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2度と買い物したくない八百屋

今日やる予定だった仕事の締め切りが延びたので拍子抜けで、やっとのことで片付けに取り掛かることにした。本が増えてしまって本棚を追加しないことには片付けられないことに気付き、通販生活で2本買ってひじょうに重宝しているのを追加注文しようと思って電話した。そしたらもうそれは扱っていないということだった。まあしかしここはいつ電話しても応対がよろしいので「じゃ、他のを探してまた注文します」と言って切った。そういう気にさせる対応こそ仕事なはずなのに、そうじゃない事が多すぎる。昨日なんか、八百屋で爆発しそうなくらいに腹がたって、なんでここでこんな気持ちにならなければならないのか全く分からず、もう世の中おかしい、と友人に電話したくらいだった。私がイラつく時というのは感情を害されるというよりは、どうしてこう理屈に合わない対応をせざるを得ないんだろうかという疑問が大方なので、傷つくとかそういう問題ではない。どっちかっていうと社会的な方に転化できると思っているが、昨日のはまさに感情を害されてひどく不快になった。

路上に商品を並べた八百屋にキノコがあったので手に取った。すると横に小さなカゴにニンニクが3つ入っていて、国産で200円と書いてある。ひとつは黒くなっていて使える部分は少なそう。それでも粒が大きいし、えらくお買い得だと思ってカゴごと奥に持参した。夫婦らしき男女が弁当を食べていた。妻らしき女性が会計しながら「ニンニクはひとつ200円ですけどいいですか」と言った。なるほど、そうだったんだと思って「間違えました、どうりで国産なのに安すぎると思ったんです」と素直な気持ちを口にして元の場所に戻しに行った。家にまだニンニクはあるし、いつもまとめ買いする直売所に行けばいいのだから。すると夫らしき男性が「奥さんねえ、国産でそんなに安いわけないだろ!」と怒るのである。「だからびっくりしたんですけど」と言うと、畳み掛けるように「中国産なら10個で200円であるよ!国産なんだから!」とくどい。こっちはそんな事は知っている。だから自分の誤解を認めたし、誤解を与える表示方法がおかしいとも言ってないし、とにかく何も言ってないのだから説教される筋合いがあるとは思えない。2度とあの店で買い物をする気はないが、こういう対応で店主のメリットはあるんだろうか。あまりの勢いだったので「分ってるからそれ以上話さないで下さい」と言うのが精一杯だった。隙あれば説教するための作戦の表示か、それでストレス解消しているんだとしたら本当に嫌な世の中だ。こんな売り方されたら生産者もかわいそう、と思った。
by kienlen | 2009-01-31 13:50 | その他雑感 | Comments(0)

野蛮人のテーブルマナー『諜報的生活の技術』

ちょっと前に読み終えた、大好きな佐藤優の新刊。相変わらず面白かった。「KING」という雑誌に連載していたものだそうで、その雑誌はなくなったそうだから、こうしてまとめていただけるとありがたい。帯には「混乱と野蛮の現代をサバイバルせよ!」とある。著者が身をおいていたインテリジェンスの世界の常識を説きながら、それをビジネスや生き方に役立てる術を述べている。インテリジェンスの世界の経験は、国際関係に関わる事象の背景を感じさせることになるから、幾重にもサービスいっぱい、楽しみ満載。「佐藤優ワールドへのもっとも身近な入門書」ともある通り、他の本のように難解で自分には理解できてない感を抱かずに済むような親切な配慮が最初から意識されている。『野蛮人のテーブルマナー』は読みたいと思いつつ、書店で発見での出会いがなくて読んでないが、こんなに面白いんなら読もうと思っている。

1章目はリエゾンの重要性とか、憎まれることなく嫌われる方法とか、逃げ出すタイミングの見つけ方とか、始める時に終わり方を決めておくとか、タイトルを見ただけでワクワク、読んでもっとワクワクの内容の単独執筆だが、2章から後は対談と会談で、そのメンバーがすごい。国策捜査で組織を追われた佐藤優本人、鈴木宗男、田中森一、そして国レベルではないが共産党を追われた筆坂秀世の4氏の会談、アントニオ猪木との対談、村上正邦との対談など。野蛮人のテーブルマナーシリーズが次々と出たら次々と買うと思う。スパイ小説の類が大好きだった者にとってこのような仕立てには胸が騒いでしまってどうしようもない。日本の名作シリーズなどに感動していればこういうことにはならなかったかもしれないが、今から青春時代の読書をやり直すのも面倒だし。そういえば昨夜、娘が「日本の本って現実的でアメリカのと違う」と言う。こんな大雑把な事を言われても困るがどういうことかと思って聞いたら「同じく学校が舞台になっても日本のは現実的な出来事が描かれていてアメリカのは悪魔とか見えない物が出てくる」というのである。「どっちが面白いの?」と聞いたらすかさず「アメリカ」であった。それは宗教が…とか、乏しいながらも親の見解をできる限り述べる。中高生向けに佐藤優が書いてくれないかな。小遣いやっても読ませたい。
by kienlen | 2009-01-31 09:29 | 読み物類 | Comments(2)

びっくりしたカメラの講習会

一眼レフの初心者カメラ教室というのが5回で1000円というタダ同然の値段で、市の施設であるということで申し込んでいた。今日が初回だった。写真教室というのは1度出てみたかったが、なんとなく縁がなかった。今回はちょうど仕事もなさそうな時期だし、全回参加できそうだと楽しみにしていた。届け物を朝一番で済ませて、期待して10時からの講座に行った。講師はたまたま知り合いだったから一応ちょっとご挨拶。「前から講師しているんですか」と尋ねると、3回目だという。だったら慣れているのかな、とますます期待が高まる。そんな自分がバカだったと感じるのに時間はかからなかった。教え方の上手下手という次元の問題以前であった。カメラの使い方から入るから、その程度は知っている人にとって退屈であるとか、そういう次元でもない。これはもう講師個人の問題というよりも、講座を設定した側にも問題があるのではないだろうか。質問に答えられなければ「調べて次回にお答えします」でもいいし、例えば芸術性に関わるような難しいものも教えてくれみたいな、そもそもが答えようのない質問には「その部分に答えはありません」でもいいから、やはり一応真摯に対応すべきではないだろうか。答えられないと「プロカメラマンではあるが教えるプロではない」との開き直りには愕然とした。

自治体の施設の管理や運営は指定管理者制度で民間が行うようになっているのが多い。ここもそうだ。予算がない、だから安かろう悪かろうで言い訳のようなことをする意味は何だろう。受講者の好みの問題だけで講師の良し悪しを評価はできないと思うし、そういう評価ばかりで物事を決めるのがいいとは思わない。が、最低限の役割を果たさないのは好みの問題とは別次元じゃないだろうか。そもそも例えば経験上、素人の質問はくだらないから時間の無駄、との判断はありだろう。だったら質問時間を取らなければいいまでだ。「質問は受けません。個別にどうぞ」とでも言っておけばいい。ところが今回の場合、ほとんどの時間が質問時間で、それなのに質問がでると答えない。質問者はがっくりして質問しなくなる。すると沈黙が支配する。こういうことが通じる世の中なんだと思うと寂しい気持ちだ。というのは、若い講師の彼が、講師としては力不足であると感じているように感じられなかったから、そのことに一番びっくりした。若い時こそ試行錯誤して落ち込んで失敗して、それでも続けるってのが仕事じゃないのかなあ。残りの4回をどうしよう。初回は遠慮していたんであって次回見違えるようになっているかどうかを見にいくべきかどうか。時間の無駄を覚悟で…迷っている。
by kienlen | 2009-01-30 20:00 | 仕事関係 | Comments(0)

『外国語学習の科学-第二言語習得論とは何か』

こういう事を知りたかった!と思う内容の本だった。岩波新書はあんまり読みたいのがないこの頃で久々の満足感。著者は白井恭弘先生という方。言語学と言語習得論が専門の先生だそうだ。外国語上達法とか記憶力アップとかのハウツーものは読む気になれない。ハウツーものなんて実行しなかったら意味ないわけで、自分が実行しないことは明白だからというだけの理由ではなくて、その類は何らかの理論に依拠しているわけだから、依拠している論が自分に合わなかったら、もう最初からミスマッチなわけだ。で、この本は帯に「効果的な学び方は本当にある?」と疑問符付きで書いてある通り、△をすれば○になる、という単純な話をしているわけではなくて、第二外国語の習得とは何か、から始まって、「臨界期説」などのよく聞く理論も、調査や実験の結果を紹介しながら反証も紹介して、著者なりの考えも加えて、とっても行き届いた内容になっている。大変面白く読んだ。

私が英語を嫌いになったのは高校の時だった。中学では英語のテストで困ったことはないし、そういう自分が英語のテストができなくなるなんてあんまり考えなかったのに、高校でメチャクチャになった。きちんと教科書を勉強してないとできないようなテストだった。だから私のようにキチンと勉強しない者は振り落とされるわけだ。それでも外国語そのものを嫌いにはなれず、後に高校の英語教師に道でばったり会った時に「英語を勉強したいので教えてくれないか」と頼んだことがある。その時の教師の奇妙な答えは忘れられない。確か、ゴネンネ、もっと別の方法で教えてあげたかったのにね、みたいな内容だった。当方のお願いの答えにはなってない。この本を読んでいると日本の学校英語の特徴も分かるし、弊害も利点も併記している。つまり、どうしたらいいという安易な答えなんかないわけで、それでもこの言語習得という学問分野は確実に進歩していて、少し前までの主流は何で、今の人気は何で、みたいなことがとっても平易に解説してある。自分に合うのはどういう方法だろうかと考えながら読むのも楽しい。
by kienlen | 2009-01-28 21:13 | 読み物類 | Comments(0)

言い訳は会議と報告書の某世界

もしかして自分は幸福だったのかもしれないと思うことがたまにある。目下のところそれを意識するのは、某行政機関の会議の時だ。私はその機関の正規の成員でないから、たまたま紛れ込んだ異分子みたいなものだが、会議においては正規のメンバーになっている。で、問題は、私の会議に対する間違った思い込みを今になって変えるのが難しいということだ。私の幸福な思い込みというのは、会議とは、何かを決めるためだったり、ブレインストーミングだったり、問題解決だったり、プレゼンだったり、つまり何かしらの産物を目指すもの、というものだが、ことごとく裏切られている。よく出るのが「○○した方がいいでしょうが、お忙しいでしょうし、まあちょっと…」って、だったら○○なんて言う必要ないと思う私は単純バカ過ぎるのか。ささいな個人事業者がそんな言い訳したって相手にされない。某機関にはそれが通用するらしい。「そういう話は前任から引き継いでいない」というのは目からウロコって言うんだろうか、私も応用してみたいものだ。残念ながら前任がいないから「そういう話は前世から引き継いでません」とか。

この調子で2時間くらい続く。それを年に何度も繰り返す。考えてみるとそれが仕事なのだ。実行してしまうと仕事を失うから、その手前で足踏みしていないとならないのだ。まんざら止まっていると何もしてないように見えるから、やってるフリパフォーマンスが足踏みで、その道具が会議なのだろう。足踏みしているだけで報酬が得られるとなれば、怪我するかもしれないスタートなんか切りたくないでしょう。止まっているより疲労感も少なそうだ。そういう人が大勢いるのかと思うと、日本沈没するんじゃないかと本気で思う。だいたいそのツケは誰が払うのだ。ここいらで一斉スタートの合図を送って、大量脱落させたら問題あるんだろうか。
by kienlen | 2009-01-27 16:57 | 社会的話題 | Comments(3)

タイとラオスを回って来た友人から電話

また友達と飲むことにしていた昨夜の出掛けに、半年ぶりくらいの友人から電話があった。不十分とはいえ、一応最低限の線までの仕事は片付けたので私は比較的すっきり気分でいた。「生きてたの」と聞くと「まあ」。「どこにいるの」と聞くと「今、東京」。「どこ行ってたの」と聞くと「タイとラオス」。「どのくらい行ってたのよ」と聞くと「2か月」。タイとラオスに1か月ずつ滞在していたそうだ。バンコクに妻子、ラオスに仕事仲間がいるのだから驚くような旅ではない。私はその在ラオスの共通の友人から元気そうなメールをもらっていたから「Mさんも順調そうで良かったよね、連絡があって嬉しかった」と伝えた。放送局立ち上げのための仕事がありそうだったり、事業の方も軌道にのりつつあるらしい。良かった、良かった。年齢的には厳しいところにきているが、そういう組織に頼れない人達がなんとかしぶとくやっているのを知ると勇気がでる。「アナタのいない2か月で日本はすごいことになってるよ」と言うと「だから北海道に戻っても仕事ないと思うんだよね」と彼。ずっと日雇い派遣でつないできていた。

「でもさ、ラオスで仕事がありそうだって希望があると同じ派遣でも気分が全然違うよ」と言う。それは分かるな。それが多分ほとんどすべてじゃないかという気がする。自分なりの光が見えるトンネルにいるのと、掘っても掘っても暗闇の洞穴の違いくらいはありそうだ。タイの様子を聞いたら「ヒドイもんだよ。飲み屋に行っても客1人もなくてさ。でも女の子が日本人を避けるんだよな。理由を聞いたら最近日本じゃ報道されない事件があったらしいよ」「へえ、何よ」「日本人の男がタイの女性を殺して自殺したんだって」「ホントかなあ、アナタが金ありそうに見えないから近寄りたくなくてそう言ってんじゃないの」と言ったら「それもそうかも」ということになったが、事件はどうやら本当らしいということにもなった。空港の占拠事態についての背景に関する噂も聞いたが、とても書けるようなものではない。闇はどこにも広がっているのだ。私達はどういう道を歩いているのだろう。ラオスには映画館がない、ということは演じる役者もいないのだろうか、とか、異業種の人の話は視点が違う。私なんかラオスの印象で何より強烈なのは、本がないってことだった。今年は久々にラオスに行こうかなあという思いが強くなった。その前に北海道に行ってみたい気もする。
by kienlen | 2009-01-26 09:19 | タイ人・外国人 | Comments(0)

移民についての講演で考えたこと

旅に出ていたわけでもないのに3日も休んだ。単に毎日酒でトリップしているだけのことだ。昨日も友人と「脳みそが毎日1mmずつ削られていく感じ」と話しながらますます削る行動に出ていた。飲酒会の前は遠方の勉強会に出てみた。外国由来人々の支援団体の主催するもので、発起人には知り合いが複数。で、その組織の代表である大学の先生が米国の移民教育の一端視察報告を少々と、日本の文科省の最新の方針についての解説をしてくれた。だいたい外国人政策こそ政府方針があるべき、というか、政府の方針なしに現場の対応が最もできにくいもののひとつがこれだと思うが、日本は相変わらずであるようだ、という確認はできた。それはそれで作戦と思えないことがなくもないが、国としての方針がなくて文科省が方針を出したところで、ないよりいいのかどうか知らないが、混乱は免れない。もっとも国の方針があったから混乱しないということはあり得ないけれども。それはともかく、先生の話の中で、またかあ、と思うくだりがあった。アイデンティティが揺らがないように母国の言葉、文化は失わないようにすべき、というような話である。すごくよく言われる話だ。これって言うのは簡単かもしれないが、どうやってやるんだい、と思うとすごく難しくないだろうか。私はこの言葉に傷付く、というほどのヤワではないけど、少なくとも結構悲しい気持ちにはなる。

なぜか。自分が実行できていないからだ、とも言える。ウチの子らはタイ生まれである。タイ国籍も持っている。父親はタイ人である。タイにいる時の第一言語はタイ語だった。今、タイ語は話せない。誰も教えていない。タイ文化も教えていない。と、誰かに話したらきっと「だってお母さんが日本人なんだから日本語が母語で日本文化でいいじゃない」と慰められるだろうか。あくまで「ちゃんと教えないと」と言われるだろうか。両方とも言われたことはある。ではもしタイにいたらどうだろう。タイにいて日本語も日本文化も知らないかったら「タイ生まれのタイ育ちだからいい」んだろうか。じゃあ、アメリカに移住していたらどうだ。子どもたちにとって何が母語で何が自分の文化なんだろうか。たぶんこういうことは専門家の中でも議論があることなんではないだろうか、想像だけだが。いずれにしろ自分が身をおいてない言葉とか文化は自然には身につかない。身についてないものにアイデンティティをおけと言われたら、そっちの方が苦しくないだろうか。確固たるアイデンティティなんてなくてもいいと言っては暴論なんだろうか。こんな暴論を吐けるのは自分が経験してないからとも言えるとなると、ますます分からない。親子共々知的能力が高くて、教える時間的、経済的余裕が移民のみんなにあるなんてことはないわけで、じゃあ、それを学校教育なり移住した国の責任でやれということになると、どういう移民政策を取るのかというのとモロにぶつかってくることになる。ま、そこまで論じるところまでにもいってないように感じる。
by kienlen | 2009-01-25 11:45 | 言葉 | Comments(0)

日本人の夫を失ったタイ人の妻とビール

夫の店にいつも来ては飲んだくれているタイ人女性の夫(日本人)が亡くなって数日になる。昨夜、定例店番をしていたら友人達が何人も来てくれて賑やかだったのだが、だんだん引けていって、残り3人になったところに夫から「Mがこれから行ってもいいか。1人で寂しいから行きたいそうだ」と電話があった。そのMというのが夫を亡くした人だ。すでに遅い時間だったが、事情も事情だし「いいよ」と言った。数分後にMが現われた。ビールを飲みながら居合わせた全員で話し相手になった。夫がガンの末期で入院していることは聞いていたから知っている。病院と医師への不満をぶちまけている。ぶちまけるのを受動的に聞いているだけだと意味不明な点が多々あるので整理しながら聞く。するとつまり、病院から電話があって駆けつけた時はすでに死亡していて、死に目に会えなかったということだった。徒歩5分の場所にいるのに。うーん、それは辛い。せめてお別れの言葉を交わしたいという気持ちはよく分かる。しかも死期の近いことが分っているはずのように感じられるとなれば。

Mに子どもはいない。かといってタイに帰るつもりはない。この先も日本で暮らす。夫の遺族年金があるから大丈夫なようでもある。ま、新しい相手がすぐにもできるかもしれないし。お葬式はしてない。骨はアパートに置いてある。「お人形じゃないよ、人間だよ、お医者さんダメ」とか、そんな言葉ばかり繰り返している。つまり人間扱いしてくれなかったと言いたいわけだ。「この症状になって家に帰れた人は1人もいない」と言われたことも悲しかったという。正直といえば正直だからインフォームドコンセントとしては合格なのかもしれない。外国人相手に説明するのも骨の折れることではあると思う。私は実際の場面を知らないから何とも言えない。でも、もうちょっと早く連絡をくれて、最後の言葉を聞きたかったという点は、位置関係も知っている者としては妥当な不満に思えた。ただし症状が激変したんだったらしょうがないかも、という意見を言う人もいた。「もうちょっと早く連絡が欲しかった」というのは手紙に書いて病院に届けておいてあげることを伝える。偶然居合わせた者達でビール3本空ける頃に電話が入って「行く、行く」と言って、Mは次の店に行くために出て行った。私もすぐに店を閉めた。
by kienlen | 2009-01-21 21:17 | タイ人・外国人 | Comments(0)

今日から給食センター一部復活

新年早々から給食がストップしていた。職員が集団でノロウイルスに感染したとのことで約2週間。今日からメインのおかずは再開ということで、長く続いたおかず持参はおしまいになった。ストップした初日は娘が帰宅するなり「今日給食のおかずがなかったからご飯だけ食べた。なるべくお腹がいっぱいになるようにゆっくり噛んで食べた」と報告した。我が家における学校の話題はもっぱら給食中心であるから、いつもの話題と似たようなもんだと思って気にしなかったら翌日からずっとおかずのみ持参という措置になっていた。ご飯と牛乳は業者が直接納入だから給食センターのアクシデントとは無関係に供給可能ということ。給食センターから大量供給していたらこういう騒ぎになるリスクは当然ありだ。市販の冷凍食品はあんまり使わない方針だが娘はチマヂマと詰めるのが好きなのでこれをチャンスとばかりに冷凍食品を買ってくる。こういう時は、私には絶対に言わずに、何でも言うなりの父親を連れて行く。食の方針について説くのも面倒になってきて、いっそのこと既製品ばかり組み合わせて詰めてやったら、それはそれで文句を言う。ま、それはともかく給食ストップをめぐる新聞報道が結構笑えた。

おかず持参で食費がかかるだの、生活保護家庭の負担が重くなるだの、持ってこない子がいるだのと並んでいたが、ある日、おかずを持参しなかった子の具体的な人数があがっていた。私はあんまり疑問を抱かずに「おかず持ってこない人が21人だか23人だかいたって書いてあったよ」と娘に言うと「どうやって数えるんだろう」と不思議そうに言う。実はその日は娘が食欲ないということでおかずを持参せずに登校していた。そしてこんなことを言った。「今日だっておかずあるようなフリして食べたから先生には分らないはず」と。そこまでフリする必要性はともかくとして、そういえばそうだな、どうやって数えるんだろうと思った。最後の日も「パンだけでいい」と言って持参しなかった。で、一応もし取材された場合に備えて朝練習した。「親に頼んでもどうしても作ってくれなかった」「寝坊して作る時間がなかった」「おかずがなかった」。面白い答えは浮かばなかったが、取材もされなかった。
by kienlen | 2009-01-21 13:26 | 家族と子供の話題 | Comments(2)

中島らも『僕に踏まれた町と僕が踏んだ町』ほか

友達と喫茶店でコーヒーを飲んでいる時に「読んだから」と渡された本の1冊。もう1冊はミラン・クンデラ。どっちも私とその友達が共通して好きな作家で、だから頼みもしないのに貸してくれたんだろうと思う。クンデラの方は酔ったら分らないだろう、中島らもだったら酔っている時にぴったりだろうと思ってこっちから読んだ。朝日新聞の関係のに連載したものだそうだ。私が中島らもを知ったのも昔の朝日新聞の人生相談だった。なんて面白いんだろうと思った。このエッセイ集は、灘高時代を中心に青春の頃を書いたもの。エッセイに対して特に感想はないから以上。

とっても面白くてズシンときたのは、しばらく前に読んだヤン・ソギルの『血と骨』だった。これを読んだ後は他が物足りない、と友達に話してしばらくしたらその友達が「夫が好きだから」と20冊くらいも同じ著者の本を貸してくれた。これで1年くらいもちそうだと思って読み始めたけど、同じ著者でも全部がズシンというわけじゃないから、重いのばっかり2冊読んだ後はどうも物足りなく感じてしまう。映画は「禅」を一昨日に見た。道元の生涯を描いたもの。邦画はあんまり見ない+たまに見るとがっくり、だが、これは結構好きだった。ここんところ周囲の話題はゲバラである。これは私も当然見る。今日の出来事を書くのは明日にまわして就寝。
by kienlen | 2009-01-18 22:09 | 読み物類 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


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