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古道を歩く旅

古い街道を歩くという企画に参加していた。古民家を、温泉の出る山の上に移築して改装した旅館に1泊して、2日間で数10キロを歩く。その道の研究家が重要なスポットでは解説してくれる。新聞でお知らせを見た時に興味はもったが1万4000円という参加費を払ってまで行こうなんて気にはならず忘れていたら、友達が費用を負担するから一緒に行こうと誘ってくれた。なんということでしょう。あまりのありがたさに万障繰り合わせるつもりでいたら、本当に直前に仕事が入って、一瞬ああ…とは思ったが事情が事情だけに仕事を断った。1人でやっている分には仕方ないことだ。楽しみに支度をして出かけた。天候の変化が毎日大きいので服装が困った。まず荷物を最小限にしたいのは第一条件。歩いていると体は温まるが、立ち止まるとじきに寒くなるに違いない。標高もある程度はあるから里より気温は低いだろう。しかし歩くと温まる分を計算しておかないと不快になることも予想できる。結局、汗をかいていい綿のものを重ね着してジャケットも薄手にして、寒くなるようならダウンのベストを下に着用できるように準備した。念のために薄手のセーターを1枚。面倒で抜いてしまうこともよくある朝食もちゃんと食べて出発。結局快晴から雪から雨からみぞれから曇りまで全部経験することになり、脱ぎ着はだいたい予想通りになった。

バスでスタート地点の山の中に移動してからは自力で歩く一行は60人超。昔の街道は峰か谷だったが、峰の方が橋をかけない分容易であったから好まれたという説明を受ける。なるほど。で、今回はその峰街道である。私の出身地あたりであったので、思い出がいろいろと蘇ってきた。厚い落ち葉を踏む感触。夏は蛇が怖かったけど、1人でよく山を歩いたものだった。好きな植物があると採ってきては庭に移植した。食べられるものは食べる。まずくても食べる。崖が崩れたり根元が削られて木の根がむき出しになっていると、それは格好の隠れ家だった。誰から隠れるということもないのに隠れ家にした。そうか、もう遠い昔のことだ。こんな1人遊びを継ぐ人もいない。峰の景色はすばらしい。近くの山から遠くまで三層くらいに連なっているのは山国ならでは。高い山は雪で真っ白だ。お昼のお弁当には地元の人の用意してくれたなめこ汁も付いた。ああ、美味しい。温泉もきもちが良かった。7人同室の宿泊は少々キツイものがあって、もともとどこでも寝れるというタチでない自分は決意した。通販生活で見つけたライト付のルーペを注文しよう。そしたら人の邪魔をしないで読書ができて眠れない夜を乗り切ることができる。2日目の今日は残念ながら終始舗装した平坦な道路で、1日中歩いた割には物足りなかった。やはり山が好きだ。山登りのできる季節になった。
by kienlen | 2009-03-25 22:15 | | Comments(0)
ウイルスに感染したらしいパソコンをチェックしてくれていた夫の兄から電話があった。いきなりの言葉が「まけた!」である。「悔しい。これは最新の最強のウイルスで、僕にも解決できないものをばら撒くヤツがいるなんて!」と、本当に悔しい感情が伝わってきた。お手間をかけてもらうのは申し訳ないから再インストールでいいと伝えてあったのだが、闘争心がむくむくするのだろう、やってみるというので任せておいたのだが、とうとう、これ以上時間をかけるのが無駄と思ったらしい。それでも「もっと時間をかけるとやれると思うけど、あんまり長いと困るでしょ」と言うから、もう結構結構、データはなくなっても構わないと伝えた。私がタイに行く時に彼の一家はヨーロッパにバカンスである。それを台無しにはできない。ウイルス対策の不備が原因であればマズイので、あまり高額でない対策をしたいといつも言っているのだが、最新のウイルスには効果がないし、市場に出回っているものはいろいろ試しているがこれといったものはない、といつもの返事である。「個人の場合はプロバイダーの対策が重要」ということだ。

こういうことは自分では何も分からないから、そう言われるとハイと聞いておくしかない。セカンドオピニオンのアテもないしなあ。連鎖で感染した報告のないのがなんとか救い。電話の後でメールがきて「悔しい!!!」と書いてあった。彼は以前にも「ウイルスを作ることはできるけど、そんなことするエネルギーがあったら役に立つことをする」と言っていて、まあ、少なくとも私にとっては大変に役にたっていただいているわけだが、分からないのはウイルス製造の方々である。でも…と、いつも思うことは、生身の人を狙ったり戦争を起こしたりするよりはマシなんじゃないかなということだ。ここまできたらすべてバーチャルで攻撃欲を満たすことで現実が平和になるなら、パソコンの1台や2台…って考えはどうなんだろうか。とにかく、メールアドレスもその他いろいろも失われてまっさらになったパソコンが明日には届く。過去を捨てるのはある意味すっきりするということにしておこう。
by kienlen | 2009-03-22 23:23 | 出来事 | Comments(0)
息子と朝に喧嘩してどっと落ち込んで無気力になり、不貞寝しながら、タイに関する最近の動向の本を読んでいた。タイの関係は一応心に留めてあって本なども気になったものは買ってあるが、もう離れて長いし、特に差し迫った必要性がないのであんまり読んでなかった。ただここにきて多少の必要性が生じてきた。今回のタイ行きもその流れにあるわけだが、それはともかくとして、本を読んでいたら、政治の話の中にタイ人気質が結構激しい調子、つまりネガティブな方面から描写されていて、それが息子やら夫と重なって、落ち込みの程度がさらに深まってしまったわけだった。やっぱ、あれはタイ人気質なのだと思うと、なんというか、日本人気質の母には理解できなくて当然と思うしかないのであろうか、ということを夜に海の幸のみやげ物を持って立ち寄ってくれた友達にカッカとなりながら話して笑われた。こちらは深刻なのだが。子どもがいるということは日々修行なのである、そういうものなのだと思って苦しむしかない。さすがのタイ人の夫もその様子が気になったのか、タイ料理を夕方に運んでくれた。がっくりしたまま状態でうつむきながら涙のひとつもこぼしながら食べた。辛い。これを息子は食べたのかと思って聞いたら食べたそうだ。娘の辛いもの好きも一般的日本人からしたら常道を逸しているように思うが、自分もそうなので、まあしょうがない。これも修行である。

直面していることからは目を逸らすのが精神安定上は一番よろしい。幸い、タイに逃避できるのだ。逃避先での行き先については、一緒に行く友人が手配してくれている。今回の興味は食関係なので、米工場、ナムプラー工場、ナムプリック工場、製麺所などの視察を希望したら、いずれも友人の夫にコネがあって大丈夫らしい。友達って本当にありがたい。ありがたいことばかりだとありがたさが分からないから、ありがたさを一層引きたててくれる息子にも感謝しなければなるまい。考えてみると、自分の目的に沿ったタイ行きは今回が初めてではないだろうか。もともと何回も行っているわけではないが、少なくとも毎度毎度、何かしら他人の用事が動機だった。今回は自分の用事だから行き先も自由だ。そして楽しみは食事。日本では本物を食べられないものを食べたい。生のコショウの風味が抜群のゲーン・パー、直訳すると森のカレー、というか森のスープ。強烈に辛いから、注文する時に「辛いですよ」と注意されることもある。それから魚にさまざまなハーブを大量に詰めてバナナの葉に包んで丸ごと蒸し焼きにしたの。生のベビーコーンをはじめとする野菜たっぷりでショウガの風味と魚系のダシが効いたゲーン・リエンその他いろいろ。タイ人気質はおいておいて、料理については文句なしの私にとっての理想なので、他を大目にみるしかないや。
by kienlen | 2009-03-21 23:07 | タイの事と料理 | Comments(2)
今のところ自分でこういう本を買って読むということはないのだが、人から勧められることはあって、これもそうだった。勧めてくれた友人は私の心身を心配して、ということではなくて、やはり友達に貸してもらって読んだら良かったので自分のものにして、だから私にも貸してくれたというわけだ。かなりアバウトにざっと読んだ程度だけど、すごく衝撃を受けるとか価値観がひっくり返るというものではなくて、ごもっとも、という話。ただ、心療内科というものについては少々知ることができた。それまでは、精神科に行くのが嫌な人が心療内科に行って、そうすれば自律神経失調症とかの病名がついてお薬を出すところだと思っていた。失礼なことだった。でも、周囲をみると、そんな風な人がいなくもないので、それでそう思い込んでいたわけだ。間違っていた。だからそういう偏見のある人にはいい本だと思った。静かで、センセーショナルでないのは好感である。生あれば死がある、当たり前のことなんだから。

貸してくれた友人は痛みという具体的な症状のある人だ。時期によってはかなり辛そうだ。私はそういう具体的な外に現れる症状を今の時点で抱えていない。だからといって身体のどこかで何かが進んでいないというわけではないと思うけど、とりあえず痛みのないのは何をするにも便利であると思いながら生活している。この本を読んでいて面白いと思ったのは、40を超えたら仕事は趣味がいい、というところだった。40だ50だというのは仕事が一番のっている時で、起業なんかも40代が多いが、この、まだ元気な頃に一線で走り続けるともっと先にいった時にどっとやっかいなことになる可能性が高そうだ、というようなことである。やったあ、自分は走ってないぞ、と思ってから、しかし走ったことのないという生き方も、足腰が鍛えられなくてマズイかも、と思い直した。だけど、自分が走りたいからレーンが用意されるというものでもないし、走りたくなくても走らざるをえない人もいるだろうし、自分で決められないんだからしょうがないじゃないかという気もする。本の感想にもなってないが。
by kienlen | 2009-03-20 15:46 | 読み物類 | Comments(0)
昨日は目標を決めてがんばろうと思った。本を読んだり、立ち寄った友人とおしゃべりしたりとゆっくりペースではあったが夕食時にはなんとか一段落つけた。ま、中身に比して遅すぎるのは自覚している。娘の学校が休みに入って、いつものように帰宅早々に「お腹すいた」と騒がれることなく8時近くまで集中できたのが幸いだった。とにかくタイ行きまでに片付けるべきもののメドはついてすっきりした。あと一息だ。空港までのタクシーを予約して、ずっと放置していた娘の予防接種にもとうとう連れて行く算段もした。という気分の昨夜、友達から電話があった。「今、焼き鳥屋の前にいるんだけどね、アナタは何してんの」と言う。「ワイン屋の前にいて、何でもごちそうしてあげようと思ってね」と言うんなら出て行くのだが、焼き鳥ではお腹の方にも響いてこない。「夕食食べてますよ。で、例の映画に行こうか迷ってます」と言うと「そりゃ、見るべきだよ」と言うから「歳とってもがんばっている様子を見ると元気になれますかね」と聞いたら「キミ、あの映画はそんなもんじゃないよ。見ないとソンするよ」とまで言うので、じゃ、行くかなと思った。それが「シャイン ア ライト」で、ローリングストーンズが舞台の上で叫んでいる予告編を見た時から、見たい見たい、と思いつつ最終日まで機会を逸していた。

しかし息子の帰宅がまだである。何しろ毎晩毎晩出歩いている母を見習ってもらっては困るという不安があり、一応迷っていたら、今から出かけたら間に合うという時間になって帰ったきたので、これもご縁と思って出ることにした。ナイトショーのみの上映になっていて、昨夜が最後だった。結構混んでいた。ビジネスマンみたいな黒のスーツ姿が目立つ。もっと年配者が多いのかと思っていたけど。私は特にローリングストーンズが好きというわけでもないし、影響受けたわけでもないしで、時代の中に位置づけるほとの知識もないので、そういうのが分かるといいのかな、と思って見たのだが、それはなくて、ほとんどがコンサートの場面で、特にミック・ジャガーの歌う場面。これはカッコ良かった。アメリカのクリントン元大統領とヒラリー夫人と親族など20人が聴衆の中にいて、クリントンが挨拶に立つ場面もあって面白かった。しかし私のようにローリングストーンズについて何も知らずに見るというのはどうなんだろう。何も知らずに感じるのも何であるが、現役であそこまでやってこれた理由をあの舞台から何となく感じられるような気がした。しばらく前に、気軽にデモを行う若者達の話を聞いていて、思想の排他性みたいなことについて考えていたのと重なった気がした。見ないとソンとまで人に言うほどの自信はないけど、楽しかったし、タイトルにもなっているが、照明や音響や撮影の仕事をしている人には必見なのかもしれない。
by kienlen | 2009-03-20 09:49 | 映画類 | Comments(0)

飲み友達とお別れ

なんと3日もあけてしまった。タイ行きを控えて前倒しで片付けるべきことがいくつか。たくさんあるわけではないのに手間はかかる。お手軽にできる仕事ってないのだな。それともお手軽にできる人はできるのかなあー。能力不足かなー。まあ一番の問題はなんといっても夜になると夜の飲み物が欲しくなることで、その分の時間をなかったことしなければならないから自分にとっての有効活用時間というのは1日18時間くらいに見積もるべきなのである。なんて希薄な生き方であることか。先日は自分の友人にしては珍しい大企業の正社員が転勤だというので2日連続でお別れ会をした。「転勤なんていいなあ、あこがれちゃう、一生縁がないもん」「何言ってんの、よくないよ。会社の命令だし」「命令もあこがれちゃう、だって誰も命令してくれないもん、自分で決めるのやだもん」という話から始まって楽しく終わればいいのだが、そう楽しいご時勢ではないのである。「暗いんだよね」と言うから「何が?」と聞くと「本社の雰囲気、ほらほら傾いている組織ってそうなるの、想像つくでしょ」「傾くって、オタクほどの企業が傾いたら日本全国傾くでしょ、つぶれるわけじゃないし、暗いのなんか関係なく自分は自分で仕事すればいいじゃない」と言うと「そんな簡単なもんじゃなくて、暗さが伝播すんのよ」と言う。「だって大組織なんだから自分ひとりががんばってもどうにもならない代わりに、自分も一緒に暗くならなくちゃいけない理由もないでしょう」と言っても、立場が違いすぎてお話にならない。

友人にしたら、職場の空気に影響されないわけはない、というのである。「こういうのって組織の大小に関係なくそうでしょ、家族だってそうじゃない。例えばひとり不登校の子がいると家族全員暗くなる、あれと同じよ」という言い分である。ここまで言われると私にも言い分はある。これはまさに自分のテーマとして日々追求している問題ではないか。そこで「お恥ずかしい話ですが、ウチには困った息子がいます。で、困った困ったと悩んで暗くなっていると共倒れなので、いかに本当は困ってもその感情を遮断して仕事を遂行するか、負の伝播が他にいかないかに努めなければならないの。家族の場合は、こういう対応がどういう結果を生むかが分からないし、とんでもないことになるかもしれないというリスクも考慮して、でもしょうがないから今どういう選択するかでしょ。大企業だったらそこまでのリスクを自分で背負う必要ないんだもん、いいでしょ。東京に行ったら疲弊した地方都市と違ってバブリーで楽しいかもねえ」と言うと「だってアタシはその東京がもうダメで転勤願いだしてここに来たんだよ」と言うから、都会嫌いの私としては分からないわけではないのだが、生活を考えれば給与所得に勝るものはないでしょ、いやいや、でも、今のご時勢を考えると大組織ほどもろいと言えるかもしれないし、つぶしのきく職種でないのであれば今から老後の準備をした方が10年待つよりいいかもしれない。迷える余裕があるのは贅沢ともいえるが、迷う余地がない方が楽といえば楽。結論はでないし、出す場でもないが、ともかく美味しいワインを飲む友達がいなくなるのは寂しいことだから、戻って来てね、と頼んでお別れした。いつか一緒に農業しようかって話は途中のまんま。
by kienlen | 2009-03-19 13:02 | その他雑感 | Comments(2)
旅行ガイドブックの類をあまり買わない。特に興味ないのが店や観光地を写真を中心に紹介したもので、目につく大方はこの類に入ってしまうように感じる。そもそもカラーである必要が何であるのか、アナクロ人型の自分には分からない。制作費のバランスとして写真と印刷にかけるより取材と執筆者にお金かけてね、なんて言いたくなってしまう。単に好みの問題ではあるが、それでも気になるのは、どれもこれも似ていることである。ネット情報よりも活字を好んでしまうアナクロ型としては、傑作だと感じるのがあれば買うことにやぶさかではないのだが、なんだか他の分野に比べて多様性に富んでいないように感じるのは知らなさすぎってことだろうか。このところちょっと必要があって料理本を見たり買ったりしているけど、いろいろ工夫している感じがする。しかしどうなんだろう、結局のところ旅そのものが多様化して、ある偏りでも売れるようでないと中間当たりをターゲットにすることになり、相変わらずのものができるってことなんだろうか。ま、あんまり知らないので印象論でおしまい。

で、今回のタイ旅行から方針を変えようと思ってガイドブックをアマゾンで注文してみた。実はこれまでも買おうかなって思って高いなで諦めていたもの。ロンリープラネットの日本語版の「タイ」だ。待ちかねる間もなく本日到着。分厚い。これ持って旅に出るのは辛そうだ。しかしざっと見にはかなり面白そうだ。カラーはほんの一部分。写真はごく少ない。細かい活字で2段組。言葉で分からせてやろうじゃないか、という気迫まではいかないが意思が感じられると、じゃあこっちも想像してやろうじゃないかという頭の準備ができる。本気で読むぞ、みたいな。想像と違っていたら書き手の問題か、読み手、解釈側の問題か、そんなことを考えるのも楽しそうだ。こういう刺激は写真に添え物のコピーからは与えられない。もちろん簡単なタイ語の紹介もある。それが英語圏の方用のままになっていて、発音のためのアルファベット表記が英語風。ここも訳せばローマ字綴りになって日本人には理解しやすいはずだと思うけど、それは余談。残っている仕事を片付けて読みたいなあ、という気分にさせてくれるガイドブックに出会えたのは嬉しい。原書もバンコクの書店で見てみたくなった。このガイドブックと一緒に『現代タイ動向』も購入。これで少しは今のタイに触れられそう。
by kienlen | 2009-03-15 16:55 | 読み物類 | Comments(0)
いろいろあってうんざりの朝を迎え、うんざりていては仕事にならない、何もならない、と気分転換に努めていた。さすがに朝から酒というわけにいかないから美味しいコーヒーを淹れてパソコンを立ち上げてしばらくたったら画面いっぱいに警告が出た。いろいろなウイルスに感染しているから適切な処置を取るように、というメッセージが巨大な英文で現れて、しかもタイトルの「WARNING」は赤字の点滅である。再起動したり電源を切っても消えない。こんなのは見たことがない。ずっと昔に感染を知らずにメールであちこちにウイルスをばら撒いたことがあって、ひどく叱られた時はとっても落ち込んだ。そもそも知識が乏しい。何よりも個人事業だからセキュリティー代金も自分もち。キチンとできないのではパソコンを使う資格ないと言われたら、デジタル格差はもっと深刻になるだろうなどと思ったが、悪いことは悪いから反省した悪夢がよみがえる。でもそんな時に「そんなのお互いさまだからいいのだ」と言ってくれる人もいてほっとしたものだった。とにかくまずは知り合いに聞いてみることにする。経験者なし。「パソコンの寿命は数年って言われているんだから寿命じゃないの」なんて言う人もいる。機材のために働きたくないよ、勘弁してくれ。最後の手段は夫の兄。

画面を見ながらメッセージを朗読すると「それは僕が見ないとダメですねえ」と言う。「2-3日待てる?」と聞くから「今は重大な仕事ないし、予備があるから大丈夫」と答えると「じゃ、宅急便で送って」とのこと。ノート型じゃないから大きくて重たい。こんなのをどうしたらいいんだろうと思ってネコ印のHPで調べてみたら、パソコン用の梱包サービスがあるのだ。知らなかった。分かりやすい手順説明も料金もあって、ネット情報の進化に感心したのだが、付近の営業所に電話しようと思ったら住所は出るが電話番号はない。携帯をかざしてデータを読み取る方式みたいだったが、これを私は知らない。ここまでくると進化し過ぎ。ついて行けない。電話番号を探すのにおおいに手間を取ったものの、その先はテキパキと進んだ。集荷してくれても100円しかかからないそうだ。それで専用の梱包をしてくれる。なんて便利なんだろう。合計の料金は3000円弱。集荷だと明日になるというから出向くことにした。明日には到着。利用者には便利だけど、働いている人は大変だろうなって思ってしまう。さて、予備のパソコンではメールアドレスが記録されてないから、相手から送られてこない限りこっちから送信するこができない。身軽になってさっぱりしたような気もするが、使いこなせない物を使うってヘルシーじゃない感じはぬぐえない。
by kienlen | 2009-03-14 16:27 | 出来事 | Comments(2)

食事をめぐるバトル

昨日は1日中仕事関係で話したり、聞いたり、移動したりだった。最後のが終わったのが午後6時。オフィスビルを出ようとしたらシャッターが下りていている。ここに勤めているわけじゃないから脱出方法が分からない。ウロウロしていたらちょうど人が来たので尋ねてなんとか外に出る。勤めの人達の帰宅時間である。似たようなコートに身を包んだ男性公務員達が固まって駅の方に歩いて行く。いいなあ、給金生活…なんてぼおっと思いながら駐車場に急いで帰路についたところに娘から電話があった。「お腹すいた!」と騒いでいる。「今すぐ帰るからちょっと待ってよ」と言う。まったく中学生にもなって自分で食事くらい作ってくれ、と思うが、そんなことを話すのも面倒である。帰ると友人が用事で寄っていて、子供達と一緒にいた。友人との用事を済ませている間も娘はふくれっ面だ。息子がパソコンの画面に向かって鼻歌歌っているから「妹が空腹なんだから何か作ってやってよ」と言うと「俺はまだ腹減ってないもん」と知らん顔。揃いも揃って自分のことしか考えない人間であるのは親のせいか。で、娘に「そんなに空腹なら自分で作ればいいでしょ!」と怒鳴る。こうなると磁石に吸い寄せられる砂鉄のようなもので、ビタッと動こうとしない。しょうがないから冷凍のチキンを温めている間にカボチャを煮た。ご飯はあるし。

チキンを娘が泣きながらかじる。泣きながらでも食べるところは生きる力はありそうに見える。そして「すぐ作るって言ったのになんでMさんと話しているの」と責める。こちらとしては、時間の予定がつかないことが多いから、食糧は冷蔵庫に切らさないようにしてあるんだから何か作ればいいのに、と思うが言わないでおく。多分彼女にしたら、自分は鎌ってもらってない、という気持ちがいつも心の底にくすぶっているのだと思う。父親はどこに行っているのか知らないが寝に帰るのみ。話し相手もいないし構う人がいない。しかしそれでこっちが折れたら、そもそも今のような生活は成り立たなくなるわけだ。それにしても息子は別世界を彷徨しているようなところがあって、現実世界において親を責めるということはなかったし、今もない。理屈を作る力がないからというのもあるかもしれないが、どっちかっていうと物事に直面するよりもズレつつ逃げるという感じ。空腹に耐えるよりは自分でやった方がマシってタチだ。父親にそっくりだし、私もそうだ。ところが娘は真っ向から来る時がある。同じようなタイプだと学習が役に立つし、先の予想ができるが、ここまで違うとゼロから2回。これが3人も4人もいたらそこまで面と向かって相手し切れないだろうけど2人って半端。夜、友達が東京みやげを娘に持ってきてくれた。東京ばなな。それを見て笑顔になった。「もう遅いから食べるのは明日の朝にして」と言っておく。兄に見つからないように隠してあったのを朝食の席に持参して開く様子を見ていたら、すでに封が切ってあるのを取り出す。見ると、ほんの一口だけかじった跡があった。なかなか自律的ではないかと感心した。これも息子とは違う。
by kienlen | 2009-03-13 09:57 | 家族と子供の話題 | Comments(0)
戸田奈津子さんといえば字幕でいつも見かけた名前。その人のこういう本を、久々に訪れた個人商店の、私の好きな古本屋で見つけて買った。読みながら1度読んだような気がしてしょうがなくて、趣味の読書の大方は記録しているこのブログを遡ってみたが途中で面倒になってやめた。途中までは既読感があったが後半はなくなった。今も謎。どうして字幕を職業にするようになったかという個人史から字幕業界事情から、字幕屋さんから見た映画から、字幕とは何かから、字幕を通じていろいろな事を知ることができる。通訳とか翻訳とか、言葉を直接的に扱う人の本というのはだいたいはずれがないように思う。聞き取れる程度に簡単なフレーズと字幕を見比べて、なるほどお、とか、ええ、とか思ったりはするが、いずれにしろ一瞬で読める字数で伝えることの大変さを思うと、でもまあ楽しい仕事なんだろうなあとも思うが、それは古き良き時代のことらしい。今は時間との勝負であるのはどこの多くの業界にも共通することみたいである。

日本は字幕好きな国なのだそうだ。ここまで字幕が普及している国はないそうだ。私も吹き替えより字幕の方が圧倒的に好きであるが、それを可能にしているのは漢字があるからではないだろうか。例えばタイ語にすることを考えると、えらい長さになるんではないかと思う。もっとも短い単語が多いのと相殺できるか。面白かったのは、キューブリック監督が究極の完全主義者で、翻訳した字幕を逆翻訳させて、しかも字の並びまで原語通りにするように要求してきたというところ。英語と日本語を同じ並びにしたら意味が通じないのはもちろんだし、逆翻訳して元通りの言葉になるわけがないのは、少々外国語を知っていれば誰でも分かることのように思うが、英語とフランス語みたいな親戚関係だったら可能なんだろうか、と思うと、不可能ではないのだと思いなおす。この間、韓国ドラマをテレビでやっていて、吹き替えた日本語と韓国人の口の動きがほとんど一致しているのを驚異的に感じたが、韓国語と日本語の近さを知ったら納得できるんだろうな。字幕翻訳者というのは、究極の意味で言葉を、最大限の合理性に芸術性を加味した上での伝達の道具として扱うということだろうから、エッセイにもそういう姿勢は表れるんだろう。平明でリズム感があって、説明も的確で端正でとっても面白かった。心がリッチになったような気がする。
by kienlen | 2009-03-12 20:09 | 読み物類 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


by kienlen
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