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子供が育つと違う問題が見えてくる

今年最後の日なんだと言い聞かせないと信じられない気分。それらしきことを何もしてない。気晴らしに息子の田舎帰りに付き合って車を出すことにする。その前に書店に寄りたいというのに付き合って数冊買わされる。本は制限なしとしているが彼の場合、年に1度か2度しか買わないのである。いきなり選んだ本が潮○人という方ので、ギョッとした。あんまり書店を利用しない無知な青少年の目に付きやすい場所に置いておく作戦か。ここに印税が入るのはシャクであるとも思ったが、せっかくの読書欲をくじいてはいけないと思って「単純な言説を鵜呑みにしてはいけない」と言い添えて購入。「まえがき読んだらどっち側の人か分かるよ」と言うが、アナタはそんなに簡単にどっち側か決められるのか、ああ、確かに分りやすさを前面に出せば分かるか。それにしてもガザへの新たな攻撃は始まるし、不安要素いっぱいの年の瀬である。グローバル化の中で自分の軸足をどこに置くかがキミたちの課題になることは間違いないぞと車の中で説くしかできない親である。

結局仕事は来年に持ち越すことになった。でもあとちょっとだ。いくらなんでも散らかっているので返却できるモノは風呂敷に包んだ。一段落したら掃除したい。今の些細な希望はそれだけだ。今夜は行き場のない大人達が夫の店に数人は来るらしい。ウチもそろそろ過渡期に至っているように思う。国際結婚についてのmixiのページをこのところつい読みふけっているのだが、そこは外国人と結婚して外国に住んでいる日本人のホームシックの苦しさで大変な盛り上がりをみせている。帰りたいとは思うけど家族がいるし、帰っても適応できるか、仕事はあるか、どんどん自分の居場所はなくなっていく。よく分かる感覚だ。ウチの場合はそれを今味わっているのが夫である。私も変種的な意味では味わったからよく分かるが、だから今は他人事といえる立場にないのが辛いところ。昨夜、20年くらいも在日していた親しかったタイ人が帰国したという連絡があったそうだ。どこに住むか、一緒にいるのかどうかという問題は、子供が成長するにつれて深刻化する。歳とったからって疲れてられないなあ。
by kienlen | 2008-12-31 17:12 | 家族と子供の話題 | Comments(0)

米原万里対談集『言葉を育てる』

仕事が終わらない。いつもならしている模様替えどころか掃除もできない。本も読めない。何を取るかで本をとった。一晩に1冊ずつで最初に読んだのが『言葉を育てる』という米原万里の対談集だった。面白くて眠れなくなった。この人が亡くなってしまったのは日本にとっての損失だろうなと思う。本当に残念だ。今の社会情勢にどういう発言をするのか、知りたかった。誰か影武者となって書いてくれないだろうか。亡き人であるからあちこちの雑誌やネットなどの対談をまとめた本である。小森陽一から始まって糸井重里まで。どれも面白いが、通訳同士の対談ということでイタリア語の田丸公美子さんとのは特に面白く読んだ。最近経験したことを思い出した。この間、タイ人の小学生のお母さん=タイ人と学校の先生の面談のお手伝いをした。簡単な通訳ということ。通知票を渡しながら「これは通知票です」と先生。続けて「評価…」と言いかけて「評価って分かりますか」と私に向かって尋ねる。こういう場面って結構あるのだ。全文言う前に単語だけを取り出して「分りますか?」と確認するシーン。

よっぽど私が頼りないってことなんだろうが、それはともかくとしてこの場合はもちろん「成績を評価する」という意味だろうという想像はできるのだが、ちゃんと通訳しろっていう場面であれば、勝手な想像はまずいなって思うから確認しなければならない。でもこのような場合はちゃんとフツウに文章にしていただければ問題ないのだが、どうも、ふたつの単語の間がストレートに機械のようにつながるから単語をポツンと言うだけで伝わると思っている人は意外に多いように感じることが多い。「評価」なんて抽象的な言葉はどういう文脈か分らないと訳せない、私は。私が通訳を介して伝えるとすれば「この学校では通知票は◎、○、△の三段階に分けて記入します。◎は…で○は…で△は…です。ではご覧下さいね。国語の…は…」であるな。で、結局私はこういう風に訳してしまうのである。先生は「記入します」の部分を「評価」って言うんだろうが。あと、すごくゆっくり話すどころか、ほとんど絶句したり、外国人に分かりやすいようにいうつもりなのか助詞を抜いて話す人もいる。絶句されたらこっちも絶句しちゃうし、助詞がないと間違う可能性あり。私なんかこういう機会があると、これは自分の力不足かと思ったりするのだが、やはりこういうエッセイを読むと意味を掴むは当たり前のことなのだった。読まなくたって当たり前か。いずれにしろ言葉を洗いなおすのは面白いけど、それには外国語と接するのが一番分りやすいと思う。
by kienlen | 2008-12-30 18:43 | 読み物類 | Comments(0)

レッド・クリフ

昨日1日集中していたからそのまま今日も快調、なら言うことないが、なかなかそうもいかない。目の前のことよりも来年やりたいことに気持ちが飛んでいる。危ない、逃避だ。で、そっちがどんどん具体化しているありさま。こういう時は気分転換しなくちゃなという気がするが時間がない。だからこの間の気分転換を思い出すことにしようと思った。それが映画「レッド・クリフ」だった。中国に行ったことがないという壁に突き当たって、どうしようかなと思っている時に友達が「レッド・クリフは面白い映画だったなあ」と言った。この人は映画を観まくっているが、好みの点でそんなに合うわけではなくて、勧められて行って私には全然ダメだったこともある。しかし今回は中国なら何でもいいし、これもご縁だと思った。三国志は多分ちゃんと読んでないし、でも何で諸葛孔明なんて名前は知っているんだろう、教科書にあったんだろうか。映画はそういう無知な観客に見てもらわないといけないから、親切に最初にちょっとした図解をしてくれる。漢の時代の末期にあちこちで反乱が起きて、中でも勢力を拡張する曹操が皇帝を脅してお墨付きをもらってまずは劉備を攻める作戦に出る。

戦いのシーンが苦手な者にとっては飽きる場面もあって、特に最初の方は、これで3時間近くは辛いと感じたりしたが、何しろ役者がカッコ良くてそれだけで許せるって感じになってきた。特に金城武は素晴らしい。私はこの映画まで彼については名前しか知らなくて、芸能人はあんまり知らないし興味も希薄なので、友達が「金城武が理想の人」だとか言っても、特に興味もなかったが、なるほど魅力的な方だった。それに権力欲×人民のためという大儀名分、自分のため×人民のため、とか、リーダーとはかくあるべき、みたいな展開が泣かせる。さすが中国だ、日本のリーダーにも見せたい、なんて気分にさせてくれる宣伝映画みたいだった。中国の映画って、どれを見ても、というほど見てないが、宣伝になっているという点では共通点があるように思う。娯楽映画をあまり見ないから、たまにはいいなと思った。かといってこの映画を思い出したからといって気分転換にはならない。つまり差し迫っている課題の解決には遠い。
by kienlen | 2008-12-28 12:49 | 映画類 | Comments(0)

ダメな時は悪あがきしないで遊ぶ

ささやかな日常を送っている中にも、ツイてると感じる日もあれば逆もある。用事と用事の間に時間があいて、家に帰るには半端だしどっかでお茶でも、と思っているジャストその時に「ねえ、お茶飲まない」という誘いの電話がかかってきたり、結構詰まっている日のちょっとした空き時間にストンと別の用事が収まったりは私的には前者。で、昨日はもう典型的な後者だった。朝9時に約束があったので外出モードになりながらパソコンを立ち上げたところ、前日に入力した文書をどうしても呼び出せない。そいつは一太郎で打ったものだ。ワードが壊れて以来、一太郎を使っていて、こっちの方が使い勝手がよろしいのでそのままになっている。パソコンの調子は快調というほどでもないから、内部にも外部にも保存していたから最初はそうあせらなかった。しかしどうやってもダメなのである。友達に電話で泣きつくが外出の時間になってしまった。外は雪である。歩こうと思っていたがパソコンのトラブルで時間が経過したから車にする。荷物を放り込んで出発。でも嫌な予感は的中して、いきなり渋滞である。本日の用事は絶対に遅刻できない。

迷う。距離的には遠くないから、渋滞がひどく感じられても走り出せば案外早く到着するものである。しかし雪道で事故車などが出たらどうしようもない。救急車が走ったりしている。別の道を行くか、戻って車を置いて走るか自転車か。予定を変更するなら決断は早くしないとならない。道を変更しようと思ったら、そっちの方向からどんどん車が来ている。これはあっちの渋滞がひどいという証左だろう。家に戻って車を置いて、サドルにたまった雪をササっと払って自転車にした。徒歩は絶望的だから。しかし滑って転んで怪我したらもっと絶望的。でも時間がない。結局なんとか間に合った。が、先方でいつになく待たされる。ここらへんで今日はツイてない日と決め込むことにする。文書はいろいろ試みたがダメだった。この方面の専門家の夫の兄にいつものように助けを求めると、タイに発つ直前の成田空港にいて「それはソフトウエアの故障ですね、7日に戻るから間に合うなら見る」。問題外だ。1度書いたものだから思い出す、というのはそういう頭脳をもった方であって、私は記憶力悪い。機械なんて大嫌いだ、でも手書きなんてもっと嫌いだからしょうがない。言葉も出ないほど落ち込んでいたら友人から「落ち込んでいる、お茶付き合ってくれないか」という電話があった。こっちもちょうどいいから付き合う。ついでに「忘年会しちゃおう。美味しいもん食べて飲もう」とまで悪ノリになってしまって仕事は完全に諦めて深夜まで。悩むより転換で、そこまでしちゃったせいか後がないから今日はマジメになっている。友達には助けられている。
by kienlen | 2008-12-27 12:26 | 仕事関係 | Comments(0)

ここまでくる前にどうして…

昨夜は、というか昨夜も、というか、友達と外で飲んだ。年齢性別は同じようなものだが、その他は全然違う。定職はないが扶養家族はいる、一般的基準では底辺付近に生息する当方と、誰でも知ってる、入りたくてもめったに入れない有名優良企業勤務のおひとりさまの友人。共通する話題というのはまずない。子どもだとか夫婦関係だとか学校だとかの話しはできない。ああ、もっとも私も、いるというだけで話題にできるほど詳しくないから似たようなものであるが。仕事の話しも境遇違いすぎ。共通するのはお酒である。そもそも、声がかかると9時半なんて時間にノコノコ出かけて付き合う同性同年代は少ないだろう。フランスの無濾過ワインというのが美味しそうだったので注文して栓抜きを手伝いながら「酒飲まなかったら人生絶対違うよね」という話しになる。「そうそう、毎日飲む時間に読書したり勉強していたらどういう人間になったか」「そうそう、すごい人間になったかも」「夕方になると、飲み始めの時間をいかに遅くするかで頭がいっぱいになって仕事もうつろになるもんね」「そうそう、飲めばもう本も読めない、仕事もできない」「そうそう、それを毎日毎日物心ついた時からでしょ」という具合である。

それをワイン飲みながら話しているんじゃあどうしようもない。「でも私この間4日間飲まなかった」と言ったら友人は、そんなことができるのかと心底驚いていたようだが、驚くべきはたった4日間で騒ぐことに対してにして欲しい。大いなるズレである。そしてもうひとつ、もっとマシな人間になったかもしれないで共通したのはスエーデンの教科書で育ったら、という仮定で盛り上がった時だった。この間、私は知人が売っていた本を1冊買った。中堅自治体の財政状況を市民が分析したもので分りやすくできている。この友人はその本作りのお手伝いをしていた。私も、民主主義の体制にあった人間を作るのが教育の目標であるみたいな話しを聞いてスエーデンの教科書のコピーを見た時は、地盤があまりに違うと感動して涙が出たが、友人も、学校教育で行政の財務を読める力をつけるというスエーデン方式に触発されてこういう市民の白書を思いついたという。あれで育っていたら私らマシになっていたよね、学校教育がいけないんだ、なんて飲兵衛になった責任まで押し付けちゃいけないが、きちんと検証できる知識を持たないままに有権者になり納税者になるって、やっぱ腑に落ちないものがある。こういう知識はアルコールを覚える以前につけてしかるべきではないだろうか。結局こういう国民で誰が楽かってことだ、つまりは。さすがにここまでくると、飲んでる場合じゃないんだが。
by kienlen | 2008-12-23 13:30 | 社会的話題 | Comments(0)

本気で追い込み態勢

タイ行きを決めておいて、その後「ドバイの弟が帰宅できなくなったから」と撤回していた夫が突然「やっぱり行く」と言って、しかもチケットはもう買ったという。となると、私は絶対に正月早々には仕事を終えていないとならない。ということは今しかない。ということで、今日は仕事をしていた。幸い、一時期どうも食欲がなくて、このままダメかと思ったのが盛り返して今日は朝から空腹感があって食事だけでは足りずにポークジャーキーを口にくわえていたところに玄関のチャイムがなり、こちらがドアを開けるのを待たずに客人が勝手にドアを開けた。ウチは生活スペースと外の間の緩衝地帯ともいうべき玄関の相当する空間がないからポークジャーキーをくわえているところも何もかも丸見えだ。その人は小さな建築会社の社長である。カレンダーを渡される。どーぞ、と上がってもらったものの、部屋の状況は惨憺たるもの。一応事務所だからいつ人が来てもいいようにしている、と言いたいところだが、今はそれどころじゃなくて散らかり放題である。それでも「コーヒーでも飲みますか?」と聞いたら「いいよ、飯食いにいくから、アンタも行く?」と言う。食べたばかりだったがまだ入るから付き合うことにした。

付近のうどん屋へ。建築会社は倒産が多いし、私の友達でもつぶした人がいるが、この社長は愚痴愚痴言うよりも新しいアイデアを次々と出してくるから話していても楽しい。「今日、地鎮祭だったんだよ」と言うから「それはおめでたいじゃないですか」と言うと「でもさあ、次があるかなってすぐ考えるんだよな」「そりゃあ社長だもん、一生その心配でしょ、アタシだって社長じゃないけど同じですよ、ウチなんかみんなそうですよ」と、まあ、共感できるものはあるのである。私は今はちょっと取り込んで部屋もあんな状況で失礼しましたが、来年は暇ですからねえ、毎日掃除してきれいにするかもー、などと言いふらす。こう言っておくと仕事をくれるかも。うどん屋では「小盛りを」と頼むと「はい」と受けてくれるから「機転のきかない所が多くて、何か注文つけると対応できない店もあるのにいいですよね、小盛りもできるのは」「だからって値段が変わるかどうか知らねえがな」などと話す。マニュアル通りの電話なんかが続いた後だと生きたコミュニケーションにほっとする。足下を見ることである、特にこんな時代は、と思った。
by kienlen | 2008-12-21 19:05 | 仕事関係 | Comments(2)

コミュニケーション力を鍛える研修をお願いします

家にいると、日によっては電話が多い。本日もそういう日に当たってしまったようだ。固定電話が鳴ったので日本人らしく「もしもし」と出ると、こちらの反応とは次元の違う世界からのように「こちらは…」と始まったので、ああ自動音声によるアンケートか、さしずめ麻生政権への賛否を問うものであろうか、と思って聞いていたらカード会社で、なんだ営業電話も自動音声になっているのかと思ったところで、自動じゃないことが分かった。カード会社が傷害保険を勧誘しているわけである、らしい。一方的にしゃべっているから「もしもし」と挟んでみると一瞬中断という反応をする。が、その後はまた擬似自動音声。それで「あの、すみません、こちらがもしもしって言っているんですから、それに対していったん反応してから用件を伝えて下さらないと機械と話しているみたいなんですが、そういう口調で話すように研修受けているんですか」と聞いてみたら「そういうわけではありません。そうでしたら失礼しました」とガチャンと切れた。で、その音声も擬似自動風。もうなあ、人間が機械を真似る時代なんである。ああ、恐ろしい。

しばらくしてまた固定電話が鳴った。これはよくあるタイプで学習塾の勧誘。塾の紹介をあんまり品のない声でするから「それはそれはごくろうさまです」と言ったら「すでに塾には通ってらっしゃいましたか」と尋ねる。「通ってらっしゃいましたかって、つまり過去のことをお聞きになっているんですか」と尋ねたら「いえ、現在通ってらっしゃいますか」と聞き直す。「あの、塾の勧誘なんだから正しい文法でお話しいただけませんか」と言ったらとたんにガチャンと切れていた。遠まわし表現が丁寧であるという考えもあるわけだから、意識的にそういう言葉を使っているなら説明すればいいのであるのに、ガチャンとはひどいもんである。こっちも気分が悪いがあっちだってヘンなおばさんだと気分を害していることだろう。そういう嫌な気分が社会の底辺に流れると殺伐とする。私はそんな社会を好ましいと思っているわけじゃないけど、でも一体こういう電話にどう対処すればいいのだろう。コミュニケーションのない社会が最悪だと思っているので、その点でこういう対応を自分なりには好意的にしているつもりなのに、この始末だ。それでこういう電話で効果があるんだろうか、仕事のやりがいはあるんだろうか。分らない、怖い。
by kienlen | 2008-12-18 15:09 | 社会的話題 | Comments(0)

ラオス・ビジネスセミナー

ライスビジネスセミナーというイベントがあって、駐日ラオス大使も話すというから行ってみることにした。朝一番から仕事で朝二番も仕事でずっと人と会いっぱなしだったので疲労感があったが参加。ラオス語が母語で最近、弟の妻がラオス人だからラオスでビジネスをするのがいい、などと言っている夫も誘うと珍しく行くということで珍しくお揃い。こういうセミナーって、通訳が入って逐次訳すと時間がかかるから、段落ごとに原稿を読むというスタイルがあるが、それだと形式的でつまらんな、と思っていたら逐次訳していて、時間はかかったが誠実なのが良かった。大使のテーマは「ラオスの外資受け入れ方針」。ラオス語はタイ語と似ているから聞いていても面白い。夫は珍しく母語を聞いて喜んでいて、質問するのだと最後まで待っていたのに質問の時間がなくて残念だった。大使に続いて、日本ラオス協会参与という方が演題に立った。タイトルは「ラオス並びにインドシナ地域でのビジネス展開」というもの。

ずっと現場にいた方なのでニュートラルに網羅していていい話しだった。汚職についてもきちんと説明する必要があるということで、汚職事情が入っていたのもなかなか。タイがリーダーになるかってところで今回の政治の混乱である。もちろんテーマからしてそれに触れないわけにはいかない。夫は「タイはいろいろ恵まれているのに人だけがダメだ、残念だ」を繰り返している。メモっておきたいことはあるのだが、体調すぐれず。食欲ないしアルコールも受け付けない。明日は本気で在宅仕事しないとならないので早く寝ることにする。夜は友達が忘年会を夫の店でやるというので顔を出したが、濃厚な日だったり不調だったりで疲れて早々に失礼した。
by kienlen | 2008-12-17 22:03 | タイ人・外国人 | Comments(0)

びっくりした機内のサービス

この間のインド旅行の時の航空会社はJALだった。JALを利用するのは初めてだった。2年前にタイに行った時はタイ航空で、終始ものすごい揺れで吐気がするくらいだったのに何の説明もなく、バンコク-成田間なんて、週末よく利用してます、くらいの常連さんが多そうな機内で「こんなの初めて」という声が何度も上がるくらいだった。食事も喉を通らない。単純に物理的に、揺れて食べられない。ところが今回のJALはいちいち「気流の関係で揺れます」とアナウンスするからどの程度かと思うと、揺れって呼ぶかなっていう程度だった。しかしこういう時の説明は安心感をもたらしてくれる効果はある。という面もあったが、びっくりしたのはフライトアテンダントが全員女性だったことだった。これも初めての経験だと思う。

飛行機は嫌いだし観光旅行もしないので、そんなに利用しているわけではないが、乗らないわけにいかない、という利用だけでも何度かはある。ミャンマーとかラオスのがどうだったか覚えてないが、国際線のジャンボ機で男性を1人も見かけないってすごく違和感だった。荷物を持ち上げてもらうのにも、何か頼むのにも、男性の方が頼みやすいのは、タイにいたせいだろうか。食事の取り分けもたいてい男性がするし、サービス精神が旺盛なのは男性という思い込みが自分にある。まあ、自分を基準にするとこうなるか…。タイ航空だとかシンガポール航空だとかはその点が楽しみだし、こっちはこっちで安心感を得られる。男性がいないのは不思議だな、何か特別な事情があったのかと思っていて、この間書店で航空会社についての新書を立ち読みしていたら、あった。JALでは男性アテンダントの導入がされていないそうだ。友達にこのびっくり感を伝えたら「サービスは女性がするものって発想があるんじゃないの」と事もなげだったが、なるほど。JALの子会社はタイ人の女性アテンダントをたくさん採用しているけど、タイ人男性も採用したらいいのになあ。そしたら楽しみが増えることは確実。
by kienlen | 2008-12-16 08:58 | 男と女 | Comments(0)

これも面白かった『仏教ではこう考える』

先日久々に書店に行ったら嬉しくて1万5千円ほどあった手持ち金は全部本に化けた。高額な専門書がないから冊数はいったが、すぐ読めるのが多いと、読む方の冊数もいくからどっちがお得か、なんて判断で買っているわけじゃないからいいんだけど。この本はその中からの2冊目。最初のは完全に仕事のためだが、こちらは半分以上は趣味。学研新書で釈徹宗著。とってもとっても面白かった、私の好みの筆致だった。京都新聞に連載していたものだそうで、読者からの質問に仏教ならこう考える、という発想でお坊さんが答えるというスタイル。問答形式というのはユーモアがあって笑えないと私は苦手だが、これはその点がいいし、それに宗教思想が専門の学者さんが住職としてフィールドワークしているみたいなものだから、現場にも理論にも強いということになる。しかもキリスト教ではこう考える、神道だとどう、イスラムだとどう、みたいに比較してくれるので実に分りやすい。大きな活字で読みではないが、情報量的には満足できる。こういうのが新書の良さではないかと思ったりする。

こういう本を読むと仏教っていいなあと思う。何しろ、常識を疑え、である。べき、で考えなくていいのである。これを読んでいてちゃんと仏教徒になろうかと思ったが、この方は浄土真宗で、その前に読んで仏教徒になろうかと思ったのは浄土宗。次に別の宗派を読んで、また良かったらどうしたらいいのだろうか。仏教の入門書としてはとってもいいんじゃないだろうか。前半は新聞紙上問答を再現しているが後半は、住職というフィールドワークから得られた情報を元にして仏教的に考察するというもの。仏教だ、神道だ、慣習だ、地域性だとぐちゃぐちゃ絡まった糸をほぐしてから解説してくれるので、表現的には子どもが対象かと思うほどの易しさだが、少なくともいい大人の私には満足の面白さだった。
by kienlen | 2008-12-15 19:38 | 読み物類 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


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