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『ヘンだよニッポン人-外国人労働者のつぶやき』という本を読んだ。友達の事務所に寄ったら「著者が訪ねてきてくれたから」と貸してくれたものだ。素直な描写に好感をもったし、共感できる部分も多くて面白い本だった。ただ、このタイトルと副タイトルと、帯の一文からは「人権侵害と差別にさらされている外国人労働者」というステレオタイプ的なメッセージしか感じられなくて残念。内容は、何かを糾弾するものでもなく、日常の中での交流から感じたことを率直に書いているのだから、私が編集者だったらそっち側からアピールしたいと思うところだ。それから、なんだか、著者の秋草調子さんの、ここに登場するバングラデシュ、インド、パキスタンからの出稼ぎ労働者である若者達への好奇心、まなざし、優しさに羨ましさを感じたりもした。発行が1994年。つまり外国人労働者の流入が激増した90年代初頭の空気を強烈に感じるが、残念ながら自分はこの当時は日本にいなくて、帰国した時には沈静化に向かっている頃だった。それでも、まだ名残りが充分にあって、似たような状況のタイ人版を私も見てきたことになる。

著者の日常に外国人の影があったわけではなくて、偶然この南アジア出身の若者達との付き合いが始まり、自分を母と位置づけ、次第にその交流にのめりこんで行く様が興味深い。母のように心配し、母のように面倒をみて、彼らには母のように慕われる。多分彼らが相当に魅力的な人物なのだろう。実際、こんなに素晴らしい人がいるんですか、いそうな気もするし…みたいな男性が登場するし、総じて実に魅力的だ。タイ人と違うなあ、という問題なのか、あるいは、言葉が日本語のみだし、彼らの背景を知らないことが幸いしているのかもしれない。例えば自分がタイの人に会うと、ある程度までは想像がついてしまうのだ。家族は、家の形態は、周辺の様子は、人間関係は…。ところがそういう事が暗闇の中だと、真っ黒な背景色の前にくっきり人物が浮かび上がるような具合に見えやすいのかな、という気がしないでもない。南アジア出身の男性達とタイ人男性の大きな違いは、日本人女性との付き合いの機会が前者に多いということ。人口の割に、出稼ぎという状況下でのタイ人男性と日本人女性のカップルは少ない。要因はいろいろ考えられる。タイ人女性が先行して入ってきているから同胞で間に合う。南アジアの人の方が故国での階層が上とか、容姿とか文化とか言語能力とか。おお、タイ人を不憫に感じたりして、私もこの著者同様にもしや愛情深いのかもしれないな。
by kienlen | 2007-01-31 23:32 | 読み物類 | Comments(0)
読書している時に友達が来たから「助けてくれええ、何ーこの本ー!具合悪くなるううう」と言って表紙を見せたら「何?もしかしてマゾ?」と言われた。だから「読んだの?」と聞いたら「読まなくたって分かるもん、読まないわよ、そんなの」と言う。「でも、読まないであれこれ言えないし、かといって買う気にはなれないしって思っていたら、昨日ちょうど友達のところにあったから借りてきた」と言い訳がましく説明したが、バカバカしいって顔で斜めから見られた。そりゃあ、私よりこの友達の方が経験知が深いからな。その本は安倍晋三『美しい国へ-自信と誇りのもてる日本へ』。出だしはどってことがなかった。昔の思い出を語る部分は、随分素直なお子様であられたんだ、と思って一応読んでいたが、耐えられなくなるのに時間はかからなかった。でも、読んでみるという挑戦だけでこの友達からすれば果敢なのである。褒めてはくれなかったが。

そうそうこの本はボク褒められたいの、ボクの部分を日本に変換したようなものだ。褒められたい気持ちは分かるし、誰だってそういうところあると思うし、別に○○クンが、メアリーちゃん褒めて!とか、誰かにねだるのも自由だけど、他人を巻き込まないでくれと思う。しかもこんなに大勢の他人を。まあ、それも大目に見るとしても、しかし例えば日本人だとかアメリカ人だとか中国人だとかタイ人だとか言った場合に、国籍だか永住権だか民族だか知らないが、それぞれがカテゴリーごとにみんな同じらしいです、この発想からいくと。これは悩まなくていい。カテゴリー分けした後は葛藤がないのだ。そうだろうなあ、純血種って異物が入ったらいけないんだ。でも血が混じると頭のいい子が生まれるとかでウチも「お宅も頭のいい子でしょ」とたまに言われることがあるが、違うからすでにこの説の怪しさを物語っている。しかし同質性の中で育つと想像力欠如の可能性は高いな。Aも横からみたらこうで下から見るとAには見えないってな発想はもたずにすむ…のだろうか。つまりここまで一面的に一方的な視点から語れるというのは、純血のありようとして正しいんだろうと思う。恐れ入りました。純血とは何かとか、美しいって何かとかは、この本的に応用すると自明で説明の必要は全くない。すべては自明なのだ。自明性の崩壊なんてないんだ。ううう、、。すごいことになってる。
by kienlen | 2007-01-30 16:19 | 読み物類 | Comments(2)

遠方の友より届いた荷物

昨夜飲んだビールのアルミ缶を握りつぶしていた時に玄関のチャイムが鳴った。「宅急便です」という声が聞こえる。わざわざ大声だすのは怪しい、なんていちいち思っていると近代社会生活を営めずに引きこもることになるだろうから思い切ってドアを開けると、いつも来る宅急便の担当者だった。「今日は3つありますよ」と言うから3枚にサインする。2つは、私がヒイキにしている「通販生活」で注文したもの。この雑誌を発行しているカタログハウスという会社の姿勢が好きなので、努めて買い物による支持をしている。例えば、読者の購入のおかげで沖縄の工場が持ち直したとか、ちゃんと成果を報告してくれるから、選挙より実感できる感じだ。少なくとも品物は必ず届くから死に票はない。ついでに社長の斎藤駿『なぜ通販で買うのですか』って本はすごく面白い。広告やらマーケティングとその時の社会背景がどう結びついているかが身近な例でよく分かるようになっているし、ちょっとした現代史風。今回注文したのは、食品と洗剤とへナカラー、椿油などの消耗品のみ。

で、最後の1個はいかにも手で詰めましたって表情の大きめのダンボールだ。私に荷物を送ってくれる個人はほぼ皆無なので期待が高まる。思いも寄らぬことに、この間ウチに寄ってくれたiさんからだった。この春から世界一周の旅に出るという話は聞いていたが、いよいよ身辺整理も細部に至ってきたらしく、いくつあっても困らない日常品を見繕って送ってくれた。こうして誰かがどこかで自分を一瞬でも思い出してくれるということは、まさに生きる励みになる。本当にありがたいことだ。年齢のせいか、同世代の友人に電話すると第一声が「思い出してくれて嬉しい」、メールすると「ジャンクメール以外、誰からもこないから嬉しい」という反応があるし、私自身も全く同じような反応をして、嬉しさついでにボランティア仕事なんかまで引き受けるハメになるのだ。やはり最も耐え難いのは孤独なんだろう。それで、その送り主のiさん達の旅であるが、羨ましい限りである。旅そのものというよりは旅の道連れがいることに対して。ま、人それぞれ何かを探す過程が生きるということなんだろう。それで、自分は何を?こういう問いはいくつになっても変わらないことが情けない。届いた荷物がヤケに重たく感じる朝だ。
by kienlen | 2007-01-30 11:04 | その他雑感 | Comments(0)

妻はつまはじき

バンコクに立ち寄った時、10年以上も放置しておいた通帳の記帳をしに銀行に行った時は、奥の部屋に通されて延々と待たされた。でも眼の前で作業している担当の職員がカッコいいお兄ちゃんだったし、冷房が効いて快適な部屋だったしで、特に不快感もなく待っていた。そのお兄さんは「ううん、ちょっと問題が起きたけど、大丈夫、ボクが解決しますから」とか言いながらテキパキに見えるが…その割には時間をかけて仕事をしていた。記帳だけなのだが。手持ちぶたさで机の上に貼られたパンフレットをなんとなく読んでいたら割の良さそうな生命保険の案内であった。するとそのお兄さんは「あ、興味ありますか」と言って簡単に説明した上で、上司らしき貫禄のある女性を呼んできた。金額はわずかだし、別にリスクもないってことだし、扱っているのがタイ一の銀行だし、久々の楽しかったタイ旅行の記念に加入することにした。それに今後飛行機に頻繁に乗ろうと思ったし。死亡の場合の受取人は夫にした。なんといってもタイだし書類はタイ語だし、他に対応できる人がいないからな。「書類一式用意するのに日数がかかるから、次にご主人がタイに来た時に受け取りに来てくれ」と言うから「いつになるか分からないから日本に送って」と頼んでおいたら、最近届いた。すごい豪華なケース入りで、しまうのに場所を取りそう。そこに受け取りのサインをして返送するようにメモがあった。

契約内容は全部タイ語だから、実はとんでもない内容だったなんてことがないように、サインする前に一応目を通していたら、夫が「分からないでしょ」と決め付けるので「フン、何時間もかければ分かるさ」と言ってみたのだが、面倒になって「読んで下さい」と頼もうとして、気がつくと彼も全く同じ豪華ケースを手にして「受け取り書を返送するなら一緒に送る」と言う。どういうことだ、と思ったら全く同じヤツに加入していたのだった。私が行くちょっと前に行った時に。「言っておいてくれないと何かあった時に分からないでしょう」と言うと「あと15年は死なない。死にそうになったら言う」と言う。この保険をやたらに当該銀行では勧めているらしく、外国に住むタイ人がたくさん加入しているそうだ。だから私は自分が加入するに至った状況を説明したら「それがやり方」という。で、受取人は誰にしたのだと思ったら、ニコニコしながらそのページを開いた。もちろん子供の名前2つだけだ。そしてこう言う。「息子じゃなくて娘の方を上にすればよかったなあ」と。上下で受け取り金額が変わるわけではないのに。今後、私に不労所得がころがりこむ可能性は皆無である。働ける可能性もごく小さい。闇に向かって走っている気分だ。ちなみに、夫は「これは自分が持っていた方がいいでしょ」と言って私の豪華ケースをどっかにしまった。
by kienlen | 2007-01-29 22:54 | 家族と子供の話題 | Comments(0)

古本屋で買った本3冊

娘が「運動不足だから自転車でそのへん回ってくる」と言って出て行ったのはお昼前だった。夫が「何時に帰る?」と聞くから私も娘も「ちょっと自転車で走ってくるだけじゃない」と答えた。ところが帰って来ない。1時間たったころから気になって、立ち寄りそうな家に電話してみたがいない。落ち着かないままに2時間が過ぎて、探しに行くことにした。いろんな妄想が脳裏をよぎる。古本屋の前を通りかかって、もしやと思って寄ってみた。自転車置き場に彼女のものが見つからないから気休めのつもりだったが、座り込んで漫画本を読んでいる娘がいた。向こうは何をそんなに心配しているのか分からない様子でキョトンとしているが、そのへん散歩で2時間はないだろう。まだ読んでいるというので、私も久々に店内を見てみることにした。結構掘り出しものがあって、それに安いし好きなのだが、つい新刊の店に行ってしまうのが常だ。まずはいつもの人文書のあたりを物色。『こどものねだん』というのが目につく。副題は「バンコクの児童買春地獄の四年間」。フランス人が書いたもので、多分以前にも見たことがあるが、あまりの悲惨さに読む勇気がなくて買わなかったものだ。定価の半額で1400円ということもあって購入。

それから『法思想史入門』。これを読んで面白いと思ったら、笑わば笑え、法科大学院受験を考えようという気概をもって購入。それ以上見て回ってもどんどん欲しくなって読みきれないからレジに行く。するとカードの点数が100点たまっていて100円引きになるという。こういうものの期限に拘束されるのが嫌いなのでその場で消費することにして、チラチラみていたら『法科大学院』という新書があった。350円が100円引きになるならってことで購入。夫と温泉に行こうってことになっていたから一旦帰宅したが、姿が見えない。息子に「パパは」と聞いたら「お風呂」と言う。ちょっとの間に気が変わったらしい。それでひとりで行くことにしたが、新書をすぐにでも読みたくて信号待ちに車の中で、それから温泉に持ち込んで読んだ。説明書みたいなものだからこういう状況で読むには最適。今夜はこれを読んでしまうつもり。なんか、余裕ができてしまったってことで、小人閑居して何をするかだ。
by kienlen | 2007-01-28 20:51 | 読み物類 | Comments(0)
何かひとつ知識が増えると、これまで何気なくやり過ごしていたものが違った様相を見せ始める。今日の場合、それに当たるのが「アフリカの苦しみ知って」という新聞の文化面の記事だった。「貧困や紛争、差別などさまざまな問題を抱えるアフリカを舞台にした社会派映画が相次いで公開される」という書き出し。私も感じていた。昔、アパルトヘイトを扱った「遠い夜明け」は見たが、アフリカとえば動物ものという貧困なイメージしかもっていなかったのが、このところ自分で見ただけでもロード・オブ・ウオーとナイロビの蜂、見るつもりだったホテル・ルワンダ、ここで公開されたら絶対に見たい「ダーウインの悪夢」と、すぐにいくつか挙げられるくらいメジャーになっている。で、この記事は公開される映画を紹介しながら「“遠い国”の出来事や人々への関心を高める機会になれば」というメッセージを送っているようだ。映画というのはインパクトが大きいから、相次いで公開されれば人々の関心は高まるだろう。それはいい事だと思うし、当然必要なことだ。でも、何で今?と考える時に、昨日聴いたスーダンに関する講演が思い浮かぶ。

冷戦構造が前提だったNATOが活動の場を求めてアフリカに介入しようとする。国連もアフリカへの介入の必要性を強調する。その行為を正当化するのに、人々の支持ほど大きいものは多分ないだろうから、それを得るためにマスメディアの力は大きい。毎日テレビでアフリカの紛争を流して人々に周知した方が、報道がないまま介入するよりは正当性は高まるだろうと思う。こういう見方だけに片寄るのは陰謀説ばかり信じるのと似ているような気もするが、捨てきれない説得力はある。アフリカのことばかりではなくて、身近なことだってそうだ。この間も、とんでもない人口密度の低い過疎の町でテロを想定した非難訓練だがが行われたというニュースをカーラジオで聞いて「あそこでテロね、随分と効率の悪い行為を想定しているんだな」と呆れたが、イザという時の動員のために危険を煽るのは有効な地ならしに違いない。不安には、多分欲望以上に限界がないような気もする。ここを刺激してやればいいんだ。でも、映画をこれと一緒にするべきじゃないか。ナイロビの蜂も、先進国の陰の目的を突いていたし、ロード・オブ・ウオーもそうだし、そりゃあ見ないより見たほうがいいんだ。というところに戻ってきてしまった。
by kienlen | 2007-01-27 21:32 | 映画類 | Comments(0)
昨夜は雨で、今日はその名残りが少しあってその後は春めいた日差しだ。昨日、いつもなら豪雪地帯のスキー場の前を通ったが土が見えていた。これじゃあ、農業や生態系への影響も大きいだろうし、水だって不足するんじゃないかと心配になる。しかし娘はスキーに行っている。この間「今年はスキーは行かない方がいいって言われた」と言うから「なんで」と聞いたら「兄ちゃんが受験だからだって」と言う。「ああ、滑るにひっかけてそういう人多いよね」と言うと「どうしようかな」と言っているから「別に、いいんじゃないの」と言ったら、家族で行くという友人と話をつけてきて、現地ではその友人と滑るから、送り迎えだけしてくれればいいという。私がスキーをしない、南国の夫がスキーできるわけない、よって、家族で教える人がいないのだが、保育園からスキー合宿があったりで娘はスキー好きになっている。息子も小学生のころから「自分で滑るから連れて行ってだけくれ」と頼むので、1度連れて行ったことはあるが、娘もそうなっている。

で、自分で「送りはパパで迎えはママ」と決めているので、苦手な分野については自分で決めるより決められたことをする方が格段に楽なので従うことにした。はいはい、である。しかし迎えの3時半という時間は半端だ。今日は在宅ワークが少しあって、タラタラでも3時半までやれば終わるのに、3時前に出なければならないから終わらないかもしれない。しかし、つくずく思うのは、親子で好みが同じだといいけど、違うとすれ違いばかりだ。息子など、低学年のころから自分なんか考えてもいなかった少年野球を始め、休みはいつもその練習で振り回された。でも親が好きだったら楽しんで一緒にやれるから振り回されるなんて感じないはず。例えば私だったら、読書が好きな子であれば一緒に読んでもいいのに、全然そうならない。平行線家族と名付けよう。
by kienlen | 2007-01-27 14:00 | 家族と子供の話題 | Comments(4)
少々遠出だったので、念のため夕食は夫に頼んでおいたが、5時ころ帰宅できた。自分で運転したわけではないのに、そのまま眠りたい疲労感に襲われていた。ここのところあまり気が抜けない日が続いていたような気もするし、そもそも就寝時刻がどんどん遅くなっていたから無理もないとは思う。しかし、今日は行きたい講演会があった。「イスラム世界の統一性と多様性-中東を中心に」のシリーズの11回目。まともに聴いたのはたった2回だが、いずれもとても興味深い話だったので疲労感を振り切って出かけることにした。本日のお題は「スーダンのダフール危機を考える」で、千葉大学の栗田先生が講師。期待を裏切らない内容だったが、予想通り暗澹たる気分になって涙もでそうになった。スーダンはアフリカに位置するが、中東でもあるというところから話は始まった。北部はイスラム教とアラビア語を受け入れてきて、南部は宗教も言語も異なる、いわばブラックアフリカで、その両者が出会う場所がスーダンという国。80年代から北部の政府による南部住民虐殺が続いてきたが、それにはイギリスの植民地支配の方法を、自国の政権が引き継いでいるからという背景がある。ただイギリスができずに自国政権だとできるのが、イスラム教を政治利用するということ。マスコミ報道は民族対立とか宗教対立とか矮小化するが、実際には政府対多くの国民であり、その矮小化の背景にも、発信元が先進国のメディアであるという政治的利害関係を考えないわけにはいかない。

北部と南部はアメリカの介入もあって、本質的ではなくて利益分配的な和解をし、それが影響して西部ダフールのジェノサイドが起きているという見方もできる、ということだ。ここに国連が介入しようとしている。国際社会の介入は、すさまじい虐殺をやめさせる点では有効かもしれないが、問題の根本を解決することにはならないだろうと指摘していた。つまり、国民のための政府ではなくて国民を抑圧するための政府が、国際社会の介入によって温存されてしまうというわけだ。政府にも反政府にも国際社会の介入があると、もう悲惨なことになるのは各地で起こっている。第二のイラクになるのではないか、という見方も否定できないし、かといってそれを防ぐことはできるかもしれない。なんで今まで放置してきた虐殺に対して、今になって国際社会が関心をもったかというと、石油が出たからだ。これを聞けば、はははん、である。私なんか何も知らなかったことばかり。が、構造的にはどこも同じだな、というくらいは想像できる。施政者が国民のためどころか、自分達の利益のために国民を殺戮する恐ろしさ…。その政権は国際社会の介入で懐柔するとしても、それがその政権を温存させることになるというパラドックス。このところアフリカを舞台にした映画がやけに多いと感じているけど、それがなぜかというヒントもたくさんあった。こんなんで疲労しているなんて申し訳ないぞ、と思ったが、やっぱ疲れてなぐり書き的であることは否めない。
by kienlen | 2007-01-26 22:25 | 社会的話題 | Comments(0)

女4人で飲み会をした

一息ついている。タイからの農業留学生の日本語指導という役割が終わった。これで、半日とはいえ週2回の通勤がなくなるから時間的余裕ができ同時にその分の収入は減る。たくさん購入してしまった日本語指導関連の本を棚に片付けて、もう2度と使う機会がないとしたらもったいないな、と思ってしまう。通信教育で勉強しておいて、検定試験に合格しないと意味ないのだが、試験勉強に費やす膨大な時間を考えると決心できない。保留にしておこう。その最後の授業→ひとりで蕎麦でランチ→午後の仕事→家に戻って子供の食事と仕事の雑事→飲み会へ。という日だった。飲み会は女ばかり4人。友だちの友だちというつながりで、一応顔は知っているけどゆっくり話したことはないという距離感から、よく知っているというのまでマチマチで、特に共通点はない。クリエイティブ系2人、教育系1人、美容系1人。勤め人2人、自営2人。子持ち3人、なし1人。B型2人、AB型1人、O型1人。

1人が「営業もしているっていうのに人の顔覚えるのが苦手でねえ」という話をした。だから「じゃあ、私がお宅の会社を訪ねても『はじめまして』と挨拶されたりしてね」と言うと「大丈夫、女は覚えている」と言う。この感じって分からなくもない。それまでも誰かがドラマティックな境遇を語ったらいくら時間があっても足りないという話の展開になっていたから、全員で「そうだよねえ、男性って似ているもんねえ」という点で話があってしまった。「男性」とひとくくりにすることが失礼であることは承知しているが、凹凸感に欠ける人は女性より多い気がしてならない。それは多分、選択を迫られる局面が女性より少ないせいだろう。そういう局面はその都度その人に何かを刻む。人間の生き方モデルを内在化している人は、迷いをあまり経験せずにモデルに従うことができるが、女性のモデルは男性より早く多様化してしまったのだ。でも、現在従来の男性モデルも形状維持できなくなっているから、楽観的に考えれば魅力的な男性が増える…ことを願おう。
by kienlen | 2007-01-26 00:58 | 男と女 | Comments(0)

日本語ってお上品だ

うっかりしていたらまた日付が変わっていた。さすがにこれ以上延ばせないのがあってやっていた。畑違いのこともやらないと食べていけないのでやっているけど、一応本職はあって、本末転倒それが後回しになっていた。昨日は、タイ人高校生の支援に行っている高校の校長先生から呼ばれた。来年も予算が出るということだろう、続けてお願いできるかという打診だったので引き受ける。都合のつかない時はキャンセルできる、という条件でいいということだからとっても助かる。そうでないと定期的な現場仕事を入れるのはイザという場合にやっかいなことになる。それにこの仕事は結構面白い。なんというか、隙間というか。日本語指導というのでもないし、もちろん教科指導でもない。私は教師でもないし、日本語教師のプロでもないから、どっちかだったら僭越であるのだが、何をしているかというと、歴史の教科書を、中身を教えるのではなくて文章を読み解くという作業なのである。彼女たち、話すのは随分と上手になったが漢字はまだまだだし、高校の教科書の言い回しにはついていけないでいる。それで、こういう方法を試してみようということになった。

タイ語はなるべく使わないけど、知らないよりは便利だ。文脈で意味が変化しない固有名詞なんかはタイ語で言ったほうが手っ取り早い。抽象度の高い言葉は、ものによっては容易な言葉で言い換えたり説明したり、ものによってはタイ語を使ったり、ものによっては辞書を引く。すると当然2つ、3つと並んでいるのを読むから、この場合はそれだし、こっちの場合はそっちという具合に説明してみる。少しタイ語を知っていると、これはタイ語の言い回しと似ているから分かりやすいし、これは分かりにくいだろうな、というのがなんとなく想像できるから、そんな説明もする。1時間だからあっという間だが、時々は脱線もする。今日は「先生、ตอแหล(トーレー)って日本語で何ですか」と聞かれた。こういう時はたいていが罵倒語とその類似品であることが多い。私は苦手、ほとんど何も知らないのだが、タイ語は罵倒語が豊富であるということだけは知っている。面白がってタイ語の綴りを言うので黒板に書くと、もっと面白がる。「ウチで辞書で調べてくる」と約束しておしまいにする。引いてみた。「女性が嘘つきであることを罵る語」と書いてある。こういう時、自分の語彙の貧弱さを内心で罵る。なんて説明したらいいんだ。
by kienlen | 2007-01-25 02:03 | 言葉 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


by kienlen