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この間のタイ旅行ではラオスに2回行った。最初はノンカイからビエンチャンへ。次はウボンラチャタニーからパクセーへ国際バスでの日帰り旅行。このコースだと、それまで国境の川だったメコン川がラオス国内を流れるので、メコンに架かる橋は国境ではなくてラオス国内の橋となる。歴史をみてみると、タイがフランスの植民地政策に対してなんとかがんばったものの、メコン川を挟んでタイ側をタイ領に取り返す試みは成功せずにこうなったようだ。メコン川のほとりに広がるパクセーは地理的には魅力的に感じた。開発の真っ最中という感じで、先が思いやられる。ここでバイクのトクトクを雇って少し町めぐりをすることにした。

メコン川沿いの道路を走ってもらいながら、布屋があると止めてもらう。最初に私が止めてもらった店は運転手が怪訝そうな表情をしただけあって見るべきものがない。分んないな、と思って運転手に「いい布屋に連れて行ってちょうだい」と言うとうなずいて2軒に寄ってくれた。タイだとこういう場合に連れて行く店はバックマージンをもらえる観光客用だが、パクセーはどうなのか、そこまで観光化されていないから、派手さはないが欲しいものがある店だった。最後に寄って安くない買い物をしたのが写真の店。赤ちゃんが店の真ん中で寝ている職住一致型。労働者として安賃金で使われるより、こういう形態でがんばって欲しいと願ったりする。次回にも立ち寄ってみたい、どうなっているか。
by kienlen | 2009-05-31 00:43 | | Comments(0)
あー、これはまた最高に楽しい本だった。SPA!に連載しているものだそうだが、この雑誌を読んでいないので単行本で2冊同時に買って個人編を先に、社会編を次に読んだ。相談事があって、それに佐藤優が答えるというのはよくある構成だが、悩みの内容や悩む人に合わせた本の紹介がついているというのが新鮮。両者のつなぎ方がアクロバットのようでもあるし、まあ、ある意味、この紹介本を読んでいる間に悩みは忘れそうだなとは思えるだけの難易度の低くない本が多くを占める。アドバイスには一貫性がある。ネガティブ思考に陥らないことを伝える。必ずなんとかなるという方向性で話す。インテリジェンスという仕事、外務省という高級官僚の世界で見た人間模様、勾留の経験も参考にあげる。必要に応じて微に入り細に入り具体的な解決手段を示す。面白く誰にとっても参考になる。資本主義は肯定した上でどこまで突っ走るかについては一定の歯止めをかけている。信仰の大切さ。著者自身が具体的なアクションを起しているし、行動を大切にする。いい人はいると信じることの大切さ。絶対にひねくれない。あくまで直球。笑いもブラックではなくてそこはかとないさわやかさ。いくつかの選択肢を示して、自分の選択とリスクを覚悟させる。人間があいまいな存在であることを前提にする。その他いろいろ。

頻繁に登場する具体的なアドバイスは本を読むことと、状況や考えをまとめるためのメモを取ること。目先のことに捉われるよりも教養が身を助けるというもっともな考えは、ともすると文化人の戯言みたいになる恐れもあるが、そうならないで、そうだ本当にそうだ、と思わせる信念と迫力がある。私自身、本を読むことと書いてまとめることがいかに、とにかく生き抜くための大切な方法であるかを感じてきたし今もそうなのでふたつの方法は全面的に共感である。若い時に友人にあてて手紙ばかり書いていたのも、当時自分にとっては大きな救いだった。で、手紙を書く相手がひとりでもいることがなんて幸せなことかも感じてきた。今振り返ってもそうしてなんとか今日まできたような感は拭えない。回答者の人間性がここまで露わになる人生相談というのも珍しいんじゃないだろか。とはいえ、「佐藤優の」の冠があるがゆえの相談者なので本気で対峙しないとならないのは当然で、だから面白いんだけど。私にとってすごく残念なのは自分の子どもが本を読まないことである。苦しい時の踏ん張りを何に求めるんだろうか。なんだか自分には想像できない。息子が本を読む人だったら、20歳のお祝いにプレゼントしたい本だな。読まなくても押し付けることにして、その時まで取っておこう。
by kienlen | 2009-05-30 17:47 | 読み物類 | Comments(4)

フロスト×ニクソン

本と映画の話ばかりでバーチャルな世界に逃げ込んでいるようでもあるが、実際にはそういうことはなくて、今日も生々しい目にもあったし、昨日もそうだし、その前もそうだった。だからこの映画はもう間に合わないと諦めていたのだが、直前の仕事に比較的時間的余裕があったのとコントロール可能な状況に持ち込めたのでギリギリ間に合って見ることができた。面白かった。しかも偶然、今日のランチに友人と「認められたい欲求」というものについて話していたのと重なって一層楽しめた。小さな会社を経営するその友人によると、企業経営者というのは案外認められたい欲求の強い人が多いそうだし、そのへんにもたくさんいるようだ。認められたい願望のない人なんていないと思うが、つまりはどこらへんまでならヘルシーかということであるが。それで映画だが、ニクソン大統領とインタビュアーの対決である。つくずく自分の無知を感じ入っている場合ではないものの、ウオーターゲート事件の時は私はもう子供ではなかったはずなのに、おぼろげにしか知らない。あの頃、何していたんだ、自分。恥ずかしい。

とはいえ、実のところ、面白いとして片付けておかないと頭にくるわけだ、政治関係というのは。認められたい欲求のためになんで国民が犠牲になるんだよ、と怒りが沸くが、それと対決できるのも強烈な認められたい欲求の持ち主じゃないとダメってところが、まあ人の世界なんてこんなもんであるぞって感じで面白かった。正義がどうの、公平さがどうの、国民のためがどうのはくそ食らえである、という潔さは案外正直だし、そういう迷路に入りそうなものは排除する方が面白い。そうだ、この映画は、複雑な事柄を単純化するというテレビというものの特性が重要なテーマになっているから、迷路の入り口のドアは閉めておくのがいいわけだ。ううむ、これが逆説であればいいが、そうじゃなくなっているというところは、まあちょっと怖いような気がする。というわけで、泣きもせず笑いもせずに、恐怖も虚無も人情味も感じず、すなわち諸々の感情の起伏ほぼ皆無でここまで楽しいというのは素晴らしい。で、ここでいきなり感情面を前面に出した個人的評価として、好みからいくと、大好きなタイプの映画だった。無理していった甲斐はあったな。
by kienlen | 2009-05-29 19:50 | 映画類 | Comments(0)

シリアの花嫁

これは遠方まで足を延ばしても見ようと思っていた映画だが、幸いなことに地元の映画館が上映してくれた。夫の店に用事があって寄って、それから1日1回だけ上映でもうすぐ終了のフロスト×ニクソンに行こうと予定していたところ、偶然、知り合いが店で食べていて少し話しているうちに1杯飲もうということになって、先方は確か仕事中のはずだが、まあまあ、ということでビール飲んでいたら話も弾みで上映時間を逃してしまった。目的のは見逃したが何か見たいと思って、一番近い映画館に行ったら時間的にちょうど良くて見た「シリアの花嫁」だった。思っていたよりすごく良くて、ビールなんかひっかけて行くんじゃなかったと後悔した。もっとゆったりしたテンポかと勝手に想像していたのが失敗だった。最初の場面で字幕に追いついていけない。白い部分と字幕の重なりが結構多くて、それがひじょうに残念だった。最初に解説されたのは、舞台の村について。もともとシリア領だったのが、1967年の第三次中東戦争でイスラエルが占領して地域の多くの人々が“無国籍”になったということだ。無国籍になるってどういうこと…、この日本にいてそういう状況を想像しようと思っているうちに物語はどんどん進んでいき、この自分の鈍さは歳のせいか元々か、両方か、と考えているうちにもっともっと物語は進むのだった。思い込みは禁物である。そもそも何を根拠にテンポはゆっくりだと思い込んだんだ。まずかった。最初から構えてみるべき映画。

この村の若い女性が国境を越えてシリアに嫁ぐ、というのが目に見える大筋である。この女性はあまりしゃべらないが、何を言いたいのかが伝わるような伝わらないようなの表情が素晴らしい。自分だって先行きが分らないんだというのが痛いほどに響いてくる。この女性が非言語的存在だから多彩なきょうだいの状況、家族の様子が引き立つ。女ふたり、男もふたりというきょうだいが集まることで、この家族の、国家というものとの直接的な関係や過去や、村の慣習や、長老や一家の大黒柱としての男が体現する世間の目と、女性が体現する抑圧や個人の自由との葛藤や何やらが浮かび上がってくる。普遍というライトで照らしたら隅々まで明るくなりました、みたいな内容なので片時も感動から自由になることができないのに、中東の乾いた空気感とか音楽の楽しさとかユーモアもあってリラックスもできるという、素晴らしい映画だった。最近の中では一番の感動作だった。もう1度見てもいいなあと思ったもの。女性で感動しない人はまずいないと思うが、男性はどうだろうか。知りたいな。字幕が読みにくいという以外は何から何まで素晴らしかった。
by kienlen | 2009-05-28 09:40 | 映画類 | Comments(2)

英国王給仕人に乾杯!

チェコの「ピルスナーウルケル」というビールを飲みながら。辛口で美味。このビールを知ったのはつい最近のことだ。「英国王給仕人に乾杯!」という映画を見に行ったら、このチェコ映画にちなんでこのビールを売店で特別に売っていた。見ながら飲んで途中でトイレに行きたくなる危険を避けるために我慢して、見終えた後に1本買って飲んだらすごく美味しくてすっかり気に入ってしまい、昨日「シリアの花嫁」を見に行った時に、2本買ってきた。甘ったるさがなくて好きな味わい。映画は面白かった。タイトルが意味不明だし見に行く予定はなかったのだが、見た友人が面白かったというし、チェコの映画だと知って俄かに興味が沸いた。それで見に行った。刑務所から出てきて眩しそうな感じで娑婆の空気の中に入っていく主人公の場面から始まる。その後の映像は眩いばかりの甘美さがシュールで、音楽も弾むようで、同時にブラックなユーモアが終始漂っていて大変面白かった。

刑務所を出所した主人公は、第二次大戦前から中にチェコを占領したドイツ人が暮らしていて、今は廃墟のようになっている国境の村の廃屋をあてがわれて暮らし始める。この村の生活と若き日の様子が交互に展開していく。ビアホールで働いて、トントンと出世して最高級ホテルで働くようになる主人公だが、この過程は喜劇。まあ、出世したといっても、店に出入りする金と時間を持て余している者たちとは比べ物にならないわけだが。後半になって社会性を帯びた内容になってくる。ドイツ人が我が物顔で闊歩するようになり、それに抵抗する人もいる中でナチスの軍隊の女性といい仲になって、優秀な子孫を残すにふさわしい精液であることを証明された暁に結婚。戦争をうまく切り抜けて若い頃からの夢だった百万長者になってホテルを所有するも、チェコの共産主義化で資本家階級は一切合切接収された上で刑務所へ。人生って、所詮茶化されるにふさわしいものなんでしょう。最後の場面は乾杯だったな、確か。
by kienlen | 2009-05-27 23:01 | 映画類 | Comments(0)

グラン・トリノ

グラン・トリノを観にいった。閉所恐怖症の人なら発作を起しそうな会場。今どきだったらちょっとしたイベントのパワーポイントプレゼン用の画面だってこれくらいあるぞ、というサイズのスクリーン。鑑賞環境としては最低。残念だった。この間、チェンジリングを見てからクリントイーストウッドのファンになってしまったわけだが、これは監督だけでなくて、朝鮮戦争での戦場の死の記憶を生々しくひきずる、頑固で人種差別主義者で孤独な主人公も演じている。こういっては何だがお上手です。物語の展開に驚くべきところはそんなになくて、日常のひとコマという感じ。もっとも、私が勝手に描くアメリカ的日常であって、日本が舞台だったら起伏に富んだ物語に感じるだろうと思う。ひとつ違いでファンタジーになるかもしれない。つまりは、暴力に満ちた日常、保守的な人々の層の厚い移民の国の日常に起りそうな出来事、哀れささえ感じる強い男の表現方法とその限界、ステレオタイプなアジアへの視線とか、そういうもの。それぞれがここまで典型的に描かれていると、イメージ操作に当方が見事に嵌っているようでもあるし、いやいやこれがリアルであるようにも感じるし、そのへんはアメリカを知らないから分らないのが大変にもどかしいのである。

妻を亡くして1人暮らしになった主人公と、隣人であるモン族の家族親族との関わりが中心になってお話は進んでいく。モン族はタイでも有力山岳民族なので親近感を覚える。男は強くなければ生きていけないどころか、存在価値がないみたいな価値観の国に、フツーのタイ人男性なんかが適応できるかどうかを想像すると笑いたくなるから、不適応的なモン族男性の心情は分るような気がする。当然のことながらギャング集団から執拗に誘われる。このあたりはハラハラさせる趣向。そんな弟を心配する賢くて勇敢な姉も、いかにも。ずっと突っ張っているのに、アジア的な濃厚な親族関係に心地良さを感じてしまう白人主人公。これも、いかにも。いかにも、いかにもで、飽き飽きかと思うと、そういうことは全然なくて、面白かった。死、しかも戦争という理不尽な死から生き延びてきたという経験後の生は、まさに地に足の着いた生を生きるということなのだろうが、ここで私なんか分らなくなるのは、それの方が本物の生であって、映画の中では神父がその役を引き受けている抽象的な頭でっかちな生と死の語りが本物に満たない生であるとすると、やはり暴力というのが登場せざるを得なくなるのかなあということだ。この映画ではそれをつくずくと感じた。ただ映画の意図がどっちなのか、知りたいなあ。そのために映画評論とかがあるんだろうか。気にしていよう。
by kienlen | 2009-05-25 19:41 | 映画類 | Comments(2)
伊藤惇夫著。自民党本部勤務20年→新進党→太陽党→民政党→民主党事務局長→政治アナリストという経歴の持ち主が書いた本。面白くないわけがないって経歴だ。民主党の議員をしている友人から借りたもので付箋がたくさんついていたから、折らないように注意しながら、実際大変面白く読んだ。私が日本にいなかった期間に日本の政党は再編成されていて、帰って来た1996年には何が何だか分らなくなっていた。タイから日本を見ている時は、新しい政党ができたり消えたりくっついたりする様子はタイみたいだな、と思っていたものだった。この本を読んで何が起きていたかを少しばかり知ることができた。出だしは「なぜ民主党だけが生き残ったのか」という問いから。1992年、すなわち私はバンコクにいた時にスタートした新党の時代に誕生した政党の中で、なぜ民主党だけが生き残って政権交代が現実味をもって語られるまでになったのか、という問いである。

まずここ10年間の民主党が旧・新・現の3期に分けられるとして、それぞれの有様を説明しながら民主党の歴史を振り返る。それは同時に他政党にも触れることになるから、現代政治状況を政党編成の観点から概観できる。それから「なぜ代表がすぐクビになるのか」という章が独立してある。知りたいツボである。そして選挙のこと、主要人物やグループについての解説、資金や地方組織の解説があって、最後に理念と政策の検証という構成。「有権者必携の一冊」という宣伝文句があるが、確かに、新書で簡単に読めて政党のしくみ、各党の性格なんかが、初心者にも早わかりできるという点で親切な本だと思う。いかに相手を出し抜くかとかという人間関係トレーニングの教科書にもいいかもしれない。権力を手にしたい人にとっては必読であり、相手を知るという意味では権力には無縁の人にとっても必読かもしれない。こういうのを読むと政治家が使うエネルギーの一体何割が国民に向かっているのかの疑問がますます膨らんで温暖化に貢献してしまいそうだ。
by kienlen | 2009-05-24 22:59 | 読み物類 | Comments(4)
珍しく図書館で借りた本。こういう体験エッセイみたいなのはあまり読まないので知らないが、これは結構知られている本なのだろうか。田舎暮らしするために勤務先をやめるタイミングをうかがっている在東京の友達に見せたら知っていたみたいだった。考え方は大賛成。私もこれがしたい。だから借りた。つまり、自給的な無理のない農作物作りと、自分に向いた職業生活を半々ずつしましょうよ、という提案。京都の綾部市在住の著者が自分の体験と取材とを交えて気軽に綴っている本。提案自体は全面的に賛成なのだが、こういう本を読んでいるとズルズルと落ち込んでくるのがいけない。何しろ、何から何までいいことずくめなのである。そりゃあ人々を励ますには、いい面を強調するのはアリかもしれないが、ここまでやられると、ここまでいいことずくめ人生を思い浮かべることのできない自分が哀れでひねくれ者のように感じてしまう。ああ、なんで自分はこんなに暗いんだ、それはひねくれているからか、へんな被害者意識に支配されていやしないか、ダメな自分…という具合に。

登場人物は夫婦円満、友達関係円満、お互い分かり合える価値観の持ち主で、それぞれに天職を発見できて生産と消費のバランスの取れたミニマムながら上質な暮らしを営んでいる。いいなあ、ホントに羨ましい。アタシもこういう配偶者がいてこういう子供がいて、こういう隣人に恵まれていたら幸せだったかもしれない。そしたらこんなにヒガミっぽくなってなかっただろう。こういう明るい素直な本を書いていたかもしれない。どうしてこういう配偶者でこういう子供でこういう隣人達なのだ、まあ、そもそも一番はどうしてこういう自分なのだ、と怒りたくなる。で、こういう境遇にいると、もうちょっと別の側面も描いて欲しいな、欲を言えば、と思う。わざとらしい失敗例だとか夫婦喧嘩を入れて欲しいというわけじゃないが、何かもうひとつ。図書館だから借りたけど、そして一応読んだけど、そして考え方は共感だけど、凝縮すれば数ページに収まるようにも感じた本だった。もっとも企業でバリバリ働いてストレスためて消費に走るみたいな経験をしてない私が生意気に読むような本ではないのだ。こういう後ろ向きな感想を持つ人に対しては「思い切って実行したら道は開けますよ」とアドバイスされるのがオチかも。
by kienlen | 2009-05-24 21:11 | 読み物類 | Comments(0)

リービ英雄『越境の声』

ちょっと前に読んだ本。定期購読している雑誌で、名前だけしか知らないこの著者の9.11に関するエッセイがあって、それが興味深いものだったので、書店で見つけた時にこの本を買ってしまった。岩波書店。2000円+税金は完全に趣味の本としては高いと感じたけど、越境という響きにはどうしても惹かれてしまう。文学者の本なんて何年ぶりか何十年ぶりか。著者の紹介には経歴や受賞歴の最後に「世界に類を見ない、西洋世界から非西洋世界・言語へと越境したワールド・フィクションの書き手である。」とある。万葉集を英語に翻訳した人だそうであり、日本文学をアメリカの大学で講じていたそうだ。今は中国と日本を行き来しながら日本語で創作しているそうだ。人類も進化したものである、と思いたくなるが、越境する文学者は古くからいるわけである、ということも語られる。ドイツ語と日本語で小説を書く多和田葉子、大江健三郎などとの対談が半分以上で、あとはエッセイなど。

越境だから移動が重要なテーマになっているが、著者自身が頻繁に移動しながら、先人の移動をたどり、それがまた過去から現在に続く移動にもなっているような、こういう縦横無人さというのは、文学の力ということなんだろうか。就寝前の読書として何日かかかって読み終えたのは、家で飲むお酒が減ったからだった。酔っ払って読めるほど容易ではないが、かといって昼間よりは夜の雰囲気の本だった。お酒を飲まない最初の効用がこれだった。面白かったから小説も読んでみようかと思っている。しかし読みたいのがいっぱいあって今もアマゾンで3冊注文してしまったからちょっと先になるかな。
by kienlen | 2009-05-24 14:13 | 読み物類 | Comments(0)

手の拒否反応

3日ほど前だが、ひどい手首の痛みに襲われた。子育て中の赤ちゃんを抱っこして腱鞘炎になったとか、パソコン入力の仕事で腱鞘炎になったという話は聞いていたが、私もしばらく前にそれらしき症状がでたことがあった。でもそんなひどい痛みではないし、その時の原因は仕事だと分っていた。仕事だから達成感みたいなのがあるから、少しの痛みとは帳消し関係になる。で、気づいたら痛みも消えていた。ところが今回の痛みはキツイ。原因らしきものは分るが、仕事じゃなくて、まあある種騙されたみたいなものだから、達成感どころか、多分相当に人のいい自分にとっても腹の立つものであった。それが片付いてないどころかますます理不尽な要求がきた。そのどうしようもない相手は80歳を過ぎている元官僚である。もちろん男である。この時代の官僚がどういう人生を送ってきたかが露骨に分かるものだったので、吐き気もしてきた。仕事だったら頭を切り替えることができるが、詐欺みたいなもんであるから切り替えられない。

友人の鍼灸師に「とにかく温めるように」と言われていたからカイロをつけて、それでも引かない痛みをおしてやっていた。それが昨日だ。で、考えてみると、こういうゴタゴタが生じて唖然としたが、抜けるわけにもいかないと分かった日から痛みが始まったことに気づいた。ストレスがいろいろな病気を誘発することは実証されているみたいだが、腱鞘炎も関係あるなんて考えたことがなかったので、今朝まではストレスとの関係は眼中になかった。ただ一刻も早く片付けたいのと、裏の権力者に対する虚しい怒りと、それを当然のこととしてここまで元気に生き延びて、それを自覚していないことに対する憤りが渦巻いていただけ。不思議だなと思ったのは、今朝、すっかり痛みがなくなっていたことである。カイロのせいかもしれないが、それにしても、もう何もできないよ、と思うくらいの痛みだったのが、突然なくなったのだから、これはストレスと関係あるのかもしれないと思ったりもする。恐るべき。
by kienlen | 2009-05-21 11:59 | その他雑感 | Comments(2)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


by kienlen