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毎年安定しないので変化はあるが、今年もそうだった。仕事を失い、見通しもないままどうしようと思っていたら、なんとなくかろうじて生き延びている。来年はまたどうなるか全然分らない。でも、来年は今までのようにはいかない気がするし、自分自身ももうちょっとまとまったことをすることを考えたいと思っている。今年の一番大きな出来事といえばタイに行ったことだろうか。物的な大きさではなくて、自分に与えたインパクトの大きさという意味だ。もちろんタイでカルチャーショックなんて段階ではなくて、封印していたものが顔を出し始めた、というような感覚だ。自分の場合、タイが好きだから暮らしていたというわけではなくて、いろいろな要因がそうさせた、ということであり、だから「タイが好き」と言う人たちの思いとは違うように感じていたし、旅行で行ったことがないので旅行者の感覚というのも分らなかった。それで、自分としては、たまたまご縁が重なってタイだったんで、たまたまタイ人と一緒にいてこうなって…、とたまたま論で片付けていたのだが、今回タイに行ってみて、それだけじゃないのではないか、と思ってしまったわけである。

料理が好きだからとか、周縁の言い訳で自分を納得させようとしていたのかもしれない。こういう事を認めるのはみっともない気がして嫌なのだが、多分そんな気がする。今年、自分と同年代の知人が中国に語学留学することにした時、彼女に向かって「自分探し?」と尋ねた友人がいて、そんなんじゃないでしょ、そんなの片付いてきている人じゃない、と笑ってしまったのだが、彼女のことはともかく、自分もまだその過程なのかもしれないと思ったりもする。どういう語彙を充てるかは別問題として、自分なりの区切りをつけてみたい気持ちだ。どんな形かは考えないといけない。今年は息子は多分高校生になる。これはかなり一段落だ。ここんとこ、経済面ではずっと私が責任を負ってきたから夫にもなんとかしていただきたい。掃除を明日に持ち越して、その事を店で夫に伝えようと思う。
by kienlen | 2006-12-31 16:56 | その他雑感 | Comments(2)
夫がタイ語のキーボードを持っていることが判明したから、昨夜パソコンの方をタイ語も使えるように設定してみた。するとタイ語が優先になって日本語にするのに切り替えが必要になった。タイでインターネットカフェを利用した時がそうで、言語バーの位置なんかがそれぞれ少しずつ違うのでその都度店の人を呼んでしまった。そういうことから、ますます技術革新についていけない感覚は強まる。今朝、さっそくキーボードを交換してみた。ひらがな入力しているわけではないからキーボードに日本語なんて不要である、と簡単に考えていたが、ちょっと並びや大きさが異なるだけで使いにくくいつもの数倍もかかっての入力となる。いっそ、キーボードをふたつ取り付けられればいいのだと思って見たが穴は一個しかない。機械の側じゃなくてキーボードの方で簡単に取り替えられればいいのに、そういう作りになっていない。ちなみにタイ語を打ってみると「ดีมาก」=とってもいい。スラスラ打てたら快適だが、使うのは初めてだから、配置が全く分らず必死で探す。でも子音の四方に母音がくっつくタイ語の入力ってどうやるんだろうと思っていたけど、みんな自動じゃないか。考えてみたらそのはずで、母音によって上につくか下か右か左か固定なので当然といえばいえる。

なんだか入力練習のような気分で書く内容までたどたどしい。しかし、来年はタイ語の勉強をする環境は整った。なんといってもこういう時に便利なのは夫がタイ人であることで、一応聞けば、面倒そうにではあるが教えてくれる。それにしてもこんなことを思いついたおかげで今日は掃除をしていない。大晦日だけ実家で過ごすという息子を送り届け、ちょっとお茶だけ飲んで、今年は特に買い物もないのでプリンターのインクとフラッシュメモリーだけ購入して帰宅。夫は友だちの家でパーティーがあるからと外出している。なんとかキッチンの片付けをしたい。ここまで打ったがなかなか慣れられない。すぐにやらないとならないテープ起こし作業があるが、このキーボードでは太刀打ちできないからちょっとお休みいただこう。以上、試しうちを兼ねて。
by kienlen | 2006-12-31 14:25 | 言葉 | Comments(0)
あと1日で今年も終わるという日は、昨日に引き続き掃除を続けた。やっときれいになった、といっても客観的にはそう違わない。なにしろ隠す場所がないのだから同じだけのモノが同じように見えている。単なる自己満足の割には疲れた。それに2日間1歩も外に出ていないからウサギのエサもないし、買い物も少ししなければで、夜は出て、そのまま夫の店に行った。頭がフラフラする、働きすぎかと思ってよく考えたら朝からちょっとしか食べてない。何かに集中していると食欲は失せるものだが、今日もそうだった。全く食べないわけにいかないから少し口に入れた程度。カウンターに座ったら夫が自動的にビールのグラスを置いたから飲み始めて、ここまで空腹だとマズイなと思ったら、案の定、1杯飲んだだけで具合が悪くなった。カーオ・トム(おかゆ)とシーフードのヤム(サラダ)を酸味を強くしてもらって食べた。美味しかった。と、タイ人女性が深刻な顔で入ってきた。

夫と、書類を挟んで話している。先日、私もその書類を見た。つまり彼女は日本人男性の借金の保証人になってしまったのである。今日、2人が話しているのを聞いていたら、どうやら酔ったついでに引き受けたらしい。ワレにかえってとんでもないことをしたと思ったら、自分が聞いていた金額より多い金額が記載されたハガキまで送られてきた。先日は、なんとか助けてくれと来たのだが、助けようないから、とにかく降りさせてくれって直接話して、ダメなら弁護士雇うしかないでしょ、その時は知り合いの弁護士紹介するから、と言ったところだ。その時は夫に相談する勇気もないと言っていたが、さすがに今日は話した後だった。目鼻のきく日本人ならこういうこともするのだと感心することは時々あるが、しかし、それにしても意味も分らない書類にサインするってどういうことなんだ、しかも、恋人とか親しい人ならともかくたいした知り合いでもない。何か好条件でも提示されたのだろうか。とにかく困っている人に根掘り葉掘り聞けないから黙っていたが、実は私もこういう事態を恐れていて、夫には常々、自分で責任を取れない範囲のことはしないでくれと言っている。彼女は「不安で不安でここ2か月で9キロ痩せた」と深刻な顔で店を出て行った。
by kienlen | 2006-12-30 23:16 | タイ人・外国人 | Comments(0)

大掃除の真っ最中

朝、雪が積もっていたのを新聞取るためにドアを開けた時に見たが、その後は閉じこもって掃除を始めた。日常的な掃除が苦手なので毎年、年末年始は掃除にあけくれることになる。今年は大工仕事がないだけまだマシ。昨年は電気ドリルを駆使して棚を作っていて腕が痛くなった。それに家具の購入も終わっているから、出かける必要がない。日常的な掃除がなぜ嫌いかというと、同じところに同じものを戻すのがつまらないからだ。それで大掃除はいろいろなモノを動かす。それで、自分が何を所有しているか分る。モノを持ちたくないと思っているのに増える。よく訪れる人に「モノが多い」と言われるが、それが何でか分らない。飾り物は興味ないし、使わないモノをとっておく習慣もないし、不要になると捨てることをためらうタチでもない。それなのにいろいろあるように見える大きな原因は、収納場所が全然ないからだろうと思う。収納するようなモノは要らないと思っているので作らなかった。だから全部外に出ている。こういう家を日常的な片付けが苦手な人が作るべきではないのだろう、きっと。

それにしても、本は処分してもいいかもしれないし、洋服やバッグは多すぎるかもしれない。突然死んだら処分する人が面倒だろうし。でも、もしかしたらあと数十年生きるかもしれない、と思うとどれも使う可能性に満ちている。この不確実性をどうマネージメントするかが生きるということなんだろうな、とメチャクチャになった部屋で途方にくれている。夫が夕方一時帰宅して「今日は店に来ないのか」と聞いていた。娘が里帰りしているのでリラックスできる。昨夜も店で飲んでいた。誘惑にまけて今夜も行くか、我慢して続けるかで明日の気分に天と地のような差がつくことは予想できるが、決めかねている。
by kienlen | 2006-12-29 19:00 | その他雑感 | Comments(2)

近いと遠いの近似

もう、我ながら呆れたことがあった。タイ語の「近い」と「遠い」について。乗り合いトラックの表示を改めてみていて、これは「遠い」じゃなくて「近い」ではないかと気付いた。つまり「最低15バーツ」ということだ。あまりに恥ずかしいので直そうかと思ったが、それもさらに恥ずかしいのでそのままにする。それでタイ語を勉強し始めた当初を思い出した。なにしろ「遠い」と「近い」がすごく良く似ているのだ。この表示も
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้้้้้้้้่ล้という文字の上についている声調記号をとって最初のใをไにすると「近い」が「遠い」になる。それで、全く勘違いしていた。こんな初歩を間違えていたらどうしようもない。たぶん私は今後この間違いをすることはないと思うけど…、それにしても…。当然発音も似ている。なんで反対の意味の音が似ているのだ、と思うのはタイ人じゃないからで、ネイティブの人が、これらが似ていると意識することなんてないだろう。文字だと後で気付くことができるけど、話しているのを誤解した場合は気付きにくい。そういう事はたくさんあるのだろうと思うと、怖くなる。怖がっているとコミュニケーションそのものへの恐怖になってしまうから適当なところで考えるのをやめよう。というわけで最低の自分。
by kienlen | 2006-12-28 23:50 | 言葉 | Comments(0)
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新聞を読んでいたら、観光目的で自転車タクシーを走らせる計画があるという記事があった。料金は2000円。私も自転車は好きだし賛成。でも、数キロで2000円を自分が払うかとなると、自動車のタクシーに乗ってしまう、と思う。写真はチェンマイの自転車タクシーだ。私がタイに住んでいた頃は、地方に行くと当たり前に見られたものだが、今も、しかも、チェンマイのようなタイ第二の都市で走っているとは思わなかった。それにこれは観光なんていう呑気なものじゃない。前にも書いたけど、過酷な道路状況の中、他の交通手段と一緒になって走っているのだ。今思い出しても怖かった。ぶつけられたらおしまいだ。無事目的地の書店に着いて、写真撮らせてと言ったらすごく喜んでくれたので記念撮影。
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で、こちらは公共のバスが走っていないチェンマイの、最も一般的な交通手段の乗り合いトラック。目的地は表示してあるが、使い方の範囲は広い。行きたい場所を指定して交渉することもできるし、半日なり1日なり特別料金(もちろん交渉次第)で拘束することも、観光案内を頼むことも、人によっては可能。私は30バーツも払っていたし100バーツもあったが、ある日こういう表示を見つけた。
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「遠くても15バーツ」と書いてある。この正直さと、それでも聞けば「30バーツ」と平気で答えるのが楽しい。と、思える人にはタイの交通機関をいろいろ試すのはお勧め。チェンマイの運転手は全体的に親切だったと思う。チェンマイ大学まで頼んだ時は「構内に入るとうるさいから入らないが内部に無料のサービスがあるから」と教えてくれたし、バンコクで遭遇するような無言で不気味な人には会わなかった。それにしても、公共の交通機関が発達しないままの観光地って、慣れない観光客には困難じゃないだろうか。どうしているんだろう。団体行動を強いる理由として使われそう。→このタイ語の解釈の間違いについて追加あり。
by kienlen | 2006-12-28 01:42 | タイの事と料理 | Comments(0)
旅行中に読むつもりで買っておいた本で、途中までしか読んでなかった養老孟司『無思想の発見』を2-3日前に読み終えた。といっても、ほとんど酔っ払って眠る前に目を通したって感じだし、それ以上のコンディションで読みたいとも思わずだったから、思いついたトピックのみ。冒頭に気になる部分があった。「自分を表現する日本語は数多い」で始まり例が挙がっている。で、次なのだが「英語にかぎらずたいていの言語では、自分を表現する言葉は一つで済む」と続く。これが本当だとしたら、タイ語も日本語と一緒に特種な部類に入ることになる。確かに英語やその親戚の言語はそうなんだろうし、ちょっとかじったところでは中国語もそうだった。韓国語はどうなんだろうか。ちょっと知りたい。で、タイ語だが、これはかなりやっかいな問題。タイ人同士がどう話しているかに見習って自分でそれを使えるかというと、これまた面倒なのだ。というのは、相手との関係性によって変化するから、相手との関係を自分なりに特定できないと困る。で、それをするだけの適応力を私は今のところ持ち合わせていない気が自分でする。

その点日本語の方が、とりあえず「私」を使っておけばいいから楽じゃないかと思う。タイ語にも「私」に相当する言葉はあって、大体私はこれを使っているが、使いつつ違和感を感じる。というのは、日常生活においてタイ人達はほとんど使わないし、カジュアルな会話でこれを言うと、なんか気取った感じになってしまう。友達同士で「ワタクシはですね」と言うような。それから次の手は自分の名前を使うもの。日本でも子供が自分を「○○ねえ」と言うアレ。これは便利で違和感もないが、年齢を経ると「いいのか、今の自分の年齢でこれで…」と思ってしまう。タイ人の関係性というのは年齢とか社会的地位とかジェンダーから判断されるが、外国人って年齢も分かりにくいし、社会的地位もタイ人同士のが通用するかも疑問。で、ここんとこ利用しているのは、自分のことなのに「我々」みたいな言い方。よく英語で、ちゃんと自分の意見として言うところを「we」にして先生から注意された、というような話を聞くが、タイ語だとそんな指摘はされずにすむ。養老先生の本は、その後、自分と相手が入れ替わる現象を示して「こんな言語が他にあるかというのはほとんど愚問であろう」と書いているけど、これもタイ語では起こる、と思うのだが、私の誤解でしょうか。いや、多分、先生がタイ語を知ったら、ここまで断定しないようにも思う。これでその後の読み進め方が上の空になってしまったというのはある。
by kienlen | 2006-12-27 14:22 | 言葉 | Comments(0)
県下の小学校の多くが終業式だったという記事を昨日読んで、娘の学校も終わったのかと思ったら、今朝彼女はいつものように時間通りに「行って来ます」と声かけて出て行った。日程の記憶が極度に苦手な私は、娘の小学校と息子の中学校の終業式が同日である、とだけ記憶していたから、じゃあ、息子も登校するのだな、と思っていたがその気配がない。いつもなら聞こえる足音もないし、いつもの朝のシャワーの音もない。念入りに髪をいじっている音もない。って、ことは彼はもう休みに入っているのだと解釈していたら、電話が鳴った。と、ドタドタと階段を下って出る息子。「すいません。じき行きます」と答えている。「どうしたのよ」と尋ねたら「寝坊した」と言うから「寝坊したらすぐ行けばいいでしょ」と言うと「だから今、起きたばかりなんだよ」と言っている。娘の登校までは見守るが、もう背丈も同じくらいになって話もせずかわいくもない息子の世話は放棄気味の夫、朝から喧嘩を避けたいから顔を見ないように隠れている母。その狭間にいる息子だ。

彼が出て行った後に朝風呂に入っていたら、忘れ物らしく息子が入ってくる音がした。気分によっては声をかけるところだが、今日は黙っていた。浴室内雑誌でチェチェンの状況を読んで、あまりの悲惨さに泣いていたところだったので、それどころじゃない。彼の足音が去った後に出る。そして考える。定時に出勤する人がいなくて、決まりごとがほとんどない不規則な中で育つとどうなるんだろう。親のような生活は嫌だ、と反発して規則正しい人間になってくれるといいと思うが、それを望んだらバチが当たりそうだし、いくらなんでも私も夫も、だから仕事をしない、だから店の開店時刻をいいかげんにする、というタチでもないから、自分ら程度で留まってくれると一応社会生活はできると思うが、これは危ういバランスかもしれないし等、いろいろ考えてしまう。とりあえず息子の心配より自分の仕事に集中すべき日だった。
by kienlen | 2006-12-27 10:08 | 家族と子供の話題 | Comments(1)
午前中日本語指導。本職でないだけに辛いものがあり、それに思ったより期間が長くなっている。お昼は外国人支援のボランティアを長年やっている友人と一緒。「この先の展望ない、もう歳だし」と言うと「大丈夫、10年後がこのアタシだって思ってよ。まだ青春時代と同じよお」と言う。確かに元気だけど、それって夫の収入で生活できる安定があってという要素にも大きく支えられてのものと思うと、簡単に自分を投影するわけにもいかない。しかし暗く考えていてもしょうがないから、健康でいればまだ働けそうだ、くらいに思っておく。それから図書館へ行った。図書館はこのところあまり利用していない。読む本は買ってしまうし、調べ物もそんなにないから。でも今日はちょっと調べる必要があったから寄った。

借りるまでもないので必要な箇所だけワードに打ち込んでしまいたかった。数年前、資料からデータを入力するためにパソコン使用を希望したら、上の階の会議室みたいな場所に案内されて面倒だった。室外に持ち出すことになるので、たくさんの資料名を記入しないとならないし、それで、まだあんなならヤダと思って聞いたら、さすがに奥の方の「研究室」という個室を利用できるところまでは進歩していた。室内なので本の出し入れも自由だ。しかしそれでも個室の使用許可でいちいち申し込み書に記入しないとならないという点では自由度低い。パソコンの音がうるさいからと公共スペースでは使用できないのだが、ここらへんはどうなんだろう。たまにキーボードを大音響たててたたく人はいるけど、通常の使用だったらそこまでうるさいのかどうか。ひっそりやる程度は許可してくれるようにならないものだろうか。まあ、どこまでがひっそりで、どこからがうるさいのかの基準が難しいから不許可にした方が楽なのは分るけど。しかしそれでも全体的にはサービスが向上しているようには見える。係の人に聞こうか聞くまいか迷っていたら先方から声かけてきたし、こういう当たり前のことだって、公共施設にこれまでは期待しにくかったように思う。指定管理者制度導入とか、両刃の剣という面はあるが、利用者からしてサービス向上が感じられるのは嬉しいことではある。
by kienlen | 2006-12-26 23:55 | その他雑感 | Comments(0)

旅に出たがらない息子

3月にタイへ家族全員で行こうってことになった。問題は夫の店だが、開店以来初めて、しばらく閉めようってことにもなった。誰かに頼むリスクの方が大きそうだから。で、どこに行くか、であるが、私は東北地方を回りたいと思ってそう提案した。ラオスとタイを結ぶ橋の二番目のがまた完成したって話題をラジオでやっていたから、見たいし渡ってみたい。ラオスは何度も行っているのに、メコン川を横切るボートのみで橋を渡ったことがない。「レンタカーあるかな」と夫。レンタカーで夫1人の運転じゃあ疲れるだろうから運転手まで雇った方がいいと言うが、夫は自分で運転すると言っている。「レンタカーなんてどこだってあるんじゃない」と言うと「そんなことなぜ分かる」と言われて、確かに、と思った。今回のチェンマイのような観光地だったらイザ知らず、旅人が珍しいような地方の町にグローバル企業が進出するはずない。もちろん地元の人が高額な高級車のレンタカーを利用するはずない。不吉な予感としては、以前、夫と私、友人カップル、友人単身、という構成で東北地方をレンタカーで旅したことがあって、その後友人単身が40代で死に、友人カップルとは絶交になってしまったこと。この旅で我々もスプリットかも…。3月は混むから早速チケットを予約しよう、と夫。タイ航空だと家族割引あるし。

この計画は3人で決めて息子に話したら、全く気が進まない様子だ。予約するなら自分は入れないでくれ、と言う。「ご飯は自分で作るから1人でも大丈夫」と言う。別にご飯のことなど心配していない。入試が終わって一番気が緩む時に1人でいて、どこに消えても不思議じゃない年齢である。さすがにそこまでする勇気がない。「行こうよ、遊びに行くんだよ」と言うが「それは分っているけど、最近県内に遊びに行くのも面倒なのにタイなんてヤダよ」と言っている。本当にうまくいかないものだ。外国に行きたいと子供の頃から思っていたのにチャンスがなかった私。いくらでも行けるのに行きたくない息子。赤ん坊だったらベビーシッターを雇うなり親に預けるなりできるけど、少年というのは半端である。とにかく前向きに検討するように言いつけておくが、心変わりするようには思えない。3月だったら旬のマンゴー目当ての娘は「パスポート作っておいて」と言っているのに。どうしたものか。なんらかの道を探したいと思っている。今回の旅で自分の出不精克服かと思ったら息子の出不精という事態に遭遇だ。
by kienlen | 2006-12-26 00:08 | | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


by kienlen