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梅雨明けと雨の被害

f0104169_20521856.jpgこの地方も梅雨明け宣言とのことで、今日は本格的な夏らしい1日になった。ただ、今年は痛ましい雨の被害があり、その爪跡が容易に消え去るわけもない。雨で思い出すのはタイの洪水である。外国人がタイ語を覚えるときにまずは「ロッ・ティッ=交通渋滞」がくる。約束の時間に遅れる時、このひと言ですべて片付くのがバンコクの交通事情。そして次が「ナーム・トゥアム=洪水」である。このところ異変が起きているとはいえ、タイの雨季は5月から10月で、この期間の南国のスコールは日本のシトシトの比ではない。まさにあっという間に洪水になる。私自身、外出して深夜になって洪水に見舞われて車の中まで水浸しになった時は、もうダメかと覚悟したこともある。

写真は、私のバンコク滞在時に発生した記録的な洪水で、山田長政で有名な日本人町のあった古都アユッタヤーが水浸しになった時の、かなり引けてからの様子。真っ最中は交通も遮断されていたが、少し引けてから好奇心で行ってみた。バンコク周辺は平地なので、日本のような土砂崩れとか鉄砲水はないのは幸いだ。水浸しになりながら商売をし、子供達は水の中を歩いている。生活のために休んでなどいられない。この時は、確か首都のバンコクを守るために水門を閉めて被害を周辺に散らしたのだ。どこが被害から免れて、どこが被害を受けるか。どこまでが天災でどこまでが人災かの境界が曖昧な今、バンコクでも考えさせられたが、日本でもやはり考えてしまう。
by kienlen | 2006-07-31 21:16 | タイの事と料理 | Comments(0)
f0104169_18131642.jpg毎日曜日、夫はほとんど外出している。私が外出していると子供と夕食は食べているようだが、私がいると家で食べない。今日も夕方帰って来たが、すでに「満腹だ」と言っている。「魚のラープ、魚のトムヤム、焼き魚を食べた」からである。たいてい話ばかりだが、今日は現物を持ってきた。川で捕まえた魚とトム・ヤム・プラー(魚のトムヤム)。田舎の少年時代に回帰したかのように、彼は時間さえあれば魚かカエルかタニシ捕りに行っている。そのための仲間もいる。タイ人女性とその夫とその友達。穴場があるらしいが、やはり一度は区長さんか誰かに注意されたらしい。そういう時、外国人だけだとそれ以上追求されないだろうから、私は行かない。f0104169_18203150.jpg

本日の魚のトムヤムは、東北スタイル。バンコクのレストランの料理では見かけないものが入っている。マカム(タマリンド)で、酸味と風味が加わる。夫はこのトムヤムをよく作る。ちなみにマカムは甘みの強い栽培種だと旬にそのまま食べるが、結構高価で貴重。あとは砂糖と塩と唐辛子に漬けたものをどこでも売っていておやつに食べる。そして料理にも使う。有名なパッタイのソースにも使う。レモングラスも今の季節だと地物があるし太って香りも豊か。それにマクルートの葉を入れて、ミニトマトも旬で美味しい。私には辛味が足りないのでここに唐辛子を加えて食べることする。タイ料理を食べられない所では暮らせないかも、と毎日思っている。
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by kienlen | 2006-07-30 18:40 | タイ人・外国人 | Comments(0)
今枝由郎『ブータン仏教から見た日本仏教』を読んだ。「日本仏教は果たして仏教と言えるのか?」を、長年フランスとブータンで研究生活をしてきた著者が、いわば外部の視点から問うもの。ひじょうに面白かった。やっと探していた本にめぐり合ったという感じ。昔、まだ悩める若者だった頃、やみくもに仏教関係の本をいくつか読んだ。すごく感動して母親に勧めたことをなぜか覚えている。かといってタイ人に「仏教徒か?」と聞かれて自信をもって「ハイ」と答えられない自分だった。多分、典型的な日本人だろう。タイにいると仏教があまりに身近である。お坊さんは一目瞭然の姿でたくさんいるし、勤務先の同僚がしばらくいなくなったと思ったら、眉毛と頭髪のない姿で復職してきたり(短期間の出家)、寺に寄進するからと封筒が回ってきたり(共同寄付)、物乞いにお金を恵むのもタムブン(喜捨)、泥棒に入られたらこれもタムブンってことになったり、朝の托鉢はもちろん、僧侶に相談事をし、結婚式も新築も、何かにつけて僧侶を呼んでタムブンする。とにかく日常生活が目に見えて仏教的である。

すると、日本の仏教って何だ、と感じる。それで日本に戻った時に実家の菩提寺の住職に、この違いは何ですか、と教えを乞うたのだが、彼にはお酒の方が興味あるようだった。タイの仏教については石井米雄とか青木保らによる詳しい一般向けの報告や考察がある。でも比較的見地からで、教えだけではなくて、身近な習慣の違いも解説してくれるものはないかとずっと思っていた。例えばお墓。この本によると、これは日本仏教特有なものだそうだ。タイに墓がないのは、本来の仏教としては当然なのだ。南伝のタイ、スリランカ、ミャンマーなど上座部仏教と、著者の専門であるチベット仏教の違い、それから同じ大乗仏教とはいえ日本仏教の特異性と問題点等、仏教史の視点から幅広く、でもひじょうに分かりやすく解いてある。仏教を国教にしているブータンが「国民総生産」より「国民総幸福」を指標にしていること、など興味深い知見にあふれた本だった。写真はタイの地方都市の朝の托鉢の様子。
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by kienlen | 2006-07-30 15:09 | 読み物類 | Comments(0)
いい本を読んで満足感に浸っている時に電話が鳴った。「A新聞です。そのへん集金に回っているんですけどおー、場所が分からないんです。表札違うのだしてませんかあー」みたいなあー、若い女性の声。ひどくルーズである。この一声からして言語処理をつかさどる脳みそ部分を心地悪く刺激する、ああ、耐え難い。「表札は出してませんけど、○の向かいだし、地図で調べても、それにそもそも前の担当者に聞いたら分かるでしょう」と言うと「前の担当者もよく分からないんです」と言う。じゃあ、今までの担当であった男性はどうやって勧誘に来て、どうやって集金に来たのだろうか。お化けかな、私が見たのは。で、彼女は悪びれる風もなく、まるで友達と待ち合わせでもするように「じゃあ、その近くに行って分からなかったらまた電話します」である。新聞販売店がいろいろ問題あることは聞くけど、こんな対応も珍しい。これは新傾向である。それも悪い方向への。それで「今、とっている新聞、契約が切れたら全部やめます」と言った。

彼女にとっては初出勤の日かもしれない。あるいは派遣か、その他不安定雇用か。研修もなし、引継ぎもいい加減としか思えない。そういう内部事情の犠牲がこの女の子だとしたらかわいそうではあるが、こんな業界ではなく別の道を探って欲しい、なんてお節介な気持ちになったりもする。新聞販売店への本社からのてこ入れは厳しくて、この販売店も経営者が交替した様子である。その結果がこれ。どこもかしこも余裕がなくなっている。人材を育てるよりは即戦力。そうなると、若い人が不利になってしまう。若い人が不利になる世の中に希望はあるのだろうか。ちょっと悲しくなる。新聞を断るより先に、電話の話し方をもっとちゃんとしたほうがいいよ、と教えてあげたほうが良かったのだろうか。自分も余裕がないのかもしれない。早まってごめん。いや、改革すべきは新聞販売のしくみである、と思ったりで、なんだか後味が悪い。
by kienlen | 2006-07-30 13:33 | 読み物類 | Comments(0)
夏休み初日から娘は祖父母宅へ行ったきりだ。用事があると電話で「○時に迎えに来て」「○日はお祭りに行きたいけど保護者が一緒じゃないとダメだから都合はどうか」とか、連絡がある。彼女は自分の計画を立てられるし、それに従った行動もできるタイプ。当方はこれに答えていればいいので楽なのだが、問題は息子である。そもそもこんなに長い休暇を家で過ごしたことはない。保育園に長期休暇はないし、小学校低学年の時は児童センター通い。それが終わると少年野球を始めて、毎日のように練習して毎日疲れきっている状態。その次はバレーで、これも毎日のように練習があって疲れて呆然の日々。つまり、誰かが立てた計画通りに行動していればいいので、親として楽な面もあったが、自己管理能力が育たないのではないか、という心配もあった。案の定、自己管理能力は相当に低い。もっとも、これは児童センターのせいでも野球のせいでもバレーのせいでもないと思うけど。

彼は昨夜になって突然「明日N高見学に行く」と言い出した。N高というのは私のはるか昔の出身高であるが、息子の成績では及ばない、ということをこの間の3者面談で確認したばかりだ。それどころか、近間の学校で楽観できる所はひとつもない、というありさま。さすがに私もあせったが、当人があせらないとどうしようもない、はずなのにその様子もない。昨夜「自分で行くんなら道を確認しておかないと」とアドバイスして地図を描かせた。「分からなかったら誰かに聞くように」と付け加えると彼はこう言った。「N高どこですか、って聞くなんてカッコいいよね」。絶句したいがもちなおして「ねえ、そう思うんだったら行こうって努力してもいいと思うけど」と言ってから、自答した。こういうタイプはそうではないのだ。自分で努力するのではなくて傍観者として、あれがカッコいいとか悪いとかやるのだ。バッシングというのもこの流れで起きるのかもしれない。そう思うと背筋が寒くなる。今朝、担当の先生から「まだ来ないんですが」と連絡があった。出てから1時間以上過ぎている。案の定迷って別の高校に行き、2時間がかりでたどり着いたらしい。「N高どこですか」と聞くために迷っていたんじゃないだろうな。笑って済ましていいのかどうか。
by kienlen | 2006-07-29 11:10 | 家族と子供の話題 | Comments(0)
知事選が近い。ここのところ期日前投票が気に入っているが、今回はウチに来た1票を投じる相手を決められなくて行かれない。ついでに外国人の夫には投票権なし。こういう時に何か持ってきてくれれば簡単に入れちゃうけどね、と思ってしまう不埒な有権者です。だいたい、1人を選ぶのに2人の中からとは選択肢が少なすぎる。私は白か黒か、右か左か、赤か黒か、との二者択一が苦手だ。決断力がないのかも。だからテストも選択式より記述式が好きである。で、記述式型人間から見ると、困るのは今回の選挙が事実上「現職が好きか嫌いか」を問うているから。昨日の猪口大臣の応援演説の後に登場した県議会議長など、熱くなってそう明言していた。そこまで言われると、困るなあ。だって、好きな面もあるし、嫌いな面もある、評価できる点もあるし、そうでない点もあるというのが、一部狂信的ファン層や嫌悪層を除く、私を含めた人々の一般の方々の気持ちではないだろうか。

だけど選挙では、誰かの名前を書くしかないから、エイと書き込んで去る。それだけのことなのに「1票の重み」とか、問題があっても「選んだのは私達ひとりひとり」とか、自己責任みたいになるのは解せない。1票をもっと重たくするなら、私は記述式選挙を提案したいと思う。候補者への希望とか政策案とか書きたいことを書き込んで、処理はコンピュータ任せ。グーグルの検索みたいにする。こんなに情報処理技術が発達しているのだから、選挙だけアナログというのも不思議に感じる。これだと当選した方も、偶然の重なりの結果と自覚できて謙虚になり、本気で住民のためのみ考える政治家になってくれる、かもしれない。有権者は、それなりに情報収集しないと投票行動そのものができなくなるから勉強する、かもしれない。
by kienlen | 2006-07-28 22:01 | その他雑感 | Comments(0)
f0104169_1513572.jpg久々の友人達とランチ。会場は夫のタイ・レストラン。夫はカウンターでこういう作業をしていた。これはパカナというタイの野菜で「パカナ・ムーグローブ(豚のカリカリ揚げとの炒め物)」というのが一般的料理だ。夫の店でも人気がある。誰でも食べられる特にクセのない料理、と思っていたら、この間「パカナは苦くて嫌い」というタイ人がいたが、多分そういう人の方が少数と思われる。彼は、固い部分をナイフで削って小分けにして新聞紙に包む作業中だった。この辺りのタイ人の多くは、土地のある日本人男性と結婚して、その畑仕事をしている。そしてタイの野菜を作って、食材店やレストランに売りに来るとお小遣いになるというわけだ。随分と遠方から来る人もいるが、そうしてタイ人達は交流もする。売り上げ分だけビール飲んだり、食事したりという人もいるし。

これはどこから仕入れたのかと思って夫に聞くと「マリーの畑から自分で取ってきた」と言う。それって泥棒ではないか。事情を聞くと「マリーはパチンコに凝っていて植えたが収穫を面倒がっているから自分で取ってきた」ということ。あの、マリーもパチンコに走っているとは、知らなかった。私はタイ料理については可能性を信じている。私自身が大好きだし、味が多彩で本当に素晴らしいと思う。その割にちゃんとしたレストランは少ない。いや、始める人はいるのだが、続かないのである。なぜか。パチンコに凝って店そっちのけになり…、後は推して知るべし。夫に「○さん、どうしている」と聞くと「パチンコ」「××さんは?」「パチンコ」。マリーの場合は店をやっているわけではなくて畑だから、欲しい人が取りに行って、いくらか渡せばいいらしい。金額にはあまり興味ない。「自分で取った方が面白いよ」と農家出身の夫の弁。地方都市在住タイ人社会の一面である。
by kienlen | 2006-07-28 15:36 | タイ人・外国人 | Comments(0)

久々の裁判傍聴記

昨日に続いて晴れて暑い日になるのだと思って起きたらかなり激しい雨。慌てて外のウサギの様子を見にいく。室内で飼っているのだが、大雨続きで小屋掃除ができずひどい状態になっていたので、小屋の乾燥を待つ間、外泊してもらうことにしていた。どうせ雨は降らないから外で、と思ったがそれでも万が一に備えて軒下に泊まらせて良かった。無事に元気でいた。息子に「私が今日いなくていいか、いた方がいいか」と尋ねると「いなくていい」と言うので出かける。ただ、タイ人の裁判傍聴のために車で2時間の場所へ。バイトで2日間オフィスワークをしたら移動欲求が湧いたというのもある。

機会があれば裁判の傍聴はしたいと思っていて予定を調べるところまではするのだが、なかなかスケジュールが合わず、たまにしか行かれない。前回から多分1年くらい経ったと思われる。どの業界もそれなりの掟だとか暗黙の了解事項に満ちているだろうが、司法の世界もよく分からない。今日も、検察官が起訴状を朗読し、被告の簡単な経歴や証拠関係を読み上げ、弁護士がそれらを認め、さて次の展開は、と思ったら、裁判官が審理の日程調整に入ってしまった。風俗営業だとか入管法だとか、罪名がいろいろ並んでいたので、どういう応酬になるのか見たかったのに。確か前回の時も、検事が証拠物品を持参しなかったとかなんとか言い始めて、後日ってことですぐに閉廷になっていた。

裁判傍聴なんて国民の義務でもないし、話題の案件は除いて、普通は報道陣がいればちょっといて、後は家族友人などがちょっといる程度だろう。今日もそうだった。だから、無駄足だったと責めるつもりはないけど、それに司法の世界を知らないので、判断材料がなくて素人考えでしかないが、なんでここで審理しないのだろうか、と単純に思ってしまう。裁判員制度の導入が決まったのも、もしかしてこんな事情があるのかもしれない。迅速になる、というのがひとつの理由と聞くと、人の命に関わることを迅速化に重点を置いていいのかという疑問は持つが、しかし無駄に時間が費やされているとすれば、合理化するのは賛成だ。それにしても何が問題でそれが何に起因するのか、別の解決方法はないのか等、正確な情報を知らないのは、多分私だけではないだろう。というわけで、中身がないので傍聴記は次の機会になる。ちなみに審理は1か月先ということ…。
by kienlen | 2006-07-27 20:16 | タイ人・外国人 | Comments(0)
猪口少子化担当大臣のお話を聴いた。というのは、タイ人の裁判傍聴目的で遠方の市まで行ったのに、審理は後日ということで、すぐに閉廷してしまい、わざわざ2時間も運転して来たのにあんまりだ、と思っていたところに友人から「猪口大臣がそっちで演説するよ」という電話が入ったから。時間も場所もおあつらえのようなタイミング。10日後に迫った知事選の候補者の応援に来たとのこと。行ってみることにする。揃いのTシャツを着た人々が駐車場で腕を振っている(満車で困った車がうろうろしていたのに案内するわけでもない)のは、いかにも組織選挙らしい。受付で、電話番号まで記入を求められる。本来的な意味を知っているわけではないし、名称の使い方は自由だろうけど、タウンミーティングといわれると、市民主体のイメージをもってしまうので、なんだか違和感。

会場に入ると演説は始まっていた。内容を簡単に言うと、あれもしてますこれもしてます、休みは正月の1日2日を除いてとってません云々。ああ、これ内容説明にはなっていないが、政府がやることをここで説明してもらっても何も楽しくないし新しい発見皆無→政府の広報ページへ飛ぶ。あれしてるこれしてる→だって、仕事なんだもん当然でしょ、いい給料もらっているんだし。それに自分で投資して事業するわけでもないし、ノーリスクハイリターンの仕事の部類と違うか?あ、すみません無知で。休みなし→ご自由に。私が休みなしで働いても誰も興味もってくれないから発表の場があるっていいじゃん。でも、だから?

まあ、私としては、こんなわけで政治にますます興味がなくなるわけですが、大臣は、政策発表会=別名タウンミーティングが終わって1人の質問にパンフレットを示しながら答えると、会場を後にした。ここで、私の関心は壁際で会場を見張っていた知人。彼は確か警察官である。きっと護衛である。やはり、大臣が去ると同時に去った。大臣1人が移動するということは、大変なことなのだ。税金も使うのだ。もちろん国民のためにそれだけの意義があると思いたいですけど、今日の話に税金使って欲しいとは思わなかった私。
by kienlen | 2006-07-27 19:33 | その他雑感 | Comments(0)
お気に入りに登録してある項目をおおざっぱに分類すると、時刻表や郵便番号などの、いわばハウツー、それから他人のブログ少々、それから市や県や入管など公的機関の公式ページ、それから本の検索関係、そしてタイ語の関係で、これは誰かが質問して誰かが答える、という形式が複数ある。そのうちのひとつを見ていたら、こういう質問があった。「キトゥン・ジャンは日本語で何ですか?(原文はタイ語)」。これだけの情報に対して、一体何と答えているのだろうかと興味深深で開けてみたら、こうなっていた。「とっても恋しい。すごく想ってます」。ふーーーむ。日本語としては正しいが、これを言うかい?手書きで切手を貼って出すレトロなラブレターならあるかも。「私はあなたがとっても恋しい、すごく想ってます」と。しかし、タイ語のこれはごく普通の日常会話用語。

電話を取ったら久々の友人で「お久しぶり、どうしてるのー」みたいな時に「なつかしいね」「会いたいね」というニュアンスで使ったり、電話じゃなくて、バッタリ会った時にも「キトゥン・ジャン・ルーイ(ルーイは強調的)」と言う。性別年齢関係ない、ということを知らなかった時は、私も教科書的に「恋しい」と理解していたので、ムムムと思ったが、何のことはない、生活用品のように気軽な言葉なのだ。私にとって不思議なのは、この種の回答者。言葉なんて、文脈で意味が変わってくる。それをあたかもひとつの定義があるかのように書き込む。「恋しい」「想ってます」と覚えたタイ人が、タイ語の「キトゥン・ジャン」の場面で「恋しいです」と言ったら、と想像すると、誤解されて結婚なんてことにならないでね、と余計なお節介をしたくなる。そういえば日本語だと気軽に、慕う親しい気持ちを表す言葉が思いつかない。こういう言語環境で育って、それでパーク・ワーン(口・甘い=甘言)に乗って行き過ぎになった日本人も少なくないようだ。それも楽しいだろうが。
by kienlen | 2006-07-27 01:30 | 言葉 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


by kienlen