<   2006年 04月 ( 34 )   > この月の画像一覧

家出をしたい気分だったが、単にノロノロで遅くなっていたがために今日中に仕上げないとならない仕事があって諦める。これってツイているのかツイてないのか。ふてくされて友人とランチをし、駅前に出来た新しいカフェで建築士Uとブレインストーミング的に有機栽培麦ビール。それから付近の大型書店へ行った。暖かくて自転車で走るのが気持ちよく、朝からのクサクサした気分が少しは晴れた。目当ては『あたり前の家がなぜつくれないのか?』という本。Uが、こういう本を作りたい、みたいな事を言い出したので参考のためだが、なかなかいい本だと思った。他は予定がなかったのについ何冊か購入。誰かが引いた線や書き込みが残っている古本『チベットのモーツアルト』雑誌で『クーリエ・ジャポン』高くて迷ったけど今日的テーマが含まれていそうだし、それに関心分野でもあるので『コミュニティ-グローバル化と社会理論の変容-』。それと友人達が作っている地元発行の『たぁくらたぁ』という雑誌。

メディアがどんどん増えている。特にフリーペーパー。でも、内容はほとんど似たようなタウン情報系。で、どこにも同じような店や情報が掲載されている。たかがこれだけの規模の街では無理もない。夫のタイ料理店にもいろいろと取材が来てくれるのは大変ありがたいが、ネタが何重にも重なっていることの証でもある。こういう情報に興味の薄い自分にとっては食指が動かない、という中、たぁくらたぁは毎号ちゃんと読んでいる。座右の銘とは言わないが、フェミニズム運動の気付き「個人的なことは政治的なこと」という視点が大切だと思っている自分にとって、生活の現場からという立ち位置が違和感なし。固有の生活の現場からの発信にささいな共感を覚える時が、エステやアロマセラピーなどの癒しを欲しない自分にとっての癒しになっている。
by kienlen | 2006-04-30 21:05 | 読み物類 | Comments(0)
バレー部の活動から帰宅した息子は明らかに意気消沈していた。ポーカーをしたら真っ先に読まれそうなストレートな感情表現タイプなので、すぐに分かる。細部のサインを読まなくていいのは楽だが、喜怒哀楽が露骨すぎると、気付かないフリができないのは不利。そもそも今日ときたら泣いているのである。さすがに赤ん坊の時のような勢いはないが、まさにシクシクと。ここまでくると声をかけないわけにいかず「どうしたの?」と聞いた。「○先生がひどい。1回サーブをしくじっただけで交代させた」とのこと。小学校の時から野球やらドッヂボールやらミニマラソンやらやっている子なので、これでこたえるわけはなく、日々の積み重ねが噴出、とみる方がいいだろう。問題は、バレー部の顧問の○先生である。

この先生は、とにかく、ひたすら怒っている。私が子供に「ゴミはゴミ箱へ」「使ったら元の場所へ」と、書くのもなさけない当たり前のことを諭しているだけで、何か争っていると勘違いするほど静寂を好む夫は、1度試合の様子を見に行っただけで、以後は行こうとしなくなった。「怒鳴るのを見るのは嫌」なのだそうだ。怒鳴りたい人は怒鳴ればいいし、静かにしていたい人はそれでいいと思っている私でさえ、呆れる怒りっぷりであることは確か。だから部員達は見るからに萎縮している。身体に危険が及ぶと感じたらすぐに止めるように言っているが、基本的には当人次第。とはいえ、理不尽に怒られ続けることで、判断停止、思考停止に陥るのは困る。「○先生のような人が多数ってわけじゃないから、それに慣れないように」「でも、そういう人もいるってことを知っておいてもいいでしょう」とは言い添える。私自身が、怒られるという経験がほとんどないまま今に至ってしまったことに不全感を抱いているので、怒りに対して鈍感な面があるのかもしれない。子供への対応では、いつも自分の来し方を振り返ることになる。
by kienlen | 2006-04-29 23:55 | 家族と子供の話題 | Comments(0)
広告のコピーを書く仕事が入ったので1人で在宅。気分がのらない。助走の時間がかなり長くなりそうな気配。いい天気だしゴールデンウイークだから遊びに行きたいから集中できない、というのではなくて、あの打ち合わせの内容を考慮すると、自分の中に生じる不整合が仕事のじゃまをする。団塊の世代が退職後に優雅に趣味に浸る場所をリフォームで確保する、というのが趣旨だという。当方、企画段階から参加しているわけではなくて、文字がないわけにいかないからちょっとまとめてくれ的な発注スタイルで、いきなり現場直行なので、余計な事は言えないが、とはいえ「え、この地方にそんな優雅な団塊世代がそんなにたくさんいるんですか」なんて、余計な事を言ってしまった。幸いなことにたいていの失言は、真っ向からの非難や異見よりは無視されるのが慣習のようだということを悟りつつあり、このところ安心して失言するクセがつきそうで怖い。

団塊というだけあって数が多いからいろいろな人がいるだろうし、それに、広告なのだから対象は消費者である。あるいは潜在的な消費欲求を喚起してあげるのが広告の役割である。だから倒産や解雇にあってギリギリの生活だ、なんて人をひっくるめることまでは必要ない。で、それは難しいことではない。視界の中に入らないものを想像するよりは、視界の中だけで物事を考えたほうがずっと楽なので、その状態にもっていくのに時間がかかる私は広告に向いていないのだろうか。先日、テレビ局に勤務する若い知人と団塊世代の話をしていた時に、彼女が「そういえばウチの父、団塊の世代ですよ!」と、途中で思い出して叫んだ。そしてこう続けた。勤務していた会社を上司と喧嘩して辞め、その後別の所で働いてはいるが、メディアでは退職後にヨットに乗ったり、みたいなのが紹介されるけど、そんな、とんでもないです、お金ないし、ああいうのってどこの話なんでしょう…。どっかの話ではなくて、あなただってできるんですよ、これを買えば、これをすれば、の心意気で助走を脱してがんばることにしよう。
by kienlen | 2006-04-29 14:30 | 仕事関係 | Comments(0)
ちょうど10年前の今日、タイから日本に戻ってきた。子供の誕生日くらいは覚えているが、結婚記念日なんかは忘れているし、記念日とか伝統行事にはあまり興味のない無粋者だが、今頃だったなあと思って2日前にパスポートで確認したら今日だった。夫に「10年前の今日来たんだよ」と言ったら「そんな事分かっている」と言う。私に輪をかけて無粋な人なはずなのになぜ覚えているのかと思ったら「入管に行くたびに最初の入国日を聞かれるから」ということ。今は永住ビザになっているが、その前は何度も入管で手続きしたのだから暗記していて当然だ。そういえば、確定申告の時にもエイリアン用には別紙があって、最初の入国日の記入欄があったが、私が覚えていなかったので調べるのも面倒で、空欄で提出してしまった。税務署から今のところ何も連絡がないから、さして重要事項でもないのだろう。

あの時日本に来たのには、息子の日本国籍回復のためという単純な理由がひとつにはある。1985年以降、両親のどちらかが日本国籍者であれば、国外で生まれても日本国籍を取得できるという父母両系血統主義を日本はとっている。出産が近くなった頃に、在バンコクの日本大使館領事部に電話したところ「大丈夫ですよ。お母さんが日本人なら日本国籍取れます」という返事だった。当時、私達はバンコク郊外の安い住宅地に住んでいて、家には電話もなく、バス停のある道路まで、バイクを雇うか不定期な乗り合いトラックを利用するしかなく、さらにバスに乗っても交通渋滞で中心市街地に着くのに何時間かかるか不明、何時に帰り着けるか不明という状況だった。暑いし空気は汚いし、とてもじゃないが赤ん坊を連れて出られないまま、3か月が過ぎた。なんとか住み込みの子守兼お手伝いさんを見つけて一息つけたので仕事に復帰し、さて子供の手続きをしようと思ったら「3か月過ぎたので国籍喪失」と言われたのだった。予め電話で問合せした時に期限を知らされなかったと言っても遅い。そんなことは常識なのだそうだ。この時は泥縄式な自分の生き方をさすがに反省した。6か月日本にいて国籍回復の手続きを取るしかない、と教えられ時期をみはからっていた。ちょうど他にも思うところがあって4月28日に来たのだった。
by kienlen | 2006-04-28 15:14 | タイの事と料理 | Comments(0)
久々に、日本語教師養成プログラムの通信教育のテキストを開いた。昨年の夏に申し込み、数回分は楽しくてワクワクで提出したのが、難しくなってついていけなくなって放置、という通信教育の王道をまっしぐら。通信で独学は自分には無理なことは熟知していたので、スクールがあれば行きたいが地方都市の教育機会は極度に限定されていて、しょうがなく通信を申し込んだものだ。裏返せば、この講座への意欲のレベルはそれだけ高いということになる。時間がある今がチャンスなのだが、自分に何が向いていないかへの理解は年齢と共に高まって確信に至り、それを圧して進めるために苦手分野はすっ飛ばすことにした。それで開いたのが『社会言語学』のテキスト。そこに興味深い記述があった。

「言語における性差別分類」という表から導いた結論として、最も性差が大きいのが日本語、次がタイ語、ということ。渦巻いていたわだかまり星雲消散。中国語をちょっと習った時に、1人称が男女の区別なく「我」でいいらしいことに目を見張りそうになったが、タイ語はそういうわけにいかない。日本語同様、意味が通じれば人称代名詞を省略することは多いが、しかし、相手との上下関係などでかなり複雑だ。特に女性。子供や若い女性はへりくだって、私=ヌーという。このヌーというのはネズミの意味である。上下関係は年齢であったり社会的地位だったり、なかなか微妙なようだが、男女間では女性がへりくだるのが一般的。こういうことは知識としては持っていても、実行までのハードルが私の場合は高くて、自分を「ネズミは○○でございます」と言えたためしがないし、ネエサン・ニイサン、オバサン、オジサン等と、タイ語ではごく当たり前の人称代名詞さえ使いこなせない。だから自分で話しながらぎこちないのが分かる。抵抗なく馴染んでいる日本人はいるから、言葉と性格の相性もあるのだろうとよく思う。どうも、関係性や状況で使い分けることの重要性に比重がある言葉というのが苦手なのかもしれない。となると、日本語が母語でなかったら私にとって習得はひじょうに難しかっただろう。
by kienlen | 2006-04-27 13:25 | 言葉 | Comments(0)

友達に返却した本の記録

少し前から頼まれていた、某企業の会社案内のためのコピー書きを朝からやっていた。朝食を取るのが面倒でコーヒーだけで書いていて、お昼近く、いよいよ空腹になった頃に友人から連絡があった。貸していた本を取りに行っていいか、ということ。コピー書きの方のメドもついたので問題ない。借りていたのは大澤真幸の『帝国のナショナリズム』と、香山リカの『テレビの罠』の2冊。これまでは友人に貸すことの方が多かったが、経済状態が悪化して、書店でカゴに入れるまでのステップが増えているので、機会があればお借りすることにした。それで記録をしておこうと思って、他人の本に線は引けないから付箋を貼って準備していたが、記録する前に返却してしまった。というのは言い訳で、本の感想文はとても難しくて自信がない。修行が足りない。

大澤真幸はこれまでも挑戦したが、東浩紀との対談『自由を考える』以外はちゃんと読めたためしがない。でも『帝国…』は読めた。面白かった。それで今まで読めなかった理由が分かった。自分のレベルには難解であるという覚悟なしに軽い気持ちで字面を追おうとしていたからで、覚悟するべきなのだ。アメリカ滞在中に、アクチュアルな出来事について論じたエッセイが中心だが、最後に確か、アメリカの「帝国」と「ナショナリズム」の関係を書き下ろしていたはずで、これは特に興味深かった。氷山の一角を事細かく論じるものは、テーマによっては好きだが、海面上だけとか、海面下だけに焦点を当てたものは苦手だ。この本は水面下と上を常に目配りしながら行き来しながら、全体を見通す地点を指南してくれる感じで、その移動のリズム感みたいなものが心地よかった。香山リカは結構読んでいるが、これはその中では最も残念だった1冊。独断することを控えたのか何なのか、あちこちからの引用で、その分析も斬新さを感じず前半は斜め読み。後半は前半より面白くて少しほっとした。リカさん、がんばって欲しいから。昨夜から読み始めたのはロバート・ベア『CIAは何をしていた?』という映画『シリアナ』のネタ本。検閲の結果の伏字部分を墨で黒くしてある。飲みながら気楽に読めるかと思ったがそうでもなさそうだ。
by kienlen | 2006-04-26 20:56 | 読み物類 | Comments(0)
バンコクから来た時、息子は4歳だった。帰国直後に、この息子を連れて川辺に行った。ぬかるんだ轍で彼がバランスを失って転んだ時、ラオスとカンボジアに接する県の農村出身の夫がまず発したのが「バンコクみたいな都会にいたから転ぶんだ」。それは私が瞬間的に感じたことと見事に同じだった。これは、あらゆる場所が都市化することへの生理的な嫌悪感をもちつつも、抵抗や拒否するどころかそれを享受する自分への、さらなる嫌悪感が混じった感情が、息子を責めるわけではないのに、つい表出してしまったということだ。私の場合の出発点は、生まれ育った環境である。遊び場といえば裏山か川。小さな集落で子供も少なく、よく1人で山の中に入って行ったものだった。木の実を拾って食べ、古木の根が作った穴に潜んだ。小学校には自分で拾ったスギ枝の薪をストーブ用に、親が作った野菜を給食用に持参。半身雪に埋もれて動けなくなり、幼いながらも観念しかけたこともある。その時、心配して迎えに来たのは親ではなくて祖母だった。

中沢新一の『僕の叔父さん 網野善彦』を読んだ。友人が、読み終えたからと貸してくれたもの。網野さんの本は初心者用が本棚にあるが多分未読。中沢新一も同じ友人から借りたものを読んだことがある程度。歴史学にも宗教学にも暗い浅才で、2人に関する知識もない。それなのになんだか感動でところどころ泣きながら一気に読んだ。息子の転倒の例を出すまでもなく、技術の発達がじょじょに人の身体機能を失わせていることは実感しているが、思考だって野生を失うのだ。それを突く歴史観が生まれた様子が、とっても分かりやすく描かれているし、著者の情熱がゆらゆらと立ち上ってくるのを感じる。こんな豊饒感を寝転がっていただいている自分が情けない。いくらなんでも基本図書で、読まねば、と思いつつ今に至っている『野生の思考』をこれを機に読むことにしよう。
by kienlen | 2006-04-25 14:21 | 読み物類 | Comments(3)
娘の家庭訪問の日。いつものようにまだベッドの中にいた私に「行って来るよ」と声をかけてから、娘は「忘れないで、家庭訪問だよ」、さらに「ヘンな事言わないでね。私の悪いとこ言っちゃダメだよ」と付け加えて登校していった。その「悪いとこ」に違和感を覚えて横たわったまま、しばし考えた。そういえば学校では、何度も自分の「長所・短所」を書かされた覚えがある。悩んだことも覚えている。何を長所に入れて何を短所に入れていいのか困ったのだ。今だったら、絶対基準があるわけではなく、他との関係性やその時の状況の中で長所になったり短所になったりするものだろう、と記入欄に書き込めると思うが、子供の時はもっと素直だったので、まじめに迷った挙句に短所には「協調性がない」と書いていたものだ。長所をどう書いたか覚えていないのは残念だ。

だから娘に「悪いとこ」と言われても困る。強引な理屈をつけては自分の非を認めない点などは、一緒に暮らしている者としては、ひじょうに腹がたつが、だからといって「悪い」とは思わない。そういう子なんだろうな、と思う。息子などは、全般的にだらしがない、嫌な事は後回しにした挙句にやらない、病的に忘れっぽい等、一緒に暮らす者に迷惑かけまくり、よくここまで次々と奥の手があるものだと怒りを覚える日々だが、やはりそれらの点を「悪い」とは思わない。ただ、まっとうな社会人にするのが親の役割と思っているのでひたすら「忘れる前にやれ、メモを取れ、忘れることは引き受けるな」「後回しにしたいなら最終的には何があっても帳尻あわせをする覚悟をもて。そのリスクを引き受けられないなら早くやれ、そうでないと信用できない。信用できない人といるのは耐え難い」等、現実的な対応策をアドバイスするのみだ。私は人の世話が嫌いなのでこういう同居人にイライラするが、人の世話を生きがいとする人にとっては愛すべき性格かもしれない。こういう人間を手なずけて使い走りに利用しようと目論む人にとっては、もしや逸材かもしれない。とはいえ、ここまで思い至ると、やはり自分は子育てに向いていないのかと悩む。もっと絶対的な価値基準を自信をもって示し、逸脱する部分は威厳をもって矯正し、強制力を伴って導くべきなのかもしれない。問題は、苦手なことをしても説得力がない、ということだけは、これまでの人生の中でいろいろな場面で身にしみて感じてきたことで、いきなり子に対して忍法小手先の術が有効とも思えないこと。家庭訪問で相談するには深刻で、例年通りの雑談15分で終わった。
by kienlen | 2006-04-24 15:56 | 家族と子供の話題 | Comments(0)
部活に行く息子の弁当を作って、少しは仕事の構想でも練ろうか、しかしやる気にならない、とグズグズしているところに、知り合いの僧侶から、寺の桜が満開で陽気もいいのでお花見に来ないか、という誘いの電話があった。息子を除く3人で出かけることにする。小高い丘からしだれ桜越しに望む光景の中には、オリンピック関連で開発が進んだ新興住宅地や道路が多い。新幹線のコンクリートが一直線にそこを貫いているのが目立つ。お坊さんとビールを飲みながらそんな景色を眺めていたら、いかにも外国人風の一行が通りがかった。花見では外国人をよく見かけるなあ、と考えていたら声をかけられた。その一行はインドネシアの現及び元研修生達で、その中の1人の妻で日本語教師をしている知人が声の主だった。全然日本語ができないベトナムの研修生が来るようになっていて日本語を教えている、等の新しい話を聞く。日本人男性とタイ人女性の家族とも会った。

日本のサクラはタイ人達の間でも有名だし、もともと外で食事する習慣があるし、食事は大勢で食べるのが好きなので、お花見とタイ人は親和性が高いといえる。数年前までは一緒に花見をしたり、偶然出合って合流ということもあったが、このところそういう機会はめっきり減ってしまった。タイ人の絶対数が減ったことが要因としては一番大きいと思われるが、リーダー的な存在がいなくなったことの影響も大きい。その点で印象に残っているのはチットというタイ人男性だ。在日タイ人協会を作って会長に就任にしようか、とも言っていた。グラウンドを借りてサッカーの試合を組んだり、花見などのイベントにはリーダーシップを発揮していた。各地を転々とする間に危機一髪で摘発を逃れたり、車を運転中に何度か検問にあったのに無事だったことから、このままいられるような錯覚にも陥っていたようだったが、とうとう入管の摘発で強制送還されたのが4年ばかり前だ。ビザの発給こそは、個人よりは国家の問題で、不法滞在者をどう扱うかは入管や警察のその時の方針に左右されるのだということを10年間つくずくと感じてきた。花見の頃は一時期の賑わいを思い出して感慨にふけったりする。サクラ越しに見える開発地の片隅でタイ人も働いていたことは確かだが、用事が終わった今、その人達のほとんどはもう日本にいない。
by kienlen | 2006-04-23 23:15 | タイ人・外国人 | Comments(0)
うす曇で寒くもなく桜も多分満開だろう。修学旅行の後で部活が休みの息子が暇そうなので「花見でも行く?」と誘ってみたが、はっきりしない性格の割には即断で断ってきた。娘はいとこと映画を観た後に、叔父と花見に行くそうだ。私と外出したがる家族員は誰もいない。自分が行きたい場所に行き、子供の希望を聞くということをあまりにしてこなかったので、彼らなりに学習した結果が今日のこの態度である。子供の言うなり気味の父親は人気がある。お金のことは私だったのが、これも失い、用無しになるならなるでこちらにも考えがあるが、そこまでは達してないので半端だよなあ、と疎外感で新聞を開いた。現知事の細部に及ぶ改革志向の一貫で、戸配から新聞の全面広告での告知に変更になって久しい、県の広報の掲載日である。広報なんて広報する側がしたいことをするのであって、特別な興味もなかったが、今日は読んでしまった。それは「有効求人倍率」が登場していたからだ。それでつい先日の職安=ハローワークの対応を思い出した。

なんでもこのN県は7か月連続で全国平均を上回っているそうで、太字での広報に値すると判断されたようだ。自営業なので雇用保険など縁がないが、仕事はしたいのでハローに登録した。求人票を見ていたら某塾の「小論文の指導」というのがあって、時給が2000~6000円と破格である。指定通り、ハローの「紹介状」をもらって応募してみたが、2か月間なしのつぶて。ということは不採用だと判断して放置していた。するとハローから電話があって「この間の応募はどうなっているか」と聞くので「求人票には先方から連絡すると書いてあるのでそのままです」と答えた。すると「もう2か月たっているから明日あなたが電話して、その結果を報告してくれ」と言うのである。書類の処理がお役所の重要な仕事だから、そのために処理用データが必要であり、サッサと済ませたい、というところまでは理解できるが、お役所が文書の文面に従わずに個人と蔭で取引することに加担したいとは思わない。だいたい「紹介」なんて言葉にはとりもつ意味も含まれているはず。ハローの存在意義を示すためなら紹介状などと大げさにしないで「通過証明」くらいで充分だろう。派遣会社やら請負会社の求人から、短期バイトから期限付きからバンバン通過させて有効求人倍率もドンドン上げて、景気回復させておめでたいことである。
by kienlen | 2006-04-22 13:22 | 仕事関係 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


by kienlen