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行政産業のおこぼれで生きる地方

2つの仕事をかけもちした日。いずれも期限付きだし、とにかくかろうじてのその日暮らし、と言いたいが、それ未満でしかない。その2つの仕事の合い間に友人達とお昼ごはんを食べた。偶然会った人も含めて4人、全員女性。行政機関の外郭団体勤務の知人が、実態を報告する。天下り職員が自分達の4倍の給料であること、仕事の内容の虚しさ。私も行政の委託事業担当の期限付きバイト。そこにはさすがに天下りはいないが、仕事の虚しさは同じである。それでふと「この町って行政産業で成り立っているんだよね」という話になった。だって、まともに食べられる人って公務員と一部少数の企業。私の周囲も公務員が圧倒的に多い。当人がそうであるか、配偶者がそうであるか、両方がそうであるか、親がそうであるか、の、どれかに分類される人がほとんどといっても過言ではない。行政からみると「民間」ということになる外郭団体まで入れると、さらに比率は高まる。私の場合も親が公務員であったし。

しかしこれで先の見通しはあるのだろうか。少子高齢化、税収は減る。今、失業者対策も兼ねて出している民間委託事業なんて、実態があろうがなかろうが景気回復という言い訳ですぐにでも廃止されても不思議じゃない。するとその関連でかろうじて生き延びている人に仕事がなくなる。問題はそれからで、委託事業のようなやり方に慣れて、他で通用するのかということだ。私自身、そんな厳しい世界にいたわけではないので想像でしかないが、投資してその見返りがナンボという分かりやすい民間企業に対して、行政の仕事って責任の所在がどこにあるのかも分からず、事業といってもリスクも成果も、何をもってありとかなしとかするのか、よく分からない。数値で評価するようだが、例えばイベントをやって、動員して何人来たか、同じ面子があっちにもこっちにも出席しても、それがカウントされて成果となるのだから、ため息が止まらない優雅さである。これは、食えない自分のひがみかやっかみか。ぶら下がり運動で鍛えないといけないけど、それよりも、ぶら下がっている鉄棒はずしを覚悟しないとならない、となると社会不安になるように思う。単なる思い込みであることを願うが。
by kienlen | 2006-08-31 22:40 | 社会的話題 | Comments(0)

親子って話せるものなのか

新聞の定期購読をやめて、テレビはもともと全然見ない、となると、世の中のことにますます疎くなるが、どっかで、子による親殺しが増えているとかいう記事を見かけた。2-3日前にも、息子が友人に母親殺人を依頼したという事件が起きたばかりだが、親子関係の事件だと、コメントを寄せる専門家がよく「親子で話し合えなかったのではないか」みたいなことを問題にしている、あるいはそこが強調されて書かれる。そういうのを見ると私はいつも不思議に思う。親子って、そんなに話し合えるものなのだろうか。少なくとも私自身は、肝心なことを親に相談しようなんて思ったことはほとんどない。どっちかというと親にだけは知られたくない、親にだけは言いたくない、と思いつつ過ごした青春時代だった。なぜそうなったかというと、家族という社会しか知らない小さい頃は話したかったし話したのだろうが、それを繰り返すうちに、親に話してもあまり意味がないのだということをじょじょに悟るようになるのだ、無意識のうちに。

それでも1度、ものすごく辛い時に、不覚にも母親に電話でそれを言ってしまったことがある。その時の彼女の反応を聞いて、私は、こんな親に2度と何も話すものかと最終的な決断をした。もちろん彼女が悪いわけではなくて、自分が勝手にそう思ったということ。子にとって親は最も身近な存在だから、親と相性がいいというだけで生まれながらにグラウンド何周分もスタート地点で有利に立っているようなものだと思う。その点自分は何周遅れだろう、と何度思ったことか。自分がそう思うということは、親も、こんな子をもつなんて不幸だったと思っていて不思議はない。そういう経験があって自分が親になってみると、子に嫌われるめぐり合わせであっても、それは仕方ないと思う。自分がこうなのに、子にはこうであってならないと期待するのは理にかなわない。それにしても疑問は、一般的には親子ってそんなに話せるものなのだろうか、ということ。マスコミの事件報道に際するコメントでは、ぜひこの点にも触れていただきたいと思う。
by kienlen | 2006-08-30 22:55 | 家族と子供の話題 | Comments(2)

勇敢な仕事ではあるが

昨日から、タイからの高校留学生に週2回程度日本語を教えるという勇敢な仕事が始まった。この間読んだ『わたしの外国語学習法』に、著者がまだそれほどではない言語の翻訳をしたところ「勇敢な訳です」とコメントされて戻ってきた、というようなくだりがあって、ついでに読者でしかない自分まで影響を受けている、そうだ、何事も果敢に挑戦しなければいけない、と。買ったのやら借りたのやら、たくさんのテキストを持参。生徒が2人だけなので楽しい雰囲気。高校生くらいになるとそれなりの話ができるので面白い。先週、始業式に同行した時も、校長室でずっと待ちながら彼らが珍しそうにこう言った。「タイの学校では校長に会いたい時、いろんな手続きして書類書かないとできないのに、日本の学校は簡単だ」。その日はいろんな人が出入りして、掃除の生徒もタラタラと出入りしていたのだ。校長に彼らの感想を伝えると「日本も昔はそうだったんですがね」と言っていた。

今まで接してきたところでは日本語がほとんどできないような印象だったが、話してみたらそうでもなくて結構長い文章を作っている。私の方は、彼らがここまで2か月学んできたテキストの続きを予習して、そこからスタートと思ったら、実はまだ終わってない課があって、そっちを優先することにした。それは「くれます、あげます。もらいます」という語に関する単元。日本語教師が媒介後を使うということは通常ないようで、私ももちろんタイ語を使うつもりはないが、それでも相手がタイ人だから、彼らの頭の中の変換はどうなっているのだろうと考えることになる。すると、これは楽だろうなとか、これは難しいかも、という予想がつく。今回のこの構文は多分易しいだろうと思ったら、案の定どんどん文章を作っている。「お母さんは私にタイ料理を作ってもらいました」なんて言って大笑い。笑うのはいいけど意味分かっているのか。聞いたら分かってはいた。しかしこれってあんまり使わない。タイ語ではさらに使わない。不自然なタイ語に訳してみてまた笑っている。面白かった。
by kienlen | 2006-08-30 09:23 | 言葉 | Comments(0)

相変わらずの対応に呆れた朝

通帳をチェックしたら新聞代が引かれていた。先月の集金の方の対応があまりに横柄に感じたので、私はその場で即断してこう言った。「Jタイムズは今月でやめて下さい。A新聞は契約が切れたらやめて下さい」。若い集金の女性は確かに「はい」と言って帰った。でも翌々日からストップしていたのはA新聞の方でJタイムズは相変わらず入っている。いつまでも入っている。そして1か月。まだ入っている。あの日来たのはもしや研修中の若年者かもしれない、伝わってなかったのだろうか、しかし曖昧だったら後で確認の電話をするか上司が対応するか、ではないだろうか。組織人としてはてんで無能な自分ではあるが、この程度の展開は予想できる。明確に伝えた事を、落ち度のない自分から再度伝えるのもシャクであるが口座引き落としの弱みは、なにしろ有無を言わせず落ちるということ。もう新聞販売店に対して口座引き落とし手続きはしないと固く決意。しょうがないから今朝電話した。事情を説明したら「あ、やっぱりそうか」と言う。何でも集金人は正しく伝えたがチームリーダーがJタイムズはそのまま入れるようにと指示したという。

当方、そういう内部事情まがいは内部で解決していただければよくて、もしとことん内部事情を説明してくれるんなら、チームリーダーなるものの役割とか性別経歴年齢、社内のしくみも知りたい。それにしても彼の対応がまた素晴らしい。ひと言のお詫びもない。何でも謝ればいいとか土下座すればいいとは全然思わないが、ビジネスマナーとして、この対応はないだろう。呆れた。それで「集金の方が道が分からないと電話してきたり、どうなっちゃっているんですか」と言ったが答えず彼はこう言う。「では明日からやめておきます」と。私は「月末でもないのに止めるってどういうことですか」と聞いた。すると「集金にも行けない所に入れるわけにいかない」と言う。私は現金での支払いを渋った事は1度もないし、この新聞は自動引き落としになっている。それを伝えて「だから区切りのいいところまでは入れて下さい」と伝えた。同時にここまでの対応をされてA新聞を再読することはないと思った。普通の対応、普通の処理、普通の言葉、普通のコミュニケーション、普通のマナー、私が望むのはそれだけなんだけど、普通って人によって違うんだろうけど、毎回これじゃあ疲れる。新聞なんか読まないそ。
by kienlen | 2006-08-29 08:51 | その他雑感 | Comments(0)

氏子=区民なのか

このところ昼間は留守が多い。だからますます回覧板類も滞りがち。夫はいるが、地区の回覧板で彼が理解できるものは少ないだろうから、組長が用事で回ってきても役に立たないだろうと思う。そのせいか私宛てのメッセージを挟んだ回覧板が置いてあった。いわく「××様 お手数ですが8月31日までに○○(組長の名)まで宜敷お願い申し上げます(お気持ちで結構です)」。これだけじゃあ日本人の私にだって何のことやら分からない。「よろしく」もまた魔法の言葉。私も多用するがタイ人もよく「ヨロシク」って言っている。このメモの前提になっている文書のタイトルは「奉献金の奉献について(お願い)」という仰々しいもので、奉献って意味を広辞苑で引いてしまった無知住民な自分。本文はこうなっている。「秋祭り、元旦祭、春祭り等の奉献金をまとめて年1回だけ例年どおり集めさせて頂きますので、氏子(区民)各位には趣旨をご理解いただきまして、1500円を目安にお願い申し上げます」。

組長から祭典委員にいき、祭典委員から神社会計総代にわたるそうで、集金はボトムアップ、意思決定はトップダウンな地域活動、がんばっているね、と感心だが、どうも気になるのは氏子(区民)という表記。これって氏子=区民の意味に見える。この市では区民は行政区の住民だから、神社の氏子と同一にするのはヤバくないかと思うが、神社は宗教じゃなくて地区の慣習です、という言い方が通常なので氏子は宗教用語ではないのだろうな。広辞苑で引いたけど意味がよく分からない。でも地域住民なら説明なしに「趣旨がご理解」できて、説明なしに氏子になるって、民主的でないようにも思います。奉献もいいが、アカウンタビリティーって言葉も定着していることをご理解いただき、趣旨説明もお願いしたい。特に、この地区で生まれ育っておらず日本の、いつ始まったか検討の余地ある伝統や慣習にも疎い無知住民も数少なくない昨今だと思われる。昨今の方を責めるばかりじゃあ、解決にはならないと思うのだが。
by kienlen | 2006-08-28 23:25 | 地域 | Comments(0)

『わたしの外国語学習法』を読んだ

ロンブ・カトー著、米原万里訳『わたしの外国語学習法』を読んだ。面白かった。でも、何が面白いのか説明しにくい。タイトルからハウツウ本のような印象を受けるが、そうではない。外国語学習の技術論とも言いがたいし、言語学の学術書ってわけじゃないし、通訳や翻訳者という職業従事者対象というわけでもなく、しかし、それらの面をいずれも含みつつ、とにかくひじょうに幅の広い本だ。外国語の成績が悪くて人文系に進学せず、大学では物理と化学を専攻したくらいなのに、その後の学習で10か国語の通訳者、16か国語の翻訳者となり、90歳を過ぎても外国語の習得に意欲をもやすというハンガリー人の著者の、体験談というのでもなく、自慢話でもない。こんな書き方は、択一式問題で解答が分からない時の消去法みたいだが、つまりひとつの解答に治まらない内容ってことで逃げておこう。

タイ語が少しできるといっても、体系だてて勉強したことがないので、それについて語るほどの知識も自信もない中途半端なものに留まっている。もっと勉強したい、でもこのへんに学校はないし他にやることもあるし時間もないし、と自分への言い訳をしている情けなさ。それに何より、この歳じゃあな、と。でもこの本は、そんな弱気心をひとまず忘れさせてくれて、読んでいる間は広い世界を自由に飛んでいる気分になる。著者の才能が私達フツウの者と同じとはとても思えないが、言語の習得の困難さは強調しつつも、誰にでも可能であることを、それ以上に強調しているから、絶望せずにいられる。外国語でコミュニケーションすることの楽しさを認めない人はいないだろうと思う。米原万里さんは、この本を訳したことで通訳の魅力を認識して職業として選んだそうだ。外国語に少しでも興味ある人なら多分楽しめると思うし、実用書的な面もある。
by kienlen | 2006-08-27 22:32 | 読み物類 | Comments(0)

ラーメンを食べながら

休日は皆が適当な時間に起きて来る。私も本に目をやったり眠ったりで10時くらいになった。夫はすでに魚取りに出かけた。いつもなら娘が一緒に行くはずなのに「宿題やる」で残る。一時期叫ばれた「生きる力」を最近は目にしない。代わりに「学力向上」である。家で宿題をするのと魚取りに行くのとどっちがどっちになるのか分からない。分からないのだから政府の方針がどうであれ、どっちでもいいや。ということは方針も決めてくれなくてもいいや、になるような気もする。しかし方針変更を生業としている人口が多いからな。空腹なのでキッチンに行った。スイカを食べていたら娘が来た。ふと思い出して「ドーナツ食べる?」と聞いたら喜ぶので作る。すると息子が「ラーメン食べたい。ラーメンの匂いがする」と入ってきたが「なんだ、ドーナツか」と言いながら、どんどんドーナツを食べる。この年齢の男子にドーナツだけというわけにもいくまいから、ラーメンも作る。ラーメンとドーナツの朝食って、生きる力がつきそうでもあり、つかなそうでもあり。息子が「ラーメンの上にきゅうりを載せて」と言う。細かく切って載せたらいい感じになった。ネギより青みがあってきれい。父親が作る時はきゅうりが載るそうだ。

ラーメンを食べながら、子供達が2人とも小学生の時に父親の実家のタイの農村に滞在した時の話になった。「ニワトリを殺して血を飲んでいたよ、かわいそうだった」と息子。「見えない所で殺されたものを平気で食べるより人間的かもよ」と私。昔、私の実家の隣のウチが養鶏をしていたから、それを思い出しながら「庭で充分遊べた鶏の方が自由なしに飼われていたのより幸福かもね」と付け加える。それに地鶏とブロイラーの味は比べるべくもない。娘は裏のココナツの木を揺らして実を落として果汁を飲んだのが印象的で、その話をいつも始める。朝、モチ米を大量にふかして家の周りで調達した野菜や魚や肉がおかず。ドーナツとラーメンもいいけど、あれもいいよねえ。とはいえ、最後はいつもこれだ。「でも、暑すぎる」。温暖化の影響かますます暑くなっているらしい。
by kienlen | 2006-08-27 12:10 | 家族と子供の話題 | Comments(0)

国際結婚主婦の井戸端話

昨夜のことになるが、友人から電話があった。開口一番「あなたねえ、ウチに公安が来たのよお」。その友人の夫は外国人。心なしか唇の震えが受話器を通して伝わってくるようだ。公安ですか。それから私達国際結婚主婦は電話でしばらく、昔なら井戸端会議をした。言い回しのみデフォルメして内容は簡略化。「来て何を聞いたの」「今ウチの人、国に帰っているからアタシ1人でしょ。公安の人は赴任したばかりで挨拶ですって」「まあ、それは。でも特に困ることないでしょ」「でもねえ、公安って名刺出されると、嫌なものよお、慣れてないし。それにまた来るだろうけど、情報提供しろとか言われたらどうしよう」「協力する義務はないし、差しさわりのないことは答えて、答えたくないことは拒否して淡々と接すればいいんじゃないの。テロ対策の一環ってことだろうし、それに地域の安全パトロールとか、世論だって治安対策を支持ですものね、自由が制約されても」「そうなのよねえ、でも気味が悪いわあ。お宅も国際結婚だから行くかもよ」「あらあ、ウチはタイ人ですもの、敬虔穏便な仏教徒、お宅のようにイスラムじゃないし、テロリスト支援国家として警戒されている国じゃないし、ホホホ」「でもねえ、共謀罪とか、ほんと、気味が悪いわあ」

「治安強化という名のもとに監視が強まるのは嫌だけど、それを支持する人の方が多いからねえ」「だから私は外国には住みたくないのよ、何かあると狙われるのは外国人だもの」「そうね。でもお宅はご主人、しっかりしてらっしゃるからいいじゃない。ウチなんか、タイ人社会の中にいるからホント心配。ちょっと女の子送って、なんて頼まれて車に乗せたら人身売買に加担なんてことになりかねないし、ちょっと預かってくれと言われて覚せい剤預かっちゃうかもしれないし、とにかく違法行為はしないでって常に言い続けないとねえ。何だって罪にできちゃうもの。そうなったらもう即生活が立ち行かなくなるのよお」「まあ、それはウチより大変だわねえ。なんだか、話していたら落ち着いてきたわ。どうもありがとう」「そうよ、公安の方が○○○よりはマシじゃない」「それもそうねえ。なんだか安心したわあ」おやすみなさい。
by kienlen | 2006-08-26 22:25 | タイ人・外国人 | Comments(0)

外国人支援について考えた日

市教委の依頼で、ある小学校へ行った。というのは、一昨日、在日2年のタイ人の小学生の支援に行って欲しいと電話があったからだ。小学生が2年も日本の学校に通っていたら日本語の方がタイ語より得意になるんじゃないかと思うので、この依頼を奇妙に感じたが、現場を知らない教育委員会の人に状況を尋ねても埒があかないし「とにかく様子を見にいってご報告しますよ」とだけ伝えて出かけた。事前情報と違っていたのは、その子の在日年数で、ちょうど1年ということ。ブラジルや中国の子と共に国語は取り出し授業を行っているという。つまり、ここには外国人児童のための教師の加配があるのだ。その上にさらなる支援とは…。私はこの分野の専門家ではないから、自分の子を見ていての経験でしかないが、直感的には、小学4年生であれば適応が極度に難しいとは思われない。逆に、母語維持の方が難しくなると思われる。会って見たらまるで日本の子と同じ話しっぷり。さすがは子供。先生は、ひらがなばかりの手紙を見せて、漢字がまだ弱いことや多少文法の間違いがあることを指摘する。でも、それって、タイ語での支援と関係あるのだろうか?

これまではタイ人が支援に入っていたという。私は「タイ語を維持するという目的ならタイ人に来てもらった方がいいんじゃないですか」と言った。先生もそれが希望のようだ。でもこの学校だけそれをする、というのは平等性の観点から、いかがなものかとは感じる。「支援」なんて曖昧で役割が分からないマジックワードなのだ。実態を知らない私の印象でしかないが、外国人児童のために先生が加配されている上に、支援の上乗せするより、他に分配した方がいいのではないか。私が行っても何の支援もできないと伝えての帰路、車の中で考えた。渦中にある人以外の視点も必要ではないか、と。教育委員会に寄ったら「○校にも行ってくれないか」と言う。こちらは、何年も学校に行っていないタイ人がいる、ということ。魔法の支援の棒の一振りがあればいいけど。それにしても、在日年数が長くても外国人だと対応が異なるのかな。日本人の不登校と違うのか。とにかく様子を見る程度なら私にもできそうだから「素人判断はしませんがご報告はしますよ」のつもり。何はともあれ、まずは実態把握に着手って段階のようでもある。
by kienlen | 2006-08-25 22:50 | タイ人・外国人 | Comments(0)

外国語上達の極意

f0104169_22372037.jpgこんな生活だと読書時間がない。合い間をみては読むが時間の絶対的不足。嘆かわしい。だから『わたしの外国語上達法』という面白い本もまだ3分の1くらいで、長い前置きが終わって本題に入ったところだ。ほとんど外国に出ることなく、25年間に16の外国語を身につけた人の具体的な方法なのだが、最初のポイントは「原書を読むこと」である。原文がそもそもひねりが効いているのか、米原万里の翻訳だからよけいにそうなのか分からないが、とにかく面白い。原書購読を推奨して、先生に学ぶことの欠点をあげつらっているのだが、細かい指摘のどれもが、ハイハイとうなずけるものばかり。私もバンコク在住時に一応タイ語のスクールに何度も挑戦して、前払いで安くないお金を払っては無駄にしたものだ。なぜか?

時間の関係でマンツーマンしか無理なのだが、この場合先生と相性が合わないと最悪。私なんか「こんな人のために上達なんか決してしてやるものか」とか思ってしまって、逆説的にはいい生徒なんだろうが、これで長続きするわけがない。それから、いい歳をして新しい言葉を学ぶということは、かなり苦しいことなのだ。こっちは子供じゃないのに「きのうどこへ行きましたか」「会社に行きました」「何を食べましたか」「ソムタムを食べました」「タイ料理は好きですか」「はい、好きです」…これを1時間…。それより新聞でも読みながら議論したい!でも無理。そこまでの語学力がないから。それでもさすがに初心者の域を出るとそのくらい挑戦してみたくなって実行したことがあるのだが、これがまた輪をかけてもどかしい。自分の考えに語彙が追いつかない。この先生、いくらなんだって単純化しすぎじゃないか、もっと抽象的な言葉を多用してくれれば覚える、、、かもしれないのに、などと教師のせいにする。

その本に戻ると、教師を雇ったら費用がかかるし、時間の調整が難しいし云々。それに対して本だったら、どこにも持ち運べて、食べながらも開くことができて、わからない単語なんか飛ばして内容が楽しいから読めばいい…。なるほど、説得力あり。すごく共感。それで夕食時に早速息子に受け売りをする。「英語なんかね、本を読めばいいんだよ。ああ、でもアンタは日本語の本も読めないもんね。ママはタイ語の本を今日から読む」と、ついでに宣言したら、娘が「上にあるよ!」と言うから「持ってきて」と言ったら、写真の絵本を持ってきた。ニタニタしながら。「このシリーズ20冊あるからね、毎日読むんだよ」と娘。はい。母の姿を見たことがないアヒルの子が、母探しに行くお話し。カニに出会って「あなたはアタシのママでしょ?」と聞くとカニは「足が8本あるから違うよ、私はカニのママよ」と答える。次に出会ったのはカエル。「あなたはアタシのママでしょ?」「違うよ…」次に出会ったのは?タイ語の勉強のために留学したいとずっと思っていたけど、それより原書購読メソッドに切り替えるのもいいかも。でもこの絵本で原書購読に値するのかどうか。
by kienlen | 2006-08-24 23:29 | 言葉 | Comments(2)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


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