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モノ待ち状態

あるモノの到着を待っている。ネットや通販で注文する方が店舗での買い物より多いかもしれない。かといって狭い空間にモノが増えるとやっかいなので、仕事用は赤字でも買ってしまうがそれ以外はなるべく控える。問題は趣味と仕事の境目が曖昧なので、モノの所属が決められないことで、結局結構買うハメになる。これ仕事っていえば仕事だし、とか、これ使う仕事があるかもしれないし、などと内心で言い訳できてしまうわけだ。で、今待ちわびているのがデジタルメモである。何ヶ月か前に、出先の文房具店で見つけて目が釘付けに。ジッと見ているとモノが訴えているようで動揺してしまうので、店内を回っては戻ってきて何度か見た。いいなあと思いつつ、結局諦めた。ノートパソコンはどんどん小型化しているし、家にいれば必要ないし、何もここまで…という思い。一方で、多機能型は無駄であるからモノは自分にとって必要な単機能型の方が使い勝手がよろしい…という思い。

しかしこんなモノに引き付けられる原因は、そんなことよりも手書きからの逃避にある。何かの折に丁寧な手書きのハガキなどいただくと、こういう時くらいは自分も手書きで返事を書こうと思うのだが、書けなくて遅くなってますます礼を失して、放置しておくのも申し訳なくメールしてしまったり、結局返信しないままになったり、いずれにしても罪悪感のようなものが残る。デジタル世代ではなく、かといってデジタルに無関心でいられる世代でもなく。その後もデジタルメモのことが気になっていて、やはり欲しいなあと思ってとうとうネットで注文してしまった。私のような者が、まさにターゲットであるに違いないから、ここは買わせていただくのがマナーかも、などと思って。早く来ないかなあ。ここまで楽しみな気分にさせていただけるとは、現物を見る前から開発の方々にありがとう。何をメモするかはモノと相談して考えよう。
by kienlen | 2009-06-29 09:54 | 仕事関係 | Comments(0)

野中健一『虫食む人々の暮らし』

3日もあいた。家にいる時間があまりなかった。昼はいろいろで夜遊びは毎日で。昨日は電車に数時間乗っていたので、読みかけだったこの本を読了。図書館で借りた本だが、大変面白かったし、参考書になりそうなので購入も検討中。世界各地の虫を食べる人々の様子を描いた本。友達の中には虫食に興味を持つ人がいて、前にもタイの虫食料理の講習会みたいなのを頼まれたこともあった。しかし私自身が特別興味があるわけではない、と思っていた、この本を読むまでは。しかし読んでいるうちにあまりの面白さに感動の涙を流してしまったのは、自分にも虫食にまつわる思い出があるからだろうという事に気付いた。ネリを棒の先につけて足長蜂の巣をくっつけて取り、蜂の巣の個室の蓋を慎重に開ける時のワクワクははっきり覚えている。まとわりつくようなあの巣の感触も好きだったし、蜂の子の頭をつまんで傷つけずに引き出すのが面白かった。失敗すると頭が千切れてしまう。幼虫にならずに小さな卵のまま干からびているのも結構あったし、羽がはえて飛び出しそうなのに当るとキャッという感じて手を引っ込めた。それを炒って食べたり、時には生で飲み込んだり。ああ、楽しかったなあ、という自分の思い出は、まさにこの本のテーマであるようだ。

虫食を科学的にどうの、とか、虫についてのマニアックな話ではなくて、虫食文化、虫と人間をつなぐ虫食という文化に思いを馳せる本だった。でも、自分のささいな思い出などは片隅においておくとして、この本を読みたくなった最大の理由は夫の虫好きによる。もともと好きだったし、バンコクでも食べられるものは食べていたが、郷愁なのか歳をとって子どもの頃の食への原点回帰か、あるいは単に虫を食べた季節なのか、このところとみに虫を食べたがる。旅行中に「虫買ってきてくれ」電話にも驚いたが、店に行くとどんぶりいっぱいの虫がカウンターにあることも少なくない。入荷すると買っているのかどうか。しかもおかしいのは、賄い料理は「これはタイ料理好きだと気に入るから紹介してみれば」と言うのに関心薄く、カメムシとかアリなどはどんぶりを差し出して「どうぞ」と勧めたりしている。虫好きは感動するが、そんな人はめったにいない。でも、まあ、この本にもあるように、虫について語ったり共有したくなるのが虫食のひとつの特徴でもあるようだ。分らないでもない。たまたま娘がアリも蜂の子もイナゴも好きなので、虫で盛り上がることはある。やはりタイ東北地方及び同じ文化圏のラオスの虫食は世界的にも多彩であるようで、この本でも多くのページをさいている。著者の愛情と情熱を感じる素敵な本だった。写真はタイでは最も一般的な食用虫のメンダー(タガメ)。常連のお客さんのリクエストで仕入れたもの。タイでも高価だが、日本ではもっと。
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by kienlen | 2009-06-27 08:03 | 読み物類 | Comments(3)

『その他の外国語-役に立たない語学のはなし』

黒田龍之助著。こちらも図書館で借りた本。細かい仕事があって、やっとかないとマズイ状況にあるのに、本に逃げてしまった。逃げ始めたら止まらなくなって就寝前読書で読み終えてしまった。大変面白かった。エッセイだから難しくなく、何より勇気付けられる内容である。自分は物覚え悪いな、暗記力ないな、だからスグに覚えられる外国語みたいなのを読む気にはならないし、外国語学習に向く能力低いのかな、でも言葉の勉強は大好きなんだな、実用というよりも言葉そのものが楽しい等々、私みたいに日ごろから思っている人に勇気を与えてくれる。今後のサバイバルを視野に畑の確保とカフェを考えていることに変わりはないが、実は一番やりたいのは趣味でのタイ語本翻訳という隠れた希望が頭を持ち上げてきてしまった。翻訳だったらひとりでコツコツとできるしなあ、と。

タイトルに「その他」とついているのは、どうやら著者がご自身を「その他に属する人間である」と分類していることにひっかけているようだ。つまりマジョリティじゃないってこと。もしそうであれば、すっかり共感して読んだ自分は何なんだろう、ということになってしまうが、それはともかく、外国語の勉強って、人に迷惑かけるわけじゃないし、際限がないから永遠に続けられるし、楽しいし、良いことずくめ。そういうのを生業にしている黒田先生が羨ましい。それに妻が同じく語学教師で一緒に旅ができるのも羨ましい。本がたくさんで図書館の中に寝ているようだという住環境も羨ましい。羨んでいてもしょうがないから、今日は仕事しないと。昨夜の激しい雨が一転、晴れた。山の中の畑に行く予定。自分のじゃないけど。
by kienlen | 2009-06-23 08:47 | 読み物類 | Comments(2)

『フィリピーナはどこへ行った-日本から消えた彼女たちの「その後」』

図書館で昨日借りた本の、まずこれを読んだ。著者は白野慎也さんという方。フィリピーナに関する本は何冊か読んだことがあるが、共通して感じるのは、フィリピーナに夢中になる男性の情熱のすごさである。それだけ彼女達が魅力的ということなんだろうと思う。それとタイ人に夢中になる人に比べてインテリが多いような気がするのは、単なる気のせいなんだろうか。その点はデータがあるわけじゃないから分らないが、少なくともこのような本にしたって、フィリピーナの場合は社会的な犠牲者というよりも、意志のあるひとりの女性として扱っている感があるが、タイ人女性を描く場合は、かなり犠牲者的な面が強調されているように感じられてならない。フィリピンがどういう国か私は知らない。こういう本を読むと、一般的に男が遊び人で浮気者で無責任で、女が身を削って一家を支える的なところはそっくりであるし、家族親族の人間関係がセイフティネットになったり全く逆だったりも似ているとは思う。大きな違いは宗教。なんだかフィリピンの方が「個」があるように感じられる。だから積極性にもつながるのだろうか。

まあ、しかしなんといっても入国の経緯の差異は大きい。これが一番だろう。フィリピンの場合はエンターテイナーとしての合法的なビザが発給されてきたわけだから、ブローカーに従ってくるだけのタイ人女性よりはよほどマシと思われる。従って来て風俗という経路となると、つまり不法であるから守ってくれるものもなく逃げ場もないわけで、受容的で諦観がないと状況を切り抜けるのがひじょうに難しい。それは後々まで影響を与えて然りである。そして当然、そういう状況にある女性と付き合うというのも勇気のいることだろうから、フィリピーナとは全然違うよな、などと漠々と考えながら読んでいた。それで、この本はエンターテイナーのビザが、アメリカの圧力もあって厳格になり、事実上入国困難になったことがフィリピーナの人生にどういう影響を与えたか、というのがテーマになっている。元ジャパユキさんの聞き取りだが、著者の位置は彼女達と寄り添っていて、素直な感情の表出場面も多々あり。これは男性だからこそかなって感じもする。体裁を変えたら別の種類の本として読めなくもないような。最後に「名ばかり芸能人を認めないのは弱いものいじめ」という著者の意見があるが、これは同感。確か時を同じくして人身売買の法律が施行されて適用の第一号がタイ人だったんだ。
by kienlen | 2009-06-22 19:27 | 読み物類 | Comments(0)

今日図書館で借りた本

図書館から「返却期限を過ぎているので至急返却のこと」という電話をいただいてしまった。すみません、と思って今日返却に行った。農業とカフェ開店関連をたくさん借りていたから、同類の本が減っていて迷惑をかけていたと思う。何冊も借りたのに結局読んだのは1冊だけ。図書館の本って、こういうことが多い。タダなので吟味もほどほどで借りてしまうからだ。それで今日は借りないつもりで行ったのだが、本好きとしては一応ブラブラしないわけにはいかない。そしてあれっと思うような本を発見してしまった。日本に来たフィリピン人のその後を追ったらしい『フィリピーナはどこへ行った』。これはちょっと参考になりそうなので借りることにしたら、1冊というわけにもいくまい、と思い始めてもうダメだった。

料理本も参考に、というわけで『アジア裏メシ街道』という、タイトルがちょっと面白いもの。韓国と台湾料理の本みたい。それから言語のコーナーに移動。鈴木孝夫先生の『新武器としての日本語-日本の「言語戦略」を考える』はタイトルを見ただけでワクワクで。それから『その他の外国語-役に立たない語学のはなし』は、前に読んだことのある著者のエッセイということで、気軽に読めそうだから。今週はあんまり読書に割いている時間をとれそうにないので軽いのばかりにしておこうと思ったのだが、つい『「自由」は定義できるか』というタイトルに引かれて見たら好きな仲正先生著だったのでこれも欲張る。最後に『虫食む人々の暮らし』という虫食の調査の本を見つけてしまい、この間夫がカメムシをムシャムシャ食べているのを見てびっくりしたのでペラペラめくってみたら、まさにカメムシ食にもかなりのページを割いている。面白そうだ。借りた。暇だったら期限内にいけると思うけど、ちょっと今週は厳しい感じである。
by kienlen | 2009-06-21 21:38 | 読み物類 | Comments(0)

出来レース鑑賞のツボ

講演を聞く機会は比較的多い方だと思う。個人的趣味で行くこともあるが、仕事がらみもある。昨日は後者で新幹線を乗り継いで遠くまで行った。男女共同参画を推進する自治体の部署の主催で「ワークライフバランス」についての話だった。長々しい名前を略すとWLB。こういう概念が生れた経緯はともかく、日本の政府の男女共同参画推進の重心はジェンダーよりもこっちに移っている。ライフの中にワークがあるのに、ワークとライフのバランスとはヘンなネーミングだなあというのが初めてこの言葉を知った時の印象だったが、これに関する講演やらシンポやらを何度か聞いても、その違和感を拭えずにいる。新しい概念を普及させること、つまり啓発活動は行政機関の重要な役割である。相反する概念が出てきても、それが自分の信念に反してもキチンと執行するのが公務員の役目である。逆に言うと、自分の信念なんか持ったら公務員はやってられないんだろうな、ごくろうさんというか、公式な無責任っていいなあというか…。そういう空気に満ち満ちた会場で、おとなしく講演を聞く優等生市民をやってきた昨日だったが、税金の関係者内還流ですかと感じてすっかり疲労した長旅だった。

大学の教員から管理職として社会的な地位を上昇させつつ、プライベートには、結婚して子供を育てて、伝統を重んじる舅、姑のいる旧家の嫁として、社会的地位の高い夫の妻として、地域社会の一員としての振る舞いも心得、母親として毎食手作り、弁当持参を貫き通し退職したばかりの女性が講演者だった。斎藤美奈子が、紅一点に関する秀逸な考察をしているが、まさにそれを体現してきた方である。本質を追求し過ぎないことは、社会の本流に乗るコツだと思うが、特にこの年代の女性にあっては、それが男性社会から高い好感度で迎えられることになるに違いない。それをよく感じるお話で、ある意味面白かったが、今さらこの面白さを楽しんで何になるんだよ、であるし、これを男女共同参画推進の講演でやるとはね、なのである。いや、講演者自身がちょっと視点を移して、そのへんに自己言及してくれると、そこから現代も映るし、文化資本や資源をソンすることなく社会還元することになるし、話は断然面白くなるはずなのだが、なぜそれをしないかがとっても不思議だったのだ。でもまあ、そんなことしていたら、そもそもこういう講演にひっぱりだこにはならないんだろう、という気はするが。行政の啓発活動は関係者の出来レースで、納税者は観客としてそれを楽しんで拍手するってことか。こういう意味の平和をむさぼっていていいのだろうか、島国ニッポン。
by kienlen | 2009-06-20 12:10 | 社会的話題 | Comments(1)

小学生の語彙力をイメージすることの難しさ

昨日は細かい事がいろいろあって外周りしているうちに終わった。今日は余裕。タイ人の子の支援ということで昨年から通っている小学校へ行った。週に1度だけ、しかも1時間弱。もう1人が数時間みているから、私が何をしたらいいのかは手探りなのだが、今日は教室に入ったら同じクラスの日本人の女の子が私のところに来て「これ訳して下さい」と言う。渡された粗末な冊子を見たら、英語とタイ語が書いてあった。タイ人の子に聞くと「タイの英語の教科書」だと言う。よく見ると教科書というかワークブックみたい。タイの学校で小学5年にやる教科書を受け取ったきり日本に来たので、その教科書を日本に持参した。たまたま「英語ができる」と自慢気なクラスの友達がいるから、それを持ってきて見せたのだが、問題部分がタイ語で意味不明なので訳して欲しいということだった。訳した後で日本人の子が問題に挑戦するというわけだった。それで、今日の授業はそれにしようとひらめいた。その友達のために、タイ語の問題文を日本語に訳して書くというのは勉強の動機としても強いのではないだろうか。

来日から1年でタイ語力も弱くなっていると思われるので、それも試してみたかった。タイ語部分を読ませると、かなりたどたどしい。しょうがなく私が読んでやる部分もある。それから意味を聞くと、一応分るけど、かといって日本語にするには複雑すぎる。結局タイ語の学習言語が小学校4年でストップしているわけだから、タイ語の「動詞」「名詞」という語彙も読むことは読むけど「意味分らない」という。そうかあ、品詞名も分らないのか。何が分って何が分らないのかもいちいち確認しないと分らない。小学生相手に理屈もなと思って「動詞ってのは行くとか食べるとか来るとか座るとか書くとか読む」「名詞は机とか時計とかペンとか…」とタイ語で説明すると、ふんふんとまじめに聞いているから「じゃ、水は?」と聞くと即座に「名詞」と答える。分ったことにしとこ。ただ、こういう遊びというか試みは面白いとは思った。日本人の子にしたら、外国人の子がどういう感じで日本語によるテスト問題を見ているかイメージできるだろうし、外国人の子にしたら、自分の方が余計に言語を知っているという自信を持てるだろうし。そういうことも言ったらいつもより真剣に、タイ語の問題文の上に日本語文を書いていた。訳すことはとてもじゃないがムリで、私の言うなりではあるが。「じゃ、〇ちゃんに解いてもらってね。来週見てあげるから」と言ったら表紙に「〇ちゃん、がんば」と大書きしていた。かわいいもんである。そして、どういう将来が待っているのか楽しみ。
by kienlen | 2009-06-17 16:14 | 言葉 | Comments(6)

宮崎哲弥『映画365本-DVDで世界を読む』

先週は暇だったから映画や本に時間を使うことができた。今週はそこまでできないが隙をみて読むにはちょうどいいかもと思って読み始めたこの本だったが、面白いのでつい本気で読んでしまった。タイトル通りに映画の評、解説、薀蓄。副題通り、ここまで見ていれば世界が読めちゃうぞ、と思いそうになる大量のラインアップ。しかもハリウッド映画のみ。帯には「宮崎さん、観すぎです!」と書いてあって「毎月最低20本、ハリウッド作品を観続ける著者渾身の映画批評ならぬ社会批評」とある。確かに「渾身」であると思う。自分で見たことのあるのはほんの2本か3本のみなので、片っ端から見たくなるが、ここまで時間使えないし、ウチで見るのって面倒くさいしなあ、なんて言ってないで寝る前の2時間をDVD鑑賞に充てようかなあ。

宮崎先生のこの本における方針は「面白くてためになる映画の紹介」ということ。相変わらずの博学ぶりに圧倒されつつも、著者の思想が行間から感じられて楽しい。他にも楽しみはいろいろあって、導きの星として人生を深く考えさせる要素、思考力を鍛える効果、社会問題に目を向ける要素、ビジネスで役立つ要素、恋するチカラになる効果、家族の意味を感じさせる要素の6つの星の指標が各項についている。こういう解説がチラシについていると片っ端から見たくなるんだけど。ホラーとか怖いのが苦手なので、アメリカの映画はそれだけで敬遠してしまうのが多く、これは自分には損失。そこでストップしてないで勇気を出すことにしよう、と思わせてくれる本だった。
by kienlen | 2009-06-15 13:03 | 読み物類 | Comments(0)

あれから20年だものなあ

夫がもうひとつ家族を持っていることをタイ人から教えられた夢をみた。子供の有無が確かじゃなくて、それによってどうするかは全然違うのに、一番肝心なことが分らないんじゃなあ、と夢の中で感じていた。このところタイ人についていろいろ感じていたことが重なってこういう夢になったのかもしれないと思った。昨日、映画を見た後に友人と夫の店に行った。そこに若くてケバケバの女の子が入って来た。タイ人に見えるが、日本語で話しかけたら日本人並の発音の日本語で答えた。しかし態度はタイ人並である。つまり、タイ人がやっているタイ料理店なので、慣れない日本人にはちょっと引ける雰囲気があるのだ。日によってはタイ人が我が家のように振舞っていて、知らない人には客だか従業員だか分らないらしいし、ここに1人で入って来て堂々としているのはタイ人である可能性が高い。たまたま夫がいなかったので「日本人なの?」と声をかけてみた。彼女は「ハーフで~す」とにっこりする。アタリだ、と心中思いながら、いろいろ聞いてみたら「それは秘密です」と言われる項目も多かったが、高校を中退して来年受験し直すために勉強中ということだった。日本生まれでタイと日本を行き来しながら育ったので日本語もタイ語もできる、ということだった。

ここまでになったぞ、という感じである。タイ人が大勢日本に来たのは90年代初めで、女性はもっと前から来ている。このくらいになっている子が何人かいるはずだ。ウチも同じくらいなんだけど。相手は当方が何者か不思議だったらしくて誰なのか聞いて来た。「ここのマスターのオクサン」と答えると「ええ、タイ人夫婦がやっている店かと思った!」とすごくびっくりしていた。確かにそういう雰囲気が漂っているから、そう思うのは無理もない。「タイ人同士だとビザ難しいでしょ、彼女には日本人のダンナサンいるんだよ」と店主の妻らしく見えるというか、ふるまっているタイ人女性スタッフについて説明する。そこに夫が入って来た。女の子が私に「タイ語できるの?」と聞くから「ちょっとね」と答えたら、それだけで「きゃあ、上手~」と受けている。いいなあ、若いって、と無意味に思う。夫が「キミ達2人のタイ語のレベルはちょうど同じくらいだな」と説明。それも受けている。最近、祖母がタイ人で父がハーフで母がタイ人という小学生にも会った。細かい事情は知らないが、おおざっぱに言えば移民3世になる。そういう時代なのに、そういう時代だってことを意識してないっていいのかな、という気はする。
by kienlen | 2009-06-14 11:53 | タイ人・外国人 | Comments(4)

MILK ミルク

予告編を見て以来、公開されたら見に行こうと決めていたMILKが、大学の公開講座として先生の解説付きで1000円ということだったのでそちらに申し込んでいた。それが本日。この間読んだばかりの『アメリカの宗教右派』の話と重なる部分があって、その意味でもひじょうに興味深く、そして感動も深かった。実話に基いたもので、同性愛者への差別が著しく、また教職からの追放等、その権利を剥奪しようという動きが強まる1970年代のアメリカのサンフランシスコが舞台。差別を受けるゲイのカップルが、ゲイたちに住みよい町にしようと努力するのだが、国全体には逆風が吹き荒れる中、私的な活動に限界を感じ、カップルの1人ミルクが市政執行委員選挙に立候補することを決意する。落選続きではあるが票は毎回伸びている。とうとう4回目の挑戦で当選。マイノリティ支援の条例実現に向けて努力するのだが…。

ミルクを演じるショーン・ペンはこの作品でアカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞したそうだが、全く素晴らしい演技であると思った。その他の人達も素晴らしい。差別される側の苦悩がひしひしと伝わってきて涙なしには見られない。しかしユーモアがあり、愛があり、希望がある。地味な感じの始まりだなと思ったけど、誠実でとってもいい映画だった。それにしても、ここまで強烈にマイノリティ差別をする側の論理というのは、分らないままだ。後で先生の解説があったのが良かった。こんな重要で影響力をもった人物のことを知らなかった自分。全く何も知らない。もっと映画を見ていればもっといろいろな事を知れたんじゃないかと思うと損してきた気分だ。
by kienlen | 2009-06-13 20:34 | 映画類 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


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