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さようならカーディガン

友達が寄った。テーブルの上に置いてあった手編みカーディガンを「着させて」と言って勝手に試着。よく似合う。へえ、と思って別のも見せた。いいでしょ、いいでしょ、と、認めざるを得ない言い方で迫ると、また試着。こちらはもっとお似合いである。すると当人も気に入ったみたいで「これ買う!」と言い出した。そんな展開になるとは思いもしなかった。それに私だって気に入っていて着心地も抜群なのである。今編んでいるのと合計3枚の、色とデザインの違うカーディガンがあればこの冬は間に合いそうだ、楽しみだ、と思っていたところ。それに「買う」って言われても価格のつけようがない。でも、一番の問題は、どう見ても私より似合うことだ。「これはアンタの色じゃなくてアタシの色」と当人が脱ごうとしないのも、その通りと思える。サイズだってぴったりである。いくらで譲るか、である。毛糸代がかかってないけど、費やした時間を考えると値段のつけようは本当にない。しかもよくよく親しい友達である。店に出すのと訳が違う。1万円もらうわけにもいかない。かといって2千や3千はあんまりだしなあ。

5千円は安いけど、1枚なくなればまた1枚編みたくなる意欲が沸くし、何より本当にお似合いだし、5千円って言おうかなと思っているところに相手から同じ額を言われた。それで決まり。自分の作ったのを人が着ているというのも楽しいものである。同じデザインで色違いのマフラーも、それぞれの着こなしでいい雰囲気である。そういうのを見るのも楽しみだ。それに、レトロな糸が見れば見るほどにいい味を出している。手編みの感触がこんなに気持ち良いものであることも再確認。絶対に誰も着ていないのもいいし、文句なしである。手間がかかって他のことがおろそかになる欠点をのぞけば…。多分ずっと使えるだろう。10年以上も前に編んだのを今も私は着ているし、なんともない。こういう経緯があると、10年後にマフラーやセーターを通じての話題にも事欠かないだろう。良い趣味をお持ちで、ってことにして、また編もう。次の名刺には「メリヤス編み職人」ってのも入れよかな。
by kienlen | 2009-10-31 18:18 | 手芸 | Comments(0)

たかが名刺ですが

名刺が1枚もなくなってしまった。「あー、名刺切らしてます」が通じるのは、偉い人であって、身元も仕事内容もはっきりしない個人が「切らしてます」で済ませるわけにもいかないことは分っているのだが、注文するのが面倒なのである。ここ10年くらいずっと、1度注文して気に入ったネットの名刺屋さんに注文していて、フォームの指示に沿って入力すればいいので方法自体は簡単。対応も迅速で多分もう10回くらい注文したと思う。毎回同じのを作っていればコストも下がるし注文も楽なのだが、そういうのが嫌いなタチであるのがまず問題。毎回違うデザインを注文する。でもそれには飽きっぽいという以外の理由があって、つまり肩書きをどうするか、で毎回悩むわけだ。うるさいのは何かにつけて好きではないので、シンプルにいきたい。そうやっていたこともある。しかし、こういう底辺の個人にとって名刺というのは大事な広報ツールであることは確か。やっぱ宣伝しなくちゃな、と思って対応可能品目を少し入れた。

すると「アンタ、これやるんだよな」と言って、近隣に位置していて微妙なところの仕事の打診が入ったりする。仕事は断わりたくないし、せっかくお問い合わせいただいた方に「それはできません」と言うのもしのびない。かといって大風呂敷広げて済むようなものではない。それじゃあ、と思って品目名を細かくした。一時は裏面にも入れていた。しかしなあ、うっとうしい。それで一時は3種類作った。仕事内容を入れないやつと本業と副業と。しかしこれはバカバカしかった。本業以外で名刺配るなんてことはないんだし。となると、仕事内容として何を入れ込むか、である。これを考えるのが面倒くさくて1枚もないところまで引っ張ってしまった。これ以上延ばせないので、多少張ったり目の内容も加えて発注。「何ですか、これ」と話のきっかけになるだけでもいいのである。誇大広告で告発されるわけじゃないし、何をしたところで責任は自分にかかってくるだけだ。週末だから迅速対応は期待しなかったが、あっという間に「本日発送します」の返事がきた。月曜日に間に合うかも。素晴らしい対応。こうして町の名刺屋さんに頼む機会はなくなっていく。
by kienlen | 2009-10-31 11:44 | 仕事関係 | Comments(0)

ルーズな構造という概念

注文してあった『タイ事典』という本が届いた。発行部数の少ないものはそれなりの値段。で、私が欲しいのってそういうのが多いから、それなりのことになる。でも嬉しくてパラパラとめくっていたら、たまたま「ルースなこうぞう」という項目が目に入った。これはタイ社会を表す概念として有名なものだが、その後はいろいろ批判もでたらしい、ということは知っているが、厳密にどういう批判であって、結局定説がどこにおさまっているかまでは知らない。私自身はこの論文を読んだ時に結構納得できたので、そのようなことをどこかの先生に雑談で話したら、嫌な顔されたから、そうかあ、とっくに通じなくなっている説を持ち出してはいけないのだろうか、と、学問の世界にいない自分としては引っ込んでしまったことがあって、何か気になっていた。そんなわけで目について、何が書いてあるんだろうと読んでみた。

すると、最後に「その後多くの論争があったが、この概念はタイ社会の社会文化の特徴を的確に示したと言える」とあった。つまりこの事典ではそういうとらえ方が示されてるわけだ。何か嬉しいというか、そう思ってもいいんだな、という安心感。夫から村の様子など聞いても、日本のような村社会とどうも違うなあという感じはあるし、ルースという概念はすごく当っているように思うのだ。で、それだけだと、どってことないのだが、この説を発表したエンブリーという人がなぜこの論文を発表したかというと、実は日本の村を調査していて論文を書いたことがあって、その後にタイのアメリカ大使館に赴任して、タイの個人主義が日本の集団主義とあまりに違うことにショックを受けてこの論文になったとあって、それだったらなおのこと面白いなあと感じた。で、エンブリー自身がルースさについて「将来予測を困難にし、社会統合を困難にするなどのマイナス面もあるが、変化する現状にすばやく対応するプラス面もある」としたそうだ。なるほど、現在のような変革期に何がどうなるかって意味ではひじょうに参考になると、ひとりでこっそり悦にいっている。
by kienlen | 2009-10-30 19:57 | タイの事と料理 | Comments(2)

選挙スタッフとしての関心

娘の学校では生徒会長選挙の最中らしい。たまたま娘の仲の良い友達であり、テストをすれば100点か98点か、その上チョーカワイイって子が会長候補になってしまったのだそうだ。それで娘は「スタッフ」なのだそうだ。スタッフって何よ、と思ったら演説の原稿を手伝ったりなんかするらしい。そのため日曜日は当人とスタッフがストップウオッチ持参で図書館に行き、演説の練習をしたのだそうだ。「図書館で演説の練習ですか?」と聞いたら、さすがに室内でできないから、階段の踊り場にある休憩所でやったそうだ。そこはもともとうるさいから問題なかったそうだ。「演説の効果をみるために周囲の人に呼びかけてみればいいじゃない」と言ったのだが、そこまではしたのか、しないのか。で、その演説の本番のあった日に娘が「演説しながらね、机をバンってたたいたりする人もいるんだよ。その方がいいのかなあ」と少々考えていた。ウチの子達はどっちも父親に似て、深く考えることはしないから一瞬だけバンっと。つまりは、淡々と話すよりも情熱を表出させるパフォーマンスの方が訴える力があって、それにつられて投票する人が多いのだろうか、という疑問である。

こんな疑問に簡単に答えられるなら政治アドバイザーになって儲けてから代理で逮捕されて国策捜査を告発してやる、なんて燃える野心は娘には黙っていたが、面白い疑問なので応答した。どうも娘は相手の喜びそうな話題のみを話すんじゃないかという気がしてならない。その点息子は逆である。これが空気読む、読まない、という例のあれなんだろうか、よく分んないけど。私は「自分に合った方法が一番説得力あると思うよー」と言った。友達は机たたく派ではなく静かだそうだ。だったら演説の中身で勝負と思う反面、意外なことをすることで幅の広さをアピールできていいかもね、とも思う。娘の「学年投票は絶対通る。だってどういう人か知っているから」という予想通りになって、その友達は最終候補に残った。ところが全校投票は本人を知らない人達の投票なので演説で決ってしまうと、そういう理解である。それでいっそう演説の方法に目がいく。小規模ながらも選挙というものの本質を感じる経験かもしれない。
by kienlen | 2009-10-30 12:58 | PTA・学校 | Comments(2)

実のない雑感

大きな理由もなしに3日もあけてしまった。何してたんだろ。働いてもいた。それと寝不足。今日は運転中の睡魔を払うために道路脇でしばらく寝た。仕事のせいというよりは編み物のせい。そもそも仕事は気分によって能率の上がる時と全然ダメな時があるし、酔ってりゃできないし、眠くてもできないし、そんな長時間もできない。でも編み物は自然条件にも気分にも頭の働き具合にも何も関係なくできる。半分寝ていてもできる。これは恐ろしいことである。これが近代化なんだ。のべつまくなし機械のように働くのだ、ということはともかく、そうだった、ほっと一息の時間にブログを書くという習慣は、編み物にとって代わられるものである。ということは、ブログと編み物は競合関係になる。それはちょうど外国人単純労働者と日本のどの層の労働者が競合するかということと似ている。いや、飛躍か。

最近ご高齢の方と話すことが多くなった。当方の年齢もだんだん上がっていることとの関係もあるが、本日は82歳だった。つまりもう達観しているのである。だから楽しい。それでこっちも人生楽しいのだ、という風につられて思ってしまう。でもよく考えると、今だと年金もあるんだろうが私らどうなるんだ、とか、若い時に苦労しているからの達観であり、若い時から苦労してない自分が一緒になってそうするのはいかにもまずくないだろうか。と思い始めたらとたんに不安になってきた。いちいち自分に引き付ける自分も自分である。自分の時分的病いである。ともかく明日も仕事に出るのだった。来週からは余裕がでて、次からもっと余裕がでて、次からもっともっと…、それも困るけどな。面白い本を読み始めた。なるほど、この手があったかと思いながら読んでいる。
by kienlen | 2009-10-29 21:56 | その他雑感 | Comments(2)

またやってしまった

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いただきものの古い毛糸の処分の第二弾。こんなことしている場合じゃないのに止められず、結局仕上げてしまった。いかにも素人の垢抜けない出来具合であるが、なぜだか気に入ってしまった。何しろ買ったものは1個もない。ボタンももちろん廃物利用。細い毛糸なので二本取りにした上に、同じ糸でやるほどの量がないので切り替えている。後ろ身頃も編んでいる途中で終わったので切り替えた。こういう制約のある中でやるのが面白いのだ。どうせ趣味なんだから楽しければいいのである。実はこんな古臭いデザインの予定ではなくて、ここに襟がついて今風になるはずだったのだが、襟付けの要領を間違えてしまったのでナシに変更。襟用に色の組み合わせを変えようと用意していたのでちょっと残念だったが。でも、今だと、下に長めのシャツかなんかあわせたら、こういう冴えないデザインもそれなりにいいかもね、と思っている。まだまだ毛糸はある。でも、メリヤス編みで止めておかないとなあ。模様編みなど始めたらもう収拾がつかなくなる。さて、次もいくぞ。
by kienlen | 2009-10-25 21:45 | 手芸 | Comments(0)

薪がないから生で食べる

そもそもこのブログの主人公でなければいけない我が家の純粋タイ人約1名であるが、特に面白い話題を提供してくれるような人でもないのでブログタイトルとは無縁のマイペースで生活されている。もっともそれには、私自身の感受性の鈍さ,つまりあんまりいろんなことに驚かないという点が影響しているかもしれない。それでもたまにへえっと思うことがある。それは夫の生食傾向についてである。虫食も驚く人は驚くようだが、私はもう慣れてしまったし。で、生食の対象は野菜。ちなみに生魚は相変わらず食べない。刺身も鮨も基本的には食べない。タイでも日本食はかなり定着している中で、鮨を食べないというのは逆に珍しいかもしれない。

店を始めてからというもの、夫がウチの食卓に加わるということはごく少ない。だから彼が何を食べているか知らない。たまに店で彼の食事風景に出会う。タイ人だから当然「食べる?」と居合わせる私に聞く。これはまあ礼儀みたいなものである。田舎風の賄い食の方が都会風のメニューよりも私は好きなので食べる。ついこの間は魚の発酵調味料中心のナムプリックに菜花の山盛りが出てきた。菜花は生である。インゲンやらナスやらその他葉っぱ類やらも生で食べる。菜花は私も大好きだが「ちょっと湯がいてくれないかな」と言ったら「生の方が甘くて美味しい」と言いつつもそうしてくれた。でも生に未練ありの様子。前々から、いろんなものを生で食べる人だなあと思っていたのだが、今、タイ料理の本を読んでいて謎が解けた。東北地方は平野で木が少なく薪が不足するので生食が多かった、とあった。なるほどーー納得。実際、熱源を使わない料理がタイ東北地方には多い。それに西洋風のサラダのように油も使わないし、味のバリエーションも多彩で、ご飯のおかずに合うのはサラダ以上。エコ&ダイエット料理として売り出したらいいと思うが、こういうことは当事者は気付かないものらしく、賄い料理に徹しているところがどうかと思う。
by kienlen | 2009-10-24 13:38 | タイの事と料理 | Comments(0)

『「ひきこもり」から家族を考える-動き出すことに意味がある』

仕事がはかどらなくて最低の気分だ。いい天気を横目に見ながら、飲み会の誘いも断わってただ家にいる。なんだか日常生活の3分の1くらいはこうして無為に過ごしている気がする。そんなだから夕食を作る気にもなれず娘を連れていつも行く食堂へ。いつもなら欠かさないビールも我慢していると娘が不思議がる。「仕事あるからね」と言いながら、そのくせせっせと編み物なんかしているもんだから「結構のんびりしているじゃない」とか言われる。難しい本を読む気分でもないが、逃避的に読んだのがこの本。昨日買って、電車の中で読み始めたら面白かった。岩波ブックレットなので薄くてすぐ読め、実用的でいい本だなという感じがした。当事者家族と支援者用の実用書に徹していて、合理的な本。よって原因探しなんていう、前向きでないものは全く扱っていない。ひきもり状態を何段階かに分けて、とにかくスモールステップで進んで行くことの大切さと具体的な方法を示す。

著者は、ひきこもり支援団体NPOで活動する田中俊英さんという方。ひきこもりとはどういう状態を言うのかの説明、不登校との関係、精神疾患との関係、年齢のことなどなどをとっても分りやすく整理して、誰を責めることもなく、現場で修羅場を見ている人ならではの落ち着きというか冷静さで進めている点に好感をもった。家族や親子関係について考えない人はいないと思うが、かといって何か具体的な形として立ち現れない限り、考えも漠然としたものでしかない。そして具体的になる時って、たいていはいい方向とは言えないのが家族ってもののような気がする。それにしても、会う人会う人が立て続けに家族員のひきこもりの話になるような社会なのである。その状態を動かすという視点に徹した活動がないわけにいかないことはすごく感じる。家族だけでどうにかなるわけないのだし、想像するだに辛すぎる。自分としては、知っている情報を教えるくらいしかできないが、今後この本の紹介もその中に入れとこう。
by kienlen | 2009-10-23 22:33 | 読み物類 | Comments(2)

マフラーの続き

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基本のマフラーの注文を受けて作ったところ、さらに小花を散らしてくれというリクエストがあった。アート系の仕事をしている人なのでアイデアがわく。それで立体的な花と組み合わせたところラブリーでゴージャスになって自分でも大変気に入って目が冴えてしまうくらいだった。夜に仕事をするとそういう状態になるが、編み物でもそうなると、一体何をしたらいいんだと困った。幸い気に入ってもらえて、お揃いのコサージュも作ることになった。楽しみ。今日は久々の遠出で、久々に電車で行った。編み物を持ち込むと読書ができないので我慢。早めに行って付近の大学生協で本を買い込んだ。書店もしばらく行ってなかったので欲しいのがたくさん。まあ、しかし、大事な仕事があるのだった…。
by kienlen | 2009-10-22 23:22 | 手芸 | Comments(0)

『韓国言語風景-揺らぐ文化・変わる社会』

しばらく前にイベント会場の寄付方式の古本コーナーで買ったものの1冊。1996年発行の岩波新書で著者は渡辺吉鎔先生という、名前の読み方の分らない言語学者で韓国生まれの方。前に、ジャーナリストによる韓国と日本の、言葉を含む文化を比較した本を読んだ時にもあまりの類似に感動したが、これはそういう感動を味わわせるのが目的のひとつと思われる本であるから、ますます感動する。言葉という表象になるまでの思想も似てますよ、ということで例が次々と登場する。いやあ、面白かった。比喩に色を多用する共通点。あっちの色がピンクなのも共通している。ことわざもそっくり。儒教の影響の大きさと、現代の、大きな変化もカバーしているので色あせてない。言語のルーツを探る難しさ。それから漢字をどのように取り入れたかという点も興味深いところ。

特に私が興味をもったのはハングル文字の生い立ちについて。音声学の原理に従って科学的に発明されている文字であることを初めて知った。友達で韓国語をやったことのある人は多いのに、教えてくれなかったな。あの記号みたいな文字が舌や口の形からきているということは。朝鮮語と韓国語がどういう言語政策の下にどのへんまで違っているかというあたりもとっても面白かった。タイ語と日本語もこういう風に面白く歴史にまでさかのぼって比べてくれているのがあるといいのになあと考えかけて、そもそも比較できる共通項がないのに無理であることに気付いた。これはもう日本語と韓国語だけの楽しみとしか言いようがない。韓国のDVDを見まくっている友達とランチをしたのでこの本を貸そうかと言ったら、ペラペラと見ていて「これは欲しいから注文する」と言っていた。韓国に興味があったらそういう価値のある本だろうし、私のように何も知らない者にとっても充分面白かった。
by kienlen | 2009-10-21 20:08 | 読み物類 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


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