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色濃い生活の名残り

f0104169_212167.jpg車で30分ばかりの場所にある実家に行った。味噌蔵の写真を撮る必要があったのだ。私が小学校3年の時まで味噌は完全自給だった。それをこの巨大な樽に入れて保存していた、というのを私自身は記憶していないが、大豆を煮る匂いとか、つぶれた大豆が機械からニョロニョロ出てくる様子は身体のどこかに染み付いている気がする。もう何十年も使われていない樽ではあるが、まだ充分使用には耐えそうな佇まいで存在感たっぷりだ。味噌造り、やってみたいな。聞くところによると、しょうゆよりは簡単らしい。しかし、である。大豆を買うんじゃあ物足りない。大豆を栽培しないとお話しにならない。そうなるとなかなか簡単にいきそうにない。それで思うのだが、自分のように自家栽培作物から自家製調味料が当然という環境にあったことが、逆に気軽な手造りの阻害要因になっているような気がしないでもない。

それにしても、あそこまでの生活でなくても、もうちょっとなんとかしたいものだ、という気持ちはじょじょに強くなる。自分達が食べるだけの作物作りを多くの人がやれば、物々交換で多彩になるだろうし、食材があれば漬物やら自家製調味料や保存食はできる。ただし、ここで大問題。こんな家では置き場所がない。今日も母の手製の漬物を何種類かカメでもらってきたが、ウチのような小型モダン住宅では涼しく保存できるスペースがない。家作りの時の失敗か。いや、こんな市街地には似合わない。長期保存ができそうにないから友達におすそ分けすることにする。それにしても、この樽といい、その他大きな釜といい、利用方法はないものだろうか。このまま朽ちるんじゃあもったいない。また考える材料はできたけど、どうもモノにするのは難しい。
by kienlen | 2007-05-31 21:36 | その他雑感 | Comments(0)

昼間打ったソバで夕食

f0104169_23361798.jpg今日はソバ打ち体験道場で初めてソバを打った。この仕事の打診があった時に「ソバ打ち体験していただきたい」と言われたから受けたようなもので、ほんと、楽しかった。当地の伝統を踏襲する方法で体験させてくれるのだが、のっけのコツはソバ粉に熱湯を回すことである。この時のソバの香りが素晴らしい。これだけで満足って香りが漂う。こうしてソバの香りを閉じ込めるのがコツなのだそうだ。そんな先生の口上がまた極上。半分以上は先生がやってくれたようなものなのだが、1回の体験で相当の勉強になった。これは練習すれば上達するかも、なんて気にさせてくれる。実際、ここで体験して蕎麦屋を始めた人もいるとか。それにしてもここまで繊細なソバ打ちを体験すると、日本は美しい、なんて感動したくなったりもするものだ。あくまでソバの話であって政治に利用されたいわけじゃないが。

特別に厨房に入らせてもらって茹で方まで教わった。その時のつまみ食いの数本はつけ汁なんか要らないと思える味だった。その時すでにボリュームたっぷりのガレットを試食した後だったので、ソバは一人前だけいただいて残りを持ち帰り用にいただいた。娘が特にソバ好きなので夕食にゆでた。さすがに打ちたての風味は失せていたが、初めてにしては感心の切り方だと褒められていたので一応記念写真を撮った。成長ざかりの子供用だからテンプラも添えるかと思ってあり合わせでかき揚げを作った。ソバ打ちは器用だって褒められたが、このテンプラのデキはなかなか不器用であった。長芋と人参と玉ねぎを揚げただけ。でも美味しかった。f0104169_23504755.jpg
by kienlen | 2007-05-30 23:52 | その他雑感 | Comments(0)
裁判の傍聴に行く予定だったが、ちょっとした仕事が入った。たまにテレビを見ると「おいし~い」とか「から~い」とか叫んでいるだけで番組になっているのが目につき、あれで番組になるんだから楽でいいよな、とブツブツ言ってしまうが、今日の私のもそれに似たようなものだった。テレビとの違いはそれ相応にギャラが格安であることだが、遊びに行ったと思えば儲けものみたいな感じ。それに無理に「おいしい」って言うことは求められないし。まず、なんといってもロケーションが最高だった。頻繁にドライブする場所なので珍しくないが、山というのは景色が毎日違うから飽きることはない。新緑がきれい。その林の中でソバのガレットを食べた。ここは有名なソバの産地なので違和感はない。来週県外から客人があるのでここに連れて行こうかと思った。その後に付近の施設でソバ打ち体験をしてそのソバを食べた。ソバ打ちにはまる人がいる理由が分かった。

楽しく美味だった、おしまい、だと楽だが、実はもっと興味深かかったのが、上記2施設の運営に今年度から指定管理者制度が導入されていたことだ。地方自治法の大きな改定によって、公共の施設の運営に、これまでの公的団体だけではなくて、民間業者にも参入させる道を開いた制度。2施設の指定をまとめて受けたのは東京に本社のある株式会社だった。客として訪れたらと仮定した私の個人的好感度はかなり高い。指定管理者制度には、行政の使命であるところの平等性が担保されるのかとか、公の財産が私企業に流れるんじゃないかとか、いろんな問題点も指摘されていたはずだし、悪法だという主張もちょっと読んだことがある。また運営する側からしても、ハコモノ行政のハコモノを引き受けたところで採算が合わなくてお手上げというケースも出ているそうだ。と、そんな話も少しした。いただいた名刺にキャッチフレーズがあって、それは「公共施設の民営化を目指します」。なかなか含みのある文言だなあ。まあ「おいし~い」系の施設はともかくとして、図書館とか博物館という文化施設の行方が気になるところだ。
by kienlen | 2007-05-30 18:13 | 仕事関係 | Comments(0)
正味半日分の濃度の内容に4日分の水を足して薄めているような仕事ぶり。我ながら感心しない。4日分の水分を吹き飛ばしながらやっとのことで片付けた。朝食を食べてなかったのでランチに2食分摂取してお風呂に入ってから執務所に戻ったら電話が鳴った。なんとかサロンといきなり名乗って早口でダダダダダと話し始めた。「…20代から50代の方にこうしてご案内差し上げているんですよ」と言うから、ヘッと思って「20代から50代をどうやって選んでいるんですか」と聞いてみた。「2000番台から番号だけでかけているので分からないんですけどね。だから変な所にかけてしまうこともあるんですけどね」と早口で言ってから、またダダダダ。話術が巧みというわけではない。いつもだと「とにかくその番号を消して2度とかけないでくれ」と言って切るところだが、暇なんでそのままにしていた。相槌を打たなくても、しゃべり続けている。「女性なら必ずどこか気になるところありますよね。特にお腹周りとか。私どもは寝ていていただくだけでいいんですよね。汚い垢がたくさん出てきて皆さん驚かれますよ…ダダダダダ」とても記憶し切れない。

「痩せる話ばかりですけど、太る方法もあるんですか」と聞いてみた。やっと一瞬絶句するので、機械じゃなくて人間なんだと分かった。「あの…太りたいんですか?」。機械で痩せたくも太りたくもないけど、どっちでもいいんだけど、太るのは扱ってないと言う。「なんでそんなに痩せたいんですか」と聞いてみたが、感心して唸りたくなるような答えは返ってこない。それで「どっからかけているんですか」と尋ねると「K市のコールセンターからです」。「遠くから大変ですね。コールセンターには大勢いるんですか」と聞いたら「そんなに大勢じゃありませんけど、あの何か?」。1日どのくらい電話するのか、待遇はどうか、こういう電話で客になる人が一体どのくらいいるのか、仕事は好きか、電話して相手には迷惑だという感じはないのか、等聞こうかと思ったけど、そこまで持ちこたえることができず「この番号削除して下さい、今すぐですよ!」といつものように怒鳴ってしまった。困ってもこの手の仕事だけはしたくない。でももしや孤独が募るとこういう電話でも嬉しくなるんだろうか。今のところ想像しにくいが。
by kienlen | 2007-05-29 14:44 | 仕事関係 | Comments(0)
今日はタイ語のタイピングを少しした。出来上がりを夫に見てもらったら笑われた。たくさん間違っていたからで、しかし当方としては自分で見直して時間取るよりも一括ネイティブチェックの方が合理的なのである。この間、翻訳をやっているタイ人と話している時に「エクセルとタイ語は合いません」と言っていた。エクセルは日本語だって嫌いな私。でも、タイ語が特に問題あるのかと思ったら、つまり大問題だった。タイ語というのは子音の4方向に母音が付く。すなわち上下左右。いくらなんでも上下左右全部いっぺんに付くことはないけど、下を除く3方に付くことはある。その上、上部に声調記号が付いた時には雪だるまみたいなもんである。となると、機械ものの場合、それを見越したスペースを一字分として認識するということだろう。だから核になる文字、つまり子音のスペースはうんと小さくなってしまう。するとエクセルのように文字の大きさが自由にならないものはやっかいなことになる、というわけだ。漢字も面倒だが発音に忠実な表記方法というのもやっかいなものなんだな。

例えば私がここで使っている名前はkienlenと表示しているが、これはタイ語のเขียนเล่นのつもり。タイ語→アルファベット表記する時のルールに従うと、有気音はhを付けるので本当はkhienlenが正しいんだろうけど、まあおいておいて、意味するところは「遊び書き」である。เล่น=レンが「遊ぶ」の意味で、これは合成語を作るのに便利。กินเล่น=ギンレンだと、遊び食べ。ちゃんとした食事時間じゃないのにおやつみたいにつまんで何か食べてる、って感じ。で、こう書いて気付くのはタイ語のフォントサイズが小さいってことだ。ミミズの柔軟体操みたいな文字が子音でその上についているのが母音と声調記号。これは上だけだからシンプルだが、潜在的には四方+上方にもう一文字分のスペースが要るということ。だからカーソルの動きがひどく小刻みなのである。だって、子音を入れて足踏みして上に母音入れて、さらに足踏みしてその上に声調記号となれば、本当なら3歩進む間に1歩しか進まない。もっとも日本語をローマ字入力しているよりはマシか。どっちにしても面白いんだけど。
by kienlen | 2007-05-28 23:05 | 言葉 | Comments(0)

晴れているのは天気だけ

友達から電話があって「お昼どうする?」と言われて、いつもならそれはどこで食べるかって意味を汲んで答えるところだが、さすがにもうここまで仕事がないと経済不安がますます募る。「仕事なくてお金ないから外食しない」と言うとコーヒーだけ飲みに来た。そして結局夫の店に行くことになった。パカナ炒めご飯に唐辛子を多めに入れてもらって辛くしたせいか、食欲が刺激されて食後に空腹になった。夫が「クメール人から電話があった」と言う。「入管だったの?警察?」と聞くと「入管と警察の両方」との答え。しかし電話できるということは警察であるわけがなく、入管送りになったのだ。ということはたいした面倒もなく帰国できるということだ。新聞の片隅にも載っていたが、2日前にまた大掛かりな摘発があってタイ人も何人か捕まって、その中に通称クメール人も含まれていたというわけだ。タイ人なのだが、いろいろな国に行っていていろいろな国の言葉ができて、カンボジアにもいてクメール語もできる。料理が上手で山で何か調達してきては作っていた。いなくなると寂しいが、命がなくなるのとは違うから、笑ってすませられると言えば言える。

夕方、友達の家に遊びに行っていた娘が戻ってきていきなり「誰か死んだんでしょ」と言う。今この瞬間にも死んでいる人はいると思うが、ニュースになる人はごく一部。農水相の自殺のことに違いない。ご飯食べながらNHKのニュースを見た。自殺者が4万人近いとか言われていて、みんなそれなりに事情はあるのだろうが、注目度ではその他3万人以上分を凌駕している。インタビューされた自民党の誰かが「ネットワークを駆使して日本のためにまさに奔走していました」と、それが何か特別なことででもあるかのように答えていた。日本のために奔走するって大臣として当然の仕事じゃないのかな。それとも何か、特に言及する必要があるほどの特別な日本人のためなんだろうか。死ねばまた事の次第も真相も闇の中なのだ。それはもしかして一部の人のためにはなるかもしれない。まさか、それをもって日本人のためとか言っているわけじゃないよな。年金記録の不備及び説明責任の欠如で遺族年金の支払い拒否なんてこともないだろうし、いいな。今日は天気は良かったが、気分はすぐれない日だ。何もかも理不尽であることに、たまには怒りたくなることもある。
by kienlen | 2007-05-28 20:52 | その他雑感 | Comments(0)

ココア脱走の真相

気分を仕事の方にもっていかないといけないのだが、夕方バーベキューをすることになっているので付近のホームセンターに買い物に行った。こんなに人口があったかと思うくらいの人だった。それこそ歩く場所もないくらいでレジには長い列が出来ているし、人ごみ嫌いの自分にとって拷問である。具合悪くなる。かといって別の店に行くのは時間もかかってさらに億劫なので息子に荷物を持たせてしょうがなく並んだ。平日働いて週末混んだ店で買い物なんて生活は絶対にしたくないと改めて思った。人っている所にはいるんだ…。昨日もホームセンターに買い物に行った。ウサギのココア用に安全な檻を探すために娘と。檻の買い替えは3回目。無駄だ。最初から大きいのにすれば良かったのだが、初めてなので加減が分からなかった。娘とココアの家を整えていると、隣家の主人から「あれは6時くらいだったかなあ。小さい犬が追いかけて必死に逃げていたよ。助けようと思ったけど潜り込んでダメだった」と声かけられた。それで真相が分かった。

形ばかりの小さくて弱い檻に犬が近づいてきて襲ったのだ。檻は簡単に変形して上に隙間ができた。ココアはそこから必死に逃げたに違いない。奇跡に近い。よく無事でいたものだとまた涙が出た。そして少しすっきりした。何が起きたかを知るということが癒しにつながるのだろう。なぜだ、というのが分からなかったからモヤモヤ感が去らなかった。自分から脱走する様子は今まで全くなかったし、外の世界を知らないのだから、なんで突然に…。その疑問が解けた。単に犬から逃げたのだ。かわいそうだったけど、偉かった。逃げることしかできない動物でも生きられるということを感じられないとやり切れないからなあ。毛に隠れて見えなかったけど娘が、少しだけ傷ついているのを見つけた。でも浅いから大丈夫だ。しばらく元気ないように見えたが今朝は近づいたら寄って来た。一回り小さくなったように感じる。
by kienlen | 2007-05-27 13:23 | その他雑感 | Comments(0)
やっと読み切ることができた。有名な山田昌弘先生の本を。現代人の必読書なんだろうと思って何冊か挑戦したがすべて挫折している。少し前に話題になった『希望格差社会』も数ページ目に栞を挟んだまま、まだ枕元にある。ハードカバーなので埃をかぶる面積広い。『パラサイトシングルの時代』はどうしても読む必要があったので一応読んだけど、一緒の電車に乗り込んで知らない世界の旅を楽しむという、読書に伴う一種の異界感に達することができない。なんとなくフムフムでおしまいになってしまって読後感も平坦。で、今回のこの本も同じだった。でも気付いた。これは岩波新書なので一般大衆向けと思って買ったが、体裁はそうであれ、先生のは社会学の専門書に近いんじゃないかと。データを駆使して科学的な記述に徹しているようだ。となると私なんかが入り込めないのも不思議じゃないのだ。ただ今回最後まで読んだ収穫はあった。一番最後が面白かったのとあとがきが一番面白かった。これを最初にもってきてくれれば立ち読みでサッと買うのにな、と思った。古参岩波じゃなくて、新参新書だったらそうするんじゃないだろうか、なんて想像してみたりする。

そんな事はともかく、この本はとってもまじめで、日本政府の少子化対策に対する警告の書でもある。で、少子化の背景は格差社会であるというのだから、今の経済社会への警告でもある。内容はこう。少子化は問題であるという立場からスタート→政府もがんばってはいるが的外れであり、おかげでここまで進展してしまった→外している的とは、学歴と経済力。こいつらは結婚の重要条件であるのにこれをタブーにして公にしたがらないのはいけない→低いなら低いなりにでも生活できるだけの経済力を若者が持てる政策にすること。そして将来への希望がないと結婚も子供もできるわけないでしょ→それが少子化の正体だから根本的な対策が必要なのであり、それは新たなる平等社会創出だ。以上、これ以上ないってほどクリア。同感でもある。直感や感想を述べているのではなくて、調査とデータ分析から導いたものだから説得力ある。現在の対策だとますます格差が開くというくだりは、私も常に感じていたことであるし、異論はないのだが、しかし読み通すのがなんでここまで苦痛なんだと考えて、撹乱要因を排除しすぎているなあって感じが拭えない。清濁あわせ飲むみたいなところがもうちょっと欲しい。きれいなモデルさんに洋服着せているから何でも似合います、みたいな。そりゃあ見栄えはいいけど、私が着たらどうなるのかっていう怖い描写も欲しいわ、みたいな。これは非科学的で直感のみの感想で次元が違うけど。
by kienlen | 2007-05-27 10:54 | 読み物類 | Comments(0)

ダーウィンの悪夢

やっと観た。ちょっと呑気になり過ぎだから、今日まで徹底的に呑気で明日は仕事と決意して、夕方息子に「映画に行くけど一緒に行く?」と聞いたら「残酷なのはイヤだ。でも映画に行く余裕よくあるよね」と、ソファにひっくり返って言うから「それ、つまりろくに仕事もないのに映画に使うカネがあるって言いたいの」と聞いたら、そうだと言う。「1000円以上の価値があると思うから」と言って出かける。観客は約10人。私が読むような雑誌では結構取り上げられているので自分なりのイメージはあったが、思ったより控えめというか、徹底的に暴くというようなスタイルではなくて、やり切れなくて逃げ出したくなるところまでじゃなくて良かった、というか見やすかった。もっともドキュメンタリーなのでこれが限界だと思う。アフリカの映画はこのところやけに多いが、いずれも感じるのは「なぜここまで…」ということだ。どれを見ても、それが分からない。映像なり物語なりの形にするには、ある程度単純化しないとならないと思うけど、それさえできないくらい複雑なんだろう、アフリカは。

舞台はタンザニアのビクトリア湖周辺。ここにある時放たれたナイルパーチという肉食魚が、多様だった魚類を絶滅に追いやるほどの勢いで増えているのだが、経済的な視点で見ると、この魚が食材として世界各国に輸出されて稼ぐカネで、湖周辺は活況を呈している、ということになる。おかげで国内から労働力が湖周辺に集るのだが、まじめに働けば家族共々いい生活できる、なんてわけがない。家族は崩壊し、エイズが蔓延し、親のない子がストリートに溢れ、その子達はシンナーや麻薬で眠りにつき、暴力で簡単に死ぬ。その頭上を飛行機がひっきりなしに離着陸する。ナイルパーチを運ぶためだ。ヨーロッパへ、ロシアへ、その他へ。実はその飛行機は魚を運ぶだけが目的ではない。人道支援物資もあるが、武器もある。最後に、パイロットが重い口を開く。「戦車みたいな大きいのを運んだことがある。会社はカネを受け取っていた。帰りは南アフリカのぶどうを運んだ。友達に話したら言われた。アフリカの子はクリスマスプレゼントに銃をもらい、ヨーロッパの子はぶどうをもらう。俺は世界中の子が幸福であって欲しい、でも、だからってどうしようもない」みたいな言葉を吐く。食糧を採って加工する労働者自身がそれを食べることができない。換金食材は高価過ぎる。世界を覆うこのシステムが、人が比喩でなくて生きるという点で決定的に間違っていることを突きつけている。
by kienlen | 2007-05-26 21:59 | 映画類 | Comments(0)
昨夕もうじき公開終了になる「ダーウインの悪夢」を見に行こうと思って、自分用のクリッピングボードを見たらチェックしていた講座のある日だった。映画は順延。某企業のメセナ活動でもう28年目に入る教養講座で、今年は昨年に引き続きイスラムの話だ。昨年はポツポツとしか行けなかったので、今年は8回全部出てみたい気がしている。充実した内容でたったの200円。ありがたいことだ。今年の統一テーマは「グローバル化時代のイスラム世界と日本」で、初回の総論担当は、この企画のオーガナイザーでもある加藤博先生(一橋大学)。イスラム人口が2025年には世界人口の25パーセントを占めるまでになり、つまり4人に1人はイスラム教徒になる。人口規模からいったら世界一、ついでに言うと残りの4分の1が中国人でそのまた残りの4分の1はインド人。そしてイスラム人口の絶対数が多いのはアジアであるから、イスラム及びアジアの影響は強まる、というところから話は始まる。

最近の視察旅行の写真も交えて、比較的初歩的な話だったが、次回からの各専門家の話への導入という位置づけであり好感がもてた。オイルマネーの還流を見ると経済のグローバル化の流れが分かるというあたりは、映画「シリアナ」で中国が仲間入りしてオイル獲得にしのぎを削る映像と重なる。中東の話でいつも感じることだが、石油が出る国の経済というのはコツコツ製造して稼ぐ経済とはまるっきり質が違うのである。こういう当たり前の話を、やはりたまに確認しないと忘れそうになる。昨日の話は、本題もさることながら、言葉の端っこに宿っているのが感じられる加藤先生の思いみたいなものに共感だった。オイルマネー獲得のために欧米も中国も武器を売っているわけだが、日本は一生懸命製造したモノ、車などでがんばっているのがいい、「武器を売りたいと考えている人もいるようですが」とか。まずどなたの話の根底にも共通するのは、日本では幸か不幸かイスラムが身近でないため、主にジャーナリズムを通じて相当に片寄った理解に留まっていること。しかもそれは欧米経由のイスラム理解であり、こんなのは日本くらいじゃないかと言っていた。韓国ではイラク戦争の後に反米→イスラムへの共感から出版物ブームが起こり、アメリカではアラビア語への興味が高まった。ところが日本では9.11以後、アラビア語の人気が落ち、ますますヨーロッパ回帰に突っ走ったと指摘する。どこにどんな情報があるかを探す努力はしないとね、というわけで初回は楽しかったから次も行きたいと思う。
by kienlen | 2007-05-26 10:13 | 社会的話題 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


by kienlen