カテゴリ:その他雑感( 684 )

みっともない自分を見つめるフリ

どうしてこんなにイライラして悲しいのだろう、と考えている。考えながら、こうして考えることがそもそも悪循環であるとも思う。どうして夫はこう頻繁に朝帰りなのか、いちいち説明しないとどうして電気代程度でも払わないのだろう、自分だってタダでこの家に住んで電気だって使っているのに、しかも何度も催促してやっとだ、催促するのは面倒だから自分でやりたいけど、今の私の稼ぎでは生活費に足りない。どうして息子はテレビを見てゴロゴロして夜更かしして寝坊してこんな遅い時間に出て行く繰り返しなのか、なんで改善を試みないのだろうか、なんで勉強もせず書物の1冊も読もうって気にならないのだろう、なんで哲学的な悩みを抱いている様子が見られないのだろう、知的好奇心というものがなぜないのだろう。とまあ、自分以外の人に関してイラついたところで相手は変わらないのである。だから一番楽なのは自分が何もかもできることなのだが、これがまた曲者で、相手がやると自分もやるタイプと、相手がやるんなら自分はやらずにいた方がトクって思う人がいるってことで、まあその中間で相手に関係なく自分の道を淡々もいるけど、つまり自分がどれかのタイプで、生育環境的にもどれかに片寄っていたりすると、違うタイプが確実に存在するということに気付くのが遅くなる。

これを「もしかして純粋培養?」と冷ややかに笑う人もいる。世間知らずってことか。そうかもしれない。鈍感だったんだ。その鈍感さを貫ければいいけど、半端なのだな。だからイライラとか虚しさが募るわけだ。これは病気っぽいかも、と思っているところにホントに病気の友人から電話があった。そうだ、今日は彼女からの依頼の物件を片付ける日じゃないか。「アレ、今夜中でもいいかな」「どうしたの、病気?」と優しい声。彼女は心の病を患っているので、人の心を傷つけるような言い方をしない。あくまで優しいのだ。もしやこういう優しさに飢えているのか?なんてこった。「病気じゃないと思うけどやる気でない」「ああ、落ち込んでいるわけね」「そうそう」「いいよ、余裕あるからもっと先でも」。それで気晴らしに食事することになった。昨日は3件外回りして、そのまんま飲みに行ったので書けなかった。外回りしていろんな人に会うと我が身がミジメに感じる。何でか。いやいや、なぜか、どうして思考はストップしよ。答えは簡単、銀行口座の残り金額が少ないからだ、きっと。まわりくどく字数稼ぎより別の稼ぎせよ。
by kienlen | 2007-06-19 10:47 | その他雑感 | Comments(2)

指の痛みが引いたので嬉しくて書く

歯磨き粉を塗った指はヒリヒリして、このままだと因幡の白ウサギみたいに皮がはげてしまう妄想に捉われて、するとはげた皮の下に歯磨き粉が浸透してえらいことになるような気がして、いったん洗いなおして落ちることを確認してまた塗った。そしてしばらく我慢していたら痛みがひいた。この過程の心理描写と行為を娘に説明したら大笑いされた。今は痛みは引いた。よってまた入力に抵抗がなくなった。歯磨き粉に感謝。そして細胞が生きていることを感じる。それで昨日の話になってしまうが、友達が「現代思想」の特集が「隣の外国人」だと教えてくれて、それは中身を確認するまでもなく必読と思って書店に走った。経済状況悪化につき書物購入も控え気味にしているが、いくら我慢しても1冊というわけにもいかず、雑誌3冊+佐藤優と魚住昭の対談『ナショナリズムという迷宮』を購入。ギョウザの皮を買う必要があって付近のデパートに行くと玄関前に特設テントがあって、年金相談をやっていた。転職多数、失業多数、海外転出やらしている身であるから気になる。

「年金手帳持参してませんが大丈夫ですか」と聞いたら「保険証か免許証があればいい」ってことだった。でも前に同じ特設会場で献血をやっていて「お昼にワイン飲んだけど大丈夫ですか」と聞いたら「大丈夫、大丈夫」と言われて書類に記入してから気になって再度別の人に聞いたら「お酒飲んでいる場合はダメ」と言われたから信用できるかな、と疑ったが大丈夫だった。かなり待たされたので、健康診断のように悪い結果がでるのかとドキドキする。エイズ検査だって第一段階で完全シロじゃないと第二段階に進むから「1時間で結果でる」というのも場合によっては長引く。でも結局納付には、ほとんど問題ないことが判明した。席を立って、嫌な予感するなと思ったらカメラを従えた男性に追いかけられて取材を依頼される。割と好みのタイプ。しかし「取材はゴメンですがお茶なら」って言うわけにもいかず残念だった。
by kienlen | 2007-06-17 23:52 | その他雑感 | Comments(0)

とうとう電子レンジを導入

昨日届いたクレジットカードの内訳を見てびっくりした。今までの最高金額更新。済んだことは忘れるので何を買ったかも忘れていてこれは何かの間違いじゃないかと見たら、電子レンジという大物があったことを思い出した。息子は以前から電子レンジを欲しいと言っていたのだが、狭いキッチンで場所を取るから嫌だった。しかし料理本を見ても今や電子レンジは基本備品であるし、やっぱ便利だろうと思ってこの際購入することにした。量販店で見ていたら店員が寄ってきた。量販店では聞きたいことがあっても店員の姿は見えにくく、見えても忙しそうに立ち働いているのが今までだったのでどうしたことかと思ったら、市内に強力なライバル登場でサービス向上を図っているようだ。私は販売員とのやり取りは結構好きなので、この種のサービスは嬉しい。いろいろ聞こうと思ったがその前に彼女から「お買い替えですか?」と言われて出鼻をくじかれた。周囲を見ても電子レンジを使ったことがない人っていない。70歳を過ぎている実家の父母でさえ利用している時代だ。正直者なので「はい、買い替えです」という嘘は言わなかったが「いえ、初めてです」という本当のことも言わずに、ストレートに答えずにいた。

電子レンジのコーナーを見たのも初めて。しかしまあ歳とると自分の必要とする機能というのは、個別の製品に限らずに分かるようになるので、同じような機能の製品の中で一番安いのにした。場所は取るが子供達は喜んだ。息子は弁当作りに使っているが、つまりそれは冷凍食品の詰め合わせがほとんどで、作っているにもならない。娘はお菓子作りに使っているが、例えば以前なら湯せんにしていた過程を電子レンジにしたりで、必需品なのかい、と思ったりもする。ご飯を温めるのは、今までだったら蒸し器を使ってホカホカになっていたし。私がバンコクに住んでいた頃、まだ洗濯機は庶民には普及してなくて手洗いだった。出勤のために早朝に家を出ると、近所の男性達が庭に出て洗濯に励んでいた。力仕事だから男性がやるのは合理的だと感じたものだ。夫の弟がしばらく滞在していた時は、帰宅したら私の下着まで洗われて干されていた。何もかも押すだけの利便さにシフトしていくのは人間の性なのか何なんだろう。まだ導入予定がないのは食器洗い機。アメリカから来た友人は、それがないのに驚いていたけど。あまり苦労した世代は押すだけの便利さを多分受け入れやすいと思う。私の世代のように親の苦労は見ているが自分はしてないのが意外にしぶといのかもしれない。
by kienlen | 2007-06-05 12:08 | その他雑感 | Comments(0)

色濃い生活の名残り

f0104169_212167.jpg車で30分ばかりの場所にある実家に行った。味噌蔵の写真を撮る必要があったのだ。私が小学校3年の時まで味噌は完全自給だった。それをこの巨大な樽に入れて保存していた、というのを私自身は記憶していないが、大豆を煮る匂いとか、つぶれた大豆が機械からニョロニョロ出てくる様子は身体のどこかに染み付いている気がする。もう何十年も使われていない樽ではあるが、まだ充分使用には耐えそうな佇まいで存在感たっぷりだ。味噌造り、やってみたいな。聞くところによると、しょうゆよりは簡単らしい。しかし、である。大豆を買うんじゃあ物足りない。大豆を栽培しないとお話しにならない。そうなるとなかなか簡単にいきそうにない。それで思うのだが、自分のように自家栽培作物から自家製調味料が当然という環境にあったことが、逆に気軽な手造りの阻害要因になっているような気がしないでもない。

それにしても、あそこまでの生活でなくても、もうちょっとなんとかしたいものだ、という気持ちはじょじょに強くなる。自分達が食べるだけの作物作りを多くの人がやれば、物々交換で多彩になるだろうし、食材があれば漬物やら自家製調味料や保存食はできる。ただし、ここで大問題。こんな家では置き場所がない。今日も母の手製の漬物を何種類かカメでもらってきたが、ウチのような小型モダン住宅では涼しく保存できるスペースがない。家作りの時の失敗か。いや、こんな市街地には似合わない。長期保存ができそうにないから友達におすそ分けすることにする。それにしても、この樽といい、その他大きな釜といい、利用方法はないものだろうか。このまま朽ちるんじゃあもったいない。また考える材料はできたけど、どうもモノにするのは難しい。
by kienlen | 2007-05-31 21:36 | その他雑感 | Comments(0)

昼間打ったソバで夕食

f0104169_23361798.jpg今日はソバ打ち体験道場で初めてソバを打った。この仕事の打診があった時に「ソバ打ち体験していただきたい」と言われたから受けたようなもので、ほんと、楽しかった。当地の伝統を踏襲する方法で体験させてくれるのだが、のっけのコツはソバ粉に熱湯を回すことである。この時のソバの香りが素晴らしい。これだけで満足って香りが漂う。こうしてソバの香りを閉じ込めるのがコツなのだそうだ。そんな先生の口上がまた極上。半分以上は先生がやってくれたようなものなのだが、1回の体験で相当の勉強になった。これは練習すれば上達するかも、なんて気にさせてくれる。実際、ここで体験して蕎麦屋を始めた人もいるとか。それにしてもここまで繊細なソバ打ちを体験すると、日本は美しい、なんて感動したくなったりもするものだ。あくまでソバの話であって政治に利用されたいわけじゃないが。

特別に厨房に入らせてもらって茹で方まで教わった。その時のつまみ食いの数本はつけ汁なんか要らないと思える味だった。その時すでにボリュームたっぷりのガレットを試食した後だったので、ソバは一人前だけいただいて残りを持ち帰り用にいただいた。娘が特にソバ好きなので夕食にゆでた。さすがに打ちたての風味は失せていたが、初めてにしては感心の切り方だと褒められていたので一応記念写真を撮った。成長ざかりの子供用だからテンプラも添えるかと思ってあり合わせでかき揚げを作った。ソバ打ちは器用だって褒められたが、このテンプラのデキはなかなか不器用であった。長芋と人参と玉ねぎを揚げただけ。でも美味しかった。f0104169_23504755.jpg
by kienlen | 2007-05-30 23:52 | その他雑感 | Comments(0)

晴れているのは天気だけ

友達から電話があって「お昼どうする?」と言われて、いつもならそれはどこで食べるかって意味を汲んで答えるところだが、さすがにもうここまで仕事がないと経済不安がますます募る。「仕事なくてお金ないから外食しない」と言うとコーヒーだけ飲みに来た。そして結局夫の店に行くことになった。パカナ炒めご飯に唐辛子を多めに入れてもらって辛くしたせいか、食欲が刺激されて食後に空腹になった。夫が「クメール人から電話があった」と言う。「入管だったの?警察?」と聞くと「入管と警察の両方」との答え。しかし電話できるということは警察であるわけがなく、入管送りになったのだ。ということはたいした面倒もなく帰国できるということだ。新聞の片隅にも載っていたが、2日前にまた大掛かりな摘発があってタイ人も何人か捕まって、その中に通称クメール人も含まれていたというわけだ。タイ人なのだが、いろいろな国に行っていていろいろな国の言葉ができて、カンボジアにもいてクメール語もできる。料理が上手で山で何か調達してきては作っていた。いなくなると寂しいが、命がなくなるのとは違うから、笑ってすませられると言えば言える。

夕方、友達の家に遊びに行っていた娘が戻ってきていきなり「誰か死んだんでしょ」と言う。今この瞬間にも死んでいる人はいると思うが、ニュースになる人はごく一部。農水相の自殺のことに違いない。ご飯食べながらNHKのニュースを見た。自殺者が4万人近いとか言われていて、みんなそれなりに事情はあるのだろうが、注目度ではその他3万人以上分を凌駕している。インタビューされた自民党の誰かが「ネットワークを駆使して日本のためにまさに奔走していました」と、それが何か特別なことででもあるかのように答えていた。日本のために奔走するって大臣として当然の仕事じゃないのかな。それとも何か、特に言及する必要があるほどの特別な日本人のためなんだろうか。死ねばまた事の次第も真相も闇の中なのだ。それはもしかして一部の人のためにはなるかもしれない。まさか、それをもって日本人のためとか言っているわけじゃないよな。年金記録の不備及び説明責任の欠如で遺族年金の支払い拒否なんてこともないだろうし、いいな。今日は天気は良かったが、気分はすぐれない日だ。何もかも理不尽であることに、たまには怒りたくなることもある。
by kienlen | 2007-05-28 20:52 | その他雑感 | Comments(0)

ココア脱走の真相

気分を仕事の方にもっていかないといけないのだが、夕方バーベキューをすることになっているので付近のホームセンターに買い物に行った。こんなに人口があったかと思うくらいの人だった。それこそ歩く場所もないくらいでレジには長い列が出来ているし、人ごみ嫌いの自分にとって拷問である。具合悪くなる。かといって別の店に行くのは時間もかかってさらに億劫なので息子に荷物を持たせてしょうがなく並んだ。平日働いて週末混んだ店で買い物なんて生活は絶対にしたくないと改めて思った。人っている所にはいるんだ…。昨日もホームセンターに買い物に行った。ウサギのココア用に安全な檻を探すために娘と。檻の買い替えは3回目。無駄だ。最初から大きいのにすれば良かったのだが、初めてなので加減が分からなかった。娘とココアの家を整えていると、隣家の主人から「あれは6時くらいだったかなあ。小さい犬が追いかけて必死に逃げていたよ。助けようと思ったけど潜り込んでダメだった」と声かけられた。それで真相が分かった。

形ばかりの小さくて弱い檻に犬が近づいてきて襲ったのだ。檻は簡単に変形して上に隙間ができた。ココアはそこから必死に逃げたに違いない。奇跡に近い。よく無事でいたものだとまた涙が出た。そして少しすっきりした。何が起きたかを知るということが癒しにつながるのだろう。なぜだ、というのが分からなかったからモヤモヤ感が去らなかった。自分から脱走する様子は今まで全くなかったし、外の世界を知らないのだから、なんで突然に…。その疑問が解けた。単に犬から逃げたのだ。かわいそうだったけど、偉かった。逃げることしかできない動物でも生きられるということを感じられないとやり切れないからなあ。毛に隠れて見えなかったけど娘が、少しだけ傷ついているのを見つけた。でも浅いから大丈夫だ。しばらく元気ないように見えたが今朝は近づいたら寄って来た。一回り小さくなったように感じる。
by kienlen | 2007-05-27 13:23 | その他雑感 | Comments(0)

躁鬱病のMからの連日の電話

またMから電話があった。このところ連日でそれに日に2回も3回もで、さらに携帯の電池が切れるまで話すことになる。話すといっても話題は何もないから、寝ていると何が見えるの?とか、ご飯食べた?とか。まるで拙い外国語で話しかけるようなもの。それでも返事はおぼろげ。状態は相当悪くなっているように感じられる。Mと知り合ったきっかけは忘れたが、数年前は毎日のように会っていた。その時から医者にかかっていたけど、ここまでひどくなっていなかった。悪そうだなって感じる時もあれば、やけにまっとうな日もあった。それから彼は病気療養という名目で休職して、馴染みがないのに仕事だけで滞在していたこの土地から、知り合いも多い東京に行った。それが3年前で、それからは電話のみの付き合い。「で、Mさんの場合の診断名は何?」と、話題もないから聞いた。もしかしてあの頃から変化しているかもしれないし。「躁鬱病」と言う。「じゃあ、躁状態もあんの?」と聞くと「ないねええ…」と、どんより。こっから先は素人には分からない。医者が言うんだからそうなんだろう…か。

鬱病とか自律神経失調症とかの人はとっても多い。私の知り合いにもわんさかいる。当人がそうか配偶者がそうか、家族の誰かがそうか、を全部カウントしたら、一家にひとりみたいな感じ。街でばったり知人に会ってちょっと立ち話して「実はねえ…」と言い出したら「あ、鬱病?」と聞くとたいていは当たっているのだ。別にこっちの勘が鋭いのじゃなくて、それだけ多いってことだ。啓発パンフなんかから、誰でもかかる可能性があるし、風邪みたいなものだから、治療は早くした方がいい、と訴えいている印象を私はもっている。ということは私も鬱病になるかもしれないということだ。アルコールにかなり依存しているし、自分が健全であるとはちっとも思わないが、鬱病の人と話していると、自分が鬱病になるような気がしないのは不思議である。特に根拠はないんだけど。ただ時々思うのは、苦しい時に医者に行ってその苦しさを描写したら「人間ね、生きていればそりゃいろいろありますよ。しょうがないですよ、やり過ごすしかないんじゃないですか」と帰してくれるだろうか、それとも薬を処方されるんだろうか、と思うときっと後者だろうな。すると薬に頼る可能性は高いな。これは私もそうなる気がする。高等教育機関の専門職だったMさんに「山に来て畑耕すとか、すれば」と言うと一笑にふされる。知の部分だけで何かを分かった気になれること自体が病んでいるよな、と、自分も振り返りながら思う。
by kienlen | 2007-05-15 15:21 | その他雑感 | Comments(0)

虚業を中断してタケノコ汁だ

f0104169_13232996.jpgパソコンに向かって虚業をやっていても落ち着かない。こんな美味しいもんがあるのに虚業ができるもんか、と思ってタケノコ汁を作ることにした。まだ掘りたての域のうちだったらエグミは少ないはずだ。今、無洗米を使っているので、アク抜き用の米のとぎ汁がない。生でちょっとかじってみたらたいしたアクはなさそうだから、塩水で茹でてまたかじってみたら問題ない。Nからのダンボールに1本だけ入っていた土付きの大きな大根を薄く切って、やっぱりダンボールに入っていたネギを細かく切って煮ながらタケノコもイチョウ切りにして入れる。それにこのへんの特徴的料理法らしい、サバの水煮缶を汁ごと全部入れて味噌を入れる。この味噌は直売所で最近買った農家の女性達の手作りもの。あっという間に出来上がり。

どうせ一緒に食べる相手はいないから、出来立てをひとりで食べた。素材が新鮮なので文句なく美味しい。それで突然思った事がある。私にとって今の最重要テーマは孤独な老後についてだが、ひとりの食事が平気かどうかは結構重要かも、って事についてだ。よく、連れ合いがいなくなって「食べてくれる人がいないと張り合いがない」とか言って自分の食事作りも億劫になるという話を聞くが、相手あってこそ作ったり食べたりってことだと、このような事態になりがちだろう。となると、子供の時から自分のために作って自分のために食べるというクセをつけるのもある意味悪くないかもしれない。で、相手がいたらついでにその分も作ったり一緒に食べる。大勢いたらそれなりに。だいたい私はよく問題になっているらしい個食とか弧食とか言われるものの問題点が分かってない。いやいや、こんな事ばかり考えていると本当にひとりぼっちを招くに違いない。それはやっぱヤダな。ヤダっていっても自分だけで決められないしな。まあ、いいや、しばらく虚業に戻ってから続きを考えよう。
by kienlen | 2007-05-12 13:49 | その他雑感 | Comments(2)

山の幸をたっぷり味わう季節

f0104169_19482760.jpg夫がこれをもらってきた。多分ゼンマイだと思う。ゼンマイとコゴミの区別が私にはつきにくいが、このたくましい巻き方はゼンマイで、コゴミにはもっと柔なイメージがある。ゴミがたくさんついていて山の香りがした。今夜は夫が家で夕食という珍しい日で、娘はいないが息子もいるから3人の食卓だ。父からもらったタラノメがあったので、それを揚げる予定ではあったが、ついでに飛び入りのこのゼンマイも少し揚げてみることにした。あとは明日おひたしにするつもり。

ざっと洗ってざっと水を切って粉に入れたら、何か粉の中で動いている。小さなクモだった。山の物を持ってくると虫がいろいろいる。他にも何だか分からない小さいのが這い出して来た。憎らしい相手だったら、気付かないフリしてこのままテンプラにしてみようと思ったが、別に憎らしい相手でもないのが残念だ。それに、夫はまず絶対に驚かない。私よりももっと野生的に育っているから。娘もそう驚かない。彼女が保育園の時、先生が娘を驚かそうと思って足元のミミズを見せたら「あー、ミミズだ」とつまみあげて、逆に先生を驚かせてしまったが、私なんかにすると、こんなもんで若い先生は驚くようになってしまったんだと世も末って感じがした。で、クモがいたら、それ以後テンプラを食べなくなるくらいのショックを受けると思われるのが息子である。バンコクの都会育ちの結果かと思うと、もっと早い時期に連れてくるべきだったかと後悔の念。大人の味にしておきたかったので息子の前から離して置いたのに目ざとく発見して「旨そう。塩を振った時の甘さがいいんだよね」と言ってモクモク食べていた。クモの件はもちろん秘密。
by kienlen | 2007-04-29 20:06 | その他雑感 | Comments(2)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


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