも大きくできるので個数が少なくてすむ。それと便利なのは閉じるのが簡単なこと。ねちねちしているから。餃子は簡単で料理の苦手な者には大変に便利なおかずだが、天ぷら同様に、単純に手間はかかって、これをしている間にできることが限られているのは難点だ。よって付け合わせはいつもスープ。庭のミニトマトがたくさんあるので、じゃがいもと玉ネギと買い置きのズッキーニとキャベツとであっさりのトマトスープにする。

タイから買ってきた結晶状の塩を入れる。タイの生こしょうがあったらなあ、と思いつつ乾燥こしょうをゴリゴリして入れる。息子に声をかけると「まだ腹減ってない」と言う。わが家はこういう自由を認めてきたから今さら変更できない。「作っちゃうから勝手に食べてね」と言うと、いきなり「やっぱり食べる」と変更。言い分によると「水を飲んだら腹減った」ということらしい。どうでもいいが、食べる気になって来た娘が兄を見るなり引き上げてしまった。一緒にいたくないらしい。気持ち分かるから黙っている。それに、親としては別々だと個々と話ができるのは便利。とにかくあまりに違う人達なので共通の話題は何もない。スープをおかわりして「こういうの自分でも作ろ」と言うから「トマトを買うような場所に住みたくないな」と言うと「しょうがないよ、東京だもの」と言われた。「プランターで作れば」と言うと「管理する自信ない」と言う。これを、後から来た娘に伝えたら「管理なんて必要なの?」と言われた。なんか、どっちも微妙だなあ。水をやるのは管理だろうか…やっぱ管理の範疇か。先に食事を済ませて去った兄の噂話に花を咲かせる。帰省早々に社会人のバレーチームに顔を出した話をすると「兄ちゃん凄いよね。知らない人達といきなりバレー。そんなことできない」と言う。娘の閉鎖性の方が心配かも、と思うこの頃だ。
by kienlen | 2010-08-18 22:53 | 家族と子供の話題 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


by kienlen