<   2006年 09月 ( 41 )   > この月の画像一覧

朝取りのタイ野菜で

ランチに夫の店に行った。何を食べようか迷っていたら「スープ・マクア(ナス)食べる?」と夫が聞くので、それにする。超田舎料理だから、バンコクの人が知っているのかどうか、という東北地方の一品。とりあえず私の大好物であり、東北地方以外のタイ人に向かってこういう好物を並べると奇異なモノを見るような目つきをされる。それで想像してみるに、外国人が「タケノコとサバ缶の味噌汁と、丸ナスのおやきと、ジコボウとアミタケのスープが好きです」と言うみたいなものだろうか。この手の料理では「スープ・ノーマーイ(タケノコ)」があって、こっちの方がポピュラーかもしれない。スープといってもいずれも汁物ではない。タイでは汁物を「ゲーン」と言って、これは日本語では「カレー」と訳されているが、クリアスープもタイではゲーンだから、日本のカレーのイメージだと全然別物。
f0104169_18511672.jpg

写真を見て「おいしそう」と思う人はきっといないだろうと思う。いかにも田舎料理という顔付きが正直で田舎人とも似ている。ナス、といっても小さくて丸くて、外見だけだとミニトマトの熟す前の青いのに似ている。これを蒸してつぶしてハーブと各種調味料で和える。もちろん唐辛子もたっぷり。このナスだが、グリーンカレーにも入れるしタイでは年中使うが、日本のタイ食材店で買ったら高価すぎて使えないから日本のナスで代用するのが普通だ。しかし、この土地だとタイ人で栽培している人が結構いて、夏は手に入る。本日の1品は夫が畑で朝とってきたばかりのナスから作った。というのは、栽培主はパチンコに狂っていて、いろんなタイ野菜を植えたきり放置状態なので、夫が収穫に行っているらしい。でもお客さんに出さずに内輪で食べている。常連のタイ人女性にもおすそ分け。「辛い?」と夫が尋ねたが2人共「辛くないよ」と同時に言った。そのタイ人女性も超がいくつもつく辛好きだから、こんな半端なものは食べられないって顔をしている。f0104169_1856941.jpg
これに使った唐辛子も朝採りでちょっと甘め。ついでに焦点も甘め。
by kienlen | 2006-09-30 18:58 | タイの事と料理 | Comments(0)

携帯電話で遅刻チェックのご苦労

市内のすべての中学校で文化祭を行う日。朝からブスっとした顔の息子を見続けていると気が滅入るので自分の部屋に引っ込んでいたら、一応「行って来ます」と言って彼は出て行った。しばらくすると電話が鳴った。担任の先生からだった。「たびたびすみません、今着きます」と言うと「ああ、出るの遅くなったんですね、はい」と先生。ウチの玄関から学校の昇降口までは急げば2分、ゆっくりで5分くらい。先生はちょうど8時10分に電話をくれる。大変だなあと思う。遅刻クセから不登校の兆候を捉えたり、生徒観察の一環なのだろうが、それにしてもきちんと同じ時刻にどうやって遅刻候補者を見分けるのだろう、とはずっと思っていた。でもそういう些細なことは次々忘れる自分。ところが先日、謎が解けた。息子が自ら説明するのである。「先生達、みんな携帯持って下駄箱の所で、まだ上履きがあるかどうかチェックして電話かけまくっているんだよ」と。しかし、そのシーンを見ているキミはその電話の対象になっていて、それを受けているのはワタシなのである。

「そういう説明はいいから早く行ってくれ、遅刻しないでくれ、電話を取るのは私なんだから」と言うがグズグズしている。彼は学校が嫌で遅れるのではなくて、何でもギリギリにしかできないタチなのだ。そういえば息子があせっている光景を1度も見た記憶がない。挙句に「いいよ、自分で電話に出るから」と言うのだが、そういう日に限って電話はなくて、今日のように油断した日にある。思うと、自分が中学の頃なんて牧歌的だった。いちいち電話連絡なんてできないから、間隔の長い田舎のバスに乗り遅れたり病院に寄ったりで、授業中に入室したこともたびたびある。先生は「人生にも乗り遅れるぞ」と苦々し気に予言していたが、逆に言うとその程度のもの。あれは当たっていたのかもしれないが…。今の私の苦しみは、そういう時代にあって、さらに親にも先生にもかなり放任されていた自分が、監視の目の行き届く中で子育てすることの不整合みたいなものだと思う。しかし、もっとも、ここまでルーズな息子でなかったら気付かなかっただろうから、内省の機会を与えてくれる息子に感謝、すべきか、いや、思えない。
by kienlen | 2006-09-30 09:31 | PTA・学校 | Comments(0)

思春期の娘は父親が嫌い説について

女親は男の子をかわいがって、男親は女の子をかわいがる、という説がある。だけど、この説の発祥を私は知らない。知らないがとっても流布していることだけは分かる。私自身、「息子さん、かわいいでしょう」と、よく言われる。この表現が息子の容姿を表しているんじゃなくて、母親としての私の心情の比喩であることは、鈍感な私にも分かる。それと、この続きらしき説が、女の子は中学や高校くらいになると男親をうっとうしがる説、である。これこそ、しょっちゅう聞く。「娘は父親っ子でして」などと口を滑らすと、まず必ずのように「そのうち父親なんて嫌われるから、今のうちに思い切りかわいがっておかないと」というセリフがくる。これだけ多くの人が同じことを言うのってどういうことなんだろう、という疑問を長年もっている。少なくとも、女性の場合は自分が父親を嫌った経験がある、ということだろう。そうじゃないと矛盾している。父親がいない人が言う場合は、自分の娘がそうだとか、周囲が全員そうとか、あるいはどっかで学んだ論として、ということなんだろうか。

今日は午後に児童相談所に行ったら、雑談の中で「タイの子って、明るいというか、なんか深まらないんですよねえ、民族性でしょうか」という話が出た。ううむ、ウチの息子もそのタイプ。こっちへの視線を感じたから「いや、私はウチがそういうタイプなんで何とも…」ともごもごしていたら「男?女?」と聞かれた。そして例の、娘は父親を嫌う説に発展。「今のうちにかわいがっておいてもらわないと」と言う。これはチャンスだ、相手は専門家ではないか。「あの、その説ってどこからきているんですか。私は父を疎ましく思ったことは全然ないんですが」と言うと「そうねえ、ウチに来るような子はそうだわねえ」。「どんな風に嫌うんですか」と聞くと「キタナイとか、クサイとか」。なるほど、これで厳しい父なら3Kか。で、説の発祥は子供の保護の現場なのだろうか。と、そこまでは分からない。今度から、この説を唱えられる都度、根拠をうかがうことにしようと決めた。
by kienlen | 2006-09-29 18:18 | 家族と子供の話題 | Comments(2)

俄かに仕事がたてこむ、、ようだ

つい最近まで暇だったのだ、確かに。インドアが好きなので暇は苦にならない。本を読む、縫い物をする、編み物をする、部屋の模様替えをする、得意ではないが料理に凝ってもいい、というわけで暇は歓迎だが、仕事が好きなのと経済的理由でオチオチしていられないとは思っていた。でもこんなに忙しくなるとは予想していなかった。今日は午前中に農業研修のタイ人高校生の日本語講師をやり、食事はかろうじてとって、午後はアルバイトを短時間して、それから、高校生から日本に来たタイ人2人の生活支援という名目の打ち合わせに行く。なんだかボーっとして帰宅して、用事でちょっと外出している時に仕事の打ち合わせの打診電話。子供の夕食だけ作ってまた出かける。そして新しい仕事の本決まりになった。急展開だ。

一応夫にも、しばらく忙しくなることを報告に行く。しかし彼の店に入ると、そんな報告にはふさわしくない空気に圧倒される。いつものタイ人がいる。カウンターに子猫を載せている。真っ白な生後2か月の猫。天使ちゃんという名前。タイ語と日本語で話しかけているから、理解力においてはバイリンガルな子猫ちゃんなのだそうだ。ウチの子達にも見習って欲しいものだ。その彼女は、自分も店をやっているくせに、いつも夫の店に来て長居している。そこに知らないタイ人女性が日本人男性2人と入って来た。「ムー・マナーオ(レモン豚)あるか」と尋ねている。「ない」と夫。レモン豚なんか作ればいいのになあ、と思って猫の飼い主に聞いたら、生の豚を使うという。私はてっきり蒸し豚のレモン風味かと思っていたのだ。同業の友人が突然亡くなったのは、今の私と同じ歳だったと思う。彼に、こんな風に、拍子抜けの空気の流れる、まあいいかと思える時間があったのだろうか。そんなことを想っていたら娘から電話があった。それで急いで帰宅した。
by kienlen | 2006-09-28 23:26 | 仕事関係 | Comments(0)

点と点を結ぶ気持ち

あんまり家にいられない日が続く。どうしても時間がなかったというわけではないが、昨日はお昼を食べ損ねて、夜は酒のつまみ程度だったので、今朝は空腹で目覚めた。そういえば一昨日の夜も主食を食べ損ねていた。それで今朝は生卵かけご飯とみそ汁を食べる。生卵を食べる習慣のないタイ人にはびっくりメニューだ、と食べるたびに思う。ここに納豆を入れたら、夫は目をそむけるはず。今日も1日、在宅でない仕事の日になるが、昨夜はまるで降って沸いたような仕事のオファーがあった。今回は迷う要素が皆無なので、嬉しく引き受ける。細々と受けている他のを断るようなボリュームのものでもないから、その点も調節までする必要はなさそう。ただ質としては、久方ぶりの嬉しい仕事だ。どこにも所属していないから何でも受けられるかというと、そういうものでもなくて、こういう狭い場所にいるとAを受ければBは諦めなければならない、という事態になる。こなせない、とかいう自分の都合ではなくて、ただAとBの関係によってだから、本気で迷うことになる。

ものすごく迷った経験は2回ある。あの時は人生の先輩に相談したものだったが、今になってもどっちが良かったか、なんて分からないし、そんなふうに判断できるものでもないのだろう。ただ、結構長くこうしていて分かることは、嬉しい仕事があったところで長期的に考えると後で困ったことになりかねないし、常に気が抜けないということだけだ。目の前にある事に自分なりに最善を尽くし、だからといって末永く続くとは期待しないこと、これに尽きる。当たり前のことだ、分かっているつもりなのに、不思議なもので、ある期間継続すると、そのまま続くんじゃないかと錯覚しがちた。そうでないとやり切れない、という自己防衛もあるのかもしれない。生きるというのは線のようにつながっているはずなのに、それが点点だったら、点の間はどうするんだ、と不安になるのだろう、それで線だと思い込みたいのだ。点の間にかろうじて細い橋を架けている日々だ。
by kienlen | 2006-09-28 08:00 | 仕事関係 | Comments(3)

細切れでいろいろやった日の断片

日付が変わって昨日になってしまった。午前中は日本語講師をして、午後は日本語教育に関する市の会議に出席して、夜は店番という日。日本語の授業では、タイの高校生とクーデターについて話していたら随分と時間をくってしまった。前回、日本ではタイのニュースが少ない、という不満を漏らしていたので、インターネットでタイの新聞を読めば、というアドバイスをしたら早速クーデターについて読んだということで、さらに男子生徒の方は、記事を入念に読み込んで新聞社に自分の見解をメールで送ったところ、それが採用されて風刺漫画になって、彼自身についても大きく報道されたということ。その内容を知りたいので次回新聞を持参するように言う。自国の出来事を外国で知って外から見て考えるのはまた違うでしょう、という話をする。気になったのは、今も病院も学校も休みになっていて、テレビ局はすべて軍司令官の演説になっているということだ。特に病院は深刻。生徒の1人の親が頭痛で病院に行ったら休みなので市販の薬でしのいだ、ということだった。

彼らから日本では報道されていない内容の事を聞き、今回のクーデターがかなり重要で危険な問題を孕んでいるらしいことを感じる。他国の出来事といえない環境なので気になる。娘もタイの記憶があるせいか、もっとも父親がタイ人だから当然といえばいえるが「クーデターが気になるけどもうニュースでやってないね」と言っていた。

午後の会議までに取れるランチタイムは長くない。迷った末に近所のラーメン屋に入った。昨日の昼もしょうがなくラーメンだったので今日は避けたかったが、車を止められる店というのは限られている。ライスがサービスで付く店は男性客ばかりだった。新作だという辛いという品を頼んで、辛くないじゃないか、と内心の独り言と共に食べていたら「あれええ」と声をかけられた。友人が、やはり私と似たような状況で1人で入ってきたのだった。ちょっと同業ということもあって、短時間だが情報交換、というよりは、愚痴交換みたいなもの。こんな偶然があるのはこの程度の規模のまちだからで、そう思うと少し元気になる。でも、私のように我儘者はどうやら仕事にあぶれてもしょうがないらしい。ハイ。
by kienlen | 2006-09-27 01:26 | 仕事関係 | Comments(2)

苦瓜スープで始まる朝

f0104169_932199.jpg
朝食時、昨夜の残りの苦瓜のスープを温めて大きなお椀に山盛りにして、ご飯の代わりに食べようとしたら、何でも食べるが苦瓜は食べない息子が身を引いて「食べられないためにそんなに苦くなったのにかわいそうじゃないか」と言う。確かに、この容姿と味になった努力が無駄になっているという感じはするが、残念ながら私は苦瓜が大好きであり、つい先日友達から大量にもらったのを夫が店に持っていってタイ風のスープにして持ち帰ってくれた。多分3本か4本分くらいはあったと思う。それだけの量を昨夜半分食べて、今朝残りを全部食べてしまった。そしてコーヒーを飲んでいるのだから、今日は身体が苦い側に極端に偏ってのスタートとなる。味の偏りが思考とか行動に影響するのか知りたいものだ。酸っぱい日とか辛い日とか甘い日とか、そういう実験もどこかにあるのだろうか。全くこの分野に知識がないので、ただ不思議だなあと思う以上に発展させられないが、人による味覚の違いは実に面白い。特にお店をやるようになってから、多くのお客さんを通じて、いろんな場面を見ることになり、それがまた面白い。

私は辛味を舌の底から愛しているので、これを嫌いとか食べられない舌をイメージしにくい。でも友人の中には、インスタントカレーも甘口が上限という人がいる。辛味に鈍感だから、私は子供にも離乳食を過ぎた頃から中辛を与えていたので、彼らは甘口カレーの味を多分今も知らないと思う。こういう味覚に対して「タイにいたから慣れたんですね」と言われることがあるが、それは違って、昔から辛いものが好きだったが、私が若い頃の日本では今ほどおおっぴらに辛いものが出回っていなかった。それに刺激物は体に悪いと言われるし。だからタイ料理を知った時には、出会うべきものについに出会えたという回帰のような気持ちの方が強かった。息子を驚かせた苦瓜スープも一見ただのクリアスープに見えるが、パクチー(コリアンダー)の根がそのまんま入っているしニンニクの漬物など、隠し味が効いている。夫は、ウチの庭で1本だけ実ってとっくに収穫してしまった後の苦瓜の茎と葉を「これが美味しい」と言って摘んでいた。湯がいてナムプリックをつけて食べる。意識的に食べたことがないので食べてみたい。タイ料理を知るまでは、ここまで食に興味をもっていなかったはずだが。
by kienlen | 2006-09-26 09:35 | タイの事と料理 | Comments(0)

初めての絵手紙を描く

f0104169_21275860.jpg初めて絵手紙というものを描いた。こんな人口密度の低い地方都市だと、人の数よりイベントの方が多いんじゃないかと思うくらいなもんで、今日は、そういうイベントを仕切る知人から参加を依頼されたのだった。「もう1人連れてきて、お願い!」と言われていたので、ちょうど失業中で暇な友人を誘う。バイト先をちょっと抜け出すつもりが、蓋を開けたら3時間コースだった。参加者はサクラを含めてたったの5人。先生から絵手紙のなんぞやを教わる。ためておいては意味がないから出すこと、上手下手より気持ちが大切、絵と言葉が必ずしも合致する必要はないなど。絵手紙を目にする機会は多いし、絵心がなくても描ける、という噂ではあるが、そこで私のように絵の才能のない者の挑戦によって、それが証明されるか否定されるか。

まず線の描き方を習う。鉛筆の握り方ではなくて、なるべく不安定になるように柄の先っぽを軽く持ってゆっくりと線を引く。点を重ねるような具合。10センチの長さを1分かける練習をちょっとする。それですぐに本番。まずは柿を描く。そしてコスモス。そう説明しないと分かってもらえないコスモスができた。しかし、やってみると意外に楽しい。ただ、自分の絵を見ると、いや言葉もそうなのだが、情感に乏しいと思う。そういえば中学生の時の先生に「冷たい絵だ」と言われたことがずっと気になっている。何をやっても訴えるものがない。それもそうだ、ほとんど訴えていないから、とも思う。それにしても自然の造形物をゆっくり眺めるというのは楽しいことだ。用意された洋ナシ、柿、オクラ、コスモスの他に何か探そうと思って、コップだとかコーヒーカップとかフライパンとか水道の蛇口などを観察したが、心惹かれない。柿の表皮の微妙な色のグラデーション、洋ナシの傷、花びらの傾き加減、どれも見飽きることがない。ちょっと穏やかな気分になった秋の1日だった。
by kienlen | 2006-09-25 22:04 | その他雑感 | Comments(0)

男も期待するスーパーウーマン像

今時のレイアウトだと、机に向かうということは自動的にパソコンに向かうという姿勢になる。それでついよそ見する。地方新聞のHPを見たら、どうやら一昨日のものらしいが「家庭と仕事の両立、男も期待」というタイトルの記事があった。驚くべきタイトルだ。「はい、皆さんこのタイトルから挿絵を描いてみましょう」と美術教師に言われた生徒になってみることにする。仕事と家庭に忙しい女、その脇で「大変そうだねえ、手伝うよ」という優し気な態度の男。これしか浮かばないイメージ貧困な生徒である私は、隣や前や後の机を覗き込むことにする。すると中には、男と女が両方とも仕事をやって家庭をやって両者疲労感漂うの図を描いている人もいる。でも、だったらタイトルを変更したくなる。例えば「家庭と仕事の両立、男も悩み」。これが正直じゃないだろうか。原題の「男も期待」の表現の裏には「女も期待」が含意されているはずだ。確か日本語教育的にはそうなるって助詞「も」の解説に書いてあったぞ。まさか飼い犬が期待とか、野良猫が期待を前提にできないんだし。

ということで、女がこの両立という事態に期待できるということは、男が女と全く平等に家庭を担うということで、ということは、女が悩んできたその過程をすっ飛ばして、いきなり男は期待しちゃうってのは、どういう論理あるいは、感情なんだろう、というのが単純な疑問である。こういう不思議な事にひっかかると勉強がはかどらない。もちろん記事の内容もタイトルから期待できる流れであり、余計に一読者を混乱させる。乱暴にまとめると、最新の調査結果から、固定的性別役割分担意識が薄れて、女も男も、女の家庭と仕事の両立を望む人が増加している、ということだ。私が記事をチェックするデスクだったらこう言うな。「この調査についてよく調べること。女にしか焦点がなくてどうしてこんな結論が導き出せるのか。男の家事はどこにいったのか。調査が両性のバランスを取ったものであるなら記事にも反映させること。そうでないなら、調査の不備をこっそり行間に漂わせること。だいたいこんな安易な発表記事書いているから調査公害だ、マスコミもその責任があるって言われんのよ、はい、書き直し!」。まあ、でもそれは時間もないし締め切りだし大変だし、タイトル変更。「女の家庭と仕事の両立、男は期待」。
by kienlen | 2006-09-24 14:00 | 男と女 | Comments(3)

通信講座のテキストにどっぷり

日本語教師養成の通信講座のテキスト以外読んでない日々が続いている。こんなに長い間読書から遠ざかったのは、バンコクで日本語の本が入手しにくかったり日本語より外国語を優先させたかった時以来だろうと思う。この講座は1度挫折して1年限定の延長なのでここで放棄できないのと、さすがに仕事が発生しているとなるとやらざるを得ない。理想的といえばいえる状況。まとまった時間が取れないが、昨日は比較的はかどって1冊読み終えた。テキストの最後についているテスト問題の解答をマークシートに記入して提出するしくみ。問題数は24で、52点取れば評価Cながら合格。80点以上だと評価A。これが24巻あって記述式問題を2問こなせば修了。申し込む時は覚悟したつもりだった。若い頃にいろいろ申し込んではすべて挫折した経験もあるから、通信講座でやり遂げる難しさは分かるつもりだった。テキストが届いた時はワクワクした。早速取り掛かる。面白い。これならいけるぞ、と思ったのに数回提出した後は続かなかった。提出物がマークシートとなると、それだけ片付ければいいや、という気になってしまう。テキストを読んだだけで理解できるわけがないのに、補助教材で深めようというまでの気にもなれず、小手先でやっているから、音声のあたりで分からなくなった。

その小手先は今も変わらないが、提出への意志は固くなっている。ここにきて急速に挽回してきているから、あと残9冊はなんとかなると思っている。というわけで今朝もテキストに向かっている。明治期、つまり国家統一時代に、まずは言葉からというわけで、方言を撲滅して標準語への統一を進める時に、沖縄など言葉の特色ある地域に「方言札」が登場。方言を口にした子供は教師からその札を渡されたそうだ。ここまではまだいいのだが、この子が名誉を回復できるのは、別の子が方言を発するのを見つけ出して、その札を渡してから、というところで寒気が走った。ありそう…。御札をつけるなら目視確認できるだけマシかもと思うと、ますます寒気。目に見えない御札が私らの身体にバシバシ貼られる様が見えるような…。というわけで、テストに出そうにないパラグラフでストップ状態。どうも学び方に素直さが足りないようだが、テスト提出については今年中にメドをつけたいと思っている。
by kienlen | 2006-09-24 12:06 | 言葉 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


by kienlen
プロフィールを見る