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節目ということになるか

息子がとうとう上京である。まだ暗いバス乗り場に送った。送料をかけたくないので持参すべきモノは持参するように指示。さすがにここにきて逆らうことはしない。息子が東京に行きたいと言い出してから、自分の仕事もちょうど忙しくなり自宅を何日も留守にするのと受験をどうするこうするが重なって、正気に戻るとあれよあれよという感じでここまできていた。ここまで生きてくると、何かが動く時というのはそういうものである、ということも分かってくる。いろいろ大変になることは分かるが、今までもそういうことは何度かあったから、波風なかったのに急にこんな目に遭う、という気持ちになることはないだろうと思う。まあ、何があるかは分からないけど。珍しく夫も起きてきて「気をつけて、がんばって」と見送った。日本語しかないのがかわいそうでもある。こんなことは初めてだ。家を出るのであるから節目という感じはさすがにあるのだろう。外国で子どもの成長を見るということはどういうことなんだろうというのは、私も多少の経験はあるので想像できる。多分とっても歯がゆい感じにつきまとわれる毎日だろうと思う。

タイにいたら私がその歯がゆさを味わっていたに違いない。日本に帰ることを決めた時に、小さい時は夫が面倒見ても中学くらいになったら自分が何でも対処するしかない、という覚悟は決めた。子ども達は小さい時は父親っ子だった。父親にしたら当時の思いを糧にせざるを得ないだろうと感じるくらい、その後は遠くなっている。授業参観はわけがわからずとも様子を見る分にはいいが、PTA役員となるともう意味不明で行かなくなる。無理もない。進学等に際しても自分の経験を語って聞かせるというのは、あまりに環境も社会も違う。結局その分を私が引き受けることになってしまうわけだ。こうしてある意味の分業体制確立であるが、頼れないと覚悟を決めることができるという点で徹底できるのは、案外いいのかもしれない。ここから先は男親、なんて逃げることができないと決めてしまえば、自分でやるしかないし、言うしかない。高齢出産のツケは多々あるが、自分にとっては若い時に子どもを育てるのは無理だったのでこういうことになったんだろうな。引き受けられないことは与えられない、と言われる通りだとすれば今後もなんとかなる・・・かな。
by kienlen | 2010-03-31 09:57 | 家族と子供の話題 | Comments(0)

手相占いに頼ってみた

占い師に見てもらった。手相と生年月日。まず手相を見せて、次に自分と夫の生年月日を聞かれた。「だんなさんは何か自分でやってますか」「はい」「奥さんも自分でやってますか」「はい」という出だし。その通り。しかしここで「いいえ」と答えたら別の展開にすればいいわけで、どうなんだろ。ということはともかくとして全体的には心当たりのあることばかりだった。夫は人の言うことを聞かずに自分で決めるタイプで、妻も同じ。でもどっちかが弱くならざるを得ないとなるとウチの場合は妻である私が弱くなるそうだ。よって、一番いいのは別々の事を干渉し合わずに行うこと。今のところその通りでやっている。私にとっては仕事が一番の関心事である。聞くまでもなく教えてくれた。今の仕事は合っている。お金になるというものではないがずっと続けることはできそう。

どっかに勤めようなんて考えない方がいい。はあ、そうですか。男勝りなので、男なら社長になって成功するタイプ。「会社やろうかな」と言うと、やってもいいそうだ。失敗しても責任は取ってくれないそうだ。子どもとの相性を聞いてみた。上の子は出て行って戻らない、家にいない相。言うことは聞かないタイプ。母親がうるさく言うともっとダメ。父親とは合わない。どっちの親とも相性が悪い。しかしある程度の歳になると母親には優しくなる。それは母親の方が面倒を見ているから。頼りになるのは下の子の方。なるほど、そういう感じはありあり。家に帰って息子にそれを言うと「その通りだね」ということだった。
by kienlen | 2010-03-30 23:52 | 出来事 | Comments(0)

『裏返し文章講座-翻訳から考える日本語の品格』

抱腹絶倒本。こんなに痛快で愉快で笑えて、しかもためになる本ってあんまりなくないか。あ、こういう日本語はきっと品格なしに分類されるんだろうが、この際、品格もかなぐり捨てて笑いたい時にぴったりの本で、こういうのを好みそうな友人に触りを話すと「貸して」と言われて、いきなり複数人と約束してしまった。薄めの文庫本なのに1000円+税は安くないが、ちくま文庫、ここまでの内容だったら値段のことなどどうでもいい。本当に面白かった。著者は別宮貞徳先生。今まで知らなかった自分が無知だった。元上智大学の先生というから、上智の出身の友人に聞いてみたらいきなり「はっきり言う人じゃない?」と言う。はっきり言わないといけないところをぼかすのがコミュニケーション及び社会の問題であると思っている自分としては、このはっきりが良かったわけだが、この先生の名を出していきなりこの反応って、きっと相当なのだと推測できる。

カルチャーセンターでの講義を起こした、という構成。出だしは、品格流りなので日本語の品格も誰か書いてくれるかと待っていたら書かないから自分が話す、というもの。途中で(笑)が何度も挿入されているし、声を出して笑える日本語の本なので、きゃあ楽しそうな講義だな、私も聴きたいな、と思っていたら、最後に「本書は書き下ろし。カルチャーセンターは実在しません」とあった。隅から隅まで楽しい。翻訳世界という雑誌の連載をベースにしていて、つまりは、日本語になってない翻訳本を取り上げて批判しまくるという内容。『国富論』『不確実性の時代』『チャタレイ夫人の恋人』『嵐が丘』等、一応誰でも知っている読んでるのが次々に登場。引用箇所で大笑い、批評で大笑い、翻訳者からの反応に大笑い、それについての意見に大笑い。そして深く納得。タイトルに関しては「悪文を反面教師に使うわけね」という説明。そういう読み方も面白いとは思うけど、社会的評価を得ている翻訳本をここまできちんと批評する正義感には心打たれる。こうじゃなくちゃ、と思う。それとユーモア。最高な本だった。めっけもんだったな。どこで買ったんだっけ。別宮先生の別の本をすぐにでも読みたい。
by kienlen | 2010-03-29 18:43 | 読み物類 | Comments(2)

ため息の多い日々

時間がないわけでもなく、どっかに出かけていたわけもないのに3日もあいた。そういえば東京に行っていた日が1日あったけど。書く気が起きないのでもなくて、書きたいことは山ほどあるが、それはあまりに恥ずかしい…、でも誰に対して…、多分それは自分に対して…、いやいや、そういうこと自体が恥ずかしいんだな…、なんていう心情風景を彷徨いながら抜け出せない、ああ、恥ずかしい。はっきり言ってしまうと子育ての悩みってことになるんだろうか。いや、それは違って経済問題のみかもしれない。はっきり言って、定期収入があればこういう悩みはないのかもしれない、分からない。あるいは、単に私の性格の問題かもしれない。書くのは恥ずかしいが話すのは恥ずかしくもないので、この間も某所で悩みを打ち明けていたら、その場に居合わせた3-4人に大笑いされて「××さんの見方って面白いよね~」と言われた。悩み相談、というまでのつもりはないが、当方は本気でまじめに話しているのに笑われる悩みって、やはり恥ずかしいんだろうか。

そんな昨日。年配の友人が家を訪ねてきた。いいタイミングだった。箱いっぱいのケーキと和菓子が手みやげ。女性ホルモンを服用中ということで酒は飲めず、甘いものが食べたくなるということを、そういえば言っていたな、以前に。「子どもが喜びます」と言うと「これは××さんに」と言って別の袋をくれた。いちご入りの大福だそうで、皮がピンクのかわいいのがふたつ。美しい誤解をありがたくいただく。この人は子どもが赤ちゃんだったり小さい頃からの付き合いである。挨拶するように子どもらを呼ぶが、とにかく全員不機嫌である。娘なんか見るからにほっぺたを膨らませていてどうも芝居がかっている。その上に私が「泣いてたんで失礼」なんて言うものだから、来客者がおろおろ気味で「ま、ま、まあ」と、誰にともなく言っていた。部屋は散らかっている。息子の引っ越し準備品等々だ。「え、○○君、大学なの、おめでとう」と客人。泣いてた原因はそれなんで「おめでとうって言ってくれる人に単純にありがとうと言えないのも失礼とは思いますが、もう、問題はそれなんですよね」と、あくまで恥ずかしい自分であった。「ま、ま、まあ」ということで客人が鮨屋に連れて行ってくれた。酒を飲まなくなったから運転手を務めてくれるということで。その後、ホテルのラウンジでお茶。とりあえず酔っ払って寝た。枕元にスティーブン・キングの短編集を置いているので悪夢を見ませんように、と思いながら。
by kienlen | 2010-03-29 08:44 | 家族と子供の話題 | Comments(0)

唐辛子15本というレシピ

夫が書いたタイ料理のレシピの翻訳を始めた。手書きでいただいたが読めない。読んでもらいながら日本語で手書きしようとしたが、あまりに面倒。それに夫は夫で私のメモを見て「その日本語だって読めない」と文句を言う。その通りである。このまま続けても、後になって自分で自分の日本語読めない可能性もありそうだし時間の無駄もありそうだしで、パソコン入力して欲しいと言った。彼は来日前は一応ビジネスマンであったのでタイピングが苦手というわけではなかった。しかし今は全然ダメ。いかにも面倒そうにしている。しかしお願いするしかない。やるしかないことは彼自身も承知している・・・ハズ。ノロノロと取りかかる。そのうちにコックさんに「入力得意?」と聞く。そういえば彼女は高等専門学校まで出ているのであった。嬉しそうに「できますよ」と言うからやってもらった。事務仕事の方が似合いそうな人である。それを私のパソコンに送信して翻訳作業の始まり。安心だ。分からない言葉があったら辞書引けばいいし。

最初は海鮮のヤム(酸っぱい辛いサラダ)だった。貝、イカ、エビなどを唐辛子とレモン等で和える。定番タイ料理で私も大好物。玉ネギを入れて、セロリも入れて、と、順調、順調。次はソース。私も一応作ったことはあるから知らなくはない。唐辛子とニンニクとパクチーの根をつぶして入れるはず。確かにその通りなのだが、分量を見てびっくり仰天。唐辛子、しかも何種類もある中で一番辛いのを「15本」である。これってあんまりじゃないだろうか。店で作っているのなんか2本か3本である。これだと私は全く物足りないが、かといって15本はないでしょう。まあ、後で訂正すればいいやと思って次。ニンニク10粒である。ここまでくるとあんまりである。夫に電話して「唐辛子15本って何、ニンニク10粒って何」と言うと「タイ人用だった」と言う。「じゃ、私が適当に直しておくから」と言うと「唐辛子とニンニクを変えたら他も変えないと」と、いきなり几帳面になった。それにしても唐辛子15本は間違いだろうと思うが、違うんだろうか。
by kienlen | 2010-03-25 22:13 | タイの事と料理 | Comments(4)

高校を辞めて予備校入学

息子の引っ越し準備をしなくちゃいけないのに時間がない、というほどのことはないのだが、彼を見ているとやる気が起きないのである。この乏しいやる気をどこに振り向けるかという時の優先順位は当然のことながら仕事である。それで遅れ遅れになる。という時に夫のお兄ちゃんから手伝うよという連絡があった。それはひじょうにありがたいのだが、そこに「○○が渋谷の予備校に行くから、××と一緒にご飯を食べよう」と書いてあった。○○は彼の家の天才児で××はウチのドラ息子である。○○は高校2年のはずである。ほほう、今から予備校ですか、と思って「春休みに予備校通いですか、すごいね」と返事したら「高校を辞めて予備校に入学する」ということだった。確かにこの子は小さい時から学校に適応できなくて、日本脱出を試みたりと、いろいろやってきた子であるが、結局日本の高校に入ったことまでは聞いていた。会ってないのでその後は知らない。

息子は最後の3か月予備校に通っていた。といっても2教科だけを放課後に受講するという最低限の普通の受験生用コースである。しかし、その結果何を言い出したかというと「高校の授業なんかやっていても大学に受からないってことが分かった」というのである。ウチの場合、その「高校の授業」をちゃんとやってないことは明らかなので、こういう物言いを単純に受け入れるわけにはいかないし、それにそもそも公立高校の役割が何かということを考えれば予備校とは違うのである。しかし…である。現実的に進学先で高校の序列が決まっている。となると、全部が予備校になった方が手っ取り早い。私自身は、社会全体がこうなることは多様性を失って活力がなくなって国の力も衰退すると思うが、私がどう思ったところで関係なく社会はあって現実はあって、○○がかなり特殊だとしても、高校を辞めて予備校に行く子が出ても、なるほどな、と思うわけだ。
by kienlen | 2010-03-22 10:21 | 家族と子供の話題 | Comments(0)

男子駅伝観戦

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初めて駅伝を目の前で見た。ETCのついている弟の車を借りて行くつもりで、弟も貸すことに問題があったわけではないが「人の車で事故ってもバカらしい。高速代くらいくれてやる」と言われ、それもそうだなと思い直した。ETCなしの車で週末に高速を走りたくない。となると下道か・・・。数時間かかるしなあ。しかも夕べは飲みに行って遅かったし、しかもしかも夜中に風と雷で目覚めてしまうほどだったし、あんまり睡眠不足は避けたい、歳だし、といろいろ考えて決まらず、結局「目覚ましなしで寝て電車の時間に間に合うように起きれたら電車、遅かったら車」と決めて目覚ましを止めた。そしたら早朝に目覚めたので早い電車で3時間かかりで現地へ。2回乗り換えが普通なのにこの便だけは直行だったのですっかり眠ることができた。せっかくだから現地の友人に連絡していたら携帯に「交通規制だし駐車場もいっぱいになっているらしいよ」と連絡があった。「早い電車で来たので駅付近でお茶飲んでから行く」と言うと「ウチにおいでよ」ということで友人宅へ。
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その友人とランチをして、こういうものに興味ない友人とは別れ、ひとりで陸上競技場に行き、男子のスタートから見ることにした。迫力あったけど、とにかく速くてあっという間に通り過ぎてしまう。外に行ってもしょうがないのでテントの中に設置されたテレビで見た。ちょうど息子さんが選手だという人と隣り合わせで話しながら。2時間も退屈するかと思ったがそんなことはなくテレビ観戦。それからトラックに戻ってくるところを見た。ここで抜く場面もあってすごく面白かった。それにしても速い!帰りは2回乗り換える長旅。風が強くて大変な日だった。疲れたな。
by kienlen | 2010-03-21 20:52 | 出来事 | Comments(0)

鳩山邦夫『環境党宣言』

今日までに読んでおかなければならなかったのに、手をつけてないことに気付いたのが起きがけ。それで起きるのを止めて枕元に置きっぱなしだったこの本に手を伸ばした。そして急いで目を通した。だからいつもの遅いペースの読み方ではないのだが、びっくりした。何かと話題になるのでメディアを通じて名前と顔だけは知っているこの人がこういう活動をしていたとは・・・、いきなりファンになってしまいました。もっと国民に知らせるべきじゃないだろうか、と思った。この本を知ったのは某宴会の席だった。環境分野の活動をしている人で尊敬できる点の多々ある人が「読んでくれれば嬉しい」と謹呈を申し出た。だったら読みたいなと思っていたら「買うよ」という声があちこちから上がった。その宴会は高所得者の方々の中に、低所得者である私が理由があって隅っこに鎮座しているだけなので自分が発言するような所ではない。当方としては、この方からもらっても罰は当たらないでしょ、という人なのに他のメンバーからすると、もらう義理はないってことになるんだろう。結局有料となって、私も購入することになった。やはり場違いか。でも1500円のが千円だったから…。

まずこういう本は、実際に書いているのはゴーストライターなんだろうと思って読み進めていた。ところがそれを見透かすように、あとがきではそれを否定していた。内容は鳩山氏自身の環境問題についての考えと実践が一部にあり、大方はいろいろな文献からの引用。よって目新しいというわけではないのだが、執筆出版時には自民党の議員だった方がこういう本を出すということが新鮮だったし、見直してしまった。政治家の本というと自慢話みたいなのとか主張を前面に出したものが多いという印象があって、もちろんそれはそれでいいけど、読むに耐えないというのは何冊か読んだ。読むに耐えない理由は真面目さを感じないから。つまり偉そう。その点でこの本は違っていて、その点で好感が持てた。まあ、何より、目先の票取りに奔走しているように見える政治家が環境問題でここまで発言してくれたということにびっくりだし、ぜひ本気で取り組んでいただきたいと思った。今日の午後はこの本が間接的に関係する仕事。太陽光発電付けようかな-、って気になった。息子の学費等々がなければ太陽光も小規模水力発電も可能に違いない。あーあ。
by kienlen | 2010-03-18 22:41 | 読み物類 | Comments(4)

『疑似科学入門』

岩波新書のこの本を少し前に読んだけど、買うんじゃなかった、この厳しい経済事情の時に失敗。あとがきによると日本ではこういう本があまりないそうだ。アメリカでは疑似科学を糾弾する本が多いそうだ。疑似科学を糾弾ってこういうことを言うのかなあ、良く分からない、と思った。私がなんでこういうタイトルの本を買ったかというと、一見隙のない科学のように見えて実はこっちのデータを隠しているとか、こっちから見るとこうだとか、そういうのをイメージしたからで、自分のような者にはハードルが高すぎて分からないかな、それでも挑戦してみようと覚悟していたのだが、見事に外れたみたいだった。厳密さよりも扇情というか、何を目的に誰に向けて書いているのか分からない。学生かなあ。といっても理系じゃあるまい。文系の学生への説教かなあ。まあ、少なくとも私のようなモンではあるまい、とまでは予想できる本だった。しっかり読む気も最初から持てなくて就寝前に、失敗したけどせっかくだから読まないと、みたいな貧乏性丸出しでページをめくっていたに過ぎない。岩波新書が読めないと思うようになって長い。まあ、元は大ファンだったかというとそんなことはないのだが。あるいは勝手に期待が大きすぎのか。来年度の目標は慎重な本選び。そう決意させてくれた本。
by kienlen | 2010-03-17 22:13 | 読み物類 | Comments(0)

お金と心と

やっぱり飛び飛びだ。いろいろあるが書けることはそんなにない。書けないことはあったり聞いたりでたくさんある。今日の書けることは息子の入学手続きをしたことか。親の欄以外は全部書き込んですぐに手続きできるようにしておくように、と言ってあったのになかなか起きてこないし、記入もしてなくてまた怒り。こっちはあなたのペースに付き合っているほど暇じゃないんだ、と。しかも振り込む金額の膨大なこと。どう安く見積もっても4年間で1千万である。結局勉強始めたのが秋であり、それまで何もしてなくて何も予定が立てられない状態だったから、冷静な計算をするまでもなくバタバタときて、結局吟味する余裕もなくこういうことになってしまった。何か騙された感が強い。結局最後の3か月だけでこういうハメになったわけだ。やっぱり騙されたんだろうか。そうに違いない。条件は付けておいたはずだが、お金の計算をして「遊ぶ金がない」と当人も現実を感じ始めたようだ。近間にしてくれればこんなことにはならなかったんだが。

しかし、その後で電話で母と話していて、お金は分かりやすいと思った。仕事の有無は大問題ではあるが、それをさて置いておくと、とにかく目に見える。金が必要だから稼ぐというだけのことでシンプル。汚れがないのである。しかも誰にとっても千円札は千円札であり、昼間見たら千円で夜は900円だったとか、見ようによっては500円に見えるとか、そういうことはない。やっかいなのは心の問題だ。どういう風に年を取るか。父に電話をしたら母が出た。「暇だ」と言うから「いいね」と言った。深い意味はない。暇でも食べられればそれでいいだろうし、暇をもてあますのであればすることを探せばいいし、自分で思いつかなければ相談すればいいし、暇でいたいなら暇でいればいい。どうにでもなる状況にあるんだからそれはいいね、という程度。体調が悪いと聞いていたから「どう?」と聞いたら「大丈夫」と言うから「それは何より」と言った。私にとってコミュニケーションの基本は額面通りである。まずは一旦額面通りに受け取ってから、もしや偽札かも、二枚重なっているかも、入手経路は問題ないか等検討するのは自由だが、その場は受容態勢で臨みたい。ところがそうじゃない人は違うのである。額面通りに話すことを「冷たい」とか「情がない」とか思うのである。母にとって私は相当に冷たいらしい。「もっと持ち上げてくれ」と父に言われる。となると「暇だ」に対してどう持ち上げるか。「すごい」とか「お幸せで」とか。本当は体調が悪いのに私が冷たいから嘘ついているらしい。それに対しては「大丈夫なんて嘘でしょ、絶対嘘よ、娘に嘘つくなんてお母様、あんまりだわ、信用してないの!」と泣き崩れるんだろうか。それで喜んでくれるならって気はなくもないが、どうしてそれが嬉しいのかもう全く分からないから、どうしようもない。すみませんと謝る問題なんだろうか。
by kienlen | 2010-03-17 18:38 | 家族と子供の話題 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


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