カテゴリ:その他雑感( 654 )

毎年安定しないので変化はあるが、今年もそうだった。仕事を失い、見通しもないままどうしようと思っていたら、なんとなくかろうじて生き延びている。来年はまたどうなるか全然分らない。でも、来年は今までのようにはいかない気がするし、自分自身ももうちょっとまとまったことをすることを考えたいと思っている。今年の一番大きな出来事といえばタイに行ったことだろうか。物的な大きさではなくて、自分に与えたインパクトの大きさという意味だ。もちろんタイでカルチャーショックなんて段階ではなくて、封印していたものが顔を出し始めた、というような感覚だ。自分の場合、タイが好きだから暮らしていたというわけではなくて、いろいろな要因がそうさせた、ということであり、だから「タイが好き」と言う人たちの思いとは違うように感じていたし、旅行で行ったことがないので旅行者の感覚というのも分らなかった。それで、自分としては、たまたまご縁が重なってタイだったんで、たまたまタイ人と一緒にいてこうなって…、とたまたま論で片付けていたのだが、今回タイに行ってみて、それだけじゃないのではないか、と思ってしまったわけである。

料理が好きだからとか、周縁の言い訳で自分を納得させようとしていたのかもしれない。こういう事を認めるのはみっともない気がして嫌なのだが、多分そんな気がする。今年、自分と同年代の知人が中国に語学留学することにした時、彼女に向かって「自分探し?」と尋ねた友人がいて、そんなんじゃないでしょ、そんなの片付いてきている人じゃない、と笑ってしまったのだが、彼女のことはともかく、自分もまだその過程なのかもしれないと思ったりもする。どういう語彙を充てるかは別問題として、自分なりの区切りをつけてみたい気持ちだ。どんな形かは考えないといけない。今年は息子は多分高校生になる。これはかなり一段落だ。ここんとこ、経済面ではずっと私が責任を負ってきたから夫にもなんとかしていただきたい。掃除を明日に持ち越して、その事を店で夫に伝えようと思う。
by kienlen | 2006-12-31 16:56 | その他雑感 | Comments(2)

大掃除の真っ最中

朝、雪が積もっていたのを新聞取るためにドアを開けた時に見たが、その後は閉じこもって掃除を始めた。日常的な掃除が苦手なので毎年、年末年始は掃除にあけくれることになる。今年は大工仕事がないだけまだマシ。昨年は電気ドリルを駆使して棚を作っていて腕が痛くなった。それに家具の購入も終わっているから、出かける必要がない。日常的な掃除がなぜ嫌いかというと、同じところに同じものを戻すのがつまらないからだ。それで大掃除はいろいろなモノを動かす。それで、自分が何を所有しているか分る。モノを持ちたくないと思っているのに増える。よく訪れる人に「モノが多い」と言われるが、それが何でか分らない。飾り物は興味ないし、使わないモノをとっておく習慣もないし、不要になると捨てることをためらうタチでもない。それなのにいろいろあるように見える大きな原因は、収納場所が全然ないからだろうと思う。収納するようなモノは要らないと思っているので作らなかった。だから全部外に出ている。こういう家を日常的な片付けが苦手な人が作るべきではないのだろう、きっと。

それにしても、本は処分してもいいかもしれないし、洋服やバッグは多すぎるかもしれない。突然死んだら処分する人が面倒だろうし。でも、もしかしたらあと数十年生きるかもしれない、と思うとどれも使う可能性に満ちている。この不確実性をどうマネージメントするかが生きるということなんだろうな、とメチャクチャになった部屋で途方にくれている。夫が夕方一時帰宅して「今日は店に来ないのか」と聞いていた。娘が里帰りしているのでリラックスできる。昨夜も店で飲んでいた。誘惑にまけて今夜も行くか、我慢して続けるかで明日の気分に天と地のような差がつくことは予想できるが、決めかねている。
by kienlen | 2006-12-29 19:00 | その他雑感 | Comments(2)
午前中日本語指導。本職でないだけに辛いものがあり、それに思ったより期間が長くなっている。お昼は外国人支援のボランティアを長年やっている友人と一緒。「この先の展望ない、もう歳だし」と言うと「大丈夫、10年後がこのアタシだって思ってよ。まだ青春時代と同じよお」と言う。確かに元気だけど、それって夫の収入で生活できる安定があってという要素にも大きく支えられてのものと思うと、簡単に自分を投影するわけにもいかない。しかし暗く考えていてもしょうがないから、健康でいればまだ働けそうだ、くらいに思っておく。それから図書館へ行った。図書館はこのところあまり利用していない。読む本は買ってしまうし、調べ物もそんなにないから。でも今日はちょっと調べる必要があったから寄った。

借りるまでもないので必要な箇所だけワードに打ち込んでしまいたかった。数年前、資料からデータを入力するためにパソコン使用を希望したら、上の階の会議室みたいな場所に案内されて面倒だった。室外に持ち出すことになるので、たくさんの資料名を記入しないとならないし、それで、まだあんなならヤダと思って聞いたら、さすがに奥の方の「研究室」という個室を利用できるところまでは進歩していた。室内なので本の出し入れも自由だ。しかしそれでも個室の使用許可でいちいち申し込み書に記入しないとならないという点では自由度低い。パソコンの音がうるさいからと公共スペースでは使用できないのだが、ここらへんはどうなんだろう。たまにキーボードを大音響たててたたく人はいるけど、通常の使用だったらそこまでうるさいのかどうか。ひっそりやる程度は許可してくれるようにならないものだろうか。まあ、どこまでがひっそりで、どこからがうるさいのかの基準が難しいから不許可にした方が楽なのは分るけど。しかしそれでも全体的にはサービスが向上しているようには見える。係の人に聞こうか聞くまいか迷っていたら先方から声かけてきたし、こういう当たり前のことだって、公共施設にこれまでは期待しにくかったように思う。指定管理者制度導入とか、両刃の剣という面はあるが、利用者からしてサービス向上が感じられるのは嬉しいことではある。
by kienlen | 2006-12-26 23:55 | その他雑感 | Comments(0)

日常への着地準備完了か

今日は夜の店番以外は在宅可能な日。これを逃したらちょっと大変になるので小さいのをひとつ仕上げて、大きいのに取りかかった。こうしてゆっくり日常に着地しないと空中分裂じゃないか、という意識はさすがにこの歳になるとあるのは、実は残念なことでもある。今の心境って、老いて訪れた恋を我慢するか突っ走るかの岐路にいる気持ちだ。もっとも対象がないだけに走る先もないし、せいぜい路頭に迷うだけのことなんだけど。ボツボツと電話も入るので、すべてスケジュールに入れる。そうしてけっこう埋まっていく。明日は友人の父親のお葬式がある。タイのと比べるにはいい機会でもある。以前からずっと思ってはいるが、死ぬ時はタイがいい。今回、行きの飛行機がものすごく長時間にわたって揺れた時は、こんな大きな物体がこういう事で落ちるはずないと思いつつも、これで死ぬんならタイ式に葬って欲しいと思ったけど、遺書にしてないとどうしようもないから一段落したらそのへんの対策を考えておこう。

タイの新聞をネットで拾ってさっそくプリントアウトして1日1記事と思ったが、初日からいきなり分からない言葉だらけだ。ラジオを聴いている分には問題はかなり少ないのだが、文字に弱いのは覚え方の順番が話すから入ったからである。英語の場合は書いてある方が分かりやすいのと対照的。昨夜は夫に電話して日本暮らしの様子を尋ねて、いつにないことなので不思議がられた。「混乱しているんだよね」と言うと「タイが良かったんでしょ」と当てられた。子供が成人したら、つまり10年したらタイで暮らせばいいじゃないか、ってことになる。しかしその時の自分の歳を考えると生産年齢から遠ざかる道まっしぐらの最中のはずだ。とりえず3月に初めての家族旅行をしようかという案は浮上しているのだが、息子は「タイのことはおよそ分かるから別の国に行きたい」と言う。この自惚れがこの子の問題である。分かるわけないだろ。娘はフルーツ、特にマンゴー目的のみでタイを希望。しかしそうそう簡単に実現できるとは思えないけど。
by kienlen | 2006-12-19 14:20 | その他雑感 | Comments(0)
こういう精神状態になったことは前にもある。タイから戻ってから半年ほど後だと思うが、用事でタイへ行って再度帰国した時と同じ症状だ。自分の足場がどこにもない。目の前にここの景色、木もビルも見えるという意識はあるのだが、それは目がそう勝手に認識しているだけであって、自分がここにいるという実感には欠ける。ちょうどそんな時に雑誌の特集で「異文化間カウンセリング」というのを見つけて迷わずに買った。それが何かの効果をもたらしたわけじゃないが、カウンセリングを受けたら楽になるだろうか、とぼんやり思った。タイにいる時に、子供がバイリンガルになったらいいなあと思って、幼稚園や学校の事で模索していた時に、両親が日本人でタイ生まれでインターナショナルスクール(英語)に通っていた友人-つまり私にとっては羨ましい境遇で多言語を自在に繰る-が、私のそういう希望に否定的な態度だった。アイデンティティが失われる、というような意味だったと思う。彼はその後、交通事故であっけなく死んだ。

私がタイに行ったのは、成人年齢を大きく越した後で、日本人としてのアイデンティティが確立されていたからその喪失に見舞われるとは思っていなかった。ここでの日本人という表現に特に深い意味はなくて、つまりは自明のアイデンティティを無意識のうちに身につけていた、と自分なりに思っていたということである。タイにいる間も特にそれで悩んだことはない。しかし意外な誤算を日本に戻ってから味わうことになるとは…。しかも当時より格段に歳を重ねている。老後の心配をして、それなりに準備をしているべき年齢なのだ、これから何をするかよりは、これまで何をしてきたかに意義を見出すべき年齢なはずなのに、情けない…。覚悟とか開き直りが足りない。親がこれじゃあ、子供も悩むかも。時間が解決してくれることを願って休息を続けよう。何もかも泡沫ってことで。こんな事を書くつもりじゃなくて、タイの写真をアップするつもりだったのに、重たすぎて拒否されて、軽くする方法が分からず、こんなことになった。それにしてもマズイ。
by kienlen | 2006-12-18 00:00 | その他雑感 | Comments(0)
いつになくリラックス気分の中で、憂鬱な事がひとつあった。税務署の書類である。定型文書への記入がここまで嫌いだと相当にソンしていると思うが、なぜそこまで嫌いかというと、細かい注意書きを読むのが面倒だし、意味がよく分からないからだし、あと、とにかく面白みがない。それで、ずっと前から漠然と考えていた会計士への依頼をまた思う。しかしこの分野こそ、知り合いがいない。自分には縁のない世界のように思う。それで昨日、事業をしている友人に電話して紹介してもらった事務所をさっそく尋ねて、この際だから依頼してしまう。それで肩の荷が下りた。このストレスを思うとお金に代えられないと思ってしまう。しかし夫はそう満足そうではない。何しろお金がかかるから。そもそもこの書類は彼の関係分であり、それも私の負担感に一役買っているから、彼が日本語の書類に記入できる日本語力があればこういう問題は起きないのだが、ここまでの日本語を理解するのも相当な困難であることは分かるから責めるつもりはない。いっそ、すべての書類にタイ語とは言わないから英語を用意して欲しいと思ってしまうのは、こんな時だ。

自分が覚悟して暮らしている国の言葉は覚えるべきだと思うが、そうはいってもそう簡単にはいかない。日常会話は大方分かるということと、このような文書の意味が分かることは全然違うことだ。実は私も記入していて「あなた」が誰を指すのか間違えて書いてしまった。もう、うんざり。「あなたが○○がなく、かつ、○○にも○○にも該当しない場合には、以下に記入する必要はありません」かあ。日本語は最後まで聞かないと分からないというのは、この事だ。法律に従ってのものだから、細部まで断り書きが必要になる。寡婦とか寡夫も分かりにくい言葉だし「特別の寡婦」って何だろう。それに、いつも思うのだが、こういう文書の文面はもっと楽しくできないものだろうか。すみずみまで読みたくなるような書き方だったらここまで億劫にはならないと思う。正確で、かつ分かりやすい文面のコンペでもやって、もうちょっと改善してもらいたい。でもそれで氾濫しているのがマンガ使用というのも解せない。あれはあれで私には分かりにくい。というわけで、会計士に依頼はしたものの、当方での記入欄をミスしてしまってイライラしている。今日はこれから上京だ。その前に仕上げようと思った文書はもちこしだ。ああ、イライラ。
by kienlen | 2006-11-28 06:16 | その他雑感 | Comments(3)
f0104169_9392555.jpgモヤモヤとくすぶっている仕事が休みだと、こんなにすっきりするものかと思うくらい昨日はリラックスできた。それで4時くらいからビールが飲みたくなって、徒歩圏内でその時間にあいているといえば回転すしくらいなので、子供たちを誘ったが行きたがらない。付き合ってくれそうな友だちに電話したら県外にいた。1人で行く気分でもないしと思っていたら、ちょうど父親が野菜を届けに来たので、誘う。彼は暇なので断るわけがない。その後、作りかけだったバッグを完成させることにする。今の季節はとにかく編み物がしたくなるのだが、大作に取り組む精神的余裕がないので、遊びがてらに簡単なバッグにした。高い糸だとそれなりに好みがあるが「編みたい」優先のため安いヘンプで固く編んで、カーテンなどを作った後の残り布を中袋にした。取っ手用のテープ等がなくてどうしようかと思っていたら娘に「編めば」と言われ、それを思いつかなかった自分の柔軟性喪失を思う。

娘は私に似たのか、静かに手作業しているのを好み、今は簡単な編み方でマフラーを作っている。2人で編み物していたら、息子もやってみたいと言い出したので、自分が中断して毛糸と編み針を渡した。娘はすぐに覚えたのに、唖然とするくらい不器用だ。小さい時からの様子を見ていると、彼も手先の器用さではかなりだと思っていたのに…。何か取り得がないと困るだろう、とつい説教したくなるが、自分の気分が良かったので黙っていた。人の事が気になるのは、自分がすっきりしていない時なのである、と思う。結局息子は鎖編み以上には進まず、何メートルも鎖を編んで満足していた。向上心のないヤツである、と内心で思う。バッグに関しては取っ手をミシンで縫いつけようとして針を折ってしまった。比較的頑丈なのを買ったつもりだが、ここまでは家庭用では無理。工業用が欲しい、とかロックミシンが欲しいとか思うが我慢だ。モノを作り始めるとモノが増えてしょうがない。そうそう、日本を片付けてタイに行く時だって、大量にあった布や糸の処分が結構大変だったんだ。
by kienlen | 2006-11-27 10:07 | その他雑感 | Comments(2)
私たちの生活というのは毎日毎日、決断の連続であり、それが人生なのだろうが、人は一体何をその決断の基準にしているのだろう。特にここのところの一連の葬儀前後の人間模様を見ていて改めて思った。私自身は陰影にも奥行きにも乏しい単純な人間なので、決定基準もシンプルである。まずは自分がどうしたいか。次に状況的にそれが許されるか。次にその事で誰かに多大なる迷惑をかけるか。ただ何を迷惑と感じるかは他人には分からないので、なるべく自分では判断しないで尋ねてみる。ここまでOKだったら、方法を模索するだけだ。で、無理そうならやめるか時期を待つか、そのうち忘れるか。これら以外が決定要素となることは、多分あまりない、と思う。私にとっては親というのは、私の決断を相当にじゃまする存在であった。若い頃は悩んだり恨んだりしたが、さすがにそういうみっともないことはやめて「世間が…」とか「人並みに…」とか言われたら「世間って何、人並みって何、自分の考えは一人称で話すように、それから私の行為が具体的にあなたを困らせるなら教えて欲しい」と言うことにした。そしたら、相手は言葉を失う、そして諦める。

でも、私の親はもしや諦めが早いのかもしれない、と思う場面は多々ある。例えば今回、タイの両親が異国で死んだ息子の遺骨の一部を欲しいと伝えた時の、日本人妻の父親の反応は「結婚したいから条件があると言った。それは帰化すること。帰化するということは骨を埋めるということ…」等々、延々と話し出した。お墓は用意してあるとかナントカ。つまり何が言いたいのか不明。お骨を届けるのが嫌なら、理由を説明してそう言えばいいと思うし、とにかく彼が何に問題を感じているのかを明確にしていただかないと、当方何も理解できない、ということは前に進めない。ウウウと心的便秘状態になっていたら最後に「だから自分では決められない」と締めくくられた。じゃあ、誰が決めるのかについてのヒントはなし。だったら、ここまで長々話した目的は何だったのだろう、という感じ。でももしかしてこれが「世間様」を尊敬して生きている人の常識的反応なのかもしれない。この場面ではこう言うべき、ふるまうべき、という「べき基準」みたいなものがあって、それと自分の気持ちを常にすり合わせている、ということを相手も察して欲しいメッセージを送っているのだ。で、相手が察して同じルールでパフォーマンスしてくれればいいが、そうとも限らないってことを誰が引き受けるのか。自分の浅はかさを感じつつ、こうなったらどこまでも浅はかでいくしか道はないと思ったりする。
by kienlen | 2006-11-20 22:08 | その他雑感 | Comments(0)

通信講座修了なるか

暇になって気分がすっきりしている。何でかな、と思ったら、通信教育の課題を先週、全部提出し終えたからだ。1年以上ひっかかっていたのが終わったのだから嬉しい。特に、履修期限を延長した後のここ3か月近くは、あき時間さえあれば通信に費やしていたから、これがなくなると余裕が生まれるのは当然。最後に提出したのは、テキストを紛失して取りかかるのが遅れていた課題ひとつと、不合格の再提出分ひとつと、記述式の2。この中で最も不安なのは再提出の分だが、出してしまったからには結果を待って受け入れるしかない。

今日は記述式の1が戻った。段階ごとに同じ文言が印刷されているだけのマークシートと違って、人間の手で採点されたことが分かる文面だ。封筒の宛名も手書きだし。20点満点の18点。「ほぼ完璧な答案」という評価。易しい問題とはいえ嬉しいものだな。子供ももっと褒めるべきかと思った。とにかくこれでやっと本が読める。あとは、難易度が高くて取りかかるのがのびのびになっているのが1件あるから、それもボツボツ始めることにしよう。今から読み始める本は『仏教vs倫理』というもの。なんとなく買ってあったもの。
by kienlen | 2006-10-30 22:18 | その他雑感 | Comments(0)
雨が降っている。垣根のサザンカが蕾をつけている。垣根は食べられるもので作りたかったから、ブルーベリーとか木いちごを庭屋さんに提案したのだが、隣との垣根であるから、一応秩序が必要。それで、専門家のアドバイスに従ってサザンカにした。ヒイラギより安いし、病気になりにくい、とか。何よりいいのは、まだ寒い2月か3月のモノクロームの時期に花をつけるということ。それで決断した。初年。秋から蕾をつけている姿を見て、騙されたと思った。3月に咲くはずない。これじゃあ、冬になる前に咲いてしまうじゃないか。でも違っていた。

小さな蕾のままで冬を越えて、まだ寒いうちにムックリと膨らんでくる。それで本当に春が来る前に花になった。白とピンク。同様に蕾をつけた昨年も楽しみにしていた。でも、蕾のままで開花を見ることができなかった。厳しい冬ではあっても、たいていは降っては溶け、を繰り返す。だから雪の重みでうなだれ状態が続いた植物も、晴れ間には息をつぐ。でも昨年は、ずっと雪の重みでうなだれたままだった。それでも、蕾がついたんだから咲くことを疑わなかった。結局、蕾はそのまま茶色くなっていった。それを知って、蕾を落としてやった。幸い木自体が枯れたわけではない。それにも感動。今年の冬はどうなるのだろう。蕾は黙ったまま教えてくれない。
by kienlen | 2006-10-24 01:11 | その他雑感 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


by kienlen
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