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集英社新書で田村秀著。タイトル通りの内容。すなわち、データに基づいていることを自慢するかのように数字を挙げながらもっともらしく報道される内容の大方は眉唾ものであるということを、調査内容に踏み込んで述べている本。ごもっともだけどあまりに初歩的で飛ばし飛ばしに読んだ。これは高校生くらいが読んでおくべき本かも、あ、でもウチの高校生を見る限り、報道さえ見ないからダメか、ああ、もっと困った事態なのか、あるいはそんないいかげんな報道は知らない方がいいのか…寝た子を起こすか起こさないか論争に通じるとことがあるような、ないような。でも、いつも不思議に思うのは、新聞とかニュースで、本当にごもっともらしく市場調査のようなリサーチ結果を元に「-だからナニナニである」と断言に近いような報告スタイルがあること。根拠がインターネットでの調査だったりすると、じゃあ、ネット利用者の属性等をみて、一般的に言えるのかどうか、どの程度の誤差が想定されるかまで踏み込んでくれないと無意味でしょ、娯楽記事だったらそう分かる装いで登場してほしいです、って思っているからこういう本を一応読んだわけだが、実際このネットで調査に応じる人の属性と意識というのが書いてあって、そこは面白かった。

それによると、高学歴・未婚・小規模世帯・専門技術職かその他の職種・内職や自営業者・家事の傍ら仕事等々、うなずける。意識については、仕事や家事を含め生活全体で充実感が低い・職業能力に自信ない・平等社会より競争社会を好む・ひとつの企業で管理職になるよりもいくつかの企業で専門能力を磨くことを好む・日本型雇用慣行に否定的、などなど、興味深い調査結果である。社会調査では無作為抽出と回収率がとても大切だが、インターネット調査だとそもそもサンプリング自体ができない。商品開発等のための市場調査ならまだしも、公的な意味をおびるものなどは問題だが、他の調査方法より楽だし費用もかからないから増えているそうだ。それもうなずける。巷にあふれているのは、分析結果だけがほとんどだから、そうではなくて、どういう人に調査したかをオープンにしてくれると面白さは増すと思うし、妥当性について検討する大きな材料にもなるはずだ。というわけで部分的にはこういう興味深い調査の調査があったりするが、全体的には、これを知らずに調査結果を鵜呑みにするってあり得ない、と思えるほど初歩的で、7刷りまで売れていることが逆に不安をかきたてる。
by kienlen | 2008-04-30 17:30 | 読み物類 | Comments(0)
息子がバレーの練習試合のため車で送る。高校の部活くらい自力で行って欲しいものだが、車中で2人になると説教ができるからチャンスと思ったら、しっかり後部座席に座っていた。しかも運転席の後ろじゃあ1番話しにくい場所ではないか。「ついでに少し見てけば」と珍しいことを言うから30分ほど見学した。さすがに強くもない高校の部活の練習試合を見る親は皆無で私ひとりだった。友人が山菜を買いに直売所に行きたいが車がないというから自分の気晴らしも兼ねて車を出すことにしてお迎えに上がる。どこにするか迷った末、山の方へ行くことにした。少し霞んでいたが、行楽日和だった。里では芽吹きが始まっているが、上るにつれて芽は固くなり、桜が咲いていて、さらに上に行くと桜もまだ蕾。山はどの季節もいい。景色のいい斜面に若いヨモギと食べごろのツクシがあったので友人と2人でたくさん摘んだ。ヨモギモチを作るのだ。ツクシは卵とじだ。
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父が作った野菜があるのに直売所に行くと買いすぎる傾向があるから今日は抑えた。クレソンと菜花と豆だけ購入して500円。以前に通りかかってお茶だけ飲んで、また来たいと思ったログハウスのレストランでランチを食べる。それから山を下る。途中の川には鯉のぼり。県外ナンバーの車が時々走っている。連休の人も多いんだな。気持ちのいいドライブだった。来月からさらにガソリンが高くなるとこういう無駄な走りは控えることになるだろうな。気分を晴らすにはいいのだが。ヨモギモチやツクシの料理をさっそくしたいけど店番の日だ。やることもあるし、なかなか余裕がない。
by kienlen | 2008-04-29 16:24 | | Comments(0)

抽象世界に逃げ込みたい

ある事情あって元気がない。ある事情を持ち込む人物は今のところひとり。ふたりいたら対応できないから諦めがつくのだが、ひとりは半端である、という冗談もでないほど憔悴している、という図を思い浮かべて自分を慰める。今日、日本語のできないタイ人の子の特別支援ということでまたうかがった中学校では、生徒と一緒になって総合学習の時間に出席した。この授業はアクティビティだったので横でコソコソ説明して参加できるようにした。ゲームもあった。サイコロを振って出た目の数だけ進むと、そこに質問文が書いてあって、それに答えることで、その子の人となりを知ろうというような目的。好きなテレビ番組だの趣味だのハマっているものだのという質問に混じってこっそり「人生とは」とか「青春とは」なんてのもある。日本人の子のサイコロの目がそこを示したので、それをタイ人の子に伝えたら、その質問に彼はのけぞりつつ自分なりの答えを即座に述べた。「闘いである」と。一方、日本人の子達はしばらく考えて誰も答えを言わずじまい。私は面白いなって思いながらそれを見ていた。

で、今になって突然、あのすごろくの質問が渦巻いている「人生とは…人生とは…人生とは…ぐるぐるぐるぐる」。答えも渦巻いている。最初に順番が来たら「試練」と答えよう、次に当たったら「修行」と答えよう、もしまた次があったら「冗談であって欲しい」と答えよう。次がきたら「試練にあって修行して冗談だと分かりました」って答えよう。まあ、心の準備をしたところでそういう順番になるとも限らず、それも人生だしな。こういう事情にご縁があったのも人生ですし、ありがたいことだと思うことである。試練をありがとう、修行をありがとう。「ホントにありがたいよ」と友人への電話で言ったら「歳取ったね」と言われた。この時は別の事情だったからここまで深刻じゃなくて冗談半分だった。つまり細々の個人事業なんかしていると人とのつながりのありがたさをしみじみ感じるよね、財産それしかないよね、と2人でシミジミしていたわけだが、数時間前の自分は余裕だった。取り戻せるのだろうか。
by kienlen | 2008-04-28 23:04 | その他雑感 | Comments(2)

羅列のみ

息子がバレーの試合に送ってくれないかというのでしょうがなく送る。昨夜遅かったから早起きがきつくてその後にもう1度寝たら電話があったりで熟睡はできないもののお昼近くまで寝ていた。夢を見て泣くことは、昔はよくあったが今日は久々にそういう状況になった。息子が何か私に命令して、私が従わなかったら切れ味抜群そうな包丁を私の首に突きつけたという夢だった。そのまま死ぬのかと思わせる臨場感だった。悲しいというか虚しいなという感じだった。気を取り直して起きてちょっと食べて仕事でちょっと出る。夕方は夫の店で30人の宴会だった。予約者は私の友人でもあるから手伝わないわけにもいかないしで、また気を取り直して異なる種類のお仕事へ。普段少ない人数のお客さんを相手にしているので大勢だといろいろなモノが足りないから買い物をした。

こうして仕事のテンションをゼロに戻して別の方向に行くと、また戻すのに時間がかかるということの繰り返しだ。集中したい時に集中できるような境遇の人はそんなにはいないのだろうけど、そういう人がいたら羨ましいと思う。宴会は結婚関係だった。今日は定休日だが、友人から電話があったからお出でと言ったら2人来てくれて、余った料理を食べてもらえた。それで結構ゆっくり話して遅くなった。何か珍しい料理をというリクエストがあったので、ちょうど季節柄入手できたアリの卵の和え物を作った。普段のお客さんは、初めての方にしろタイ料理であることを分かって来るが宴会参加者は自分で選んでいるわけではない。今日の料理も当方では辛味を相当抑えたつもりなのに、辛い辛いと食べられない人がいた。かといって慣れた人にとっては辛さが足りない。面白いものだと思った。本日の時間内に取り急ぎ記録。
by kienlen | 2008-04-27 23:54 | 出来事 | Comments(0)
読書の時間がない。それなのにこの本を半ば義務感で読み切らねばと思って努力した。努力したが身が入らず、当然身につかない。なんだか一応目を通したような…というところだ。昔、まだ日本に戻ったばかりの頃に、当時友人だった人から「だぶって買ったから」と『「超」整理法』という本をもらった。くれた人はこの本を褒めていた。だから楽しみに読み始めて挫折した記憶だけはある。何が面白いのか分からなかった。著者は同じ野口悠紀雄さんという方。この人は私もよく名前を目にするくらい有名だし、超のシリーズがあるということは売れているということなんだろう。でも多分もう本を買うことはないと思う。何しろ全く読む気にならない。内容が高度でプロ向けのようにも感じるが、かといってごく基本的なことを強調したり、誰に向けているのか分からない。それと偉そうで、決め付けが多く、型通り、と感じてしまう。文章法というからには、内容がどうであれ化粧して着飾って踊って読ませてくれれば私なんか笑って楽しんでしまうタイプだが、おふざけはなくてマジメで、とにかく私にはムリな本であった。なんでこんなことをここまで強調するのか、かなりイライラしてしまった。

読書でこの種のイライラを覚えたことは初めてじゃないだろうか。私にとって好きになれない本のひとつは、いい加減な内容のもの。希薄な根拠を元に延々と語ってくれたりするヤツ。でもこのグループはある意味面白い。ここからここにどうつながるの、をあれこれ想像してみたり、それに少なくとも著者の情熱を感じるから「とにかくコレ買ってください」って押せ押せ営業マンの熱意を買って「まあじゃあ1個」と言う時のあの感じ。イメージ喚起効果はある。まあ、だからといって今の歳になっては時間がもったいないから避けるし、容易に避けられるものでもあり害は少ない。それと単純に読みにくいもの。つまり読ませようというサービス精神のないものは苦手。で、この本だが、隙間がないというか、バリヤだらけというか、排他的なのだ。文章は自由であってはいけないようで、緻密に、不自由である必要性を解説してくれている。印象としてはこういうパターン。まずご自身の前提を提示する→これはいけないと言う→だからこうしなさいと教える。こういうのは結構よくあって、私が特に苦手なもののひとつ。前提に疑いを抱いたらもうダメなのだ。なおこの場合の前提は経験、思い込みを一般化したもの。そういう面は多々あるだろうけど、世の中全部がそれであると言われてもなあと、そういう不快感に包まれたからもうサッパリ忘れたい。中公新書まで恨みたくなったぞ。現金1000円近く+時間損した。
by kienlen | 2008-04-26 18:24 | 読み物類 | Comments(3)
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昨夜友人からリレーを機に意思表示をしたい中国人と一緒にそっちに行くという電話がある。今朝は目覚まし時計をかけてなかったのに、ヘリコプターの音がうるさくて目覚めた。様子を見に出てみようかとは思ったがなんだか面倒で寝ていた。しかし仕事をせねばならないから起きたところに仕事の関係の電話があった。直後に別の友人から電話があった。朝マックしに出たらえらい賑わいだということ。「善光寺に行かなくちゃならないから出ようかなあ」と言ったきりまだ面倒。でも取りに行くモノがあるから自転車で行くことにした。
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目的地に最短距離で行こうとしたら、いつも人が歩いていない通りを中国の国旗を掲げた人たちが大勢歩いているから楽しくなって、見学のために遠回りすることにした。車が少なくて人がたくさん歩いている。いつもこうだといいのに。用事を済ませての帰路も賑やかだった。沿道に警察がたくさんいるので尋ねたら1時間後にここを通過するということだから、一旦帰って食事して娘と出かけることにした。夫も来たが途中ではぐれた。
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中国人が横断幕を掲げる中に加わった。隣の男の子に話しかけたら、最初の子は日本に9年いるという割には日本語が今ひとつだった。次の子は日本で日本語を1年ちょっと勉強して筑波大学に入った私費留学生ということだったが、とっても流暢な日本語だった。国際総合を専攻だそうだ。「情熱がある若い時しかできないから」と来たそうだ。道路の両側でチベット支援らしき団体と中国支援らしき団体が声をかけあっている。これを機にデモの文化が根付くといいなとつくずく思った。出かけてみると楽しいものだ。火は一瞬しか見られなかったがその瞬間、中国人たちが一斉に声を挙げる。娘が「感動した」と言って楽しそうだった。中国旗を掲げた人々はすぐに移動。もうちょっと年配の男性は「中国から来ました」と言ってニコニコしながら「よろしく」と頭を下げて去っていった。毎週こういう雰囲気だと楽しそうなんだが。とはいえ、通りが赤い旗で埋まる光景をみんなが楽しめるかというと難しいかもしれないが、とりあえず私が見学した地点では何の問題もなく面白かった。
by kienlen | 2008-04-26 12:34 | 出来事 | Comments(2)

例のリレー前日でデモ

ちょっと用事があって街中に出た。自転車を夫の店の前に置きっぱなしにしておいたので、徒歩で行って自転車に乗って用事を済ませての帰り道、通りが騒がしくなっているのに出くわした。日本とチベットのらしき旗を掲げてのデモ行進をしていた。ああ、例のリレーの前日だったな今日は、と思い出した。そういえば先ほどから報道の方々を大勢見かけた。オリンピック反対の気勢を上げているのだった。誰が主催しているのかと思って旗を見たら、団体らしき名前が数種並んでいた。中には外国人犯罪云々という文字も見える。雑多だ。にわか作りの可能性高そう。街宣車もくっついている。女性のアナウンサーがマイクに向かって少し興奮を装うかのような調子で話している。それをカメラが撮影している。どっかに偶然映ったらヤダと思って慌てて離れた。道行く人は冷めた感じで見ているだけだが、テレビ画面に映る時にどういうふうになっているかは分からない。騒然とした雰囲気を漂わせているかもしれない。で、よく見ると報道陣がたくさんいる。知人達もデモ行進をたまにしているが、そういう時にこんなに取材してくれたことはない。騒ぎにかこつけてやれば取材してもらえるわけだ。

そんなもんだよな、中身よりも露出のタイミングであるんだよな、と思って自転車をこいでいたら知り合いの新聞記者に会った。彼も自転車だ。「取材ですか」と尋ねたら「そう、朝からずっとデモしている」「え、同じ人たち?」「そう」「それずっと取材しているわけですか」「まあ」。その人たちは役割を終えたのか私達の脇をリラックスして通り過ぎた。「こういう時期のデモじゃないと、そんなに取材しないですよね」と言ったが聞こえたのかどうか。あるいは意味不明だったかも。「でも、なんか怪しくないですか」「怪しいよ、日頃からチベットの活動しているようじゃないみたいだし、街宣車が後ついているし、○×じゃないかな…」。明日の記事がどうなっているかお楽しみにしよ。今日のテレビもお楽しみと言いたいが、テレビは面倒で見る元気なし。それより明日の本番はどうなるか。この付近も通るんじゃないだろうか、秘密が多くてよく分からないが。明後日は問題の善光寺へ行く日だったな。
by kienlen | 2008-04-25 19:10 | 社会的話題 | Comments(0)

暇も困るがこれも困る

多分、日本に帰ってきてからの10年余の期間のうちで、このところの状況というのは時間的余裕が最もなくて、それに比例しないで経済的にも恵まれない、と言える。労働時間が少ないから収入が少ないは分かる、そういう時期は長かった。労働それなりにして収入それなりの時期も長くはないがあった。ところが、今はやたらに時間を食うばかりでちっとも結果に反映されない。どうなってんの、って人に聞くまでもなく、原因は分かっているわけだが、どうしようもないところにきている。しかし、とはいえ、なんというか、調整して映画に行ったり本読んだり温泉に行ったりはできるんだから、と思うようにしているが、今日は突然温泉に行きたくなったのにその余裕がなかった。だいたい料理もろくにできない。時間とか精神的に余裕がなくて気持ちが入らないと味もますますダメである。今日も出かける前に子供用夕食を作った。うどんにした。乾麺を茹でて、汁を作っておいて「お好みの分量を煮込んで下さい」という伝言をしておく、それだけ。

出かける前に娘が思いがけず早い帰宅。空腹だというからうどんを煮てやった。昨日は夫の夕食当番の日だったがソファに寝転んでいるから「ご飯だけ炊いとくよ」と言うと「自分でやるからいい」「だって寝ていたら間に合わないよ」「炊く量が多すぎる」と言うのだった。夫はこのところ炊事をあまりしなくなっているから食事量の変化を把握していない。子供達の食べる量は増えている。夫が炊く量では足りない日もある。おかずが足りないのは追加すればいいがご飯が足りないのは面倒なのだ。だから多めにあった方がいい。ところが息子がたまに友達と外食してくるとたくさん余るわけだ。で、本日だが、帰宅したらうどんが残っていて大量の揚げ油がフライヤーに入っていて、たまねぎの皮が散らかっていて、揚げかすが少しあって、乾燥ソバを茹でたのが少し残っていた。娘に聞くと①兄ちゃんが玉ねぎとエビのかき揚げをすっごいたくさん作ってソバを茹でた②それをすごくたくさん食べた③少し残っていたのがおいしそうだったから私も食べた④実は自分は夕方にうどんを食べて夜も食べて満腹だったがソバも旨かったのでまた食べた、ということであった。そばつゆの味を見たら、私のよりずっと旨かった。だったら毎日作ってくれよと言いたいが、言っても無駄。当方の事情を察して、作った日にだぶらないで欲しいものだが、それも無駄。自分の気分を優先する人達が集りすぎた。
by kienlen | 2008-04-23 22:42 | 出来事 | Comments(0)

本の付属品購入

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カメラの件でamazonで商品を調べていて偶然面白いのを発見して注文したのが届いた。ブックストッパー。食事しながら本を読む時のストレスは、どうやって本を開いたままにしておくかで、本の上に何か置いたり、左手は本に添えたまま右手だけで食べたりということになりがちなこと。コーヒーカップなんか置いて跡をつけたりなんてことも。といってストッパーなんてシロモノがあるとも知らず、発明的発想のない自分ではこういうモノがあったらいいのにということにも思い至らなかった。だからこれを発見した時は即決だった。食事しながらの読書を想定したものであるという点も同行の友を得たようで心強い。そして実物を見てもっと感激した。つまり白いのが錘で、黒いのではさむだけのごくシンプルなものなのだ。錘とはさみの距離があるから厚い本も大丈夫で角度も自由自在だから一方につければいい仕組み。素晴らしい。データを見ながらパソコンに入力するのにも便利だろう。

これでいろんな色があったらいくつか欲しい。何冊か開いて楽しむことができそうだし、バッグの中にも常備したい。ちょっと重たいが。今日立ち寄った友人に早速見せたら彼女も感動していて注文すると言っていた。amazonのユーザー評価には、こんなに簡単なもので840円は高いというのもあったが、その簡単さがいい。すでに愛着を感じている。愛用します。雑貨や小物をこまめにチェックしている方じゃないから、こんなに感動したのは珍しいと思う。
by kienlen | 2008-04-22 17:37 | 読み物類 | Comments(0)

困った、カメラが欲しい

ここにきてずっと思っていること。一眼レフのカメラが欲しい。そう思い出すと本気で欲しくなる。昨夜はネットでいろいろなタイプを見ていたが、やっぱ実物を見てみたいと思ってカメラ屋に行った。そしたら品揃え貧弱で比較等のしようもない。次に量販電気屋に行った。ちょうど売れ筋をいくつか揃えていて、ネットでチェックした機種が3つほど並んでいた。つまり初心者向けで価格帯も、あくまで一眼レフとしてであるが、手頃。見ていたら若い男性の店員が近付いてきたから「初心者にはどれがいいですかね」と聞いた。商品の種類が多いわけではないから、あれこれ比較するというほどのこともないし、何か気の効いた文句でも言ってくれればそれで気休めになるのに、相変わらず芸のない最近の店員さんたちだ。多分カメラが担当ではないのかもしれないが、それにしても…ほとんど応答なしでは…。そのうちに「レンズが交換できます」とやってみせようとするから「あ、それは知ってます」と言うしかない。私の知りたいのはそういうことではない。自分が店員だったら、まず相手の要望を尋ねるだろう。

どういう時に使うのか、知識はどの程度あるのか、これまでのカメラ歴はどれくらいか、なぜ今一眼レフを検討しているのか。これって、ごくフツウのコミュニケーションではないだろうか。でも本日の店員さんもそんなことへの関心は皆無である。買いそうもないな、って見限っているのなら寄ってこなければいいのに、ずっとついて回っている。不思議。その内に最初の男性はいなくなって別の人が来た。専門家が来たのかと思って期待したが、同じだった。ダイヤルをいじって「一眼レフでオートで使う人はいないと思います」と販売担当者。「え、私はオートで使いたいです」「調節はファインダーを覗きながらするのがこれで、こっちはここに表示されます」とか説明してくれる。特に尋ねていないが。それからレンズを示してオートフォーカスもマニュアルもできますと説明。「目が悪いからフォーカスはオートを使いたいですね」と私。それにこういうことって教えられなくても見れば分かるし。そしてまた「レンズ交換できます」と言う。結局提供情報量ゼロである。「検討します」と戻りながら、何だアレは、と考えて思い当たったことがある。彼らは若い。最初に接したのがコンパクトデジタルなのだろう。当方は若くない。フィルム式では一眼レフを使っていた。レンズも交換できた。昔はマニュアルで使ったこともある。出発点が違うんだ。しかし、こんな程度のカメラ現代史くらい知っていて欲しいものだな、販売員なんだから。昔ながらの専門店の価値が見直されるかも。
by kienlen | 2008-04-21 23:02 | その他雑感 | Comments(2)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


by kienlen
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