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異文化体験のために払う費用で目覚める

少し前に地方新聞で「オーストラリアで日本語教師のアシスタントのボランティアの説明会開催」というお知らせを見つけて申し込んだ。参加無料だったし、どういう仕組みなんだろうって興味と、もし格安の費用だったら興味あるなってのとで。なんといっても今はあらゆる面で行き詰まりを感じているから、環境を変えたいというか逃避願望がいつもある。で、今日が当日で出かけた。参加者はほんの7-8人。主催はNPO法人で15年ほどの実績がある。オーストラリアというのは日本語学習に対する関心が高くて、大学入試の外国語選択では日本語での受験者が最も多いそうだ。ふうん、知らなかった。それにオーストラリアの学校が4学期制というのも知らなかった。かように日本語教育が盛んであるから日本語の授業は多くの学校で導入されていて、日本も税金使ってオーストラリア人日本語教師の養成には熱心、なのだそうだ。だからアシスタントの需要もあって、ボランティア派遣の事業をしているのがこのNPO法人。31歳までだと堂々とアシスタントとしてのビザが取れるので問題ないが、それ以上になるとビザカテゴリーはあくまで観光で、文化的なボランティアもするという名目で活動が認められるそうだ。

1学期単位だから10週間が基本。特に近年は若者よりシニア世代の参加が多くなっているということ。本日の参加者も大方がシニア。で、ホームステイの費用は抜きで、自己負担が約65万円~ってこと。よって滞在費含めたら100万は超えるだろう。ここまでだと自分の場合、経済面において一考の余地もない。目的はほとんど異文化体験で、その受益者は参加者であるから受益者負担の考えに沿っているという趣旨には何の異存もないけど、この説明会を聞いていて自分のバカさ加減に呆れることができたのは収穫だった。シニアってのは、つまり一般的には余裕がある世代ってイメージだろう。私はシニアでありながらまだ子育ての真っ最中でろくな仕事もなく貧乏なのである。それでいてこんな説明会に来ている。息子をバカ呼ばわりしていることを強く反省する。それは私だ。異文化体験なんぞ、毎日しているぞ、子供も異文化、夫も異文化、日本社会も異文化、異文化には不自由してないぞ。帰りに夫の店に寄ろうと思って足を踏み入れたら3人のタイ人スタッフと1人のタイ人のお客さんがカウンターに並んでいて異文化だったのでそのまま帰った。やっぱ、全然不自由してない、といより、この異文化が悩みなのだと目が覚めて家に帰り、子供達に優しく接して平和な夜を過ごした。
by kienlen | 2007-07-16 22:21 | 家族と子供の話題 | Comments(0)

この時期の訪問者はコレ

パチンコで儲かった友達がランチをごちそうしてくれるという。持つべきはパチンコに強い友。付近のビストロに自転車で行き、ランチのセットを頼む。「ワインもいこ」と言われて断れるわけない。赤を1杯。彼女は今夜タイに行くので「万が一の時にサ、×ちゃんにごちそうしておけば良かったって後悔しないようにねえ」とか言っている。そんな風に思ってくれる友がいるなんて。今日は地震もあったし、いつ何があるか分からないという事の確認は折りにふれてするわけだ。1杯のワインはちょうど気持ちがよくてソファにひっくり返って、今日は小説にするかって思って奥田英朗の『サウスバウンド』を読み始めていたら玄関のチャイムが鳴った。今ごろ誰だ、心当たりはない。開けたら、中学の時の同級生だったから何十年ぶりだろう。「なんで同級会来ないんだ」などと、立ち話を始めようとするので家に入れる。「参議員選のお願いなんだけどサ」と言う。そっか、この時期はこれか。政党名は言わなくても分かるから「いいよ、分かってるから」と遮る。でも候補者いないじゃん。「比例は頼む」ということだ。それで次に「9月はこっちを頼む」と自分の写真入り名刺を出した。「へえ、出るの」と言うと「ウン」だって。

「ふうん、就職先探すより議員に出る方が職を得られる確率高いよねえ」と言ってみたが、くだらん質問には肯定も否定もしない、すでに政治家的態度が身についている。「お宅の党、問題ありじゃないの、○とくっついちゃって何よ」と言うと、ああだこうだと説明するから「そうやって政治的に考えるのって嫌いなんだよね」と言うと「嫌いなんて言っている問題じゃない、政治は身近なんだ」と説教される。私に説教するより、そんな時間があったら投票に行かない人を行くように促す方がいいかもよ。私は投票には行くんだし、個人的な事は政治的な事だと思っているし。与党側にいないと何もできないんだ、政治を変えるには時間がかかるんだ、あれもやった、これもやった、の話になる。「アタシは別にあれしてくれ、これしてくれって言ってないけど」とまた遮る。「でもねえ、軍事費にお金使うようになると教育福祉が削られるわけでしょ、それ狙っているんじゃないの、歯止めかけてるように見えないよ」と言うが、そんなことはない、の一点張りだった。ここで話していても不毛、でも、じゃあどこで?って思ってしまう。
by kienlen | 2007-07-16 17:31 | 社会的話題 | Comments(2)

『ナショナリズムという迷宮-ラスプーチンかく語りき』

標題の本を読み終える。佐藤優と魚住昭の対談だ。書店で見つけて欲しい、でも予算が…で迷っていたものをこの間遂に買ったもの。特に高いわけじゃなくて1500円で発行元は朝日新聞社。佐藤優はどれも面白いけど、これもまた懇切丁寧な思想と現代の現象の解読本って感じで満足感ありありだった。ただ途中で投げ出したくなった局面もあった。だって、何だかんだ言ったって、お2人は勝ち組でしょ、みたいなひがみ根性かな。いや、この方々はそんな低次元で話しているわけじゃないし、そんな次元で自己言及しているわけでもないし、だからそれで止めたんじゃあ、無意味な自爆みたいなもんだし、負け組の固定化につながるので意地で読み進めることにした。と、なんと大げさな前フリであることか。ナショナリズムとかファシズムとか、新自由主義とか新保守主義とか、昨今の雑談にも出てくる割には、ホントに自分で理解してんのかい、と自問しているキーワードをここまで分かりやすく解説してくれることに涙が出るほどだった。しかも、茶化さずに面白い。例えば新自由主義と新保守主義の葛藤は、怪獣の対決に例えられる。ゴジラ対、ナントカ怪獣。

ホリエモンは貨幣である。貨幣が国家を超えると国家は困るから、あの事件になる。で、国家は官僚である。資本家も労働者も社会から生まれているが、官僚の出自は国家である。だからアレコレって、ホントはきっとすごく難しい話を優しく説明してくれる。これこそ、知識人の役割でしょ。知識人が知識人の役目を果たしえなくなった時にどうなるかって事も説明されている。最後まで読んで良かったのは、佐藤優の最後のフレーズをちゃんと読んだことかな。「…世の中、ろくでもないものしかない。国家だって民族だってろくなもんじゃない。しかし、ろくでもないもののなかをうまく歩いていかねばならない。繰り返しますが、重要なのは、絶対に正しいものはあるかもしれない。ただし、それは誰にとっても正しいものではなく、ある特定の集団にとっての正しいものであるにすぎないということ。そうした絶対に正しいものは複数あるんだと。あとは、私たちがその想像力をどこまで持てるかということだと思うんですけどね」。
by kienlen | 2007-07-15 21:38 | 読み物類 | Comments(2)

ヤキソバ食べてがんばったが予定変更

朝は少し残っていた仕事をした。息子が「ヤキソバ作るけど食べるか」と聞くから、残りご飯を食べない事に腹がたって「残りご飯食べるからいい」と断ると「それも入れるから」と言うので頼んだ。しばらくして仕事机に彼がこれを届けてくれた。
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ヤキソバの中に残りご飯が少し入ってる。私はこういう食べ物は好きじゃないのだが、人が作ってくれるのはありがたいし、何も食べてなくて空腹だったからいただいた。しかもケータリングサービス付きなのでパソコンの前でガツガツ。野菜の切り方とかもいい感じだし、さっきキッチンの音がうるさかったのは肉をたたく音だったのか、これもいい感じで入っている。それに美味しいのである。毎日作ってくれるとなおさらいいのだが、ま、贅沢は言えない。それに彼の問題は片付けをしない事で、汚いキッチンを見ると文句言いたくなるが、これも我慢。あまり言って作ることそのものをしなくなる方が困るからな。何を我慢して何を言うかの切り替えスイッチで脳が詰まりそうなのが親というものである。おかげで他に使う分の脳みそが減っている感じだ。それもお前のせいだぞ、息子。

韓国の舞踊のチケットを友人から2枚もらってあって、午後はそれに行かねば、と思っていたがどうしても気が進まない。会場も遠い。娘を連れて行こうと思っていたのに実家に行ってしまった。それでミスマッチは知りつつ友達に電話。「韓国の踊りのチケットあるんだけど、行かない?」「全然興味ない。チマチョゴリも好きじゃないし」「それは分かるけど、3000円もするのもらったんだし、もしかして韓国舞踊用のステージの絵を描いてくれって仕事がきた時に役立つでしょ」と説得を試みるが彼女は迷うことなく「その仕事断る」とまで言うのでどうしようもない。「ほら、Mさんだったらチマチョゴリ似合いそうでしょ、誘ってみれば」というご提案付きだ。そもそも韓国の出し物とチマチョゴリの関係も知らないっていうのに、ステレオタイプ会話もいいところだ。脈ナシなのでMさんに電話した。事情を話して誘ったら、今日は仕事でダメだったが「明日ご飯食べに行こうよ。稼いだから」と言う。彼女はこの間も、あんまり暗い私に「ま、飲みにでも行こうよ」と言うから「景気いいじゃん」と言うと「パチンコで稼ぐから連れて行く」と言う。それで私は周辺に「Mさんがパチンコで稼いで私を飲みに連れて行く」と言いふらした。でもその日は「すっちゃった」で実現せず、まるで私まで嘘つき状態。その後、再挑戦で儲かったんだそうだ。パチンコの技がある人はいいなあ。パチンコの腕を今から磨く自信なし、ううう、腕のいい人に頼る道しかないか。話がそれたけど、そんな話をしているうちに時間が過ぎてしまったので読書にする。
by kienlen | 2007-07-15 14:30 | その他雑感 | Comments(2)

思い出に頼ることで見えてくる事もある

生家は山間地にあって、家の裏は山、眼下は川で、畑も遠かったし、土蔵とか蚕室とか別棟がいくつかあったし、トイレも外だったから、子供の頃にトイレに行くのは怖かった。それに、母と提灯を下げて土蔵の戸締りに毎晩行った。今思うとなぜあんな事をしたのだろう。母屋にカギもかけないのに土蔵にかけるって。味噌や漬物はあったけど、あんな大きな樽を盗む人がいるんだろうか。車だって入って来られない場所だし、歩くには山だし、途中まで車としてもそもそも当時まだ珍しかった車を持てるような人が、味噌泥棒するだろうか。それで、ふと、母にとってしばし娘の手を引いて夜の庭を散歩するのが、大家族の中でのヨメという立場からのひと時の解放だったのかもしれないと思ったりもする。全くの想像でしかないが。ただ、私は夜に、中にはもっと暗闇が広がる土蔵の戸を閉めるという行為が恐ろしかった。それ以外にも、むろん外灯なんてある場所じゃないから、離れた町場の中学までバス通学して何かで遅くなると冬などは、バス停から真っ暗な夜道を1人で歩いて帰るのだから怖い。よく暗闇を彷徨する悪夢を見たものだ。

という思い出を引っ張り出してきたのは、母はまだ若かったから祖母かもしれないが、私が暗いトイレに行くのを怖がると「歳取ると不思議と怖くなくなるんだ」と言われたことを思い出したのだ。だから歳を取るということは、少しずつ恐怖からの解放されることであるようなイメージをその時から抱いていたのかもしれない。だから辛い事があると、どこかで「歳とれば楽になる」みたいな囁きが助けてくれるのだ。その後、これはもう大人になってからの事だが、妻の不貞というのはすごく多いのだという現実に気付いた。職場にも周囲にもたくさんだったから。その時に、不思議だったのは夫の方の態度である。態度っていっても私がみんなを直接知っているわけではないし、知っていても顔見知り程度だから、日々の行動に関してではなくて、妻を通じて感じられる妻への関心のレベルというか種類というか。だって、それでも平然と日常生活を営むってどういう事かな、ってのが当時の自分の内心だった。それで今思うとあれも自分が若かったせいかだろうか、と思う。やはり原点はあの暗闇にあるのだ。怖いなと思ってもトイレに行かなくちゃならないし、たまにばあちゃんが同行してくれたけど、こっちの恐怖心など関係なく、みんな平然と団欒して笑っていた。あそこで闇に吸い込まれた子がいたとしても、アレってなもんかもしれないな、と思って、その後、いやいや違う、もっと人との関係性というのは深いものなのだ、特に男女は、親子は、なんて思おうとして、それからも解放されていくのが年齢を重ねるということなんだろうか。なんでこんな思い出に浸っているかは別として…。
by kienlen | 2007-07-15 10:33 | 家族と子供の話題 | Comments(2)

また新しいコックさんになるかどうか

昨夜は酩酊状態ってほどでもなかったが書けなかった。高速バスで往復6時間半の場所で1時間足らずの仕事をした。思ったより早く済んだので帰りのバスを早めることができて、子供達には「うんと遅くなる」と言いふらしていたことをいいことに、こっそり夫の店に行ったら娘から電話があって、隠密行動が彼女の知れるところとなってしまった。友人との用事も済ませて、じゃあ早めに帰るかと思っていたら別の友人が入れ替わりに来たのでそのまま居座る。すると、もうじきタイに行くという顔見知りのお客さんが来てビールだワインだとごちそうしてくれるので、せっかくだからありがたくちょうだいする。「どう仕事?」「もうゼンゼン」「ま、いいじゃないか」「そうとも言えないけど、ま、そうですね」ってな具合。酔ったけど、ウサギの餌取りをしてなかったので、自転車でクローバーのある集合住宅の敷地に侵入して夜の草取りをする。不法侵入で捕まるかとハラハラしたが大丈夫だった。サーチライトも当てられなかった。

店は新しいコックさんがお試しで来ていた。今度は日本人と結婚して身分の安定している女性。これまでずっと東北地方の出身者だったが、彼女は北部のパヤオ県出身。タイを知っている人ならこの地名が何を意味するかすぐに分かる。女性でこの辺に居ついている人は北部の出身者が多いので北部の料理を作れる人はいいだろう、というのが夫の見解である。「美味しくないとお客さん来ないよ」と言うと「上手だよ」と夫。まずきのこのスープ。すごーく美味しくておかわりする。次にカヌン=ジャックフルーツのナムプリックみたいなもの。これは北部料理。こんなものが日本でも作れるんだ。これもすごーく美味しくて満足。友人がラー・ナー=あんかけ麺を注文したので味見。少々まったり系の感じ。北部の料理で私が大好きなのは、ハーブがどっさり入って、東北のとはまた全然違うスパイシーな北部ソーセージである。「サイウア=ソーセージ作れるの?」と聞いたら「作れる」ってことだから手作りしてもらったら最高だろうな。ビールとぴったり。それを思うと俄かに楽しくなった。今日はこれから自分で運転で軽井沢へ行かないとならない。
by kienlen | 2007-07-14 08:01 | タイの事と料理 | Comments(0)

野菜直売所でいいモノ見つけた

3時間で3750円の本日限りのアルバイトをした。しかも、実はこの半額なのだが、ペアを組んだ人の好意でかろうじてこの値段。本当のところ、この倍だって言われて、それは割がいいなあと思って引き受けたのに、なぜか半額になっていた。末端作業員はそんなもんなのである、という話ばかり続いて我ながら情けないが、日本社会の現実だからしょうがない。これに関する考察があるのだが、今日は書く元気がない。もっと調子のいい時にしないと、ただでさえ湿度が高いのにますます湿っぽくなるばかりだ。それで気晴らしに食べ物の話である。充実感皆無のバイトの後でドライブがてら野菜の直売所に行った。そしたらベビーコーンが1袋100円で売られていた。おお、タイでの食生活がよみがえる。野菜炒めにもスープにも生のベビーコーンがよく使われていたし、日本料理の店ではテンプラになっていた。ほぼ毎日のように食べていたと思う。それまで缶詰めのしか知らなくて、あの食感が苦手だったので、ベビーコーンの印象を好転させたのがタイでの食事である。

このへんで栽培されているとは今日まで知らなかった。迷わず買って、ズッキーニとナスとピーマンとニンジンとベーコンでニンニク入れて炒めたら娘が「何コレ、美味しい」と、3人分のつもりで作ったのをほとんど1人で食べてしまった。娘は8か月で日本に来たからタイの食事を知る前のことだ。でも途中で少し滞在しているから、もしかしてその時の味を覚えているのかもしれない。「タイだと毎日のように食べるんだよねえ」と言うと「ふうん、ああ、ドーナツは覚えているよ」と言う。朝食によく食べるパトンコーのことだな。部活で帰宅の遅い息子に残しておく分がなくなったので、彼が帰った後でまた作り直しした。ベビーコーンを少し残しておいて良かった。すると彼も全部きれいに食べた。息子は4歳までタイだったから食べ物の記憶はどこかにインプットされているかもしれない。要するに2人共好みの味だったってことだ。おかげで私はちょっとしか食べられなかったが、いいモノを見つけた。あの直売所にまた行って、夫の店でタイ風で作ってもらうことにしよう。そういえば店で出してもいいじゃないか。ベビーコーンのおかげでささやかな楽しい思いをさせてもらった。
by kienlen | 2007-07-12 23:44 | タイの事と料理 | Comments(2)

景気いいんじゃなかったの?と言われても…

近所の簡易郵便局に行った。ネット注文している名刺代の振込みとか税金の支払いとかの用事。後継ぎで局員をやっているのは、若い頃に勤めていた会社の元の同僚だからよく知っている。「仕事どう?」と聞かれたがあまりに悲惨な状況なので「…」と沈黙していた。「ボツボツ?」と聞かれて「ボツボツにもいかない。もう絶望的」と答えると「あれ、巷は景気いいんじゃないの?」と言う。「それホント?」と私。「そうだよね」と彼。「下請けの下請けのその下請けのって仕事だから安くてたまらない。それで昨日はとうとう仕事断っちゃった」と私。「やっぱりね、何かおかしいよね。儲かってるのって大企業だけなんじゃない。このへんで景気いいって話聞かないよ」と2人の意見一致。「住民税の高いの、笑っちゃったよ。借金して住民税払うんだぜ」「アタシなんか笑えないくらい驚いた、酷すぎる」「年金はアレだしさ、メチャクチャだよね。選挙でどういう投票行動にでるかだけど…なんか、あんまり期待できない感じだよね」も一致。「かといって、私みたいな虚業やってて、ワーキングプアです、って言えるのかっていうとなんか違うような気もするんだけど、構造的には同じだよね、どの業界も」と私が言うと「俺はワーキングプアだぜ」と彼。簡易郵便局の報酬体系については知らないが「そっか、この建物を維持してくって感じ?」と聞くと「そうそう」と答えていた。

この分だと8月はほとんど収入がない。実は昨日、仕事が出るって言われて某社に行ったのだ。で、仕事を断るなんて、現場仕事が重なる時以外はほとんどないが、さすがに「すいません、ちょっと無理です」と言ってしまった。内容も内容だったが報酬も報酬で。それで帰路に早速少し後悔気味。安いっていったって別に難しいものじゃないから内職だと思えばマシかも。量があるんだから、ひたすら内職内職と言い聞かせてやれば少しはまとまるし、そもそも断っている余裕なんかないでしょ、アンタ、と。でも、しかし、多分受けたら受けたで後悔したと思う。確実に言えるのは創造的な気分が全くなくなるということで、これは辛いことなのだ。ううむ、往生際の悪いヤツである。それでも昨日は店に行って友人達が来たのでワイワイやっていて忘れていたが、今日になってまた不安になる。それを引きずったまま訪れた郵便局での1コマだった。
by kienlen | 2007-07-11 21:41 | 仕事関係 | Comments(2)

資金も手段もないのに浮かぶのは逃避って…

火曜日というのが自分にとっての1週間の始まりの気分。月曜日に予定が入ることはあまりなくて、週末に在宅仕事を持ち込むことが多くて、火曜日はタイ人の高校生の生活支援でたった1時間とはいえ高校に行くという役目があるからだ。それで月曜日はどうも通常にも増してダラダラする傾向がある。昨日もそうだった。頭も体もどこも使わないから眠りも今ひとつ。だんだん寝酒の効果も薄れてくるが、長くこういう習慣を続けていると睡眠のパターンが変化してもう正常ではなくなっているはずだ。どこもかしこもボロボロ…なんて考えていたらますます眠れなくて、これはイカンと思って夫の店に電話して「とにかく辛いモノが食べたいから作って持参して冷蔵庫に入れておいて」と頼む。そして届いたばかりの定期購読誌を開いたら、これまた佐藤優が書いていてつい読んでしまった。昼間の読書は睡魔を誘うが深夜の読書はそうでもない。朝になって辛いモノを冷蔵庫から取り出したいのだが、文化祭の振り替え休日でだらしなくテレビを見ている息子を見てこれ以上絶望的な気分になりたくないので、キッチンにも行けずコーヒーだけで我慢している。壁のない家+反抗期の子+更年期の親が重なるとこういうことになる。この絶妙なバランスが崩れるのはいつのことやら…。

こういう悪パターンを回避するにはどうするか。外国に逃げたい→ちょっと今は無理だが、この考えを完全払拭はできない。外に事務所を借りる→そんな稼ぎない。子供に出て行ってもらう→あと3年か?怪しいけど。家の中に壁を作りまくって誰とも顔を合わせないようにする→取り払いたくなった時に面倒だし、そもそも広さ不足。こう整理してみると、自分の発想というのは闘わないタイプであることが分かる。やはりここは心頭を滅して我の境地を維持するしかないな。机の周辺を整理して来るべき事態に備えよう。なんて、まるで危険社会を煽る政府のようだから、そんな物騒な表現はやめて、もしかしたら少し規模の大きい仕事が入るかもしれないので、整理整頓しておこう。それで不要な資料を処分して、切り抜いてあった新聞をスクラップして、ICレコーダをチェックして小型ノートパソコンの苦手な小さなキーボードの練習もしてみた。これでなんとかなるか…な、と思いたい曇り空の朝である。
by kienlen | 2007-07-10 10:46 | 仕事関係 | Comments(0)

レジ袋不要で2円引きサービスと宣伝チラシのバランス

この間近所のスーパーに行って、レジで「袋は要りません」と言ったら「では2円引きます」と合計金額から2円引いてくれた。時々しか行かない店なので、初めての経験だった。「この方がいいですよね」と言うと「最近こういう風にしたんです」だそうだ。それまでは、レジ袋が不要だと言うと、スタンプカードにハンコを押すという方法だった。いくつかたまると100円の商品券として使える、みたいなサービスだ。ただ私はこれを利用したことがない。レジ袋をもらわずにカードをもらって、その都度スタンプって、何のための節約なのか、よく分からないから。それでもレジ袋よりはマシってことなんだろうけど、別にそこまでする必要あるのかと感じる。だから2円引く方がいいと思いつつも、その分レジを打って印字してって電気代とかインクとか紙を考えると、これもウウムかなと思ったり。

そういえば娘が父親と近所のスーパーに行ってガラポンをやって「残念賞がノリだったからその場で食べちゃった」と言う。ノリかあ。それまでは小さなポーチとかティッシュとかお菓子とかだった気がする。だったらノリの方がマシな気もする。どこもそれなりに工夫しているんだなと感じて、また先のスーパーに行って2円引いてもらって、持参した布袋に入れていたら、目の前にチラシが山積みになっている。つまりマイバッグを持参すると2円引くというお知らせのチラシ。色刷りで厚めの紙を使っている。ここまでやると一体どっちが資源の節約になっているのか、ホント、分からない。環境問題の一番分からないところは、何が真実なんだ、ということだ。例えばバイオ燃料が話題になると、未来のエネルギーみたいな明るい論調があって、必ず次には、実はね…というネガティブな論調が出てくる。風力発電などもしかり。食品添加物などもしかり、あれもこれもしかり。一体どれを信じていいのか分からない。結局政治なんだろうと思う。そして企業の場合は宣伝。だから環境がビジネスになればいいって説を主張する友達もいた。この間のゴアの『不都合な真実』を見ていた友人がひと言「ゴアの宣伝映画みたいだ」とつぶやいたが、私もそれは同感だったけど、でも、それでもいいじゃない、と思うものは思う。難しい。
by kienlen | 2007-07-09 22:25 | 社会的話題 | Comments(2)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


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