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コンビニでも販売の『「婚活」時代』

今日の午後、友人の引っ越しを手伝うために出て、その友人がコンビニに入った。私もついて入った。買いたいモノはないから雑誌売り場にフラフラ。そこで専用のラックに入ったこの本を見つけた。婚活という言葉をよく聞くようになったから読んでみようかな、でもそれは興味というよりは義務感みたいなものからだから買うまでの気にはならない。一応値段を見たら新書で行間広くて太字もあって1050円。迷うのはやめる。ドリンク売り場にいた友人にこの発見を報告したら「読みたい?」と言ってカゴに入れてくれた、というだけが正確ではないが、まあ買ったのは自分じゃなくて友人で、最初に読んだのは自分。著者は時代を掴んだ新語でいつも話題な山田昌弘先生と、少子化ジャーナリストという肩書きの白河桃子さん。学者の分析とジャーナリストの取材力が活かせるように交代で一章ごとに書いて最後に対談という形式。就職活動、つまり就活があるんだから、結婚活動、つまり婚活も必要であるという主張である。

こういう本を読むと自分の歳を感じる。だいたいこういう本を読もうという気になるのだって、もう時代が分からないからちょっと垣間見た気分になりたいからであって、それってもう全く時代が分からないお方が「今の子って○○なんだってね」とか単純に、自分には身についてない流行語を使ってみるのと同じかなあ。ヤダナ。山田先生のはいつも挫折しているが、これは一応最後まで読んだ。多分重要な指摘なのである。だって自分の周囲をみても結婚してない男女がひじょうに多いし、結婚したくないと思っているわけでもないし、なんだか36歳になってしまった、40歳になってしまった、50歳過ぎてしまった、みたいな感じだから、本で言っていることは分からないではないが、でも、なぜか苦手なのである。そもそもこの2人が誌上で出会って「婚活」という言葉が生まれたのはAERAだそうだけど、この雑誌が苦手な感じとよく似ている。本にする場合に焦点絞って問題点を明らかにするために単純化、なんて言っちゃいけないな、普遍化は必要なんだろうけど、それが行き過ぎているような気がしてならない。表現方法もかなり苦手。所有者に惜しげなく返却できる。
by kienlen | 2008-07-31 20:26 | 読み物類 | Comments(0)

ちょっとした思い付きで嬉しくなった

f0104169_11152933.jpg異様な蒸し暑さが去って、今日は空気が軽くて空が高い。空気が重たいと横になりたくなる。それでこのところつい横になる時間が多かった。おかげで本は読めるが他ができない。座って仕事するのも億劫なんだから立ってする料理はもっと億劫。このまま横になったまま何年も過ぎ行くのだろうか、まあそれも環境への負荷低いからいいかも、でも…というどん底の気分になっていたが、昨日父が採りたてのピーマンと茄子とジャガイモを持って来てくれたし、今日はおやきを作ることにした。この間、友達から作り方を教えてくれと言われたが、そんな大げさなものは知らないから「中力粉を水で適度な堅さにしてちょっと寝かせて、丸茄子を輪切りにして切れ目を入れて味噌はさんで粉で包んで蒸すだけ」としか言いようがなかった。

中国語の本を読んでいる時に中国料理の普遍性の例として、中華鍋に茶碗を伏せてその上に素材を載せて水をはったら蒸し器になる、というのがあって、さらに蒸した湯はスープにするとあって、私のように手の込んだ料理なんてできない者にとっても蒸し器には無駄を感じていて、でもそのままにしていたが、今日はおやきを重ねる方法を考えた。よくあるのはおやきを包む方法だが、そうじゃない方法ないかな、そうだ、シソの葉を一段目に敷いて重ねよう→シソの葉がない→ミョウガの葉はどうだ→外に取りに行くの面倒→そうだ、キャベツの葉があった。というわけで一段目に4個、キャベツの葉を敷いて2個、さらにキャベツの葉を敷いて2個と3段重ねにした。個数を減らす必要は全くないけど、蒸し始めて思いついたので作るのが間に合わなかった。トクした気分だ。エネルギーの節約にもなった気分だ。そこでパソコンたたいてエネルギー使うとどうかは別にして、食べよ。
by kienlen | 2008-07-30 11:35 | その他雑感 | Comments(2)

『中国語はおもしろい』

実践的上達法から複眼思考の身に付け方まで-中国語を知るとこんなに世界が広がります。以上が帯の釣り文句で著者は中国語のエッセイストの新井一二三さんという方。日本語の本を書いたのは久々だそうだ。全体的にとっても面白かったけど、老後に語学の勉強はキリがなくて楽しくて長生きしたくなる大きなモチベーションになると思って準備している自分のような者には元気すぎる本で、つまり若い人が読んだ方がもっと楽しめると思う。とまあ、ここでモチベーションなんて、他人が使っていると、何それ、動機って言いなさい、って言いたくなるようなカタカナ言葉を使ってみたのは、中国語のように漢字の国だとカタカナでごまかせないから考えて意味を理解してふさわしい漢字を充てるのに日本はその努力を放棄することで言葉に対する能力も落ちているんじゃないか…と、粉飾するとそのようなくだりがあって、それは前に読んだ米原万里さんの本にも、中国語の通訳の人に関するところで出てきたのと似ていたのに敬意を表して。私もちょっとだけ中国語を勉強した時に「電脳」がコンピュータは心底感心した。でもこの漢字の前は電子計算機で、それをブラッシュアップ、じゃない、磨き上げてこうなったそうだ。

帯にもあるように確かに複眼的な本になっている。中国、カナダ、香港で留学したり仕事したりという著者の経歴を見ると当然だろうけど、なるほどと思ったのは、個人が孤独で投げ出される社会主義を経験したことで、個の自立がなされて西洋的な思考を取り入れやすかったのではないかというところや、中国人ネットワークの機能の具体的な説明とか、取材者の目と経験と知識があるので説得力ある。本の目的が英語は必要、でももうひとつ中国語を身につけることで世界が広がって複眼思考になるし、そもそも日本人にとって中国語というのは源みたいなものだし、何しろ語学ができたら食いっぱぐれない、というメッセージで、それは全く同感だが、私なんか、自分は遅いとしても、こういう話しができる子がいたら、そりゃあこれ読ませたいですわよ、とひがみっぽくなってしまう。今回の本は目的に沿ってポジティブな面ばかりが強調されているので、もうちょっとネガティブな面も入れたのを読みたいと思った。
by kienlen | 2008-07-29 11:26 | 読み物類 | Comments(0)

夏でも食欲ある人たち

友人とランチを食べに行って支払いの段になって財布が空っぽだったことに気付いた。このところ飲み会続きでそれでこうなった。補充するのが面倒でそのままになっていた。ランチ代を友人に借りて、午後は昨日に続いてひじょうにスローなペースで在宅仕事をして、飽きると読書して眠くなると寝て。娘はキャンプの予定で準備して出かけたのに「雷で中止になった」と帰宅。息子は昼近くになって慌てた様子で制服で出て行こうとするから「まだ学校あるの」と聞いたら終業式だそうで、もう遅刻というか、その様子だと終わる頃じゃないだろうか。でも学校の格好でどっかに出て行った。夕方になっても戻らない。夕食に帰らないんだったら作ってもしょうがないな、娘は予定外に在宅だが、おやつにそばを茹でてたくさん食べていたからうまくすると夕食はなしでもいけるかも、夕方になってやっと仕事する気になったんだし続けたい、と思っているところに息子が帰宅した。

「夕食食べるの」と聞くと「食べる」と言う。「外で食べたい感じなんだけど」と言うと「そういう気分」と調子に乗って言う。「現金ないから、アナタある?」と聞くと「ない」。例によって役に立たない。それで娘に聞いてみたら「5000円あるよ」と言う。すごい、足りる。いつも頼りになるのは彼女の方だ。それで外食にした。息子は焼肉定食大盛り。大盛りって何かと思ったら山盛りのご飯が2杯である。娘は「天ぷら丼」。学生やサラリーマンに、量が多いからって人気の店だ。息子の定食の量を見て目をそむけていたら「食べ盛りなんだよ、ママは飲み盛りでしょ」と言う。ビール1杯でそこまで言うな。一番安いラーメンを私は頼んだ。2人が分けてくれと言うから分ける。「そんなに食べたら丼もの食べきれないよ、ママは手伝えないから」と娘に言うと「大丈夫、大丈夫」と息子。確かに娘のを分けてもらってまだ食べている。呆れていたら「だってその分消費しているもん」「でも頭には行ってないよね、栄養」と言うと「3割くらいは行っている」とか。遅刻はダメ、ルールは守れとまた言わざるを得ない。ついでに「来年は1か月ほどタイに滞在したい」と言ってみたら「いいよお」と言われた。そろそろ現実味を帯びきた。
by kienlen | 2008-07-28 22:00 | 家族と子供の話題 | Comments(0)

『天使がくれた戦う心-チャイ-』

著者の会津泰成さんが夫の店に来て、その時にいただいた本。ขอบคุณคะ(ありがとう)ひょんなご縁で来店ということだったので私も加わりたかったが、その日に遠方での仕事があってどうしてもダメで残念だった。後日、店でこの本を見つけて夫に聞いたらいただきものだった。第10回ナンバー・スポーツノンフィクション新人賞受賞作品。私がバンコクに住んでいた時に、格闘技が大好きでいろいろやってきてムエタイの修行でバンコクに来ていた日本人女性と知り合った。パタヤだったかな、観光客向けのショーみたいな試合を見たこともあるのだが、なんだか何も覚えていない。タイといえばムエタイというくらい有名なのに、私は1度もスタジアムで観戦したことがないという薄関心層に属する。試合のある日はみんながテレビにかじりつくので交通渋滞が解消されたり、チャンピオンが日本人女性と結婚したりとかの話題は多々あって、それくらいは一応知っているという程度。

で、この本はそのムエタイの元チャンピオンと、高校に行かずボクシングジムに自分の居場所を見出したいと思いつつもなかなかうまくいかない自分探しの日本人の若者との交流と、取り巻く人々、タイと日本のムエタイに対する姿勢の根本的な違いなどを描いたもの。ムエタイというのは、タイの貧しい農村の子が、その境遇を一転できるかもしれない唯一ともいえるチャンスであり、小さい時から壮絶な修行をしているということは聞いている。よって、ここに出てくるタイ人をリアルに感じることができる。こういうテーマは本の方が私にはいい。少しくらいタイらしいことを知ろうかと思ってDVDでムエタイの映画を見たことがあったけどあまりの暴力シーンに途中で挫折したこともあって。それとアンダーグラウンドの部分は描いてなくて終始安心して読めた。ここまで格闘技に無知な自分が読むのは申し訳ない感じ。店に置いて好きな人に読んでもらいたいと思う。
by kienlen | 2008-07-27 20:40 | 読み物類 | Comments(0)

飲み屋の主人のウンチクと普遍性

どこで飲食するかはいつも迷う。その日は少し遠くから来る友人と夜に約束してあった。その人が約束の時間より遅れると連絡があって私はひどく空腹だったので、何度か行っているうちに知り合いになった上海出身の女性がやっている店に先に行ったら満席だった。どうしようと思っているところに遅れていた連れから連絡。どこにするかで迷った末、連れがよく行くという小さな和食の店のカウンターに座る。まずはビール。主人が本日のお勧めを説明する。どれもこれも産地名を挙げて、いかにも今の時期の特別であって、この魚は藻を飲んでいてそれが旨いんだとかナントカいろいろ。日本酒のウンチクになったらもっともっと。この料理にはこの酒が合うというのも決めてくれる。私は、そういう人をとやかく言う気は毛頭ないし、自分のようなモノを知らない人間からするとモノ知りに一応の敬意は感じるけど、飲み屋の主人が、頼んでもいない客に対してあんまり言うのはうっとうしく感じてしまう。「アタシはそこまで味分からない」と言ってみるが、そんな異端は許さない雰囲気。そして「酔うために酒を飲むのはよくない」だの「蒸留酒は悪くて日本酒はいい」だの「酒を飲む時はただ飲むんじゃなくて作った人に想いを馳せる心がなくてはいけない」だの、当方はちくちく抵抗したつもりなのにエスカレートするばかりだ。

どれもこれも高級品ばかりなのはもちろん。飲む相手によって「今日はカネかかるな」と覚悟する時はあってこの日もそうだったが、それにしても説教されて大金を払うのはゴメンだ。私は毎日飲むからその日が特別な酒の日ではないし、自分の適量以上には飲まない。何もかも充分だったし、自家栽培きゅうりを出してきて「こうした方が旨い」と手で折って味噌と出された時には、もう充分だと思った。それが旨いことは子供の時から知っているから、今さらここで教えてもらわなくていい。気分が悪くなって先に失礼することにした。結局友人も帰ることになったのだが、それから考え込んでしまった。料理はどれも素材の味を生かすものだからごくシンプルだ。タイ料理に付き物のタレなんかあり得ない。もちろん私にも分かる美味しさではあった。でも、料理の腕を自慢するんじゃなくて、素材の自慢と酒の自慢であそこまで語るのは面白いなって。それがまだ頭にある今日『中国語はおもしろい』という本を読み始めたらなるほどと思うくだりがあった。良し悪しではなくて中国は文明で日本は文化というくだり。つまり普遍か否か。材料にこだわる日本食は入手できない所での再現はムリだが、中国料理はどこでも美味しい、と。おお実感。
by kienlen | 2008-07-27 17:24 | その他雑感 | Comments(0)

映像とお話し同時進行の講演会

学校が夏休みに入ったので教育委員会から委嘱されている半端な雑事はひと月休みになる。よって収入もない。現代版物々交換みたいな生活。雑用がない間にやっておかねばならないことがあるから、この暇を利用しないといけない、の第一弾で昨日は在宅仕事にあてた。はかどらなかったけど一応最低限まではやる。行きたいと思っていた夕方の講演会に行けそうと喜んだ時に雷が鳴って徒歩で行くのは怖くなって諦めようかと思ったがギリギリになって晴れた。年間通じた定期的な講演会の共通テーマは「世界史でひもとく現代」。毎回面白いのでなるべく行くようにしている。昨日のは「革命の功罪と現代中国」というもので、東大の並木先生という方が講師だった。用意していたビジュアル素材を外付けハードディスクに入れて持参し忘れたということで、なんと、パソコン本体に入っていたという文化大革命の経験をインタビューしたテレビ番組をスクリーンに流しながら、講師は講師で映像とは直接関係ない講演をするという斬新なスタイル。

インタビューは字幕でひじょうに興味深いもので引き込まれる。でも、講演も聴きたい。どうしたらいいんだ、という多大な情報処理能力が必要とされる講演会だった。こんなだから理解も散漫にならざるをえなかった。スクリーンの映像と字幕があるからメモも不可能。それでも隣の人はメモったり写真を撮ったりまでしていたから、情報処理能力の違いだろうか。日本のような万系一世の考え方で中国の世継ぎは行われるのではなくて、王朝時代からリーダーは血筋ではなくて実力で決まるから始まって、外国からきた制度やイデオロギーの中国式の取り入れ方の独自性、共産主義の中国化、資本主義の中国化など、とっても面白かった。共通テーマからすると、ある国に起こっていることを世界史の中に位置づけようということだと思うが、それがひじょうに面白い。昨日のもロシア革命の影響だけでなくて、日本の自由民権運動なんかの影響みたいなのも出てきた。日本のような島国にいると国というもののイメージが分かりやすいけど、たいていの国にとってはそうじゃないんだしな。
by kienlen | 2008-07-26 11:22 | 出来事 | Comments(0)

成果、聖火、聖歌…

タイの料理本でも見るかと思って夫の店で本を物色していたら「女性のための法律の手引き」というのがあった。なんか面白そうだと思って開いたら、なんとか読めそうな気がしたので持ち帰った。仕事がなくなってしまったらタイ語の本の翻訳でカネのかからない暇つぶしをしようと最近心に決めているので老後に備えた練習。寝転んで前書きを読んでいたら“คบไฟ(コップファイ)”というのがあった。何だこれは…。プロジェクトの名前として“”に入っているから造語の可能性だってあるが…。私の乏しい知識だとคบ(コップ)は「お付き合い」でไฟ(ファイ)は「火」だから火のような熱い関係だろうか。しっくりこないな…。その時は寝転んでいたから厚い辞書を引くのが面倒で夫に電話した。「コップファイって何よ」。すると「セイカ」と即答するではないか。いつもだったらよく分からない説明をするのに今回はひと言、しかも日本語!

「そうか、成果ね」と思って読み進める。なんだかしっくりこない。かといってすごくおかしい感じもしない。でもプロジェクトの名前って通常だったら比喩でインパクトのあるのを使うだろうに、成果じゃあストレートすぎないか。起き上がって辞書を引いてみた。タイ語は英語のようにテキストも辞書も豊富じゃないのが辛いところだけどタイ日に限っては、これさえあれば完璧ってのがあるから心強い。ううむ、見つからない…。そこで日タイで「成果」を引いてみる。ない。ネットでタイの公式辞書というのが公開されているから引いてみた。「縛って火をつけるために使うもの、例えば葉っぱ、ขี้กบ(キーコップ)」とある。キーコップって「カエルの糞」でしょ、タイではカエルの糞を炊きつけに使うのか…。しかしここまでくると夫はもしかして「聖火」と言いたかったのかという疑問が生じてきた。日タイで聖火を調べるが違う。もう1度タイ日を引いたらあった。前回は見落とし。「樹葉やカンナくずなどに油をしみこませて縛って棒状にしたタイマツ」とある。カエルの糞と誤解したのは「カンナくず」だった。そして本命の意味は「松明」。確認のため日タイを引くとあった。こんなに安上がりで楽しい時間つぶしってないなあ。長生きしてもいいかも。しかし夫は聖火を炊き付け用の火と思っているわけね。的確であるような気がしないでもないが。
by kienlen | 2008-07-24 10:53 | 言葉 | Comments(0)

自主防災研修会の呆れたビデオ

3連休の3日目の午前中は「春季自主防災研修会」というのでつぶれることになっていた。組長は大事な動員メンバー。防災は大事です、地域の人間関係も大事です、それらそのものに格段意義はありませんが、この地区の役員の面々を見るだけで具合が悪くなる(自分なりの理由があって)自分にとって公民館に運ぶ足は重たい。学校に行きたくないと腹痛になる子供のようなものだが、子供じゃないと腹痛にもなってくれない。つまり地縁だけの縁で執り行う行事というのは、そういううんざり感を誰もが抱いてもしょうがないということを前提にして活動していかないとならないと思う。だってたまたま同じ地区になったという以外に接点はないわけだ。自主的な関係だったら「こんな人と付き合いたくない」と思っても地縁があればこそお付き合いしているのである、という程度の認識は共有すべきではないだろうか。その上で何が必要かを考えればいいのだ。これが完全に欠如しているのが地域活動であると思う。

まあ、そんな非情な考えは通じないからこその地域であるな。なんか、いきなりみんな良き隣人になるのである、というビデオを見たのが研修の第一弾だった。足が重くて5分弱の遅刻。受付でますますブスっと名前を記入。資料としてもらった組織表には「男性ナニナニ」はないが「女性協議員」とか「女性防犯部員」とかはある。防犯ビデオの内容は…。高齢者1人暮らしの家に、イザという時のための支援をするということで地域の人が訪ねる。それがもうテレビドラマみたい。といってもテレビドラマを見たことがほとんどないので思い込みかもしれないが、何から何までワザとらしくて気味悪い。相手の心証を害してしまったので、高齢者への対応の仕方を心理学者におうかがいに行く。曰く独居高齢者はひがみっぽいから対応を気をつけるように等々諸々アドバイス。すごい、高齢者は揃いも揃って同じ傾向になるらしい。で、高齢者との交流方法を机上体得してもう1度訪ねてめでたしめでたし。こういうビデオそのものへの感想や意見を求める時間はもちろんなかった。お上が作ったんだから従うという発想だろう。次に地震の揺れ体験をせよとのことだったが、このビデオで私の許容範囲を超えたため黙って帰宅した。こういう輩は地域を崩壊させる分子に分類されるんだろうか。ま、そこまでのパワーはないけど。
by kienlen | 2008-07-23 22:13 | 地域 | Comments(0)

息子の面談があって虚脱感

昨日は息子の3者面談があって、相変わらず過ぎて慣れたというよりか、こんな話しのためにどうしてわざわざ出かけねばならないのだと心底頭にきて落ち込んで書く元気がなかった。いつもいつも「だらしない」と言われるだけ。それ以上に話しは進まない。それがもう中学からずっとだ。さすがにもう「まだ今は小さいから」という時期を過ぎていて、そんな小学生並みのことばかりで悲しくてうんざりで、店番に行き、訪れた友人に愚痴を撒き散らしてしまった。「お前そんなんじゃ誰にも信用されねえぞ」と先生が言えば「アタシだったら絶対一緒に仕事したくない」と私が言い「お前一体それでいいのかよ」と先生が言えば「いいんだったらその方向で行くのはご自由だけど、だいたい言っていることとやってることが悉くつじつま合ってないじゃん」と私が言いの非生産的なお話しで終始する。虚脱感のみ…。

すると、店を訪れた先輩にあたる知人が「アナタはねえ、1+1は2じゃないと気が済まなくて、子供に対してもダダダダとそれを言って追い込むタイプなの」と言われる。こんな見方をされたのは初めてなので意外。実は、1+1は2であるという毅然としたベキ論を言ってこなかったからこうなってしまったのかと少々悩んでいたところだったから、こう言われると、別の粗を探さねばなるまい。今さら粗探したところでしょうもないのだが。通知表をもらっても見る気にならない。成績が悪いのはもちろんだが、遅刻が多い、提出物を出してない。「お前なあ、このクラスの遅刻数のうち、お前がうんと多いんだぞ、お前が遅刻しなけりゃ、ここまでひどくねえんだぞ」と先生が言い「朝は寝坊してます、家を出る時間で遅刻は明白です」と私。何から何までこの調子だった。大きなリスクを背負っている気がする。管理という対処方法のないリスクをリスクとは呼ばないのかな、じゃあ何なんだろう。
by kienlen | 2008-07-23 20:06 | 家族と子供の話題 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


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