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タイに行くことにした

なんとなく考えていることがそういう流れになる時は、その流れに任せようと思う。それでタイに行くことにした。昨日決心した。それで友達に電話してみた。「来月タイに行く予定ある?」と聞くと「ないわよ、だって暑いじゃない、嫌よ、暑くて」と言う。そっか、一番暑い時だった。「バンコクは暑いから嫌だけどチェンマイならいいわよ」と続ける。「どうしたの、用事?」とも。これは脈があるなと思って「私だってバンコクは嫌だからチェンマイでもいいよ、とにかく行こうよ」と誘ってみることにした。バンコク在住時に家族ぐるみで親しくしていた友達で今は東京にいる。夫は在タイで双方行き来している。彼女は秋に行ったばかりで夫は正月に来たばかりなのに、またタイの正月の4月に来日するそうだ。「じゃ、帰りは彼と一緒に来たっていいじゃない」と言うと「それもそうね」というわけだった。お互いに都合のつく日程を話し合って、彼女が、いつも使っているタイ航空の代理店でチケットの値段を調べて連絡くれることになった。それが昨夜のことだった。

今朝さっそく電話があった。「タイ行きの件、覚えてる?」「当たり前でしょ、昨夜のことじゃない」「酔って気が大きくなっているのかと思った」「アタシ、酔ってもそこまでの変化ないから」ということで、8万円近くするそうだ。「私の経験ではこんな高いの初めて」とのこと。「だいたいタイはあんなことになってお客さん減っているのに、何よ、この強気の値段、何考えてんのよ」「ソンクラーンでタイ人がこの時期大勢行くからじゃないの」「そうよねえ、タイ人ってTGばっかりよね、夫もそうよ、絶対TG。あれはなぜかしら、愛国心よ、愛国心」と熱が入る。ウチの夫はタイ人だがTGみたいな高級なところは使わない。しかしなるほど周囲のタイ人はTGばかりである。考えてみると言語のせいじゃないだろうか。とにかく高いように感じるので、私がネットで調べて連絡することになった。こういうことに時間を使うのは好きではないので1人だと安易に妥協してしまうが、連れがいるとズクがでる。インドに行った時にJALのマイレージに入ってしまったからJALを優先的に。そしたらTGより大分安いようだ。連絡してアッサリ決まり。日本で予約した方がホテルは安いと思われるからバンコクはそうする。チェンマイ行きは安い夜行列車を提案。私のような山の人間じゃないから嫌かなと思ったらこれもアッサリ「いいわよ」。「ホテルはフアランポーン駅の近くにする?チャイナタウンはどう?」と言ったら「何言ってんのよ、絶対嫌よ」。冗談だ、私も嫌だ。ホテルも私があたってみることになった。
by kienlen | 2009-02-27 21:09 | | Comments(0)
一昨年だかその前か、タイと日本の政府の話し合いでタイのフルーツの輸入が拡大された。マンゴーといえばフィリピン産ばかりで、あのタイの大きなマンゴーが食べたいなあと思っていたのだが、最近は入手が簡単になった。先日も夫が大きいのを3個買ってきた。レッテルを見なくてもまぎれもないタイ産。なつかしい。
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娘に食べさせたいのだそうだが、実のところ以前ほど喜ばなくなってしまった。このところタイ料理の事をアレコレと考えていて、そうそう「カオニヤオ・マムアン」にしたら食べるだろうと思い付いた。タイにおけるマンゴーの最盛期は3月から4月の真夏だ。路上にも市場にもマンゴーの山ができる。出勤前にも昼休みにもマンゴーを買い求める人が立ち止まっている。好きなのを選んで切って小さなビニール袋に入れて、唐辛子入りのタレも添えてもらうこともできる。それを職場に持ち帰ったり歩きながらだったりで食べる。で、それだけではなくて、熟れたマンゴーはもち米と一緒にデザートとして食べる。これがカオニヤオ・マムアンで、カオニヤオがもち米でマムアンはマンゴーのタイ語風カタカナ表記。もち米にココナツミルクの甘くしたタレをかけて食べるんだから「マンゴーの季節は女性が太る」と言われても不思議ではない。

昨夜、夫に電話した。「カオニヤオ・マムアンにしたいからタレを作ってきてちょうだい」と。このくらい自分でできるといいのだが、できる人がいると自分でやらなくなる。それにやはり自分の原風景にない料理というのは身につき方が違うよな、と思う。夫は「カオニヤオはどうする」と言うから「ウチにいっぱいあるから蒸す」と答える。娘に「明日の朝食はカオニヤオ・マムアンね」と伝えておく。タイの事も忘れているから分かったような分からないような。もち米を水に浸しておいて、蒸す時間分だけは早起きするしかないから、30分ばかり早起きする。タレが見つからないから夫が帰宅していないのだろうかと靴を見に行ったらあった。よく探したらタレを入れた小さなビニール袋があった。蒸したもち米を盛ってマンゴーを載せてタレをかけるだけなのだが、なかなか美味しい。デザート類にはあまり興味がないのでタイでもあまり食べなかった。それでも久々に食べたら美味しかった。そろそろマンゴーの季節だ。
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by kienlen | 2009-02-26 08:54 | タイの事と料理 | Comments(0)
昨夜は店番だった。でも夫もバイトの子もいたので、私は働かないで来店してくれた友人達と飲んでいた。「夫の兄が日本国籍を取ったんですよ」と言うと「じゃあ、名前はどうなったんだ」とその友人が言った。兄の名前はカタカナでそのまま表記しても違和感ないようなものだから「そのまんまだと思う」と言うと「いや、日本の名前をつけているはずだ」と言い張る。その間に夫が電話をかけていた。私に代わったので「名前どうしたんですか」と言うと「朔太郎の朔にしました」と言う。実は電話を代わる前にふと朔が浮かんできたのだから笑いそうになった。いい名前だなあ、私も名前変えたいなあ。苗字は妻のにしたそうだ。「1年がかりだったんですって?」と聞くと「2年かかったよ。自分でやったからねー。弁護士を頼めば半年くらいかなー。田舎から書類取り寄せるのが時間かかった。翻訳も自分で全部やってね」「いろいろ調査されるの?」「家族とか仕事とか、これまでの経緯とかいろいろ」「仕事はどう?元気でやってますか?」と聞くと「毎週外国だよ、昨日戻ったばっかり、またすぐに行く」「子供は?」「高校生だからねえ、僕は東京の近くにアパート借りて週末だけ家に戻っているから楽になった、遊びに来てよ、部屋空いてるから」とのことだった。元気そうで何より。

タイ人が日本国籍を取る時代になったのだ、というのはびっくりである。しかもこの事態は結構進んでいるらしく、つい最近、帰化用の書類の翻訳を頼まれた。私としてはびっくりであるが、80年代から定着してきたことを考えればあり得ることだ。兄の場合は翻訳も自分でやったそうだし、それはできる人なのだが、そうじゃない人だって日本人になっているわけだ。識字率100%はすでにないと私は思っているが、ますます下がるかも。底辺ではいろいろな事が進んでいて水面の表面部分はいろいろな事が進んでいないフリで乗り切ろうとしている。今日、映画を見ている間に友人から電話が入っていたから何かと思ったら「お宅の店にいる時にMに水道料のことで電話がかかってきたけど『M、わかんなあーい』って言っていて相手の日本人が困っているみたいだったから話してやったんだけど…」という報告だった。お手数かけて申し訳なかったことを詫びつつ、なんで私が詫びなくちゃならんのだ、とも思う。すぐに夫に電話して「Mは、日本に永住するって言っているけど、だったら水道代のことくらい分かるようにしとかないとダメでしょ。一体どうすんのよ、あんなんで。全くタイ人は安易なんだから!!」と怒鳴ってやった。「その通り」と認める夫。Mは日本人の夫を亡くし、多分遺族年金で暮らしていくのだ、周囲に頼りながら。助け合いはいいけど、自分自身がちゃんとすべきことはあるでしょう、と言いかけてやめておく。小さい時から家族は離散、学校もろくに行けない、その家族には金をせびられて今日まできている。「お父さん(夫)死んだからタイに帰りたいって言ったら、お母さんが帰るなって言うんだよおお」と泣いている。ま、どこまで本当か分からないのもタイ人であるが…。彼女も何年か後に日本人になるかもしれない。
by kienlen | 2009-02-25 21:55 | タイ人・外国人 | Comments(0)
予告編を見て、見たいなって気になっていた。友人にそう話すと「アタシはクリントイーストウッド監督の映画は苦手なんだよね」と言う。それで監督さんが誰かを知った。そういえば私も苦手。社会派のテーマは好きだし、暗部を深く描くみたいな点はいいと思うし、きっと展開なんかもいいんだろうけど、自分でも分からないどこかの感情に負の圧力をかけるような感じがあって、とにかく後味が悪い、というのが今までの乏しい鑑賞歴の感想。そうか、ク監督かあ、じゃ、やめとこ、と思っていたのが昨日まで。で、本日、ランチに夫の店にトムヤムクンラーメンを食べに行ったらタイ人がビールを飲めと勧めて、これは断ったが、日本人の友達が飲めと勧めるのは断らずに1杯ごちそうになった。私はビール1杯で酔うから、このまま帰宅したら寝ちゃうんじゃないか、だったら映画を見た方がマシであろうと考えて新聞で時間をチェックしたところ、一番都合のいいのがこれだった。ギリギリに入ったら、今まで見たこともないような混みようで、えらく前の方の席の隅に座った。ビール飲んだから途中でトイレに行きやすいようにと思って。しかしトイレなんか忘れさせるほど、一瞬も気の抜けない映画だった。重厚で美しく残酷だった。これだけの人がこれを見るということは社会的に意義があるぞ、なんて思いながら真っ先に外に出た。いやあ、素晴らしかったです。「私も苦手」で片付けしまうのは損失であったと思った。いけない、いけない。

実話に基づいたお話なのだそうで、舞台が1928年のロスアンジェルスであるとクレジットが入る。ほう、世界恐慌の始まる前年か、と思う。もっともそういう経済的背景が入り込む隙間がないほどの濃厚なストーリーが始まるのだが、でもこの時代とここまで猟奇的な事件はもしかして関係しているのかな、などと思ったりもする。それはこの映画では描いていないと思うけど。アンジェリーナ・ジョリーが、9歳で行方不明になった息子のシングルマザーを演じる。ひたすら美しいばかりではなくて、どんどん覚悟を決めていく様が見事だし、愛情の豊かさみたいなのもスクリーンいっぱいに感じられた。とても人間っぽいというか、人情味があるというか。警察の腐敗ぶり、権力間の癒着もひじょうにリアリティがあって、こういう基本的構造があるということは、公務員試験の一般常識問題で出題されるべきだろうと思った。権力の問題、差別問題、親子関係、犯罪、宗教というか教会の役割、官僚制度の負の側面、現代的テーマてんこ盛りなのに、シンプルで分かりやすい展開で、残酷な場面を控えめにしてあるので、最初の方の辛さが助長し過ぎることがなく、ギリギリのところで救われる感じがする。こういう歴史があって今があるのだと知る意味でもこれは必見だってことで明日からはこの映画を会う人に勧めることにしよう。食わず嫌いはいけません。全然食指を動かされない「おくりびと」も見てみることにしよう。
by kienlen | 2009-02-25 19:40 | 映画類 | Comments(0)
本と酒と映画の日々、ついでに今日も思い立って「ラースと、その彼女」を見に行った。午前中にリンゴを持って立ち寄ってくれた友人としばらくおしゃべりしていたところ、その友人がこの映画を見たいと言い出して、そういえば新聞かなんかで紹介を読んだ時に、面白そうだと感じたことを思い出した。時間をチェックしたら娘が塾に行っている間に見れる便利な時間帯であることが判明して、娘に夕食を食べさせて送り出してすぐに出かけた。いずれにしろ友人の訪問がなかったら確実に見逃していたものである。知っていたのは男性が人形を恋人のようにして一緒に暮らすお話、という程度。他は何も知らない。田舎町のもやのかかったような朝のシーンの始まりと、ゆっくりで分かりやすい英語とテンポと役者の容姿から、これはイギリス映画なのだろうか、と思ってしまったがアメリカ映画だった。つまりもともとから全然英米の見分けがついてないってことなのだが。何しろ仕事が何もないので暇だから行ったというのが一番の理由…なんて言っては申し訳ないくらいのアタリだった。面白かったし、上質な感じの映画だった。共同体と家族の復権を訴えているのかと思われるようなところは、なんとなく、今の時代の狙い目なのか、なんてうがった見方をしたらつまんないな、とは思ったけど。

などとひねくれた考えは頭の中であって、素直に言うと、共同体や家族の温かさへの希求というのは、1人では生きられない人間にとっての基本的欲求であると思って感動的であった。母屋に出産を控えた兄夫婦が住んで、ガレージで1人暮らしをしているのが弟であることがじきに分かる。田舎町では教会が人々の交流の場になっていることも分かる。閉鎖的な共同体のうっとうしさと優しさが、国や文化を超えて普遍的であることも分かる。で、この弟が孤独であることを心配する兄夫婦は執拗に食事に誘うのだが、弟は乗り気でない。放っておいてくれという態度。こういう時に自分が感情移入できるのは弟の方であるのが寂しい。小さな会社らしい職場でも同僚とのコミュニケーションには消極的。かといってひねくれているとかではないし、暴力的ではないし、暴力を内に秘めているのでもないし、心優しい好青年として人気はあるのだ。いかにもいそうな現代青年タイプ。こういう人がアメリカ映画の主人公であるのはほっとする。その主人公がある日突然おしゃれして兄夫婦の家に告白に行くのである。女性が来たと。躍り上がって大喜びする兄夫婦が、その女性がお人形だと知った時の表情がよろしい。その後は職場、共同体、家族の冷めた優しさがこの男をこちら側の世界に結果的に引き戻していく、というような展開。一歩間違うと、ハイハイ結局それね、とシラケそうなお話が、そうならずに最後まで楽しませてくれる。面白かった!
by kienlen | 2009-02-23 22:39 | 映画類 | Comments(2)
書店で見つけてタイトルと装丁に惹かれて手に取ったら、言葉の仕事をする人達へのインタビュー集で、いきなり出てきたのが小熊英二だった。恩田睦もいる。面白そうだなあと思ったが、税別で1900円もする。ソフトカバーで特別厚い本でもない。かなり迷って棚に戻したように思っていたが、家に積んであったから買ったのだ、ええい、これもご縁である、というわけで昨夜読んだ。1960年代前半生まれの9人へのインタビューである。インタビュアーである著者もインタビューされる人達と同世代。写真は大野純一さんという、やはりほとんど同世代。小熊英二と恩田睦は読んだことがあるが、他の人達は、名前は聞いたことがあるなあ、読んだことはあるかなあ、ないなあ、あっても雑誌でちょっとだろうな、という程度にしか知らない。実は私が、いいなあと感じる人にはこの世代の人が結構多い。ひとつには自分とそんなに離れていないからメディア状況など似たような時代の空気を吸ってきたということが大きいと思う。それとシャイというか、謙虚さを感じる。それはつまり、こうあるべき、と他人に押し付けることよりも自分への関心の方が高いからではないだろうか、という気がする。で、なんとなくであるが、その下の世代になるとまた逆転するような気が、あくまでなんとなくしている。

ここでは仕事に関してだけを聞いているので、多方面から迫ってその人物を浮き彫りにする、なんていう趣旨ではないのだが、9人まとまると何か共通点を感じたりしてそれなりに面白く読んだ。もともとが2003年から04年にかけての雑誌の「共有地の開拓者たち」という連続企画の人物インタビューということで、そういう趣旨の元に聞いているのだから当然か。新しいメディアが出てきた時代、豊かさが定着した時代に学生だったり社会人になったりした時代の人達ということになる。そしてやはり東京である。雇用が今日のように流動化する前でもある。経済発展をしていた時代だ。だから個人の能力が高いと、なおさらに公共性も持てるのだと思う。そういうところを、同じ仲間という意識のある著者が引き出そうとしている感じ。なんだか、もっと上とかもっと下の世代からは羨ましがられるかも、なんて思ったりもするが、闘争的じゃない、共存的であるというのは私にとってはほっとできるから、こういう人達がいなくならないで欲しいなと思いながら軽く楽しく読んだ。仕事の仕方が多くの人にとってモデルになるかというと、それはちょっと難しそうだなって感じたけど、別問題だし。
by kienlen | 2009-02-23 12:42 | 読み物類 | Comments(0)
友人から借りていた本をやっと読み終えた。小説だからじきに読めると思っていたが、結構時間がかかったのは、面白くて隅々までちゃんと読んだからだ。このところ小説をあまり読まないからこの作家も知らなかった。ホラーと聞いていたし、帯にも「女の日常に潜む狂気の沸点を描いた戦慄のホラー・サスペンス」とある。そんな風に聞かず、こんな風に書いてなければ私はこの小説をホラーとは感じないんじゃないかと思う。もっともつまり私はホラーって何なのか知らないのだ。きっと人間を裸にして本質みたいなのを描き出すというようなものなのかもしれないが、ホラーって言葉だけで怖い!と目をそむけてしまうのだからダメである。バラバラ殺人で逮捕されて16年の実刑判決を受けた女性が、刑務所の中の模様と自分の過去を交互に描きながら、事件の全容というか部分というかを明らかにしていく、というお話で、心理描写としては実にリアルだし、犯罪に至る過程としてもリアルであると思った。母娘関係を中心とする家族問題小説としても読めるし、犯罪小説としても読めるが、帯を見る限りは女性の嫉妬と妄想に重点を置いて宣伝しているようである。なんてたって「男を滅ぼすのは欲望や怒り、女を滅ぼすのは嫉妬と妄想」って惹句になっているし。

こういう帯で書店で手に取らないと思うから、友人に貸してもらわなければご縁のなかったものだと思う。ありがたいことだ。この間読んだ死刑囚に取材したノンフィクションの時に、かかわった殺人者に共通の特徴として、すごくありふれた価値観に捉われているという点が挙がっていたように記憶している。こういうことってマスコミ報道ではなされないので新鮮に感じて覚えている。で、この小説の主人公もまさにそういうタイプであることに、妙に感心してしまった。典型的には、女は若くて美しくないと価値がないとか、つまりそういう価値観だ。まさに妄想的にそれに捉われた最後は痛々しい限りだったが、母と娘の関係が主軸にあるとすれば、なるほどなあ、と納得することもできる。読みながら終始、なんだか懐かしい感じがしたのはなぜだろう。若い頃に読んだ小説に似ているのかもしれない。何かは覚えてないけど、こういうのは普遍的なテーマなんだろうなと感じる。時代に関係なくいつでもリアルに感じられる内容。なるほど、それがホラーってことか、やっぱ怖いんだ。文学の力ってすごいなあ。
by kienlen | 2009-02-22 17:35 | 読み物類 | Comments(0)
結構長く上映しているから、もうじきに終了か、金城武が見たいから行きたいが、そのためだけに見る価値はあるんだろうか、なんて逡巡していた映画K-20だったが、今日、外国人研修生問題のセミナーで遠出するついでの友人をドライブがてらに誘って一緒に行き、戻ったら夜で「ついでに映画見ようか」ってことで時間を聞いたら夜の8時20分からの1回上映のみということだったから、これもご縁で見ることにした。そんなに期待していたわけじゃないが、これは私には素晴らしく面白かった。痛快、愉快、なかなか風刺も効いている、という感じで、あんまり見ない日本映画の中では私の好みにぴったりであった。第二次世界大戦が回避された、という設定のスタートがまず興味深い。で、どういう世の中かというと、華族制度が残って、人々は生まれついた職業を変えることができず、富はごく一部の階層に独占され、庶民は貧困にあえぐというもの。この設定がまず痛快である。主人公の金城武はサーカスの団員の身分に生まれて、すごい身体能力をもつサーカス団のスター。映像がレトロなようなモダンなようなでいい感じだし、全体にすごく面白かった。

最後の最後までどんでん返しの連続で全く飽きないし、アクションも適度というか、アクションものが苦手な私にはちょうどいいし、役者陣もみんな良かった。映画はだいたい1人で行くが、今日は友人が一緒だった。思わず「面白かったねえ」とにっこりし合った。最後もすっきりだったし、見てよかった。こういうのは好みである。ユーモアがあってテンポもちょうどいいし風刺もたっぷり。友人は「映画はこうでなくしゃね、ハッピーエンドでないと」と言うので、それには完全に同感できるわけじゃないけど、ハッピーエンドは気分がすっきりすることはする。これは息子も見に行けばいいのに、と思って深夜に帰宅して「怪人二十面相面白かったよ」と言ったが「そうですか」と言うきり興味を示していなかった。現代的な課題も盛り込まれていて、いやあ、面白かった。もう多分今週いっぱいくらいでおしまいかと思うがお勧めしたい映画だったな。
by kienlen | 2009-02-21 23:44 | 映画類 | Comments(0)
この間、市の国際交流コーナーを通りがかったら大変な賑わいだった。お祭りとかではなくて、日本語教室の賑わいだ。ワンフロアに簡単なパーテーションを置いて3つのグループが勉強している。少ないクラスでも6-7人、多いと20人くらいでもういっぱい、いっぱいという雰囲気なのに、私がコーナーの担当者と話しこんでいる間に隣の机でもう一クラススタートした。若そうな子も結構いる。一体どういう人達なんだろうという興味がムクムクするが勉強中にジャマするわけにもいかないし、知り合ったばかりのフィリピン人と目があって手を振る挨拶だけ。それから日本語を教えていたうちの1人は高校時代の担任教師だった。コーナーの担当者と雑談。タイ人の相談の特徴を話してくれるが、私にとってはなんだか飽き飽きの話で「それ典型だから」「それ、日常茶飯事だから」と投げやりな応対をしたような気がする。自分が身を置いている場所をあくまで客観的に眺める必要性というのは、日常生活を営む上においてはないわけだな、ということを感じる。彼女が職務以上とも思えるケースに対応できるのは、それでもやはり仕事だからで、これを完全にボランティアでやろうとしたら無理だよねえ、という話になる。「年会費制にしてタイ人協会みたいなのを作ったらどう」と提案されるが、一体誰がやるんだよ、というのが現実だろう。定職があったら精神的な余裕はあるだろうけど、物理的な時間確保は難しいかもしれない。逆の場合は、言わずもがなで、それが我が家を含めてほとんど。

それにしても、最新の現場に接していない自分にとって日本語教室の賑わいにはびっくりだった。そのうちに元担任教師のクラスが終わったので先生に声をかけた。私に「先生」と呼ばれて「あら、歳がバレちゃうわね」と、いきなり言うってどういう意味でしょう。元気そうで何よりだった。「ここで教えていると今の日本社会の現状がよく見えるでしょう」と言うと「ホントよ、すごいことになっているわよね」「でしょ、でしょ」みたいな立ち話。すごいことというのは、もちろん底が抜けたかのような雇用環境等々、基本的な構造変化を指す。先生は「こういうボランティアばかりしているからますます貧乏よ、年金生活は辛いわ」と言う。それで私は「でも、下の世代からみると年金もらえる世代はマシとか思ったり、安定している公務員はいいなとか、正社員はいいなとか、庶民同士の足の引っ張り合いみたいな事態が一番怖いですよ」と言う。「その通りよね」「その間に政治家はああだしね…」。これ以上言葉を発する必要なしの地点というのはだいたいここである。そのへんは周囲を見る限り全員に共通しているのにそのまんまって、どういうことなんでしょう。先生にも分からないだろうから聞かなかった。
by kienlen | 2009-02-19 08:51 | タイ人・外国人 | Comments(0)

やさしい日本語の盲点

午前中に一件会議があった。外国籍児童生徒の支援をどうするか、みたいな定例会で市教委の主催で年に数回催される。今年度は多分最後。議案はいくつかあったが、就学についての情報を含む多言語の生活ガイドを外国人登録の窓口に来た人全員に希望の有無を問わずに配布することで、外国籍の子の就学の方法を周知させる、というアイデアが発表された。外国籍の子には就学の義務はなく自動的に通知がいくわけでないのはいかがなものか、という問題提起に対しての答えだった。その時に、当市は各国ごとの人数は多くないが50か国もの人が住んでいるという点が特徴としてあがった。一番多いのが中国籍、次が韓国・朝鮮籍、次がフィリピン、次がタイである。ブラジル人が少ないのが特徴でもある。そんなわけで文書等をいちいち多言語訳するわけにもいかないし、やさしい日本語で表現するのが望ましいみたいな話が専門の先生から出た。私はこれは賛成だったから付け加えて「よく漢字にルビをふれば外国人に理解しやすいと思っている人がいるみたいですが、あれでやさしくなるわけではないです、構文も単純にしないと分かりません」と発言した。

専門の先生もうなずいていた。司会が「この点、Sさんはどう思いますか」と指名した。Sさんは中国人で中国人の日本語支援をしている人。ひじょうにまじめに「文書はひらがながなるべくない方がいいです。なるべく漢字にして下さい。そうすれば分かります」と発言した。やさしい日本語を提言した先生は中国で教えていたこともある人だから苦笑い。「そういえば中国の人には漢字の方がいいですよね、アハハ」である。私なんかも自分の発言がおかしく感じてしまってアハハであった。中国や台湾の人にしたらひらがなの方が難しいのは当然じゃないか。外国人っていったっていろいろで一緒くたにできませんよ、なんて日頃は言っているくせにこんな当然のことに迂闊だった。世界は多様である、なんて思いながらタイの子の支援ということで週に1度だけ行っている小学校へ。5年になるのに九九が完全になっていない。九九なんて、つまり何語だろうが暗記していればいいわけであるが、この年齢だとタイ語が確立しているというかそうじゃないというか、個人差もあるだろうけどかなり怪しい。そもそもタイ語を書こうとしないし、辞書も好まない。「九九をタイ語で覚えるのと日本語で覚えるのとどっちが覚えやすい?」と聞いてみたら「同じくらい」と返ってきた。となると日本語で記憶する方がいいように思うが…。言葉の習得については知りたいことだらけだ。子供は成長を止めて待っていてくれないし。
by kienlen | 2009-02-18 23:11 | 言葉 | Comments(2)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


by kienlen