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住む所を確保

息子が早朝のバスで東京のアパート探しに出かけた。先方で面倒みてくれる夫の兄ちゃんによると、5物件見る予定が3物件が前日に埋まってしまったということだった。それで私も焦っていたが、なんとか決まったという連絡があってほっとした。契約はこれからなわけだが、すでにこの時点で部屋を借りるということがいかにやっかいかを味わっている。しかし、もし一昔前だったらウチなんか部屋借りられないかも、という気もする。父がタイ人である。母も定職に就いてない。これって日本社会で生きるのに、差別されても不思議じゃない家庭環境である。最初、連帯保証人が3人必要と言われた時にはまったくびっくりしてしまった。それぞれ所得証明と印鑑証明が必要なので、私にはその準備をするようにとのことだった。3人!これを聞いてネットカフェ難民とかホームレスにならざるを得ない理由が分かった気がした。今時の核家族で少子高齢社会で、不安定雇用の世の中で3人も探すことができるんだろうか。いつでも住所不定になってしまいそうだ。結局、今日のところは保証人はひとりで良さそうで、心配の種はひとつは減った。

今日もタイ人と息子が探しに行ったわけだが、まあ、借りられて良かったというものだろう。あるいは兄ちゃんが日本国籍取得していたことは何か影響があったのかもしれない。しかしもう外国人を相手にしなければ賃貸の商売なんて成り立たないという時代になっているかもしれない。中学高校なんてあっという間だったな。これだけ自分も歳を重ねたとは、何だか実感がない。子供がいなかったら時間の流れを形で見にくいからもっと実感がないかもしれない。今日、息子は夫の兄ちゃんのアパートに泊まらせてもらうことになっている。タイの、水道はもちろん電気もないど田舎からアメリカに留学してひとりで身を立ててきた人である。今はグローバルなビジネスの世界に身を置いている。そういう話を聞くのはいいかもしれない。彼にしても男の子がいないので、たまに男の子を話し相手にするのはいいかもしれない。我が家はまあ、社会的には底辺に近いところを漂っている感じではあるが、逆に言うとこういう変化の激しい世の中においては最先端でもあるような気がしなくもない。明日が分からないって意味では。それにしてもひたすら金策である・・・。次に控えているのもいるしな。
by kienlen | 2010-02-28 21:39 | 家族と子供の話題 | Comments(0)

お隣さんは基地

f0104169_22293319.jpg昨年沖縄に行った時の写真をちょっと整理する必要があった。オリンピックで世の中のニュースは減っているようだったが、写真はそれまで大きな話題となっていた普天間基地である。どこにでもありそうなこのフェンスを挟んであっちが基地でこっちには民家が並んでいた。現場を見ていると、街中にあってあまりに危険であることが実感できる。本土の町だったら学校があるような感じで基地である。まあ、しかし面積からいくと、まるで学校が市民の土地でその他が基地です、みたいな。これは、普天間基地の地主のひとりが美術館を建てるために土地を返還してくれと要求して、そういう文化施設には反対しにくい米側が応じたところ反戦美術館ができた、という説明を受けてから入った佐喜眞美術館から撮った写真だ。以前に校庭にヘリコプターが墜落した沖縄国際大学も、ここからそう遠くない。校庭に墜落って、凄すぎる。

「皆さんの乗ってきた旅客機はめったに落ちないので安全ですが、ヘリコプターはよく落ちるんです」という説明も受けた。よって、基地周辺にはヘリコプター墜落用緑地帯を確保しなければならなくなっていて、確かに周囲には木々が茂っている。「この緑地帯まで持ちこたえられなくて落ちちゃったんですね」という説明だったが、こういうことが日常会話みたいに話されていること自体が異常である。異常であるという現実を今まで知らなかった自分が情けなかった。それにこれが日常になると、いちいち異常でいられないから慣れてしまう。異常を知らない人々と、それに慣れてしまう人々が大半ということではまずいだろうな、やはり。沖縄が好きで何度も行っている友人に基地のことを聞いたが「全く分からない」ということだった。このフェンスを見たって、説明されないと分からないもんな。
by kienlen | 2010-02-27 22:57 | | Comments(0)

自動化、少子化

息子がアパート探しのために上京することになった。私も一緒に行かなきゃならないと思っていたが、東京という所は用事がない限り行きたくない。大都会は苦手だし、その面白みを知らない。夫の兄ちゃんがあっちで働いているのと、大変親切な方なのに甘えてアパート探しを任せることにした。それで余裕ができて今日すべき予定だった仕事を先延ばしにしてしまった。まったく情けないことである。それで何をしていたかというと、午前中友人と長電話し、午後の前半別の友人と長電話し、午後の後半別の友人を訪ねて長話した。合間にちょっとした仕事の打ち合わせもどきが入っただけ。夕方戻ってきて、息子の上京のためのバスをネット予約することにした。行きの分は朝予約してあったが帰りはまだだった。行きの分は格安チケットが確保できた。しかし格安のだと1日一往復しかなくて、帰りが遅過ぎる。高いが便を選べるのを片道だけ使うか、もったいないが、と思ってアクセス。

驚いた。各種の割引サービスがあって、それを利用できると正規料金の半額近く、格安チケットと同じ程度だ。格安のが出てくるとこっちだって下げないわけにいかないんだろうし、利用者としては安い方がありがたいが、しかし、いいのかなこれで、って感じはぬぐえない。ネットだとさらに割引があるようだ。ここまで差があると情報の有無によって物価が相当に変わってくるわけである。割引サービスに疎かった今までに随分とソンをしていたように感じる。それに、予約や決済がこうして自動化されると人材だって減るのだろうから、失業者が増えるんだろうか。そしてどこもかしこも直接接触がなくなっていく。しかしだからといって人がコミュニケーションをしなくなるわけはないから、どこかにその場を求めることになる。今日1日話していたのはその反動か。減らされる人材は別の分野で必要とされるといいが、しかしやはり必要な人材の全体量は減るだろうな。なるほど、少子化は当然なのである。働く場が減るのだから人は減っていいのだ。最近ネットで済ますことが増えて少子化必然説にますます傾いている。
by kienlen | 2010-02-27 20:27 | その他雑感 | Comments(0)

ほのぼのの日

今日は春の陽気だった。ここまで暖かいと、こんな暖かい所にいたら性格だって大らかになるだろうと思う。のびのびできるんだから。外に出る人も増えるのか、いつもなら歩行者用信号を押してひとりで渡る横断歩道を、数人が一緒に渡ることになって、こんな賑わいは初めて経験した。暖かい国の方が人々が交流しやすいのは当然なのだ。外に出るし厚着しなくていいし、下向きにならなくていいから周囲を見回す余裕も出るし。こんな陽気だから何度も外に出た。銀行に行ったり、打ち合わせも自転車で快適な陽気。寒いことで問題なのは歩くのはまあまあとしても自転車に乗りたくないことである。これで車に乗らなくてすむ生活だったらどんなにかいいことか。

さてさて、2月も終わりそうになってきた。さすがにもう、控えている大物の仕事に取りかかるように頭を切り換えないとならない。その前に細かいののメドをつけておかなくちゃいけない。雑用なんかもっと前に片付けないといけない。でも順番通り並んでいるわけでなく、並びなさいと命令しても並んでくれない。それでも人とか生き物が相手でない仕事はコントロールはできる。野菜作りは頭にあるが、こういうことは頭だけじゃできないので取りかかれない。水仙の芽が出てきた。家の脇で大きな木になっているタラの芽が出たら食べたいな。初物のフキノトウを親からもらった。「栽培ものだから野生の味はしないけど」と言う。見た目も違う。きれいすぎ。ま、贅沢は言うまい。この場合、どっちが贅沢なのかな。ビールも美味しい季節がやってくる。旭川で偶然入ったレストランには地ビールの試飲セットがあった。いろいろ飲めて面白かった。
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by kienlen | 2010-02-25 22:11 | その他雑感 | Comments(2)

考えさせられる出来事

歳すると心臓がバクバクという機会は、病気とか以外では少なくなる。若かったらこういう場面で緊張したのになあ、と感じることがよくある。そして若い頃に戻りたくないと思う。人によってはあの若さを懐かしむんだろうけどな。で、こういう日常で突然心臓がバクバクし出すとインパクトが強い。つい最近だが、それを経験した。場所は裁判所の法廷。タイ人の裁判の判決のある日で、審理を傍聴していたのと、時間があったのとでふらっと傍聴に行ってみた。判決言い渡しだけなのですぐに終わると思ったら、なんかごちゃっとしたやり取りがあって、弁護士が唐突に手紙を読み上げたのである。あれ、どっかで聞いたような記憶があるなと思ったら、自分が訳した手紙ではないか。こ、こ、こんな所で読み上げられるなんて思ってもいなかった。こんなのアリですか、裁判官、じゃない、翻訳を依頼してきた会社のシャチョーさん。ものすごくびっくりした。そして本当に心臓の音が聞こえるくらいだった。薄着だったら危なかった。厚いコートが消音作用をしてくれた。隣席では通訳を長年やっているタイ人の友達が真剣な目で成り行きを見つめている。「ねえ、この訳ひどくない。誰がやったんだろ」「じ、じ、実は私」と告白するか、いやいや内緒にしておこうとか、などと、もうとんでもない妄想に支配される。退出しようかと思ったくらいだ。しかしここらへんも歳を取るっていいなあと思うのは、もう自分の責任は取りましょう、と開き直れることで、逃げも隠れもしません。って、大げさなひとり相撲イメージだけなんだけど。

この手紙については小さな翻訳会社を経由して私の元にきて、大急ぎで頼むってことだった。特に難しい内容ではない。感情に訴えたいものであることは想像できる。となると、それなりの表現になる、というものだ。ひとつひとつの言葉をどう選んでどう組み合わせるかは人によって違うに違いない。恋文代筆業があこがれの仕事だったくらいの年代の生まれであるから、情に訴えるのに自信がないわけじゃないが、まさかそこまで演出するわけもなく、普通に訳したつもり…などと、もう自分の注意は細部に入っていく。すると検事が「・・・・の箇所は同意できない」というようなことを言った。裁判官が「その部分を説明してやって」と通訳に指示した。心臓やっぱりバクバク状態。通訳が「これは原文とちょっと違います」なんて言ったら、翻訳自体を問うような展開になるんだろうか。その場合、問われるのは訳者か受注会社か。半分ボランティアみたいな仕事でなんでこんな目に遭わなくちゃいけないんだ。通訳さんもイレギュラーな展開にとまどっている。別に私は間違った訳をしていると不安になっているわけじゃなくて、こういう扱いをするのなら最初から分かっていたかったというだけのことである。この時は判決に際して情状を求めるという使い方だったので(もっとも他の使い方があるのか、裁判についてそう知らないから分からないけど)表現のレベルまで突き詰めるものではなかった。実際、そこまで突き詰める場面があるのかどうかは知らないが、今日の多言語状況を考えると、なんかすごくびっくりする出来事ではあった。まあ、たまたま傍聴に行かなければ知らなかったことでもある。
by kienlen | 2010-02-24 16:04 | 言葉 | Comments(3)

見回してぶつぶつ

世の中が全く分かってない、と感じるとぞっとする。世の中といってこの場合はたいそうな意味ではなくて自分の関わるごく小さな部分部分なのだが、それは海上にぷかぷか浮かんでいる部分ではなくて、世の中という大海に、島のようにとはいわないが、タコのようには細い糸でどっかとつながっているはずなのだ。どうも微妙に自分はずれていると感じることがこのところ多い。もっとも今まではずれていたのに気付かなかったんだ。よって若い時は「なんで、なんで何もかも分からないの」と苦しみながらも、何が何だか基本が分からないから迷路のようにここまできたわけだが、まず始めは息子を見ていて、時々「ここまで違和感を感じるのはもしや、自分に問題ありか」と薄々感じるようになった。それ以前から、自分の弟がずれている、と感じていて、しかし誰もが「弟さんの方が普通」と言うので、その誰もがずれていると思っていた。考えてみるとものすごい鈍感。これも無意識の生きる術かもしれない。最近は本気で、こういう自分に若い時に気付いていたらここまで生きられなかったかもとも思うから、神様ありがとうございます。

今さら何でこんな自分探しだか、他人探しだかの話になるかというと、昨日、久々の登校日だった息子からこういう電話があった。「ねえ、祝賀会に3人も出るの?」「あれ、それ祝賀会?卒業式かと思って書いた」「だからさ、先生に確認しろって言われたんだよ。祝賀会に出る人なんか3分の1くらいだよ」「祝賀会ってそもそも何?」「先生と親しか出ないもの」「お金かかんの?」「うん」「間違えた、欠席でいい」という会話を交わした。つまり祝賀会に関するものなのに、卒業式の出欠を問うハガキかと勘違いして返信していたのだ、私が。こんなことは些細なことであるが、こういう些細なことはよくある。アンケート用紙の質問の意味が分からない。この間ひょんなことから学習塾のお手伝いをすることになった時も問題のつながりが読めない感じがあった。それから単純には、友達と話していても、どうしてそういうコミュニケーションになるのか根っこの部分で分からないこともある。それでまあ、自分を振り返るのだが、やはり分からなくなる。まあ、ここまでこれできたんだからしょうがないと思える年齢になっていたことは幸い…なのかな。これも分からないけど。なんかこう、コードがひとつふたつ足りてない、じゃない、摩耗しちゃったのか。
by kienlen | 2010-02-24 10:55 | その他雑感 | Comments(0)

他人事じゃないけど

しばらく会っていない遠方の友人が「今、近くにいるんだけど」という電話をくれた。それで急遽会うことになった。しばらく、っていっても多分2-3か月ぶりかと思うが、その程度なのにずいぶんと雰囲気が変わっているように感じた。目つきが不自然に鋭くて、それでいて焦点は定まらずというアンバランスな印象。これはあまりいい状況にないんじゃないかと直感した。事業がうまくいっていないことは前から聞いている。不況に直撃された典型的なケース。ただ事業内容を考えれば、私だったら縮小しちゃうなと思う。私はもともと小さい人間なので、手の届く範囲を確実にする事の方が、大風呂敷を広げるよりも性に合う。いろいろなタチの人がいて、その組み合わせが面白いのだから、どれもいいんだけど、順調じゃない時にどう対処するかも、また人によって大きく異なる。やはり大変なのは、設備が膨大な製造業とかの、縮小が難しい企業だろうな。柔軟な対応っていっても難しい。

その友人の場合は従業員もなしの専門職的サービス業である。借金もない。子供は成人している。自分が食うくらいの稼ぎは自分でできるんだから、縮小しちゃえば楽なのにな、と思ってしまうのだが、一方で、人はその人の性分にあった生き方をするのが一番当人にも周囲にもストレスかけないと思っているので、半端なお節介はしたくない。後退や縮小なんてあり得ない、前進あるのみ、という人に対して私は何を言えばいいんだろうか。アイデアが沸いてこない。「どーしたらいいんだろう」が何回も登場した。「動くしかない」と友人。多分それは正解かもしれない。でも、動くことはリスクを伴うことでもある。もちろんリスクを取らずして何もできない。でも、ちょっと立ち止まるのも良くないか、というアドバイスがミスマッチなのは、もう長い付き合いになるので分かってしまう。苦しいな。こういう時は事故とか健康に気をつけないとね、と、それだけは言える。そういう点では自分も苦い経験をしているから。細かなトラブルに会わせていただくことで、大きなトラブルを避ける術を与えていただく。生きているってそういうことの連続という気がする。
by kienlen | 2010-02-22 23:40 | 仕事関係 | Comments(0)
息子の、一応第一希望の合格発表日。不合格だった。当人は「受かっていると思ったけどなあ」と言いつつ、特にどってことはない。とにかく落ち込むとかいうところは見たことがない。人生後半でまとめて襲われるんじゃないかと思うが、その時はその時だ。「諦めるの早い」という自己評価。もっともウチには誰ひとりとして執着心が強いとか簡単には諦めないとかいう人がいないのだから珍しくはない。というわけで、試験が終わって暇な息子と、自分は暇でもないが暇人がいると仕事が手につきにくい自分。あせってもしょうがないので(このへんの諦めもいかがなものか)成り行きで息子と話す時間が多かった。ま、こういうことはこの先あるのかどうか分からないのだ。「これでさっぱりで良かったね」と言うと当人も納得・・・に見えてそうでもなくて、センター利用で後期でエントリーしてみたいところがあるということだった。はあ、また面倒なことになってまた金がかかるのかと思ったが、何か言うのも面倒なのでヤケで「もうここまで来たら方針転換しないから納得ゆくように好きにしてくれ」と言った。もちろん「ウチの家計で東京の私立なんて無謀なことをやってあげることは重々承知しているように」と加えた。さすがに「ありがとう」と言っていた。当たり前だ。

私としては、受験生の親ではあったが受験についての世話を焼かずに済んだのは楽だったので、その点は評価した。「自分でここまでやったことについてはよくやったと思うよ」と伝えた。それに、どこも不合格になっている友人もいる中、2つしか受験しなくて1つが合格だったんだから、まあ合理的に選択したということになると思う。彼の高校のレベルからしたら、がんばったというものである。何しろゼロどころかマイナスからスタートで突然やり出して3か月くらいなものであるから、妥当な線というものだ。「勉強のやり方分からなかった」と言うから「親によってはキチンと毎日やるように躾ける人もいるらしいけど、私はできないから、まあしょうがないね」と当方も一応へりくだることにした。しかし実のところは、躾けようとしたことはあるが通じなかったのだ、と思っている。それにしても本を読むわけじゃなく、深い思考をするわけじゃなく、読み書き能力にも劣るこういう人がどう生きていくのかは知らない。その点は学生のうちに考えるべきであることは伝えた。私のように抽象的な親にどうしてこう具体的な子ができているのか、やっぱ、反面教師ってものか。息子が在宅であることによって娘が「兄ちゃん、ヤダ」と泣くので閉口している。「あとちょっとの辛抱だよ」と言っても、それが耐えられないという。それは分かるけど、2人ともなんとかがんばっておくれ。
by kienlen | 2010-02-21 23:48 | 家族と子供の話題 | Comments(0)
なんだかよく分からない構成の本だ。著者は佐川一政。でもこれは著者なのだろうか。インタビュースタイルであったり対談スタイルであったり、独白スタイルであったりといろいろで、それぞれが本当にそのスタイルなりの過程を経ているのかどうかが分からない。佐川さんといえばある年齢以上の人には多分何らかの形で記憶のどこかに残っていると思われる、カニバリズムの人だ。フランスと日本の法律の穴に落ちた形で、裁かれることなく社会に出た、ということらしい。この本を読むと。そもそもこの本がなぜウチにあるかというと、図書館の本の除籍の時にもらってきたもの。身辺にいろいろあって集中力が相当に欠如している時に軽い本を読みたいと思ったのにこれというのが見つからず、この本を引っ張り出してみた。なんかこの本そのものの全体的な意味が不明だなと思いつつも結局最後まで読んだのは、結果的に犯罪を犯すまでに至る動機とか心理が、これまで自分が予想していたカテゴリーに入らなくて、それが何なんだろうという興味で読み進めることになってしまったから。

あの事件の時に自分がどう感じたかということは覚えてない。相当な報道があったらしいが、当時はテレビも持っていなかったし、社会への興味もあんまりないまま悩みつつ生きていたんだと思う。人に対しての想像力を働かせるほど余裕がなかったのかもしれない。この本では報道についていろいろと書いてある。当時からこうだったのか、という感じ。今、まさに問題にされていることを彷彿とさせることが書かれているが、当時の報道の様子を知らないので、どう考えたらいいのか分からない。とにかくいろいろ報道されてしまったことに当人から説明します、というのが基本にあるようだ。表現者がそういうことをすることがどうかって疑問は「解説のかわりに」に書いてある。そういう本を20年もたってから読むというのがそもそもミスマッチ。ちょうどこの間の食の文化誌の本でカニバリズムに触れていたことも加味しながら読んだけど、文化としてのそれと個人の嗜好というのは違うんだろうから参考になった気はしない。結局、その後はどうなったんだろうか。関係者にとっては人生を決定的にする、あるいは人生そのものを奪われていることなのに。パリに留学していたというこの人は絵も巧いんだな。本棚の隅にあってなんとなく気になっていたのをとりあえず読んだというところ。
by kienlen | 2010-02-21 16:49 | 読み物類 | Comments(0)

誕生パーティーに遭遇

2日あいた。仕事はなんとなく一段落で追い詰められた感からの解放感はあり。さて次を考えないとな、夫の店のコックさんのビザ更新手続きしないとな、なんて考えながら仕事先から出たところに夫から「どこにいる?」という連絡があった。「店のすぐ近く」「車?」「歩き」「子供にやる総菜があるから取りにくれば」と言うので「それはありがたい!」と大喜びで店に行ったのが夕方だった。「はい、これ」と渡された袋に妻の分はもちろんなし。「奥さんの分はなしね」と言うと、そんな人いたのかって顔だった。店はパーティー準備で賑わっていた。そういえばひとりのタイ人女性の誕生日なのだった。「いくつよ」と聞くと「47歳だ。でもこの服は25歳だああ」と言って、確かにかわいらしい服を見せながら、まさにガハハハと笑っている。「その声のうるささがないとカッコいいのにねえ。しゃべらない方がいいよ」と言うと「みんなに言われるのだ、ガハハハ」だった。相変わらず明るい。こういう状況でビールを勧められて拒否できるのは運転しなきゃならない時だけ。昨日は違った。それで一緒に飲んだ。

夫に「もう、息子と毎日いるとうんざり、あのだらしなさ。あなたはいないからいいですね」と言うと「目をつぶっていればいい」と言われた。そうか、タオルで目隠しして接するという手があったのか、最後の手段はこれだ、と決める。すると誕生日の本人が「子供がダメなのは親がダメだからねえええ。私の親はすごく厳しくて、あれこれと躾されたよ」と言う。「やっぱりねえ、アタシダメ、躾ができない」と私は言ったのだが、ふと、躾けられてもこれかと思って「なんだ、親がちゃんとしていてもアナタですか」と言うと「そうよおお、だから子供は子供の道を行くのおおおお。私なんか誰の言うことも聞かないねえええ」とますますガハハ状態になった。それから日本人の男性に電話して「来るのか、来ないのかはっきりしろ、タクシーで来い、来ないなら来るな」と命令。「全くはっきりしないなあ」と言うので「日本人ってはっきりしない人多くない?」と私もガハハ状況に引きずられてしまう。というわけで明るい時間を過ごしていたら娘から「もう一度学校に行くのに食べ物ない」と電話。「すぐ持って帰るから」と伝えて、しばらく飲んでから戻った。また行きたいなあと思っているところに友人から電話があったので再度店へ。タイ人達はすごい騒ぎだった。日本人はもちろんだが、どっから探してきたのかフランス人まで加わってパーティーをしていた。
by kienlen | 2010-02-20 09:59 | タイ人・外国人 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


by kienlen