カテゴリ:その他雑感( 619 )

車で1時間少々の場所でちょっとした仕事。いつものごとく短時間でおしまい。絶好のドライブ日和だったのと、午前で用事が終わって時間的に好都合だったので近くの温泉に行くことにした。人が集まる場所が苦手なので温泉は昔は嫌いだったが、誰もいない山の中の露天風呂を経験してから好みが変わってしまった。月曜日のちょうどお昼時ならすいているだろうと期待して少し山手に入る。以前に1回来たことのある、見晴らしがいい中規模の温泉施設で入湯料金500円は、まあ良心的に感じる。期待通り、客は数人に満たない。浴槽が数箇所あるのだから、大浴場も露天も独占で気分がいいのだが、かといって温泉に浸って長時間リラックスできるというタチでもない。自宅の風呂でも読書を兼ねているから長くなるだけで、それなしで長風呂はできない。温泉で読書というのも…でも、次は挑戦してみよう。

農業の盛んな地区で、有名人の農場やレストラン、ワイナリーも近くにあるような豊穣の地。敷地内にはレストランと、地場の農産物を販売する売店がある。そのレストランで食事して、なんとなく売店にも寄ってみた。アスパラ1束80円、青菜類も同じ。玉ねぎ4個100円。その他いろいろ。父親の趣味の農業で野菜はほぼ自給できるとはいえ、こういう所に来ると購入したくなる。アスパラと玉ねぎと人参の会計をしている時に、ふと気が付くと、横にダチョウの卵があった。初めて見た。鶏卵と一緒に並んでいるのだが、長さが15センチくらいあるから、1個だけなのに、やたらに目立つ。で、値段は3000円。その他の販売物に比べたら破格である。レジの人に「どうやって食べるんですか」と聞いたら「どうやって食べるんでしょう。目玉焼きってわけにもいかないよね」と言う。こんなの、いくらオメメぱっちりの人の目玉を想定したところでほど遠いサイズだ。「これ、買う人いるんですか」と聞いたら「前に1人いましたよ。でも、どうやって料理したか知らないね」と言う。生鮮食品を扱っているのだから調理方法も教えて欲しいものだが、こういう場所だったらそれも許せるなというロケーション。ちょっと凝った料理屋でダチョウの肉を勧められて食べたら美味しかったので、この辺で売り出しているのかと思って尋ねたみたが「ダチョウはいるけど肉を売っているかどうか知らないねえ」だった。産み手がいるから卵があるんだろうけど、商売っ気がないというか。
by kienlen | 2006-05-22 23:16 | その他雑感 | Comments(0)

本屋に感じる郷愁

某国家機関に仕事で行ったら思いがけず贈り物をもらった。包装紙に包んだ薄い長方形のもの。こういう形状でまず浮かぶのはビール券だが、まさか、この機関でこの方から。無難に商品券だろうか。この間など、仕事のギャラを「金がないから商品券でいいか」と言う個人事業者がいて、小額だし「対価であれば何でもいい」ともらったことがあるが、でも一番嬉しいのは図書券だな、と思って、人がいない部屋に移された時に早速開けてみたら図書カードだった。カード状を見ると500円がまず浮かぶのだが、丸の数が多いので、1000円カードかと喜んだら、さらにもう一桁上。自分の貧しい金銭感覚に気付く。確認してから大切にしまう時、封筒に押された書店のゴム印が目についた。

それはつい最近閉店した老舗書店で、立地ときたら駅前の一等地。しかも、昔、私はここで書店員として働いていたのだ。好きなものが並んでいる場所で働くのは問題があると悟った職場でもある。ツケで社員割引で購入できるので給料日の天引きが異常に多くなる。店員としての役割より、読者に専念したくなってストレスがたまる。自分がいいと思う本があると読んで欲しくなって追加注文して平積みなどすると、通りかかった社長が「本屋の利益は少ないんだから1冊売れ残れば儲けなしだぞ」と怒っていく。実際、人文書がそんなに売れるはずないのだ。それでもまだ余裕のある時代だったのだろう、今から思うと。友達との待ち合わせも、書店だったら長時間待たされてもすっぽかされても平気なのでよく利用した。そうして利用していた店で現存しているのは僅か。その上この規模の店まで…。インターネットで便利に注文できるとはいえ、本屋をブラブラしているだけで、生きて読むべき本があると思って元気がでる。時代遅れの人間なのだ。
by kienlen | 2006-05-19 20:30 | その他雑感 | Comments(1)
家を新築して3年になる。建物は小さくていいから、ちょっと食べ物を植えるスペースが欲しいとずっと思っていたので、知り合いの業者に庭を頼む時に考慮してくれるようリクエストした。それで、枕木で囲ったミニュチュアのような畑がある。菜っ葉の種を撒くと出てくるので、虫に食べられて葉脈だけになる前に急いで摘んで食べる。サザンカの垣根の根元に植えたニラは毎年増えて、春から夏はギョウザを作る日が多くなる。実家の父が定年後の楽しみを兼ねて農業をしているため、野菜は8割位自給なのだが、庭先に何かあるとさらに食卓が新鮮になる。今日は娘の一番の好物のピーマンと、試しにオクラを植えてみた。穏やかな好天の中、草取りをしながらよく見てみたら、ミョウガもウドも顔を出している。イチゴもたくさん花をつけている。生き延びられるか心配だったユキノシタも日陰で勢力をのばしている。葉っぱをテンプラにすることにする。夫が撒いておいたパクチーもかなり成長したし、いつのまにかレモングラスも植えてあった。いずれもタイ料理には欠かせないものだ。

雑草はウサギのエサになる。食べても害のなさそうなものをいろいろ与えると、好きな葉っぱだけ選んで食べている。前にモンゴルの遊牧の話を聞いた時に「草原で好きな草を自分で選んで食べるのでストレスのない牛は美味しい」ということだったが、それを思うと、牛舎で飼われて人間の都合によるとんでもない飼料を与えられる残酷さが際立つ。以前、ソ連が崩壊した後のキューバの、カストロ首相主導による生き残り策を、直接現地で調査した人の話を聞いたことがあるが、印象的だったのは、都市の空き地にことごとく作物を植えるという方法。都市生活者は重たい農作業に耐える身体ではないので、腰に負担のかからない工夫もしていた。この町では道路の拡張工事も続いている。アスファルトの下で土が窒息死したらヒトもウサギも生きていけない。
by kienlen | 2006-05-15 21:31 | その他雑感 | Comments(0)
ベッドの中でCIAの本を読んでいたら電話が鳴った。「○さん死んだよ」という友人の声。○さんとは2回会っただけだし、それも偶然なので、こっちが知っていても先方は知らないかも、程度の個人的関係しかないが、40代の死というのは、重い持病があったとか交通事故など以外は何かすっきりしないものを感じてしまう。数年前に、もっと親しかった知人の死をやはり友人からの電話で告げられた時も同じだった。どうしても「なぜ?」という言葉が出てしまう。死の原因を当人が作るわけでないにしても。でも、その疑問を抱くのが私だけでないことは、告げてきた友達の反応も同じことから分かる。

いくら不確実な時代でもたった1つの真実は、皆いずれ死ぬということで、私も「いずれにしろ死ぬんだから」と言い聞かせることで精神の安定を図るのが常である。オランダの安楽死についての本を読んだ時は、日本でも安楽死が認められればいいと思い、この場で死ねたら楽になると思う時もよくあるが、かといって不治の病を宣告されたら、ほっとするのではなくてジタバタすることは確実。矛盾の中で生きているわけだが、生きるというイメージは私にとってはすごく積極的なものというよりは「生まれたからには生きてやる」というブルーハーツの歌詞のようなイメージ。生きてやる、と思える要因を内に外に探し続けること。これこそが生きるということか。がんばろう。○さんのご冥福を祈って…。
by kienlen | 2006-05-08 11:21 | その他雑感 | Comments(2)
午後に少しの仕事のため現地へ。時間があるので自転車ではなくて日傘を差して歩こうと思って外に出たら、日傘より雨傘の方に近い天候になっていてそっちを持参する。歩くのは好きだが、ここは歩いて楽しい環境でないのが残念だ。コンビニとフランチャイズの店が多くて独自性を感じない。例えば行政のナントカ計画など、海なし県に海が出てきたり、つまり製作請負元が標準化されたものを使用していることがバレることがあるが、没個性な町の様子を見ていると名前を変えても気付かないんじゃないかと思ったりする。利点といえば、立ち寄りたくなる店がないから物欲が刺激されず、安心してキョロキョロできること。でも、いずれにしろ必要なモノと食べ物は買うのだから地元で消費して地域貢献したいと思っても、惹かれないのである。それで洋服や雑貨は通販を利用することが多くなってしまう。今日も、寄ったのは本屋だけだった。

仕事先に着いたら担当者が「今日はお車で?」と聞くので「いえ、徒歩です」と言ったら「お近くなんですね」。「はあ、1時間位ですね」と言ったら、しばし沈黙して「す、素晴らしいです」と言う。これは褒められているのだろうか。帰路にイギリス人のJさんが子供を自転車に乗せて走っているのを見かけたので呼んだら止まって挨拶。彼にはよく偶然会うのだが、それもそのはず。歩きや自転車の人の絶対数が少ないので会う頻度が高いのだ。いわゆる中心市街地に巨大な建築物が建とうとしているから何かと思ってみたら駐車場だった。市長は文化人的側面を感じさせないビジネスマン。官から民へ、の国の掛け声を忠実に地方行政で率先して実施している人で、話を聞いている限り、そこに迷いが感じられない。このような地方都市では市街地だって土地の値段は知れたもの。郊外型の手法を市街地に持ち込むということなのだろうか。行政文書には「うるおいある町」なんて言葉が散りばめられるが、ここに駐車場とは、ドライこの上ない。この場所まで車で来なくたって、郊外に駐車場を作ってバスを走らせるなり散歩コースにするなりにしたらいいと思うけど、消費者側も歩くことに魅力を感じないなら空論でしかないか。
by kienlen | 2006-05-07 20:40 | その他雑感 | Comments(3)
毎日書くのが目標だったのに、今日(もう昨日)はできなかった。朝7時20分に家を出て四捨五入で100キロの場所で仕事。ノートパソコンで書く時間もないまま日付が変わってしまったのは残念。本日(=昨日)の日雇い仕事先には電車、高速バス、自分で運転という手段があり、電車にしたかったが、昨夜からのどしゃ降りの雨が止んでいなくて迷った末に車にした。レインブーツもあるし歩くのは好きで駅まで30分はなんともないが、荷物が多すぎた。高速道路を使うと高いので早めに出て下道を行く。慣れすぎた道は居眠り運転の危険と隣合わせで、防止用のポテトチップスとコーヒーを準備した。

道路沿いの畑の真ん中にポツンと、閉鎖して廃墟のようになった元パチンコ店がある。最近、女子中学生が元パチンコ店の2階で殺害された事件があったので、通り過ぎるたびに気になってしまうのだが、実はこの場所は他人事ではない。私の実家の土地もここに含まれているからだ。私はタイにいて留守だったが、多分バブルの頃に、こんな田舎の町にパチンコ屋を作るという話になったらしい。そこはかつては畑で、長いもやスイカを収穫していた。私にとっては子供の頃の遊び場だった。それをつぶしてパチンコ店にリースしたのだが、結局土地のリース代を回収できないまま廃墟になったのだ。そんな事に慣れていない田舎の人間を騙すのは、お手のものだったのだろう。昔働いていた広告代理店の社長は「仕事を受けて回収できないよりは働かない方がいい」と言って、行政だけを相手にしていたことを思い出す。コンクリートの巨大な塊を撤去するにも莫大な費用がいる。次の借り手があるはずもない。こうして環境は破壊される。親の土地でこんな展開があるとは考えたこともなかったが、ここまで破壊は進んでいるということだ。
by kienlen | 2006-05-03 01:19 | その他雑感 | Comments(0)
金曜日はバドミントンの練習日だ。バレー部に入っている息子の試合を見て「とれる!」「動け!」「声だして!」と人に怒鳴るより自分でやった方が精神安定上はマシだと思っていたところ、ちょうど知り合いがバドミントンのクラブを作っていることを知って始めることにしたのだが、3月までは時間的余裕がなくてほとんど行かれなかった。今月から暇なので今日は3回目で、筋肉痛の持続日数がてきめんに減っている。休憩時間に5月の試合に出るかどうかと打診された。バドは、高校の頃に少しやっていたので基本はたたきこまれたが、しかし、それにしてもそれから約30年の年月はあまりに長い。でも、試合は楽しいし、練習の動機付けにはなる。団体戦だったら迷惑かけるので気が引けるが、種目はダブルスの個人戦のみ。「出てみようかなあ…」と言ったら「だったら服装は厳しいからね、靴も」と言われた。

高校の頃はスコートと呼ばれる白いミニワンピースと、その下用にフリルいっぱいのパンツのセットだった。シャトルを打つとペロンとめくれてそのフリルが見えるように考えられたデザイン。「えっ、ス、スコートはくんですか」と尋ねると「そうじゃなくて短パンだけど、上は襟付きでシャトルのマークのついたやつで色は白。靴もね。メーカーは○○で…」とのこと。つまりバドミントン専用の服装ってことだ。ジャージを持っていない私は、クラブ員の中でたった1人、手持ちのパンツの中の緩めのものと、普通のTシャツとあり合わせの運動靴で練習していたので、特に丁寧に説明されたのだと思うが、いずれにしろ人生でただ1回の試合だったとしても、すべて新調しなくてはならないことになる。たかがママバド(始めてから初めてママさんバドミントンなる呼称があることを知った)なのに。組織とか集団への所属が極端に少ない私は、ターゲットにされるには非効率的な消費者なのだろうということを、こうして小さいながら集団に所属することで感じた。
by kienlen | 2006-04-21 20:59 | その他雑感 | Comments(0)

家族団欒

夫が経営しているタイレストランの定休日は日曜日だけなので、家族が夕食時に揃うのはこの日だけだ。とはいえ、それでも誰かが欠けることは多い。今日は、私が息子に説教していたら、説教嫌い、声を荒立てること自体が極度に嫌いな夫は夕食に加わらず、いつもの3人の食卓だった。日本では食事時の団欒は重要な家庭教育の一部であることを奨励してきたが、タイでは食べたい時に食べるという習慣が異常でもなく、これは一度クセになるとやめられない。これがいいという確信は全然ないが、かといって食事時に揃って、空腹でもないのに食べるという習慣が特に重要とも思えない。重要な話をするなら食事時より、改まった方がいいだろうし、そもそも毎日顔を合わせているのだから、食事時に話さなくても困らない。家族の中の誰かには話したいが、誰かには話したくない話題などは皆が揃うと話しにくくて、全員が何かしらそういうものを抱えていたらフラストレーションがたまるかも、とも思う。

食事時に揃わないと不便なのは、おかずが冷めたり終わったりという物理的な問題だろう。ただ、これもたいしたことではない。夫が店など始める前は、夕食は時間が許す限り彼が作ることが多かった。理由は簡単で私より美味しいから。かといって私も料理くらいはできるから、帰宅して残り物があれば食べるし、食べ尽くされていたら自分で作ればいいのみ。お互いにこれをすれば待つ、待たされるのイライラもない。待つ、待たされるを楽しみたいなら楽しめばいいし、自由度は高い。子供が小さい時は、少なくとも子供の食事作りは重要だったが、このところ楽になった。自分で食べたいものは中学生ともなるとかなり作れるし、小学生の娘も目玉焼きやパンケーキくらいは大丈夫。中学生の場合、家庭科で教わったことを家で応用するのはありがたい。私達の頃は男女共修ではなかった。料理は生きる上で基本の1つだと私は思っているので、一方の性はそれをしなくていいという育ちが学校教育で肯定されてきたことが不思議でならない。
by kienlen | 2006-04-09 20:53 | その他雑感 | Comments(0)

アンケートの回答

運転中のラジオから流れてきたのでメモも取れず正確ではないが、おおざっぱには次のような内容のニュースが聴こえた。県内の製造業200何社からのアンケートの回答によると、景気が上向いていると感じている所が多い(確か割合を伝えていた)ということ。だから見通しが明るいというような分析もくっついていたように思う。こういうニュースを聴いて興味を感じるのは、こういうアンケートに回答を寄せる企業ってどういう企業なんだろう、ということだ。ほんの短いニュースでそこまでは教えてくれない。親会社が海外に工場を移転して、跡取りはいないし自分の代で止めようか迷っている社長は記入するだろうか。調査用紙よりも札束調達問題に奔走する社長はどうだろう。いや、そもそもそのような類の会社は調査対象に入っていないかもしれない。母集団が不明なので想像しにくい。

アンケートに答えるにはかなり高度な思い切りが要求される。私の場合は、職業分類でまず軽い挫折感。どこに相当するのだろう。仕事も収入も毎年変動するし、主なる家計維持者も特定できず変化する。それに例えば「○○は○○であるべき、という考えがありますが、この考えについてあなたはどう思いますか?」というような質問項目があったとすると、問いの内容はともかくとして、「べき」という考え方を支持できないので、それを基準にした回答もしたくない。まじめに考えると答えにくい質問というのはよくある。でも、ふまじめに答えるのは気がひける。だって結果が政策にも反映されたりもするのだから。それで、迷って迷って回答の時期を逸したりする。で、もしや私のように決断力のない人間が回答しないで、思い切りのいい人だけが回答していたとしたら、結果にも影響を及ぼすに違いない。
by kienlen | 2006-04-05 00:32 | その他雑感 | Comments(2)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


by kienlen
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