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珍しく団体ツアーに参加した。日帰りのバス旅行で、行き先は信州木曾の赤沢自然休養林。森林浴なんて言葉が出回り始めた頃、当時の仕事の関係でこの場所についてだけは知って、いつか行ってみたいものだと思い続けていた。ちょうど友人がそのツアーを企画して誘われて、娘にパンフレットを見せたら行くというので2人で参加した。
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こういう場所はひとりじゃあ行けないし、バスツアー向きだと思う。良質な檜を産する木曾の山々は明治時代には皇室の財産になり、戦後は国有林となり、地元への恩恵はなかったようだ。ここらへんは歴史を調べると入会地や国家を考えるのにひとつの典型的な場所だと思うが、今すぐ説明できる知識はなし。1969年に全国初の自然休養林に指定された、とパンフレットの歴史に書いてある。昨夜はどしゃ降りで止みそうに思えなかったので心配だったが、雨上がりの緑は美しく暑すぎず森林散策には最高の日だった。
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1975年に閉鎖された森林鉄道の跡に、小さな機関車と小さな客車をつけて復活させた列車が走っていて、これに乗って少し奥まで行ってから自由行動。私は娘と2人で歩いていたのだが、すぐに駐車場に戻ってしまって檜の林の醍醐味を見逃したらしい、と後で分かった。しかし渓流沿いに遊歩道が整備されていて、休憩所やベンチも随所にあって、戻ってからは峠の茶屋みたいな店でソバを食べて檜の木工品を見るのも楽しかった。その店で少し買い物していたら店主が「オオヤマレンゲは見たか」と聞くから「何それ」と言ったら「幻の花って言われている花で今の時期はそれを目当てにみんな来るんだ」と教えてくれた。それで出発時間ギリギリに娘と走ってその場所まで行って斜面にある花を発見して2人で写真を撮っていたら「そんな背伸びしなくたってもうちょっと行くと低いのもあるよ」と声をかけられてまた走った。それでせっかくだからまた写真を撮った。
by kienlen | 2007-06-30 23:02 | | Comments(6)
どの高校もテストから文化祭の準備にかかる頃らしい。12時間外仕事で費やして、虚業の割には疲れたなと思って帰宅したら息子が理科と数学のテストの点数を、尋ねもしないのに報告してくれた。怖れていたことではあるが、典型的なコースをたどっている。中学で努力せず、レベルの低い高校に入って、すると何もしなくても下位にはならないからますます何もしなくなる。予想通りの展開。しかしこのまま努力しなければ多分その内に今の高校でも下位になるだろう。しかし、だからといってどうしたらいいのか私には分からない。私自身がもともと根性なしの非教育的な人間であるから、気長に指導なんてできないし、褒めて育てるもできないし、ただ思った事をその場その場で言うのみ。そして「私は思った事を言うしかできないから後は自分で考えろ」でおしまいなので何も身につかない。そしてますます堕落していく息子であるが、それを見てますます堕落に慣れてゆく母でもある。どっちもどっち。夫なんかそもそも何も言えないし、あまり関心ないみたいだし、日本の産業及び政治の構造的転換も知らないし、朝帰りだし、イザとなればタイにとんずらできるわけだし、ホント羨ましい。

それでこれからどうなるかだが、分かるわけない。知で勝負できる人なんて限られているから、向かないヤツにそれを求めても時間と当方のエネルギーの無駄だと思う。かといって程度問題である。ひっくり返ってテレビを見ているばかりの毎日の生活を黙っていてどうなる、でも、もともと親の言うことだけは聞くまいという努力の形跡だけは残している子であるから、言ったところで馬の耳に念仏の方がマシ。で、結局、高齢出産だったんだし、この子が現実に直面して困る頃には生きてないだろうし、だったら、ま、いいか、後は勝手にやってくれ、で自分の精神状態をギリギリの線で保つしかない。今日は疲れているから直接対峙する元気ない。それにしてもこういう子の先行きを見届けてみたいという悪趣味な興味も沸いてくると長生きできるかな。
by kienlen | 2007-06-29 23:21 | 家族と子供の話題 | Comments(0)
姜尚中とテッサ・モーリス-スズキの対談『デモクラシーの冒険』を読み始めた。少し前に買ってあって今になって読み始めたもの。姜さんは講演も聞いたことがあるし、カッコいいなと思っている人で、テッサさんは、かの森巣博さんのパートナーであり、時々雑誌で見かけたりするし他の本も買ってはあるのだが、難しすぎるかと思い込んでそのままになっていた。で、手をつけたらすごく面白い。読み始めの時点で友人に「面白いよ」と言い、少し読み進めて同じ友人に「あ、ちょっと初心者向け過ぎるかも」と連絡し、さらに進んで「そこそこ、最高」になっている。本の感想って読み終えてから書かないといけないような気がしていたが、考えてみるとそんなルールはないわけで、1冊分の感想を少ない字数でまとめるのがもったいないとなれば、途中で記録するのがいいように思う。形態は姜さんと森巣さんの『ナショナリズムの克服』に似ている。オーストラリアに休暇っぽく行って、そこで対談するのだが、影の存在である編集者もたまに登場して、本作りの現場を見て下さい、みたいな仕掛けになっている。サービス精神旺盛っぽく見せてくれる。

まだ3分の1にも達してないが、自分がずっとずっと疑問に思ってきた事で、でもこれに真っ直ぐに応えてくれる本に出会ってないのが不満だった「審議会」への言及があるのだ。審議会は大平内閣と中曽根内閣で盛んに設置されたそうだが、委員は選挙で選ばれるわけでもないのに、重要事項を審議して答申まで出している。私もいくつか審議会の委員になった事があるけど、その都度不思議だった。ここでこんな答申を出すことに何の正当性があるのか…と。私は公募委員なので特にやましいところはないが、公募なんて2人くらいであとは「学識経験者」とかで行政の側が選ぶ。大学教員がいて、関連団体の長がいて、PTA会長がいて、区長会とかナントカ会とかの代表がいて。で、この人選は当然ながら事務局(行政)の意向をなんらかの形で反映したものになる。そして議会ほどのオープンさはない。それから、政党とは何かを話し合っている。税金が投入されているのに、位置付けがはっきりしない。そういえばそうだな。そもそも政党の発生は階級を代表するものとして、イギリスでだった。でも社会学においてさえ階級論は沈滞気味で、今の政党がどこの誰の代表であるかが曖昧になっている。まだここまでしか読んでないけど、予想以上に楽しく現実的な本である予感。
by kienlen | 2007-06-29 00:42 | 読み物類 | Comments(4)
できるだけ行くようにしている韓国籍の人が被告の裁判の傍聴に行った。ちょっと坂の上にある裁判所に炎天下を自転車で行って冷房の効いた建物内に入ったら、傍聴仲間というかかつての飲み友達がロビーにいたので隣に座ってしばしおしゃべり。どっちもエネルギーレベル超低で、なんだか枯れ草が2本って気がして、自分の事ながら内心で笑っていた。今日はいよいよ検事の論告求刑と弁護士の弁論。傍聴席はマスコミ関係者でかなり埋まっているし、外にはテレビカメラらしき器材を設置して待つ人達もいた。検事さんの論告は、チョー早口で何を言っているか聴き取るのが難しい。これでもメモできるんだろうか、プロは、と思って報道席を見てみたが、さすがにシャカシャカとペンを走らせる人は皆無だった。それどころか居眠り多し。ザマアミロって私が舌出す理由は何もないが、検事の早口はザマアミロが目的としか思えないレベルだった。しかも大河小説のような長さと、時々大げさな表現。でもあまりの高速にメモできなかったから忘れた。新幹線検事の異名でどうだ。

放火の疑い3件で、1件は死者ありで、求刑は20年。ただし、素人目には決定的な証拠は見えない。でも状況から判断すると、とてもじゃないが何もしてないようには見えない。でも弁護側は無実を主張で、当人も最後の陳述機会に「放火はやってません」と何度か淡々と述べた。検事の論告があまりに長かったので時間がおして、裁判官は続けて弁論にいきたそうだったが、通訳さんが休憩を要求した。廊下に出たら報道の方が局に電話して「間に合わないから」と対策をまくしたてていた。その様子を見て、何の義務もない傍聴人として、意味もなく優越感に浸ったり。だって何もする必要ないから余裕がある。裁判の傍聴席だけで余裕があっても何も良い事ないんだけどね。その後通訳さんと近所のファミレスで話しこんでしまった。夕食の用意してこなかったから6時半までに帰ろうと思っていたのに、時間が過ぎる。でも子供から電話はない。7時半になって娘から「何時に帰るの」と電話あり。で、帰宅してから、資料作りの件を思い出した。家にいると外を忘れ、外にいると家を忘れる。傍聴仲間兼枯れ草仲間に「鈍感力か」と言われたので「それって単に鈍感って言いたいんでしょ」と冗談のつもりで言ったけど、冗談ですまないか。
by kienlen | 2007-06-28 23:46 | 社会的話題 | Comments(0)

20年近く前の旅の思い出

f0104169_1321821.jpgパワーポイントの資料作りのために厚生労働省の統計を見て、その充実ぶりに驚嘆。外国人との婚姻やら初婚再婚別やら年齢やらが、国籍別で載っている。タイも上位に食い込んでいるので、どの統計にも顔を出している。それに簡単に必要なのだけダウンロードできるし、法務省のよりずっと使い易くなっている。人口動態は基本的な統計で使用頻度も高いせいなんだろうけど、やはりたまにはチェックしていないといけませんね、と反省。しかしこれだけ入手できると分かったから先は見えた。それで、明日1日つぶれる仕事を引き受けてしまった。土曜日は森林散策ツアーだし日曜日は遠くまで映画観に行こうかとも思っているし、資料作りは今日片付けるしかない。で、次に古い写真で使えそうなのがあるか見ていたら、ついよそ見になってしまった。旅している友達が今ラオスにいるというからラオスの写真が気になる。それで昔のをスキャンしてみた。札束が積み上げてあるのは、ビエンチャンの中心にあったマーケットの両替商。もう20年近く前のもので、当時キップの価値はこんなもので、人々は大きなビニール袋をひきずるように札束を入れて歩いていた。ちょうど社会主義諸国の体制が変化している時でタイを中心に外資系の銀行もできて、利子が3割とかで「へえ、すごい。でも預ける勇気ないよね」なんて職場の同僚達と話していた。

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これは子供達。かわいいな。もう今は大人になって、このくらいの子供がいるのかもしれない。無事に生きていれば。首都だけどまだまだ農村の雰囲気だ。今はどうなっているのだろうか。また行ってみたいけど、ここがどこかを記録もしてないし記憶もしてない。それから当時のビエンチャンの中心の道路がこれだ。その後も何回か行ったけど変化は著しくてこんなのどかな光景はこの頃までだったのだろうと思う。出来る限り傍聴を続けている裁判の論告求刑の傍聴にこれから行ってくる。
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by kienlen | 2007-06-28 13:32 | | Comments(2)
さて、月曜日の国際結婚についての発表、というか単発外部講師のための準備に取り掛かることにする。ごくたまに何か話すとなると、資料としての本購入代がギャラを上回るのが常だが、いくらなんでもこの分野だと本棚に何冊かあって、とりあえず7冊発見。一般論が求められているわけじゃないので資料としては、これだけあれば充分ってことにしておこう。あとは当日の夫の話が面白いことを祈るのみだ。いや、祈りの問題ではなくて打ち合わせは必要なんだろう…なあ。でも臨場感とスリルを選ぶならぶっつけ本番もいいかもしれない。とはいえ、問いと答えと解説という風に進めるとなると、少なくとも問いと解説の準備は欠かせない。何を質問するかだ。まずタイの事情の一端を知ってもらう導入として、夫の成育環境について聞こう。きょうだいは5人、中学の頃まで電気がなかったし、水道はずっとなかった。少なくとも私は見たことない。雨水を大きなカメに蓄えて飲料水にしていた。そうだ、このカメの写真は撮ってあるからパワーポイントに入れておこうか。ううむ、大量のストックから写真を探すって難儀そう…。そしてバンコクで日本人と知り合うわけだが、彼にとって日本というのはどういう存在だったのだろうか、これも聞こう。答えは知らないが、当時の日本ブームみたいなのは、自分で解説して補うとする。

成り行きで日本人と結婚して子供が2人生まれた。さて、これについてどう思うかを聞こう。7年後に、半年間だけ日本で暮らすことを妻から提案された時はどうだったか。半年の予定が11年になってしまっているが、それはどうか?日本での仕事はどうか。生育家族から見て今の家族についての感想は?特に父子関係についてはどうか。妻に促されて学校行事や会議には何度も参加したが、タイの学校と比較して感じることはあるか?これは予想がつく。PTAってなかった、とか、親が学校に頻繁に行く機会があることについて、タイでは考えられないが、子供の様子が見られていいんじゃないか、とか。子供とのコミュニケーションについて感じていることがあるかどうか。おお、質問はキリがないが、学生さんは若いのである。あんまりマニアックな話になっても想像しにくいだろう。どのあたりで調整するか。自分の若い頃の関心事を思い出し、時代の変化を加味し、お伝えしたい事をサッとひと振り。自分を見直す機会にもなる。
by kienlen | 2007-06-28 00:48 | 男と女 | Comments(6)
今日はなんとなくいい日だった。朝は、似たような仕事で会社を経営している友人が寄って、仕事上の細かい話などもできることもあって、思いがけずに長話になった。やる事はあるが、精神状態が悪い期間はおいておいて、今日までは成り行き任せにダラダラしようと決めていた。その友人と話して少し元気になった。実はこのところのストレスの一因には仕事でお付き合いしている会社の件があって、これがもう当方の常識の場外ホームランみたいなことを連発してくれて、それが笑える内容でもないので疲弊していた。こちらの弱みは少しでも仕事をしないと、ってアセリ。しかしこれで悪循環にはまり込むことの方が負の影響になりそうで怖くなってきたので少々見直すことにする。それで、気持ち的には一件落着。午後はタイ人の高校生と1時間「現代社会」の教科書を読みながら試験勉強をする。ひとりは連日の試験勉強疲れで机にうっぷしていたので相手はひとり。単語の意味をタイ語で教科書によく書き込んでいるのだが、今日は突然「あれ、タイ語書けなくなっちゃった。書けないんじゃないけど、時間かかる」と言って諦めていた。その代わり漢字は随分とスラスラ書けるようになった。ウチの子達は小さい時に日本に来てしまったので、こういうアセリの経験はなく日本語オンリーになっているが、この過渡期の気持ちってどういうものか、またゆっくり聞いてみたいものだと思う。

それから友人と山の方にある直売所へドライブを兼ねて行って、娘の好物のさくらんぼや新鮮な野菜を買う。これもいい気分転換になった。午後6時45分からという現場仕事がちょこっとあったので、急いで子供の夕食を準備してシャワー浴びて仕事着に着替えて出かける。まっとうな人達と会ってまっとうな仕事相手と仕事すると、今の生活を肯定的に見られるようになる。これが恒常的であればどんなにいいかと思うが、恒常的でないからこその刺激とか新鮮さがあるんだ、と思うように努める。今日は1日つつがなく過ぎ、精神安定していたのが嬉しくてワインを買ってきた。かといって特筆すべき行動ではないが…。そんなわけで土曜日に檜林散策の日帰り旅行に申し込んだ。企画している旅行会社の社長も知人で久しく会ってない。団体旅行なんてまずする機会がないから楽しみだ。前向きな気分になってきた。ひとりで乾杯だ。
by kienlen | 2007-06-27 22:42 | 仕事関係 | Comments(0)
「お母さんしっかりして下さいね」と伝えてくれと言われた。そう言われて考えてみると「しっかりする」ってどういう意味だろうか。それで私は「気を強くもって」と意訳することにした。帰宅してから日ータイの辞書で調べた。タイー日は素晴らしい辞書があるがその逆は満足できるのがない。とりあえず近くにあったの3冊で引いたが、しっかり掴むとかのしっかりや、安定するという意味のものばかり。そうか、心が安定する=しっかりとなれば、これは使えるんだろうか、しかし不自然な気もする、それにこの日本語がそういう意味かどうかも分からない、としっかりしない気持ちのまま安定をタイー日で引いてみたが「お母さんがしっかりする」という意味の例文はない。こういう文脈依存の言葉をどう表現するかはその都度考えるとして、今の自分にも突きつけられている言葉なのである。

誰かが今の自分の状況を見ていたら、まさにこれかもしれない。しかし、言うが易くである。そもそもどうしっかりすればいいのか分からない。夫は今朝はとうとう子供の登校時刻に戻らなかった。これまでも朝帰りはよくあるが5時か遅くとも6時だったから子供と朝は顔を合わせていた。ところが今朝は「パパいないよ」という娘の声で私も起きたのだ。すでに7時。電話したら「すぐ帰る」と言う。「子供については責任あるはず」と言うと「分かってる」。「コックさんがいないし大変だろうから私が家の事をやっているわけで夜にあなたがいないからアルバイトしたくたって出来ないし、だから私は今お金ないし、それなのにそんなに遊びに行くってどういうことか」と聞いたが、もともと説明不足の人なので、とにかくスナックでカラオケやってたというだけだ。中が暗いから朝になったのが分からないと。これを分かりやすいとするか不明瞭とするか。いずれにしろ高校生の息子に示しがつかないってことをよくよく言っておく。その高校生の息子は遅めの反抗期なのか、今までが何のかんのと言っても平和だったよな、と思えるほどの状態。そういう中で仕事をないがしろには絶対できないし、かなり参っている。お父さんって楽だよな、と言ったら大変なお父さんに申し訳ないか。
by kienlen | 2007-06-26 19:29 | 家族と子供の話題 | Comments(3)
多分この第3章はワインさんが旅先で知りたい事だと想像します。タイトルは“日本の僧侶はなぜ肉食妻帯なのか”。南伝(上座部仏教)であれ北伝(大乗仏教)であれ、日本以外では僧侶は戒律を守った集団生活をしているので肉食妻帯、世襲はない、ということです。ただし韓国は日本の影響を受けているのでちょっと留保が必要。つまり日本では出家と在家の区別がはっきりしない。これがタイなどと根本的に異なる点。どうしてこうなったかについての説明でなされているのは、まず日本に仏教が伝来した当初、僧侶が同行して来なかったので、出家者という存在への理解が遅れた。で、この遅れを取り戻すために753年に鑑真来日。正式の僧侶を養成する戒律の伝授が目標で、これによって日本でも他の仏教文化圏同様の出家者集団の形成が始まった。ところが鑑真がもたらした戒律は南伝仏教のそれであり、大乗仏教の菩薩行を実践するのに直接の役に立たなかった。それで、中国の大乗仏教を学んだ最澄が「大乗戒」というのを主張するのだが、これが要するに仏になろうとする意志、意欲があればよい、というもの。

この風潮を後押しする基盤が日本にはあって、それが肉食妻帯を容認する「原始宗教者」の存在。彼らは仏教の浸透とともに「聖」と呼ばれるようになり、これが日本仏教の風習理解に重要、ということで解説があります。ここでは柳田国男の論文からの考察なので、私にはもちろん検証能力はありませんし、よく分かりませんが、乱暴にここでのポイントをいってしまうと、つまり日本では宗教者が日常は普通人と同じ生活をして、特定の期間だけ厳格であるというのが認められているのではないかということです。そもそも日本の伝統では神は祭りの時にだけ現れるし、という例が挙がっています。で、この後は法然、親鸞についてです。とてもじゃないが私には無理でした、やはり。それで昨日同様一部分をそのまま引用です。“親鸞流のいい方をすれば「非僧非俗」の「非僧」は実現したが「非俗」である点が不明確なまま、今にいたっているということであろう。現代の日本社会における、仏教の影の薄さの原因があるように思う”。以上です。ちょっと荷が重たいな。まだ続きますが。
by kienlen | 2007-06-25 23:30 | 読み物類 | Comments(3)
昨日も今日も呑気にダラダラと過ごした。今日は、ビジュアル系の仕事をしている友人を誘って美術館に行こうと思ったのだが断られ、ランチだけ共にすることになった。彼女は私に会うのが嫌だったらしい。ここ数日の日記から落ち込み方が病的じゃないかと思ったらしく面と向かって「もうヤダかも」と言われた。つまり友達付き合いはできないって意味だ。よく困った時こその友だと言うが、相手が困っている時に徹底的に逃げるのも友のあり様としてはアリかもしれない。しかしその時は私がかなり回復していたからフツウに話した。仕事になる可能性があるかもしれない、と思われる電話が入る。それから小さな仕事の電話が入る。それから、学会に入会の件で所属がないからダメかなって問い合わせしていた件も、職業を書いとけばいいかも、ってことになったので一応申し込んでみるつもりだ。こういうアドバイスをしてくれるのも友であり、ありがたいことだと思う。私もよく人から「あの時ああ言ってもらったおかげであれしたから今があります」みたいな言い方をされることがあって、そんな事言ったかな、と当人は忘れているのだが、その時の状況と合致する言葉というのは心に残るものなのだろう。そういう人間関係がある限り生きられるかも、と思ったりもする。

そんな事を考えながら、高価だから一瞬はためらったがやっぱ必読だよなと思いなおしてアマゾンで注文した『顔の見えない定住化-日系ブラジル人と国家・市場・移民ネットワーク』を少し読み進める。4200円+税金だから汚さないように慎重に。それでこれは出だしから「大当たり!」と叫びそうなくらいに興奮するものだったが、期待を裏切らない内容だ。「いい本だよね」と博士課程にいる友達に話したら「理論があるからね」と言われたが、その通りで、楽しみに読むことにする。ただ今週は集中できる時間はないだろう。まだ期間はあるけど手元で温めておきたくないのを片付けたい。来週早々に某大学で1コマだけ話すのだが、毎年同じじゃ自分がつまらないから今年は国際結婚について話そうかと思ってパワーポイントで資料を作る。こういう慣れない事をするのは時間がかかる。ただ、夫を同伴して彼へのインタビューをメインにするつもりなので実は資料より、夫婦関係を平常に保つように努める方が大切である。もっともこれに関しては、彼はかなりの安定型なので、ひたすら私の自己管理の問題である。
by kienlen | 2007-06-25 19:00 | 仕事関係 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


by kienlen
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