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日曜日も平和になった我が家。とりあえず子育て役割の80%くらいは果たした感がある。なんて思うのは早すぎるに違いないが、自分がそう思えばいいのである。こうなると何でもできる気になるから全くバカである。朝一番から仕事、と思っていたのに寝坊した。昨夜、一応メドをつけたことが嬉しくてワインを飲んでいた。それだけで嬉しい、それでいいのだ。11時だか12時だか遅い時間に友人から電話があった。入院手術するので、という報告を兼ねての雑談。もともと飲み友達だったのが、転勤で離れてから会ってない。お互い飲んでいるから口が軽くなる。携帯の電池が切れるまで話してしまって寝るのが遅くなった。友人と同じ病名を与えられた友達はいる。その人は酒もコーヒーも飲まないで節制している。「酒はいけないんじゃないの」と聞いたら「医者がいいっていったもの」とか。不安を紛らすのに酒の効用は計り知れない。生きる不安も酒で忘れる。これがクセになって中毒になる。

そんなんで多少寝坊して起きて、いつものようにコーヒー飲んで、突然無性に手打ちうどんが食べたくなった。キッチンに行って小麦粉をこねる。帰ってないかと思っていた夫もいる気配なので食べるかもしれない。そうなってもいいように多目にこねた。汁も作って冷ましておく。私は年中あったかい料理を食べる派だが、暑がりの娘は冷たいうどんも好きだから。仕事に戻っていたら娘も起きてきた。汁に入れるシソを庭から取ってくるように頼むが嫌だと言われる。息子以上に何もしない娘。息子は常にやましいことを抱えていたから、意識してかせずか頼み事を断ることはなかったのに、まあ、かといって返事だけで実行しないのだが、娘は堂々と断る。うどんを切ってゆでた。夫が珍しく家で食事。バンコクみやげに息子に買ってきたシャツを着ている。親の選んだ服など決して着ない子供に代わって着ていたのだった。凝ったデザインのおかげでほころびが生じていた。夫が娘に「繕って」と一言。素直に縫いに行く娘。シソは取らなくても繕いものはするのは、作業の選り好みか依頼者を選り好みか。もしかして役割の9割を終えたと思ったら…いくら何でも早すぎか。
by kienlen | 2010-06-27 21:13 | 家族と子供の話題 | Comments(0)

雑草の雑感

本日は仕事である。行きたい講演会をどうするか。課題はそのくらいだと思っていたが、他人様のブログを見ていると、ガーデニングとか手作りとか、いいなあ、と羨ましくなり外に出た。余計な課題発見。それで庭で収穫した。砂糖をちょっと入れて煮てホットケーキを焼いて挟んで食べよう。ジャムというのは苦手だけど甘くしなければ大丈夫。
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次に私の畑の草取りをしてウサギの餌にする。しかし、私の畑は何が草で何が作物なのか分からない。実はこのところ落ち込まないのは、この畑のおかげ。肥料なんて最初に畑を作った職人さんが入れたくらいで、後は落ち葉を入れたりウサギの糞を入れるくらいなもんである。で、春に何か植えるのだが、ミニトマトが席捲する。前の年の種がこぼれて。ところが今年はそれが出てこなくて嫌な感じだった。私はF1のことがずっと気になっていて、何よりも恐ろしい。とうとうミニトマトも?と暗い気分でいたら一斉に出てきた。それで、どれが苗を植えたものか自分で出てきたのか分からなくなった。
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これは作物か雑草か。しかもお隣の柵を越えそう。昨年も「柵越えたのは食べて下さい」と言ったのに食べてくれなかった。お隣はすごく几帳面に庭を作っているのを娘と感心して見ている。そこで小さな子が遊んでいる。娘が「ウチのトマトあれでいいの」としょっちゅう言うが、気になるなら自分でやってくれ。だいたい、トマトにきちんと手をくれるような親なら子育てだって導き的にできるんだろう。そしたらキミは違っていた、とか内心思う。
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自分で手をくれないと何が起きているか楽しみ。たくましいですね、カボチャ。草の首を絞めていた。まあ、首だか手だか足だか知らない。擬人化しちゃいけないが自分の発想なんてこの程度。それにしてもこれってかわいそうな状況なのか、生存競争なのか分からない。一応カボチャが作物で、絞められているらしいのは雑草に入るものだから複雑。どっちかというとウチは雑草側だし。しかしこれで草を窒息死させることができるか、見守ることにしよう。できたら除草剤まかずにカボチャを植えましょうキャンペーンをしよう。
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雑草並のトマトを点検していたら、あーびっくしりた。カボチャの花に睨まれた。片眼の美女ってところか。トマトに隠れてこんな所でひっそりと花を咲かせていたとは。この庭になってから何年かな。6年か7年。1個や2個で喜んでいたザクロは無数の花をつけるし、植えて忘れていたタラの芽は手が届かなくなってしまったし、草取り魔の母に全滅させられたかに見えたユキノシタもひとつ出てきた。つまりまあ人生分からないんである。と、どうもいつもこの隘路に入り込むのはいただけない。
by kienlen | 2010-06-26 09:56 | その他雑感 | Comments(0)

励ましの言葉

カラカラで快適な感じの日。体調にあんまり変化はない方であると思うが、やはりどんよりの日は重たく感じ、こういう日は軽い気がする。一応ノルマをこなした。ただし自分で設定するしかないので最低限。いいのだ、ずっと低空飛行でも続けられればありがたい。大空を見るよりも落下の方を見てしまうタチである。本当に暗い、暗い、暗い。若い時に大空を見上げて、年取って足下ならまだ分かるが、常に足下である。こうなると可能性としては、どっかの時点で逆転して、足下を見るのを止めて大空のみになってしまうことである。怖い!老いらくのナントカみたいな感じかな。それはそれでお楽しみか。ということで、今の季節は人生について考えるのに格好である。

それなりのペースで遠出していた。山の緑がすごい。それを見ていると、こんな道も家もビルだって、しばらく放置しておけば藪になるんだ、草の天下になるんだ、ということが実感できる。人間の営みなど、何だというのだ。みんな滅びても山河あり、その通りに違いない。すると、まあ、いろいろあってもね、滅びるだけだし、ということで、それで元気を失う人ももしかしているかもしれないが、私の場合は、それで元気になる。これはもしかしたら暗いんじゃなくて、超楽天的ということかもしれない。そうかも、明るい、明るい。とばかりも言ってられないが、ちょっと今はいろいろ言っている時間がない状態。あと数日はがんばらないといけない。今日だって出かけたついでの温泉を諦めたのだから、昼間にビール飲みたいのを我慢したのだから、できると思いたい。
by kienlen | 2010-06-25 19:03 | その他雑感 | Comments(2)
この間、ダライ・ラマの講演会に行った。いろいろなご縁が重なり、直前に行かせてもらうことになった。知り合いでも行った人は結構いる。そのうちのひとりと昨日ご飯を食べた。講演会の感想になった。通訳が素晴らしかったと、その友人は言った。そこまで褒めるかなってくらいにべた褒めだった。で、その日の夜、つまり昨夜、別の友人が、私が何も言う前から「通訳がひどかったそうじゃない」と言うから「どの点が?」と聞いた。その友人は直接自分で聞いたんじゃなくて又聞き。だから誤解かもしれない、ということを加味した上で尋ねた。答えは「ダライラマは高尚な事を言っているはずなのに俗っぽい言葉になっていたそうじゃない」。これにはびっくりした。私の感想としては「あの言葉からああいう日本語が出てくるのは通訳というよりも代弁者」と感じていたからだ。充分に高尚というか抽象的な内容をかみ砕いてものすごく丁寧に補足していた、という印象。とにかく本人よりも2倍か3倍の量を話していたと思う。通訳にもいろいろな役割があるんだと思った。

最後の方は質問コーナーだった。管理の行き届いた進行で、手順を踏んだ質問者が立つことに決まっていた。全員若いのにびっくりした。そもそも講演会に若者が多いなんて普段は見られない傾向である。さすがに違う。で、その質問者の中のひとりが用意した原稿を読み上げた。質問というよりも自分の活動説明、誇示、主張まがい。あまりの長さと目的の不明解さに辟易とはしたが、世の中変わったのかなという思いもした。6500人もいる会場でダライラマに向かって堂々と延々と、内容的には相当に稚拙な事を述べるのである。内容よりもプレゼン方法そのもののテクニックが通用するのかどうか知らないが、世の中の方向性としてはそうなっているように見える。だいたい内容があっても表明しないと伝わらないわけで、まあしかし奇妙な気分になった。あまりの長さのおかげで準備していた他の人のチャンスを奪ったわけでもある。通訳を褒めちぎった友人は、こっちをメタメタにけなした。確かに極端だとは思ったが、ある種の反映でもあるように感じて、同調の声に今ひとつ力入らずじまいだった。
by kienlen | 2010-06-23 23:41 | 出来事 | Comments(0)

会社と学校の違い?

お隣の家は週末になると息子夫婦なのか娘夫婦なのか、外にいる家族が子連れでやってきて賑わう。もう一方の隣は育休中の母親が子育てしながらガーデニングし、週末になると父親もそれに加わっている。娘が「隣はよく庭の手入れしているよね」と言う。ウチの庭はワイルドである。わずかな土にいろいろ植えた。ミニトマト、茄子、ゴーヤ、カボチャ、バジル、パクチー他薬草、それから何だか分からない種も蒔いた。一応並べて植え付けた後で昨年のミニトマトの種が脈絡なく芽を出したものだからトマトの勢いに全体が押され気味。「これでいいのかな」と娘は言うが、いいのである。せっかく生えてきたものを始末するのはかわいそう。でも、このままだとせっかく買ってきて植えたのが駆逐されるかも。まあ成り行きである。

庭仕事について娘に言い訳などする理由もないのに「お勤めの人にとっては家にいるってことは仕事から離れるってことだから区別がつくんだよね。ママだって勤めていたら休日はリラックスして庭いじっているかもね」と言う。そう簡単に同意する娘でもないから聞き流している。「そうそう学校に行っているんだからあなたも同じでしょ」と言うと「学校は大変なんだよ。休みだって部活のこととか考えなくちゃいけないし」と娘。ほう、そうなんだ。「そりゃあ仕事だって休日に持ち越したり、考えることは多いよ」と私。すると娘は「でも仕事はみんながやるでしょ。学校はやらない人は全然やらないで、やる人が全部やることになるんだよ」と言う。どうも最近はこの件で悩んでいるらしいメッセージを発することが多い。部活に関してである。息子は運動部ばかりだったのでこの手の悩みはなかったはずだ。できる・できない、勝つ・負ける、という結果の分かりやすいことはさっぱりしていていいなと思う。私も今になってそういうことをよく考える。何もせずにゴロゴロしているように見えるが、いろいろ考えているわけである、娘も。
by kienlen | 2010-06-21 08:29 | 家族と子供の話題 | Comments(7)

毎度毎度の母語維持発言

昨日は教育関係者の会議に出た。外国籍児童生徒の指導に関係する方々。私などはついでに呼ばれたようなもんだから番外地みたいな席に着くと、隣はブラジル人の友人だった。帰国直後からの付き合いだからもう10数年になるが、このところは偶然こういう会議なんかで顔を見かけるだけになっていて話す機会がない。会議中に積もる話をこそこそやるわけにもいかずに筆談していた。すると「母語も維持させるように指導したい」という発言が耳に入った。私達は顔を見合わせて「昔、そういうこと話したことあるよね」とひそひそ。そういえばこの友人は、子どもにポルトガル語の公文をやったり努力していたはずだし、母親が外国人だからウチのように父親が、というよりは一応有利に見える。ブラジルに連れて行ったこともあったはず。もしかしてバイリンガルになっているのかと尋ねると「ダメダメ」と即座に否定。良かった、自分の仮説が崩れなくて、なんて言っちゃあいけないが、小さい時ならともかく日本の田舎の超モノリン環境で高校生くらいになってバイリンになっていたら、そりゃあもう、特別に恵まれた環境+とんでもない努力の賜、あるいは特別な能力の持ち主だろうと私は思う。ある程度の年齢になってからの移住と、まあ英語は例外かもしれないが。

ウチは早々に諦めたから負け惜しみというわけじゃないけど、それに先の発言がよく考えた上での、現状の態勢を考えた上でのその人の考えであればぜひもっと意見を聞きたいところだけど、あるいは日本の教育が多言語推進に転換するのであれば事は異なるが、様子を見ていると結構安易に口にしているようで、毎度毎度こういう発言が必ず、しかもあっさりとある。言葉の指導に関わるのにこんな次元でいいんだろうか、とっても疑問。能力のある子にそれを伸ばす教育を施すのはありかもしれないので、そういうことを念頭に置いているならそれは現態勢とは別扱いの問題ではないだろうか。という疑問を持ち出せるような場でもなく、極めて形式的に時間は過ぎた。すごい世界だな、教育界の一部って。きれい事オンパレード。笑顔の能面つけて歩いているようなもんである。ほとほと関心して、メンバーのひとりだった友人の感想を聞いたら「いつもの会議よりは本音で話していたよ」と言われた。なんというか…大丈夫かなあニッポンは。
by kienlen | 2010-06-18 22:56 | その他雑感 | Comments(0)
またこんな本。金哲彦著。これ、面白かった。なんといっても「まえがき」で引き込まれる。テレビを見ている高齢の女性が時に感極まって涙し、時に声援まで送ってしまう。はい、何を見ているんでしょう、駅伝です、という出だし。私もマラソンとか駅伝を見ながら、なんでこんな単調な競技を見ていて飽きないのだろうかと、我ながら感動するくらいなのだが、その理由ははっきりしている。ドラマを想像するからだ。苦しいんだろうか、ハイになっているんだろうか、一体どういう練習を積み重ねてきたんだろう。それにしても一体なんでこんな苦しい競技を選んだんだろう。地味だし娯楽性もないし、ああそれなのに、なんか泣けるなあ。やはり日本人は苦労人が好きなのである、そこに自分の人生と重ねたりするのである。それにボールゲームなどと違ってルールや連携プレーの妙を知らなくても知識不足を嘆くことなく見られる。なんといっても走るだけ。

あまりに地味だからこそ、派手なプレーに目を奪われることなく自分なりの勝手な物語を紡ぐことができる。とにかくそういう想像力をかき立てる出だしから始まって、後は、知っておくと競技を見る時に、感涙しないときは「こううなんだってよ」とか、一緒に見ている人に言ったり自問自答したりするのに役立ついろいろを教えている。それから、現役選手だった時の自分の体験を控えめに入れたり、選手だからこその詳細な描写があったり、有名選手のエピソードを控えめに入れたりと、サービス精神あふれる作りになっている。アマゾンで偶然見つけたのだが、当たりだった。まあ、しかし、ここまで読んでから観戦する必要があるかというと、特にないと思うけど、今の自分には役だった。しかしスポーツのように勝ち負けの明らかな事をしている人が、ある意味羨ましい。ずっと評価の基準のはっきりしないことばかりやっていることが今ごろになって寂しくなっている。それで、何か試験を受けてみようかという気になってTOEICの本を買ったんだった。確か2-3年前もその気になってそのままになっていたが。
by kienlen | 2010-06-16 22:47 | 読み物類 | Comments(0)

リラックスし過ぎのオチ

また2日飛び。昨日はまた遠出。仕事は午後だが、遠いし、じゃあ朝方に在宅仕事をサクサクできるようならこういうことにはなってないわけで、いっそリラックスしようと思って朝から出かけた。もっともどう見てもリラックスし過ぎな日々ではある。すっかり緑になった山々を見ながらドライブして緑に囲まれた露天風呂へ。こういう状況の時に好んで立ち寄る温泉が休みだった。こっちは単に人がいないからという理由で好きなだけで、お湯としてはこの山間の温泉の方が桁違い。ランチをどうしようかと迷った末、少々足を伸ばして天然きのこの蕎麦屋へ。さすがに今の時期は朝採りのきのこはないのに、メニューには天然きのこそばがある。「天然ものあるんですか」と聞くと「春にとったのがありますよ」ということなので1200円とお高いが、食べてみたくて注文。蕎麦の量と同じくらいのきのこが入っていて美味しかった。もー、遊びついでに、高いのでこのところ行ってないコーヒー専門店に寄ってみることにした。

店の前にコーヒーの蘊蓄がある。こういうのはじゃまだと感じる方であるが、とにかく仕事時間までの40分ほどでレジャー気分を払拭して集中力高めないといけない。それには美味しいコーヒー飲みたいって気分。店内に入ると豆売り場になっている。以前は喫茶店だったからびっくりした。店主が見えたので「あ、あ、あのコーヒー飲めますか」と尋ねた。「以前来たことある?」と言うから「はい」。すると「何かやるためだったら駄目」というのである。「何かって何ですか」と聞くと「仕事とか待ち合わせとか」と言う。パソコン持ち込んで長居するのを嫌うのは分からなくもないから「30分くらい時間があるので本読みたいだけですが」「そういうのも困る。時間つぶしとか読書とか」と言われた。それ以上話す気になれずに店を出た。どうやらコーヒーそのものを味わう以外は駄目ということらしい。よく見ると、駄目な事が店頭に並べて書いてある。私が喫茶店に入る目的すべて駄目。美味しいコーヒーを味わいながら談笑したり読書もいけない。どういう運営をするかは主の勝手とはいえ、ここまで排他的なサービス業ってありなんだ。まあ、飲み屋でもやたらに蘊蓄ばかり言っているところがある。偉い人ってどこの業界にもいるんだな。気分転換のボリュームを大きくしなくちゃならなくなり、付近の別の店で珍しくケーキセットなど頼んでしまった。
by kienlen | 2010-06-16 08:37 | 出来事 | Comments(2)

電車に乗っていただけ

ほんのほんのちょっとの仕事というか、ほとんどボランティアみたいな事を頼まれた。日曜日に休みたい人の交替要員として。お近くならどうということはないが電車で1時間半である。これはもう仕事というにはバカバカしいので、引き受ける時点から、交通費をもらってする旅気分で行こうと決めて娘を誘った。自分にとっては珍しい場所じゃないが娘は電車で行くのが初めて。早々に用事は済んだからお昼ご飯を食べて散歩でもしようと思ったのだが、とにかく蒸し暑いし、散歩といったって普通の地方都市である。何も面白くない。食事にしても特に名物があるわけでもない。結局駅前の普通の店に入り普通の定食を食べ、お互いに読書してそのまんま戻った。

来年から高校生である。こうして親と出かけるなんてことも今後どうなるんだろう。そう思うと貴重な時間ではあるが、毎日一緒にいるのに話すことは特にないし、別々に本を読んでいるだけだ。息子は読書などに縁のない子で、これで一体どうするんだ、と嘆かわしかったが、娘はゴロゴロと本を読んでいるばかり。運動しないしゴロゴロ。これはこれでいいんだろうか。まあ、人それぞれなのでどれもこれもしょうがないのである。東野圭吾を読んでいたから自分が持っているのを貸した。青春ものはつまんない、ミステリーが好きだという。変なところは似るもんである。まずいなあ。仕事が全然進まない。明日から気合い入れないと。
by kienlen | 2010-06-13 22:21 | 家族と子供の話題 | Comments(2)

海の沈黙

1日限りの上映ということで、仕事は全くはかどらず自己嫌悪の中を映画に行った。とても良かった。1941年のフランスが舞台、といってもひとりの老人と、その姪だという若い女性の2人暮らしの家での場面がほとんどすべて。ここにナチスの軍人が居候。毎日しゃべりまくる軍人と無言の2人。芸術と文化と人間の孤独感とがひたひたと伝わり、このままで終わるのかな、どういう展開になるのかと思っていると、突然に場面が動き出す。モノクロームの美しい映像。ことごとく詩的なセリフ。忘れかけていた感情を刺激されるような言葉の連続だった。素晴らしかった。映画を見た後で夫の店に寄りビールを相当量飲んだ。ワールドカップの韓国-ギリシャ戦の最中だった。映画の気分が冷めてしまったが、これはこれで面白かった。
by kienlen | 2010-06-12 23:18 | 映画類 | Comments(2)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


by kienlen