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今日は大胆な行動を起こした日だった。成田空港までタクシーで往復した。金と暇がある時ならドライブを楽しめたかもしれないが、どっちもないのにえらい出費でえらい時間を使った。飛行機を見る趣味があるわけではなくて、タイからの農業高校への留学生の帰国日で、担任の先生から「良かったら見送りに行きますか」という連絡があって、ううむ、キツイなとは思ったけど、その頃には一段落しているだろうと思って、それに1度遊びに連れて行きたいと思っていて実行できなかった負い目もあって行くことにして予約していたのだ。実際、今日に一段落していないのは私の怠慢である。昨夜の店番の後、今日を考えて帰宅後にちょっとやっつける仕事をして、遅くに寝て5時半に起きて6時に出た。雨模様だったが、隣県に入ったら晴天で日差しが強い。今は私しか世話をしていないウサギが気になって夫に電話して「ウサギに陽が当たるから布で覆ってくれ」と言ったら、どういう意味か分かっていないからもう1度説明した。分からなかったのは、単に「こっちの天気は雨で陽なんか当たるはずない」からだった。

空港で1人の子のホームステイ先のファミリーも合流して皆で食事をした。高くて美味しくなかった。ここで場の空気を澱ませてもな、と思ってコメントは自重するが、さすがに他の人のように「最後の日本での食事が美味しくて良かったね」とは言えない正直者であった。みんな偉いな。見送りデッキはどこだろうと探すと、ちゃんと2か所あるんだ。飛行機を見送って何になるって思うのは、私のようなロマンのない人間の発想だろうか。そういえばこの空港から見送りされた事が過去に1度だけあったのを思い出した。息子がまだ3か月の頃、タイから日本に一時帰国した時の復路、家族が見送りに来てくれた。往路は飛行機の夜行便で一睡もできず、乗り継いだ電車では息子がずっと泣きっぱなしだったが私が疲労でダウンして、夫がずっとデッキで抱いていた。あれから15年だ、いろいろあったな…という感傷に浸っている時間はない。怠惰のツケが帳消しになることはなくて、必ず自分に返ってくる。それが今夜だ。がんばろ、って毎日同じ決意ばかりで実行していないという意味のようでもある。彼らもじきにタイに到着だ。今年か来年に故郷のチャイヤプンを訪ねてみたいと思っている。バンコクで家事と育児をしてもらったお手伝いさんの出身地でもある。
by kienlen | 2007-02-28 20:03 | その他雑感 | Comments(3)

受験生生活あと10日

高校受験日までいよいよ10日を切ったこともあって、息子はいつにも増して明るい。深刻になって周囲を暗くするよりはマシだが、ここにきてちょっと失敗だったかと思うことがある。それは、受験生特別待遇はしないとはいえ、健康の面でも心配だから食事は作ってやろうと思って、今までだったら「自分でやって」と言ってきたような場合まで面倒みてきたことだ。おかげで堂々と「腹減った」とか「おかわり」とか「お茶ちょうだい」とか、人に命令するようになった。その上、昨日などは「高校になったら毎日弁当だからちゃんと研究しておいてよ」などと言う。ちょっと頭にきて「今は特別サービス中なんであって、受験が終わったら留守の時の食事くらい作ってよね」と言うと「作れないよ」と言う。英語とタイ語の話せる料理人になってビストロでもやればいいな、夫と息子が店やっていれば気分でどっちにも行けるし…なんて密かに考えていたのに受験勉強のおかげで台無しのようだ。何かをすれば何か失うのである。社会的に均質化の機能果たしているようである。

しかし昨夜、年齢を考えると経済的危機は深刻じゃないかと考え始めて眠れなくなり、親でいるのも疲れてきた。養っているんだぞ、という態度を示すよりは、将来お願いしますね、に変更して擦り寄るべきかもしれない。昨日は娘の授業参観に行ったのだが、子供達はどんどん成長している。こうして世代交代していくんだな、と感じる。あがた森魚も言っていたな。「音楽やりたい人はどんどんやって、僕がもう必要じゃなくなったらそれまでで、それでいいんです」って。息子には「そっち(私のこと)は毎日衰えているんでしょ」とよく言われる。だからって「あとは任せてよ」と言うわけじゃなく、なんかあざ笑っている感じなのは気に入らないが、事実は含んでいる。しかしもう肉体労働ならできる身体になっている若者らが、ただ机に向かっているって、近代社会は人間から野性を奪ってばかりだ。そうして市場を拡大している。それに慣らされた自分が言うのも卑怯ではあるが、全面的に受け入れられないものを感じながら受験生と暮らしている。
by kienlen | 2007-02-27 10:39 | 家族と子供の話題 | Comments(0)
不法滞在外国人摘発の警察発表記事が目立つ。タイ人は必ずっていうほど含まれている。ここのところも続いているから、ランチを食べに夫の店に行った時に「たくさん捕まっているね」と言ったら「ちょっと前に友達も捕まった。駅の近くで自転車に乗っていて」と言う。職務質問に違いない。私にとっては知り合いというほどではないが、顔は見たことのある男性だ。「何年いたの?」と聞くと「16年」。ということは入国が1990年だろうか。タイ人の入国がどんどん増えていた時期だ。91年、92年あたりがピークで、その結果、不法滞在者の代名詞みたいに一時期はなって、その後は減少という道をたどる。減少の原因は来たい人が減っているんじゃなくてビザの取得が難しくなったからだと思われる。国というのは、こうして緩めたり締めたりするわけだが、もちろん締めれば締めたで入国自体を不法な手段で行おうとするから、ヒューマントラフィッキングのビジネスが繁盛することになる。

ところで、不法滞在のまま15年とか16年がザラになっているタイ人達であるが、この間どういう生活を送っているのかは、そう知られていない。マスコミは気まぐれに報道するけど、そういう方面に興味を持つ記者やデスクがいなければそれまでだし、このところ外国人関係の報道の少なさは気になるところだ。結構重要な時期なはずなんだけど。フィリピン人の介護分野への参入が始まるし、研修生制度が見直されるかってところだし、経済界は外国人労働者を望んでいるし、各省庁間の駆け引きが交錯する分野でもある。今、この方面に自分の関心を移そうとしている。というのは、不法滞在タイ人の某地方都市での生活について調査したことがあって、それを某大学で話したことがあって、それを報告書にまとめるための期限が過ぎているからだ。今夜はこれを片付けてすっきりしたい、というより、限界まで延ばし延ばしにしてきたので、せねばならない。これを終えたら暇になる。暇=収入なし。困るんだけど、それはおいておいてやっと映画を見る時間ができそうだ。
by kienlen | 2007-02-26 15:44 | タイ人・外国人 | Comments(2)
外国にいたわけでもないのに丸1日飛ばしてしまった。理由は夜にあがた森魚のライブに行き、あまりに良かったので気分が良くて2件で飲んで、酔っ払って日記を書く頭ではなくて倒れこんだからに過ぎない。1時間半ほどだったが、このまんまずっと聴き続けたい気持ちだった。地方のフリーペーパーでこのコンサート開催を知り、ほんのちょっと年上の友人に教えたら即「行く行く」ってことになった。私も何があっても行きたくて仕事をやっと終わらせた。数十人で満席の小さなライブハウスで3000円。良心的。こういう場所が地方の街にもあるのはありがたいことだ。ピアノの矢野誠さんとのペアだったが、矢野さんがすごくカッコ良かった。また来てくれたらまた行きたい。

終わってから近所の店に入り友人から「ねえ、なんであがた森魚知ってんの?」と聞かれた。当時で可能性のあるメディアはテレビとラジオくらいで、私はテレビは見た記憶がないので誰がテレビに出ているのか知らないから、多分ラジオだろう。その友人は東京で学生生活を送っている時期だったので、西陽の当たる先輩のアパートの狭い階段を上っていくと、赤色エレジーをギターで弾いていてね…なんて思い出話をしていた。東京だったから情報も入ったけど、ここで、どうしてあがた森魚…。歌手生活35年だと言っていた。それだけ続けていればどっかで聴いたんだ。歌謡曲で好きな歌と尋ねられたら赤色エレジーは5本の指の中に入れたい。いい夜だった。あがたさんと矢野さんありがとう。
by kienlen | 2007-02-26 09:58 | その他雑感 | Comments(0)
パソコンに向かったまま仕事にならず、お気に入りに入っているいくつかのHPを覗いていた。その中にタイ在住の英語圏の外国人達が共同で開設しているフォーラムがあって、面白いのでたまに読んでいる。特に目的もなく大変な情報量の中を彷徨っていたら、ひじょうに興味深い質問があった。เกรงใจ=グレンジャイ=「遠慮する」ってどういう意味か?というもの。日本語圏の人にとってはこの言葉はスンナリ理解できるのではないかと思う。ただしちょっと使い方は違うかも。というのは、タイ語だと、自分自身の行為に対してよく使っているように感じられる。日本語だったら相手に対して「遠慮しないでね」とは言うけど「遠慮しちゃいます、私」とは、まあ言ってもいいけど、例えば目上の人に対してだったりいい大人などは、あまり言わないんじゃないだろうか。でも「遠慮」という概念自体を改めて振り返ったことがなかった私は、このタイ語は日常的に使っている。これ食べて食べて、と勧められたらเกรงใจと一応言って、さらに勧められたらいただきます、とか、あとは「遠慮しないではっきり言って」とか、いろいろな場面で。

ところがこの英語圏の方の質問に対しての答えは「これは私達西洋人にとっては難しい考え方で、ぴったりの単語はありません」というもの。辞書的な解説をしたのもあれば、状況設定して教えているのもあるが、結構苦戦しているようで楽しい。状況としては「アパートの廊下を女の子2人が走り回ってノックもせずに部屋に入って来たとする。この子達は『無遠慮な子』である」。ううむ、なる程ね。でもなんか苦し紛れの気もする。次はこういうの。「隣人からパーティーの招待を受けているがその日は行きたくない。そしたら妻が『断ったら無遠慮である』と言った。活きたサンプルがあった」みたいなもの。多分この妻はタイ人だろう。そして私も混乱してきた。改めて考えると、もしや、自分が日本語的に使っているこの単語の使い方やら考え方は異なるのかもしれない。今、それを調べている時間がないが、こうして別の言語圏の方の見方を知るのも面白いことだ。しかし、英語だとやはりその場に合った言い回しになるんだろうか。その点、タイ語と日本語の遠慮概念は親戚くらいの近さはあると思う。
by kienlen | 2007-02-24 21:07 | 言葉 | Comments(2)
片付けるべき仕事があるが、アイデアが出てこない。でも待っているしかないから机にしがみついていたら、息子が「文房具買いに行こ」と入ってきた。11時という微妙な時間。当方は、朝食も食べてないから空腹、やらねばならぬがはかどらない、気分転換もいいか、って方向に傾き「じゃあ、ついでに何か食べに行くか」と提案すると、シメシメという顔をしていた。どうせこっちが目的だったに違いない。こういう計算力を他で活用してもらいたいものである。私に対しては本や文房具を出せば良くて、その他は父親に頼んでいるようだ。娘など店の時間帯にも欲しいものがあると父親に電話して、彼は彼で抜け出して買いに走って届ける、なんて芸当もしているようである。

付近のラーメン屋に行った。ラーメン屋の利点はご飯がお替り自由である点で、食べ盛りの子がいて初めてありがたみを感じるサービスだ。そば屋に入ってそば2杯食べて物足りない顔されるより、ラーメン屋でライスお替りして満腹してもらった方が経済的には助かる。「受験近いから励ましって事で何でも食べて」と太っ腹になってもしれている。豚キムチラーメンを注文していた。それからよく行く文具店へ。やはりたいした用事じゃなかった。カラーペンを少し買うだけでノートが必要なわけでもない。文具店に行くと欲しくなってしまうのは私の方で、渋くてきれいな色の鉛筆のセットを買うことにした。普段、外ではジャーペンを使っているけど、家ではよく鉛筆を使う。壊れたり芯がなくなる心配等なくて信用できる。そういえばテープ起こしの時もMDなんかだと悲惨で、カセットテープが1番いい。「メディアは何ですか?」と受注の時に聞いたら「カセットテープです。去年はMDだったんですが、不評でカセットの方に録音し直しました」ということ。プリミティブなものはそれなりに生き残るのだと知る時に嬉しくなることはある。家に帰って購入したセットの裏側を見たら受験生用の季節モノで「受験本番、必勝の法則」ってタイトルでいろいろ書いてある。私が読んでどうするんだ。受験生は息子の方だ。
by kienlen | 2007-02-24 17:10 | その他雑感 | Comments(0)
今週は偶然にも外仕事が重なって、毎日スーツを着て外出していた。そういう格好で書類カバンかけてコツコツと歩いていると、そうだよ、私の人生キャリアウーマンって道だってあったはずなのに、なんでこんな…とひがみっぽくなっている事に気づく。いいな、毎日出勤する場所があって、ランチタイムは同僚と出かけて、共通の話題である仕事の話なんかして、帰り道にはちょっと一杯飲んで。当方、一応スース着てカバンしょってみたところで、部外者として一時的にそこに行き、誰かと交わるわけでもなく、継続的な人間関係を築くわけでもなく、機械の代わりにそこにいます、みたいなものである。お呼びがなければそれっきり。おかげで人間関係に悩むという事は全くなく、逆にそういう人間味が羨ましく感じたりもする。

しかしその楽しみな外仕事も今日で終わり、来週からは失業に近い状態になることが分かっている。ただし、タイの農業留学生が帰国するから成田空港まで見送りで1日つぶれるし、たまには娘の授業参観に行こうかとも思うし、友人主催の鹿料理を食べて野性動物と環境を考える会もあるし、あがた森魚のコンサートもあるし、裁判員制度のシンポジウムもあるし、佐藤文明氏の講演にも行こうかと思っている。確定申告もまだ終わってない。読みたい本はたくさんある。ここまで成り行き任せで平常心でいられるって、やっぱキャリアウーマンには向いてないか。当分スーツを着る機会はなさそうだ。
by kienlen | 2007-02-23 23:50 | 仕事関係 | Comments(3)
本を読んでいる時間がない。来月からは暇で読書できるものと思われるが、今はしょうがないから風呂の中の雑誌で我慢。佐藤優が連載している「ナショナリズムという病理」が面白い。短いから分かりやすい。今読んだもののタイトルは「私の護憲論」。憲法を巡ってはいろんな論議がなされているけど、今までで初めて知った角度からの論考で面白かった。こういうことだ。いつものように自分の立場を明らかにすることから始まる。護憲である、それも文言をひと言もいじらないという硬直した護憲論に立つ←提示されているどの護憲論も国体を毀損する可能性があるから→だったら今の憲法維持の方がマシ→究極的には成文憲法廃止が望ましい→憲法9条と日米安保はパッケージであるが、国際社会のゲームのルールと見た場合にこれを「欺瞞」とするか「結構なことだ」とするかは論者の趣味の問題→筆者は後者→護憲とは現行憲法を形成する国体を擁護することである→国体とは天皇により権威を担保し、国権を権威と権力に区分する日本の伝統である。

憲法論議で念頭におくべきは国体の基本である共和制か君主制かという基本問題だが、憲法9条の保全を主張する論者の大多数は共和制志向と思われる→仮に憲法改正して正規軍を保持し交戦権を確保した場合、誰が宣戦布告するか→天皇が国事行為として行うことになる→敗戦の場合に追及されるのは論理必然である→この論理連関を断つために交戦権は否認しておいた方がいい。この後、日本の共同体理念にいくのだが、それはそれで、ナルホドと思ってしまう。ナルホドと思っていいのかい、と思うが、これに対する反論はどういうものがあるんだろうか。教えて欲しい感じ。あと数日が山なだけだ。読みかけているのは『現代社会と法』→『法とは何か』が面白かったから読んでいるけど、これはちょっと今いち。『宗教vs国家』→読みやすく面白い。観たい映画もいくつかある。それでも僕はやっていない、バブルへGO、愛の流刑地…他。
by kienlen | 2007-02-22 23:19 | 読み物類 | Comments(1)
本日の仕事場でばったり知人に会った。別の県に住んでいるので会う機会はめったにない。前回偶然会ったのは2年くらい前だろうか。それでも年に何度かハガキをくれたりカレンダーを送ってくれるのだが、今年は来ないなあと寂しく思っていた。もっとも私がそんな風に思うのは失礼であって、ハガキに対して返事を出していないんだから自業自得というものである。今年の年賀状は今になっても書いてない。すると彼女が「ハガキ出したけど戻ってきたよ」と言う。そうだ、引っ越しの挨拶も、誰にも改めて出してなかった。ここまで筆不精だと信用されないんだろう。ただしEメールは億劫じゃないからちゃんと書いている。この彼女とは、バンコクで知り合った。息子が同年齢で同じ幼稚園に通っていた時に知り合ったのだ。息子同士は結構仲良くしていたはず。

家に帰って「今日ばったりJちゃんのお母さんに会ったよ」と言ったが、息子は何も覚えていない。「バンコクの時のことなんか何も覚えてないよ」。4年もいたのになあ。大人の4年だったらあり得ないけど、生まれてからの4年じゃあ、そんなものか。がっかりしていたら、娘が口を挟んだ。「ひとつだけ覚えていることあるよ。幼稚園でご飯をおかわりして食べ過ぎて気持ち悪くなったことだけ覚えてる」と。彼女はゼロ歳で日本に来たが、5歳の時にしばらくタイにいたから、その時の記憶だろう。しかし来年になったら忘れているかもしれない。その友の息子さんはヘリコプターの運転をしたいと航空関係の学校へ進学が決まったそうだ。就職率は100%。へえ、いいなあ。他人事は何でも羨ましく感じる。息子に「今から好きな事があると進路を決めやすくていいよね。キミのように何ってものがない場合は、高校の間に、どうするかちゃんと考えなさいよ。知的な職業が無理そうだったら技能的な資格を取るとか、何かないと仕事に就くのが難しいと思うよ」と言うと「何の資格?数検とか英検とか?」。そう言われても自分は実用的な資格が何もないから疎い。「だから、そういう事に親が疎いからアドバイスできないから自分で探せって言ってるでしょ!」。最後はいつもこうなるのだ。自分は気が短いと思ったことは、子育てしてみるまで1度もなかったんだけどな。
by kienlen | 2007-02-22 21:43 | 家族と子供の話題 | Comments(0)
寝不足のまま本日午前の仕事場のM市へ。午後はあくから現地で友達に会おうと約束したところに、在住市に2時までに戻る必要ができてしまい、高速を飛ばしてくるしかないな、と思ったが時刻表を見たら特急を使えばかろうじて間に合いそうだったのでそうする。仕事の準備もあるから運転は避けたいとも思った。こういう時は駅の喫茶店で気分を切り替えてから行くのが常だが、そういえばM市には朝早くからやっているいい喫茶店があったことを思い出して、電車を1本早めてそこでモーニングセットを食べていた。以前だったらこういう仕事の場合は必死で予習が必要だったけど、慣れるっていいよな、歳とるっていいよな、と思いつつ資料に目を通していたら電話が鳴った。知らない番号。息子の担任からだった。私立の入学金12万円に関して息子に「親が悩んで相談したいって言ってる、と伝えといて」と気軽に言ったのを思い出した。「今日の午前中にいらしていただけますか」「今M市なんですよねえ、昼間は時間取れなくて」ということで、夜に学校へ行くことになった。

私から見ると息子は担任にも親にも恵まれすぎていると思われる。特に大事な時期にお世話になっている今の担任を私はひじょうに信頼している。といっても学校に足を運ぶのは個人面談だけだが、最初からコミュニケーションに障害を感じなかった。率直でまことに分かりやすく型にはまった言い方ではなくて、ちゃんと相手を見て話している。多分同年代らしく、つまり教師としてはベテランの部類だろう。息子への評価が私と全く同じであるというのは意外性に欠けるが、人の見方が似ているということかもしれない。自分から先生に相談に行くなんて初めての事だが、やはり行って良かった。息子はちょくちょく先生と相談しているようであるが、彼を通すとすべてが楽観的になるので、どうも信用できないのだ。そしてやはり予断を許さない状況にあるということが判明した。2人で「全くアイツは…」と言いそうになっていた。内申書が悪いので当日点数を稼ぐしかないのだが、毎回何かでヘマするからそれが心配、お母さんだから言うわけじゃないけどもっと点数取れる子なのになあ…、だから保険はかけておいた方が…。はいはいごもっともです、同感です、何もかも仰せの通りです、って感じで15分くらい話して帰った。娘に「キミはこんな心配かけないでおくれ」と言ったが、あんまりよく分かっていないようである。もっとも当人が「なんで心配なんかするんだよ」と言っているから。それに私も忙しいんだ。今夜も仕事だ。
by kienlen | 2007-02-21 20:50 | PTA・学校 | Comments(2)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


by kienlen
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