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流れる雲と時間と

抜ける日が増えている。気に入らない。昨夜は日記を書きかけたところに友人から電話があって、いつものように夜の外出をした。12時前に帰ろうと思っていたがダメだった。今日は30分の仕事のために運転200キロ近く。この時期の2つの山越えはさすがに遠慮したくて、どうしても省けない方の山は越えて、平らな選択がある方の道は下を走った。雪道なら雪道でそれなりの覚悟ができるが、塩カルをまきまくってもまだ凍っている場所が所々にある山道はそれなりに怖かった。必要な覚悟は、何かの時に救急車が来るのに相当な時間を要するだろうということ。でも、ため息程度でも飛びそうな薄い雲が真っ青な空を彩る景色は最高だった。山は毎日景色が違うので飽きない。だから30分のために遠出してしまう。今日は休養を兼ねようと決めていたので、帰り道に温泉に寄った。どこにしようか迷って初めての所に行ってみたら駐車場がいっぱい。混んでいる温泉は嫌いだ。帰りかけてから、一応様子をみようと思い直して受付の前に立ったら「大広間は満席」という立て看板があった。ということは、お風呂は意外に空いているかもと期待して入ってみる。

ほんの数人しかいなくて大正解だった。温泉の前にとったランチは、いつも通りがかるたびに気になっていながら寄ったことのない店にて。鹿肉や岩魚ありますのポップが賑やか。店内は男性客ばかり。好みの料理がいろいろあって迷った末に岩魚定食950円を注文。どんぶり飯と岩魚の塩焼き1匹と漬物とみそ汁を全部たいらげた。美味しかったな。道端の八百屋に寄るとイチゴを安売りしている。娘の大好物だからお土産に4パック1000円。アボガドがあって、アボガド好きな友人を思い出し、彼女にもお土産とする。その他いろいろ。それから地場野菜の直売所にも寄る。野菜その他をまたいろいろと、地元の人が焼いたコーヒーカップをソーサーとセットで購入。天気はいいし温泉に入ってあったまったし、気分が良かったから。こういう時につくずくと、人間は経済合理的な選択ばかりするわけじゃないぞと思う。私の場合の買い物は気分が優先する。通りがかりの町で未集金が1件あったので寄ると、韓国人の経営者が珍しくいた。これもご縁ね、ということで近所に新しくできた喫茶店でコーヒーを一緒に飲む。そんなこんなで帰宅は予定時刻を超過。夕食作る時間がなくて子どもらに適当にやってくれと言い残して、仕事関係の宴席へ。若い時は宴会って単なる時間と金の無駄だと思っていたが、この歳になって集りを楽しめるようになった。遅いけど。それに自分はどこにいても部外者だから気楽というか孤独というか。それもそれと、なんとなく、あの雲の如くに流れた1日だった。
by kienlen | 2008-02-29 22:37 | 出来事 | Comments(0)
昨夜、店に友だちが鹿肉を持参したので、鹿のナームトクをコックさんに作ってもらった。鹿が増えてヒト用食物に被害を与えることが大問題になっていて、ハンターが仕留めた鹿を食べる会を昨年、友人が催したのに行ったのに続いて、今年もこの間参加した。その時はハム屋さんがハムや燻製やミートソースにして美味しかったが、ここにスパイシーなタイ料理が一品加わると最高なのだが、とずっと思っていた。ナーム・トクというのは、直訳すると水が落ちるで「滝」という意味。タイの東北地方の料理で、私はバンコク在住時にいつもいつも食べていた。屋台で作りながら売っているのだ。炭火で肉を焼いて、その時に油が滝のように落ちるから、この名前がついたとかいう話しだが、で、焼けた肉を唐辛子とライムと香り高い小粒なオニオンの薄切りとハーブ等で和える。米を炒ってつぶしたのも入れる。香ばしくて舌触りもいい。通常は牛か豚で作るけど、これを鹿で作ってもとっても美味。

昨夜はそんなわけで友だちが何人か来てくれた。このところ細かい仕事が立て込んでいて火曜日の店番が辛くなっているが、それでも通っているのは来てくれる人がいるから。今日も遠出で豪雪地帯で1日過ごした。おかげで在宅仕事がずれ込んで今夜は眠っている時間がないかもしれない。コーヒーを飲んで眠気は追ったが、かといってそれでアイデアが出てくるわけもなく悶々としている。鹿のことを書いている暇あったら別のことを書かなきゃいけないのだな。昨年は新たに持ち上がった仕事の話しが全滅したので、今年は自分で作り出していかないとダメだと覚悟して、新規プロジェクトについて考えたり言いふらしていたのに、今のところまたまた末端の下請け仕事ばかりやっている。見たい映画があるのに行けない。本も読めない。来月半ばまではちょっとマジメに取り組まないといけないようでもある。確定申告もギリギリになりそうだ。それより今日が問題だった。はあ…。
by kienlen | 2008-02-27 23:47 | 仕事関係 | Comments(2)

タイ人のことをちょっと

私の知る範囲でのことではあるが、このあたりに在住の日本人とタイ人のカップルで離婚していないケースの方が少ないように感じる。これは地域性、というか、どういうタイ人が住みついていて、どういう日本人と一緒になっているか等の社会的条件にも強く規定されると思われるので、タイ人と日本人の相性がどうのこうのという捉え方はそぐわないと思うし違う地域に行くと事情は異なるかもしれない。いや、しかし、違う地域の人でも離婚している人に会っているなあ…。以上を前置きとして、で、離婚そのものがどうというのではなくて、どうということがあるのは子どもだ。かなり共通しているのが、父親が責任を取らないということである。この点、タイ人女性はかわいそう。何しろ基準が身近に見てきたタイ人男性であるから、父として責任を取るべきであるという発想が身についていない。よって、タイ人女性の多くが、覚束ない日本語でまっとうな仕事はもちろんなく、タイ人相手に弁当やお菓子なんかを売ったりしながら食いつなげるのかどうかってところで子どもを育てている。かくゆう夫の店のコックさんもそれだ。彼女は料理という特技があるからまだマシで、そんなマシな人ばかりじゃない。パチンコの腕がいいと稼げる場合もあるが、これはその逆の危険と隣合わせで安定しない。

離婚しないまでも、仕事のない夫を養ったり、病気の夫や親の世話をしている人も結構いる。そんな印象を、以前に、韓国人の事情に詳しい友人に話したことがあって、そしたら彼は「韓国人はしたたかだからそんなことはしない」と言った。私は韓国事情は詳しくないからこれがどの程度当たっているのかどうか知らないが、それでもタイ人の人の良さというか受容性には同情を覚える時がある。ただ、これを見て、なんで自分の国に帰らないのかと言う人もいるのだが、タイの事情を少し知っている者から見ると、タイよりマシかもな、と思ったりもするから一概には言いにくいものがある。しかしこのへんに住んでいるタイの人たちの問題がかなり共通しているのは、入管政策の結果であると思う。今日は子どもを3人抱えて泣いているタイ人に会い、母親に呼び寄せられて日本に来たら、その母親が逮捕されて行き場のなくなった子にも会った。
by kienlen | 2008-02-26 20:28 | タイ人・外国人 | Comments(0)

本日の行動メモ

7時に家を出た時、雪は止んでいたが車道も歩道も完全な雪道で、凍って凸凹になっていた。自転車は使えないから徒歩30分強で駅へ。この雪で電車がストップしていたら、走って戻って急いで車だと覚悟していたがそういうことはなかった。それどころか1時間半で着いた目的地のM市は別世界。晴れ渡っていた。雪も日陰に以前のが少しあるだけ。駅からさらにバスと徒歩10分で本日の現場に到着。とにかく1時間程度の仕事に往復5時間かかっているわけだが、それでもいいのが、おまけをくっつけることができるからだ。今日はランチを友人として、そのまま別の友人の事務所に顔出して、予定より早い電車に乗ることができた。もうじき到着という時に電話。建築関係の知人からちょっとした打ち合わせの希望だった。今週はあんまり暇じゃないから、今日済ませてしまいたいと伝えると、駅まで迎えに来てくれることになって、そのまま打ち合わせ。仕事になるかならないか分からないが話しだけでも、というのにも慣れてきた。アテにし過ぎずに成り行きに任せるだけだ。その最中に娘から「夕食作りに間に合うのか」という電話があったから、間に合うと答えて帰宅する。娘は息子と違って料理は自分でやろうとしない。

電車の中でこの間図書館で借りた『市民シンクタンクのすすめ-みんなの調査力・情報力で地域を変えよう!』という本に目を通した。このところ読書の時間があんまり取れずにいるからいい機会だと思って。この本はタイトルでかなり期待したのだが、それに趣旨はいいと思うのだが、諸事情あって途中で挫折。地方自治は市民不在では成り立たなくなっているが、実務能力の点で、税金でしっかり研修もしている行政職員と対等にはなれないのが弱点であるから、ここをなんとかして市民も実務能力をつけよう、こうやって、という実用的なアドバイスの書。なのだが、かなり初歩的な気がするな。これで対等までいくのは…、ううん、どうだろうか。でもこういう本が意外に少ないんだろうなという気はする。だから貴重なのかもしれないが、どのあたりを狙っているのか、こういう本を必要とする像をイメージしにくい感じ。あとはとってもマジメな本で、もっと遊びがあってもいいんじゃないかと思った。
by kienlen | 2008-02-25 19:10 | 出来事 | Comments(0)
夕食は手巻き寿司にした。具はいつも違って、あり合わせで冷蔵庫の整理のようだったり、ご馳走だったりという時もあるが、今日はウサギの餌のキャベツの外葉をもらいにスーパーに行ったから、シシャモとかホタテとかリーズナブルなものを調達してきた。ヒジキも食べたくなってカゴに入れた。いつもは生活クラブ生協の食材がほとんどで、ヒジキも乾燥だからもどす手間がかかるし、このところ買い置きがない。スーパーには生ヒジキがあるんだ。私の好みで酸味の強い酢飯にする。子ども達も好きなのはラッキーだ。ただし夫は刺身と納豆と酢飯は食べないので手巻き寿司の時はあんまり食べるものがなく、漬物をつまむ程度。これを夫の店の週に1度の定休日の日曜日に頻繁に作るのはどうかと思うが、作る人の気分優先だからしょうがないし、それに、食べなくても人数が多い方がこういう料理の雰囲気には合う。息子が「懐かしい味だなあ」とヒジキを食べて言った。ヒジキと「なつかしい」は似合うが、どういう意味のなつかしさなのかと思って聞いたら「昔よく作ったじゃない」と言う。それで思い出したのは、タイから日本に帰った直後の頃の食生活だ。

それで自分の方もなつかしくなった。日本に来て、食べたいと思ったのはサンマとかヒジキとか切干大根とか、つまり田舎育ちの自分がよく食べていた好物だった。その人にとってなつかしい味が何かで親近感を覚えたり逆だったりするが、バンコク在住時に、私よりずっと年上で東京出身の友人が「一時帰国してハヤシライスを食べて嬉しかった、なつかしい」と言った時は、私などの郷愁と違うので話しは弾むことなく頓挫して、何やら東京と田舎の相違まで感じたものだが、つまり息子のなつかしさというのは、私がそんなだから帰国直後は頻繁にヒジキを煮ていたことに由来するのだった。当時まだゼロ歳だった娘はそんな記憶もなく「今日のはコンニャクが入っていていい」と言うだけ。あれからもうじき12年だ…と感慨に浸っていると息子が「だし巻き卵食べたい」と言うので追加。残りは明日の弁当に入れようと思って多めに作ったつもりの、卵4個分の卵焼きは瞬時に終わってしまった。こんな風に日常は流れていく。明日は久々の早朝からの外出。夕食後に弁当用の卵焼きを作りおきしておいた。息子に「私の方が早く出るから自分でちゃんと起きないと誰も起こさないよ」と釘を刺しておく。
by kienlen | 2008-02-24 23:21 | 家族と子供の話題 | Comments(0)
この冬の降雪量最多の日か。10時間以上の睡眠を取ってから起きて仕事の続きをしていたら、息子が「図書館にバスで行ける?」と聞いてきた。図書館に行くなんて言い出したのは生まれて初めてだろう。諦めずに説教してきた成果がとうとう出たか、かなり遅いが、と嬉しくなって「他の場所なら送らないけど図書館だったら送ってあげる」と条件付愛の見本みたいな言い方をする。こんな返答はどうせ想定内であろうが。私も雪の街を走ってみたい気がしたし、それに息子に車の雪を処理させると私も楽である。雪かきの間に餅を焼いてやる。それを食べながら突然「就職する時も試験あるの」と息子。「人気のある企業だと書類選考から始まって何回もあるし、誰も行きたくない企業だとないかもね」と私。「部活やっていれば書類選考で有利でしょ」と息子。おいおい、部活なんてやってない人の方が少ないわけだし、主流に任せていれば入らないより入る方が楽だし、そんなんで有利になったらみんな有利だろうと言ってやりたかったが、気分を害させて図書館行きをやめたら一生に一度のチャンスを失わせることになるかもしれないので、言葉を選ぶことにした。

「部活をやっていたというだけで有利になるとは思えないけど、私の経験では、運動部の経験のある子の方が体力と根性があってちょっとした事で落ち込んだり傷ついたりしないからいいって言っている人事担当者に会ったことはあるよ」と言った。するとすかさず「大丈夫だ。傷ついたり落ち込んだりしないから」と言う。「キミの場合は、思考停止するから落ち込まないわけで、そういうのは問題外なの。いったん受け止めた上でどうするかってことであって、その受け止めがないでしょアナタ」と非難する親。これを言い出すと轟々と出てきそうだから、図書館図書館と自分に言い聞かせてストップした。図書館効果絶大だ。しかし車の中でまた言い争いになってしまった。もちろん高尚な議論じゃない。洋服の脱ぎ方がだらしないので当方が迷惑していると注意したら「小さい頃に親が脱ぎ方を教えなかったからこうなった」と言い張るのである。「子どもは1週間同じ事をしていると癖になるんだ」と。細かい躾をしてこなかったのは確かだ。痛いところを突かれた。しかし「子どもの時の癖が治らないっていうなら人間には学習能力がないってこと?」等言い始めてあまりのバカバカしさに悲しくなった。「お願いだから、ただやればいいこと、やるべきことと、しっかり考えるべきことを分けてくれ」と頼む。本当にその小さな躾のツケなんだろうか…、だとしたら取り返しつかないことをしたってことか。
by kienlen | 2008-02-24 16:31 | 家族と子供の話題 | Comments(2)
打ち合わせを兼ねて友人とランチした後、誘われるままにイベントに参加した。「1000円かかるけどね」と言われて躊躇したが受付で500円であることが分かってほっとする。NPO諸団体が5分間の活動発表して、その後全体でディスカッションというスケジュールだった。あんまり暇じゃないので、つまらなかったら途中で出ようと思っていたが、数年ぶりに会う人がいたり、聞いているとそれなりに面白くてほとんど最後までいた。ディスカッションの時に印象に残っている意見があった。個人の意見を行政に反映させる仕組みがないんじゃないかということだ。まあ、そんな抽象的な言い方ではなくて「この町に来て困っているのは公園で犬を散歩させられないことで、糞等マナーの問題があるからといって一律に全面禁止という安易な手段を取るのではなくて、マナー向上を図るなど別の方法をとれないものか」というような内容だった。今日のイベントの趣旨にはまるようなズレるような微妙な線にあるものだと思ったが、私はかなり本質的なところを突いていると思って聞いていた。かといって、それで議論が深まったわけでもない。70人もいるんだし、それがテーマというわけでもなかったので。だから別の機会にここだけを深めたらいいのになと思った。ただ、ロビー活動やデモについて触れる人はいたが。

つい先日、マスコミの関係のお仕事の知人と話していた時もこのような事が話題になったのだった。私が「メディアの責任が大きい」と言うと彼は「それは責任転嫁である。何でもかんでもマスコミに頼るな。まずは市民がしっかりないといけない」と言った。「頼るというわけじゃなくて、個人じゃあどうしようもないことを伝えるツールが他にないんだから、そんな中でメディアの力は大きい」と言った。彼は「まず市民」と再度。そして「いろんな団体が弱くなっちゃったからねえ、昔と違って」とトーンを少し変更してきた。「確かにねえ」で終わらすのもなんだから「具体的な事で行政が関係することであれば自分で言っていくけど、個人で言ったって『おばさんのクレーム』で処理されちゃう巧妙な仕組みがある。さらに、問題がもっと抽象的な事だったら個人じゃあどうしようもないです」と言ったのだが、それはそうだね、ということになるだけ。で、例えば犬の散歩なら、飼い主の会みたいなのを作って、マナーはきっちり守るので公園散歩解禁要求をすることは不可能ではないと思われる。つまり具体的な目的を共有できる人達がそれに向かって走るという次元だから。そこで困るのが地域だとか地縁だとか物理的限定条件が付いた場合。これを超えるにはどうしたらいいんだろう。公益性とか公共性なんかがここらへんで出てくると本日のテーマに持ち込むことはできるんだろうけど、本日のような場で仮に話し合いが成立したとしても、それが、じゃあ地縁組織の中でも可能かというと、これはもう絶対に別問題であるってところがとっても難しい問題となっている、自分的には。
by kienlen | 2008-02-23 18:47 | 地域 | Comments(2)
この間、岡田春恵さんの講演を聞いてから、amazonの有料の特急便で著書を2冊注文したうちの1冊がこれ。角川SSS新書で文字も少な目なのですぐに読める。高い本でもないし、これは必読ではないだろうか。情報収集を「知識のワクチン」と言うのだそうだ。講演は長くない時間だったのでエッセンスだけだったが、この本はそれに加えて自分でできる、というか、すべき対策が具体的に示されている。新型インフルエンザについてここまでの基本を知った上で、世界的な大流行が避けられると考えられる場合を想像することは難しい。自分や家族が罹患しないと信じられる人はどういう人かも想像しにくい。少くとも私には無理だ。しかし、ここまで強力なウイルスであるからには、どうしたって希望する全国民にワクチン接種を国が主導すべきだと思う。本には出てないが、講演で岡田さんが言っていたのには納得。「1人分1000円にも満たないワクチンを全員に接種することは可能である。日本で残ったら、ワクチン製造能力がないアジアの国々に援助したら、こんな素晴らしいODAはないです」と。

全く同感。こんな話しを聞いて本を読んで恐怖感で、それでも外に出ると、いつもと同じ平和な風景である。今日はお昼頃に外仕事ちょっと。それから図書館で調べものちょっと。もっとやらなくちゃいけないのに時間がない。帰ろうとしたら新刊コーナーに『市民シンクタンクのすすめ』って本を見つけてどうしても読みたくなって、貸し出しカード不携帯を申告したらパソコンで大丈夫だというので予定外に借りる。それからじきに閉店してしまう自然食のショップに行って、イザという時の篭城用の缶詰め等を少し購入。閉店間際で商品がほとんどなかった。こういう店がなくなるのは不便だ。その間に予想外の仕事の連絡。暇な時は全く暇なのにバランス感覚が欠如しているぞ、と誰に向かっても言えず、帰宅して内職の続き。とにかく今現在の作業あるのみ。まあ、今の状況というのは、主婦の在宅ワークそのものであり、そういう目的であれば、家事と育児は手抜きなくこなしながら副収入を得ているカリスマ副収入主婦…なんて、どっから見ても当てはまらないか。しかし日本在住時の我が家においては、知識のワクチンを得られる可能性があるのは自分だけってことを思うと、余裕は確保しとくしかない。
by kienlen | 2008-02-21 22:29 | 読み物類 | Comments(0)
また抜かしてしまった。火曜日の店番はお客様はなしで、友だちが3人来てくれたのみ。おかげでカウンターでゆっくり話せたが、売り上げ的には些少なのでタクシーで帰ったらますます赤字ということで、最後まで話していた友人に送ってもらうことにした。店には娘から「明日の朝はパパが起きるって」という電話があったし、それはつまり朝食と弁当は夫がやるから私は寝ていていいということで、ひいては夜更かししてもいいってことだ。それでもう1件寄ることにした。そして帰宅は2時過ぎになって、酔ってて日記なんか書ける状態じゃなくてそのまんまダウンだった。寝ながら考えていたことは「常識」についてだった。というのは、彼女がたびたびこの言葉を使っていたからである。考えてみると面白い言葉である。一体「常識的」であるとはどういうことなんだろうか。彼女は、私の知らないナントカさんという人の行動を説明した。どうやら非難しているらしいことが分かってきた。私には非難の理由が分からないから「なんで?」と聞いたら、そういう私の反応に彼女の方がびっくりして、ごく当然のように「だって常識的には…でしょ」と言うのである。ひっかかる部分に説明を求めると、ひたすらコレだ。たまに「一般的には」と「フツウは」も入ったかな。

たぶん誰でもがおおざっぱな部分と細かい部分を併せ持っているのだと思うが、私の場合は家計簿つけたことないしつける気も毛頭なく、そういう点の細かさは持ち合わせていないがこういう言葉遣いは気になってしまう。実験もあっていちいちひっかかってみることにした。「だからそれの何が常識的じゃないわけ?」「だって家族ってコレコレこういうもんでしょ」「それはアナタの家族観であって、常識って言えるのはなぜ?」とか。「常識では、母がいないと子どもがかわいそう」と言うから「母がとんでもないヤツだったらいない方がよくないですか?」とか。まあ、こういう疑問は私にとっては常識みたいなもんだから次々と出ること、出ること。挙句に「酔っているから言うんじゃないってことは伝えておくけど、その常識常識って言い訳無用で振りかざすことで苦しむ人はいると思うよ。あなたが自分なりの常識でモノを言うのは自由だけどそれが世界共通の常識であって、みんなが従うべきというのはやめてくれ」と言った。常識的な発言に酔う。と、「そんな大げさなことじゃなくて、些細なことじゃない」と彼女。「だから、自分にとって些細なことが他の人にとって些細か分からないし、そもそもさっき話していたイジメだって、些細な積み重ねじゃないんですか。それどころか、些細なことが殺人になることだってあるんだし」。それを言ってもまだ語り続ける友。壁を挟みつつもお互いに根性があるのか2時になって、話しすぎのせいか喉が痛くなった。常識パンチに悲鳴を上げる人もいるんだからってことは、言っても言ってもあっちからこっちからパンチは飛んでくる。
by kienlen | 2008-02-20 21:42 | その他雑感 | Comments(4)
ちょっと前になるが、新聞記事で「直売所の店員に接客のプロが指導」みたいなのがあった。はっきり覚えてないが、銀行だったかそんなような接客業の専門家だったと思う、指導したのは。これを読んで私は嫌な気分になった。直売所って、製造者が販売している所も多いし、それだと作り方で話しこんだりお茶飲んだり漬物出してもらったりの方が楽しいのであって、挨拶やらお辞儀やらの形式よりも誠実さとかそういうのの方がいいんだよ、と思ってしまうから。もちろん接客方法=単なるマニュアルというわけじゃないだろうし、以上は私の偏見であり単なる思い込みである。ただ直感的にそう思っただけ。それでも、そもそも各直売所が一律になったらとってもつまらない。形式的な言葉がなくたって、販売って普通のコミュニケーションでは失礼なんだろうか。それが分からない。

この間東京に行く時に駅ビルの店で、車内で食べる用の食べ物を買おうと思った。売店における直売所のような位置づけにあたりそうな店。店に入ると店員さんが2人いて、ひとりが暇そうにこっちを見ていて、お客さんはひとりだった。購入するものを決めてから暇そうにしている店員さんに「お願いします」と声をかけた。彼女はとまどった表情。どうしたのかなと思ったら、背を向けて包んでいた年配のベテランらしき店員さんが小声で「済んでから」とささやいている。それで気付いた。先客の支払いが済んでなかったらしい。暇そうに見えた店員さんが金額を告げる。それにしてもこの間、私に対して全く無言なのである。「すみませんがちょっとお待ち下さい」と言えば当方の気分は全く違う。ナンカ変と思ったら、暇そうな店員さんの胸に「研修生」という大きな名札がついていた。はあ、そうなんだ。それにしても人生経験的には浅くないようだし、こんな事は接客マニュアルの問題じゃなくて、普通のコミュニケーションレベルのお話しじゃないだろうか。こういう地元の人による地元の店でこの対応じゃあ…となんか寂しい気分になって買わずに出た。順番にお客様に心を込めて接するように、わき見はいけない、とでも指導されているんだろうか。残念だな。地元の店を応援したいのにと思った。
by kienlen | 2008-02-18 23:47 | その他雑感 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


by kienlen