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読んだ日に精神状態超低調で書けなかったから本日になってメモ。本日が快調になる要素はないが-どっかでアテにしていた仕事が取りやめになりそうだし、求人に応募しようとして作文に悩んでいたのをまた諦めて、とにかくダメで元々で挑戦しようと試みて実行したためしがないというありさまであったりで何もいい事ないけど、良し悪しはともかくすっきりではある。言葉を変えれば空っぽというか…。そういう頭に、この本はいろいろな情報を詰め込んでくれた。濃厚なのにキレ味が良いというか、ここまで難しいテーマをここまでキレ良くまとめていただいてありがとう、しかもたった700円で、と葉っぱを落とした木の陰から感謝の意を表したい。つまりこれは、アメリカを動かしているのは何かという壮大なテーマを追求したもので、ここになってその大きな流れとして表面に出てきたのが宗教右派、すなわちアメリカ原理主義である、という仮説を実証的に証明しようとしているものだ。方法は著者のアメリカ留学や駐在経験とさまざまな分野の人へのインタビューと文献で、濃厚なのに飽きないし面白いし、そしてやっぱ怖い。

で、問題はこの宗教右派とは何か、なのである。これはもう私のように、そしてきっと大方の日本人のような宗教感の持ち主にはひじょうに分かりにくいものだと思うのだが、これを解きほぐしていくのがこの本ということになる。マイケル・ムーアのドキュメンタリーなどでも、アメリカという国の価値観の根本的な違いを感じるけど、日本人がよく言う「お上意識」というのは英語表現にあるんだろうか。一般的に使うんだろうか。ふと、そんな事を考えた。政府は自分らの生活に干渉するな、自由を束縛するな、というのが基本にあり、その干渉を認めるのは共産主義であり、これはもう何よりの脅威であり、だから国民皆保険制度も悪だってロジックが「シッコ」の中でも出てきたけど、プロテスタント清教徒としての自分達の国を作るために上陸し、血を流しながら建国したという歴史観を持つ人々の国を、太古の昔から美しい島国でいろいろあったけどそれなりに平和に暮らしてきましたという歴史観を持つ国がモデルにしようとしたなんて、それはしょせん無理な話しでしょう、なんて、本題とズレるが、そんな事をつくずくと感じながら読んだ。いずれにしろ、私にはとっても興味深い本だった。
by kienlen | 2007-11-30 10:58 | 読み物類 | Comments(2)
この本を今読み終えた。日付が変わったから昨日になってしまうが、友人が貸してくれたもので、簡単そうだったから電車の中で少々と就寝前読書で読了。著者は雨宮処凛。この人は自分が読むような新聞や雑誌でよく見かけるので、名前は知っているがまとまったものを読んだのは初めてだ。貸してくれた友人は「面白かった」と言っていたが、どういう面白さかは聞かなかった。なんとなく想像ついたからであったが、読み終えてみると、どういう面白さだったのかぜひ聞いてみたい。プレカリアートというのはイタリアの路上の落書きとして03年に発見されたと言われているものだそうで、「不安定なプロレタリアート」で定義を「経済至上主義のもと、不安定さを強いられた人々」とすると最初に書いてある。で、感想だが、ちょっと安易に作ってないか、が第一印象。そんな厳しいことを言わず今必要な本である、が第二印象。諸悪の根源は固定的性別役割分担意識にあるという密かな自論がこんなところで裏付けられているなんて、世の中どうなってんの、が密かな第三印象。この第三印象はもっと後に持っていくべきで、もっと大切な論点は多々あるのだが、かなりショックだったから3位に入れた。

石原慎太郎と1975年生まれの著者との対談は、もしかして私は石原を見直してしまうかもしれない、なんて思わせてくれてしまう困りものだったようにも思う。果敢な姿勢は評価したいけど、これは多分世代のギャップが大きいのかもしれない。なんか、ここまでいくとどっちもどっちって思えてしまうのが悲しい。いやはや、難しい問題である。労働の流動化と結果の若者(だけじゃないが)の貧困に関しては、明らかに政策からくる社会構造の変化が最も大きいとは思う。最初の章でその分析を統計からしているのは分かりやすいし、同感だし今の社会の最大の問題だと私も思っている。が…、ここでただ個人の努力が足りないとは言いたくないし、下にいる者同士で足の引っ張り合いが問題であることも分かるし(外国人労働者問題でも同様だしフェミニズムも同様だし)、でもね…のでもね、が何なのか自分でもよく分からない。息子や娘を見ていると、ワーキング・プアになる道筋はすごくよく分かる。ウチのように誰も安定雇用がいない中で即あり得る。でも、やはり、でもね…になってしまうのはなぜだろうか。これにすっきり答えてくれる雇用労働分析があると読みたい。各論賛成総論疑問みたいなところで留まっている感じ。社会構造と個人の資質なりを結びつける論の難しさを感じる。この場合、弱者を尊重すべきなのだろうが、やはり、ううむ、でもね、なのだ。つまり、この著者にはがんばって欲しいという期待があるから安易な使い捨てにされないように。それがちょっと痛々しい感じを受けた。
by kienlen | 2007-11-30 00:47 | 読み物類 | Comments(0)
ちょっと前になるが、セールスの電話があった。どちらも女性でどちらも学習塾。どちらも「小学校6年生のお子さんのお母さんですね」という一声で始まる。それに答える義務はないので「どちらで電話番号をお知りになったんですか」と聞く。とにかくこういう知らない人からの電話は腹が立つので怒りたい気持ちを抑えて聞く。最初の人は「市の教育委モゴモゴ…」だったから「つまり市の教育委員会が個人情報をそちらに伝えたわけですね」と確認すると「迷惑なら切ります」と言うから「確認しているだけですけど…」と言いかけたらガチャンと切れた。こちらは落ち着いて聞いていたのだし、名簿がどうやって出回っているかもだいたい知っているから、今更何を言われても驚かないのに、いくじのないセールスである。こんなアルバイトを皆が辞めればいいのである。そうして欲しいから、こっちだって相手してやっているわけだ。ま、切ればおしまいの電話って便利だな。自分の身分も明かさずに相手の身分を知ろうとする。

しばらくしたらまた電話があった。同じ事を聞いた。すると「市の教育…」とまた同じ事を言う。「市の教育委員会が名簿を流しているってことですか」と同じ確認をする。すると「市の住民…」と言うから「ああ、住民台帳で調べたんですね」と確認すると、そうだと言う。相手にしたら楽な相手である。でも住民台帳って電話番号あったっけ?なんてことを言わずに、納得しているわけであるから。で、こちらはしたたかだった。法律違反をしているわけではないし、正規な手段で入手したものであり、と説明する間に自分の塾の名前を選挙運動みたいに連呼するのだ。おかげで名前は覚えた。行かないけど。そして「ご迷惑でしたら次回から電話をしないようにしますが」と言う。これは私がこの手の電話がある都度「もう名簿から削除して下さい!!!」って叫んでいる言葉ではないか。学習されたのかも。それにしてもうっとうしい世の中だ。かけてる方もストレスだろう。心の病になるかも。病気だらけになるのは分かる。
by kienlen | 2007-11-29 21:32 | その他雑感 | Comments(0)
息子が警察へ行くので保護者として同伴しようとしたら、自分の車のバッテリーがあがっていた。どうやらライトのつけっぱなし。夫の車を使って出る。同伴出署だけしたら家に戻ろうと思っていたが友達からランチの電話があってそのまま外で過ごすことにする。落ち込むことばかりなので消費でもするかと思って牛革バッグをカードで購入する。午後から仕事だが、待ち時間が圧倒的に長くて、おかげでゆっくり読書したのがコレ。多分2か月くらい前に買ってあって、少し前から読み始めていたもの。もう仕事なんかどうでもよくなる濃厚さ。力作だと思った。著者は読売新聞の河野博子さんという方。新聞記者の本って積極的に読もうという気にならないのだが、これは素晴らしかった。さすがにアメリカ担当には逸材を当てるのか、なんて思ったりした。アメリカの内在論理を追求したものといったらいいんだろうか。私のようにアメリカのアの字も経験してない者にとって、アメリカに関する情報というのは、どう理解していいのか想像しにくい。この本を読んでかなりすっきりした。

で、次のフレーズで感想を書くつもりだったが、いろいろあって参っている。参っている自分をおいておいて書こうと思うが難しい。明日にしよう。この間、同世代の友人が「結婚しないで子供いなくて良かったと思う」と言っていた。私は結婚して子供がいることを良くなかったと思うことはないが、人生修行という点で子供以上に強烈な存在はないわけで、人間関係のトラブルとかいじめ等で悩んでこなかったことへのツケなのか。今日は泣いたが、笑える時がくるんだろうか。分からない。タイトルと違った内容になってしまった…。リスクを回避すれば少子化は当然である。これは防御本能の一種であるように思う。その本能が働かなかったわけだ。
by kienlen | 2007-11-28 20:17 | 読み物類 | Comments(0)
1歩も外に出てない2日目。足が退化するんじゃないかと思う。昨日からネットで知って今日の新聞にもあったが、タイのスコータイのお寺の辺りで日本人女性の他殺体が見つかった。今ちょっとタイの新聞を見てみたら、犯罪ページのトップに大きく載っていた。事件を報じた後は、もっぱら観光業界への影響が懸念されている。警察の数が足りなくて観光客の安全を確保できないから増やすけどまだ足りないとか。どこも同じようなもっていきかたである。続報としては、怪しい数人が拘束されたらしい。日本人や韓国人も絡んでいるかも、と特に根拠も示さずに書かれている。遺体の爪から取った犯人と思われる者の皮膚のDNA鑑定をして、怪しい人物達が犯人かどうか調べるとある。スコータイに行ったことがないので環境を知らないけど、どうやら自転車で1人でお寺に行ったようだが、これは多分とっても危険だと思う。タイの雰囲気は一見危険そうには感じられないけど、殺人、強姦、強盗等々は日常茶飯事。タイ人に言わせたら「女が1人でタクシーに乗るなんて」ってことになる。

かといってタクシーに乗らないわけにはいかないから利用はしていたけど、私は怖がりなので、どんな運転手か知るために、とにかくよく話しかけることにした。ちょっとトロイ感じで、借金がかさんでたまらないとか、妻が病気で物入りで、とかペラペラ話す人はなんとなく安心だった。嘘か本当かはともかくとして。落ち着きなかったり大きな音で音楽かけていたりで、ヤダナとか、クスリやっているんじゃないかと感じたら街中にいるうちに降りて別のを探す。最も安心なのは「昼間は銀行に勤めているんだけど、子供のお菓子代稼ぎにタクシーも」と話すような身なりのきちんとした人。もっともこれも本当かどうか知らないけど、なんとなく話し方で予想できる部分はある。実は料金交渉が必要だった時は、交渉時の直感に頼ることができたがメーター制は不便だ。乗ってから行き先を告げて、途中で降りるのも不自然で言い訳を探していた。しかし、そうだなあ、タイ語ができないとそれも無理か…。言葉は壁である。せっかくの楽しい旅だっただろうに、なんてかわいそうなんだろう。
by kienlen | 2007-11-27 16:33 | タイの事と料理 | Comments(0)
静かな月曜日。電話もない訪問者もない、誰もいない。外の気配も穏やかそう。ずっと外出続きで、おかげで日記も書けずじまいで今月は随分と欠けている。こんな呑気な在宅は久々に感じる。2日前に観たのが、日本映画の最高齢の新藤兼人監督の語りと徴兵体験から作られたこの映画。新藤監督が体験や感想を語る部分はドキュメンタリーで、経験を再現する場面はドラマ仕立てで、保存映像があるものはそのまま使われていた。チラシには「ドキュメンタリー・ドラマ」って書いてある。戦争映画には、それを遂行する軍隊という組織の理不尽さが何かしら含まれてるように思うが、この映画はその部分だけに特化したもので、ここまでバカバカしい描写の連続に、戦死者や関連の死者、その遺族が観たらたまらないだろうと思った。犬死なんてものじゃない。まったく一歩間違うと喜劇なわけで、もういっそのこと戦争というものが喜劇の劇中劇としてしか存在しないという風にならないものだろうか。

95歳という年齢に達したらきっとこの世に怖れるものはかなり減っているのではないだろうか。そうなって初めて作れるものなのかもしれない。よってある意味枯れた中にも力のこもった、と言いたいが、全体的にはそれよりも力の抜け具合の方が勝った感じで、そのせいかドラマ仕立ての部分のわざとらしさが際立って、これを私は映画そのもののテーマを象徴する意味でも面白いと感じたけど、別の感じ方もありそうだな、と思った。別の人の感想を聞いてみたいものだ。すごく評価が分かれるような気もする。私は『戦争の作り方』を思い出した。あれは確か非戦闘時下の軍隊の腐敗ぶりを徹底的に描いたものだが、軍隊という組織の中でも消せない兵士の主体性は伝わり過ぎるほど伝わってきた。でもこっちのは自由の制限なんてレベルじゃなくて、人の基本的尊厳というところまでを蹂躙しなければならないという考えに満ちているようで、しかも誰の責任の下に行われているのかも不明で、これはどの国の軍隊にも共通する本質なのだろうか。ここに登場するような大局的には無意味にしか見えない行為を正統化させる論理とか心理って何なのか。それこそ日本固有の中かがあるとしたら知っておくべき点じゃないだろうか。
by kienlen | 2007-11-26 14:43 | 映画類 | Comments(0)
娘は実家泊で連休中留守、息子はいつも通りずっと家でごろごろしているが今日は朝から部活へ。朝食の席で「今夜3時にパパは行くから」と言うと不思議そうに「どこに」と聞く。タイに行くことを知らなかったらしい。我が家は会話のない家族なので、それぞれが伝えたつもりでいるのに伝わってないことは多い。特に息子は毎日不機嫌な顔でかわいくないので誰も話しかけようとしないから情報に疎い。娘の方はまだかわいいので情報が集りやすい。こうしてすでに格差は始まっている。よってタイに1週間ほど帰省することを説明して、店を休むつもりだったがやることにしたので私はかなり忙しくなってしまうこと、だから協力して欲しいこと、その協力とは何かしろって意味じゃなくて親の手を借りなければならないような問題を起こすなって意味であることを説明する。理解しているのかいないのか不明であるが、それを確認していると虚しくなるので言い切りでおしまいにする。それにくどいと相手も逃げるからこのコツが肝心である。余韻を残して退散のタイミングって、なかなか難しいものだ。

今日はこれから映画を見に行くつもり。それから友人の展示会場に友だちと詰めて、その後は仕事関係のパーティーに出て、それから関西から来ている若い友人と沖縄料理の店に行こうかって話しもある。しかし、店を休まないのは私にとってはひじょうな負担であるが、休む損害を考えれば休みたくないのは分かる。休みたくないのはコックさんだ。1週間も日当なしじゃあ大変だろう。しかしタイ人間コミュニケーションというのは今だに私にも理解しにくいことがあって、夫がどういう打ち合わせをコックさんとしているのか今ひとつ分からない。当方は店のお留守番はするがそれ以上の事はしたくない。細々ながらも本業に支障きたしたら困るし。だからどういうことになっているのか踏み込むと、逃げの姿勢になるのである。これってまるで思春期の息子と同じじゃないか。で、夫じゃあ、かわいくない息子よりさらにかわいくないときているし、仕事なんだから感情の問題じゃあないはずだ。それなのに、どいつもこいつもって感じ。あんまり逃げられるとこっちに問題があるかのように錯覚さえしてしまう。
by kienlen | 2007-11-24 10:02 | 家族と子供の話題 | Comments(0)
いつもよりずっと早いがタイヤ交換した。夫がタイに行く前に交換してもらった方が心配ない。タイヤ交換してくれるのは助かるが、また彼は朝帰りだった。このところ昼夜逆転が本格的になっていて、まずは健康にいいと思えない。しかし居酒屋みたいな食堂をやるということはこういうことなのだと今になって思い知っている。結構異文化接触はしているつもりできたがそうでもないんだなと思う。誰だって仕事が終わった後はほっとして遊びに行きたくなるだろう。それは分かる。で、その仕事が夜の仕事だと、そのまま遊びに行くと朝になる。それも分かる。それをやっているのが夜の商売の人達なのだということを見聞きは充分していたつもりが、我が家もそうだったんだって今更気付いた。で、当然昼間は寝ている。ウチだって、ランチ営業をしていなければ夫は多分1日中寝ていることだろう。するとますます昼夜は逆転する。なるほど、と感じ入る私は、この点は保守的なのである。たまに朝まで飲むなんてことをどうも思わないし自分も何度もそんな日はあったが、それはあくまでイレギュラーであった。

タイでエイズ問題が持ち上がった頃、予防キャンペーンをしている先生が、高リスクである夜の商売の層への普及活動の難しさを嘆いていた。つまりテレビやラジオなどのメディアでいくらやっても、昼間は寝ているのである。夜は働いている。夫がこうなると実感である。そして外国人の家族はこうなりがちでもある。移民1世は言葉の問題もあって職業の選択肢がないから小さな商売をする。ウチもそれだ。この場合、まだ乳飲み子がいたりすると、夜と昼で世話を夫婦が交替でする。女性が夜の仕事で男性が工場だったりすると、夜は父が世話して昼は母が世話。それでギリギリ。タイ料理は美味しいのでまじめにやればやっていけるのに、なんでみんなまじめにやらないのだろう、とずっと思っていた。まじめという中にはランチ営業も含まれる。でも、その理由は分かった。夫の生活を見ていると、このまま毎日朝帰りになったら、とてもじゃないがランチ営業する気力も体力もなくなるだろう。彼がその点をどう考えているのか不明だが、とにかくタイ帰省の機会に考えてくる必要はあるだろう。これは我が家の危機というレベルに達してるのかもしれない。
by kienlen | 2007-11-23 17:38 | タイ人・外国人 | Comments(0)
また雪だ。タイヤ交換もしないとならない。灯油は高い。この状態で物価が上がったらお手上げだ。そういう不安がだんだん重たくのしかかってくる。今日は1日在宅仕事をせねばならなかった。ということは逃げ出せないということで、でも仕事に集中できるわけでもないので、結局はパソコンの前に座ってジジジジジと時間が過ぎて、それじゃあ悲しくてネットで普段なら見ないようなサイトをチラチラのぞくことになる。時間があると結構読むのは人生相談ページ。特に結婚生活とか夫婦関係。で、いつも不思議に感じることがある。そういう人が投稿しやすいのか何なのか分からないし、そこまで追及するほどの興味はないが、結婚すると妻が家計を管理したり、夫はお小遣い制だったりする場合が多いようである。ウチなんて無秩序もいいところだ。全体的な家計管理はない。そもそもお互いの収入を知らない。少し前から、学費とか給食費とか光熱費の一部を夫の方の口座から引き落とすことにしたので、私は随分と楽になったが、それまでは私の口座だった。で、気分が悪くなると「カネくれ」と要求してもらっていた。金額は彼の気分次第って感じで。

ところが口座引き落としが夫に移ったことで「カネくれ」を言えなくなってしまった。食費や日常的な買い物は私が行っているから、一体どっちが多く払っているのかは不明なのだが、どうも夫に引き落とし口座を移して以来、彼の家事負担が減っているように思えてならない。まあ、これも思うという感覚的なものでしかない。特に分担を決めてないから。この歳になって、子供も大きくなってくると、いかに半端に生きてきたかが分かる。仕事で何かを成し遂げたわけでもなく、じゃあ家のことは完璧って言えるかっていうとあり得ず、子育て時期は自分を犠牲にしたのでこれからは自分のために時間を使いたい、なんて言ったら自分でも笑いたくなるくらいあり得ない。そして家族の絆みたいなものも、かように希薄に思える。で、この先どうなるんだろう。半端だし、この歳になっても定着感みたいなものを持てずにいる。県外の友だちが明日からさをり織りの展示会をするため来県。これから一緒にタイ料理を食べる。半端さについての考察は後日ってことにしよう。とあくまで半端。
by kienlen | 2007-11-22 19:36 | その他雑感 | Comments(0)
これを昨日読了。著者は坂中英徳氏と浅川晃広氏。それぞれの肩書きは外国人政策研究所所長と、名古屋大学大学院国際開発研究科講師。坂中氏は長年の入国管理局勤務の中で、またその経験から、入国管理行政に関しての提言等多い方であり、私も少しは読んでいるので少しは知っている。それもあってamazonから知らされた時に即注文したのだが、到着がやけに遅かった。パスポート風の真っ赤なデザインの装丁。この薄さで1600円は割高感があるが、発行部数少ないだろうし、しょうがないかと思って読んだ。この本の目的は、来るべきなんて呑気なことを言ってられないすでに始まっている人口減少時代に外国人を迎え入れるための具体的な提案を示してみるので、国民の皆さんぜひ議論して下さい、と呼びかけるためのその方面の方々のためのテキストというところだろう。で、その骨子は、まず今その方向で外国人受け入れをせよとの声が大きいローテーション方式ではなくて「移民」として受け入れ、国籍取得も簡便化して統合型の移民国家の道を目指せ→そのためには、日本語能力試験を課す等、日本国民として生きる覚悟のある人を選別することが大切で、もちろん権利も義務も日本国民扱い。

つまり、お客さんとしての外国人ではなくて日本国民候補としての外国人の受け入れ、ということだが、坂中さんはその前に選択すべき2つのシナリオがあると強調している。ひとつは、人口減少時代にふさわしい小さな国家の道で、この場合は外国人の流入は厳しく阻む。名付けて「美しい衰退への道」。質素な成熟社会であり華美な生活はできないがそれなりの幸福はあるだろう、ということ。そして次が、多分一般国民はこっちを選択するだろうと坂中氏が述べている「活力ある社会を維持する道」で、この場合の道筋を提案しているのが本書、ということになる。私がごもっともだと思う点は、外国人を一時的な滞在者とみるのではなくて、国民として統合して共生する道を真剣に制度に反映させるべきということ等いくつもあるのだが、この手の本でどうしても違和感を拭えないのは、相手に人格がないかのごときの描き方。ある意味しょうがないのだろうか。でも、例えば労働者不足の介護分野への導入が例示されているけど、外国人だから日本人の就かない仕事を引き受けるということはあり得ないように思う。最初はそれで来日したって、その後意思的にフリーターになるかもしれないしニートになるかもしれない。で、それじゃあ困るからって強制送還にするわけにもいかないし、そんなことになったらこの方が重大な人権侵害というものじゃないだろうか。政策提言だから具体的でなければならないし多面的になっていたら無理なのは分かるけど、まあ、だから自分のような者には馴染めない部分が相当あるけど、いずれにしろ外国人政策をどうすかはもっと広く関心もたれるべきとは本気で思う人には読む価値ありか、な。
by kienlen | 2007-11-21 09:20 | 読み物類 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


by kienlen