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さすがにこの時期は選挙の話になりがち

前に「家族療法」というのをちょっとかじったことがある。臨床心理学の中のひとつの療法で、家族内の人間関係を動的に捉えるという点が特徴だったように記憶している。精神分析のように過去に遡っていくのよりも私には納得できるものだった。この考えを応用すると、例えば子供が不登校になると、日頃は仲の悪い両親が結託して不登校問題に立ち向かおうとするという可能性がある。すると不仲はしばし隠蔽される。まあ、ウチの場合なんかを考えても日頃は夫婦のコミュニケーションほとんどないが、息子が帰宅しないなんて事態になると一応報告したり対策を考えたりする可能性は充分にある。これを視点を変えてみると、両親のコミュニケーション回復のために息子が問題を起こす、とも言える。冗談じゃなくて、子供の問題を考える時に、こういう考え方は有効だろうと、関係性重視になりがちな私は思っている。こんな事を思い出したのは、選挙結果を見てである。「野党が圧勝」ってことだけど、民主党は確かに立場的には「野党」でも、思想的に野党なのかどうか、私なんかにはずっと分からなかったから、まだ政権取ったわけじゃないし参議院の力がどの程度かもよく知らないので、影響力は分からないにしても、敵に立ち向かうためだけに結束していたとしか見えないから、家族療法的には、両親の不仲が見えるのはこれからなんだろうな。

しかし、これは有権者のひとりとしては深刻な問題である。今回民主党が掲げたのは「生活第一」というスローガンだったはず。格差やワーキングプアが日常会話になっているくらいだから、多くの共感を呼ぶとは思うし、私もいい宣伝文句だと思った。もっとも皮肉に見れば、生活という言葉の響きから庶民を想像しがちだが、民主党の議員の皆さんのレベルの生活重視かもしれないし、よくわかんないけどな。余談はともかくとして、民主党って、新自由主義の人達が結構多いんじゃなかったかな。それでいて、あれやる、これやるは、矛盾してないか。本来ならあれもやめる、これもやめる、のはずじゃないんだろうか。でも、あれやるこれやるの人達もいるから、調整大変なんだろうなあ。それで当たり障りなく生活第一になったのかなあ。安全保障だとか憲法の問題でも、自民よりも先鋭的な人がいるんじゃなかったかなあ。もっとも政党ってものがある限り、考え方の違う人が集まって当然なんだけど、困るのはそれが隠蔽された状態で表面のみ私達に伝わって「まあ、素晴らしいご夫婦、お子さんの不登校に真剣に立ち向かっている」なんてことになった場合だな。もう政党なんかなくなって、個人個人がちゃんと自分の考えを表明して、それでテーマごとに組めそうな人々と派を作るってのは無理なんだろうか。でも、それだと全体の方向性が分かりにくいかなあ。なんかすっきりしない。
by kienlen | 2007-07-31 11:17 | 社会的話題 | Comments(0)

東京地検特捜部についての章を読んで

田中森一『反転-闇社会の守護神と呼ばれて』はまだ半分くらい。出だしは、著者がどうやら冤罪で有罪判決を受けたらしい、と思わせるところから始まり、長崎県平戸島での貧しい生育環境へ飛ぶ。苦学というか知恵を使って、環境に逆らって学業を続けて司法試験に合格し、検事になって大阪地検特捜部に配属されて大活躍するまでが時系列に沿って続く。それから人事交流ということで東京地検特捜部へ。関東圏に生活しているとこの部署の名前はよく聞く。ワードでさえ一括変換してくれる有名固有名詞なんだ。この東京地検特捜部での経験はひじょうに興味深い。特に大阪地検特捜部と東京のそれの比較対照がされているので特殊性が浮き彫りになる。つまり、著者が描いているのは、東京では、極端に言うと、上層部が書いたシナリオ通りの供述調書にならないと使わない、ということなのだ。それと上層部からの圧力が強い、ということ。当然のことながら、事の真相というのは犯罪に限らず複雑だろう。卑近な例でいけば、子供を怒鳴っている時が夫への怒りであったり仕事上の問題であったり社会への不満であったりってことの方が多いことは自分の心を掘り下げていくと分かる。これは卑近過ぎて比較にならないか…。

それで、加害者を調べていたら実は被害者らしいことが分かってくるが、そんな逆転があったら上層部はマズいからそのまま押し切る、ということ。このへんは、事件名も関係者名もすべて実名で詳しく書いてある。幻冬舎って出版不況の中で勢いのある出版社だけど、この本の文字の詰め込み具合は私の好みである。大き目の文字ですけすけなのは、それだけでダメ。これはその正反対。たっぷりと読ませてくれるから嬉しい。だからこの部分の解説も細かいのである。これがありうるということを下敷きにして、東京地検特捜部の事件の報道や裁判を見ると別の側面を感じられるかもしれない。著者はこの時の経験を「怖い」と言い切っている。これはつまり、関係する人はすべてシナリオの忠実な演技者であれ、ということで、血も涙もないことである。ターゲットにされたらおしまいってことだ。こういう論理を押し通す人は個人でも多そうだな。自分の思い通りにいかないと、思い込みの方を調整したり変更するのでなくて、相手が悪いで処理する。マスコミの人でもたまあに見かけることがある。最初にストーリーありきで、それにはまる人のコメントをはめ込む。一丁出来上がり。ウソじゃないからいいんだ、って考えもあるかもしれないが、消費者としては、この文章はウソじゃないけど、それで全体にはホントウかい?くらいの目は磨いておかないといけない。それが司法でも同じってことを教えてくれる本というのが半分までの印象である。
by kienlen | 2007-07-30 17:15 | 読み物類 | Comments(0)

おやき作りの始まりは丸ナスから

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故郷の寒村では水がない、平地がないという地理的条件から田んぼがなかった。それで主食には自家製小麦粉とそばがよく登場した。こういう環境だったから白いご飯が好きになる人もいれば、私のように相変わらず麺類が好きな人もいるから、人間って不思議だ。田舎出身で田舎嫌いになる人もいれば、私のようにそうでもない人もいる。それで、夏は毎日のようにおやきだった。中心は丸ナスを輪切りにして味噌を挟んで蒸すもの。母が作るのは皮が透けるように薄いので10個以上は食べていた。おやきを包むための笹の葉取りも日課だった。それでおやきが嫌いになる人もいるかもしれないが、私にとっては最も好きな料理のひとつである。母も年のせいか、以前のようにマメに作って届けてくるということはなくなり、私はよく買って食べるが、この際自分で作る時期であろうと思うようになった。だってその方が自分の好きにできる。それで、昨夜、中力粉を練ってから一晩寝かしておいて、今朝おやきを作った。新鮮ではちきれそうに弾力あるナスがあるからだ。ウチの蒸し器は小さいので重ねて蒸すために、庭のシソの葉を両面にくっつけることにした。青ジソだと風味が良いのだが、ないから紫のシソで代用。

娘が起きてきたので「おやき食べる」と聞いたら、食べると言って食卓についた。皿に4つ盛ってやると、一生懸命シソをはいでいる。「シソは食べられるよ」と言っても嫌そう。この娘はいつも祖母のおやきを食べているから「ばあちゃんのと同じ?」と聞いてみた。「違う。ナスがもっと薄い」と言う。私は丸ナスのちょっと苦味のある硬さが好きなので、その食感を楽しみたくて意識的に厚くしたのだ。ところが娘は「薄い方がいい」と言っている。それでもおかわりして食べた。おやきというのは最近は知名度が上がっていて、隣県に行った時のお昼に出されたこともあった。でも、私にとっての正統派おやきは丸なすの輪切りの味噌味で、皮に膨らし粉などは一切入れず、小麦粉の味をストレートに感じるのがいい。味噌も甘くしない。とにかくシンプルで作り方も簡単で、これならカロリーも低いだろうからダイエット食としてもいいんじゃないだろうか。中身をかぼちゃにしたりすると、栄養の面でも良さそう。サンドイッチなんかよりずっと好きだ。今年はたくさん作って手早くなろ。今はまだ、のし棒でのしている初心者であるが、結果がどういうものか知っているからじきに上手になると思っている。
by kienlen | 2007-07-30 12:37 | 家族と子供の話題 | Comments(3)

ドキュメンタリー「ひめゆり」を見る

外出が続いている。昨日も往復数時間の場所まで行って長時間の打ち合わせみたいな事をして、いったん帰宅してから子供らの夕食だけ作って、友人達が実行委員になって自主上映したドキュメンタリー「ひめゆり」を観に行き、その実行委員の人達の打ち上げ会をタイ料理でやるというので、夫が定休日ながら開けることになった店に行く。以前だと、こういう時は私がお手伝いだったが、アルバイトの人を頼んだのでカウンターにいたタイ人達と一緒に飲んでいた。タイ人は「飲め、飲め」という具合についでくれるが、昨夜はひとりが「パチンコですったから1本ごちそうしてくれ」というからそうする。そういえばこの女性は、以前も約束の場所に現れないことがあったが、その原因が「パチンコやってて忘れた」だった。家にいるとテレビを見る気になれないが、店だと見る気になって、ずっと選挙関連を見ていた。地元は無風区なので全然面白くないが、今回は珍しく「選挙って面白いんだ」と思った。川田龍平さんが当選した。おめでとう。田中康夫さんも当選した。おめでとう。自分自身がこういう状況にいると、組織票じゃないということに希望を見出したくなってしまうのは、ま、しょうがない。

さて「ひめゆり」である。タイトルだけで想像できる通り、沖縄戦の真っ只中に放り出されたひめゆり学園の生徒達の話。ただひたすら当事者の語りだけで構成されている。だから単調なのだが、飽きることはなかった。完成を待たずに証言者の3人が亡くなったそうだけど、当時高校生の年齢であるから、皆さん高齢になっている。こうして残しておくことは歴史検証の資料としても必要なことだろう。体験談は、言うまでもなく悲惨である。それが分かっているから勇気を出して見るという気持ちが強かった。戦争って何のためなのかホントに分からない。誰が得するのかも分からない。それでも途絶えたためしがない。そして多分庶民にしたら、どの戦争も、ええっと思っているうちに、いつの間にか渦中にいるってことなんじゃないだろうか。その時は遅いのだ。動員しておいて途中で放り出すなど、ここまで国家が信用できないものであるとしても、国家に頼るしかないって、そもそも不安の上に立っているようなものなんだな。天気のせいかどうか瞼が重たいし、体全体が雲に包まれているような感じがしている。ほんのちょっと仕事が残っているが後回しにして、読みかけの本を読みたい。
by kienlen | 2007-07-30 11:04 | 映画類 | Comments(0)

本日は投票日

今日は投票日だが、私は昨日のうちに期日前投票というのを済ませてしまった。今日はこれから1日出かけるからというのもあるが、この頃、あれが気に入っている一番の理由は空いていること。まあ、投票日に会場に行ったところで、そんなに混雑しているわけじゃないけど、学校の体育館よりも市役所の方がきれいだし狭いから移動範囲も少なくていいし。でも昨日は比較的混んでいた。それに期日前投票の理由を書かせる紙は無駄だと思った。どうせ形式的なものなんだから。夜に東京在住の鬱病の友人から、いつものように電話があった。話題はない。しょうがないから「選挙に行った?」と聞くと「明日でしょ」「で、行くの?」「行かない」「なんで」「面倒だから」「散歩がてらに行けば少し運動になって夜眠れるかもよ」「面倒だもん」という非生産的な会話をしばしする。彼が「どこに入れたの」と聞くから「その時次第で無党派層です、アタシ」と答えた。「絶対に入れないって政党はあるけど、あとはその時の気分」って。

選挙で選ぶのが民意を反映しているのか、ホント分からない。少なくとも私の民意、それに親しい友人達の民意となると反映された試しはほとんどない。一体どこでどうしてこうなるの、って感じだ。そもそも半分くらいの人しか投票しないんじゃあ、スタートから問題である。期日前投票の理由を書かせるように、投票しない理由を自己申告して、それも何らかの形で反映するようにはできないんだろうか。それから、あれやる、これやらない、みたいな演説を信用できるかとなると、私はとっても懐疑的。今回だって政権政党も野党の候補者も、両方が迷いない態度で「9条は守ります」と堂々と言っていたが、じゃあ党の方針と違ってもあくまでその意見を主張して除名されても主張しぬく…なんて、とっても思えない顔つきなのがすごく気になる。つまり私は選挙の時の言葉なんか信じられない。で、それは制度上しょうがないことのようにも思える。と思うとバカバカしくなる。とはいえ、権利は行使したし、仕事らしきものに出かけることにする。
by kienlen | 2007-07-29 08:41 | その他雑感 | Comments(2)

食欲に注目することで他を忘れる技磨き

浅田次郎の『王妃の館』という上下2巻の小説をやっと読み終えた。面白いんだろうけど、ちょっと長かったな。倒産の危機に瀕している旅行会社と、伝統だけでは行き詰まっている感のあるベルサイユのホテルが共謀して、同じ部屋を二重に売るというツアーを作るのだが、片や20万弱のフツウの値段で、片や150万の豪華ツアーで、ちょうど人生そのもののような、光と影ってことになる。参加者の人間模様と、交錯ぶりという現代の物語と、ルイ14世王時代の王宮の様子が絡み合っているわけだが、重要な役割を担っている人物が王様のための料理人。亡き娘に届けるつもりで愛情たっぷりの料理を考案して7年間で一巡するしかけになっている。料理と愛について自説をぶちまける場面もあって、そこはなかなか感動的であった。前にタイでお坊さんになった日本人男性と話してた時に、出家によって抑えなければいけない欲望で最も辛かったのは何かと聞いたら、性欲ではなくて食欲だと答えていて妙に納得してしまったが、生きる基本は食であるに違いない。

そんな当たり前すぎて面白くもないことを考えてしまうのは、悉く腹のたつことばかりの息子へのイライラが募って自分が辛い状況の中で、たったひとつ救われるのが彼の食欲であるからだ。高校生の男の子と言えば食べ盛りだから当然だが、この子は赤ん坊の時から食べ物に対する欲求が強くて、いくら機嫌が悪くても食べ物を見るとご機嫌になる。みんながみんなそうじゃないということを知ったのは娘ができてからで、彼女は損ねた機嫌を食べ物でごまかされるということはなかった。それに育児に関する悩みの一大潮流をなしているのは「食べない子」であることも知っている。夏野菜が豊富な時期だ。今夜はそれらをたっぷりと、アサリのスパゲティにした。塩と胡椒だけで充分美味しい。部活から帰った息子は、このところずっと続く無口のままだが「腹減った」だけは言う。多すぎるから残るだろうと思っていたスパゲティは残らず、茹でてあったとうもろこしを食べ「枝豆食べる?」と聞くとうなずくから茹でたら食べ尽くし、自分で食べようと思って作った丸ナスのおやきも欲しがるので与えたら「にんにく醤油で食べると旨い」と言うからにんにくも与える。それを食べながら「ここにパクチー入れたらいいかも」と言う。パクチー味噌のおやきか、いいかも、と思うと少し楽しくなった。高校生男子との日々は「原点に戻る」で乗り切ることにしよう。
by kienlen | 2007-07-28 21:10 | 家族と子供の話題 | Comments(2)

突発的な出来事を優先するとこうなる

昨日に終わらせたかった在宅仕事が今までずれ込んでしまった。やっと集中できそうな気分になってきた昨日のお昼近く、父が自家栽培の野菜を持って立ち寄った。「ちょっとカネ入ったからメシ食いに行こう」と言う。そういえば空腹感あり。時間は惜しいが食べ物は欲しい。近所の店に行ったら急な休業で、少し歩いてソバ屋へ。「ビールも飲めよ」という父の言葉を拒否するだけの根性なく、しかしさすがに小瓶にしておく。私の様子を見て「じゃまそうだな」と帰ってくれたので午後は仕事にかかったが、夕方からは外出予定があり、夕食準備があるから予定の半分で時間切れだった。用事というのは、著者の講演と新刊本がセットで3000円というイベントへの出席。これは趣味というよりも仕事の資料として読まねば、聴かねばの意味合い強し。会場を見渡すと、昔勤務していた会社の元上司がニコニコしていた。絵描きでグラフィックデザイナーで釣り人で、という人。還暦は過ぎていると思うが野球帽かぶって相変わらずの若々しさではないか。講演が終わると彼に「どう、飲みに行こうよ、久しぶりだし」と言われて、もちろんOK。出版社の事務所の片隅に置かれた畳に簡単な宴会セットが用意されていた。

宴会は大の苦手だが数人だったので大丈夫。とっくにフリーになっている元上司と、やはりフリーのベテランカメラマンが「時代は変わっちゃったよねえ」と言いながらも、次の企画の話をしている。前向きだな。見習わないと、と思う。見習わないと、と思える機会が減っているのを状況のせいにしてはいけないのだ、と内心で自分に言い聞かせる。ビールで乾杯の後は、新潟の酒が一升瓶でドンと登場。勧められて「日本酒は苦手」と一旦は断ったが、みんなの飲みっぷりがあまりに美味しそうなので少しいただくことにした。辛口で旨かった。「よくこういう飲み会やるんだよ。今度×さんも誘うからさあ、飲もうよ」と元上司。お願いします、と言うと「ただしここはカネにはならないよ」とカメラマン。「それは分かってます」と私。若い人と接する機会の方が増えているこの頃だが、時代の波をくぐってきた先輩の話も楽しいし、それに自分の行く先の参考にもなる。そんなわけで、残り半分の仕事が今日に持ちこしとなったわけだった。
by kienlen | 2007-07-27 20:37 | 仕事関係 | Comments(0)

これで書店はやっていけるのか

amazonから本が届いた。お勧め本の案内を見て迷わず注文した田中森一『反転-闇社会の守護神と呼ばれて』というもの。人相良くない男性が表紙にいる。著者であろう。闇社会の弁護士に転じた元特捜検事の自叙伝…こんな売り文句に弱い人は私も含めて多いんだろうか、たった1か月で8刷りになっている。ただ、たった今届いたばかりで内容は知らないので触れないが、問題は価格である。定価が1700円+税金。ところが請求金額は741円。amazonで注文した後に届くいつもの確認メールを見て驚いた。ギフト券やショッピングカードとかいう割引があって、安くなっている。で、これじゃあ1500円に満たないから、送料がかかってしまうんだろうかと心配したら、それもゼロ円。つまり新品の本が2-3日で届いて古本より安いのだ。1000円の割引までにどのくらい購入したかというと、自覚としてはほとんど買ってない。消費者としては大変ありがたいのだが、これでますます書店から遠ざかることになってしまう。

流行とか世間の現象に疎い自分にとって、書店に並ぶ本を見回して時代の空気を感じる時は大切な社会との接点である。大量の女性雑誌を見て、あくまでファッションやら美容やらに偏っていることの不思議、子供のいる家族は教育ママどころか教育家族への道を邁進しているらしいとか。本に囲まれている場所は一番好きだ。街に出るというのはイコール本屋に行くなのである。それでも、本屋に足を運ぶ頻度は目に見えて減っている。24時間営業のamazonがあるんだから。加入している生活クラブ生協もネット注文できるようになって便利にはなったが、注文受付の時間は夜の12時まで。注文している最中に時間切れになったこともある。amazonにはそれもない。書店が姿を消してしまっては困るから、それでもなるべく買おうとしていたけど、ここまでの割引サービスがamazonで得られるとなれば、散歩の場所になってしまいそう。それだと書店が危ない。悩ましいところだ。
by kienlen | 2007-07-26 10:46 | 読み物類 | Comments(3)

また母の元を離れる決意をした男の子

恒例火曜日の店番だった。誰も来ないので本読んでいたら、いつも来る若いタイ人男性が入って来た。来日からまだ3か月なので、年上の人へのワイ(合掌する挨拶)などの礼儀正しいタイの作法そのまんま。いつものようにカウンターにただ座っているから、特に気にもせずに読書を続けた。するとバイトのタイ人女性が「この子タイに帰るの」と私に向って言った。そういえばこの間、日本語学校が夏休みに入ったらしばらく里帰りすると言っていたから「帰るって一時的でしょ」と言うと「違う、もうタイに帰る」ということ。「ええ、どうして」「友達がいなくて寂しいから」と、寂しいを何度も繰り返した。彼は18歳。タイの高校を卒業してから、日本に出稼ぎに来て日本人男性と結婚した母親の元に来たのだ。未成年だと定住者のビザが出やすい。タイ人達は「母に従ったビザ」という言い方をしていて、タイ人の移住の次世代にはこういう子達も含まれることになる。私も何人か知っているが、このくらいの年齢の子の適応は外的条件に相当左右されると思う。まずは親の姿勢。学校に行かせるかどうか。私が生活支援ということで関わっている高校の女子2人は、たまたま各種支援を受けられて当人達もがんばっているが、ドロップアウトする子もいる。なんといっても言葉の壁。家では見知らぬ日本人の義父と、母との間にできた歳の離れた妹とか弟とか。母といっても「小さい時に日本に行ったきりだから顔も覚えてない」ような人であるし、日本人夫への気遣いもある。そんな境遇に放り込まれてどうしろと言うのだ、ともらい泣きしそうになる場合もある。

当地方のタイ人の場合、半端に人口規模があって、でも構成されるタイ人社会に多様性はあまりない。つまり、我が家もそうだが水商売で、我が家と違って女性が圧倒的に多い。そこにビザがある若い子なんかが来ると重宝されて当然だろう。それで若いうちから夜の仕事になるという道に入りがち。で、この男の子だが、ちゃんと日本語学校に通っていた。夫の店に来ている分には親も安心なので毎日ここで時間つぶしをする。かわいくて人懐こいので人気者になっていて、日本語ができるようになったら働いてもらってもいいよね、なんて話していたのだが。「日本語上達しない。一緒に勉強しているのは中国人や韓国人で覚えが早いし漢字でも有利」と言う。勉強にもついていけないってところか。一般的にタイの人は東アジアの人のようながんばりとか競争心には欠けると思う。私もその点タイ人に近いのでシンパシーは覚える。「そのうち友達できるよ」と言ってみても確信はない。「お母さんは何て言っているの」と聞いみる。当人次第だ。そんな質問をしている自分がおかしい。18歳のこれまで父も母もなしにきて、今になって母に相談して何になる。「タイに帰って何するの」「ブラブラ」「仕事しなくてやっていけるの」「タイだったらそんなにお金必要じゃないから大丈夫」。ブラブラかあ、なつかしい。日本で在住の外国人見て「何しているんですか」と聞いて「ブラブラ」と答えられたらギョッとするが、タイで暮らして「ブラブラしている」は公言できる地位にある。ま、それもありかな。「K(夫の名)は何て言ってた」と尋ねてみたら「日本の方がいいと思うからよく考えろって言われました」ということ。でももう明日のチケットを買ってあって日本を発つそうだ。โซคดีนะ(チョークディーナ)=元気でね、で別れた。
by kienlen | 2007-07-25 10:39 | タイ人・外国人 | Comments(0)

高校で初めての3者面談で希望はさらに断たれる

楽しみがひとつ終わった。息子の3者面談。期待を裏切らない盛りだくさんな内容で、虚無感と充実感の交じり合う不思議な気持ちで学校を去った。虚無感は、なんでここまで毎度同じことを家でも学校でも言われて進歩がなくて、ヘラヘラしていられるのかの哀しさと換言することができる。充実感は、まあここまでくるとある意味しょうがないしどうせアタシは先に死ぬんだからキミのボロがでて困り果てるであろう中年の危機の頃を知らずに済むんだから高齢出産ラッキー、みたいな。遅刻をしている、提出物を出さない、だらしない、授業中に別のことしている。当然ながら勉強もできない。話題に詰まったら選挙や最近の社会情勢や教育界の話題について先生に聞いてみたいと思っていたが、息子の場合はあり得ない。話題らしい話題に至る前段階でつまずいているんだから。しかし中学の時からの展開と全く同じなので慣れてしまった。はい、あるを尽くしました、って感じがする。彼のように小学生の時から少年野球で怒鳴られ、部活で罵倒され、家では怒られているとヘラヘラするしかなくなるのだ。思考停止ってやつだ。嫌だ。でもしょうがない。

私にだってささやかな希望やイメージはあったのだ。本が好きで何か楽器が弾けて、ちょっと引きこもりがちで、友達は少なくてもいいから深く話せる人はいて、静かで思慮深くて、知的好奇心いっぱいって子供像。ことごとくの何乗も裏切られた。しかしそれを息子のせいにするわけにはいかないという一点で自分は持ちこたえなくてはいけない。だから堅くなった頭でイメージ修正に努めるのみである。頭は悪いが生きる力はあるかも、あれだと鬱病にはならないかも、結構エキゾチックな容姿は何かの役に立つかも、思考力ないってことは落ち込まないってことかも…、ああダメだ、修正程度で済むはずなくて、イメージの建て直しだ。となると今度は当方がもたない。あっちが倒れるか、こっちが倒れるか。若い方を倒すわけにもいかないし、私が引きます、で、引いていいのかどうか、ここが問題なのである。そういえば先生に会ったのは初めてだが、いい先生だった。私の経験する限り個々の先生は、それぞれそれなりにいい先生ばかりである。息子には「妥協する、家でだらしなくてもいいとして外では使い分けてくれ、全部をきちんとしなくていいから重要な点は締めてくれ」と言っているが、全く効果ないことが分かった。笑えない、泣けない。
by kienlen | 2007-07-24 17:54 | 家族と子供の話題 | Comments(3)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


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