カテゴリ:映画類( 327 )

雨だ。昨夜はビールとワインとギムレットを飲んだので、今日はビール日和でなくて良かった。火曜日のレンタル料金半額日にビデオ屋で物色していたが、これは、というのがない。品揃えが少ない。劇場で観ようかと思って迷っているうちに去った『ザ・インタープリター』と、昔昔に見逃した『カラー・パープル』を借りることにして、このところ暇なのでもっと観られるかも、誰か推薦してくれる人はいないか、と思っていたところ、眼の前に知り合いらしき後姿がある。映画は詳しい人。ただ、ロバート・レッドフォードが好きと言うくらいだから、私の好みとは全く違うと思われる。そういう人の方が分野の違うものを選んでくれると期待したら案の定、ひっかかりを感じたことがないのを「面白かった」と教えてくれた。『普通じゃない』というアメリカ映画。ラブコメディの欄に置いてあった。

本は数行でやめて先送りしようが、続けて読もうがどこで読もうが自分の側に選択権があるが、機械を使うものは逆で、これが今ひとつ好きになれない理由になっている。本を読み始めるのに覚悟はいらないが、DVDを見始める時は、周辺を整えたりの準備をしないと、という気持ちにさせられる。慣れの問題だとしたら、この逆の人も多いのだろう。と、このような不可視なハードルを超えてみた。最初から拳銃が登場する。これは苦手だ、不快だ。暴力映画(嫌いだけど)とか戦争物なら覚悟しているが、ラブコメディでは心の準備がない。イギリス映画だったらこんなに銃は使われないのではないかと思ったりする。拳銃が、まるで子供のオモチャみたいに当たり前の社会には住みたくない。と、ずっとそればかり考えていて、楽しめないままに終わった。マイケル・ムーアの『ボーリング・フォー・コロンバイン』の指摘を思い出した。監督がイギリス人ということだが、まさか、アメリカで受けるための銃の多用じゃないだろうな。飛び道具を使ってしまうと、間がすっぽ抜けて奥行きがなくなるような気がする。
by kienlen | 2006-06-15 13:54 | 映画類 | Comments(0)
『ナイロビの蜂』という映画を観た。それもわざわざ80km以上も離れた村のシネコンまで行って。公共交通機関がないので車しかない。遠方すぎる、でも観たい、で迷っていたのだが、ちょっとした仕事が予定外に早く片付きそうだった上、そちら方面に勤務する友人が「高速代を払うから乗せていって」と言うので、その話に乗ることにして急遽行く。高速を使うと楽だが、高すぎて映画1本のためにえらい出費になってしまうから助かった。ジョン・ル・カレの原作ということなので静謐な雰囲気を想像した。キャッチフレーズは「地の果てで、やっと君にかえる」。情報がこれだけだったら絶対行かない自信があるが、どこかでストーリーを知って興味をもっていたものだ。ケニアに赴任したイギリスの外交官の妻が殺されるところから物語は始まる。死後に妻の謎を夫が追ううちに、さまざまな事が暴露されるというしくみ。製薬会社と政治の癒着だけでなく支援組織もその一端であったり、アフリカが人体実験の場所として使われていることとか。

宣伝文句では恋愛物を前面に出しているし、いきなりベッドシーンがでてくるなど、なんだかとってつけたような場面に違和感を覚えたが、でも、全体的には、遠方まででかけて損したとは思わなかった。当たり前といえばそうだが、結果的に可視化される事象の背景が、誰か特定のものの意図の元に予定通りに起こっているわけではないということを、感じさせてくれる映画だった。原因があって結果があるというのは、例えば犯罪の立証の基本で、報道でも必ず「動機を追及中」となるのもその流れだと思うが、これは疑う必要がある。そんなに単純に動いているわけではないのだから。カポーティーの『冷血』では、結果的に殺人事件になる過程を、単なる因果関係では理解できないことを描いていたが、今日の映画もそれを思い出した。細部ではあるが、そういうセリフがあった。アフリカの現実を私は知らなさすぎるので、ここに描かれているケニアがどういうものか判断できない。ただ『ロード・オブ・ウオー』で描かれていたのと似ていたから、とても悲しいがリアルなのだろう。やるせない。これを知ってどうなるのかと思うが、知らないよりは世界の見方が多面的になるとは思った。
by kienlen | 2006-05-26 23:57 | 映画類 | Comments(0)
結局3夜連続でDVDを1本ずつ観た。こういう日常が当たり前の人もいるのだろうが、自分にとっては珍しいこと。昨夜は『シービスケット』。何に感動するかは多分に、その時の心境が影響するが、これはとても感動した。映画好きの知人が以前からよく名前を挙げていて知ったものだが、信頼できる人からの口コミ情報は何よりだと再確認。舞台は1929年の世界大恐慌前後のアメリカ。アメリカンドリームを謳歌した人も、突如没落の憂き目にあう。息子を亡くす父親、息子を捨てざるを得ない親。人生は一転する。そんな人々が、やはり見捨てられそうになった競走馬の元に偶然出会う。その馬の名前がタイトルにもなっているシービスケット。競馬のシーンも美しくて見応えがある。1度の失敗に諦めないでがんばる、というような趣旨の宣伝文句より、私は、中心的登場人物がいずれも自分の選択眼、価値観で、困難な状況における判断を下していくということに励まされた気がした。

優しい映画だったという点では一昨日の『ノッティングヒルの恋人』も同様。前に映画館で、告知記事からは興味を持てなかった『ブリジット・ジョーンズの日記』が、観てみたら意外に面白かったので、嬉しくなって知人に話したらこっちも勧められていたもの。宣伝文句や解説からの印象はイマイチだったのだが、観てよかった。映画を観ていて、自分が何を好ましいと感じるのかを考えてみると、この2本の作品にも共通することだが、少なくとも人間がテーマになっているものでは、人間関係が、支配したい人とされたい人、従属させたい人としたがる人のような、共依存的な関係にないこと。『ブリジット…』もこの見地からは同類。各人がそれぞれの状況の中で最大限に自由に振舞っているのが心地よく、それを前提に人間関係が築かれていく。映画になるのだから現実もそうだと思って元気になるのだが、現実がそうじゃないから映画に描かれるのかと思うと怖くなる。そんな極端なものではなくてどっちもありだろうが、たまにはこういうさわやかな映画で気分転換するのもいい。
by kienlen | 2006-05-12 21:25 | 映画類 | Comments(2)
深夜に『12人の怒れる男』をDVDで観た。火曜日が某レンタルショップの半額デーなので、久々に行って物色していたものの、観たいと思うものがない。こんなものを10本も並べるならその分種類を増やして欲しいものだ、と思いながら、そう思う自分を変革して、ドドドと並んでいる大作に興味を持てれば問題ないのだが、と思ったりもする。そうなろうと努めたこともあって試しに『Mr&Mrsスミス』を観に行ってみたが、2度とこのようなものにお金を払いたくないと感じた。友達からは「いくらなんでもあれは」とか「恋人と行くものだ」とか言われたが、もし恋人と行ったらあの時間を別のことに使いたいと思うだろう。でもこれのパネルやポスターが店内で一番目についた。せっかく来たんだから『ノッティングヒルの恋人』『シービスケット』を借りることにして、でもなんとなく落ち着かずにブラブラしていたら下の方の棚に『12人…』を見つけた。

1957年のアメリカ映画をなぜ観たかったかというと、ずっと前に、若い友人がおススメだと貸してくれた三谷幸喜の『12人の優しい日本人』の印象が強烈で、下敷きになっているこちらを知らないわけにはいかないと思い続けていたから。恥ずかしながら私は、男が怒るというタイトルから西部劇かと思い込んでいたのだった。12人の陪審員が密室でスラムの少年が容疑者になっている殺人事件の評決に向けて議論するというお話。1人を除いては迷いなく有罪を主張していた人々が、じょじょに疑問を感じていく様子がリアルに描かれているし、そもそも人を裁くとはどういうことかを終始問いかけている。三谷幸喜の日本版は傑作だったが、設定がここまで同じだということには驚いた。日本では独自の裁判員制度のスタートに向けて裁判所がお土産付きの広報に励んでいて、説明会に何度か参加した私の手元にもどう使うのかよく分からない記念品が複数あるが、血税の一部だと思うとありがたくて捨てられない。それより、アメリカ版と日本版の2本を基礎知識として観る方が価値があると思う。
by kienlen | 2006-05-10 10:16 | 映画類 | Comments(0)
『ザ・コーポレーション』という映画を見た。昨日、電車で1時間半近くかかるM市で上映会があったのだ。これも友人がチケットを扱っていたので前売り券を買っておいたもの。電車賃より安い1000円はありがたい。ドキュメンタリーで企業ものでマイケル・ムーアもチョムスキーも登場、ということで高めの期待設定。良かったのは、営利法人の歴史をコンパクトに説明していて分かりやすかったこと。特に、法人への特権付与を求めるに当たって、当初から国に働きかけてきたのが弁護士という点。どれも好き、というわけではないアメリカ映画の中で、私が面白いと思うのは企業が絡むものなのだが、そこでいつも決定的に重要な役割を果たす弁護士の存在が少し理解できた気がした。ナチスのユダヤ人管理にIBMのパンチ式コンピューターが多大な貢献をしていたなど、ナチ体制を支えるのにもアメリカの営利法人が暗躍していたことを知らなかったので、これは刺激的だった。それからファンタオレンジが、コカコーラに代わるものとしてドイツで販売されるために製造されたことも…。

広告戦略や、アメリカ政府の他国への介入はこれまでも知る機会があったので前半はおさらい的な部分もあり、後半の方が楽しめた。乳牛への有害なホルモン注射を告発した番組製作者が圧力を受けるくだりは、内部告発者とジャーナリストの葛藤を描いた『インサイダー』によく似ていて、寒々しい気持ちになった。でも、圧力も強いだけに反発力も強いのは、アメリカならではなのだろうか。アメリカを実体験したことがないのだが、ここらへんは日本との差異を感じる。昨日は、ちょうど大澤真幸がアメリカ滞在中に書いたエッセイを中心にした『帝国的ナショナリズム』を読み終えたのと、夫と娘が、アメリカの1つの象徴であり、この映画の中でも当然取り上げられていたディズニーランドに初めて遊びに行った日でもあり、不思議な符合を感じた。これについてはまた書いてみたい。
by kienlen | 2006-04-16 23:16 | 映画類 | Comments(0)

空中庭園のこと

映画に詳しいわけではないので、深読みもメタファー解読も抜きして単なる感想で『空中庭園』を取り上げたい。これ、自主上映で友人がチケットを売ってなかったら-つまり扱っているテーマ的には惹かれないということ-多分行かなかっただろうから、劇場公開できなかったことで行くことになったというパラドックス。ただ、人生ご縁とご運と思っている自分としては、こういう機会に恵まれたことを在り難く思っている。映画の魅力のひとつは、何も起こっていない、言葉も発していない、それなのに最初のシーンからいきなり涙が出る、ドキドキすることがあるという点。本だと、ここまでストレートな感動を最初のフレーズで味わうことは、私の感受性では無理だ。で、空中庭園、最初はちょっと期待感を覚えた。タイトルと、あまりにイカニモな郊外型マンションがゆれるシーンがそのまんま。ここまで最初にやっちゃって、どこでどういうどんでん返しをしてくれるんだろう、という意味での期待感。でも、その後の展開は、ただただマンションの中に集約されるばかりで、ひたすら内面に向かうのみ。内面を描くのであれば、大変な力量がいると思うのだが、描き方は半端だった。詩人か幻想小説家になりたかったのになれずに、受注ライターとか社会性のあまりないジャーナリストになったとか、画家になりたかったのに商業デザイナーになった、みたいな感じ。

つまり、リアリティの軸がどこにあるのか分からないフラストレーションがあった。ストーリーは家族社会学のテキストにちょっと塩コショウしただけみたい。でも社会学のテキストだったら社会との関連で考えさせるようになっているのに、母子関係とイジメという心理面以外の状況説明皆無で、リアリティなし。では、こじんまりとまとめるかと思うと(バッシングみたいに)表現方法は大仰。そのアンバランスを笑いに転換するかというとしてない。もう何が言いたいのよ!と怒りたくなり、でも、イメージを膨らませる努力はしました。自分が20歳若かったら、家族持ちでなかったら、心理学を専攻していたら…。どれも徒労。翌朝の友人からの電話。「あの程度で人を殺す幻想を抱くなら、私なんかとっくに大勢殺しているわよ!」。穏健、事なかれと平和を願い、攻撃性に恵まれなかった性格の私でさえ、「そうだよねえー」と返事をしていた。
by kienlen | 2006-04-12 01:21 | 映画類 | Comments(0)

バッシング

クリーニングに出そうと思ってまとめてあった冬用ジャケットの1枚を着込んで『バッシング』という映画を観に行った。1週間後に閉館となる映画館の閉館記念上映ということで、知人がチケットを売っていたので応援気分で購入したもの。イラクの人質事件の後のバッシングにヒントを得たものと聞いていたが、それ自体に興味があったわけではない。2チャンネルもテレビも観ないのでバッシングの内容を直接知っているわけではないし、私には、直接自分に危害を加える人以外の人に向かって直接言動をとるということが理解できない。自分にとって不快な状況があったら、必要上受け入れるなり我慢するか(しない結果が今なのだが)、あるいはしないでそこから引くか、というだけであって、攻撃的にはなれないタチである。ただ、攻撃的な人にとっては、こういう態度そのものが卑怯であるとして断罪するのだということを身をもって知らされたことはあるが、それもそれで自由だ。

だから特に期待はしていなかったけど、最後まで飽きなかった。最近劇場で観た邦画は『県庁の星』と『空中庭園』。県庁は面白かったが、空中庭園は何ひとつも楽しめなかった。で、バッシングも結構内向きという点では空中庭園を思い浮かべていたが、不快感はなかった。タイ人と結婚すると言ったときに親から「それだけはやめてくれ」と言われたり「世間並みに」と言われても、見えないものへの想像力が人によってことごとく違うんだなあ、という寂しさ意外に感じられなかったことなどを思い出し、感情移入も可能だった。上映後の監督のトークには同時代性みたいなものも感じた。ビールを飲むシーンがあったり、監督トークも酔いどれ気味で帰路にビールとつまみを調達。飲んだ後に書いている。
by kienlen | 2006-04-08 21:21 | 映画類 | Comments(2)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


by kienlen
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