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今はまだ持ちこたえているが

友人Yから「DVDを送りたいから住所を教えろ」というメールがきた。ははん、この間のお礼のつもりだろうと思う。先日の東京行きのついでに連絡して一緒に飲み食いした料金を私が払ったのだ。Yと知り合ったのはバンコク在住時だ。日本がまだバブルの時だったんだな、と今になると思うような、何かの映画の製作発表の場に行ったらYもいた。何がきっかけかは忘れたが、たまに会うようになって、それは私の帰国後も続いている。元映画製作の仕事をしていた関係で、バンコクではCMやら何やらの撮影とか日本からのクルーのコーディネート等をしていて、一時は羽振りも悪くなかったように記憶している。タイ人の妻と子がいる。そのYが東京にいることを知って連絡して会うことにしたのだ。これまでだと、会話はたいていパンティの色は何かとか、出会い系の類で知り合った女性との交際だの、どっかで知り合った女性がどうの、私の性欲がどうのにほとんど終始していたのだが、今回は相当に違った。

バックパックに古いジャケット姿で現われたYに「その格好だと職務質問されない?」と尋ねたら、やはりよく止められると言う。国に家族を残してもう1年以上も東京で「出稼ぎ」しているというからビザの問題を尋ねたら「僕は日本人です」と言われた。そうだった。神田のそば屋に連れて行かれた。古い民家を改造した風情ある店。全般にお値段も悪くなかった。「で、どうしてる」と聞いたら現況を語り始めた。バンコクで仕事がなくなり、昔の映画仲間が心配して脚本書きの話をもってきてくれて東京に戻ったが、書いたものがとんでもない出来で周囲にも迷惑をかけて筆を折った。それからまさに3Kの仕事をしている。朝、連絡があった現場に自分で出向き、工事現場の雑務をする。現場は毎日違う。下働きなので何の技術も身につかない。今後の展望なし。家賃6万8千円と光熱費を払って食事したら、家族への送金もままならず、サラ金に手を出そうかと思ったこともある。ご飯を炊いて味噌で食べることも多い。お昼はコンビニで買った3個入りいなり寿司、という描写はやけに細かい。

酒も飲んでない、というから「いいなあ、健全で」と言ったら「飲む金がないんだ」と言っていた。そしてマジマジと「人と話したのは久しぶりだ」と言う。最後まで「もっと話したかった」と言っていた。現場の末端なので、指図されるままに動くだけだし、毎日変わるから知り合いもできない。黙々と動き1人のアパートに帰るだけの繰り返し。それでもYの場合は家族への仕送りという目的もあるし、生まれ育ちの環境が悪いわけでもなく、映画や撮影という拠り所が完全に閉ざされているわけでもないから、以上の状況を客観視して話す余裕がまだある。「この間もYって、同じ名前の犯罪者がいて身につまされた」と言っても、犯罪に走る気持ちはないという。せいぜいパンティー泥棒かなあ、そのエネルギーもないなあ、とか言っている。その間、私はそれでも東京だったら日当1万円くらいになるのかと思っていた。でもどうも話の内容から疑問を感じて日当を聞いたら「交通費の1000円込みで8000円だから日当7000円」と言う。驚いた。これじゃあ地方都市の日当と変わらないで家賃は高い。「病院の清掃の仕事の面接にも行ったんだけどね…」とY。面接官が若くて気に入らないヤツだったから「履歴書返せ」と言って持ち帰ったという。「この点はお互いにダメですなあ」と私を見た。そこまではいかないが、ことごとく、分からなくもない。勤務先なし、手に職なしの中年者達の間で「10年後が怖いね」が合言葉のようになっている。
by kienlen | 2006-11-30 20:29 | 社会的話題 | Comments(0)

再びアマゾンの謎

仕事時間30分のために運転片道2時間近く。いつもなら、ついでに周辺ドライブしてご飯でも食べてくるところだが、年に数えるほどしか会わない友人とランチを約束してあったのですぐ引き返す。いつもの道でいつものように眠くなってしまう。早起きするとこういうことになりがち。その時のために買っておいたお菓子を朝のうちに食べてしまったのでない。それで道端の温泉に入った。これは効果てきめんだった。ランチは友人の会社のロビーで待ち合わせ。そこにその会社の出版物が並んでいて、そこに、個人的興味はほとんどないのに仕事用に手元に欲しいという1冊があって、以前からずっと気になりつつも高いからためらっていた本も並んでいた。じっと見つめているところに友人が降りてきた。「これ、欲しいんだよね」と言うとくれた、なんてあり得ない。この際だから購入した。資料として意味のある本だ。で、本といえば気になっていることがある。

それは再びアマゾンである。アマゾンはまめに、これまでの購入傾向から分析した推薦本リストを送ってくる。それでつい注文してしまうことも、ままある。それからひと月の注文金額に応じて割引クーポン券も送ってくれる。先月と今月と続いて、それぞれ1000円と500円の割引券を得た。使用期限はたしか2か月弱だったと思う。油断していると期限がくるから、なるべく早く使ってしまいたい。推薦本の案内がきたらそこから選べばいいやと思っていたら、そういう時に限って全然こないのだ。キッチン用品の案内はくるというのに…。しょうがないから、検索して注文したのだが、ワンクリックを押してしまってクーポンを使えない。知らずに失敗。しょうがないから別のを注文。こうしてどんどんクーポン使用のための罠に嵌っていく気はするが、本だから甘くなる。結局2枚使うまで本の案内が全くこなくて、使ったらきたのだが、偶然にしてはよくできている。まさか私のような失敗を誘導するためじゃないだろうなあ、と疑うのは考えすぎに違いないとは思うが、なんだか不思議。消費者心理を分析しているはずなので巧妙な手段かも。ちょっと知りたい。
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by kienlen | 2006-11-29 17:34 | 読み物類 | Comments(0)

メーター制か交渉制か

朝5時に起きてお風呂に入って、お手伝い同行で東京行きのため早朝の新幹線に乗る。外務省からタイ大使館へ。タイ大使館は目黒駅から徒歩圏内であることは覚えていたが、はっきりした場所は覚えていない。それで、とにかくお役所相手は急ぐにこしたことがないのでタクシーにした。「タイ大使館お願いします」と言うといきなり「場所を知らない」と言う。ネット検索した住所と地図を取り出して説明しようとしたら「住所を教えて」と言うから、さすがはプロだから住所を言えば分かるんだ、と思って伝えてたらナビにピピピとタッチしているだけだ。で、全然分かっていない。「それ貸して」と言うから地図も渡す。ずっと見ていても分からないらしい。この間、本屋に行ったら、元友人だったライターの本が平積みになっていてちょっと開いたら、東京のタクシー運転手の酷さを問題にしていて、タクシー運転手相手にここまでこきおろさなくてもいいだろう、なんて思っていたのだが、これは本当にひどい。こっちは急いでいるわけであるから「大丈夫ですか」と聞くが返答なし。運転手はきょろきょろしながら、しばらく走ってナビを指差しながら「この辺なはず」と言うから面倒になって、止めてもらって自分で探すことにした。

これが東京のタクシーの標準なのだろうか。マナーも口の聞き方も何もなってない、呆れた。そもそもの問題は、あのタクシー乗り場の順番にある。ドアを開けて行き先を告げて知っているかどうかを確認してから乗れればいいのに、機械的に乗るしくみになっている。これじゃあ進歩ない。それで私は、昔のバンコクの料金交渉制を思い出した。手を挙げてタクシーを止める。ドアを開けて行き先を告げる。ここで運転手が行きたくなければ断られる。行けるようだと料金を言われる。自分の希望と違ったら交渉する。決裂したら次のと交渉。合意したら乗る。合理的である。ただし問題は、交渉できるだけのタイ語力が必要であること。知らない場所だと相場が分からないので、実は近くなのに割高になることもあることは覚悟しなければならないが、私はメーター制より楽しくて好きだった。
by kienlen | 2006-11-28 23:54 | タイの事と料理 | Comments(0)

文書はもっと面白くしてもらいたい

いつになくリラックス気分の中で、憂鬱な事がひとつあった。税務署の書類である。定型文書への記入がここまで嫌いだと相当にソンしていると思うが、なぜそこまで嫌いかというと、細かい注意書きを読むのが面倒だし、意味がよく分からないからだし、あと、とにかく面白みがない。それで、ずっと前から漠然と考えていた会計士への依頼をまた思う。しかしこの分野こそ、知り合いがいない。自分には縁のない世界のように思う。それで昨日、事業をしている友人に電話して紹介してもらった事務所をさっそく尋ねて、この際だから依頼してしまう。それで肩の荷が下りた。このストレスを思うとお金に代えられないと思ってしまう。しかし夫はそう満足そうではない。何しろお金がかかるから。そもそもこの書類は彼の関係分であり、それも私の負担感に一役買っているから、彼が日本語の書類に記入できる日本語力があればこういう問題は起きないのだが、ここまでの日本語を理解するのも相当な困難であることは分かるから責めるつもりはない。いっそ、すべての書類にタイ語とは言わないから英語を用意して欲しいと思ってしまうのは、こんな時だ。

自分が覚悟して暮らしている国の言葉は覚えるべきだと思うが、そうはいってもそう簡単にはいかない。日常会話は大方分かるということと、このような文書の意味が分かることは全然違うことだ。実は私も記入していて「あなた」が誰を指すのか間違えて書いてしまった。もう、うんざり。「あなたが○○がなく、かつ、○○にも○○にも該当しない場合には、以下に記入する必要はありません」かあ。日本語は最後まで聞かないと分からないというのは、この事だ。法律に従ってのものだから、細部まで断り書きが必要になる。寡婦とか寡夫も分かりにくい言葉だし「特別の寡婦」って何だろう。それに、いつも思うのだが、こういう文書の文面はもっと楽しくできないものだろうか。すみずみまで読みたくなるような書き方だったらここまで億劫にはならないと思う。正確で、かつ分かりやすい文面のコンペでもやって、もうちょっと改善してもらいたい。でもそれで氾濫しているのがマンガ使用というのも解せない。あれはあれで私には分かりにくい。というわけで、会計士に依頼はしたものの、当方での記入欄をミスしてしまってイライラしている。今日はこれから上京だ。その前に仕上げようと思った文書はもちこしだ。ああ、イライラ。
by kienlen | 2006-11-28 06:16 | その他雑感 | Comments(3)

バッグを作る程度の余裕ができた

f0104169_9392555.jpgモヤモヤとくすぶっている仕事が休みだと、こんなにすっきりするものかと思うくらい昨日はリラックスできた。それで4時くらいからビールが飲みたくなって、徒歩圏内でその時間にあいているといえば回転すしくらいなので、子供たちを誘ったが行きたがらない。付き合ってくれそうな友だちに電話したら県外にいた。1人で行く気分でもないしと思っていたら、ちょうど父親が野菜を届けに来たので、誘う。彼は暇なので断るわけがない。その後、作りかけだったバッグを完成させることにする。今の季節はとにかく編み物がしたくなるのだが、大作に取り組む精神的余裕がないので、遊びがてらに簡単なバッグにした。高い糸だとそれなりに好みがあるが「編みたい」優先のため安いヘンプで固く編んで、カーテンなどを作った後の残り布を中袋にした。取っ手用のテープ等がなくてどうしようかと思っていたら娘に「編めば」と言われ、それを思いつかなかった自分の柔軟性喪失を思う。

娘は私に似たのか、静かに手作業しているのを好み、今は簡単な編み方でマフラーを作っている。2人で編み物していたら、息子もやってみたいと言い出したので、自分が中断して毛糸と編み針を渡した。娘はすぐに覚えたのに、唖然とするくらい不器用だ。小さい時からの様子を見ていると、彼も手先の器用さではかなりだと思っていたのに…。何か取り得がないと困るだろう、とつい説教したくなるが、自分の気分が良かったので黙っていた。人の事が気になるのは、自分がすっきりしていない時なのである、と思う。結局息子は鎖編み以上には進まず、何メートルも鎖を編んで満足していた。向上心のないヤツである、と内心で思う。バッグに関しては取っ手をミシンで縫いつけようとして針を折ってしまった。比較的頑丈なのを買ったつもりだが、ここまでは家庭用では無理。工業用が欲しい、とかロックミシンが欲しいとか思うが我慢だ。モノを作り始めるとモノが増えてしょうがない。そうそう、日本を片付けてタイに行く時だって、大量にあった布や糸の処分が結構大変だったんだ。
by kienlen | 2006-11-27 10:07 | その他雑感 | Comments(2)

『闇にうごめく日本大使館』を読んだ

タイの事を考えていたらタイが舞台の夢を見た。そこは大学で、ひとりの学生から委員会だか学生運動かなんかの活動についての話を聞いていた。内容がよく分からなくて、これはタイ語だからなのか話の内容そのものが曖昧なのか分からずにいたら、その彼女は日本語ができるということが分かり安心したのだが、でもやっぱり質問への答えは不明瞭。すると男性が登場して、これが労働組合の人で、心の中で「今のタイはこの時点にあるのか」と思う、という夢。ヘンな夢だった。ただ、途中で、そもそも私がタイに行くことになったきっかけの高校の同級生が出てきた。彼女の家はバンコクの我が家の向かいにあったのだけど、夫によると裁判所からの差し押さえ命令の紙が貼り付けてあって、どうやら事業に失敗して家を失ったのではないかということで、気になっている友だちだ。で、朝読み終えたのがタイ関係で『闇にうごめく日本大使館-疑惑のタイ犯罪ルートを追う』というもの。野田峯雄著。

発行が2002年で、外務省の不祥事が多々問題になっていた頃。これもその流れの中で書かれたものらしい。なんとなく買ってあったのを、気分がタイになっているから読んだのだが、ここでいう日本大使館はバンコクのそれで、ちょうど私がタイにいた頃の出来事が扱われていて、会ったことのある大使館職員が実名で登場するし、あの人か?と思わせる人物が仮名で登場するしで、なんだか、噂話を聞いているような気分で読んだ。ビザ発給に関する疑惑にかなりのページを割いている。これは囁かれていた話。タイという国は汚職なのか職務なのか混乱する国なのだ、多分。もう昔になるけど、大手自動車メーカーの駐在員と話していた時に彼が「見積もり書の中に手数料という欄があるんですよ。堂々と汚職している」という意味のことを驚いて言っていた。私自身が確認していることではないが、ありそう。それに、各種免許にしても、発行機関が不正に正規免許を発行した場合、これが本物か偽物かって難しいよね、というのはありふれた話。どこにも多かれ少なかれあるとは思うが、堂々とってところが、制度の一部になっている感じなのだ(ちなみに私はこういう社会に住みたくない)。だからこのタイトルの「闇にうごめく」という表現をあのタイの空気を思い出しながら読むと、ちょっとそぐわないような。いや、テーマは外務省の汚職と閉鎖性なのでそれを指しているとしても、あの日差しが強烈すぎるのだ。それで惑わされる人がたくさんいる。
by kienlen | 2006-11-26 12:50 | 読み物類 | Comments(0)

『カポーティ』これは良かった

突然レイトショーで映画を見た。仕事が思いがけずはかどった上に、思いがけないキャンセルまで発生したので暇になった。他を前倒しするために学校の日本語指導の方を全部キャンセルしてしまったので、実に完全失業と同じくらいの暇になった、それも突如として。これって儲けものか損失か。ま、深く考えずに喜んでおくことにしよう。今日見たのは、ここのところの消極姿勢と違って、見たくて見たものだ。それは『カポーティー』。これは素晴らしかった。トルーマン・カポーティは『ティファニーで朝食を』とかが有名なんだろうけど、実のところ、私は今回の映画の主要テーマとなっている『冷血』しか読んでない。で、このノンフィクション・ノベルの傑作が書かれる過程と、作家の苦悩や身勝手さが描かれているとなれば見ないわけにいかない。

『冷血』というのは、1959年にカンザス州で起きた、善良な家族4人の惨殺事件を取材して書かれたもので、犯人の死刑執行を見届けるまで、作家は刑務所に通って詳細に話を聞き、事件の全容を物語りとして再現している。私がこれを読んだのは、フィールドワークについて学ぶ必要があった時で、いくつかの文献にこの本が紹介されていた。それで初めて、文学のありようを転換させるほどの価値ある作品だったんだと知って、慌てて読んだというわけだった。本の方はこの映画を機にか、新訳が出版されていてちょっと興味をもったが、私は、同じのを2度読むよりは別のを読みたいと思う方なので、今のところ買うのはやめている。でも、この映画を見てもう1度読みたいと思った。冷血執筆後、カポーティーが1冊も完成できず、アルコール中毒で死亡したとのクレジットが出たが、それはこの映画を見ると納得できる。本では、この犯人がここまで魅力的に書かれていたか記憶がないが、演じたのが『シー・ビスケット』のクリス・クーパー。繊細さと危うさと残酷さを表情だけで感じさせてくれる。主人公はもちろんだけど、他の役者もみんな良かった。観客は8人。死刑執行を前に作家と犯罪人が対面する場面では、客席からすすり泣きが聞こえた。
by kienlen | 2006-11-26 00:16 | 映画類 | Comments(0)

どこに面白みを感じるか

映画の関係ではひとつだけ時々アクセスして定期的に読んでいるページがある。映画評論家が書いているもの。取り扱い量が多くないし、こっちでは公開しないものが多いので、これを読んで選ぶというほど直接参考になることは少ないが読み物としてとっても面白いのはさすがプロ。で、そこで、この間私もみた『父親たちの星条旗』の評価が大変高いことを知った。ほとんどベタ褒め。観た後で読むと、確かにごもっともごもっとも、と思える。アメリカとの戦いにおいて硫黄島での決戦がいかに重要な意味をもっていたかを教わったし、米軍の内部が一般に流布するほど人道的でもないし、アメリカがあの戦争を続行するために焦っていた様子が、実際にあったエピソードを通じてうまく描かれている。同じ監督の『ミスティック・リバー』だって、弱者への視線とかアメリカ社会の暗部をえぐるとか、うまく描写されているとは思った。きっといい映画なんだ、でも好きか嫌いか二者択一問題だったら迷わず嫌いに丸をするな。

なぜなんだ、とずっと考えている。暇にまかせて。それで思ったのは、単純なことだが、私にとっては、映画って感情移入できないとなあ、というのがある。その点、イーストウッド監督の2つは、そして多分『ミリオンダラーベイビー』もそういう予感があるのだが、誰にも共感できないのだ。だから終始ストンと胸に落ちない感覚がつきまとう。ただ、その意味では『太陽』なんて、もっともっと共感できない。そもそもヒトっぽい存在がないし。でも、これ面白くはなかったけど好きか嫌いかと聞かれたら嫌いとは答えない。この違いは、内に向かうか外に向かうかの相違だと思う。太陽は芸術作品として自己満足って気がした。だからハイハイご自由に、と思う。これは私にとって不快感はない。でも前者のは結構説教じみている。冒頭から「物事は善か悪かで言いきれるものじゃない」みたいなセリフがあって興ざめだったけど、どうも、固定的な価値観が根底にあって、それを払拭させてやろうと言い聞かせながら作っているような印象を受けてしまう。人生の途中で何かのきっかけで何かの価値観が極端に転換した人にありがちな、なんかそんな感じを受けてしまうのだ。ヘンかな。
by kienlen | 2006-11-25 20:07 | 映画類 | Comments(0)

新聞は疑問符の宝庫

新聞って本当に面白い。今日もこういうのがあった。タイトルは『「毎日家族で夕食」25%』。政府が初の食育白書を決定したというもので、こんなネタは穴埋めの娯楽で、だから枠で囲んで広告欄にもっていってPRという文字をくっつければ、そのまんま政府広報なのだから、書く側はさぞや楽だと思う。広告費もらってないからチェック厳しくない、どっかからクレームつくような内容でもなかろうし。だから気が緩んでいるのかどうか知らないが、正体不明な記事がかなりある。特にアンケート調査を使って科学的っぽく見せかけたものは、その手のオンパレード。とにかくこういうのは製作者側のほっと一息なんだ。でも本当にそれでいいんだろうか。一息のつき方だって、もっと芸が欲しいと思うんだけど…。

表やらグラフの作成も私にだってできるくらいのパソコンの進歩だから、カラーグラフが載っている。1976年から2004年までに行われた別個の調査から「家族そろって夕食をとる回数」を取り出して比較する、というよくある手法。実際の調査項目がどのようなものかは不明。記事は「家族そろって食卓を囲む回数が年々減り、毎日夕食をともにしているのは4世帯に1世帯」と始まる。私などここで「毎日」一緒がこんなにあるなんて本当かとびっくりする。毎日ですよ、毎日!!雨の日もかぜひいて寝込んでいる日も出張の日も??なんて言ってはルール違反か?ルール違反のついでにいえば、政府の問題意識(国民に植え付けたい・筆者注)そのまんまに、家族一緒の食卓の減少を問題扱いしている風な記事構成ですが、私の乏しい付き合いの中で記者の方で毎日家族と夕食を共にしている人は、知る限りひとりもいない。それどろか、こんなライフスタイルじゃあ「家庭崩壊」だとか「結婚できない」とかの声の方がよく聞く。

以上の横道はおいておいて、とにかく不思議なのは、家族一緒だと栄養バランスが良くて、楽しい食卓だとの主張。何でこれが結びつくのか?本当ですか?外食だと嫌いなもんがあるから家で好みの食事だけしている人っていないのかな?気の合わない家族だったら?で、家族というからには単身世帯は調査対象から除外されているんだろうと思ったら、問題として挙がっているのが「…単独世帯の増加や女性の社会進出、外食の機会増などで…」ってことは、単身世帯も勘定されているわけですね。となると、単身世帯の人が毎日家でひとりで食卓囲んでいる場合はどう評価されるんだろう。それとも単身同士が一緒に食卓囲んだら?しかもその彼あるいは彼女は栄養バランスへの極度な思い入れがあって、毎日素晴らしいバランスで食べていたらどうなるの。確か英語のfamilyは複数が前提だが、日本語の家族が何を意味するかは定義が曖昧だったような。「女性の社会進出」に至っては、もう呆れて書く気力も失せる。そうしてバカバカしいとして発言しなくなる。そうしてバカバカしい発表者側はますますのさばる。それを支えるのはこういう記事なんだ。
by kienlen | 2006-11-25 10:24 | 読み物類 | Comments(0)

不安が形になっていた夢

今日はアルコールなしで眠れそうな気がする。昨夜は自分の不安をそのまま反映する恐ろしく的確な夢を見た。舞台は学校だった。そこで自分は一クラス担当しなければならない。でも私は教師じゃないからできる自信がない。困っていたら、じゃあこれやって、と頼まれたのが、何かの原稿のリライト。見ると漢文とか古文が並んでいて全然読めない。焦ってもどうしようもない。すると今度は、これをやってと別の仕事を言いつけられる。見るとタイ語の文書を翻訳することだった。これも分からない。それで帰ることになったのだが、校内が迷路のようになっていて、さらに直角の坂を上るようになっていたりで、ジワジワとした不安感が高まる。ガツンと打ちのめされるわけではないし、具体的な恐怖というのでもないが、とにかく孤独だし自分自身が、すでに誰かの援助を求めようという発想になれずにひとり佇んでいる。まさに、登場した断片的なエピソードは、私が日々払拭できずにいる不安の姿である。昔、夢を記録していたことがあるが、記録するほどに鮮明になる。今夜はどうだろう。年に2度か3度のノンアルコールの日は、読みかけの本を読破できるかもしれない。
by kienlen | 2006-11-24 22:06 | 仕事関係 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


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